忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件~

2006年5月7日

まだ夜も明けきらぬ午前3時55分。
山形県西置賜郡飯豊町の役場近くの民家から、女性の声で119番通報が入った。
「助けて!お父さんが殺される!」
尋常ではないその声に、すぐさま消防と警察が駆け付けた。
現場には、その家の主人であるカメラ店経営・信吉さん(当時60歳)と、その妻で看護師の秀子さん(当時55歳)、そして、夫婦の長男である覚さん(当時27歳)が血まみれで倒れていた。
秀子さんはかろうじて意識があったものの、信吉さんと覚さんは死亡していた。
襲われる理由が見当たらないとする中、約6時間後、近くの山中にある神社で血まみれで座り込む男が発見された。
男は、伊藤嘉信(当時24歳)。殺害された被害者家族とは親戚関係にあり、自宅も同じ組内に存在するほどの古くからの知り合いであった。

凄まじい憤怒の現場



早い犯人逮捕ではあったが、そもそもなぜ、嘉信がこの古くからの知り合い一家を襲ったのか、当初は謎であった。
殺害された覚さんと嘉信は、年が4つほど違うが幼馴染である。しかし、その覚さんへの凶行は、他の被害者よりも執拗で残忍を極めていた。
5月8日から行われた取り調べの中で、嘉信は「信吉さんと秀子さんについては、危害を加えるつもりはなかった」と話し、最初から覚さんを狙った犯行であることが判明。
供述によれば、信吉さん方へ進入した際、玄関わきの引き戸を開けたところ豆電球がついており、当初そこに覚さんが寝ていると思っていたところ、覚さんよりも小柄なふたりの人間の姿が見えたため、引き戸を締めようとしたという。
その際、引き戸ががたつき、秀子さんが気配に気づいて「誰?」と声をかけてきた。
寝ぼけ眼の秀子さんが薄灯りのなかで家族ではない人影を認識した途端、ギャーッ!という叫び声をあげた。
そして、それに反応した信吉さんも「何事だ」などといって起き上がり、嘉信(この時点で嘉信だと認識はしていないと思われる)の方向へ向かってきた。
嘉信は用意していた刃物(ニンジャ・ソード)で信吉さんの腹部辺りを刺し、さらにもみ合ううちに無我夢中で信吉さんを刺しまくった。
その直後、廊下の奥から男性の「うわあっ!」という声が聞こえ、その声の主こそが覚さんだと確信した嘉信は、その瞬間まではパニック同然の気持ちが途端におさまり、パニックではない明らかな殺意とこれまで感じたことがないほどの高揚感が体を支配した。
信吉さんを払いのけると、そのままためらわずに覚さんへ向かい、胸や腹を一突き、さらに上半身のどこかを数回刺した。

その後、傷を負ってもなお、嘉信に抵抗をやめない覚さんに対し、はっきりと覚えきれないほどの傷をさらに負わせ、息子を救おうとする母親・秀子さんに対してもけがを負わせた。
激しい取っ組み合いの末、玄関付近まで逃げていた覚さんの頭を拳や膝で殴ったり踏みつけたりし、倒れた覚さんの頭を足で4~5回踏みつけた。

3人の生死は確認できてはいなかったが、ふと、覚さんの祖母のことを思い出した。
幼いころから知っているおばあちゃん。もしかしたら現場を見られたかもしれない。
しかし、嘉信自身も覚さんの反撃で負傷しており、おばあちゃんを捜すのはやめた。

車に戻り、なにも考えられない状態で車を発進させた際、タイヤをしたたかに何かにぶつけたらしかったが、その時は気にも留めなかった。
少し走って、どうやらパンクしているらしいことに気づき、嘉信はなぜかタイヤ交換をしようと思いつく。
人目につかない方が良いと考え、何度か行ったことのある山道へ車を走らせたが、その途中で車は自走不能になってしまう。
そこでようやく、今更パンク修理などしたところでどうなる、と思い、また、覚さんに斬りつけられた右手も痛むため、車を放置して徒歩で山の奥へと向かう。
車の足元に、凶器のニンジャ・ソードが落ちていたのを目に留め、証拠隠滅のために持ち出して途中で棄てた。

逃げる途中、嘉信は幼いころから今日までの出来事を考えた。右手からの出血は予想以上にひどく、幾度か気を失いそうになりながらも、ある思い出がよみがえるたびに、今日自分がしでかしたことは自分を取り戻すためだと、積年の恨みを晴らしたのだと言い聞かせた。

覚さんと嘉信の間には、想像をはるかに超えた因縁が渦巻いていたのだ。
嘉信は小学4年生のころ、被害者である覚さんから「いじめ」を受けていたという。

しかしそれは、いじめというよりも「性的暴行」であった。

衝撃の告白と被害者家族



殺害された信吉さんは、自動車教習所の教官を経て、カメラ店を経営していた。人望があり、面倒見の良い性格であったといい、自身の肺がんの手術も乗り越え、これからの老後を楽しみにしていた。
妻の秀子さんは、長年看護師として働いており、2人の息子と夫との幸せな暮らしの中にあった。次男は警察官として立派に自立し、覚さんも次男も同時期に結婚式を挙げることが決まっていたことから、近い将来増えるであろうお嫁さんや孫に思いをはせ、退職後の生活にも夢を抱いていたことだろう。

嘉信は家が近いこともあり、4つ違いの覚さんとは小学3年まで同じ小学校に通っていた。
通学班も同じで、遠縁にもなるというふたりは、同じ小学校に在籍していたころは特に何かがあったわけでもなかった。
家を行き来することもあったし、ごく普通の子ども同士の付き合いであった。
しかし、覚さんが中学に上がると、接する機会も減っていき、2人は疎遠になっていく。
嘉信が小学4年生の時、久しぶりに会った覚さんに、嘉信は不可解な行動を強要される。
(注:以下の内容は本来伏せるべき内容かもしれないが、この事件においてこの部分を覆い隠してしまうことは、事件の本質を覆い隠すことになるためあえて書く。
誇張や不確かなことは省きたいので、判決文を参考にまとめた。)

なんと覚さんの性器を舐めさせられたというのだ。にわかに信じがたいが、話はまだ続く。
そのうち、舐めるだけではなく咥えさせられたり、射精後の精液を飲まされるなどもした。
嘉信はその行為の意味が分からなかったと供述しているが、裁判の過程で嘉信の母親によれば、「泣きながら帰ってきたかと思うと口をゆすいでいたことがあった」とのことで、どういうことかわからないとはいえ、泣くほど不愉快なことであったこと、そしてこの証言と併せて考えると格段に信憑性が増す。
しかも一度や二度ではなく、10数回に及んだという。

また、近隣の人の証言によれば、覚さんによる嘉信への「いじめ」は有名で、しかもそれがきつい言葉を浴びせるなどの言葉によるいじめではないということも、周囲の同年代の人間の多くは知っていたという。

本当の悲劇は嘉信が中学へ上がり、思春期に入って幼いころの自分が意味も分からず強要されたあの行為がどういった意味を持つのかを知るところから始まる。
激しい屈辱感が嘉信を襲った。
考えてみてほしい、男でも女でも、性的な行動を自分の意志に沿わない形でさせられていたとしたら。
近所の異性の友達とお医者さんごっこをしたとかいうレベルではない。もっと直接的で、感触としてもその比ではないだろう。
人は、幼いころから性的なものに少しずつ触れ、早い遅いは多少あるにせよ、思春期以降に自分の意思でもって踏み込んでいくものだ。
それを、何の段階も経ずに大人でも経験のない人がいるようなレベルのことをやらされてしまっていたのだ。

そして、その意味を知った時の嘉信の心を思うとこればっかりは100%同情してしまう。
事実、嘉信はそれ以降、周囲の態度に過敏になってしまう。誰かが笑っていれば、自分のことがばれたのではとびくびくし、まるで自分が悪い、汚いものであるかのように怯えていた。
誰しもが経験するように、女性との性的なシーンを想像することもあったが、そのたびに自分が受けた性的暴行も同時に思い出してしまうため、意識的に女性への感情を封じ込めた。
剣道部に所属していた嘉信だったが、部員から外見等をからかわれることがあったという。
それについても、「本当はみんなあの事を知っていて、それで自分をからかうのではないか」などと思うようにもなっていた。
加えて、精神的にも胸が締め付けられる、体が異様に熱く感じる、無性に怒りがわいてくるといった変調もこの頃から感じるようになった。
剣道に打ち込んで気を紛らわそうともしたが、そんな時に限って、自分が受けた性的暴行の夢を見るようになっていた。
寝ても覚めてもあの忌まわしい記憶が頭を離れることはなく、それを打ち消すような楽しいことも嘉信にはなかった。

そして、時間が経つにつれてその憎しみ、悲しみ、屈辱感、怒りと言った感情は、薄れるどころか増幅し、その根源は覚さんにあると確信するようになっていく。

殺意の形成



高校生になってもそれまで同様に体調の変化に悩まされる日々であったが、地元を離れ東京の専門学校に通う頃は、周囲からはオタク気質はあるにせよ、明るく話好きな人間と思われていた。
近くに覚さんの姿もなく、自身のあの記憶を呼び起こさせるような風景とも違う都会の暮らしの中で落ち着いていたともいえるが、大人になるにつれて覚さんに対する殺意に近い感情もこのころ芽生えていたという。
犯行に使用したニンジャ・ソードも、この頃護身用として手に入れた。覚さんでなくても、都会には似たような危ない人間がいるかもしれないと考えてのことだった。

このまま地元に戻らなければ、この事件も起こっていなかったかもしれないが、専門学校卒業後、嘉信は実家のある町へと戻ってきた。
長く勤めると自分の過去がばれてしまうかもしれないといつも怯えていたため、一つの場所で長くは勤めなかった。その当時は、長井市の送配電用品の会社で勤務していたという。他人に咎められることが噂話などに結び付くかもしれないと思っていたのか、もともとの性格だったのか、無遅刻無欠勤、無口ではあるが真面目だったというのが周囲の評価である。
東京にいた時の嘉信は、明るく話好きと評される一方で、「ルーズな人」という印象もあった。しかし、地元に戻ってからは、なるべく人の口の端にのぼらないよう、自分の印象を消していたような節もうかがわれる。

そして時を同じくして、覚さんについての情報を耳にする。
なんと覚さんが逮捕されたというのだ。実家も少し離れているとはいえ実質隣同士で、親戚づきあいもあったため、そのことは嘉信の耳にもすぐにもたらされた。
さらに、逮捕された理由が「婦女暴行」であったことが嘉信を打ちのめした。
もしかしたら嘉信は、覚さんと自分との間のことは子どもの一過性の遊びであって、覚さんとて本来はそのような事をする人間ではないと信じたかったのかもしれない。
そうすることで、自分も救われる(覚さんも口に出さなくてもきっと後悔しているのでは)と思っていたのかもしれない。
しかし、覚さんは大人になってからも性的な事件を起こした。自分と同じ、酷い思いをさせられた人がいることで、自身の身に起きたことも紛れもない事実であると、再認識させられた気になったのかもしれない。

嘉信を打ちのめしたのは他にも要因があった。
比較的早い時期に社会復帰した覚さんが、まるでなにもなかったかのように実家に戻り、普通に生活をしているのを目の当たりにしたからだ。
他方で、死ぬほど苦しんでいる人間がおり、被害者であるにもかかわらず、そのことを知られまいとして怯えて暮らしているのに、なぜ加害者である覚さんが堂々としていられるのかがまったく理解できなかった。

残念なことに、世の中犯罪を犯して陰に隠れひっそりと生きる人間は稀である。
特に性的な犯罪を犯す人間は、どこかで軽く考えている節があるのではないか。実家で一時的ではあるが暮らしていることからも、おそらく覚さんの両親をはじめとする家族も、嘉信や周囲が思うほどその罪を重くとらえていなかったのかもしれない。
嘉信にとって、これは思いのほか堪えることであった。

平成17年から18年にかけては、自身の体調が思わしくないのは全て覚さんのせいであると思うようになっていた。
ニンジャ・ソードであらゆるものを試し斬りしてみたり、空想の中で覚さんを殴ったりしてみた。
そしてその思いは日ごとに強くなり、具体的な殺害方法も考えるようになったという。
その年の4月、休暇で覚さんが実家に戻った時を狙って、ついに殺害を実行しようと本気で考え始める。
GWの5月6日、実家付近を車で走行する覚さんを見かけた嘉信は、覚さんが実家に戻っていることを知る。
その時は「嫌なものを見た」程度の感情であったが、体の奥底からわきあがる憤怒の感情を持てあましていた。
それでも、自分も弟が実家に来ているし、覚さんも実家にまだいるとは限らず、心を落ち着けるために部屋に戻り、夕食を食べた後プラモデルつくりに没頭する。
作り終えたのは日付も変わった5月7日午前3時ころ。就寝前にシャワーを浴びようと思ったが、突如体が熱くなってあの性的暴行の記憶が甦り、嘉信を苦しめた。
いつもなら自分の体を叩いたりしておさまるものが、この日はなぜかおさまらなかったという。

そして、午前3時20分、耐えきれないと感じた嘉信は、かねてからの妄想を実行に移してしまった。

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