闘う人~北海道・祖父母による孫連れ去り事件~

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子は、親と共に生活することこそが何よりも幸せである。
基本的にはそうだろうし、そうであるべきと思うが、世の中には両親の離婚再婚などで両親のいずれかと血のつながりがないというケースもある。

あなたの娘、息子に幼い子供(あなたから見れば孫)がいて、その生活が不安定だったら。
そして人生の重大な選択を、よく考えもせずに子を道連れに突き進もうとしていたら。

「好きなように生きればいい。自己責任だ」

そう言えるだろうか。幼い、まだ一人では何もできない子供がそこにいたとしても。

ある両親と娘、そして孫の身に起きた、考えさせられるとある刑事事件の顛末。

異例の控訴審

「子どもを返すべきです。それが、解決のただ一つの道です。」

平成17年1月。札幌高等裁判所の法廷に、裁判長の言葉が響いていた。被告人席にいるのは、中年の男女二人。
関東地方に暮らしているこの男女は、昨年ある刑事事件で起訴され、すでに一審判決で有罪判決を受けていた。
二人の罪は、「未成年者誘拐」。地裁での判決は、懲役10月。執行猶予はついていなかった。

とにかく異例尽くしの事件、裁判だった。
冒頭の通り、控訴審では裁判長が判決を言い渡す前に二人に対し「説得」に出た。その言葉からも分かる通り、この時点で被害者であるはずの人物はこの2人と共に生活をしていた。
そして、そもそもこの裁判のきっかけとなった刑事告訴を行ったのは、この二人の実の娘であり、未成年者誘拐の被害者とされていたのは、二人の「孫娘」だった。

何がどうなってこんなことになってしまったのか。

「返さないというなら、判決は厳しいものになります」
札幌高裁は、暗に孫娘を母親のもとに帰すと約束するなら執行猶予を付ける、という意味にもとれる説得まで試みたものの、二人は懲役覚悟だとしてその30分以上に及んだ説得にも頑として応じなかった。

札幌高裁はこれまでに実に4度、判決を延期していた。それは、裁判所としてもこの事件をできれば懲役などに行かせるようなことにしたくないという思いもあったようで、新たな証拠が提出されるたびに、「それを見極めてから」と判決を延期していた。

しかし結局、ふたりが孫娘を母親のもとに帰すことに同意しなかったことで、札幌高裁の長島孝太郎裁判長は、
「実刑に処することで解決できる事案ではないが、かといって執行猶予にはできない」
として控訴を棄却した。

この判決に先だって、母親は両親を相手取って人身保護請求を申し立てており、そちらは最高裁で母親への引き渡しを命じる判決が確定していた。が、二人がそれに応じなかったことで、母親は刑事告訴に踏み切ったのだ。

その背景はどのようなものだったのか。

両親と娘

話は平成13年11月に遡る。
栃木県内で土木建設業を営む佐々木敬三(仮名/当時59歳)と妻・誠子(仮名/当時56歳)は、同居していた次女の祐実(仮名/年齢不明)のことで頭を悩ませていた。
祐実は離婚して実家に戻っており、別れた夫との間には男の子と女の子2人の子供を授かっていた。
孫娘は3歳。まだ1歳の弟もかわいい盛りだった。

ところがその次女に交際相手がいることが判明した。相手の男性とはすでに再婚を前提での交際をしているという。

どこの親でも、幼い子供を連れての再婚には慎重になるべき、と思うのは当たり前のことだが、敬三と誠子夫婦はその通常の親心以上に、祐実の行動には強く反対していた。

しかし当の祐実の決意もまた、親に反対されたくらいで諦めるようなそんなヤワなものではなかった。

祐実は両親の反対を振り切り、交際相手の男性のもとへ子供たちを連れて出て行ってしまった。
祐実と交際相手は栃木を離れ、遠く北海道内に新居を構え、再婚を前提とする生活を始めるに至ったが、敬三と誠子も諦めてはいなかった。
すぐに北海道の住まいを突き止めると、なんと祐実と男性がその新居に入居した翌日に乗り込んでいったという。

当然、両親と娘の間で激しい口論が繰り広げられた。だけでなく、途中からは交際相手の男性も参加し、かなり感情的なやりとりが交わされたという。

そして、敬三はその男性をぶん殴ってしまった。

大人たちの争いを見ていた3歳の娘は、それを見て驚き、かわいそうに泣き始めてしまった。とりあえず誠子が孫娘を落ち着かせるために外に連れ出したが、そこで敬三と誠子はひらめいてしまった。
祐実は北海道に来てまだわずかしか経っていないのだし、このまま長女を栃木に連れて帰れば、とりあえずそれを追って栃木に戻らざるを得ないのではないか。
幼い長男は連れてくるだろうし、栃木に戻ってきさえすればまだ説得の余地がある……

そして、ふたりは祐実の許可を得ないまま、孫娘を栃木へと連れ帰ってしまった。

ハズレまくる双方の思惑

ところが敬三らの思惑はハズレた。
祐実は追いかけてこなかったのだ。もちろん、追いかけてはこなかったが、両親に対して再三にわたって娘を返すよう要求していた。
両親からしてみれば、娘の性格などから、早々に白旗を挙げると踏んでいたようだが、祐実は栃木に帰ってこようとはしなかった。

一方で祐実も、どこか両親を甘く見ていたようだ。
勝手な推測ではあるが、おそらく祐実は両親に愛され、時に甘やかされて育ってきたのではないかと思われる。
土木建設業の会社を経営している佐伯家は、経済的には余裕があったろうし、離婚して実家に戻った祐実とその子供たちの生活の面倒も、両親は喜んで見ていたと思われる。

そんな甘い両親だから、いずれは折れるはず。
そう思っていたかどうかは別として、親子でありながら直接の話し合いの機会もないまま、時間だけが経過していた。
平成14年、祐実は両親に対してある申し立てを行った。人身保護請求である。
これは事件備忘録でも過去に(偶然同じ北海道だが)人身保護請求による夫婦間の争いをまとめているが、いわゆる拘束の状態が違法であるかが重要なものである。
同年7月、最高裁は祐実の申立を認め、引き渡しを命じた。

祐実はおそらく安堵した。最高裁の命令にはいくら何でも従うだろう。

ところが、命令とはいえそこに絶対的な強制力はなく、敬三と誠子は祐実に孫娘を引き渡さなかった。
結果として3年10か月にわたり、孫娘は栃木で祖父母である敬三と誠子と生活を続けることとなった。

そして祐実は、「話し合いをするために」両親を未成年者略取で刑事告訴したのだった。

有罪判決

在宅起訴となった敬三と誠子は、あくまで孫の今後を考えたときに安全が保障できないとしてしたことであり、無罪を主張。
しかし札幌地裁は未成年者誘拐(起訴の段階では略取ではなく誘拐となった)を認定、敬三と誠子に対して懲役10月を言い渡した。

敬三と誠子は控訴。
続く札幌高裁では、敬三と誠子が最高裁の判決に従わず、今日まで4年近く栃木の実家に孫娘を留め、結果として孫娘は弟とのふれあいや母親の愛情をその期間身近に感じられずに来たものであり、その孫娘の成長に与えた影響がいかほどか憂慮されるほか、なによりも実の両親によりわが娘を連れ去られ、母親としてそばで養育できなかった祐実の精神的苦痛は大きいとした。
その上で、いくら祖父母とはいえ、その刑事責任を軽く見ることは出来ないとした。

そして、孫娘を母親のもとに帰すことが実現しない以上は、敬三と誠子ともに実刑判決は免れない、と結論付けた。

北海道大学の田中康雄教授(臨床心理)は、

「子供は母親と暮らすのが自然。まずはこの状態を一刻も早く元に戻す必要がある」と強調。「大人がいたずらに解決を長引かせ、親子関係を築くための貴重な三年半を台無しにした。周りの大人の責任は大きい」

と北海道新聞社の取材に答えており、また、同社の米林千晴記者も、控訴審判決が出る前の平成17年8月14日の北海道新聞紙面において、母親から引き離されたことが、孫娘にとっての悲劇であるといった主張を皮切りに、祖父母の暴走が母と娘の関係を阻害しているといった論調で、裁判の様子を取材したうえで裁判所としても子どもを母親に返すことが唯一の正しい選択だと考えているのでは、という風な構成にしている。

実は人身保護請求の申立の最高裁判決の後、敬三と誠子は一度はその命令に従い、祐実のもとへ孫娘を返そうとしていた。
ところが、祐実と4年ぶりに再会した孫娘は約2時間にわたって祐実と二人きりで話をしたにもかかわらず、母親である祐実と一緒に北海道に行くことを明確に拒否したという。

ただそれについても一部では、「これだけ長い間母親から引き離されれば、幼い子供は母親よりも祖父母に懐いてしまって当然」という見方もあり、祖父母が頑として引き渡さなかったがゆえに、母と娘の絆が阻害されてしまったというような意見もあった。
祐実本人も、娘に拒否されたことは大変なショックであり、北海道新聞に対して、「3年半の時間が長すぎた、ショックです」と打ちのめされた様子で話している。

敬三と誠子は高裁での控訴棄却(一審判決支持)に対し、最高裁へと上告した。

しかしこの時点で、最高裁が下級審の量刑を破棄自判するケースは珍しく、ましてや実刑判決が地裁、高裁ででているものを執行猶予付きなどに変更することはこれまで16年間に渡りなされていなかった。

そのためか、高裁の判決後、両親が上告する意向であることを伝えた平成17年10月26日付読売新聞でも、実刑が覆る可能性は少ない、としている。

しかし最高裁は、判決に先立って弁論を開いた。

最高裁

最高裁では、その上告に理由がない場合は弁論を開かずに棄却できる、とされている。
そのため、弁論の機会をあえて設けるということは、それまでの判決が覆される可能性があるということだ。

敬三と誠子の上告理由は、「量刑不当」だった。

敬三と誠子は地裁で無罪を主張していたが、地裁、高裁で有罪となっても、いやそれ以前に裁判長から「孫を母親に返すなら執行猶予」と打診されても、懲役に行く覚悟はあるとしてその主張を曲げなかった。

その理由は、全て孫のことを思えばこそだった。

そもそも、祐実が再婚を前提に交際していた男性は、敬三が経営する土木建設会社の従業員の息子にあたり、敬三もよく知る人物だった。
が、男性は過去に消費者金融で借金をしたものの返済に行き詰り、見かねた敬三がその借金返済の手助けをしていた。しかも、2度も。
さらには自分の会社に雇い入れ、面倒を見ていた時期もあったのだ。
男性についてはこれ以上の詳しいことはわからないが、少なくとも敬三は祐実の交際相手をだれかれ関係なく反対していたわけではなかった。
よく知りもしない相手を偏見で決めつけていたわけではなく、ある意味誰よりもその本性を知っていたと思われる。

それは娘の祐実に対しても同じだった。
交際相手の男性が信用ならない相手であるのみならず、祐実も、その生活能力や物事の考え方について、親としては信用できない部分があったという。
まぁ、3歳と1歳の子がいて実家暮らしの状態からいきなり再婚前提で借金も返せないような男のもとへ飛び出す娘というのは、確かにものの考え方として、子を持つ親として正気か?と言うしかない。

加えて、敬三と誠子は、もう一つの不安も抱えていた。
この時代から山のように報道されていた、内縁男性による連れ子への虐待である。男性の名誉のために申し添えるが、少なくともこの男性が虐待をしていたとか、しそうだったとか、暴力的だとか、私が調べた範囲でそのような事実はないし、結果として長男は祐実のもとで生活しており、イコールその男性とも生活していたと思われるし、そこで問題は起きていないため、虐待については敬三らの杞憂だったと思われる。

それでも実家から近い場所で何かあれば駆け付けられるくらいならばまだしも、二人が暮らしているのは北海道である。
もちろん敬三も誠子も何かあれば飛んでいく覚悟も経済的余裕もあったとは思うが、とにかくいったん同棲は白紙に戻した上で栃木で生活を立て直す。そこからでなければ話は始まらないと考えていた。

裁判所は、未成年者誘拐については軽く見ることは出来ないとしながらも、そもそもこのような問題は家庭裁判所の調停手続きなどを経て話し合うべきところを、すっ飛ばして人身保護請求だの刑事告訴だのといった強硬手段を祐実がとったことが解決を困難にしているとし、加えて人身保護請求で引き渡し命令が出たとはいえ、敬三と誠子による孫娘の養育が子の福祉に反していたとは言えないとした。

また、先にも述べたが敬三と誠子は最高裁の命令がくだった後、一度は孫娘を祐実のもとへ返そうとしていた。
孫娘に対し、母親と一緒に暮らすようにと誠子が諭したところ、孫娘は母親が連れに来ることを極端に恐れるようになり、外出不能にまで陥ったという。その後も裁判所からの強い指導があったことから、孫娘が嫌がろうとも、祐実のもとへ返す方向で敬三と誠子は話をいったんはまとめていたという。

ところが引き渡しの仮処分が執行される日、孫娘はきっぱりと拒否の態度を貫いた。
敬三と誠子も困惑すると同時に、これ以上孫娘に無理を強いるのは孫娘のために良くないとして、引き渡しは孫娘の同意がなければできないこと、そのためにも祐実がいったん栃木の実家へ戻ってそこで母娘の関係を築いてからにしてはどうかという話もしていた。
祐実の姉も、時間をかけて祐実と娘がまた暮らせるように両親ともども努力する旨の誓約書まで提出していた。

しかし原審(控訴審判決)では、その誓約に疑念を抱き、さらにはこのような事態(孫娘が母親のもとへ行くのを嫌がっている状態)を引き起こしたのは敬三と誠子の行動にあるとして、引き渡しが出来ないという正当な理由にはならないとし、引き渡しが実行されない限りは敬三と誠子の実刑は免れない、という判断を下していた。
最高裁はそれについても、原審の時点では裁判長の説得に仮に敬三らが応じたとしてもその引き渡しの実行は困難だった(たとえ孫娘が拒否しているのが祖父母の引き起こしたものによるものだったとしても)と認定した。

そして、家庭内の紛争であるこのケースにおいては、たとえ刑事事件になったとしてもその刑の量定については「親子間」という継続が前提となる関係と、被害者である孫娘の福祉、母娘、両親と娘、祖父母と孫それぞれが断絶に向かないように導くことも考えながら慎重に検討すべきであり、それを考えた場合、敬三と誠子が服役するようなことになれば生活の基盤である会社経営は困難となり、敬三、誠子、祐実以外の親族間の軋轢が生まれる可能性も高く、さらには実の娘である祐実にも不利益が生じ、ひいては孫娘の福祉にも影響が出ることもあり得るとした。

控訴審の時点で、様々な出来事がありはしたものの、敬三と誠子は頑なに、自己の都合のみにおいて引き渡しを拒んだわけではなかった。
引き渡すことは孫娘の心に悪い影響しか与えないと確信していたからこそ、もうこの段階での引き渡しは出来ないから、引き渡しさえすれば執行猶予を付けるという裁判長の説得にも応じられなかった。選択肢はなかったのだ。

保護法益たる自由

最高裁は裁判官全員一致の意見で原判決を破棄、敬三と誠子に懲役10月執行猶予3年の判決を言い渡した。

子どもの連れ去りについては、双方が理解しているか否かに関わらず、壊れてしまった夫婦間でのケースがほとんどだろう。たまに義両親が協力して、みたいなケースもあるが、あくまでもそこには母親、父親いずれかの意思が働いている。
ただ基本的に、法的な手続きを経ず、暴力や脅迫などの犯罪行為でもって連れ去りを強行したり、1日だけ、という約束で連れ出してそのまま帰さないといった卑怯な手を使うケースはたいてい、連れ去ったほうに問題があるようにも思う。
敬三と誠子も、最初はそうだった。祐実の交際相手に何を言われたかはわからないが、殴るという暴力行為がきっかけで孫娘を連れ去っている。
また、長女だけを連れ去ったのはなぜだったのか。さらに幼い長男は、祐実の所に居させても良かったのだろうか?
その辺、何か事情があったのかもしれないが、敬三と誠子の「やり方」については褒められたものではない、というか未成年者誘拐罪は成立しているというのは大前提として理解しておきたい。

ただ最高裁は執行猶予とした理由についてその連れ去った場所、その後孫娘が生活をした場所というのが、つい最近まで生活していたいわゆる「元の場所」だという点を重視している。
大阪市立大学の金澤真理教授が、この事例について論文を発表しているが、その中でもこの「元の場所」の重要さを挙げている。
保護法益という言葉があるが、これについては各々勉強していただくとして、要は、各法律が「何を守りたいと思っているか」ということである。

今回の罪状は未成年者誘拐。その保護法益については、複数挙げられているが上記の金澤教授によれば、監護権など当然に重要視されるべきものであっても、それが最優先で保護対象となるかどうかは被拐取者の自由が十分に保障されているかどうか、によるという。
その自由というのは多義的ではあるが、未成年者誘拐罪における保護法益たる自由は、

人的な関係をも含む、未成年者が安全、安定的に成長発達できる環境が保障された状態と解される

としている。
そういった意味で、金澤教授は成長途中の未成年者については、その生活の場が安定して信頼できる場所であることが成長に有益であり、慣れ親しんだ環境、既存の環境を保持することが利益であると推定される、と述べている。
別の言い方をすれば、そのような安定して信頼できる慣れ親しんだ環境から未成年者を離脱させ、支配するという行為が、未成年者誘拐罪の保護法益のひとつである自由を害するから、その罪を構成すると言える、としている。

それを考えれば、そもそもこの孫娘の居場所というのはどこだったか、を考える必要がある。
すでに引っ越していたとはいえ、敬三と誠子が乗り込んだのは転居の翌日。となれば、この時点において孫娘にとって北海道のよく知らない男が住んでいる新しい家よりも栃木の祖父母の家の方が、安定し信頼できる慣れ親しんだ場所であると言える。
が、このケースでは最高裁も含めて孫娘の居場所は北海道の新居であると解されており、未成年者誘拐が成立した根拠の一つにもなっている。
一審、控訴審ではほかに連れ去りのきっかけとなった敬三の暴力行為も重要視されたが、最高裁は祖父母は孫娘が直前まで平穏に生活していた住居に連れ戻した、としており、その連れ戻し自体は孫娘の安全を脅かすものでもないとしている。

金澤教授はこの一審、控訴審判決を批判する最高裁に対して評価に値するとする一方で以下のように述べている。

まさにこの認定こそ未成年者拐取罪の保護法益の核心部分に関わるものであり、かかる観点に立脚するときには、本件は、著しい量刑不当によるのではなく、重大な事実誤認による破棄を言い渡すべき事案であったと言えよう。

そして、敬三と誠子のやり方は問題があったにせよ、その後安定した生活を送り、小学校に入学して新たな人間関係を構築した孫娘にとっては、栃木の祖父母の家での生活こそが保護に値するものであり、しかも孫娘は自分の意志を明確に表示し、無理強いをされそうになると心身に不調をきたしたのだから、祖父母を服役させる=その生活環境を奪うことが何よりも孫娘の福祉に反するのは明らかであり、もとより執行猶予は当然であるとしている。

そして、最高裁が祖父母との暮らしは孫娘の福祉に反するものであったとは言えないとしている以上、そもそも未成年者誘拐罪の成立を否定できたのではないか、と結んでいる。

それぞれの思い

このケースのあとも、子供の連れ去りは裁判に発展していないものを含めればかなり多く発生していると考えているが、令和5年には世田谷区のセミナー内で、女性弁護士が「離婚を考えている場合は必ず子供を連れて家を出るように」と、あたかも実子連れ去りを指南するかのような発言をし、国会でも取りあげられた。
弁護士を擁護するわけではないが、おそらく弁護士は今回の最高裁の判断にもあるように、子どもがいかにその場所で安定して生活を送っているかを子の福祉の一つとして重要視するから、ということを言いたかったのではないかと考えるが、ただそのセミナーでの発言だけを見ると、むしろ子供がそれまで安定して生活していたのに、親の都合でその安定した場所から離脱させられかえって不安定な状況下に置かれることになる可能性もあり、いささか乱暴すぎたかな、という印象だった。

敬三と誠子は一貫して、孫娘のことだけを考えていた。もちろん祐実も、我が子を人質のようにして自分の行動を制限しようとする両親への反発以上に、娘を愛おしく思う気持ちが強かったと思う。だから、刑事事件にまで発展してしまった。

その後、孫娘はおそらく栃木でそのまま生活していたと思われるが、祐実はどうしたろうか。

それにしても、自分が不甲斐ないがゆえに信用してもらえず、挙句ぶん殴られるような対応をしてしまった祐実の交際相手の男は何をしていたのか。

祐実が両親と話し合うこと以上に、本気で祐実と子どもたちを大切に思っているのならば1日も早く祐実の両親に認めてもらえるよう努力するのが普通ではないのか。
いや、祐実のことを考えればいったんは栃木へ戻るよう説得するのが男じゃないのか。
今回のケースは判例としても注目すべきものではあるし、裁判所が言うように話し合いで解決すべき事案というのももっともだが、なによりもこの交際相手の対応が何もかも難しく頑なにしてしまったような気もする。
もちろん、表に出ていないいろんな事情があったとは思うけれど。

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参考文献

北海道新聞社 平成17年8月14日朝刊(報道本部 米林千晴)、9月20日夕刊、平成18年10月3日朝刊
読売新聞社 平成17年10月26日東京朝刊、平成18年10月13日東京朝刊

祖父母による当時三歳の孫の連れ戻しが未成年者誘拐罪に当たるとされ、被告人両名をいずれも実刑に処した第一審判決を維持した控訴審判決の刑の量定が甚だしく不当であるとして破棄された事例
大阪市立大学法学雑誌58巻、3-4号p701-711 大阪市立大学法学会 金澤真理

最高裁判決文