🔓愛のことば~帰って来なかった旅人たち~

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世界の国、その数196。

一度きりの人生において、その国のうちいくつを訪れることができるだろうか。
島国である日本は、隣の国に行くだけでも歩いてはいけない。その分、陸続きの国の人よりはそのハードルは高い。

しかし日本のパスポートは世界最強とも言われ、そのパスポートを持つ権利のある日本国民が世界を旅しないなんてありえない。そういう観点から、若い世代でも経済的に余裕がなくても、むしろ今しかできない旅を楽しめるとして世界に飛び出す人は少なくない。
これ自体は大変良いことであるし、世界のあらゆる現実を見つめる、肌で感じることでその後の人生が大きく変わることもあり得る。

今回は文字通り、人生が大きく変わった旅する日本人のお話。
彼らの経験は、旅を終えて帰った人の誰も、話すことができないレベルの経験だった。

彼らは、生きて日本に帰って来れなかった。

台湾へ行った女子大生

親日としても名高い素晴らしき、台湾。
日本からも近く、比較的安く行けることから、初心者にも人気である。卒業旅行や初めての海外に台湾を選ぶ人も多い。

その台湾へ一人旅に出た女子大生がいた。

失踪した女子大生

平成2年、お茶の水女子大学4回生の井口真理子(当時22歳)さんが、帰国予定日を2週間過ぎても何の連絡もなく、その行方が分からなくなっていることが判明。
井口さんは4月2日に成田を出発し、台北、台南、高雄などを観光した後、18日午後の飛行機(ユナイテッド航空828便)で帰国予定だったが、夜になっても戻ってこなかった。
心配した両親が問い合わせたところ、飛行機の予約はあったにもかかわらず、搭乗した記録もキャンセルした記録もなかった。

26日、両親が台湾の警察に連絡。現地の新聞などもそれを報道し、27日には井口さんの母親も台湾入りした。

しかし井口さんの消息は全くつかめず、家族が真理子さんを探す会を結成したり、有力な情報に対しては懸賞金も設けられたが、平成3年3月、事態は最悪の結末を迎えた。

焼け焦げた人骨

「これが娘なんですか。足りない骨はないんですか?」

テレビに映し出された人間の骨。すべてがそろっているかどうかはわからないほど、バラバラになっていた。ただ、頭蓋骨はそこにはなかった。
そして、その骨を見て泣き崩れる母親。日本のワイドショーはその悲しみの対面を全国放送した(この映像は真理子さんとは別の遺体の確認であるとする指摘もある)。

台湾の警察は、容疑者として33歳のタクシー運転手の男を逮捕したと発表。その後、遺体を遺棄したという現場から人骨が発見された。

実は男は前年の12月にも参考人として話を聞かれていたのだが、精神的な疾患で治療中だったことや、物証が得られなかったことから一旦釈放されていた。
しかし捜査に行き詰まった警察が再度、男から話を聞いてみたところ、その話は以前よりも具体的だったことから裏付け捜査を行っていた。

男の供述では、真理子さんを殺害したのち、バラバラにして台南へ運び、2箇所のゴミ捨て場で遺体を焼却して捨てた、ということだったが、実際にその場所から焼け焦げた箱が見つかり、さらには人骨も発見された。
加えて、男が現場で泣きじゃくっていることからも、現段階では真理子さんであるか断定できないとしても、男が女性を殺害してここに捨てたことはほぼ間違いないと見られた。

出会いから殺害まで

男の名は、劉 学強(当時33歳)。タクシー運転手の仕事をしていた。
なぜ、劉は真理子さんと出会い、そして殺害したのか。

真理子さんとの出会いは偶然だった。
平成2年4月7日午前、劉は高雄市内をバイクで走っていた。駅前に差し掛かった時、「ハーイ!」と、明るく声をかけてきた女性がいたという。それが、真理子さんだった。
ちょうど高雄駅に列車が到着した時で、真理子さんは台南市から高雄市内へ入ってきたところで、劉に対し、「安いホテルはないか」と筆談で尋ねてきたという。

劉は日本から来た若い真理子さんに、当初は単なる親切心から自宅へ案内したようだった。その前には市内の観光案内もしていた。
劉の自宅は簡素な作りの小さな平家で、家の中は電化製品も家具らしきものもほとんどなく、雑然とした質素なものだったが、劉は真理子さんにベッドを譲り、自分は床に寝た。真理子さんも旅の疲れからかすぐに寝入ったという。

ところが深夜になって、劉は真理子さんに性的な行為に及ぼうとする。目を覚ました真理子さんは当然のように拒否した。
そこでの会話などは不明だが、拒否された劉はなんと自宅にあったボーガンのようなもので真理子さんの頭部に4発打ち込んだ。
真理子さんはそれによって死亡したとみられた。

その後、劉は遺体をナタで解体すると、袋に入れて台南市まで運び、ガソリン40リットルをかけて焼き、そのまま真理子さんの遺体は複数の場所に打ち捨てられた。

人懐っこい人

今ならばいたるところに防犯カメラがあり、駅前で男のバイクに乗った真理子さんの足取りや、犯人の目星はついたと思われる。
しかし当時はそのようなこともなく、警察は真理子さんの足取りを追うのも一苦労だった。

日本人である真理子さんの失踪は、現地でも大々的に報道された。そして早い段階で、真理子さんと一時期行動を共にしたという男性が名乗り出ていた。
家庭教師をしているその男性(当時28歳)によれば、4日の夜7時ころ、ザックを背負った真理子さんが台南市役所前で市営の労工休暇センターという素泊まりの簡易宿泊所への道順を尋ねてきたという。
900円という格安で泊まれる宿ではあったが、男性は真理子さんが若い女性であり、また日本人の観光客ということもあって自宅に来るよう勧めた。
この男性は実家で両親らと暮らしており、自身もアメリカへ留学した時には心細い思いをしたことなどを思い出し、家庭でのもてなしを思いついたのだ。
男性の自宅では両親らと共に夕食を囲み、両親らも了解のもとでそのまま真理子さんは男性の家に7日まで滞在している。
その間、男性は家庭教師の仕事で忙しかったため、観光に付き添うなどはせず、観光名所までバイクでの送迎だけをしていた。

7日、高雄へ行くという真理子さんを台南駅へ送った。そのことは駅員も覚えていて、男性もこの先の案内を同じ列車に乗る台湾人に頼もうとしていたという。
が、適当な人が見つからず、真理子さん自身も「大丈夫」と言っていたことから、男性はそこで別れたと話した。

これについては当然警察がアリバイを確認しており、男性の話はすべて真実であり、善意の人でしかなかった。
男性は真理子さんのニュースを知り、いてもたってもいられず警察に情報提供していた。
「真理子さんは礼儀正しく、素直な人だった。元気で日本に帰ったものとばかり思っていた。」
そう男性は話したが、「ただ、人懐っこい人で警戒心をあまり持っていないように感じた」とも話していた。

台湾は当時、街中でも銃撃戦が起きたり、タクシー強盗も頻繁にあった時代だった。経済的に急成長した背景があり、貧富の差も広がっていたために富裕層でなくとも玄関を二重ドアにしたり、テレビでは防弾ガラスのCMがよく登場したという。
1980年代後半からは、1日に4件の割合で殺人事件が発生。誘拐事件は4~5日に1度の割合で起きており、今とはだいぶ情勢が違っていた時代だった。

そんな中でも、この男性のように親切な地元の人の方が多かったのは言うまでもないわけだが、次にであった劉は、残念ながら善良な地元民では、なかった。

うなされる男

劉が捜査線上に浮かんだのは、近所の人の情報だった。
劉が血のようなものがついた寝具を捨てていた、という話があったのだ。が、先にも述べたとおり、精神的に不安定だったこともあって逮捕には至っていなかった。
また、劉は以前から野良猫や野良犬を捕まえては虐待を加えるといったことがあったといい、その血の付いた寝具も一概に真理子さんの事件を裏付けるとは言えなかった。

それがなぜ、再度捜査線上に浮かんだのか。

きっかけは、姉からの通報だった。

「弟が毎晩うなされている、人を殺したと言っている」

姉によれば、劉は犬猫を虐待する一方で、自宅には仏像などを並べていたという。そして、真理子さんの事件が起きた後、ひどくうなされてはノイローゼ状態になっていったというのだ。
その理由を、劉はこう語った。

「首のない女の幽霊が枕元に立つ」

罪の意識だったのかなんなのか、とにかく劉は困り果てていた。
そして、再度事情を聞かれた際には、真梨子さんの殺害を自供したのだ。現場検証では、遺骨が出るとその場に泣き伏したという。

遺体の身元確認には、台湾の法医学者が鑑定にあたった。頭部が発見されておらず、日本から取り寄せた歯の治療カルテは使えなかったが、鑑定の結果、遺骨は真理子さんと断定された。
ただ遺族は納得できず、台湾警察もその説明には苦心したという。
真理子さんの遺体発見の前、実は真理子さんではないかとされる女性の遺体が出ていた。母親はその遺体も確認したというが、その遺体は後に別人だったと判明。そういったこともあって、遺族は真理子さんと断定されても納得できなかった。遺品の一部に母親が知らない持ち物があったことも関係していた。

しかし、結果としてその遺骨は真理子さんのものだった。

劉はいったん死刑判決となったが、心神耗弱が認められ無期懲役と公民権剥奪に減刑された。

真理子さんの遺骨は火葬され、5月、ようやく日本に戻ることができた。

タイに行った新婚夫婦

「私たちを襲ったのはこの人たちです。」

平成元年4月11日、一人の女性がタイ・バンコク北部のノンタブリ地方裁判所の法廷に立った。
女性は1か月ほど前、このタイで最愛の夫を殺害されるという地獄を味わった。そして今、夫を殺した男たちの裁判に証人として出廷していた。
男たちの罪は「傷害致死」。現に男たちも、「殺すつもりはなかった」と終始訴えていた。

新婚旅行の夫婦

事件が起きたのは平成元年3月21日、現地時間で午前一時ころだった。
20日の深夜に成田からノースウエスト機でタイ・バンコクに到着した一組の新婚カップルがいた。神奈川県逗子市の高校臨時教諭・渡辺俊輔さん(当時32歳)と、デザイナーの茂木田鶴子さん(当時33歳)だ。
ふたりは空港から市内に向かうため、タクシーを使用した。ところがその直後、タクシーの運転手と共犯の男に襲われ、リュックやカメラなどを奪われたのだ。
その際に俊輔さんも田鶴子さんも男らに殴られており、田鶴子さんは軽傷だったものの、俊輔さんは意識不明に陥っていた。

ふたりは19日に日本で挙式、ネパールへの新婚旅行でタイに立ち寄っていた。

俊輔さんは大学を卒業後に1年半かけて東南アジアを中心に34か国を回るなど旅好きで、その経験から子供たちにその素晴らしさを知り、国際的な人物になってほしいという思いで教師を目指したという。
そんな旅慣れた俊輔さんがなぜ襲われたのか。

横行する白タク

タイに到着したふたりに、親し気に声をかけてきた男がいた。英語を話したという男は、タイ空軍の下級軍人で、アルバイトとしてホテルや空港で客引きをしているのだという。
「こんな時間だからリムジンハイヤーはもうない。ホテルを決めてないなら安くて良いホテルも紹介できる」
そう言って、俊輔さんと田鶴子さんをタクシーへと案内した。

当時タイ国内では個人旅行客をターゲットにした「白タク」が横行していたという。正規料金の1/6で市内まで行ってくれる白タクは、費用を少しでも抑えたい個人旅行者にはある意味好評だった。
俊輔さんらもその安さにつられたのか、あるいは旅慣れていた俊輔さんが過去にも利用していて問題がなかったからなのか、とにかくふたりは男が進めるタクシーに乗った。

少し走ったところでタクシーがエンスト。運転していた男が、俊輔さん夫婦に後ろから押してほしいと頼んできた。しかし、旅慣れしている俊輔さんはピンときた。
『車外に出たところを、走り去るのではないか。』
要は、乗客だけを車外に出し、荷物ごと走り去るつもりではないのかと考えたという。そこで、運転手を外に出し、自分がハンドルを握った。
その後、再び運転手の男がハンドルを握り、タクシーはなぜか一旦空港へと戻った。詳細は不明だが、おそらく再び車に不具合が出たら困るということで、空港にいる友人の男を乗せると再びタクシーは市内へと走行し始めた。

ふと、俊輔さんは窓から見える景色がおかしいことに気づく。

車は、市内からどんどん離れて行っていたのだ。

「どうしてなんだ……」

俊輔さんは運転手にそのことを問うた。すると運転手は、近道だから、というようなことを言ったという。
おそらく、この時点で田鶴子さんはまだしも、俊輔さんには事態がまずい方向へ流れていることは分かっていたと思われる。
車はバンコクの北、ノンタブリ県に差し掛かった。大通りを走っていたタクシーは突然、路地へとハンドルを切った。

そこでふたりは車外に引きずり出され、地面に抑えつけられるような格好になったという。
そして、男たちから殴る蹴るの暴行を加えられた。田鶴子さんは気絶し、気づいたときには病院だった。俊輔さんも病院に運ばれていたが、意識不明の重体となっていた。

そして、24日には死亡が確認された。俊輔さんは搬送された時点で頭蓋骨骨折の脳死状態だったといい、その後一度も意識を取り戻すことなく、帰らぬ人となってしまった。

田鶴子さんは気絶する直前、俊輔さんの悲痛な叫びを聞いていた。殴られ、必死で抵抗する俊輔さんは、「どうしてなんだ」とうめいたという。
東南アジアを愛し、自分のキャリアを後回しにしてでもその国々を巡って人々と交流してきた俊輔さんにとって、まさにどうしてなんだという言葉でしか、この状況は言い表せなかったのだろう。
微笑みの国で、本来親切で優しい人々が多いこの国に愛する妻と降り立って、まだ数時間だった。

死刑判決

男らはすぐに逮捕された。ただ、日本人が犠牲になったとはいえ、政治的な問題での事件ではなく単なる一般的な事件に過ぎないため、外務省などが特に動くということもなかった。

また、日本での報道でも「白タクなどに乗るからだ」といった批判めいたものもあったが、旅慣れた俊輔さんは白タクの怖さを知っていたといい、家族らはそんな不用心なことを俊輔さんがするはずがないと思っていた。
それもそのはず、実際には、男たちは正規のタクシーの標識を偽造していたのだ。パッとみただけでは、それが白タクだとはわからないようになっていた。

一方で犯人の男ふたりにはタイでも人権派として名高い弁護士がついた。当初、金持ちの日本人から所持品や金を奪おうと思ったと供述していたふたりは、初公判でも『殺すつもりはなかった』と遺族に対して土下座して詫びていた。
男らは、金品を奪って逃げるつもりが、俊輔さんが柔道の技をかけて抵抗してきたことから怖くなったという。そこで、たまたまあった木材で俊輔さんの頭部を滅多打ちにしてしまったというのだ。
が、第二回公判以降は、警察による自白の強要があったとして、否認に転じた。
たしかにタイではこの事件が少なからずタイの観光事業にダメージを与えるとして、事件発覚当初より犯人逮捕に全力を挙げると息巻いていた。
犯人逮捕を焦るあまり、自白の強要をしたというのが弁護側の主張だった。

起訴された罪名も、殺人ではなく傷害致死。ただ、タイでは傷害致死の最高刑は「死刑」だった。

6月29日、ノンタブリ地方裁判所は二人の男に対し、「死刑」を言い渡した。そして、妻の田鶴子さんには2万9000バーツ、日本円にして約15万円の補償金の支払いを命じた。
その後、タイの最高裁までもつれ込んだものの、平成6年2月、最高裁は上告を棄却し、二人の死刑判決が確定した。

田鶴子さんと俊輔さんは、実は入籍をしていなかった。帰国したら入籍するつもりだったといい、記入済みの婚姻届けを俊輔さんの両親に託しての新婚旅行だった。

田鶴子さんは後に俊輔さんの日記をもとにした本を出版。俊輔さんの思いを少しでも知ってもらえたら、との願いを込めてのことだった。
その後も未入籍だったにもかかわらず、田鶴子さんは俊輔さんの両親と暮らしたという。

グアテマラの日本人観光客

一体、何が起きたのか。

グアテマラの北西部に位置する静かな山間の町の、商店や小さなホテルが立ち並ぶ広場の一角。
白昼の惨劇だった。さっきまで多数の地元民と観光客で賑わっていたこの場所には今、破壊し尽くされた観光バス、飛び散ったガラス片、血痕、地面に残る黒く焼け焦げた生々しい痕……
周辺の小売店やホテルのロビーでは、匿われて難を逃れた人々が心配そうに外を眺めている。

広場には、激しく損傷した男性の遺体がそのままになっている。

何が起きたのか、正確に理解している人はおそらくいなかった。
広場には、スペイン語で「何もするな」という放送だけが流れ続けていた。

【有料部分目次】
突然の地獄絵図
写真
悪魔の集団による子供の拉致
混乱と過去の恐怖
アフガニスタンへ行った男女教師
頭部を撃ち抜かれた遺体
ふたり
生ぬるい風に吹かれて
その愚かさこそが

 

🔓止められない、止まらない〜4つのリンチ殺人後編〜

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佐賀のコンクリ殺人

平成3年3月4日、鳥栖署は殺人死体遺棄事件の容疑者として佐賀県内の建設業の男ら4人を逮捕した。

そして、男らの供述通りの場所から遺体が発見された。

遺体があったのは大野城市内の稼働中の鉄鋼製作工場敷地内。
深さ約1mの土中から発見されたが、その遺体はコンクリートで固められていた。 続きを読む 🔓止められない、止まらない〜4つのリンチ殺人後編〜

🔓更生は、できません~ふたつの再犯重大事件~

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人は誰しも過去があり、それは人によって恥ずかしいものから誰にも言えない洒落にならない秘密など色々である。
それでも実際に他人が聞いてみればなんのことはない、そんなこと隠さなくてもいいじゃないか、と思うほどちっぽけなことであるケースも少なくないし、その過去を人に話せる、共有できるだけでも、本人からしてみれば気持ちが楽になることもあるだろう。

ただそれが犯罪、しかも人を殺していたとなると、穏やかではいられない。

昭和の時代から平成にかけて起きた二つの事件。
いずれも、大変な過去を背負いながらも赦されて、再び社会の中で生きていた男たちの、どうしようもない二つの物語。

【有料部分 目次】

杉並の女子中学生刺傷事件
一家五人殺しの男
行き場のない少年少女たち
押し付けられた「オジン」
この時代の感覚
男の本性
無期懲役+8年
更生の道の途中で
足立区主婦バラバラ殺人
疑わしい男
DNA鑑定
「やりたいんでしょう?」
死人に口なし
過去を知られたくなかった男と、その妻
再びの無期懲役

女たちのそれぞれの事情~3つの女の事件~

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夫を殺す妻、子を殺す母。
その多くは精神鑑定が求められ、採用される。一部の専門家によれば、同じケースでも男性の場合は却下されるケースが目立つという。

個人の人格、知能の問題、そして精神の状態。

それぞれがそれぞれの事情で行った殺人と、その量刑。 続きを読む 女たちのそれぞれの事情~3つの女の事件~

必要だった、あと少しのなにか~安中市・姉放置死亡事件~

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生まれついてかそうでないかにかかわらず、日本では病気や怪我によって生活や仕事が制限されるようになった際、国がその等級に応じて年金という形で生活を支援する「障害年金制度」というものがある。

当然ながらこれらは本人の生活、人生のためのものであり、決して十分な額とは言えないかもしれないけれどその他の公的サービスなどと組み合わすことで、身体、精神に障害を持っていても生活していけるための大切なものである。

ただ、心、知的な障害を持っている場合、どうしてもその管理を身近な人間がせざるを得ないケースが出てくる。
同居する親や施設の責任者がそれを担うことが多いと思われるが、中には、身元引き受けになったそれ以外の人が行うこともある。

そこにもし、悪意があったら。いや、悪意がなくとも、そもそも引き受けた側に相応の能力が欠如していたら。

安中の事件

群馬県安中市の借家で、一人の女性が死亡した。
女性は50歳、ひどく痩せ衰えており、体も汚れていた。一応、上着などを身につけてはいたが、家の中であるにもかかわらず死因は低体温症。
一人暮らしの持病のある女性であれば、助けを求めることができずに衰弱したということも考えられたが、この家には女性の妹夫婦とその子供が一緒に暮らしていたのだ。

平成2926

死亡していたのは萩原里美さん(当時50歳)。里美さんには中度の知的障害とてんかんの持病があった。そのため、昭和62年頃から渋川市の障害者支援施設に入所していた。
その後、平成2712月に施設から実家へ一時帰宅した際、里美さんが施設に帰りたくないという趣旨の話をしたことから、当時実家にいた里美さんの妹夫婦がそのまま退所させ、里美さんを引き取ったのだという。

里美さんは施設にいた当時56キロほどの体重があったという。しかし、発見された里美さんは体重が35キロ程度にまで減少しており、司法解剖の結果、胃のなかに食べ物はありはしたものの、おそらく長い間栄養状態が良くなかったと見られた。
加えて、2月という寒い時期だったこと、低栄養からの高度の貧血状態にあり、体温調節機能が著しく低下したことからの、低体温症で死亡したと断定されていた。

一方の妹夫婦とその子供の体調に問題はなかった。
里美さんだけが、この家の中で衰弱し死亡したということで、警察は里美さんの死因に不審な点がないか捜査を始めた。その疑惑は当然、同居していた妹夫婦に向けられた。
が、里美さんが死亡する3日前の23日、安中市障害福祉係の職員が里美さんに面会していたことが判明。
その際、里美さんは痩せてはいたもののひどく衰弱した様子はなかったといい、職員からの質問にも意思表示をするなど、里美さんの状態がそこまで悪いようには見えなかったという。
当然ながら、妹夫婦も姉が死亡したことについて自分たちは世話をしており、死んでしまうような状態には思えなかったと証言。

里美さんは病死なのだろうか。

しかし警察は5ヶ月後の平成2976日、里美さんを放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の容疑で妹夫婦を逮捕した。

年の離れた姉妹

逮捕されたのは里美さんの妹である高倉里織(仮名/当時31歳)と、その夫・高倉圭祐(仮名/当時30歳)。二人には幼い子供もいた。
警察の調べでは、ふたりは里美さんに十分な世話をしなかったばかりか、衰弱しているのを知りつつ病院へ連れていくなどの必要な世話をしなかったとされた。
里織は容疑について「違っているところがある」としており、夫の圭祐も、「やるべきことはやっていた」として否認していた。

当初報道では、里美さんが知的障害を持っていたというより、先天的な障害があって寝たきりだったとしているものがあったが、実際の里美さんは最初から寝たきりなどではなかった。
福祉施設に入所している際は食事や着替えなど、日常的なことは自分ですることが出来ていた。ただ、知的な問題があったために、季節に応じた服装をするとか、栄養を考えた食事をとるといったことは出来なかったという。
また、てんかんの持病があったことから定期的な医療機関への受診、服薬が不可欠だったが、それも自分一人で考えて行動するようなことは出来なかったことから、日常生活には常に誰かの支えが必要な状態だった。

しかし、誰かの支えがあれば、里美さんは里美さんなりに、平和な生活を送ることは十分に可能な状態にあった。

それが、福祉施設を出て12カ月の間になにがあったのか。

里美さんと里織は、実の姉妹ではあるがその年齢差は実に20歳も離れていた。
生い立ちなどは明らかになっていないが、平成26年から実母が再婚相手と暮らしていた安中市の借家に里織夫婦は同居していた。
実母がその年の暮れに死亡した後、実母の再婚相手がその家を出てからは、生まれたばかりの長男との3人でその借家で生活していた。

そんな里織夫婦が里美さんを引き取ることになったのはなぜか。

里織は昭和61年に生まれているが、その翌年に里美さんは施設に入所しているため、姉妹の交流はそれほどなかったのではないかと思われる。
が、関係資料によれば兄弟姉妹の中で里美さんと里織は仲が良かったという。里美さんは小学校中学年程度の知能だったといい、幼い里織にとったら、20歳の年齢差を感じなかったのかもしれないし、離れて暮らしている分、姉というより友達、そんな感覚だったのかもしれない。

里美さんが里織夫婦に引き取られるきっかけは、母親の法事だった。
平成2711月、里美さんが暮らす施設に里織から連絡が入った。要件は、母親の法事の費用を姉にも分担してほしい、というもの。その額は7万円だった。
里美さんは障害者年金を二カ月に一度13万円受け取っていた。それらは施設の費用などに充てられていたが、当然残った分は施設が里美さん名義で管理していた。
その直後、一時帰宅ということで里織夫婦の安中の借家へ外泊した里美さんを、そのまま里織夫婦が引き取りたいと施設に申し出たのだ。

30年に渡って施設で生活してきた里美さんだったが、里織夫婦の元で暮らしたいというのは里美さんの希望もあったという。
里美さんは精神的、知的に小学生程度であったことから、施設内の他の入所者らからときどきイジメに遭っていた。施設側も、実の妹である里織の申し出であり、かつ、夫や子供の存在もあること、障害があっても施設ではなく地域社会で生活することが真の自立であるという障害者自立支援法の理念などもあって、おそらく退所すること自体は問題ではなかったと思われる。

平成2712月、里美さんは安中の借家での生活を始めた。

引き出された年金

裁判では里美さんを引き取ったそもそもの理由について、検察と弁護側が対立した。

弁護側は、先にも述べた通り里美さんが施設で他の入所者から嫌がらせやいじめを受けていることを知り、一時帰宅した里美さんも施設に戻りたくないと訴えたことから可哀そうになり、そのまま退所させる方針を決めた、と主張。
さらに、里美さんはほかにもいる兄弟姉妹よりも里織と一緒に暮らすことを希望していたといい、その願いを叶えようと思ったことが引き取った理由だと述べた。

一方の検察は、里織夫婦が里美さんを引き取った時期の生活状況に注目していた。
里織夫婦が里美さんを引き取ろうと動き始めた平成271112月、夫婦は家賃や光熱費すら払えないほどに生活に困窮していたという。
加えて、母親の法事の費用の相談を施設にした際に、その正確な額までは把握していなかったとしても、里美さんにある程度の貯蓄があることに気づいていた。
そして、129日の退所会議でこのまま貯蓄しておくようにと言われた里美さんの貯蓄77万円をなんと退所した当日から数日間でその全額を引き出していた。
さらに、12日には夫婦となぜか実母の再婚相手の携帯電話3台を契約。しかもその名義は里美さんになっていた。

おそらく里織夫婦は携帯電話を契約できない状態にあったのではないか。加えて、電話料金の支払いも里美さんの口座を指定していた。

これが意味するのは何か。

検察は、口座振替にわざわざ里美さんの口座を指定したのは、障害者年金が振り込まれることをわかっていたからであり、これらを併せ考えれば里織夫婦が里美さんの障害者年金を自己の自由にするために里美さんを引き取ったと優に考えられる、とした。

裁判所としても、弁護側の主張を否定するものでもないが、かといって検察が言う動機が両立しないとも言えない、とした。

簡単に言うと、里織が姉である里美さんを不憫に思う気持ちも本当にあり、里美さんの希望通り一緒に暮らすことで里美さんの障害者年金を自由にできるという、いわばwin‐win的なことが成立する、ということだ。

ただ、たとえ里美さんを引き取った本当の理由が障害者年金目当てだったとしても、里美さんの生活のサポートをし、常識的な範囲での世話さえ出来ていれば、それはそれで問題とまでは言えないはずだった。
しかしこの夫婦は、通常の人々より生活能力に欠ける部分があった。

支えが必要な人

里美さんは中程度の知的障害があり、誰かの支えなしではひとりで生活することは出来なかった。
一方の里織と圭祐については、裁判でも知的な問題は指摘されていないし、それまでに前科前歴もない。
なので断言するようなことは出来ないが、私にはこのふたりも、一般常識の範囲で自立した生活を送るということが難しい事情があったのではないかと思っている。

当時圭祐は定職に就いていない。だからこそ生活に困ったわけだが、そもそも里織の実母が暮らす安中の借家に転がり込んだもの生活していけなくなったからだと思われる。
この安中の借家は、外観から察するにおそらく6畳二間と台所と風呂トイレ、という作りだと思われ、単身もしくは夫婦ふたり、幼い子供くらいならいけると思うが、大人が4人に子供というのはいくらなんでも窮屈すぎる。

裁判所は量刑を決めるにあたって、この里織と圭祐の生活能力のなさについて、非難の程度を若干ではあるが減少させるとしており、やはりなにか本人の努力ではどうしようもない「なにか」があったのではないかと思われる。
たとえばこれがギャンブルや浪費など、金の計算ができないとか自己の欲求に赴くままとか、そういう話ならば非難の程度は減少どころか増加するはずだからだ。

本来、里織と圭祐にもその生活を監督し、助言や経済的なサポートが必要だったように思われる。ちなみにふたりが生活保護を受けていたという話はない。

ふたりは、里美さんを引き取ることでとりあえず月額65千円(2カ月に1度、13万円支給)の収入を得た。即日引き出された里美さんの77万円は滞納していた家賃などの生活費に消えている。
しかし普通に考えれば、65千円で里美さんを含めた家族4人が生活などできようはずもない。そこで思うのが、なんで施設はこんな生活能力のないふたりに里美さんを引き渡したのか、ということである。
犬猫の譲渡であっても、その生活環境や家族構成などが審査されるのに、介護経験もなく狭い借家暮らしで幼い子を抱えた定職もない夫婦に、なぜ里美さんの世話ができると思ったのだろうか。

血を分けた姉妹だから?

これについては裁判でも言及されておらず、安中市が調査報告書を出したという話もないため、詳細はわからない。
ただ、里美さんが長年暮らした渋川市の施設は、里美さんが死亡する2か月前から施設に来ていないことを安中市に報告していた。そしてそれをうけて、23日に安中市の職員が家庭訪問したのだ。これは里美さんの死亡3日前の話である。
その際、安中市の職員は「里美さんがそこまで衰弱しているように思えなかった」としているが、この時里美さんの体重は35キロしかなかった。
長年施設で暮らしていた里美さんは56キロあった。身長にもよるだろうが、施設にいてとんでもない肥満体だったとは思えない。里美さんがたとえ身長150センチ以下であっても35キロというのは痩せているという印象を受ける。
しかも里美さんは低栄養の状態が長く続いていた。それでも、里美さんの健康状態に問題がないとみえたのだろうか。

裁判では、この時の安中市の職員との面会で特に問題を指摘されなかったことが、対応した圭祐の中に「里美さんは大丈夫」という安心感が生まれたと指摘されているが、だからといってそのまま里美さんを放置してよいことにはならないとし、結局は年金欲しさに里美さんを引き取ったはいいが、他人任せでなんら里美さんに必要な介護を行っていなかったと非難した。
ふたりはやることはやっていたと主張していたが、安中市の職員との面会以降、急激に弱り寝たきりとなった里美さんを病院にも連れて行かなかったばかりか、一人放置されトイレにも立てない里美さんが排泄物を垂れ流していてもそれを世話することはなかった。
里美さんが低体温症となったのは、冬という季節に加え自身の排泄物にまみれそれによって体温を奪われたことによるものだった。
それでも、やるべきことはやっていたと、二人は思っていたのだ。

前橋地方裁判所は、身勝手な犯行としながらも、二人の生活能力に問題があったことや、圭祐が当初は里美さんを含めた家族のために仕事をし始めたことがあったことなどを酌量し、里織と圭祐に対し、懲役56月(求刑懲役7年)を言い渡した。

この事件は、結果から見れば身勝手で本当に腹立たしいのは当然としても、この里織の環境というのがもう少し明らかになればまた違っていたのかな、とも感じる。
そもそも里美さんとの年齢差が20歳あるというのも正直、何かあるような気もする。
すでに死亡していた母親が何歳だったのかも不明だが、姉妹間で起きた事件であるにもかかわらず、そしてほかにも兄弟姉妹がいるにもかかわらず、ほかの家族の存在がないのだ。

一緒に暮らしていたならまだしも、少なくとも里織が物心ついた時点で里美さんは施設で暮らしていたわけで、先にも述べたが姉という感覚を持てていたのかどうか。

里織が里美さんを不憫に思ったのが引き取るきっかけだったというのは否定されなかったものの、一方で早織はそれまで里美さんの面会はおろか、施設のイベントなどがあっても一度も顔を見せたこともなかった。
本当に仲が良かったと言えるのか。

ただ、最初から100%金目当てで里美さんを引き取ろうとしたのかというと、それも正しくないような気もする。
裁判でも認められたように、圭祐は怠惰な生活を改め、自分なりに一家の主として幼い子を持つ父親として、仕事をし始めたという事実もあった。最初から金目当てだったら、そもそも仕事をしようという気すら、いや、それをしたくないからこそではないのか。
里織も、施設に戻りたくないと話す姉の姿を不憫に思ったのは嘘ではないように思う。たとえ一瞬であっても。
そして、里美さんの年金があれば何とかやれるのではないかと思ったのも嘘ではないかもしれない。
自分たちに全く生活能力がないことは棚に上げて。

そのあたりの行き当たりばったり、その時の感情で後先も考えず行動してしまうことが、たとえ当初の動機が正しく思いやりから出たものであっても、最悪の結果へと変えてしまった。

支えが必要な人を、同じく支えが必要な人間に託してしまったことは家族である以上致し方なかった部分はあったのかもしれないが、もう少し何かが出来ていれば、里美さんも里織夫婦も、こんな結末にはならなかったような気もする。

ただ、その、もう少しの何かが何なのかと聞かれると、正直、わからない。

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参考文献

中日新聞社 平成2977日朝刊群馬版
朝日新聞社 平成2977日、平成3039日東京地方版/群馬
産経新聞 平成2978
読売新聞社 平成30314日、317日東京朝刊

平成30316/前橋地方裁判所/刑事第2/判決/平成29年(わ)384