新聞母さんの涙と12人の隣人~高島平新聞配達員殺害事件~

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平成2年1月5日

正月の雰囲気も抜けきらない中、彼女はその日もいつもと同じように午前3時に出勤してきた。
手際よく折り込み広告を新聞に挟み込み、約200部の新聞を自転車に積み込むと、白い息を吐きながらそれでも颯爽と漕ぎ出していく。同僚の男子大学生は、そんな彼女の姿をいつも感心して見習っていた。

今日は休みのパートさんの区域も回ることになっているから頑張らなくちゃ。
眠いのさえ我慢すれば、子どもたちに「いってらっしゃい」「おかえり」を言ってやれるんだから。

午前6時前。高島平2丁目の高架下の道路に差し掛かった時、ふと人影が目に入った。
自転車の前に立ちはだかったその人影の手には、包丁が握られていた。

事件

平成2年1月5日午前6時過ぎ、板橋区高島平2丁目の路上で、女性が腹部から大量の血を流して倒れているのを、新聞配達店の従業員らが発見、119番通報した。
倒れていたのは高島平の団地に住む石川静江さん(当時45歳)。静江さんは朝日新聞高島平専売所のベテランパート従業員で、この日は自分の地区を配り終えたあと、同僚と手分けして休みを取ったパートさんの代配をしていたという。

警視庁高島平署の捜査本部では、通り魔的な犯行とみて捜査を開始。周辺の目撃情報などを洗っていた。

しかし、冬の午前6時前という犯行時間に起きだしていた人や散歩に出ていた人はほとんどおらず、犯人らしき人物や直前の静江さんの行動などの情報はなかった。

ただ、15世帯12人が、あることを口にしていた。

「その日その時刻、女性が助けを求める声を聞いた」

犯人逮捕

事態が動いたのは事件から一週間後の1月12日。
捜査本部は、現場近くの植え込みにから刃物が入ったバッグを見つけていた。
バッグは現場から400mほど離れた大東文化大学前の路上の植え込みから発見された。

中には血が付いた包丁があり、その刃渡りは静江さんの傷の深さや長さと一致し、かつ、刃物についていた血液の型も静江さんと一致した。

また、そのバッグの中には男性用とみられるハサミや爪切り、歯ブラシやシャンプーと言ったいわゆる「お泊りセット」的な生活用具が入っていた。
さらに、持ち主のものと思われる預金通帳も入っていたのだ。
警察ではこれらの生活用品と通帳の持ち主と刃物との関係を調べていたが、通帳の持ち主は板橋区内の運送会社に勤務する30歳の男と判明。
聞き込みなどから男が事件直前までそのバッグを所持していたことや、通帳が入っているバッグであるにもかかわらず、盗難届や紛失届も出ていないことなどから、捜査本部はこの男が事件に関与している疑いが濃厚としてさらに本人からの事情聴取も予定していた。

が、バッグ発見の報道がなされた直後の1月16日、いつものように仕事に出た男は、そのままトラックごと行方をくらましてしまう。
捜査本部は静江さん殺害はこの男の犯行と断定、逮捕状を請求し全国に男を指名手配した。

指名手配されたのは静岡県出身の運転手・鈴木宣義(当時30歳)。
指名手配されて6日後の29日深夜零時半頃、鈴木は静岡県浜名郡内の国道1号線沿いの岸壁でトラックの中にいるところを警ら中の静岡県警機動捜査隊員によって逮捕された。

実は鈴木は逃走中の1月20日、神奈川県大和市内で21歳の専門学生に突然暴行、腹部を蹴るなどしたうえ、「死にたくなければおとなしくしろ」といってトラックに押し込もうとしていた。
女性は怯まず大声をあげ、通行人らがいたこともあって鈴木は諦めて逃走していた。その際、通行人らが車種やナンバーの一部を覚えていたこと、被害に遭った女性が鈴木の顔をしっかり覚えていたことから、鈴木の犯行と断定、神奈川県警大和署はこの事件で鈴木の逮捕状を取っていた。

逮捕された鈴木は身分は認めたものの、その後取り調べのために管轄の新居署へ連行されても黙秘を続けた。
翌朝9時半、鈴木は車で警視庁高島平署へ移送された。

所持金は、18円だった。

「女か男かわからなかった」

高島平署に移送されて、ようやく聴取に応じ始めた鈴木は、
「1月初めに金を使い果たし、誰かから金を奪おうと考えていた。(石川さんを)脅したら大声を出されたので夢中で刺した。」
と、強盗目的での犯行であると供述した。
加えて、「男か女かわからないまま刺した」とも話していて、静江さんをつけ狙っていたとか、以前から計画的だったというのではなく、その時間帯目に入ったのがたまたま静江さんだった、というものだった。

静岡県富士市の出身である鈴木は、地元の県立工業高校を中退後、昭和59年に結婚。その後、ある事件を起こして妻と離婚、平成元年3月に出所したばかりだった。
出所後は横浜市で建設関連の職に就いたのち、8月から板橋区に本社のある運送会社で働いていた。当時の住まいは板橋区内の会社の寮だったという。

正月が過ぎ、全財産が5000円となって焦っていた鈴木は静江さんを刺すだけ刺してその後はバッグが発見されるまで、何食わぬ顔で生活していた。
静江さんは襲われてから絶命するまで数分~十数分あったとみられていた。
というのも、自転車が倒れていた場所から遺体発見現場は25mほど離れていたことに加え、近隣の住民らが静江さんが助けを求める声が数分にわたって続いていた、とも証言していたからだ。
静江さんは刺されながらも抵抗し、大声で助けを求めながら逃げ惑ったとみられた。

しかし、その声を聞いた人々の誰一人として、外に出たり、通報するといった行動をとった人はいなかった。

静江さん

静江さんは北海道札幌市で生まれた。
昭和43年、札幌市内で出会った保険代理業の男性と結婚、昭和47年に上京し、当時完成間もない高島平団地に入居した。

一男一女にも恵まれ、昭和56年からは新聞の販売所でチラシを折り込むアルバイトをしていた。
平成元年頃からは折込に加えて配達も担うようになり、家族がまだ寝ている時間から仕事に出かけ、配達が終わる6時半から買い物をして帰り、家族の朝食を準備していた。
家事を終えると夕刊の配達。大急ぎで家に戻って夕食の準備に取り掛かっていた。日中も、息子の剣道の試合には必ず顔を出した。
そんな彼女を知る近所の人々は、「ハッスル母さん」と親しみと尊敬の思いで呼んでいたという。

配達が終わると休憩するため、決まった自販機へ立ち寄っていた。
そこには、仕事明けのタクシー運転手らや、早朝の散歩に出たご婦人らもおり、気さくな人柄の静江さんとは、名前は知らないけれどみんなが仲良くなっていたという。

ショートカットにパンツスタイルが多かったという静江さんを、「女優の山岡久乃のようだった」という人もいた。美しい人だったことが良くわかる。

仕事を始めて8年、休みのパートさんの担当地区を代わりに配る、代配さんとなっていた。
これは数百件の配達先が頭に入っていなければできない仕事で、静江さんはその仕事を任されていた。

その日も、代配だった。本来なら、もう一人の代配さんと合流する予定が、仕事の早い静江さんが先に配り終え、もう一人の分も引き受けていた。
静江さんの変わり果てた姿を発見したのは、その代配さんだった。自分の分を配ろうとしてくれていた静江さんが事件に遭ってしまったことで、どれほどショックを受けたろうか。

静江さんの長女は当時18歳、高校三年生。息子は15歳で中学三年。ふたりとも受験を控えていた。
いつか家を建てたい、そんな夢も話していたという新聞かあさんを、なぜ鈴木は狙ったのか。
そもそも、新聞配達員であることは分かったのではないか。
ただの配達人が、現金を持っているだろうか。せいぜい小銭程度だと普通は考えると思うし、金を奪うためなら仕事上がりのタクシーのほうが現金を持っている可能性は高い。
なのになぜ、新聞配達の静江さんを襲ったのだろうか。しかも、鈴木が捨てたバッグに入っていた貯金通帳には、多くはないが残高もあったという。

「男か女かもわからなかった」
取り調べでこう話していたという鈴木だが、実は鈴木には、婦女暴行の前科があった。

ビデオデッキ

鈴木は確かに金がなかった。1月の初めに金を使い果たした、と話していたが、これにも実は理由があった。

鈴木は、訪問販売員からテレビやビデオデッキのセットを購入していた。37インチといえば、当時でいうと大きい部類に入る。金額はおよそ60万円で、鈴木は月々の割賦契約で購入していて、夏と冬のボーナス払いも併用していた。

ところが、入社して半年に満たなかった鈴木に、冬のボーナスは支給されなかったのだ。
ボーナス時の加算額は10万円。そんな金は鈴木にはなかった。

支払いができないのであれば売ってしまってとりあえず金を作ればよかったのだが、それができない理由もあった。

刑務所を出て間がない鈴木には、友達もおらず、頼れる身内もいなかったようだ。トラック運転手として稼働し始めても、寮に戻ればひとり。飲み歩く同僚も、愚痴を言い合える友達もいなかった。
そんな鈴木にとって、唯一の娯楽と言えば自宅でのビデオ鑑賞だった。
当初は一人でビデオを見る日々だったのが、鈴木の部屋には大きなテレビとビデオがある、と聞きつけた同僚らが鈴木の部屋を訪ねるようになったという。
これが、鈴木には思いのほか嬉しかったようだ。
ビデオとテレビのおかげで、誰にも見向きもされなかった自分に友達が出来た。もしテレビとビデオを売り払えば、また誰からも見向きされなくなるのではないか。

鈴木がどうしてもビデオとテレビを手放せなかったのは、そういった背景があった。

しかしだ。

強盗を企て、前日にはスーパーで包丁も購入していたというが、取り調べの段階では、直前まで同僚の部屋でポルノビデオを見ていた、とも話していた。
静江さん殺害は強盗だけが目的だったのか。ならなぜ、逃走中にもかかわらず、大和市内で女性を拉致しようとしたのか。
裁判の記録が公開されていないためにこれ以上のことはわからないが、どうも金を奪うことだけが目的だったようには思えない面もある。

平成3年1月31日、東京地裁の中川武隆裁判長は、「安易な動機による残忍凶悪な犯行」とし、鈴木に求刑通りの無期懲役を言い渡した。

12人

静江さんが襲われた時、周辺のマンションの住民らの何人かは女性の悲鳴や叫び声を聞いていた人らがいた。
中にははっきりと、「やめて、助けて!!」という叫びを聞いた人もいた。窓を開けて覗き、道路にうずくまる人影まで見ていながら、そっと窓を閉めた人もいた。

しかし結果として、その誰一人として110番通報といったことをしなかった。

報道ではそういった人々の存在に触れつつも、どこか歯に物が挟まったような表現にとどまった。
そんな中、読売新聞では「大都会の隣人に一石 悲鳴を12人が聞いていた」という見出しで、悲鳴を聞いた人々の証言を掲載した。静江さんの地元、北海道新聞も、遠回しに都会の無関心を取り上げた。
ある人は悲鳴を聞いて、半年ほど前に起きた世田谷の女子大生殺しを連想し、「嫌な感じがした」ものの、通報はしなかった。
またある人は、うずくまる人影まで見たものの、再びベッドにもぐりこんだ。
さらに、風邪気味で寝ていたという人は、悲鳴を5回も聞いたと証言。しかしどうせ酔っ払いか何かだろうと決めつけてそのまま寝たという。
その人はのちに、「あの時窓を開けて確認していたらと思うと、おかげで一日中後悔の念に苛まれた」と話したが、なにその「偶然悲鳴を聞いてしまった運の悪い自分」的な……と正直私は思った。

他の人の証言も生々しい。
ガサガサ、という物音のあと、「うわー助けて!!」という激しい女性の叫び声を聞き、その後叫び声、悲鳴は7、8回聞こえたという。悲鳴は遠ざかったり近づいたりと場所を変えていたといい、静江さんが逃げ惑っていたことを裏付ける。
その後、悲鳴がやんだために外を見ることはしなかった。

巻き添えになりたくなかった、と正直というかなんというか、そういう証言をした住人もいた。

もちろん、止めに入れとか、そういうことは出来ないし、もっと大変な事態になるかもしれないのですべきではないかもしれない。
が、110番通報すらしない、というのは正直理解に苦しむ。実際私はこれまで何度も「なにもないかもしれないが」通報したことは数えきれないほどある。

通報したところで、静江さんが刺されなかったわけではなかろう。しかし、静江さんの命が失われなかった可能性は、ある。
酔っぱらいのケンカなら放っておくのだろうか。110番すれば巻き込まれるのだろうか。
時代が違うため、一概に言い切れない部分は確かにある。今ほど、通報者のプライバシーが守られない時代だったのかもしれない。単なる痴話げんかだった場合、駆け付けたお巡りさんが「あの家の人から通報があったんですよー」とか言ってしまうことが普通にあったのかもしれない。

しかし、捜査員らから漏れ出た「誰かひとりでも通報してくれていれば」という無念の言葉は、やはり静江さんが通報さえあれば、一命をとりとめていた可能性があったことを物語る。

仲間

突然の自分語りになるが、私は5年ほど某すき家で深夜勤務ワンオペをやっていた。
どの時間帯にも常連はいるものだが、深夜から早朝の常連というのは数がぐっと減る分、お互いに覚えてしまう。
そのうち、会話などなくてもなんとなく、「同士」みたいな変な仲間意識が沸くことも多い。ああ、まだこいつ仕事かよ、頑張ってんな、的な。

私の場合は隣にあったローソンの店員さん。毎朝仕事終わりにタバコを買いに行っていたら、ある時、
「・・・要ります?」
と、携帯灰皿とライターをこっそりくれた。多分、カートン買ったらついてくるおまけ的な。嬉しかった。

静江さんが立ち寄っていた自販機にも、同じような人たちが集うことがあった。
名前もしらないけれど、いつもいる新聞配達の人。笑顔で挨拶してくれる人。仕事帰りのタクシー運転手らも、静江さんの顔を知っている人がいた。
9時5時でもない、特に深夜早朝の仕事の人は、無意識に連帯感や仲間意識を心のどこかに持っているような気がする。

鈴木はトラック運転手だ。時間帯はわからないが、トラックの運転手も、夜走る人は多い。
勝手にまとめてしまうが、鈴木も静江さんも、一人黙々と仕事をこなす意味では似ていたし、物を届ける仕事という点でも同じだ。
静江さんは高級な犬でも連れて優雅な早朝散歩を楽しんでいたわけではない。正月休みの人もいる中、白い息を吐きながら自転車で数百軒の新聞を配達していたのだ。

鈴木と同じように、一生懸命働いていた人だったのだ。新聞配達人であることは、一目瞭然だったのではないのか。

誰でもよかった、というのは強盗目的にそぐわない気がやはりしてしまう。男か女かもわからなかったというのも。

現場には事件後も長いこと、花を手向ける人々の姿があった。
朝晩の、あの自販機で労いあった人、高島平団地の住民、そして、あの夜悲鳴を聞いて何もしなかった住人も。

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参考文献
朝日新聞社 平成2年1月5日東京夕刊、1月8日東京夕刊、1月13日東京朝刊、1月24日東京朝刊、1月25日東京朝刊、1月29日東京夕刊、1月30日東京朝刊
読売新聞社 平成2年1月6日東京夕刊、1月8日東京朝刊、1月23日東京夕刊、1月29日東京夕刊、2月20日東京夕刊
北海道新聞 平成2年1月8日全道朝刊
毎日新聞社 平成2年1月24日東京朝刊、1月29日東京夕刊、1月30日東京朝刊、平成3年2月1日東京朝刊