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弁護士事務所にて
平成26年7月、その弁護士は若い女性から相談を受けていた。
女性は母親を伴って訪れていたが、その相談内容は、母親についてのものだった。
「母が私のためにお金を払い続けています。もうやめさせてほしいんです」
女性によれば、自身の就職あっせんをしてくれている母親の友人に対し、母親が長年にわたって金銭を支払い続けているのだという。しかし女性の就職はいまだ実現しておらず、またその支払った金額が高額であることなどから、無意味なことをしているのではないか、という相談だった。
聞き取りを行った結果、その内容はにわかに信じることができないような異様なものだったが、その時は相談、という形で女性と母親は帰っていった。
年が明けた平成27年3月、再び女性と母親が相談に訪れた。内容は昨年の夏の相談とほぼ同じで、夏ごろには騙されているという認識の薄かった母親も、ここへきて親せきらからも騙されているという指摘を受けていた。
実際に夏に相談して以降、友人に対して金を払い込むのをやめていた。
ところが、3月12日になってその友人から、
「(就職あっせんを)やめるにしてもお金がかかる。今やめたらこれまで支払った分の1/5も戻ってこないし、戻ってきた金も損害賠償にあてられる」
という連絡がきたことで、改めて相談に訪れたとみられた。
相談を受けた弁護士の目にも、詐欺事件に巻き込まれていることは明らかだったようで継続して相談に乗る、そう方針立てた矢先、信じられない事件が起きた。
5月、豊田市太田町の民家で火の手が上がった。焼け跡からは一家3人の遺体が発見される。それは、あの相談に来ていた若い女性とその母親が暮らす家だったのだ。
さらに衝撃的な真実を知らされる。火災は失火ではなく、放火であり、かつ、火が出る前に祖母を含めた3人は殺害されていたというのだ。そして、殺害と放火で逮捕されたのは、あの相談に訪れたふたりの父親であり夫である男性だったのだ。
平成20年夏
「あや子さん、こないだの利江ちゃんの件だけどね。書類をたくさん作る必要があるのよ。それにまたちょっとお金がかかるんだけどどうする?」
松井あや子さん(当時58歳)がその電話を受けたのはお盆直前の8月13日だった。あや子さんにとっては願ってもない連絡がやってきた。
かねてから友人として付き合っていた女性からの電話だったが、あや子さんの娘・利江さんの就職斡旋のめどがついたという連絡だった。
あや子さんは夫、実母、長男、長女の5人で暮らしていたが、長女・利江さん(当時29歳)の就職がうまくいかないことを思い悩んでいた。そこで、以前からの知り合いである岩津町在住の友人女性にどこか良い就職口がないかをお願いしていたのだ。
相談を受けていたのは、岩津町在住ではんこ店を営む水野照代(当時58歳)。あや子さんとは30年来の友人だった。
経済的には余裕があったあや子さんは、すぐさま照代に書類提出の費用6万8400円を振込入金した。長年どうにもならなかったことがこれでようやく動き始める。あや子さんにとっては、この程度の出費は痛くもかゆくもなかった。
というより、これまでもあや子さんは利江さんをなんとしてでも信用金庫に就職させるべく、照代に対して必要経費を支払ってきていて、すでに8年の歳月が流れていた。
それもようやくここで終わる…照代の話では、この6万8400円を支払って書類を提出すれば、お盆明けには信用金庫に出社できるという。
あや子さんは晴れやかな気持ちでATMを後にした。
5年後
時は流れ平成25年。利江さんは信用金庫に就職、出来ていなかった。平成20年のお盆明けの出社は、事情で流れてしまった。
その後、10月ころに照代から利江さんに対して「(今回は残念だったけど)あなたの就職は決まってるんだよ」という連絡があったため、利江さんは「何年も待っているんだから、私も頑張ります」と返答していた。
しかしその後はあや子さん自身の事情もあり、照代とは疎遠になっていたという。照代から連絡が来ることはあったが、あや子さんがそれに応じることはなかった。
しかし利江さんの就職は杳として決まらず、また、利江さん自身の生活も引きこもりのような状況になっていたことから、平成25年の6月ころにはあや子さんは再び照代に連絡を取るようになる。
照代も、「私だって利江ちゃんが信用金庫で働いているところが見たいのよ」「あなたが電話に出てくれたから、またここからことが進んでいくわ」と応じ、翌7月には利江さんの入社日や保証人についての話をした。
ただそこから1年、利江さんの就職に進展はなかった。
が、あや子さんはその間も、150万円以上を支払っていた。
怒涛の金銭要求
事態が動いたのは平成26年6月だった。
6月6日、あや子さんは照代からの電話で「利江ちゃんの保証に関して現金で50万必要なの。大金だから全部は無理でしょう?とりあえず30万だけでなんとかできるから、急ぎで用意できないかしら?」という連絡を受けた。
いよいよ利江さんの就職が具体的に動き始めたと思ったあや子さんは、大急ぎで30万円を用意すると照代の自宅近くまで赴いて手渡した。その際、あや子さんは利江さんを伴っており、ふたりの現金やり取りを見ていた利江さんも、「お母さんと照代さんには本当に苦労を掛けてしまって…」と感謝していた。
翌7日には、残りの20万円を再び持参したあや子さんに対し、照代は「この現金を今日中に信金に預けないと利江ちゃんクビになっちゃうのよ」などと言ったため、あや子さんが「念のために聞くけど、お金はもうこれが最後なのよね?」と確認したところ、照代はうなずき、利江さんも「一生懸命働きます」と応じた。
ところが同月22日、あや子さんは照代から
「社会保険と利恵ちゃんの内定書はもう出来上がってる。でもいろいろ事情があって22万4000円が必要なんだけど何とかならない?」
と聞かされる。最後、と言ったはずとあや子さんは言いかけたが、ここで利江さんの不利益になってしまったらという思いが頭をかすめた。
そこであや子さんは取り急ぎ3万円を振り込んだ。
すると翌日になって、「あや子さんが昨日3万円だけでも振り込んでくれたおかげで、内定書のことを信用金庫側に強く言えたのよ。残りのお金は昼までに必要だから、よろしくね」などと言ってきた。あや子さんはやれやれと思いながら、残りを振り込んだ。
内定書さえもらえれば、今まで払い込んだお金は返ってくる。そして、晴れて利江は信用金庫に就職できるのだ。
あや子さんはそう信じて疑わなかった。
しかし、7月になっても一向に利江さんの出社日は決まらなかった。にもかかわらず、7月25日になって照代からは4万2800円が必要だという連絡が入る。ただこの金を払えば、来週には利江さんの出社日が決まるというのだ。
あや子さんは待ち合わせ場所のバスターミナルへ向かい、そこで照代に言われた通りの4万2800円を手渡したが、その際、「このお金を納めたら制服をもらえるから。来週には私が信金に行って入社の日にちを聞いてくるわね。身分証明書をもらえれば内定書もらったのと同じだから」と言われた。
あや子さんはおもわず口にした。
「本当にお願いします、14年待ったのよ。本当に長かった…」
14年で総額8000万円
しかし週が明けても、信金からの入社内定の連絡も、制服すら届くことはなかった。
ここへきてようやく、利江さんは何かおかしいと気付き始める。弁護士事務所に相談に訪れたのも、この頃だった。
相談はしたものの、この時点ではあや子さんは騙されたと認めておらず、7月30に弁護士と面会した際にも、「8月1日には入社する手はずになっているし、これまで支払ってきたお金のうち5000万円は戻ってくる」と言って譲らなかった。
その後も、利江さんの不安とは裏腹に、照代の指示に従い入金することがあったが、利江さんの信用金庫への入社は一向に決まっていなかった。
12月になって、あや子さんは妹夫婦に借金の申し込みをした。妹夫婦は経済的に余裕があったはずの姉の家庭に何事かと驚いたものの、あや子さんが利江さんの就職のために照代にお金を払っているという話を聞き、これは騙されているのではないかと思っていた。
しかし、当のあや子さんがそこまで思っておらず、とにかくこのままでは正月を越す金にも事欠くことなどから、取り急ぎ50万円をあや子さんの口座に入金したという。
3月、とうとうそれまで隠し通していた照代への支払いが、あや子さんの夫にバレてしまった。
香典を準備するようにと言われたあや子さんは、その香典を準備できなかったのだ。もう、家にお金は残っていなかった。
驚いた夫は、利江さんにも事情を聴いたが、そこでさらなる驚愕の事実を知ることとなった。本編に詳しいが、夫は利江さんが信用金庫で働いていると15年に渡って信じ切っていたというのだ。
夫はあや子さんから、利江さんの就職のために信用金庫への多額の定期預金のほか、書類代、役員へのお礼代、盆暮れの付け届け、弁護士への報酬などの名目でこの14年の間になんと8000万円が照代の手に渡ったことを知る。
しかも、平成17年から20年にかけてあや子さんは誰にも内緒で消費者金融から借金を重ねていた。理由は照代への入金だった。ただその後、夫が退職し退職金が出たことからほぼ完済できたこと、その後に照代と疎遠になったことから家計的には余裕が戻り、貯金も1000万円以上あった。
しかしそれももう、なかった。
あや子さんの夫が娘である利江さんに問い質したところ、利江さんは当初多額の現金が渡っていることは知らなかったが、途中から気付いていたと話した。
その時点でこれはおかしいのではないかと思ったが、あや子さんを止められなかったと話していた。
事実この時期、利江さんとあや子さんはこの件で少々険悪な状況になっていた。
夫は事情を知り、当然照代の元を訪れ話し合いをしていた。しかしその時点ではあや子さんが騙されていると認めていなかったのか、要領も得ない部分が多く、照代からも「こちらが貸してるんですよ」などと言われてしまい、解決には至らなかった。
4月、利江さんは意を決して、信用金庫に赴いた。そして、照代から聞かされていたことを伝えた。自分はこの信用金庫に内定が決まっているのだと。
しかし、行員から返ってきた言葉は、
「なんのことでしょうか。そもそもあなたはどなたですか?」
だった……
5月、警察へ被害届を出そうと、夫らは話し合い弁護士にも相談した。そして、松井家は炎に包まれた。
認めない女
松井家の事件の後、照代はあや子さんを騙したとして逮捕された。しかし多くは時効となっていて、起訴されたのは平成20年以降の1025万円分についてのみだった。
通常、事情を知るあや子さんと利江さんが死亡している以上、金の貸し借りの本質は見えなくなる可能性が高い。実際、松井家の事件より前に夫や長男らが警察に相談にも行っていたがどうにもならないような状況だったという。
しかしあや子さんは入金の都度、その日時や目的などを書き記したメモを残していた。当然、膨大な振込票なども残っていた。
手渡しなどで証拠が残らないものについても、メモ書きなどが残っていたという。
くわえて、利江さんあや子さんのどちらが準備していたのかは定かではないが、ボイスレコーダーの存在があった。
それらを精査したうえで、その1025万円については罪に問えると判断した検察は、照代を起訴した。
弁護側は、あや子さんが照代の口座に入金したこと、手渡しで現金を受け取ったことについては争わないものの、その目的として、検察が主張するような「利江さんを信用金庫に入社させると欺いた」とする点は争うとした。
したがって、裁判の争点はあや子さんから照代に対して行われた合計で1025万円(全額で8600万円)は何の目的で入金されたものなのか、だった。
ボイスレコーダーには、すでに述べたとおりの利江さんの信用金庫入社についてのやり取りが収められており疑いようがないと思われたが、照代は一切を認めなかった。
さらに、入金されたものは、照代があや子さんに貸し付けたものの返済分であるなどと言い出した。
これには照代の家族らの証言もあった。松井家の事件直後、テレビ局の取材に対して照代の息子と思われる人物が、「うちが金を貸していたんだ」といった発言をしていた。
また、ボイスレコーダーに証拠がない期間もあった。それらの機関に入金されたものについては一切の証拠もないとして検察の主張を否定した。
照代は平成25年から27年6月までの2年間にわたり、数日に一度の頻度で、手渡しにてあや子さんに現金を貸していたと主張し、度重なるあや子さんからの入金はそれに対する返済だと述べた。額は一度に数十万円のこともあったという。
ボイスレコーダーについては、利江さんがうつ病を患い、あたかも自分が信用金庫で働いているという妄想に取りつかれていたことから、あや子さんから「娘のために喜ぶことを言ってほしい」と頼まれたため、信用金庫に入社できるような話を口裏を合わせていただけ、と話した。
また、Aという人物から頼まれて話したことである、ともしていた(この人物について裁判所はその存在自体を認めていない)。
ほかに、照代名義の口座からあや子さんの口座に12回ほどの入金が認められた。これについて、照代はまさにあや子さんへの貸し付けの証拠の一部であると主張していた。
その中には、利江さんの引っ越し費用なども含まれていたという。
また、ボイスレコーダーの中で平成27年3月6日ごろのものとされる「140万円貸したでしょ、こないだ」という照代の発言があった。
そしてなにより、あや子さんが長きにわたって騙されるとは思えず、就職の話と入金は全く別の話であり、あくまで入金は貸金の返金だったと主張した。
これらを踏まえたうえで、名古屋地方裁判所岡崎支部は照代の主張を一蹴、検察の主張をほぼ認める形で照代に対し、懲役4年(求刑懲役6年)の実刑判決を言い渡した。
火車
裁判所は、照代が主張する貸金の返済だったとする点につき、そもそも照代が貸し付けた金の出どころはどこなのか、に注目した。
照代の夫は真言宗醍醐派の寺院の住職であり、開運と称して印鑑の販売なども手掛けていた。ただそのハンコ屋の場所が別の「有名神社のすぐ近く」ということもあり、地元では穿った見方をする人らもいたという。
しかし実際のところ、照代の夫は固定資産税を340万円も滞納中、照代自身も一時期付き合いでスーパーで働いていたというが、平成17年以降は無職だった。
照代は消費者金融からの借金もあった。にもかかわらず、あや子さんに貸した金の出どころは「タンス預金」だと言い放った。
当然このタンス預金については夫も知らないと話し、そもそもタンス預金の原資もどこにも見当たらなかった。
一方で、平成25年から27年にかけて、照代の家族については多額の出費があった。
ひとつは、娘への援助だった。母子家庭だったという娘に対し、ことあるごとに3万円程度を手渡すなどしていた。
それ以外にも、孫や長男らにもなにかと援助をしており、その額は分かっているものだけで900万円に上った。
さらに、夫がコンビニを開業する際にはその資金や生活費として600万円の支出もあった。
なぜわかったかというと、照代自身がその金の動きを書きつけていたからだった。あや子さんへの貸金については一切書き付けていないと主張した照代が、家族に対する援助については事細かく記入していたというのはどう考えても不自然で、裏を返せば、あや子さんへの貸し付けが嘘であることの証拠と言えた。
資産のある実家を継ぎ、堅実な夫を持ち経済的には裕福だったあや子さんに対し、寺庭婦人でありながらサラ金まみれの照代の家計はまさに火の車であった。
照代は、あや子さんから引っ張った金をあたかも自分の金のように子や孫に渡し、家業に設備投資していたと考えるのが相当、と判断された。
ただ、一つ疑問は残る。裁判では不自然とは言えないとされたが、15年に渡ってあや子さんが時に疑いもした時期があったとはいえ、なぜ総額8000万円も照代に渡し続けたのか、ということである。
詳しい事情は判決文からはうかがえないが、わかることとして、当初手渡していた金は書類代などのほかに、おそらく「定期預金」のつもりもあったように思われる。いずれ就職できた暁には返ってくる、そう取れるやり取りも残っていた。
少なくとも、5000万円は定期預金とあや子さんは思っていたようだ。
それでも残りは3000万円を下らないわけで、やりすぎではないかと思うが、むしろその定期預金のつもりの5000万円があや子さんの判断を鈍らせたのではないだろうか。
5000万円も定期預金しているのだから、悪いようになるはずがない、というような。
しかしその5000万円は定期預金などになってはいなかった。
人の心理として、せっかくここまで来たのだから、と前に進むしかないと思い込む人がいる。多くの人は、周囲の人のアドバイスや自身と向き合うなどして損をすることになったとしても傷の浅いうちに、とその潮時を見極めるのだが、盲進してしまう人もいる。
しかもその目的が自分ではなく、大切な人のためだったらなかなかやめる決断は難しいのかもしれない。
もうひとつ、これは定かではないが、利江さんが心の病にかかっていた、という話もある。たしかに、家の中から出られなくなり、電気もつけない部屋で生活するなどちょっと心配な状況にあった。母親に対して暴言を吐くこともあったという。
そんな利江さんを思うがあまり、まさに縋る思いで照代の言いなりになってしまったのかもしれない。
あや子さんははたして騙されていないと思っていたろうか。騙されていたと思いたくなかったのかもしれない。
しかし一切を夫に知らせずに処理していたことを見ると、内心では「こんなバカげた話があるわけがない」とあや子さん自身、気が付いていたのではないだろうか。
事実を知った夫は、婿養子として守ってきた家もろとも、家族全員を葬った。
しかしその前に、照代を成敗しなければ気が済まなかった。
それが果たせなかったことは、一生の不覚だろう。
いや、一生の不覚は、妻と娘の苦悩に気づけなかった自分自身か。
照代は一家を死に追いやりあや子さんの夫を無期懲役の刑に追いやった。その結果の重大性を考えたとき、懲役4年はあまりに軽い判決ではある。
照代のそう長くない残りの人生の先で待っているのは、はたして罪を償った故の極楽の門か、それとも、松井家を焼き尽くした焔をまとった、地獄の火車か。
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参考文献については諸事情により非公開にしてあります