🔓それがあなたの幸せならば~福井・大野市老夫婦火葬場心中~

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平成17年11月7日

農作業に出向いたその町民は、どこからかクラシックの曲が流れていることに気づいた。
思えば、朝からそれは聞こえているような気もする。しかしそれはどこから聞こえているのか。 車を走らせ、田んぼが広がる集落のはずれまで来たとき、墓地の中に1台の車が止まっていることに気づいた。

朝方通りがかったときにも、この車はあった。しかしその時は、早朝の墓参りか何かかと思ってやり過ごしたが、昼になってもあることでその不信感は募った。

近づいてみると、車のエンジンはかかったままで、その車から大音量でクラシックが流されていた。 町民はふと、墓地の中にあるレンガ造りの建物に目をやる。胸騒ぎを抑えつつ近寄ると、その建物は外からでも熱を帯びていることが分かった。

そのレンガ造りの建物は、30年ほど前から使用されていなかった「火葬場」であった。

見つかったメモ

町民からの通報で駆け付けた大野署員により、そのレンガ造りの建物の扉が開けれらた。
ブロックの土台にレンガを積み上げ、扉は鉄の観音開き。質素なつくりのそれは、やはりまだ温かかった。
中を確認すると、白骨遺体があった。ほとんど灰になっていたというその遺体は、どうやら二体あり、その時点で車の所有者の遺体である可能性が高かった。

署員が車を捜索すると、車内から給油伝票が複数枚見つかった。そして、その裏面には、これが「覚悟の自殺」であることがはっきりと記されていた。

「午後4時半、車の中に妻を待たせている」
「午後8時、妻と家を出る」
「兄弟の家や思い出の場所を巡って火葬場にたどり着いた」
「妻は何も言わず待っている」
「炭、薪で荼毘の準備する」
「午前0時45分をもって点火する」
「さようなら」

車検証を確認せずとも、その車から所有者はすぐに分かった。大野市七板在住の沢田定栄さん(当時80歳)。火葬場の炉のなかに横たわっていた2体の遺体は、その後の歯形による鑑定で定栄さんと、妻の貞江さん(当時82歳)と判明した。
警察では、定栄さんが妻を連れて心中したとみて、自宅などを捜索したところ、定栄さんがつけていた日記帳も発見された。 その日記帳には、この日より1年前から定栄さんが身辺整理を行っていたことをうかがわせる記述が見られ、事実、遺体発見の翌11月8日、大野市役所に定栄さんからの封書が届いた。
中には、定栄さんが所有する家、1万平方メートル以上の田畑を含む不動産などの目録があり、「すべて市に寄付する」という旨の言葉も添えられていた。 そして、預貯金などの金銭についても、世話になった人々へ渡るようにきちんと指示されていた。

作成された日付は1年前。 さらに日記帳には、11月6日のページに、「妻と共に逝く」と記されていた。

【有料部分 目次】
老夫婦
理由
大正生まれ
祖父と定栄さん
それがあなたの幸せならば

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🔓妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件~

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2005年2月27日


すぐ目の前に山が迫る岐阜県中津川市・坂下町の「住宅」。
その男性は、なにか心のざわつきを感じながら、勝手知ったる「その住宅」の玄関を開けた。
昼間ではあったが、家の向きの関係で家の中は薄暗く、いつもならば昼間でも電気がついているはずなのに、その日はついていなかった。
この日、男性はインフルエンザで体調がすぐれず在宅しており、実家である「その住宅」に子どもたちを連れて遊びに行った妻の帰りを待っていた。
そこへ、ひょっこり妻の父親が顔を出した。
「下(実家)でみんな待っとるから、行こうか」
小柄でにこやかな義理の父は、いつもと変わらない表情でそう告げ、男性と共に軽自動車で「その住宅」へと向かった。
子どもたちもいるはずの家の中は静まり返り、男性は不安を覚える。背後にいる義理の父に、みんなは?と聞くと、「ばあちゃんの部屋におる」と言うので、その部屋へ向かうが、その部屋は真っ暗で物音もしない。が、「なにかがいる」気配があった。

「Tさん、死んでくれ」

事件の概要

男性は死に物狂いで抵抗し、なんとか振り切って「その住宅」を飛び出し、腹を抑えてうずくまっているところを通報により駆けつけた警察官に保護される。
男性から事情を聴いた警察官らが「その住宅」で見たものは、老齢の女性、乳児と幼児を抱きかかえた30代くらいの女性、同じく30代と思われる男性のあわせて5人の惨殺遺体だった。

さらに、浴室で首に包丁を突き刺したまま朦朧としている初老の男性を発見。
一命をとりとめたその男こそが、「その住宅」の主で、殺害された被害者の息子であり、父親であり、おじいちゃんであった。
名を、原 平(当時57歳)という。

その日、妻は旅行で不在であった。
午前6時ころ起床し、旅行に行く妻を駅に送った後、自宅に戻った。
自宅には85歳になる母親のチヨコさんと、整体師の長男・正さん(当時33歳)がいたが、まだ二人とも寝ているようだった。
原は、眠っている正さんの首にネクタイを巻き付け、一気に締め上げた。目を覚ました正さんは、「お父さん、なに?」と苦痛と困惑の表情で問いかけるのが精いっぱいで、抵抗も出来ずにそのまま絶命した。

「いよいよ始まったな」

我が息子を殺害した原は、なぜか落ち着き、むしろ意気揚々とした感覚で1階の母親の部屋へ向かった。
正さんを殺めたそのネクタイで、微睡むチヨコさんも同じく絞め殺した。気位の高いチヨコさんは、妻をはじめ、家族を苦しめていた。今朝も、何度も解約しているにもかかわらず新聞購読をせがみ、さらには原の娘のことを「孫の顔も見せに来ない」となじった。
「これで解放された、もう嫌がらせをされることはない」

次に原が行ったのは、警察犬として慈しみ育て上げてきた2頭のシェパードの「始末」であった。
車に乗せて、糀の湖付近で木につなぎ、持参した包丁を何度も犬に突き刺した。
訓練された犬は、主人に歯向かうことなく、その場に崩れ落ちた。

その足で、今度は娘・こずえさん(30歳)の自宅へと車を走らせた。
自宅にはこずえさんと生まれたばかりの彩菜ちゃん(生後3週間)、2歳の孝平ちゃん、そしてこずえさんの夫であるTさん(当時33歳)がいた。
「ばあちゃんが孫の顔を見たいと言ってるから」
原はそう言ってこずえさんと子どもたちを車に乗せた。Tさんはまだパジャマ姿で、体調もすぐれなかったためその時は行かなかった。

実家へ着いたこずえさんは、子どもたちと家の中に入るが、すぐさま雰囲気がおかしいことに気づく。
彩菜ちゃんを左腕に抱えて、チヨコさんの部屋へ行くが、電気もついていないその部屋で異様な状態のチヨコさんを見て、「何か変じゃない?」と父親に聞いた。
「そうか?もっと近くへ行ってみな」
父親に促されるまま、心配そうにチヨコさんをのぞき込んだその時、こずえさんの首にネクタイが巻かれた。
「お父さんっ…!?」
あっけにとられた表情のこずえさんは尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れ込んだ。左手にはしっかりと彩菜ちゃんを抱いたまま。
原は、愛娘の顔から血の気が失せるのを見たくなかったのか、顔を背けていたという。
こずえさんが動かなくなったのを確認し、ふと顔を上げると、部屋の隅で固まっている孫の孝平ちゃんと目があった。
幼いながらも、目の前で繰り広げられたこの一部始終が恐ろしいことであると察していたのだろう、不安そうな顔で「ママ、大丈夫なの?彩菜は?」と聞いたという。

原は、孝平ちゃんの首にもそのネクタイを巻き付け、そのまま締め上げた。

不意に、こずえさんの腕の中にいた彩菜ちゃんが火がついたように泣き始めた。我に返った原は、その彩菜ちゃんの首をつまむと、そのまま力を入れて息の根を止めた。

時間は午後零時半になっていた。

原はその後、冒頭のように再びこずえさん宅へ行き、何も知らない夫のTさんを連れ出してTさん殺害も試みるも、抵抗され未遂に終わった。
Tさん殺害を諦めた原は、そのまま自身の体や首を包丁で刺し、自殺を図る。失血死を試み、浴槽の中に隠れていたが駆けつけた警察官によって病院へ搬送され、12日、5人殺害とTさん殺害未遂で逮捕となった。

不可解な動機

犬も含めた一家惨殺、さらには血のつながりのないTさんまで殺害しようとしたその背景や動機は、いったい何だったのか。
調べでは、母親であるチヨコさんへの積年の恨みと、妻に対するチヨコさんのいびり、嫌がらせに耐えかねたとする供述があり、裁判でも概ね認められている。
チヨコさん以外の家族は、こずえさんの夫であるTさんを含めて仲が良かったとされ、ゆえに殺人犯の家族として生きていくのは不憫であるという原の勝手な思い込みによって、一家もろとも可愛がっていた犬まで一緒に死ぬ以外にないという「無理心中」であるとされた。

しかし、ここで大きな疑問がある。

妻の存在である。妻はその日日帰り旅行に出ており、原自ら駅まで送っている。
しかし、原はあえてこの日を選んで殺害を実行した。
原の中で、母・チヨコさんから逃れるには殺害以外にない、という妄信があり、それを実行することに迷いはなかった。おそらく自身も後に自害するつもりがあったのだろう。
ただ、そうなれば遺された家族は世間の好奇の的となり、申し訳ないから、生き恥をさらすよりも良かろうということで連れて行こうと思ったわけである。
であるならば、なぜ最愛の妻を連れていかなかったのか?

原の供述によれば、妻のことは愛していたし、なにより妻をチヨコさんから解放するのが目的であるのだから、妻を殺そうとは思わなかった、だから妻がいない日を選んだ、となっている。

これでは矛盾していないか。片方で愛する娘や孫たちを殺しておきながら、同じく愛してやまない妻は生かす。
妻とて、1人残されてしまえば死ぬほどつらい日々が待っているわけで、決してチヨコさんから解放されて良かったなどと思うわけがない。
家族全員が妻をいびり、蔑ろにしていたというならばわかるが、そんな事実はない。

わたしはこの顛末を知った時、「これじゃむしろ妻への嫌がらせでしかない」と思っていた。
しかし、新潮45などで発表されたルポや裁判記録を読んでも、どこにもこの私が抱いた疑問を払拭させる話は出てこず、長いことわたしはこの一家殺傷事件が起こった動機、背景にモヤモヤするものを抱いていた。

そして、長い時間を経て見つけたある記事が、私が感じた疑問をずばり「やっぱりそうか」と思わせてくれたのだ。

それは、自身も負傷させられ、妻を幼い子どもを殺害された被害者・Tさんの手記であった。

【有料部分 目次】
母と息子のそれまで
束の間の平穏
常軌を逸していく母親
殺害やむなし
矛盾だらけの建前
理想の自分、理想の家族

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京都・伏見認知症母親心中未遂事件その顛末①

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2006年、2月。

その日は冷たい雨が降っていた。54歳になる息子は、86歳の母親の車いすを押しながら、思い出深い京都・伏見の桂川遊歩道を歩いていた。
まだ人影もない、真冬の早朝。ふたりは前日の夜中から、あてもなく極寒の冬空の下を彷徨っていた。

「もう生きられへん、ここで終わりやで」
そういう息子に、母は動揺もせずに答えた。

「そうか、あかんか。」

母との最期の言葉をかわし、息子はその母の首に手をかけた。

数時間後、自身も首を切って自殺を図った息子と、息子のそばで息絶えた母親が発見された。息子は死にきれなかった。

京都・伏見で起きたこの事件は、認知症の年老いた母親をたったひとりで抱える息子の苦悩と、福祉サービスの限界などもクローズアップされ、他人事ではないと感じる多くの人から同情が寄せられた。

判決は、懲役2年6か月、執行猶予3年という入れとも言える温情判決であった。
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🔓京都伏見認知症母親心中未遂事件・その顛末②

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行政、福祉とのすれ違い

康晴は、仕事を完全にやめてしまう九月までの間、何度か生活保護の申請のため福祉の窓口を訪れていた。 現状では近い将来、間違いなく収入が途絶えてしまう。働く意思は十分にあるが、何よりその仕事がない。
誤解の内容に、だが、仕事がないという意味は、康晴と母親の生活スタイルを考慮したうえで、母子が最低限生活していけるだけの収入を得られる仕事、という意味だ。
自分の食べることより、とにかく母親の生活を維持しなければならないという思いがことのほか強かった康晴は、「良かれと思い」先に福祉窓口へ相談に行ったのだろう。
しかし、後から考えると、この相談に行ったタイミングが悪かった。
そして、そのタイミングの悪さゆえにマニュアル通りの対応に終始してしまった福祉の窓口は、後に総バッシングされる羽目になる。

【有料記事 目次】
・母の回復と自分の死
・そして最期の夜へ
・裁判
・温情判決の是非

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