片隅の記録~三面記事を追って~part7

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伊東市の女性殺害死体遺棄事件

昭和63年11月7日、静岡県伊東市にある自動車サービス会社では外国製の車両にリコールが出たことで管轄内にある該当車両について点検を行っていた。

その日は同市内の新興住宅地にある民家を訪ねていたが、車はガレージにあるのに車のキーが見当たらなかった。
実はこの民家では、数日前から21歳になる次女が行方不明になっており、その日点検予定だった車の所有者も、その次女だった。
そのため、車のカギも次女が持って出ている可能性があり、車両サービス会社の社員は同市内の鍵業者に連絡した。

鍵業者が開錠したところ、車内が少々臭った。なんだろう?

社員らが車の中を探ったところ、トランクルームから女性の遺体が出た。

行方不明になっていた、この家の次女だった。

握られた「おまもり」

遺体で発見されたのは、伊東市のスーパー勤務・野上恵美さん(当時21歳)。
恵美さんは24日、いつも通りに勤務を終えて帰宅。日付が変わった25日の午前零時半頃に茶の間でうたたねをしているのを母親が確認し、布団をかけていた。
ところが翌朝から恵美さんの姿がなく、勤め先のスーパーからも欠勤していることについての連絡があった。
同居している25歳の姉も妹の姿を見ておらず、友人や職場の関係者が心当たりを探すも全く発見に至らなかったことから28日になって家族が捜索願を出していた。

恵美さんは背中を丸めたような姿勢で押し込められており、その両足にはガムテープが巻かれてあった。
口と鼻もガムテープが貼られており、さらにその上から黒いごみ袋が被せられ、それもガムテープで巻かれていたという。
服装は、恵美さんが部屋着として着用しているスウェットだった。

遺体の状況だけを見れば、なんとも恐ろしい印象を受けたが、そもそも車は自宅ガレージ内にあったわけで、外部の人間が何らかの方法で恵美さんを呼び出し殺害したとするにはかなり無理があった。

加えて、警察は早い段階から恵美さんを殺害したのは親しい人間、いや、恵美さんに対して殺害するほどの憎しみと同時に、愛情も持ち合わせている人物ではないか、と考えていた。

理由は、発見された恵美さんの手の中に、あるものが握らされていたことにあった。

それは、「おまもり」だった。

静岡県警捜査一課と伊東署の合同捜査本部は、11月9日、恵美さんの姉を殺人と死体遺棄容疑で逮捕した。

姉妹

逮捕されたのは恵美さんの姉でクリーニング店店員の野上宏枝(仮名/当時25歳)。
10月24日の夜、自宅の恵美さんの部屋で恵美さんと口論になり、カッとなって婦人用のベルトで恵美さんの首を絞めてしまった、と供述した。

2人の間に何があったのか。

ふたりについては、当初からあまり仲の良い姉妹ではないと周囲に見られていたことや、真面目そうな恵美さんと比べて、宏枝は交友関係や服装なども派手な印象があったとする話があった。
また、事情聴取を行っていた際の宏枝や家族の話から、恵美さんとの間で男性を巡るトラブルがあった、とも報じられていたが、実際は少々違っていた。

宏枝は小田原市内の私立高校を出た後、実家でいわゆる家事手伝い的なことをしていた。野上家はもともとその地域で多くの土地を所有する資産家だったといい、父親が農業の傍ら始めたクリーニングの取次店の仕事を宏枝が担うようになっていたという。
実家での恵まれた生活に思えたが、宏枝は先にも述べた通り交友関係も広く、自由になる金に不足していた。

そんな宏枝は、いつからか恵美さんからお金を借りるようになっていた。

そして、10月25日がその借金の返済日だったのだという。額面にして、16万円。

必死で働いていたならまだしも、実家の手伝いしかしていない宏枝がそんな金を用立てることが出来るはずもない。宏枝も、妹相手ということもあり、返済を猶予してもらおうと軽く考えていたのかもしれない。

しかし恵美さんは厳しかったという。

当時、宏枝には交際相手がいた。宏枝が何に金を使っていたのかはわからないが、もしかすると男性との交際にも金がかかっていたのかもしれない。
借金返済の猶予を申し出た姉に対し、恵美さんは日ごろの生活態度などについて意見を述べた、というと聞こえはいいが、宏枝にしてみればそれは罵倒されたに等しかったという。

そして、借金の返済ができないのならばそれらを交際相手の男性に告げる、と言われた。

直接的な動機としては、この交際相手に借金や自堕落な生活態度をばらすといわれたことにあると宏枝は後に話している。
交際相手を失いたくなかった宏枝は、とっさにベルトで恵美さんの首を絞めた。その後、ひとりで自宅のガレージまで恵美さんを運ぶと、車のトランクに押し込めた。

そのあとのことは、考えていなかった。

懲役8年

検察は実の妹を殺害するという悪質かつ、地域に与えた影響も大きいとして懲役10年を求刑。
静岡地裁沼津支部は、宏枝に対し懲役8年を言い渡した。

たしかに、犯行は計画されたものではなく偶発的なものだった。が、宏枝は相当に自堕落な生活を送っていたことに加え、その恵美さんに対する借金についても悪質だった。

宏枝は恵美さんから直接現金で金を借りていたのではなかった。というか、無断だったという。
なんと恵美さんの定期預金の証書を担保にして金をよそから借り入れていたのだ。おそらく、恵美さんに成りすまして。

それを恵美さんがどうやって知ったのかは定かではないが、いくら姉妹とはいえやっていいことと悪いことがある。
あの銚子の県営団地の事件の母親も、悲劇の母親と世間では思われているが家族名義の土地を担保に金を借りていた。
しかも恵美さんはそれを両親らに話すことなく、姉の改心に賭けていた節もある。
普通で考えれば、親に話して姉を叱ってもらうとか、いくらでもやりようがあった。それを恵美さんがしなかったのはやはり、両親から姉が叱られるようなことにはしたくないという思いがあったのではないか。
交際相手の男性に話す、と言ったのもおそらく、本気ではなかったように思う。ただ、姉に改心してほしかったがための、強い言葉だったのではないか。

一方で、報道などを見ても両親の対応などは全く出てこない。姉が妹を殺害するという、最悪な事件ではあるが、若い姉妹ということもあり、親の話が出てもおかしくないのだが、当初より警察は「公表しない」としていた。

勝手な想像だが、もしかするとしっかり者の恵美さんより、宏枝のほうが両親のお気に入りだったのかもしれない、と思った。

恵美さんの手に握らせたおまもりは、その後の家族、宏枝の人生をどう見たろうか。

東大阪の隣人トラブル殺人

老人は怒り狂っていた。

住宅街に響く、なにかを打ち付けるような、破壊するような大きな音。
その音を聞きつけて飛び出してきた男性は、あわてて老人に駆け寄った。

老人は、駐車してあった男性所有の軽トラを金づちでボコボコに叩きまくっていたのだ。
「なにもここまでせんでもええやないか」
男性が老人をなだめようとするうちにふたりは口論となった。

不意に、老人は自宅に引っ込んだ。気が済んだのだろうか。
男性も自宅へ戻ろうとしたが、老人が再び家から出てきた。

その手には、日本刀が握られていた。

違法駐車

平成5年1月20日、東大阪市中小阪の路上で男性が血を流して倒れていると110番通報があった。
救急隊が駆け付け救急搬送されたものの、男性は出血多量で間もなく死亡が確認された。

死亡したのは現場近くに住む豊田英植さん(当時34歳)。
腹部を刃物で刺されたことによる失血死だった。
警察には事件の様子が知らされていたが、豊田さんを刺したとみられる人物は凶器を持って自宅に立てこもっているという状況だった。
犯人と思われるのは、豊田さん宅の隣に暮らしている高齢の男だった。
警察の説得で男はその後投降。自宅からは凶器とみられる日本刀も押収された。

2人の間に何があったのか。

当初の新聞、テレビなどの報道によると、二人の間で隣人トラブルがあった、というものばかりだった。
その内容は、被害者の豊田さんの車の停め方にあった、というもので、それを受けてワイドショーなどでは司会者やタレントなどが被害者の豊田さんに非があった、という前提のコメントを繰り広げていた。

事件当日、たしかに警察が駆け付けた際、豊田さん所有の車が加害者の自宅前にドーンと駐車してあったという。
現場は昔ながらの住宅街で、道路の幅は約3mと、離合するのはかなり厳しい道だった。にもかかわらず、当時は通勤時の抜け道として利用する車もおり、交通量も結構あった。
その道沿いに、豊田さんと加害者の家は並んで建てられていた。
報道では現場の状況などから事件当日も豊田さんが加害男性の自宅前をふさぐ形で車を停めていた、というものが多く、日々違法駐車や迷惑駐車に悩まされる人々や、正義感の強い人々の間では豊田さんにも非があるといった捉え方をされていた。

しかし事実は異なっていた。

動かされていた車

2月になって、大阪府警布施署は異例の発表を行った。
それは、この事件の原因と言われている豊田さんによる迷惑駐車、違法駐車はなかった、とするものだった。

実際にはこうだった。

あの日の朝、豊田さんは自宅の敷地内のガレージに車を停めていた。ところが、以前車の向きの関係で、排気ガスが隣の加害男性宅の壁を汚したことがあったという。
そのため、豊田さんは汚さないように車の向きを入れ替えて駐車したのだが、なにせ狭い場所であるため、車の前方が若干、加害男性宅の敷地にはみ出してしまったのだという。
それを、加害男性は嫌がらせだと受け止めた。

インターフォン越しに「車潰したる!」とわめいた加害男性は、金づちを手に豊田さんの車をボコボコに叩いた。
驚いた豊田さんはいったん車を近所の神社へ移動させたという。再び車で自宅前まで戻り、加害男性と話すために車を「自宅の前」に停めた。
その後、口論となって豊田さんは刺殺されてしまった。
ところが、なぜか警察が到着した際には、豊田さんの車が加害男性宅の自宅前に停められていたのだという。

なぜか。

朝の通勤時間帯、事件を知らずに通りがかった人が、豊田さんの自宅前に停めてあった豊田さんの車を「邪魔だ」として勝手に動かしていたのだ。
それがたまたま、となりの加害男性の自宅の前だったのだ。それが間違った形で報道され、それを受けた人々がトラブルの原因は被害者の豊田さんにある、と決めつけたのだった。

遺族は早い段階からそのような事実無根の報道に胸を痛めていた。
しかも、ワイドショーなどでのあたかも豊田さんに非があるかのような放送を見た人から、
「殺されて当たり前。」
などと言った誹謗中傷の手紙まで届いたという。

ただ、それほどまでに交通マナーやルールを守らない人たちが多く、迷惑をこうむっている人もかなり多く居るというのも事実だった。
正義という垂れ幕を掲げ、誰かを悪者にすることで憂さを晴らす人もまた、少なくなかった。

加害者の男は平成5年9月22日、大阪地裁で懲役8年を言い渡された。
この時点で男は全財産を豊田さんの遺族に引き渡すなど反省の様子が見られたというが、そんなものをもらっても豊田さんの遺族の気持ちが晴れるはずもなかった。

新宿ララバイ

捜査員の一人は、その被害者の傷を見て戦慄を覚えたという。
傷は左上腕外側から差し込まれ、腕を貫通してそのまま左肺に達する、深さ約20センチのものだった。

「犯人の被害者に対する憎しみがそのまま傷に出ている」

被害者はそれ以外にも上半身を中心に全身10数か所の刺し傷を負っていた。

ソープ嬢の遺体

事件が発覚したのは昭和63年4月10日の午前3時ころ。
同僚の女性と連絡がつかないとして、女性二人がその同僚の暮らすマンションを訪れていた。
外から声をかけても反応がない、が、玄関のドアの鍵は開いていた。

恐る恐る部屋の中へ入った二人が見たのは、血まみれで絶命した同僚女性の姿だった。

死亡していたのは吉原でソープ嬢として働いていた飯岡美和子さん(当時26歳)。
美和子さんは4月7日ころに勤め先のソープランドに対し、「家のことでゴタゴタガあったので休ませてほしい」と連絡したのを最後に、連絡が取れなくなっていた。

死因は失血死。体中に刃物によると思われる刺し傷があり、倒れていた六畳間以外にも血痕が残されていた。

警察は殺人事件として捜査。室内で争った形跡がないことや、美和子さんの着衣にも乱れがないことから主に交友関係などを中心に捜査を行っていたが、4月11日になって、一人の男が綾瀬署に人を殺したとして自首してきた。
男は美和子さんの勤めるソープランドの客だという。
「血痕の申し込みを断られたので殺した」
男はそう言ってうなだれた。

タクシー運転手の恋

殺人容疑で逮捕されたのは、足立区のタクシー運転手・松岡忠雄(仮名/当時40歳)。

松岡はタクシーの客として美和子さんを乗せたことをきっかけにその後美和子さんの客となったという。
美和子さんに結婚を申し込んだものの、強い言葉で拒絶されたことが殺害の動機だった。

松岡と美和子さんが出会ったのは昭和61年の秋。松岡はそれまでも午前零時を回ったころに吉原のソープ街で仕事を終えたソープ嬢を客として乗せていた。
いろんな女性たちがいたが、ある時美和子さんが松岡のタクシーに乗り込み、いろいろと話をしたという。

不特定多数の客を相手にするタクシー運転手という仕事と、同じく不特定多数の客を相手にするソープランドの仕事には、共通の苦労話もあった。
「楽に見えてこの仕事も大変なのよ」
そう言って、美和子さんは松岡に仕事の苦労話をしたという。
若くて美しい美和子さんは店でも評判だったが、そんな女性でも悩みが尽きないものだなぁと、松岡も共感と同情の気持ちで話を聞いた。

以降、松岡は美和子さんの客になる。

当時、美和子さんの店の料金は30,000円。月収が20数万円だったという松岡は、周にⅠ~2度のペースで美和子さんを指名した。
当然、資金は尽きる。松岡は美和子さんに会うために借金をし、通い詰めたという。

そんな松岡は客としては上客と判断されていたのか、いつからか美和子さんと店外でも会うようになっていた。
自宅に招かれることもあったといい、松岡の中でも、自分はほかの客とは違うという思いが生まれていく。
さらに、美和子さんから「もうソープの仕事は辞めて、結婚したいな」という言葉も聞かれるようになったことで、松岡は美和子さんに結婚を申し込んだ。

2人が出会って、1年が過ぎていた。

罵倒

松岡のプロポーズに対し、美和子さんもその場で無碍に断ったわけではなかった。が、結果からするとそれがよくなかった。
松岡にしてみればその場で断られたわけではなかったために、ある種の期待をしてしまったようなのだ。

一方、美和子さんの心はどうだったか。
多くの風俗、水商売で囁かれる甘言はその9割9分が「その場限りの戯言」であるといっていい。
本気にする方がまずどうかしている。

しかし男女問わず、相手の立場を忘れ、なぜか「自分だけは特別」だと思い込む人が少なからずいる。
美和子さんが結婚したいな、と言ったのも、ただのリップサービスに過ぎなかった。
自宅へ招いたのはそもそも松岡がタクシー運転手としてそれまでに美和子さんを送っていたことで自宅を知っていたわけで、無碍に切り捨てるよりはある程度特別扱いをしてでも繋いでおいて損はない、と美和子さんなりに考えてのことに思える。
松岡は週に1〜2回通ってくるあるお得意さんであるし、むしろ無碍にしてしまうと自宅を知られている以上、そっちの方が怖いと考えた可能性もある。

しかし、プロポーズがなされた時点で、潮時だった。

美和子さんは店の同僚らにも「しつこいのがいて困っている」とこぼすようになり、店以外で松岡と会うことはやめていた。
勘のいい人間ならば察する。しかし松岡は鈍かった。
プロポーズをして3ヶ月、そろそろ美和子さんの答えを聞いても良い頃だと思った松岡は、4月5日、美和子さんの自宅を訪れた。
しかしそこで美和子さんからは、「もう来ないでほしい」と、別れを切り出された。

松岡はいったんはおとなしく引き下がったというが、諦めきれなかったのか7日の未明、自宅マンション前で美和子さんの帰りを待ち伏せた。
どうしても、思い直して欲しかった。
2時間ほど待っていると、美和子さんが帰宅した。しかし美和子さんは不愉快な態度を隠そうともせず、こう言い放った。

「テメェなんか、2度とくるな!!」

そして呆然とする松岡をのこし、マンションの中へと消えていったのだ。

松岡はいったん自宅へ戻ると、再び美和子さんのマンションへと向かった。
松岡がまたやってきたことでうんざりした美和子さんだったが、おもわずドアを開けてしまった。

そこには、文化包丁を手にした哀れな男の姿があった。

愛が殺意に変わるとき

松岡には懲役10年が言い渡された。
美和子さんが松岡のプロポーズに対し、その気がないのに「もう少し待って」と言っていたことなどから、美和子さんにも松岡の心を翻弄するような言動があったと見られたのだろう。自首したことも情状酌量になったかもしれない。

美和子さんはそのマンションに越してきた際は、交際していたホストと一緒だったという。
ただ割と早い段階でそのホストとは別れたようで、以降は一人で暮らしていた。
月収はなんと150万円を下らなかったといい、かなりの売れっ子だった。将来の夢は、タレントになることだったという。

一方の松岡も、タクシー運転手歴18年。特に問題もなく、新宿を中心に東京の街を毎日タクシーで走り回っていた。
同じく独身で、煌びやかな都会の夜の街を走りながら、夜の商売や風俗の女性たちと接するのも初めてではなかったはず。松岡とて、そのあたりはわかっていたはずだった。

「振り回されているとわかっていた、でも、信じたかった」

いくつも浮いては消える、都会の片隅の恋物語は、最悪の結末を迎えた。

国分寺の殺人と10年後

平成5年7月30日深夜11時過ぎ。
東京都国分寺市のヘアサロンで、その店のオーナー夫人である女性が首から血を流して死亡しているのが発見された。
死亡していたのは、吉越きよ子さん(当時62歳)。きよ子さんは首のほか、胸など10数か所の刃物による刺し傷があった。

小金井署は事件当夜、きよ子さん方を訪れていた埼玉県内在住の無職の女が何らかの事情を知っているとして女の自宅へ向かった。
朝方帰宅した女に任意で事情を聞いたところ、きよ子さん方へ行ったこと、その後、きよ子さんと口論になったため殺した」と殺害を認めたため、殺人の疑いで逮捕した。

逮捕されたのは川口市の無職、高岡都美子(仮名/当時26歳)。
警察が調べを進めたところ、この事件の異様な背景が浮かび上がってきた。

執着する女

都美子はきよ子さんの長男(当時31歳)と過去に交際していた期間があったという。ただその期間はわずか4か月、しかも3年も前の話だった。
長男は都美子との交際を止めた後、1年半後には別の女性と結婚しており、すでに都美子との関係は清算されていた。

ところが都美子は、きよ子さんの長男が結婚したことを知ってからも、連日のように復縁を求める電話を掛けるなどしており、長男の生活を心配したきよ子さんが間に入ることもあったという。

あの日も、長男との面会を求めてきよ子さんのヘアサロンに都美子が押しかけていた。復縁に応じてくれない長男に対し、危害を加えるつもりで果物ナイフも忍ばせていた。
この時点で長男はきよ子さんとは同居していなかったようで、母親を心配した長男がいったんは都美子の対応をしたようだが、それでもらちが明かなかったためか、別で用事があったのか、長男は午後8時過ぎにはヘアサロンを出た。

その後、ヘアサロンに残ったきよ子さんと都美子の間でどのような会話があったかは定かではないが、取り調べでの登美子の供述によれば、きよ子さんに長男の現住所を聞いたところ、冷たくあしらわれたという。
それに激高した都美子は、隠し持っていた果物ナイフできよ子さんの首や胸などをメッタ刺しにして殺害したのだった。

東京地検八王子支部は精神鑑定を実施、その後、責任能力有と判断して東京地裁八王子支部に起訴した。

東京地裁八王子支部は都美子に対して懲役10年の判決を言い渡し確定。
都美子はおとなしく服役したが、事件は終わっていなかった。

十年愛?

平成15年12月、警視庁小金井署は、国分寺市在住の男性に対し、1か月ちょっとの間に合計で181回の無言電話を掛けたとして川口市の無職の女を偽計業務妨害の疑いで逮捕した。

被害に遭った男性は、あのヘアサロンで殺害されたきよ子さんの長男。

そして、無言電話をかけまくった女は、都美子だった。

事件から十年。都美子はその年の8月に仮出所となっていた。その後はおそらく実家でパートなどをしていたようだが、男性への想いを葬り去ることは出来なかった。

無言電話がかかってき始めたとき、男性は一瞬でも都美子のことを思い浮かべただろうか。
この、特定の相手に執着するのは愛情というのとはどうも違う気がしてならない。
刑務所から出た都美子は、何を思って男性に電話をしたのか。
そのあたりの詳細が分からないのが非常に残念だが、都美子は男性に何を言いたかったのか。
そもそもきよ子さんを殺害した時も、ターゲットは男性だった。男性への想いは愛情ではなく、もはや狂気に変わっていたのか。

その後、都美子がどうなったのかはわからない。

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参考文献

毎日新聞社 昭和63年4月11日、12日、11月9日東京朝刊、平成5年1月20日大阪夕刊、7月31日東京夕刊
朝日新聞社 昭和63年11月9日東京朝刊、平成5年1月20日東京夕刊、2月23日大阪夕刊、9月23日大阪地方版/大阪、11月19日東京地方版/東京
中日新聞社 平成5年2月10日朝刊
読売新聞社 昭和63年4月20日東京夕刊(原沢 敦、勝股 秀通記者)、8月26日東京夕刊、平成15年12月20日東京朝刊
静岡新聞社 昭和63年11月8日、9日朝刊、9日夕刊、平成元年3月10日夕刊
NHKニュース 平成5年7月31日
産経新聞社 平成15年12月20日東京朝刊