他人のことはどうでもいい~福岡・不倫相手殺害死体遺棄事件~

平成15年3月24日

「あれ?紺野さん?」

北九州市若松区中川町。この地域の自治会役員宅のポストに、封筒が入っているのを家人の女性(当時64)が見つけた。
中には、自治会費の1200円。封筒の表には、「遅くなってすみません 紺野」と書かれていた。
律儀な人だな、そう思いながら女性は封筒をしまった。

しかしその女性が、一か月前から行方不明になっていたことを自治会役員はこの時は知らなかった。

そして、その封筒が入れられてから5日後の329日。福岡県椎田町の廃車置き場で、その女性の変わり果てた姿が発見されたのだった。

事件概要

平成15329日午後四時半ころ、椎田町湊の廃車置き場においてあった乗用車のトランクに、女性の遺体のようなものがあるのを散歩中の男性が発見、豊前署に通報した。
現場の状況から、女性は事件に巻き込まれた可能性が強いとみて、福岡県警は豊前署に捜査本部を設置、まずは遺体の身元確認が行われた。

女性は20歳から40歳くらいで、身長は155センチと小柄、茶色の髪は肩まであり、黒のコートにジーンズ、ブーツを履いていた。それらの衣類に乱れはなかった。
司法解剖の結果、女性は首を絞められて殺害されたと判明、殺害後にトランクに遺棄されたとみられた。
死後およそ一週間とみられており、別の目撃証言から遺体は27日にはすでにそこにあったこともわかっていた。

42日、「遺体は行方不明の娘ではないか」との情報が寄せられ、調べた結果、遺体は222日以降行方が分からなくなっていた北九州若松区のパチンコ店従業員、紺野みゆきさん(仮名/当時30)と判明。
みゆきさんは当時一人暮らしをしており、北九州市八幡区のパチンコ店に勤務していたが、222日以降無断欠勤していた。
21日の深夜と、翌22日のお昼頃にみゆきさんのメールアドレスから、親しい女友達ふたりにそれぞれメールがあったものの、電話で直接話すことは出来ていなかった。

両親はすぐさま捜索願を出していたが、みゆきさんが使っていた車もどこにあるかわからなくなっていた。

また、携帯電話も発見されておらず、遺体の状況から性犯罪ではないことから、人間関係のトラブルの可能性とみられた。

しかし遺体発見から3か月経っても、犯人逮捕には至らずにいた。
遺体が遺棄された現場の廃車置き場は、近くに国道10号線が走っているものの、直接国道とつながる道路がないことなどから、このあたりの地理に詳しく、また、廃車置き場の存在を知っている人間の可能性が強かった。実際、この場所は地元住民以外にはあまり知られない場所だったという。

警察が容疑者を絞り込む中、一人の男の存在が浮上していた。
それはみゆきさんの交際相手の男だった。

犯人逮捕

事件から5か月が過ぎた829日。福岡県警捜査本部は、みゆきさんの交際相手で北九州市小倉北区在住の自動車整備工、徳永正晴(仮名/当時28歳)を殺人と死体遺棄容疑で逮捕した。
徳永は、妻子がありながらみゆきさんと不倫関係にあり、そのことが原因でみゆきさんを殺害、廃車置き場に遺棄したとみられた。

現場の椎田町には徳永の実家があり、また、遺棄現場の廃車置き場の所有者は徳永の幼馴染だった。

実は、両親は早い段階で徳永にみゆきさんのことについて尋ねていた。その際、徳永はみゆきさんがあたかも自分以外の男性と親密であるかのような虚偽の話を伝えるなどしており、警察も徳永については最重要参考人であると考えていたようだった。

遺体発見時には、推定死亡時期が一週間前の3234日ころとされていたが、その後、行方不明になった222日ころに殺害されていたと修正。

直接的な証拠は乏しかったが、いわゆる情況証拠でいえば、この徳永という男は真っ黒だった。

さらにみゆきさんのおなかには、この徳永の子供が宿っていたのだ。

全面否認からの自供

当初、徳永は取り調べに対して全面否認だった。
みゆきさんの知人らから、徳永の存在を知らされたみゆきさんの両親が会いに来た際も、みゆきさんから確かにおなかの子供をめぐって父親であることを認めるよう言われたものの、自分としては性交渉を持った時期と妊娠の周期が合わないことからそれを否定、222日深夜に話し合いを持ったが、途中でみゆきさんが別の男性の子かもしれないなどと言い出した、と説明していた。
その際に、みゆきさんから渡されていた自宅の鍵も、22日より以前に返却したとも話した。

しかし、司法解剖の結果、みゆきさんのおなかの赤ちゃんのDNAは、徳永のDNAを含むものであった。

全面否認のまま行われた910日の取り調べの際、担当刑事から、妻が本当のことを話してほしいと言っている、と聞かされた徳永は狼狽する。
実は以前に弁護士を通じて妻から伝言を受け取っており、その時には「死んでも認めないで」とあったのに、刑事から聞かされた妻の言葉は「やったなら仕方ない、自分と子供はしっかりやるから、やったのなら男らしく堂々と罪に服して」とあったのだ。

信じられない徳永は、刑事にその調書を見せるよういい、刑事はその調書を徳永に見せた。
そこにはやはり刑事が言ったとおりの妻の言葉が記されており、それを読み終えた徳永は号泣、30分ほど泣き続けると、「妻と子をよろしくお願いします。」と話した。
その後感極まったのかさらに激しく泣き伏し、しまいには嘔吐するほどの状態となってしまった。

一旦は腹を決めたかに見えた徳永だったが、はっきりと罪を認めた、というには頼りなかった。事実、念のため病院で診察を受けて戻ってからも、刑事の質問にはほとんど答えず、世間話に頷いてみせる程度だったという。
11日、もう一人の刑事が雑談の中で、「相手(みゆきさん)から女房子供のことで嫌ごとでも言われたんか」と聞いたところ、それまでほとんど話さなかった徳永が、「妻や子供のことだけなら自分で守りますよ。実家の甥っ子(妹の子)のことや会社のことまでめちゃくちゃに」というと、またもや泣き始めた。
刑事が、「で、やったんか?」というと、徳永はここで初めて頷いた。

検察官の取り調べの前にすべて話して楽になれ、そういう刑事に対しては、「弁護士さんと会ってからにします」と言葉を濁したという。

が、結局、その後検察官の取り調べにおいて、徳永は全面自供した。

ふたりのそれまで

二人が出会ったのは平成12年の暮れ。そういう経緯で出会ったのかは不明だが、お互いをパートナーとして交際する、というよりは、たまに会ってSEXする、そういった相手だったようだ。
実際、二人がであってそう時間が経過していない平成13年の春には、徳永は別の女性と交際を始め、6月にその女性が妊娠したことをきっかけに結婚している。
そして、みゆきさんに対しては「もう会えない」と別れを告げており、みゆきさんもこの時はあっさり分かれたようだった。

平成144月、徳永とみゆきさんは再び関係を持つようになった。が、今度はみゆきさんに恋人ができたことで二人の関係はなくなった。
しかしその半年後の10月には、徳永がみゆきさんに連絡を取り、ふたりの関係は再燃した。

そして2月に入って、みゆきさんから「妊娠した」との連絡を受けた徳永は、218日に産婦人科で妊娠7週目だと言われたと話すみゆきさんに対し、子どもの父親は本当に自分なのか、などと問ただした。
みゆきさんはみゆきさんで、親しい女友達二人に徳永とのことや、妊娠の事実も知らせていた。しかし、徳永の態度が煮え切らないことで、妊娠継続するのか、中絶するのかといった答えは出せていない状態だったようだ。

22日、徳永は自分の勤務先である自動車整備工場に、みゆきさんを呼び出した。
深夜零時を回ったころに現れたみゆきさんは、徳永の顔を見るなり泣き始めたという。徳永はみゆきさんを落ち着かせるために、自分の車の助手席に乗せ泣き止むのを待った。
しばらくして泣き止んだみゆきさんは、今度は怒りをぶちまけ始めたという。
「あんたの嫁さんや子供が許されん。」
小さな声で何度もそう呟くみゆきさんからは、得も言われぬ気迫のようなものが感じられた。え?なに?と聞き返す徳永に対し、みゆきさんは何度も同じことを言い続けた。
恐怖を感じた徳永が、みゆきさんを黙らせるために顎のあたりを一度殴ったというが、みゆきさんは「あんたの嫁さんや子供を刺し殺してやる。会社も燃やしてめちゃくちゃにしてやる。実家にいる妹の子供を殺してやる。」と、徳永が制止しても構わずに何度もそう言ってきたという。

これが、取調室で徳永が刑事に話した「妻子だけなら自分が守るけれど、会社や実家の甥っ子のことまで」と言って泣き崩れたことの真相だった。

このみゆきさんの、本心であろうはずがない売り言葉を、徳永は真に受けた。運転席から身を乗り出し、喚き続けるみゆきさんの細い首を掴んだ。

我に返った時は時すでに遅く、みゆきさんはすでに息絶えていた。
その後、午前5時ころまでに椎田町の廃車置き場に到着すると、そこにあった廃車のトランク内にみゆきさんを遺棄したのだった。

ふたたびの否認

一旦はこのように美幸さん殺害と遺棄を自供した徳永だったが、裁判が始まると再び全面否認に転じた。
自供した内容はどれも理解可能なもの、そして、ふたりの関係に照らせば情況証拠も疑いの余地がないように思われた。
検察は、不倫関係の果てに妊娠したみゆきさんの強固な態度に狼狽えた徳永が、みゆきさんを殺害し、遺棄した、と主張。

しかし弁護側は、取調室の机を撤去されたり、みゆきさんの死体写真を見せられたり、睡眠時間を削っての取り調べなどが行われたとし、徳永の自白は違法な取り調べの末に精神的に追い詰められたが故のものであり、任意性がないと主張した。

取り調べは二人の刑事が交代で担当していた。確かに、取り調べの途中で机が撤去されたという事実はあったものの、それは興奮して泣き崩れる徳永の身体の安全を確保するために一時的に行われたことだった。
また、深夜に及ぶ取り調べや、病院で急性胃炎と診断されたにもかかわらずその後も取り調べが続けられた点は、いずれも担当刑事らが徳永に取り調べの続行が可能かどうかを確認しており、また、タバコや飲み物などはある程度要求通りに与えられるなど、別段厳しい取り調べ、と言えるほどでもなかった。

さらに、二人の担当刑事のうちの一人に対しては、徳永自身がある意味信頼を寄せていたような節もあった。
別の刑事から罪を認めるか?と聞かれ頷いた後、もう一人の刑事が取調室に入ってきた時のこと。
徳永はその刑事の顔を見るなり、立ち上がり、
「すみません!すみません!何度も本当のこと言おうと思ったんですけども」
そういって泣き始めた。
刑事も、徳永に歩み寄り、
「これで良かったんや、今まで苦しんだやないか。あとは時間が解決してくれる
そういって徳永の肩を両手でつかみ、徳永とともに涙を流したという。

このように、取り調べを行った刑事らに落ち度と言えるような点は認められず、徳永も23日に1度は弁護士と面会もできていたこと、その際にはなんら不満を訴えていなかったことなどから、弁護側の主張は退けられた。

しかし、この裁判では徳永がみゆきさんを殺害し遺棄したと断定できる「物的証拠」の存在は、実はなかった。

毛髪と、不可解なメール

みゆきさんが死亡した時期に近い時期に接触したのが徳永であることは、携帯電話のログや徳永本人が認めている事実から間違いはなかったが、だからといって「殺して遺棄した」と言えるかどうかは争う余地が当然あった。
検察はその他の物的証拠を固めるために、徳永の車のトランクなどを捜索、トランク内部から複数の毛髪を採取していた。
採取できた毛髪は4本、そのうちの1本はみゆきさんのDNAと一致した。

しかし、残りの3本は鑑定不能、もしくは別人のものという結果もあったことで、みゆきさんの毛髪があったから=みゆきさんの遺体をトランクに入れた、とも言いきれなかった。

また、みゆきさんが行方不明となった22日の午前4時ころと、同じく22日の昼頃に、みゆきさんの女友達二人に、ほぼ同内容のメールが届いていた点。
午前4時ころのメール内容は、
「子供は正晴の子じゃなかった。私、最悪な女。」
「今まで話し合ってわかったことがあった。正晴の子じゃなかった。私最低な女。」
というもので、事実と違い、おなかの子が徳永の子ではないと判明した、というものだった。

当然、メールを受け取った女友達は困惑。それまでみゆきさんから相談を受けてはいたが、おなかの子が誰の子かわからないとか、ほかにそういう相手がいるとか、そんな話は一切聞いていなかったからだ。
ふたりはそれぞれ、「どういうこと?」「(おなかの子が誰の子かなんて)話し合いでわかるようなことなの?誰の子なん?」という返信をした。

それに対して、同日昼ころ、
「黙っていたけど、お金のことで相談している人がいて、その人に何度か抱かれたの。子供はその人の子供で、なんかわけわからんね。また連絡するね。」
「借金のことで相談していた人がいて、その人に抱かれた、落ち着いたらまた連絡する」
という内容のメールが、それぞれ届いたという。

女友達二人は、違和感を覚えていた。
このメールの文章の書き方、メールの返し方が、とてもみゆきさんからだとは思えなかったからだ。
メールの書き方には人それぞれ癖がある。この当時はiモードであり、今とは全く違う。それでも、絵文字を多用する人、標準語で文章を書く人、方言で書く人、箇条書きの人、などなど、それはある程度やり取りをしていればわかってくる。
みゆきさんは、メールの文章も普段から標準語は用いなかった。さらに、返信メールのタイトルにつく「Re」のままで返信することはなかった。
しかし、その日二人に送られたメールの本文は標準語が用いられ、タイトル欄には「Re」が残っていた。

これらのことと、みゆきさんの死亡推定時期が222日であることから、これはみゆきさんを殺害した人間が偽装工作のために行ったもの、とみられた。
さらに言えばそのメールの内容が、限られた人間しか知り得ない「おなかの子供の父親について」の、しかも事実と異なる内容であり、それらを合わせて考えれば徳永が自分の保身を図るために嘘の内容をメールした、と考えるのは非常に自然だった。

さらに、徳永はある重要な証言を残していた。
31日と2日に、みゆきさんの両親から事情を聞かれた際、このメールの内容とほとんど同じ内容を話していたのだ。
自分は22日の夜中に会い、話し合いをしたけれども、その話し合いの中でおなかの子供の父親は徳永ではなかったという話で落ち着いた、と。これらのメールについては、捜査段階で徳永は自分が送ったものと認める供述をしていた。メールを送ろうと思った動機や、その場所、時刻など詳細な説明していたというが、裁判が始まると否認。すべては捜査段階で誘導されて供述したもの、とした。

嘘か、真実か

徳永の行動については、それ以外にも22日正午のメールが送れたかどうか、という問題があった。
その日徳永は出勤しており、メールが送信された時刻には会社において同僚と税理士と面談していたとし、メールを送る時間はなかった、と主張、証人として出廷した同僚も当初同様の証言をしていた。
しかも、メールが送信された場所というのは、会社ではなく、通勤途中にある橋の料金所付近の公衆トイレ、と徳永自身が捜査段階で供述しており、とすると、時間的にその時刻にその料金所でメールを送信し、なおかつ正午に会社にいる、というのは無理があった。
ではなぜ虚偽の供述をしたのか、という理由としては、刑事からメールの発信地が特定されたログを見せられ、それに応じた供述をしたと話していた。
この点から、捜査段階での自白は誘導によるものではないか、と弁護側は主張したのだ。

しかし、それを裏付けていた同僚の証言は実は変遷していた。
捜査段階では正午から午後1時までの間、徳永は子供を連れて会社に来ていた、と話していたのが、後日正午を15分~20分過ぎたころに来た、に変わり、法廷での証言は正午前後、とする部分もあれば、徳永からの電話の履歴から、正午を15分ほど回ったころ、としていたのだ。
さらに、刑事が見せたというiモードの通信ログの中に、そもそもメールの発信地を特定できるログが存在していなかったのだ。

これらのことから、弁護側が主張するような捜査段階での誘導や強要などは認められないとし、むしろ捜査段階で徳永が述べたことはいずれも了解可能な自然なものと言え、客観的な証拠とも符合している、とした。

福岡地裁小倉支部は、これらのことから徳永がみゆきさんを殺害、遺棄したと認定。野島秀夫裁判長は、みゆきさんに抵抗した様子がなかったことから、
「被害者は愛していた被告人から頚部を圧迫されながらも、まさか本気ではなかろうと思い、抵抗することなく意識を失いそのまま死に至った余地がある。信頼していた人から裏切られ、騙され、ひどい仕打ちを受ける形で亡くなった被害者の心情を思うと、悲しく哀れである。」
と、みゆきさんの最期を思いやった。
みゆきさん自身不倫関係だったこともあって、同情できない、と感じる人もいるだろう。しかし、徳永はみゆきさんに対し、
「妻子とは別居している」
という前提で不倫関係に持ち込んでいたのだ。実際、2月の話し合いの際には、薄々徳永の嘘に気付いていたみゆきさんからそのことを問われ、別居が嘘だったことを白状していた。
徳永に対しては、強固な確定的殺意に基づく残忍かつ悪質な犯行と糾弾し、そもそも無責任で規範意識に欠け、法廷での態度も自己保身に走っていたと非難した。

判決は懲役15年。未決拘留日数中620日が算入された。

徳永は控訴したが、平成188月の控訴審判決は、地裁の判決を支持。上告したとの情報はなく、おそらくここで徳永の刑は確定したと思われる。

その後

この事件は、先にも述べたように徳永がみゆきさんを殺害して遺棄したという直接的な証拠のない事件だった。
車の中で殺害したというが、車の中からそれを表す証拠は出ていない(裁判でも言及なし)こと、みゆきさんの車を徳永が駐車場まで移動させたあと、乗ったとするタクシーが見つからなかったこと、みゆきさんの携帯が発見されなかったこと、そういった証拠の乏しさから、弁護側も無罪主張を展開したと思われる。

しかし結果としては、徳永の犯行と認定された。
徳永にしてみれば偽装工作のつもりだったのだろうが、あのメールは詰めが甘すぎた。あまりに突飛な内容であり、かつあまりに徳永に都合がよすぎる話だ。しかもそれと同じ話を両親にするなど、出来過ぎている。
徳永の詰めの甘さは他にもある。みゆきさんとはそれまで少なくとも数日おきにメールや電話のやり取りをしていたのだが、222日にみゆきさんの行方が分からなくなって以降、ぴたりと連絡を取ることをやめていたのだ。
それは、両親から事情を聞かれた後も変わらず、まるでみゆきさんに連絡しても無駄と分かっているかのようだった。
裁判所もそれは指摘しており、自分と不倫相手が子供の出産をめぐって意見が対立している状況下で、いきなり連絡を取らなくなるなど考えにくかった。
もちろんこれが、徳永が独身であれば、人としてどうかは置いておいて、逃げの一手も考えられる。が、徳永には妻子があった。しかも、みゆきさんから「妻子のみならず甥っ子も殺してやる」などと言われていたわけで、妻子は自分が守れるとしても、妹に事情を話して警戒させるなどの対処はするのではないか。
そういったこともしないで、なおかつみゆきさんが行方不明と聞いても連絡を試みないなど、これはどうみてもすでにみゆきさんの脅威はないと確信している人間の行動である。

徳永は人の気持ちをまったく考えたことがなかったのかもしれない。だから、人が自分の行動をどう捉えるかもよく分からず、こんなずさんな偽装をしたのではないか。

ただ、気になることがあった。
当初の報道で頻繁に言われていた、324日に紺野さんの名前入りの自治会費が役員宅のポストに入れられていた、という話である。
このことは、裁判でも一切触れられておらず、結局何だったのかはわからずじまいだ。
おそらく、役員の勘違いか、別の紺野さんのものだった可能性が高いが、普通間違えたりするのか。私も町内会費を月に一度役員宅に持参するが、間違うということはちょっと考えにくい。その役員が紺野さんからだと判断したのは、名前がフルネームだったか、あるいはその地区に「紺野」というひとはみゆきさんしかいないから、みゆきさんだと思ったのではないのか。

この報道があった時、死亡推定時期は少なくとも死後数日、それが約一週間前となり、事件から2か月後の5月の時点の報道では、322日頃とされていた。
しかし、みゆきさんが殺害されたのは実際には222日だったわけで、相当なズレが生じていた。
もちろん、冬場の屋外だったことで腐敗は遅れただろうし、天候にも左右されるだろう。したがって、たいした間違いではないのかもしれない……のか??

この二点は弁護士も触れていないところから、表に出ていないだけで解決済みなのだろうが、一応触れておく。

事件から20年近く、判決が確定して13年の令和になって、SNS上で気になるアカウントを見つけた。徳永と漢字まで同じ名前のアカウントだった。
もちろん、これだけで出所した徳永のものとは思わなかったが、気になる一文を見つけた。

進化し続けるアルコール飲料のプレゼント企画に対し、
「この10年の進化を知らぬ私に、逆に進化を教えて」。

使う絵文字も、10年前で止まっている。言葉のチョイスも、古い。文章の癖は、そう簡単に抜けないのは、ここでも証明されているように思う。
誰もが見られるSNSに、そんなにありふれているわけではないフルネームを堂々と晒す。
もしもこれが本人のアカウントならば(個人的には本人のだと思っている)、やはり、人の気持ちがよくわからない人間なのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です