🔓妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件~

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2005年2月27日


すぐ目の前に山が迫る岐阜県中津川市・坂下町の「住宅」。
その男性は、なにか心のざわつきを感じながら、勝手知ったる「その住宅」の玄関を開けた。
昼間ではあったが、家の向きの関係で家の中は薄暗く、いつもならば昼間でも電気がついているはずなのに、その日はついていなかった。
この日、男性はインフルエンザで体調がすぐれず在宅しており、実家である「その住宅」に子どもたちを連れて遊びに行った妻の帰りを待っていた。
そこへ、ひょっこり妻の父親が顔を出した。
「下(実家)でみんな待っとるから、行こうか」
小柄でにこやかな義理の父は、いつもと変わらない表情でそう告げ、男性と共に軽自動車で「その住宅」へと向かった。
子どもたちもいるはずの家の中は静まり返り、男性は不安を覚える。背後にいる義理の父に、みんなは?と聞くと、「ばあちゃんの部屋におる」と言うので、その部屋へ向かうが、その部屋は真っ暗で物音もしない。が、「なにかがいる」気配があった。

「Tさん、死んでくれ」

事件の概要

男性は死に物狂いで抵抗し、なんとか振り切って「その住宅」を飛び出し、腹を抑えてうずくまっているところを通報により駆けつけた警察官に保護される。
男性から事情を聴いた警察官らが「その住宅」で見たものは、老齢の女性、乳児と幼児を抱きかかえた30代くらいの女性、同じく30代と思われる男性のあわせて5人の惨殺遺体だった。

さらに、浴室で首に包丁を突き刺したまま朦朧としている初老の男性を発見。
一命をとりとめたその男こそが、「その住宅」の主で、殺害された被害者の息子であり、父親であり、おじいちゃんであった。
名を、原 平(当時57歳)という。

その日、妻は旅行で不在であった。
午前6時ころ起床し、旅行に行く妻を駅に送った後、自宅に戻った。
自宅には85歳になる母親のチヨコさんと、整体師の長男・正さん(当時33歳)がいたが、まだ二人とも寝ているようだった。
原は、眠っている正さんの首にネクタイを巻き付け、一気に締め上げた。目を覚ました正さんは、「お父さん、なに?」と苦痛と困惑の表情で問いかけるのが精いっぱいで、抵抗も出来ずにそのまま絶命した。

「いよいよ始まったな」

我が息子を殺害した原は、なぜか落ち着き、むしろ意気揚々とした感覚で1階の母親の部屋へ向かった。
正さんを殺めたそのネクタイで、微睡むチヨコさんも同じく絞め殺した。気位の高いチヨコさんは、妻をはじめ、家族を苦しめていた。今朝も、何度も解約しているにもかかわらず新聞購読をせがみ、さらには原の娘のことを「孫の顔も見せに来ない」となじった。
「これで解放された、もう嫌がらせをされることはない」

次に原が行ったのは、警察犬として慈しみ育て上げてきた2頭のシェパードの「始末」であった。
車に乗せて、糀の湖付近で木につなぎ、持参した包丁を何度も犬に突き刺した。
訓練された犬は、主人に歯向かうことなく、その場に崩れ落ちた。

その足で、今度は娘・こずえさん(30歳)の自宅へと車を走らせた。
自宅にはこずえさんと生まれたばかりの彩菜ちゃん(生後3週間)、2歳の孝平ちゃん、そしてこずえさんの夫であるTさん(当時33歳)がいた。
「ばあちゃんが孫の顔を見たいと言ってるから」
原はそう言ってこずえさんと子どもたちを車に乗せた。Tさんはまだパジャマ姿で、体調もすぐれなかったためその時は行かなかった。

実家へ着いたこずえさんは、子どもたちと家の中に入るが、すぐさま雰囲気がおかしいことに気づく。
彩菜ちゃんを左腕に抱えて、チヨコさんの部屋へ行くが、電気もついていないその部屋で異様な状態のチヨコさんを見て、「何か変じゃない?」と父親に聞いた。
「そうか?もっと近くへ行ってみな」
父親に促されるまま、心配そうにチヨコさんをのぞき込んだその時、こずえさんの首にネクタイが巻かれた。
「お父さんっ…!?」
あっけにとられた表情のこずえさんは尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れ込んだ。左手にはしっかりと彩菜ちゃんを抱いたまま。
原は、愛娘の顔から血の気が失せるのを見たくなかったのか、顔を背けていたという。
こずえさんが動かなくなったのを確認し、ふと顔を上げると、部屋の隅で固まっている孫の孝平ちゃんと目があった。
幼いながらも、目の前で繰り広げられたこの一部始終が恐ろしいことであると察していたのだろう、不安そうな顔で「ママ、大丈夫なの?彩菜は?」と聞いたという。

原は、孝平ちゃんの首にもそのネクタイを巻き付け、そのまま締め上げた。

不意に、こずえさんの腕の中にいた彩菜ちゃんが火がついたように泣き始めた。我に返った原は、その彩菜ちゃんの首をつまむと、そのまま力を入れて息の根を止めた。

時間は午後零時半になっていた。

原はその後、冒頭のように再びこずえさん宅へ行き、何も知らない夫のTさんを連れ出してTさん殺害も試みるも、抵抗され未遂に終わった。
Tさん殺害を諦めた原は、そのまま自身の体や首を包丁で刺し、自殺を図る。失血死を試み、浴槽の中に隠れていたが駆けつけた警察官によって病院へ搬送され、12日、5人殺害とTさん殺害未遂で逮捕となった。

不可解な動機

犬も含めた一家惨殺、さらには血のつながりのないTさんまで殺害しようとしたその背景や動機は、いったい何だったのか。
調べでは、母親であるチヨコさんへの積年の恨みと、妻に対するチヨコさんのいびり、嫌がらせに耐えかねたとする供述があり、裁判でも概ね認められている。
チヨコさん以外の家族は、こずえさんの夫であるTさんを含めて仲が良かったとされ、ゆえに殺人犯の家族として生きていくのは不憫であるという原の勝手な思い込みによって、一家もろとも可愛がっていた犬まで一緒に死ぬ以外にないという「無理心中」であるとされた。

しかし、ここで大きな疑問がある。

妻の存在である。妻はその日日帰り旅行に出ており、原自ら駅まで送っている。
しかし、原はあえてこの日を選んで殺害を実行した。
原の中で、母・チヨコさんから逃れるには殺害以外にない、という妄信があり、それを実行することに迷いはなかった。おそらく自身も後に自害するつもりがあったのだろう。
ただ、そうなれば遺された家族は世間の好奇の的となり、申し訳ないから、生き恥をさらすよりも良かろうということで連れて行こうと思ったわけである。
であるならば、なぜ最愛の妻を連れていかなかったのか?

原の供述によれば、妻のことは愛していたし、なにより妻をチヨコさんから解放するのが目的であるのだから、妻を殺そうとは思わなかった、だから妻がいない日を選んだ、となっている。

これでは矛盾していないか。片方で愛する娘や孫たちを殺しておきながら、同じく愛してやまない妻は生かす。
妻とて、1人残されてしまえば死ぬほどつらい日々が待っているわけで、決してチヨコさんから解放されて良かったなどと思うわけがない。
家族全員が妻をいびり、蔑ろにしていたというならばわかるが、そんな事実はない。

わたしはこの顛末を知った時、「これじゃむしろ妻への嫌がらせでしかない」と思っていた。
しかし、新潮45などで発表されたルポや裁判記録を読んでも、どこにもこの私が抱いた疑問を払拭させる話は出てこず、長いことわたしはこの一家殺傷事件が起こった動機、背景にモヤモヤするものを抱いていた。

そして、長い時間を経て見つけたある記事が、私が感じた疑問をずばり「やっぱりそうか」と思わせてくれたのだ。

それは、自身も負傷させられ、妻を幼い子どもを殺害された被害者・Tさんの手記であった。

【有料部分 目次】
母と息子のそれまで
束の間の平穏
常軌を逸していく母親
殺害やむなし
矛盾だらけの建前
理想の自分、理想の家族

ここからは有料記事です

🔓忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件~

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2006年5月7日

まだ夜も明けきらぬ午前3時55分。
山形県西置賜郡飯豊町の役場近くの民家から、女性の声で119番通報が入った。
「助けて!お父さんが殺される!」
尋常ではないその声に、すぐさま消防と警察が駆け付けた。
現場には、その家の主人であるカメラ店経営・信吉さん(当時60歳)と、その妻で看護師の秀子さん(当時55歳)、そして、夫婦の長男である覚さん(当時27歳)が血まみれで倒れていた。
秀子さんはかろうじて意識があったものの、信吉さんと覚さんは死亡していた。
襲われる理由が見当たらないとする中、約6時間後、近くの山中にある神社で血まみれで座り込む男が発見された。
男は、伊藤嘉信(当時24歳)。殺害された被害者家族とは親戚関係にあり、自宅も同じ組内に存在するほどの古くからの知り合いであった。

凄まじい憤怒の現場

早い犯人逮捕ではあったが、そもそもなぜ、嘉信がこの古くからの知り合い一家を襲ったのか、当初は謎であった。
殺害された覚さんと嘉信は、年が4つほど違うが幼馴染である。しかし、その覚さんへの凶行は、他の被害者よりも執拗で残忍を極めていた。

5月8日から行われた取り調べの中で、嘉信は「信吉さんと秀子さんについては、危害を加えるつもりはなかった」と話し、最初から覚さんを狙った犯行であることが判明。
供述によれば、信吉さん方へ進入した際、玄関わきの引き戸を開けたところ豆電球がついており、当初そこに覚さんが寝ていると思っていたところ、覚さんよりも小柄なふたりの人間の姿が見えたため、引き戸を締めようとしたという。

その際、引き戸ががたつき、秀子さんが気配に気づいて「誰?」と声をかけてきた。
寝ぼけ眼の秀子さんが薄灯りのなかで家族ではない人影を認識した途端、ギャーッ!という叫び声をあげた。
そして、それに反応した信吉さんも「何事だ」などといって起き上がり、嘉信(この時点で嘉信だと認識はしていないと思われる)の方向へ向かってきた。
嘉信は用意していた刃物(ニンジャ・ソード)で信吉さんの腹部辺りを刺し、さらにもみ合ううちに無我夢中で信吉さんを刺しまくった。
その直後、廊下の奥から男性の「うわあっ!」という声が聞こえ、その声の主こそが覚さんだと確信した嘉信は、その瞬間まではパニック同然の気持ちが途端におさまり、パニックではない明らかな殺意とこれまで感じたことがないほどの高揚感が体を支配した。
信吉さんを払いのけると、そのままためらわずに覚さんへ向かい、胸や腹を一突き、さらに上半身のどこかを数回刺した。

その後、傷を負ってもなお、嘉信に抵抗をやめない覚さんに対し、はっきりと覚えきれないほどの傷をさらに負わせ、息子を救おうとする母親・秀子さんに対してもけがを負わせた。
激しい取っ組み合いの末、玄関付近まで逃げていた覚さんの頭を拳や膝で殴ったり踏みつけたりし、倒れた覚さんの頭を足で4~5回踏みつけた。

3人の生死は確認できてはいなかったが、ふと、覚さんの祖母のことを思い出した。
幼いころから知っているおばあちゃん。もしかしたら現場を見られたかもしれない。
しかし、嘉信自身も覚さんの反撃で負傷しており、おばあちゃんを捜すのはやめた。

車に戻り、なにも考えられない状態で車を発進させた際、タイヤをしたたかに何かにぶつけたらしかったが、その時は気にも留めなかった。
少し走って、どうやらパンクしているらしいことに気づき、嘉信はなぜかタイヤ交換をしようと思いつく。
人目につかない方が良いと考え、何度か行ったことのある山道へ車を走らせたが、その途中で車は自走不能になってしまう。
そこでようやく、今更パンク修理などしたところでどうなる、と思い、また、覚さんに斬りつけられた右手も痛むため、車を放置して徒歩で山の奥へと向かう。
車の足元に、凶器のニンジャ・ソードが落ちていたのを目に留め、証拠隠滅のために持ち出して途中で棄てた。

逃げる途中、嘉信は幼いころから今日までの出来事を考えた。右手からの出血は予想以上にひどく、幾度か気を失いそうになりながらも、ある思い出がよみがえるたびに、今日自分がしでかしたことは自分を取り戻すためだと、積年の恨みを晴らしたのだと言い聞かせた。

覚さんと嘉信の間には、想像をはるかに超えた因縁が渦巻いていたのだ。
嘉信は小学4年生のころ、被害者である覚さんから「いじめ」を受けていたという。

しかしそれは、いじめというよりも「性的暴行」であった。

【有料部分 目次】
衝撃の告白と被害者家族

殺意の形成
PTSD
裁判所の見解
言いたくても言えないこと

🔓「お父さん」を惨殺した中国人留学生の罪と罰~大分・恩人殺害事件~

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【お願い】
この事件は、中国籍、韓国、朝鮮籍の留学生らによる許されざる事件です。
しかしながら、この事件をもってすべての中国籍、韓国朝鮮籍の人が悪であるはずはありません。欧米人でも日本人でもアホは山ほどいます。
私はこの記事を、そのような特定の政治思想、人種差別を是とする方々に利用されたくありません。
万が一、そのようなSNSやまとめサイト、個人のブログ、掲示板などにこの記事のリンク、または引用があったとしても、私の本意ではありませんし、そういう考えの人はこの事件の犯人と同じくらい、浅はかです。

2002年1月18日未明

大分県杵築市山香町。
山間の畑が広がるのどかな集落で、高齢の夫婦が殺傷されるおぞましい事件が起きた。
殺害されたのは、建設会社を営む吉野諭さん(当時73歳)。背後から腰を一突きにされ、その刃先は腹部を貫通するほど深く差し込まれていた。
2階で寝ていた妻・恵美子さんは、一命をとりとめたものの、腹部を二か所刺され重傷であった。

娘の雅美さんは、父の死を病室の母親に告げることが出来ずにいた。
しかし、いつもまでも隠せるものでもないし、捜査上のこともあって伝える決心をする。
覚悟していたのか、夫の非業の死を知らされた妻・恵美子さんは、取り乱すこともなく、力なく頷いたという。

一片の落ち度も、ましてや他人から恨みを買うこともなかったこの夫婦に刃を向けたのは誰か。
犯人が逮捕された時、吉野家はさらに深い悲しみに打ちのめされることになる。

「お父さん」と慕われた人

吉野さんは建設会社を経営する傍ら、篤志家としても知られる人物で、特に、自身が戦前に中国で暮らした際に世話になったことを忘れず、日中友好に尽力していた。
その活動の一環として、中国人留学生への支援を行っており、自らが身元引受人となり、生活の世話から経済的な面倒まで、まるで親のように留学生たちを温かく見守ってきた。
その活動は中国からも高く評価され、吉林市で初となる外国人市民栄誉賞も贈られているほどだ。
吉野さんが日中友好に尽力していたのには、深い理由があった。
昭和18年、15歳だった吉野さんは中国吉林市へ渡る。電気技術を学びながら終戦を迎えると、1年近く捕虜生活を強いられたという。
飢えに苦しむ吉野さんら日本人捕虜に対し、こっそり食べ物を与えてくれたのは地元・吉林市の一般市民であった。時には衣類も差し入れてくれた。
吉野さんはその時の恩を忘れることが出来ず、日本での生活が安定した頃、中国残留孤児の身元引受人となった。
それをきっかけに、中国と日本の架け橋となり、何度も中国へ足を運んでは現地の経済政策をアドバイスしたり、日本語学校に携わるなど交流を深めることとなったのだ。

吉野さんの葬儀では、吉野さんの世話で中国から留学してきた女子学生が涙ながらにお別れの言葉を述べた。
「私たちはお父さんを喪った」

誰もが吉野さんを慕い、同時に最も尊敬する「お父さん」を喪った留学生たちにも同情が寄せられた。
彼らは留学の世話にとどまらず、吉野さんから野菜などの食材、生活に必要なものなどを分け隔てなく面倒を見てもらっており、その誰もが心から感謝していた。

しかし、その裏で、この吉野夫妻を惨劇へと巻き込んだ張本人が、実はこの告別式に参列した留学生の中にいたのだ。

犯人と動機

犯人は現場の状況から複数犯と見られた。また、吉野さん宅を狙い撃ちしていることに間違いはなく、吉野さん宅の事情に詳しいものが関係しているとみられた。
そこで浮かんだのが、吉野さんが身元引受人となっていた中国人留学生・安逢春(当時23歳)と、その友人の韓国籍の金玟秀(当時27歳)だった。その後、別府大学への身元引受を行った張越(当時26歳)が捜査線上に浮かんだ。

安は犯行当時も別府大学国文科に籍を置いており、日本語の他に韓国語も話せる優秀な学生であった。吉野さんも安をかわいがっており、一時期自身の会社でアルバイトもさせていたほどだった。
しかしこれが仇となった。
安は、勉学に励む優秀な学生という以外に、中国人女性と偽装結婚をした過去を持っており、吉野さんが思うほどの真面目な留学生とは言えなかった。
そして、この安が吉野さんの会社でアルバイトをした経験が、後の強盗殺人を呼び込んでしまうのだ。

一方、張はというと、吉野さんが「どうしても」と頼まれて引き受けた留学生だったという。
他の留学生が日々の生活もつつましく送る中で、張は来日した時点で100万円以上の大金を持っていた。そして、それを遊興費に使い、2001年10月に出席が足りず退学処分を受けている。
この張が、後に「日本人から大金を奪う方法を教えてもらった」などと得意げに留学生仲間に吹聴していたことから事件への関与が疑われた。
そして、事件から20日後、韓国籍の金、安と同じく中国人留学生であった19歳の少年が逮捕されたが、主犯格の張越と、朴哲(当時24歳)はすでに中国へ出国した後であり、国際指名手配となった。

5人は、張、朴の主導により強盗計画を練った。そもそも19歳の少年が朴に対して金を貸しており、その返済を前々から迫っていた背景があった。
また、朴自身も交際女性を妊娠させてしまい、堕胎費用を工面したいと考えていた。安らも、偽装結婚で金が要ることや、アルバイトに汗を流すことに嫌気がさした面もあり、当初は軽い気持ちで強盗計画を聞いていたようだ。
「どこかに金持ちはいないか?」
そう聞かれた安は、吉野さん宅を教えたのだった。張は、自身も世話になったはずの吉野さんの名前が出ても、それを止めることもしなかった。

朴も他の犯人と同様、別府大学の留学生であったが、2001年12月に退学している。19歳の少年も、同じ年の10月に退学となっていた。
(それにしてもこの別府大学というのはどういうところなのだろう。積極的な留学生受け入れをしているように見えるにもかかわらず、これだけの退学者を出すのは珍しくないんだろうか。)
そして、この国際指名手配となった朴と、19歳の少年は、吉野さん方を襲撃するわずか3週間ほど前、大阪で35歳の女性を強盗目的で殺害していた。

大阪事件

2001年12月26日16時30分。
大阪市北区のホテルで、派遣型風俗店従業員の女性(当時35歳)が刃物でめった刺しにされて殺害されているのが発見された。
女性はクラフトテープで両手足を縛られ、その上で心臓、首などを十数回刺され、心・肺刺創による失血死であった。
その後の調べで、女性は2枚のキャッシュカードを抜き取られており、強盗目的で呼び出されたのち、殺害されたとみられている。

この事件を起こしたのが、ほかでもない吉野さん宅を襲った19歳の少年と、朴であった。
19歳の少年は、2001年10月に別府大学を退学後、東京の専門学校へ通うために都内の知人宅へ転居した。
11月ころ、中国の母親から学費として50万円の送金を受けながら、そのうちの12万円を朴に貸し付けている。さらに、知人らへの借金返済や、遊興費にその残金を費やしてしまう。
専門学校への学費振り込み期限が迫る中、19歳の少年は同居していた知人に50万円を借り、41万円を専門学校へ振り込んだ。
しかし、母親からの送金は期待できず、またこれ以上知人からの借金も出来ず、さらには在留資格の問題でアルバイトも出来なかったために金に窮することとなった。
切羽詰まった少年は、以前朴に貸していた12万円を返済してもらおうと、しつこく朴に電話している。
そこで朴から持ちかけられたのが、女性を狙った強盗であった。
19歳の少年は、強盗してお金が手に入れば、朴から金を返してもらえると思い、その計画に乗った。
場所は大阪と決め、12月24日、朴が大分から、少年は東京からそれぞれ大阪へと向かう。その際、朴は凶器となる棒やナイフを所持していた。
当初は、ひとり歩きの女性を襲う予定であったが、思いのほか難航。24日と25日はまったく計画通りにことが運ばず、2人はビジネスホテルに泊まった。
そして、風俗嬢を呼び出して金を奪うことを思いつき、通りで何枚かの風俗店のビラを入手する。
26日の午前1時ころ、ある風俗嬢をSEX目的で呼び出すも、若すぎるとしてチェンジ。しかしその後、別の風俗嬢が来ることはなかった。

翌朝、2人は別のホテルへ向かい、その道中、犯行に使用するクラフトテープや防止、ペティナイフを購入し、午後3時ころ19歳の少年のみがホテルにチェックインした。
遅れて朴が部屋を訪れ、道具を手渡した後「キャッシュカードの暗証番号を聞き出した後は、売春婦は殺さないと面倒だから、殺して逃げろ。自分も別の部屋で同じように女から金を奪う」と告げ、少年はこれを了承。
朴も、別の部屋で同じことをするからと少年に言い、これは二人の犯行だと思い込ませた。

午後4時30分ごろ、呼び出したA子さん(35歳)がシャワーを浴びているところを襲い、縛り上げたうえでキャッシュカードを強奪した。
逃げようとした際、A子さんが声をあげたことで我に返った少年は、やはり殺さなければと思い、所持していたナイフで刺殺した。

A子さんに刺し込まれたナイフは、その刃が根元から折れ曲がるほどの力で何度も刺し込まれており、相当な殺意が見てとれる。
少年は冷静にドアノブの指紋を拭き、その場から逃走した。
結局、少年は現金を引き出せず、キャッシュカードを朴に渡した後、ナイフを捨て、再び東京へと戻った。

そして、再び強盗をはたらくために、今度は大分へと向かうのである。
しかしこの時、朴は別の部屋でなにもしていなかったのだ。

【有料部分 目次】
お気楽な強盗団
最終計画
誤算
裁判と判決
再びの悲劇
安逢春の罪と罰

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🔓22歳元自衛官が見誤った故郷の誇り~宮崎家族3人殺害事件②~

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【有料部分目次】
貴子さんとくみ子さんの過ち
「あんたの両親はなんもしてくれん」
ひとり歩きし始めた被害者遺族像
語られない真実
奥本の過ち

🔓強制退去で娘を殺した母親にあえて言いたい「ふざけるな」~銚子市母子家庭娘殺害事件~

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平成26年9月24日

その日、千葉県銚子市の県営団地において強制退去が行われる予定であった。
対象は、その団地に7年前から入居している松谷美花(当時43歳)とその娘・可澄さん(当時13歳)が暮らす一室で、この部屋は長きにわたって月額12800円の賃料が延滞、あるいは滞納されていた。
この時点でも、最終支払いは前年の4月。それでも滞納額は10万2400円となっていた。
強制執行についての段取り、日時などは、入居者である美花には事前に知らせてはあったが、ここ数日は松谷親子とは連絡が取れていなかった。

鍵を開け、室内に入ると人の気配がある。
テレビの前に敷かれた布団に、娘がうつぶせに寝ていた。そしてその傍らで、呆けたような表情の美花が、テレビ画面を指さし、「これ、うちの子なの」などと言った。
その時点で、室内に入った執行官や業者らは娘が寝ているのではなく、死んでいるということに気づく。

美花は、テレビに映る鉢巻き姿の娘を指さし、
「頭に巻いてる鉢巻きで首を締めちゃった」
と言った。

事件にいたる経緯

その豊里団地に母娘が越してきたのは平成19年11月であった。
可愛らしい小学生の娘と、細身な母親の姿は、いつも一緒で仲の良いごく普通の母娘に見られていた。
美花は、団地に入居したとほぼ同時期に、給食センターでのパートを始めた。
時給は850円。
週に5日の勤務で、月収はおよそ10万ほど。
少なかったが、とりあえず仕事があるだけで安堵していた。それに、娘の児童扶養手当(月額換算で4万円)もあり、就学援助や給食費の免除もされていたため、母娘贅沢をしなければやっていけると考えていた。

「母子家庭だからと言って、娘に惨めな思いはさせたくない」
その、親として当たり前の気持ちを美花も持っていた。
娘には出来る限りのことをしてやろう、そう決めていた美花の普段の服装は、くたびれたTシャツにジーンズというものだったが、美花は気にしていなかった。

美花はバツイチであったが、元夫とは平成14年に離婚後も連絡を取り合い、養育費の支払いも順調ではないものの、あった。
この銚子に越してきたのも、元夫のアドバイスによるものだったし、母娘が暮らすこの団地にも、頻繁ではないが元夫も顔を見せた。

娘が成長するにつれ、女の子特有の「出費」がかさむようになる。
洋服、靴、アイドル関連の写真集やCDなどを、どこの子もそうであるように、娘も欲しがった。
また、平成23年の夏ごろには、テレビやブルーレイプレーヤーなども「どの家にもある」と考え、まとめて購入した。
翌年の冬、6年生になる娘の中学進学に備えて特別な自宅学習教材も購入した。塾に行かせる余裕はなかったが、かわりに自宅で学習できる環境をそろえてやりたかった。
さすがに出費が大きい時は、家賃を遅らせ、まとめて後で払うこともあった。

同じ頃、元夫が顔を見せなくなり、やがて養育費の支払いも止まった。

市役所で生活保護のことを聞いてみたが、給食センターの仕事を理由に「満額は出ない」と言われ、それならばと申請しなかった。
給食センターの仕事は、当然ながら学校が休みの時は仕事もない。
冬休みが明け、春休みが終わる頃には、家賃の滞納が4か月分になっていた。

平成24年の4月以降、家賃の支払いは常に遅れているのが常態化する。
督促状が来ると払う、自宅に徴収人がきたら払う、特に、仕事が長期の休みになる夏場は、滞納が6か月分になった。
翌平成25年。いよいよ娘が中学へ入学する準備が始まると、美花はさらに切羽詰ってしまった。
制服代や学校指定のバッグ、体操服などどうしても購入せざるを得ない学用品に支払う金がどうしても捻出できないと気づいたのだ。
そこで、社会福祉協議会から12万5000円の借り入れを行う。しかしまだ足りなかった。知り合いやママ友にもいくらか借りた。

そんな時、「すぐに貸してあげるよ」という金融屋がいた。そう、ご存知闇金である。

詳細は不明だが、当初7万円を手にしたという。しかし、最終的には5社から借り入れをし、各闇金に対して週に1万円ずつ(利息はトイチ)返してはまた借りるという状況であった。

平成25年の2月からは、闇金への支払いが増加しており、家賃に回す金は美花の頭にはなかった。
娘が中学に入ってすぐ、家賃滞納が9か月分に膨らみ、千葉県から明け渡し請求が行われ、その月の終わりには入居の取り消しが決まった。

4月になって、保険料未納で失効していた国民保険証を短期発行してもらうため、市役所を訪れた。
その際、窮状を察した窓口の職員から、生活保護の申請をすすめられる。
しかし、福祉課職員との意思疎通もうまくいかず、結局申請せずに帰宅してしまう。

その後2か月分の滞納家賃を支払ったのを最後に、家賃の支払いは行われていない。
7月には明け渡しと滞納家賃の支払いを求め、千葉県が提訴。しかし9月の裁判期日になんと美花は出廷しなかった。体調不良が原因で、その旨裁判所にも連絡したが、その後の手続きの説明の意味が分からず、結局何もしないでいたために弁明の機会も失われ美花は敗訴となる。

判決から半年後の平成26年5月。
千葉県は強制執行の通知を行った。美花は焦り、電話で明け渡しの猶予を求めたが、決まったことだと告げられる。
しかし、美花としてはまだ何とかなると思っていたようだ。
千葉県側の主張によれば、その電話の際に「8月には退去する」という話が出たため、強制執行の申し立ては8月半ばまで待たれた。
しかし、8月20日を過ぎても退去の気配はなく、連絡もないため、9月24日に執行する旨、自宅の壁に公示書を貼り、テーブルの上に催告書を置いた。
その後も美花から連絡はなく、9月24日を迎えることとなった。

沸き起こる行政批判

事件が発覚してすぐ、13歳の少女が犠牲になったということもあって、社会の注目を集めた。
過去にも貧困を苦にした一家心中などがあり、近年では生活保護をなるべく申請させないような役所の存在なども浮かび上がっており、今回のケースでも銚子市役所は槍玉に挙げられた。
同じく、団地を管理していた千葉県に対しても、母子を救う手立てがあったはずだと、その行政のあり方に多くの批判が集まった。
そもそも母親が娘を殺した事件であるのに、いつしか心中事件であるというような報道がなされていった。裁判には市や県の担当者も出廷し、弁護人から厳しく追及される場面も見られた。

2015年には、この事件を調査し、再発防止に役立てようと、「千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件現地調査団」(なげぇよ)なる団体が結成され、その調査報告は「なぜ母親は娘に手をかけたのか」と題して書籍化された。

この調査書では、母子が銚子へ来る前の話から元夫との関係、家賃を滞納した理由、転がり落ちるように破滅の道をたどったその背景に焦点が当てられている。
大学教授や弁護士、県議会議員などがそれぞれの専門的立場からこの事件の背景、問題点などをまとめているのだが、なんとも違和感だらけ、なぜそこまでこの松谷美花という娘を殺した母に同情し、擁護しまくるのか、甚だ疑問だらけの調査報告書であった。

確かに県や市の対応というのは機械的で、言葉足らずな面、面接時の空気の読めなさ、1人1人に対する細やかなケアがなされなかった点は批判されてしかるべきであろう。
保険料を滞納していることから、生活保護申請をすすめ、福祉課では丹念な聞き取りと相手の心を読むかのように生活保護申請手続きを行う、そこまで求められているのだとしたら、福祉課の窓口にはメンタリストみたいな人を置くしかない。
また、公営住宅においては、酌むべき事情がある場合は特別な計算に基づき、家賃減免措置というものがある。
美花の場合、それの最大減免対象に該当するのだから(なぜか断言)、家賃は2000円台にまでさがり、美花が支払った家賃を換算すれば10か月以上の賃料に相当する、したがって、役所がしっかり見極めていればこのような事件は起こらなかったというものも、この事件でよく言われることの一つである。
ただ、健康で仕事が出来、母子家庭といえども子供は一人で、さほど酌むべき事情があるとは言えない美花が、減免のしかも最大減免に該当したかどうかは怪しいところだ。

そもそも、この事件の本質は行政の対応や法律にあるのではない。断じて、ないのだ。しかも、母子心中だの、追い出しだの、おおよそ事実とは違う言葉を使ってセンセーショナルに報じ、世間をミスリードするかたちをとっているのは問題だ。
それを、調査したお偉い方々は徹底的な見て見ぬふりを貫いている。
女手一つで必死に娘を育て、働き、それでも収入が足らず誰にも相談できず、行政にも見放された可哀そうな母子・・・
しかし実態はそうではない。結論から言おう、これは金もないのに見栄をはって、やるべきことから目を背け、都合の良い言い訳ばかりを並べた悲劇のヒロイン気取りの頭の悪い女の話だ。

【有料部分 目次】
美花のそれまで
貧困の本当の理由
勘違いの自己犠牲
貧困などとは無縁の「調査団」
貧困のリアリティ
あえて言いたい、ふざけるな。