片隅の記録~三面記事を追ってpart4~

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家族、夫婦、恋人。

様々な関係性において、晴れの日もあれば曇りの日も、嵐の日もあるだろう。
一度は愛し合い、親密になり、家族としてやっていこう、やっていけると思えた「他人」。
元をただせば「ただの他人」でしかない人間が、ひとたび相手を信じられなくなったら。裏切りや心変わり、いや、もともと同じさや・・に入るべき人々ではなかったのか。

ネタみたいな出生問題、危険な娘婿、な事件。

この子誰の子~福岡の親子関係不存在確認~

昭和41年、福岡市内で暮らしている宮本英二さん(仮名)と清恵さん(仮名)夫婦に、男の赤ちゃんが誕生した。
英二さんも清恵さんも親戚も皆、その赤ちゃんの誕生を喜び、大切に大切に育てていた。

赤ちゃんはすくすくと成長していたが、生後2カ月の頃、ふと、清恵さんはその赤ちゃんの「外見」に違和感を抱いた。
くりくりの瞳、少しカールしたような黒髪、別にどこにでもいる赤ちゃんと思えたが、確かに言われてみれば、日本人離れしているというか、顔立ちがやけにはっきりとした印象があった。

「……なんだかやけに地黒な子だな」

親戚からも言われることがあったが、それでももともと肌の色が濃い人はいるし、と、清恵さんも英二さんも考えていた。

しかし成長していくにつれ、その違和感は見過ごせないほどのものとなっていく。英二さんと清恵さんの間に生まれたその赤ちゃんは、どこからどう見ても、二人の子には見えなくなっていたのだ。

赤ちゃんは、誰が見ても「黒人との間に生まれた子」だった。

忌まわしき記憶

当初、自分の子だと信じて疑っていなかった英二さんは病院での取り違えがあった可能性も考えたが、清恵さんが出産した産院で両親もしくはそのいずれかが黒人、という組み合わせは存在していなかった。
となると、次に考えるのは当然、妻・清恵さんの「不貞行為」だった。

相手が日本人ならばおそらく判別できなかったであろう時代。血液型がわかるのは小学校入学とか、そういった時代だったし、大人になってから血液型が実は違っていたという人も少なくなかった。

英二さんは清恵さんを問い詰めた。しかし、清恵さんには不貞の事実はなかった、が、思い当たる出来事が実はあったのだ。

昭和40年10月の初めころのこと。
仕事帰りか、用事でもあったのかは不明だが、清恵さんはその日夜8時ころ、一人で福岡市板付町(現福岡市博多区板付)を歩いていた。
板付バス停付近に差し掛かった時、ふと、誰かが近づいてきた。声を上げる暇もなかった。清恵さんは無理矢理道路わきの田んぼに引きずり込まれ、強姦されてしまったのだ。
犯人は、「黒人のアメリカ兵」だった。

殺される恐怖に駆られた清恵さんは、とにかく必死に耐え、男が去ってからも警察に被害届はおろか、夫の英二さんにも誰にも話さず、自分の胸の中に仕舞いこんだ。

時代は昭和40年。強姦された女性がそのまま殺害されるケースも少なくなかったし、性的な犯罪はなぜか被害者である女性側にも問題があるかのような言われ方を今よりもしていた時代だ。
午後8時に若い女性が一人で夜道を歩くなんて……と女性からも後ろゆびを指されかねなかったし、なにより夫である英二さんに知られたくなかった。

自分だけが我慢していれば、きっと忘れることができる。犬に咬まれたと思えばいい。

その後清恵さんは何事もなかったかのようにふるまい、日常を送った。そして、実際にその忌まわしい出来事を吹き消すような喜びとして、英二さんとの間に赤ちゃんを授かったのだ。

しかしその忌まわしき記憶は、赤ちゃん誕生と共に清恵さんに再び突き付けられることになってしまった。

絡まり合う法律

清恵さんの告白により、不貞ではなかったことがはっきりしたが、それでも世間の好奇の目は防ぎようがなかった。
時代にすべて責任を押し付けるわけではないが、この時代は人種差別の意識が日本でもあったし、アメリカ人のましてや黒人、というような、黒人に対する黄色人種の偏見みたいなものもあった。
しかも事の真相は清恵さんが被害に遭ったことにあるのに、届をしていなかったばかりにそれ自体が真実なのかどうかも分からないと意地悪く言う者もいた。

ただの日本人との不貞であれば、たとえ夫婦間ではわかっていても世間体的には何ごともなく生活できていたかもしれないが、外見上明らかに両親ともに日本人という組み合わせではない、とわかってしまうほどになっていた息子を、清恵さんは家に閉じ込めるようになる。
そしてそんな清恵さんと夫・英二さんとの間も、事態は深刻さを増すばかりだった。

昭和44年、こんな生活は誰のためにもならないとして、清恵さんは福岡の養護施設へ息子を預けた。話としては、里子前提のことだったようだ。
その後、国際社会事業団(現:社会福祉法人日本国際社会事業団(ISSJ))のあっ旋により、アメリカ軍人である黒人夫妻の養子として迎えられた。

これによって一件落着と思いきや、この養子縁組にはいくつかの問題点が残されたままになっていた。

養親となったアメリカ軍人は当時日本国内で生活していたが、昭和44年12月、アメリカへの帰還命令が下ったのだ。
当然、養子となった清恵さんの息子も同行する予定だったが、その息子は戸籍上、英二さんと清恵さんという「両親」がいることになっている。アメリカへ入国するためにはビザが必要だが、このように養子縁組をして1年以内でかつそのこどもの本当の親が戸籍に載っている場合、ビザを受けることが困難だった(昭和44年の話で現在は違う可能性あり)。

そこでアメリカ軍人夫妻は国際社会事業団の職員を清恵さんの息子の特別代理人として、息子と英二さんとの間に親子関係がないことを証明する「親子関係不存在確認」の調停を申し立てたのだ。

ところがこれにも問題があった。

親子関係不存在確認については訴えの期限はない。大人になった子供が訴えを起こすことも可能だ。
しかし、これには例外があって婚姻後200日~婚姻解消後300日の間に生まれた子については「嫡出推定」が働き(民法772条)、この場合には親子関係不存在で父子関係を争うことが許されないのだ。
その場合は、親子関係不存在確認ではなく嫡出否認というより厳しい手続きを経る必要があった。
しかも嫡出否認は推定の父親のみ、訴えが可能なのだ。このケースだと英二さんにしかそれをする権利はない。
さらに大問題として、この嫡出否認は子供の誕生を父親が知ってから1年以内に行う必要があった。すでに子供が生まれて4年が経過していることから、英二さんにも嫡出否認を訴える権利は消滅してしまっていた。

このままでは、明らかに英二さんの息子ではないことが明白であるにもかかわらず、戸籍上永久に英二さんと清恵さんの息子は父と息子という関係になってしまう。
もちろん、双方が納得していれば問題もなかろうが、今回のケースではすでに養親の元で生きていくことになっており、さらには出入国等の問題からも、何とかして解決すべきケースだった。
アメリカ軍人夫妻と清恵さんの息子の訴えとしては、外見上明らかに父子関係が存在しないことが明白である以上、また、その事実(出生に至る経緯)が社会に公開されている以上、清恵さんの息子は英二さんの嫡出子としての推定を誰からも受けていないのだから、嫡出否認ではなく親子関係不存在確認が可能である、というもの。

裁判所の判断はどうだったか。

民法772条の真意

最近でもこの婚姻や出生に関する民法について時代遅れで意味がないとするような意見はよく聞かれるし、多分そうだと思っている。
そもそも当の母親と父親が「やってない」のに婚姻中に生まれたら嫡出推定とかめんどくせぇなも事実だし、いわゆる托卵もドラマの中だけの話にとどまらない現状を見れば、DNA鑑定で一発な現代において嫡出否認が父親が子の誕生を知ってから1年以内っていうのも乱暴な話……とも言える。

しかし、民法は正直、そういうことよりも大事なことがある、という前提で成り立っている。

福岡家庭裁判所の松島茂敏家事裁判官は、この訴えを認容する審判を下した。
理由は、まさに民法は何を守ろうとしているのか、という部分をよくよく考えたものだった。

そもそもなぜ民法772条は嫡出否認をする場合の否認権者、訴えの提起期限を「厳格」に定めているのか。
それはひとえに、家庭、夫婦間の秘密などがつまびらかとなり、ひいては自分の意志決定もできない年齢の子どもの養育環境などが破壊されることを危惧し、家庭の平和を法律上保護しようとする観点で成り立っているからだ。

簡単に言うと、お父さん疑わしいと思ったらその気になったらいつだって「俺の子かどうか調べろ!違ってたら離婚な!」って出来るよ、お母さんだって「あんたの子じゃないよ」っていつでも言えるよ、DNA鑑定がすべてだよ、にしたらどうなるか。
……まぁまぁ恐ろしい事態が全国各地で起こる可能性があると私も思う。

でもDNA鑑定はゆるぎないものでは?というのももっともだが、それについては平成26年に最高裁で一つの判断が示されていて、DNA鑑定をもってしても民法第722条は揺るがない、ということになっている。
ただ例外として、この昭和44年のケースのように明らかにその生まれた子が父親の実の子どもではないと一目瞭然である場合や、懐胎したであろう時期に夫婦が距離的に接触できないレベルで離れていたとか、そういった外見上明らかな判断ができない場合は、DNA鑑定の結果よりも法律、すなわち、「家庭の平和」を守るとされている。

家庭の平和というよりも、大人の醜い争いに巻き込まれる子供やその他の家族を守るため、といった意味合いが強いように思う。(詳しくはこちら→)

清恵さんの息子の場合は、その外見から明らかに黒人を両親のいずれかに持つ子供であることは間違いなく、それをもって「推定されない嫡出子」と判断された。
そうなれば嫡出否認の訴えではなく、親子関係不存在確認で足りる、よって、英二さんだけが否認権者とはならず、アメリカ軍人夫妻と清恵さんの息子からの訴えでも良いから認容できる、というのが福岡家庭裁判所の審判だった。

もう一つ重要なこととして、このケースがすでに隠されておらず世間に知られている事実ということも大きかった。それがなければ、かえって家庭を乱すこととなるため民法第722条が立ちはだかった可能性は残る。

清恵さんはまだご存命だろうか。英二さんはともかく、清恵さんには忌まわしき記憶のままだろうか。
生まれてきた子には罪はない。彼の人生が今もこれからも素晴らしきものであることを願う。

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