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平成15年7月15日
宮城県警ではこの日の深夜、慌ただしく緊急の記者会見が開かれた。
内容は、この日から一ヶ月半ほど前に起きた、男性殺害事件の犯人逮捕、というものだったが、その内容に会場はどよめいた。
一方で、「やっぱりな」そういう空気も感じられる、異様な雰囲気の中、会見は進んだ。
実は捜査本部では、その日のもっと早い時間に犯人が誰であるか把握していたが、ある事情によって容疑者の逮捕を深夜まで遅らせていたのだった。
その事情とは、「被害者男性の法要」だった。
事件概要
平成15年5月31日午後11時20分ころ、岩沼市下野郷の民家から、
「主人が血まみれで倒れている」
と110番通報が入った。
岩沼署員が駆け付けると、民家の2階寝室において、その家の主で石材店勤務の森川広貴さん(当時37歳)が、ベッドにうつぶせで倒れており、背中や胸などをメッタ刺しにされ死亡していた。
この家には広貴さんのほか、妻と二人の子供がいたが、夕食をとった後妻と子供は仙台市の親せき宅へ出かけていて不在だった。
妻によれば、帰宅した際、玄関のかぎがかかっていなかったこと、広貴さんは深夜から新聞配達のアルバイトがあるためこの時間は仮眠をとっていたことなどを証言。
現場検証では、広貴さんのバッグがファスナーを開けられた状態で放置され、現金の入っていない財布が近くに落ちていたという。
警察では、広貴さんが狙われたのか、それとも物盗りの犯行かどうかを慎重に見極めながら捜査を開始した。
ただ、捜査本部では早い段階からマークしていた人物がいた。広貴さんの妻である。
妻は保険外交の仕事をしていた関係もあり、広貴さんに対しもともと3700万円の生命保険金をかけていたが、この事件の3か月前に死亡保険金3700万円、災害時死亡時4700万円の保険に入りなおし、さらに5月1日には3000万円の生命保険にも新規に加入していたのだ。
それだけではない。森川夫妻には住宅ローンや車のローンに加え、妻名義で消費者金融にも借金があり、収入を超える月々の支払いがのしかかっていた。妻は生命保険を請求こそしていなかったが、受け取れるのかどうか、という問い合わせをすでに生保会社にしていたこともわかった。
しかし、妻には鉄壁のアリバイがあった。先にも述べたとおり、この日は子供らを連れ、仙台市の親せき宅へ用事で出かけていたのだ。
妻にアリバイがあるとしても、この妻抜きでは犯行はなしえないのではないか。そして、この妻には相応の動機がある……
警察は慎重に妻の人間関係を調べる中で、事件当日妻子が出かけた先の「親戚の家」に目を付けた。
この親せきは、広貴さんの義理の姉夫婦の家だったが、その義姉の夫とこの妻は、親密な関係にあるという話が持ち上がったのだ。
なにかある。そう睨んだものの、当時その義姉の夫も、知人と会った後に自宅へ戻り、家族とともに広貴さんの妻子といたことがわかっており、こちらにも完璧なアリバイがあった。
やはり妻は関係ないのか。単なる物盗りだったのか、それとも広貴さんの個人的な交友関係のトラブルだったのか……
それでもあきらめきれない捜査本部では、この広貴さんの義姉の夫の交友関係を洗った。
そして、その中で事件が起きた頃、不審な行動をしていた人間を見つけたのだ。
7月15日、捜査本部はその人間に任意同行を求め、すべての自白を得た。
そして、その日に執り行われた広貴さんの法要が済んだ後、義姉の夫と、広貴さんの妻を逮捕した。
妻と、義姉の夫と、その友人
殺人の疑いで逮捕されたのは、広貴さんの妻で元保険外交員の森川小百合(当時37歳)、広貴さんの義姉の夫で重機売買仲介業・川下秀雄(当時51歳)、そして、川下の友人で北海道美瑛町・重機オペレーターの村井和彦(仮名/当時45歳)の3人。
捜査本部は、川下の交友関係から村井の存在を割り出していた。
なぜこの男に目がつけられたかというと、村井の「不審な行動」にあった。
村井は北海道に妻子を残し、単身出稼ぎに出る生活を送っていて、その時に川下と知り合っていたが、事件が起きた頃は関東の建設現場で働いていたはずだった。
しかし、事件が起きた直後、なぜか村井の姿は仙台市内にあった。福島ナンバーの軽自動車に乗り、事件の翌日には苫小牧行のフェリーに乗っていたこともわかっていた。
さらに、春ころから村井が岩沼市を頻繁に訪れていたことも判明し、なんらかの形でこの村井という男が犯行にかかわっているのではないか、そういう見方が強まっていた。
そして、15日に村井を聴取。おそらく耐えられない思いでいたであろう村井から自白が取れたため、川下と小百合両名に対して、逮捕を前提とした聴取を行い、そのまま逮捕となった。
村井の話では、川下から広貴さん殺害を500万で依頼されたという。もちろん、小百合と川下が保険金目当てで広貴さんの殺害を依頼したわけだが、この3人には自己のためというより、「それぞれの家族のため」に金が要り、また小百合にとって広貴さんはその存在自体が苦痛の種となっていた。
森川夫婦
小百合は昭和40年に生まれ、高校を卒業後は工員、飲食店店員として働いていた。昭和60年には実家のある町へと戻り、石材店の事務員として勤務していた。
広貴さんも昭和40年生まれで、複雑な生い立ちがあったようだ。未成年の時点で森川家に養子として迎えられ、実母や実兄はいたが、義両親と義姉らとともに育った。
中学を出て、食肉加工場などで働きながら自立した生活を送っていたが、昭和58年には義母宅へ引っ越し、義姉の紹介で石材店に勤務し始めた。
そこで出会ったのが、小百合だった。ふたりは昭和61年に結婚、県営アパートで新婚生活を送った。やがて二人の子宝にも恵まれ、小百合は平成2年頃からは保険外交の仕事など、切れ目なく仕事をする働き者だった。
広貴さんも、石材店での勤務ぶりは評判も良く、平成4年に住宅を新築すると、昼間の石材店の仕事のほかに深夜から早朝まで新聞配送のトラック運転手として働いていた。
傍目には働き者の夫婦とみえるこの二人だったが、夫婦仲は隙間風が吹いていた。
広貴さんが昼も夜も働いているのは、新築した家のローンや少しでも家族に楽をさせるため、と思われたが、実際のところ、新聞配送の仕事の給料は全部自分の小遣いにしていたという。
住宅ローンとその後購入した新車のローンの返済が月に15万もあったといい、幼子を抱えながら小百合も働いていた。しかし当時広貴さんの石材店の給与と小百合の給与を合わせても、月に26万円程度しかなかった。
15万円がローン返済で消え、残り11万円が森川家の生活費というわけだが、なかなか厳しかったという。
平成6年になって、小百合は安易な気持ちで消費者金融から借金をした。生活費の足しにするつもりだった。
しかし借金はどんどんかさみ、平成8年には小百合の借金が300万円を超える。
このままではまずい、そう考えた小百合は、昼間の仕事のほかに風俗店でも働き、この頃一旦は借金を減らしたという。
ところが収入が増えたことで気が大きくなったのか、風呂の設備を新調したりマッサージチェアなどを購入したり、広貴さんの提案で家族旅行に行くなどして出費を増やしてしまう。
さらに、車を買い替えたことでローン返済額は増え、ふたたび消費者金融から借金をする羽目になってしまった。
それでも小百合は飲食店や保険外交員として働き、平成15年2月以降は再び風俗店で勤務して返済したものの、この時点での借金は400万円を超えていた。
このような経済状況にあっても、広貴さんは副業の収入を家庭に入れることはなかったという。が、これは小百合が消費者金融からの借金を内緒にしていたことが関係している。当然ながら、性風俗店で働いていることも内緒だったろうから、広貴さんから見れば家計は回っていたというわけだ。
しかし小百合からしてみれば、自分が風俗店で働いているのは家計が苦しいにもかかわらず副業で得た収入を広貴さんが家に入れてくれないからであり、そのうえ、安易に高額な買い物や旅行を提案するだけしてその費用は知らん顔の広貴さんに対し、不信感も募っていた。
また、長女が生まれて以降、広貴さんはことあるごとに「この家の主は俺だ」と主張し、些細なことで腹を立て小百合を殴ることがあったという。
平成4年に暴行された際、小百合は転倒して気絶するということがあった。さすがにそれ以降広貴さんの暴力はなくなりはしたが、些細なことで怒り出すのは相変わらずだった。
こんな中で、小百合が家計について相談を持ち掛けても、どこか広貴さんは他人事で、あえて知らん顔をしているようにさえ思えたという。
小百合はそんな広貴さんの自己中心的な態度に嫌気がさし、幾度も離婚を口にした。だが決まって広貴さんは「離婚するなら借金はお前が半分持っていけ」というため、離婚することもかなわないのかと小百合は思い詰めるようになってしまう。
そして、平成15年1月、小百合はかねてより頼りになると思っていた川下に接触する。
義姉の夫
森川夫妻と川下の出会いは平成2年に遡る。ある時、広貴さんの義母が入院し、森川夫妻は見舞いに行った。そこで、広貴さんの義姉とその夫である川下と出会う。
その際、義姉から「この人(川下)は私と会う前は借金の取り立てをやってたの。」という話を聞かされた。
その頃川下は重機の仕事をしていたが、森川夫妻はその話を聞いて「借金について、何かいいアドバイスがもらえるのでは?」と考えた。実は広貴さんにも50万円の借金があったのだ。
また、別の時には小百合の兄が抱える200万円の借金についても相談していた。ただ、川下からは基本的なアドバイスしかもらえず、その債務整理に川下は直接的なかかわりを持ったわけではなかった。
しかしその経験から、小百合は川下に対し、「サラ金に顔が利く人だ」という認識を持っていたという。
小百合は平成14年に一度債務整理を弁護士に相談している。しかしその際、住宅を残しながら整理する民事再生を勧められた。
広貴さんに知られずにことを勧めたかった小百合は、やはりそれは難しいと判断、ならばと、かねてよりサラ金に強いと思っていた川下に相談を持ち掛けた。
しかし、期待に反して川下はそんなことは無理だと常識的な対応をした。が、川下からすれば昼夜働き小百合も仕事をしてるにもかかわらず、なぜそんなに借金があるのかと不思議に思い、その用途について問いただした。
小百合から事の内情を知らされた川下は、森川夫妻の無計画さ、広貴さんのあまりに家庭を顧みない態度に呆れかえり、思わずこう言ってしまう。
「広貴は生命保険に入ってるんだろうに。広貴に死んでもらって保険金で払えば?」
おそらくだが、呆れたことで思わず口をついた冗談だったと思われる。しかし、小百合はあまりに自然に川下の口から出たその言葉にハッとした。
そして、その言葉を考えているうちに、これは解決策としてアリなのではないか?と思うようになっていった。
川下はそうは言ったものの、義理の弟夫婦である森川夫妻のことを気にかけていた。妻である広貴さんの義姉からも、助けてやってよなどと相談されていたこともあり、また、小百合からは絶対に広貴さんには言わないでとくぎを刺されていたことから、川下は小百合さんにこっそり金を渡すこともあったという。
一方、そんな川下も他人のことを助けられるような立場にあるわけではなかった。
昭和26年生まれの川下は、中学を出ると運送会社で働き、その後関東で自動車工場の期間工を経て地元に戻ると、材木屋やホテルなどさまざまな職を渡り歩いた。
昭和53年以降は、建設現場で重機のオペレーターとして稼働、平成5年に勤務先が倒産したことを機に独立、一人親方として重機のオペレーターやメンテナンスなどを請け負っていた。
が、それらも不況のあおりで仕事が減り、オペの仕事以外に重機売買のあっせんなどを手掛けていた。
川下は広貴さんの義姉と長く交際していたようだが、正式に結婚したのはちょうどこの頃である。
川下はどうやら見栄っ張りな性格があったようだ。この頃はすでに重機売買あっせんの仕事でもかえって損をするようなこともあり、自らも消費者金融に7~800万の借金があったのだ。
月々の返済は40万にのぼったが、妻が仕事を持っていたことで何とか日々の生活は回っていたという。そのことを川下は感謝するとともに、負い目に感じてもいた。
そんな時、小百合に冗談で言ったあの言葉が、川下の心にも澱のように澱み溜まっていたことにこの時はまだ気づいていなかった。
北海道の男
川下はその後も小百合を心配し、なにかにつけ連絡をしていた。その中で、森川家の借金が減っていないこと、そして、小百合の心がすでに広貴さんから離れてしまっていることを知る。
どちらが言い出したかはわからないが、小百合と川下は関係を持った。
そして、寝物語で川下は小百合と広貴さんの関係や、生命保険の話をそれとなく聞き出すなどし、その中で小百合さん自身も、広貴さんの生命保険を気にしていることに気付いたのだ。
川下はこの時借金の返済に行き詰っていた。なんとか妻が尻拭いをしてくれたおかげでなんとかなっていたが、それも何度もは繰り返せない。
かといって、返済が滞ればたちまち、その取り立ては妻に向く。川下は苦労を掛けた妻をそんな目にだけは遭わせたくなかった。
「じゃあ、広貴に死んでもらうか。保険大丈夫か、俺がやってやるよ」
川下は小百合の反応をうかがう。小百合は、黙ったまま拒否しなかった。
すでにこの時、川下の中では誰に広貴さん殺害を実行させるか、目星がついていたようだった。
「東京にいる舎弟にやらせるから。通り魔を装えばいい」
そういって小百合をけしかけると、小百合は「お願いします」と答え、ここでふたりの共謀が成立した。
4月の半ば、川下はとある男に連絡を取った。
「村ちゃん、実は殺し頼まれたんだけど、村ちゃんが引き受けるなら引き受けるけど。やってみるか。やれないならうちのガキにやらせるけど。」
この村ちゃん、こそが、第三の男である村井だった。
川下と村井は、建設現場で知り合った。村井は昭和33年に生まれ、定時制高校に通うも中退、昭和51年から運送業についていた。
裁判記録に「冬季は本州へ出稼ぎに出ていた」という記載があり、当時の住所も北海道であるため、おそらく北海道で生活していたと思われる。
重機オペレーターとして各地の建設現場で働いていたが、勤務先が倒産、別の工務店で働き始めた。
離婚歴のあった村井は平成12年に再婚し、長女も生まれた。北海道に残した妻子のために、給料のほとんどを毎月送金していたという。
カツカツの生活を送る村井を見かね、川下はたびたび食事を奢ったりして村井の面倒をみていた。
村井は金に困っている、加えて、律儀な男だということもわかっていた。
小百合からはっきりと広貴さん殺害の同意を得ていないうちから、川下は村井に殺しの打診をしていたのだ。
そしてその際、村井から「金のためならなんでもやります」という言葉を引き出していた。
改めて村井に話をすると、村井は「わかりました」と答えた。
川下は村井に、殺害するのは義理の弟であること、依頼はその妻からであること、夫婦の状況や夫死亡後に得られる保険金の話などを理解した。村井は約500万円が自分の取り分になることを確認し、広貴さん殺害を請け負った。
犯行まで
4月末になって、川下と村井は頻繁に連絡を取り合うようになっていた。金のない村井を関東から宮城に越させるのは費用の問題もあったが、川下は小百合に70万ほど工面させ、村井の交通費や宿泊費に充てた。
二人は落ち合うと、広貴さんの生活パターン、自宅や勤務先、通勤ルートを確認した。川下は広貴さんの写真を村井に渡し、「相手について回って、チャンスがあればやっちゃえばいい。トラックから降りたところを後ろから襲えばいい。鉄パイプで殴るとか、包丁で首切れば一発だろ。一発で仕留めろよ。」と具体的な手順も教えた。
その日から村井は出刃包丁を購入、広貴さんの新聞配達のルートやどのトラックに乗るのかなどを確認しようと連日張り込んだが、なかなか尾行するのは困難だった。
地理に疎いこともあり、せっかく尾行をしても人気の多い場所ばかりで配送中に狙うことは無理だと村井は報告した。
自宅で寝込みを襲う、という話もあったが、小百合から「家に住めなくなるからそれだけはやめて」と言われていたことから、引き続き外で狙うタイミングを見計らっていた。
しかしどうにもそれが難しいこととなり、川下は小百合に「自宅でやるしかない」と一方的に告げる。
小百合からすれば家に住めなくなるだけでなく、自宅で襲われたとなれば真っ先に自分が疑われるという思いで拒絶したが、かといってそれ以外に広貴さんから逃れ、かつ生命保険金を得る方法はないと思い直し、川下の提案を受け入れた。
「決行は29日の夜。うちに子供ら連れて来ておけばいいから。」
川下は小百合に玄関のかぎを開けておくこと、ポーチの灯りもつけておくことなどを言い渡し、村井に対しては、黒っぽい服装で手袋をはめ、車のエンジンは切っておくがキーは差しておくこと、殺害実行後は苫小牧行のフェリーを予約してあるからそれに乗ること、着ていたものと凶器は捨てること、土足で上がって家の中を荒らしておくことなどを細かく指示した。
そして、「明日のためにゆっくり休め、がんばれ」と村井を激励した。
それぞれの思惑
この事件は、結果から見れば夫婦仲の冷え切った妻が経済的な困窮から我を見失い、夫に多額の保険金をかけて不倫相手と共謀、第三者を金で動かして夫を殺すという、ベッタベタなものだった。
海外の推理小説でも日本の二時間ドラマでも、見知らぬ人同士がひょんなことからお互いの殺したい人間を交換して殺してもらうとか、そういう話はたくさんある。
小百合は保険金殺人など思いもよらなかったはずだ。事実、どんなに苦しくても自身も働き、風俗でも働いた。それでも減らない借金をどうにかするために川下に相談しただけだ。
川下とて、最初はただの冗談だった。それまでの川下は別に暴力団員でもなければ、人を傷つけるといった前科もない、普通のおっさんだった。自分の不甲斐なさから妻に迷惑をかけていることを気にしてもいた。
村井は生真面目で妻子のことのみならず、前妻との間の子供たちのことも気にかけるような、自分より家族優先の男だった。
どこにでもいる、普通の人々である。それがなぜ、こんな事態になってしまったのか。
小百合は風俗で一時借金を減らしたにもかかわらず、収入が増えて勘違いしていた。自分が年を取ることも、風俗の収入がいつまでも続くわけではないことも、考えていなかった。
もちろん、裁判でも認められてはいるが広貴さんにも少なからず落ち度はあった。新聞配送の収入がいくらあったかは知らないが、1~2万ということはないだろう。その頃の赤字は月4~5万だったことからも、もし広貴さんが家計を把握し考えていたら、小百合が借金することも、風俗に行くこともなかったかもしれない。
しかも、経済状況に知らん顔して、旅行の提案や車の買い替えを決めるなど、ちょっと悪質じゃないかとすら思う。小百合も裁判で、
「足りなくても私がどこかから用立ててくるとでも思っていたようだ」
と、広貴さんが家計が厳しいのを知ったうえでそういった提案をし、すべてを小百合に丸投げしていた様子を話した。
これでは、プレゼントだよとダイヤモンドを請求書付きで送るようなものである。ありがたみもへったくれもない。しかし当の本人は、「してやった」とご満悦なのだから手に負えない。
村井はどうだったか。
妻子とは別に、前妻との間にすでに成人した子供二人がいたというが、なぜかその子供の車のローンの保証人に現在の妻がなっていたという。
しかし子供らはローンを支払えず、さらには闇金にまで手を出し、その督促が現在の妻のところにくるなど、危うい状況にあった。
なんとか子供たちに連絡を取ろうと試みたが、連絡がつかなった。
普通に考えたら、子供たちが自らの意思で電話に出ないんだろうとしか思えないが、村井からすれば、闇金の連中にさらわれたのではないか、監禁されているのではないかなどと日々思い悩む日々だったのだという。
こうしたそれぞれの思惑が絶妙なタイミングではまってしまった。
裁判では川下が事件を主導し、指示し、小百合に決断させそしてそれを翻意させないよう絶えず働きかけ、さらには実行犯として村井を引き込み、これも小百合と同じように金銭をちらつかせて繋ぎとめ、結果広貴さん殺害を実行させたとした。
小百合についても、この計画には小百合がかかわらなくては絶対に成り立たないことから、必要不可欠な存在と認定。
たとえ広貴さんが家計を助けず自分勝手な面があったとしても、その後のうのうと被害者遺族喪主として葬儀を取り仕切りるなど犯情も悪いとした。
しかも小百合は、当初の保険金額だとすぐになくなってしまうと考え、怪しまれるから絶対にするなと川下に言われていたにもかかわらず、保険金を勝手に増額していたのだ。この時にはすでに皮算用できるほど殺害を決意していたと思われた。
なにより、子供たちから理不尽に父親を奪い、ひいては子供らに
「お父さんも悪かったかもしれないが、殺されるなんてかわいそう」
「でもお母さんにも帰ってきてほしい」
と、大変苦しい証言を強いてしまったことの重大性は看過できないとして、川下と同等の罪があると非難した。
実行犯村井についても、いくら川下に誘われ指示されたこととはいえ、何度も執拗に広貴さんを刺しており、当然のことながらその罪は重大であると糾弾した。
小百合と川下は求刑通りの無期懲役、村井には求刑懲役16年のところ、懲役15年の判決となった。
もうひとり
親族の中で加害者と被害者が生まれることほど、悲劇はない。森川家の子供たちは、父を失った悲しみだけでなく、よりにもよって母親が犯人だったことは、怒りの向けようもなく、心が壊れるどころの思いではなかったろう。
それでも子供らが母の帰りを待つということは、子供らにとって小百合はかけがえのない母親だった。だからこそ余計にやるせない。
それは川下、村井も同じで、川下を支え続けた妻は、事件後離婚はしたもののそれでもこの元夫の帰りを待つという。村井についても、村井が心を痛め続けた要因である前妻との間の子らが、村井の更生を支えると申し出た。
さらには、広貴さんの実兄の証言もあった。実母とともに厳しい刑を望む一方で、この実兄は川下に非常に恩義も感じていたと話している。
おそらく、何かにつけ面倒見がよかった川下は、広貴さんの実兄の相談にもいろいろと乗っていたのだろう。よほどのことがなければ、実弟を殺害されているのにこんなことは言えないだろう。
珍しいくらい、情状証人の多い被告たちだなぁとも思った。それはこの三人が背負った借金が、すべて自己の私利私欲のためにできたものとも言い難い面があったからかもしれない。
たとえそれが盛大な間違い、勘違いの上の「ひとのため」であったとしても。
そしてこの事件では、親族がもう一人逮捕された。
永井喜代子(仮名/当時36歳)である。彼女はなんと小百合の実妹であった。
喜代子もまた、自分の私利私欲というよりは、姉を思っての結果だった。
川下から村井のために経費を用立てるよう言われた小百合には、そんな金はなかった。そこで小百合は、仲の良い妹の喜代子に計画を話したうえでその費用を貸してほしいと頼み込んだのだ。
当初は「恥ずかしいことしないでよ」と真に受けなかった喜代子だったが、以前から広貴さんのことで悩んでいた姉を見てきたことや、そもそも自分がその金を貸したことで罪に問われるとは思いもしていなかったようなのだ。
姉が広貴さんと借金から解放されればいい、しかしそのためには自分が金を用意しなければならない。
迷った末、喜代子は70万円を小百合に渡した。
殺人幇助に問われた喜代子は、その渡した金が果たした役割と、計画を知ったうえで渡したことが責任重大として、懲役2年6月の判決が下った。
ひとりの命が失われ、4人もの逮捕者、うち3人は家族、2人は無期懲役という重大かつ悪質な事件であるのは間違いない。
広貴さんはたしかにずるい面があったかもしれないが、殺されるいわれはどこにもないのは当たり前のことだ。
なにがこの家族を狂わせたのか。
自分の度量も見極められずに人のため家族のためと奔走した4人。
ただ個人的に、無期懲役は重いかな、と思う。二人殺して保険金ゲットした山口礼子と同等とは思えない。
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参考文献
判決文
読売新聞社 平成15年5月31日、7月16日、17日、21日、8月6日、平成16年2月7日東京朝刊
NHKニュース 平成15年7月15日
河北新報社 平成15年7月16日
毎日新聞社 平成15年7月21日東京朝刊
朝日新聞社 平成16年5月12日東京地方版/宮城
この事件、登場人物すべてが至って普通の人というか特別悪人がいなんですよね。確かに身の丈に合わない生活をして借金してるわけですが、それも極端な額でなく一度は順調に減らしてますね。殺害された旦那さんも、暴力があったとのことですが、ケガを負わせた以降はこれ以上はまずいと止まってるとこからも一定の常識は持ち合わせてます。
量刑の重さは私も疑問に感じましたが、これこそcaseさんの『殺されるいわれはどこにもない』部分にあったのではないでしょうか?殺す必要などどこにもない人を殺めてしまった、しかも直接手を下さず、自分に恩義を感じている後輩を利用したこと。この辺りが印象を悪くさせてしまったのでは。
引き合いに出した佐賀の山口礼子の事件。あれは内縁の夫の外尾に暴力で支配され、逆らえず泣く泣く実の息子に手をかけてしまった薄幸の女振りを上手く演じた(結果そうなった?)気がします。でも、決してそんな女ではないことがこのサイトでよくわかり、怒りが込み上げてきます。
さすらい刑事さま
コメントいつもありがとうございます!
そうですね、本当に普通の人達。それがなんで人殺しまでしてしまったのか。事件が起こる時は些細な積み重ねや、こうした借金でもう考えられなくなって、というのは分かるんですけど、それにしても「発作的な」犯行ではなく、数ヶ月に及ぶ計画性がある。
そして、この話を知った人間がみんな同調してしまってる所がこわい。
無期懲役の理由としては生命保険を奪う目的だった点がもう基本無期か死刑案件だと思われますが、結局手に出来てないところ、それぞれ更生を支えると申し出た人間がいることで、有期刑のロングあたりかなぁと思ったんですが、逆に言うとそもそも山口礼子の無期が有り得んなという話ですね。
保険金手にして2人殺して、しかもそのうち1人は17歳の息子ですからね。
これで死刑にならないってところに、親子間の犯罪への軽さが見て取れる気もします。
『こわい』本当に同感です。特に村井容疑者、前妻にも現妻にもお子さんがいる。『いくらアニキの頼みでも、子供らを殺人犯の子にはできない』と断って欲しかったですね。
最後の『親子間の犯罪の刑の軽さ』も納得いかない部分です。それこそ世間が、司法が子供や配偶者を私物化しているのに同調してるかのようです。さらにそれが心中の場合の軽いこと。例え身勝手な動機でも。
宮崎の嫁と義母、子供を殺して死刑になった被告も、最後に形だけでも自殺を図っていれば死刑は免れたでしょうね。
さすらい刑事さま
コメントありがとうございます。
殺人してでも金を得たい、この感覚はしょうじきわからないのですが、彼らはみんながみんな、この感覚を持続し続けた。
誰もそれを諌めたり外部に相談もしなかった、最後の砦は妹だったんですが、妹も姉を思えばこそだったのかもしれません。が、ダメですね。
無理心中で死刑判決はおそらくないのではないでしょうか。
宮崎の奥本の場合は、隠蔽工作をしている点がまずかったでしょうね。
対する、中津川の原平は、5人殺して無期ですからね…
彼も自殺を図ってました。が、ただ1人裁判長だけは、死刑相当の思料をつけていたはずです。
別の見方をすれば、死にたがる人間を死刑にしてやるより、簡単に死なせない方がいい場合もあるのかな、とも思います…
拝読しました。
基本「所有しない」ミニマリストの私には理解が出来ない金銭感覚でしたが、お金に困ると正常な判断が出来なくなるという典型的な流れですね。そしてどんな事件でも子供の言葉を見聞きすると切なくなります。
無期懲役にも死刑に近い無期懲役と有期に近い無期懲役がありますが、仮釈放の許可が殆ど下りない状況じゃ公平に裁かれてるとは言えないですよね。
さすらう さま
いつもありがとうございます。
この事件は重大犯罪なのですが、どうも犯人グループの成り立ちや関係、犯行に至るまでの経緯など、まるで台本でもあるのかと思うような感覚になりました。
家族間の犯罪だと、遺族の中にも温度差が生まれてしまい、かつ、夫側、妻側といった構図にもなるため罪深いですね…
時代背景として今ほど債務整理のハードルが低くなかったのか、その辺もあったように思います。
いすれにしても、子供たちが気の毒です…