彼女が死んだ理由~倉敷市・11歳女児餓死事件③~

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優先された「自己の感情」

友里恵は裁判で、ことあるごとに「屈辱」「惨めな思い」を口にし、控訴審の最終陳述では、
「私と同じような人はいると思います。役所は本当に困った人を助けてほしいです。私と同じような人間をなくしてほしいです。私のような体になるのは私だけで結構です。」
と述べている。

……

実は一審での友里恵は、生活保護を拒否されたことを一切話していなかった。しかし弁護人が替わった控訴審では一転、生活保護を拒否されたことがあたかもすべての元凶であるかのような証言をした。
結果的にこれが執行猶予を勝ち取った、と言ってもいいと思うのだが、はたしてこの事件は生活保護が受けられなかったから起きた事件なのだろうか。
倉敷市に来てから、倉敷の福祉窓口には行っていないのに。

友里恵は確かに厳しい家族環境の中で育ち、家族に頼れる状況ではなかったと思う。そこで母子寮に入寮したのも理解できる。
しかしその母子寮で「屈辱を味わった」ために幼い陽子さんを連れて出奔しているわけだが、友里恵にとっては娘に最低限の安定した生活をさせることよりも自身の「尊厳」のほうが大切だったのだろうか。

そもそも実家を出たことを見ても、養育費が振り込まれている通帳を置いて母子寮を出たことを見ても、どうやら友里恵は何よりも自分自身のプライドというか、自己の感情が最優先のようなところが見える。
もしも陽子さんのことを一番に思ったならば、陽子さんだけはと実家に頼む、母子寮で相談するなどの選択肢もあった。が、友里恵にとっては「そんなこと頼める状況ではなかった」のだ。だからなのか、父親が養育費を口座に振り込み続けていることすら、友里恵は「知らなかった」。
口座の確認すらしていなかったというわけだ。
母子寮でもその当時仕事をしていた工場でも、友里恵は周囲との軋轢があったという。それらを改善することも、優先順位を考えることもせず、友里恵は自分が嫌だと思う環境から逃げた。
違う言い方をすれば、優先順位をつけたからこその選択だったのかもしれない。

果たされていなかった親の義務

風俗店を追い出される羽目になったのも、実は壮絶な話がある。
友里恵は「惨めな思いをさせるくらいなら通わせない」という選択をし、託児所に預けることもやめて陽子さんを寮に閉じ込めていた。食事はコンビニのおにぎりやパンやお菓子で、陽子さんは栄養失調で下痢が続いたという。
それを友里恵は「放置」したのだ。寮の部屋を点検にきた従業員によれば、畳の上には糞尿がこびりつき、強烈な悪臭が充満していたという。さらに、汚れた布団の中から、痩せ細った陽子さんがのそのそと這い出してきたというから、見つけた従業員が卒倒するほど驚いたというのも無理はない。

そしてその翌日には寮の後始末をすることもなく母子寮を出たのと同じようにその場所を捨てたのだ。

岡山で当初身を寄せた会社社長宅では、陽子さんの異様な姿を社長の内妻が気にかけていた。
この当時の陽子さんは、11歳だというのに胸骨が浮き出るほど痩せており、服装もみすぼらしく、しかも下着(パンツ)を履いていなかった。
日常生活も全く身についておらず、風呂で体を洗うことも、お小遣いを渡されても買い物もできず、文字も読めない、そんな状態だったのだ。
そのため、新しい住居が決まるまで内妻が陽子さんを預かることにしたのだった。

裁判では一審でも控訴審でも、友里恵なりに愛情を注ぎ養育してきた、という点は認められているが、それ自体、普通の感覚では同意しかねる。
ただ一緒にいただけで、親としての最低限の養育義務すら、これっぽっちも果たしてきていない、私にはそう見える。海外だったら逮捕のうえに親権剥奪ものだろう。

子供を虐待したり、ネグレクトを行う親ほどなぜか子供を手元に置きたがるというのは良くある話だが、友里恵も実際そうだった。育てられていないのに、親の責務を果たしていないのに、なぜか陽子さんを手放すことはしなかった。
面談した心理学者が、友里恵が陽子さんを病院や学校に行かせなかった理由を、「母子が引き離されることを恐れたから」と分析した。
近藤氏は、友里恵が明確にそう思っていたとは限らないとし、むしろ不安定な風俗の仕事や金銭問題が原因だとしているが、この点については異論を唱えたい。
友里恵にとって、手放した最初の子供が懐かなかった、という経験があるわけで、さらに職場でも母子寮でも誰ともうまく関われずに来た人生の中で唯一、陽子さんだけが自分を肯定してくれる存在だった。だから、手放すわけにはいかなかったのではないか。

ただ、それだけだったのではないか。

母の愛

弁護側は心神喪失を主張したが、これについては控訴審でも認められなかった。
理由としては、いよいよ食べるものがなくなり、二人が衰弱し始めた時期以降、陽子さんが死亡する前日の間に複数の外部の人間との接触があったからだ。
最初は、隣人の高齢女性だった。ベランダ越しにした会話は先に述べたとおりだが、高齢女性は友里恵を突き放しただけではなかった。不憫に思い、米を5合分け与え、さらには8月に入ってからもご飯とみそ汁を提供していたのだ。

また、8月初旬には町内会費を集めにきた役員と複数回にわたって入院した男性のことなどを会話しており、男性の入院を知った団地の管理者が96日に訪問した際にも、さらには陽子さんが死亡する前日に敬老の品を届けに来た民生委員とも会話が成立していることなどから、事理を弁識する能力を失っていたとする弁護側の主張は退けられた。

しかしながら控訴審では、種々の悪条件が重なったが故の消極的遺棄致死、とされ、友里恵自身のそれまでの経験や生い立ちなどから社会的資源を利用しづらい状況が生まれていたと認定され、結果として執行猶予となった。

また、友里恵自身も死を覚悟し、食べるものも食べていなかったものの、もともと極度に痩せて栄養状態が悪かった陽子さんが、「太っていた」友里恵よりも先に衰弱した、として、陽子さんの死の責任をすべて友里恵に負わせるのは酷である、ともしている。

事件としてみれば、確かに6月下旬から9月上旬にかけての、3か月の出来事である。この間、金もなく食べるものもなく、陽子さんは餓死に至った。

しかし、全体を見た時、陽子さんはこの事件のずっとずっと前からネグレクトの状態だったのではないのか。
胸骨が浮き出るほどに痩せ衰え、栄養失調で下痢続きだった陽子さんとは対照的に、太っていた母親。年齢や代謝の問題もあろうが、それにしてもである。
実際に食べ物がなくなったのは8月中旬以降の話であり、しかもそれまでに米などの提供もわずかではあるが受けていた。
もしも陽子さんがせめて年齢相応の成長をしていたとしたら、衰弱はしても餓死に至っただろうか。もっといえば、近隣に陽子さん自身が救いを求めることも可能だったのではないのか。11歳である。

友里恵は、そもそもまともな育児を11年にわたってできていなかった。それは凄惨なネグレクトと呼んでもおかしくない状況であったのだ。そして、陽子さんの健やかな成長と未来よりも、自身の感情(屈辱感や疎外感、他人から指図されることのわずらわしさから逃れること)を優先させた。それが結果として、陽子さんを死なせたのだ。
これが執行猶予となり、かつ、まるで行政や他人の無関心が要因であるかのようなそんなストーリーになってしまうことには強い違和感を抱かずにいられない。
彼女が辿った自己破滅は、決して福祉行政、社会や経済的な問題だけではないのではないかと思えてならない。

友里恵が逮捕された日、実はもう一人の母親が、同じ岡山県内において保護責任者遺棄で逮捕されていた。
夫と死別し名古屋市内で子供と3人で暮らしていた母親は、生活に困窮し、知り合いを頼って中学生の長男と下の子供を連れ、岡山まで来た。
しかし知人に会えなかったことで万策尽きたと感じた母親は、JRの駅で長男に「ここで待っていなさい」と告げ、下の子だけを連れて立ち去った。
長男は母親を探し、線路伝いに6キロ歩いたところで力尽き、うずくまっているところを通行人の男性に声をかけられる。飲まず食わずだった長男は、その男性に食事をさせてもらい、何とか保護につながったのだった。
のちに母親はすぐに逮捕されたが、結果として起訴猶予となった。長男だけなら、誰かが救ってくれるのではないかと考えた上での行動だったことなどや、すぐ保護されたことを考慮したと検察は説明した。

自己のために手放すことを拒み続けた母親と、やり方は良くないとしても命をつなぐために手放した母親。

いずれも、母の愛のカタチの結末である。

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参考文献
資料/生活の「多問題・困難ケース」(1)直近の生活保護関連訴訟から 凄惨な事例・二件山科区保護廃止衰弱死事件,倉敷の女児餓死事件
賃金と社会保障   2004.3.下旬 p.2438

K市の子ども餓死事件はなぜ起こったのか輻輳し個人化するリスクと法廷で構成されるリアリティ/ 近藤 理恵 著
立命館産業社会論集 41   2005.6 p.171180

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「彼女が死んだ理由~倉敷市・11歳女児餓死事件③~」への8件のフィードバック

  1. > 養育費が振り込まれている通帳を置いて母子寮を出たことを見ても、どうやら友里恵は何よりも自分自身のプライドというか、自己の感情が最優先のような

    通帳を置いていくなんて…
    過度な「猪突猛進型」? 何日か、何ヶ月かしてからじわじわと後悔したのでは、なんて思ってしまいます。。。
    その、毎月振り込んでいたらしい男性にも、何か不満をくすぶらせていて、それで母子寮の関係者に屈辱を受けて(と、一方的に思い込んだ)今すぐ出て行ってやると思ったときに、その男性への長年の一方的な不満もこみあげてきて、それでそんな男の世話になんかなるまい、とか思ったのでしょうか…

    1. oko さま
      おっしゃる通り、おそらく男性に対する抵抗というか、世話になんかなるか!という気持ちもあったのかもしれないと感じました。
      しかし一方で、風俗店を出たあとは男に頼りきって生きている…よくわからないですよね

      倉敷の団地でも、「誰か男の人おらんかね」と隣人に言うなど、明らかに男性=金、そんなふうに思っているふしが見えます。

      裁判では母子の間には愛情があった、とされましたが、実は近隣の人の中には、夜中に母親が娘に怒鳴り散らす、そんな声を聞いてる人もいました。
      全ては母親の供述でしかなく、本当のところは分からないというのもまた…

  2. 続けてのメール失礼します。
    本当に次から次へと虐待死の子たちが報道されて、どうしてこんな世の中になったのでしょうか。実際に、過去に亡くなった多くの子たちの名前を忘れてしまいつつあります。この世に生まれて何年間か一生懸命生きた子どもたちのことを、事件の事も含めて誰かの記憶の片隅に留めてあげたいですね。その意味でもこのサイトはとても意義深いものであると私は思います。ともすれば目や耳を覆いたくなりような凄惨な事件を、いつも冷静な視点と分析力でまとめられていて勉強になります。

    1. チューリップさま

      共感いただき、感謝します。
      難しいことですが、いつか過去に起こった虐待事件で亡くなった子供たちの一覧というか、わかる範囲で墓碑銘を作成できたらいいな、と思っています。
      みんな名前があって、短かったけれども人生があった。それを覚えていたいなぁと…

      今後ともよろしくお願いします。

  3. こんにちは。久々のコメント失礼します
    小さい子供が犠牲になる、という事件は本当につらいです、読んでいても胸が苦しくなりますね(私は決して心優しい人間というわけではないのですが…)
    いつもながら管理人様の切り口と言いましょうか、最後に別のもう一つの出来事と対比させる手法は実にわかりやすいですし、今回の事案の問題点を暗に浮き彫りにしているようで、我が子にとってはどちらの母親の行動が本当に良きことなのかを、いろいろと考えさせられました。人の子の母として、自分ならどうすべきだったのだろう…と。
    そして次の案件もどうやら小さい子が虐待(?)、暴行されて亡くなるという悲しい事件のようで、しかも母親が自ら墓穴を掘るなんて!!あまりにむごい話なので、実は①の最初の数行読みまして躊躇してしまった次第です。いい加減な気持ちではなく、家事・雑事を片付けて夜の静かな時間にゆっくり心して読み解きたく思っています。

    1. チューリップ さま
      いつもコメントありがとうございます。
      このところ、子供が犠牲になる事件ばかりを取り扱っていて、読んでくださる方の中にはしんどいと思われる方も実際いるようで申し訳ないです。
      最新記事は、正直私も書いていて涙が出そうになってしまったほど、ひどいです。
      ただ最近も、北海道の虐待死や、ひたちなか市の生後1か月の赤ちゃんを殺した父親の事件などを見るにつけ、過去に亡くなった子供たちを忘れないでほしいという思いもあり、ちょっと続いてしまいました。

      倉敷の事件は虐待事件というよりは、行政の問題がクローズアップされましたが、記事にも書いた通り壮大なネグレクトだと思うのです。
      親にそんなつもりがなくても、子供を見れば一目瞭然、11歳で体も洗えないなど普通ではない…
      たくさんの事件に埋もれた考えさせられる事件を今後も取り扱っていこうと思います、無理せず、読めるものだけ読んでくださいね。
      子供の事件は本当にきついですから…
      いつもありがとうございます。

  4. 更新ありがとうございます。

    最後まで拝読して、これは凄惨なネグレクト死事件じゃないかと思いました。
    陽子さんの尊厳が全然守られていなくて、その上に餓死…
    母親の境遇にも同情すべき点はあるかもしれませんが、プライドだけ高くて、何もかも被害的に受け止める女…控訴審での最終陳述も格好つけている感じで白々しい…とかなり反感を持ちながら読んでしまいました。これで、執行猶予なんて甘すぎる。
    (個人的には長男を放置した母親の方が同情できます。)

    こちらのサイトでは、この事件も含めて、知らない事件を取り上げてくださることが多く、勉強になります。
    今後も更新楽しみにしております。

    乱文失礼いたしました。

    1. ハル さま
      いつもコメントありがとうございます。
      貧困故に家族が衰え、餓死してしまうという事件は池袋母子、札幌姉妹などなど痛ましいケースが多い中で、これはちょっと違うのではないか、にも関わらず執行猶予付きまでついていて、私なりに調べてみました。
      おっしゃる通り、母親の生い立ちは心が痛いですし、実家を出たあとの生活も決して楽ではなかった。
      でも、私も母親ですが、どんなに辛く理不尽なことでも、子供だけは救わなければという思いは常にありました。
      記事には書いていませんが、母親は隣人の女性に働いていないことを暗に咎められた際、
      「どこかに五千円でもいいからくれる男の人おらんかねぇ」
      と言ってるんですね。
      男の人、なんです。切羽詰まっていたはずなんですが、自分に金をくれるのは男の人、そう思っていたのか、もしくは男なら金を出させる自信があったのか。
      壮大な11年かけたネグレクトであり、他のネグレクトと比べても悪質なようにさえ思います…

      今後も埋もれた事件を発掘していこうと思いますので、よろしくお願いします。

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