孤独な妄想男と叩かれまくった被害者~島根・父子殺傷事件②~

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被害者叩き

事件直後の新聞各紙を見てみると、同じような見出しが躍っていた。
「長男はね父親刺殺 近所の男逮捕 飼い犬でトラブル?」読売新聞
「男児はね、父親刺殺 容疑で男逮捕、ペットのトラブル原因か」毎日新聞
「長男はね父親を刺殺 近所の男逮捕「飼い犬うるさい」」四国新聞
これ以外にも、全国紙の紙面には飼い犬をめぐる騒音トラブルがあったかのような記事が掲載され、この事件がご近所のマナーをめぐって起きた事件であるかのような印象がもたらされた。

中にはご丁寧に、石川家が飼っていたのは大型犬で、家の前を通るとしょっちゅう吠えていた、などといった「近隣住民」の声も掲載された。

ワイドショーでも、両家の位置関係を映しながら、飼い犬の鳴き声の問題があったとする住民のインタビューなどが連日報道された。
それに呼応するように、ネット上の大型掲示板では事件についてのスレッドがたち、吠えまくる大型犬、早朝6時台のキャッチボール、道路を私物化、家族を持つ消防士と中年の無職独身男性といったキーワードが渦巻くようになる。
今も残るそれらを検証してみたが、8割がたは三谷に同情する内容で、事件は石川さん家族の傲慢かつ、マナーの悪さが引き起こしたのだと言わんばかりのものだった。
中には田舎の古い住宅が立ち並ぶ中に新築された石川さん宅の外壁の色にまで言及するものもあり、もはや叩けるものは何でも叩くといった様相であった。

時々、「それらが事実だったとしても、だからといって殺されていいはずがない」という意見が出たが、「お前被害者の同僚だろ?」といったレスがつき、別の消防士の不祥事を引き合いに出すなどして、消防士、公務員叩きにまで発展する始末だ。

確かにたとえ事実であったとしても、こんな仕打ちを受けていいはずなどなく、石川さんの遺族は夫、父を失った痛みに加え、世間からの心ない言葉になす術がなかった。
しかも、その中のいくつかは、事実とは違っていた。

存在しなかったハスキー

この事件ではとりわけ、石川さん宅で飼われていた犬が注目された。
今でもこの事件を語るとき、「あぁ、ハスキー飼ってた事件ね」と言われるほどである。
しかし、まずこのハスキーは存在しないのだ。

石川さん宅では確かに犬は飼っていたようだ。そして、吠える犬でもあったという。
ワイドショーなどにそう答える人がいる一方で、
「犬なんか、どこの犬でも吠えるのが普通。鳴き声が気になったことはない。」
そう話す住民もいたのだ。
もちろん気になる程度に個人差はあるし、犬種が違えど吠えていたのは事実だというのもわかる。しかし、この事件ではハスキーといった大きな犬(実際にはあんなの中型犬でしかないが)を飼う家=ヤンキー、DQNといった語られ方もしており、決してどうでもいい間違いとは言えなかったのだ。
ハスキーを飼っていたと報道した媒体は、それが間違いだったとわかっても訂正することなどはなかった。

石川さんの妻は、事件後に犯罪被害者の支援を行うとある県外のセンターに赴いた際、そこの職員が「あぁ、あの事件の人。大きな犬を飼っていたのよね。」と話していたのを聞いてショックを受けたという。
もはやネット上の匿名の世界だけで好き勝手に言われるにとどまらず、現実社会において間違った情報を信じ込んでいる人と出会うという事態になっていた。

早朝に路上でキャッチボールをしていたことも、やり玉に挙がった。
三谷が犬の鳴き声とキャッチボールの音がうるさくてたまらなかったと話していたわけだが、両方とも三谷家と石川家に限らず、日本中どこでも起こりえるトラブルといえた。
だがこの、どこにでも、誰にでも起こりえるトラブルというのが、被害者叩きを加速させた要因にもなった。
路上を我が物顔で占拠するなどけしからん、三谷家のガレージのシャッターに後逸したボールが当たってガシャンガシャンと音を立てていたらしい、三谷が車を出しているのがわかっているのに、よけなかったから撥ねられた、よけないほうがどうかしている、これでは邪魔していると思われても不思議ではない、そんな声があふれていた。

極めつけは、石川さんが言ったと「される」不用意な一言だった。

路上でキャッチボールをするのではなく、自宅の敷地内でやってはどうか、という意見に対し、石川さんは、「ほらうち、新築だから。(ボールが壁に当たって)汚れるの嫌だから」といったという話が出た。
しかしこれは全く真偽不明の話であり、そもそも誰が石川さんに言ったのか、それすらも定かでない話だった。

三谷が裁判で「今思えば自分がおかしかった。」と思い込みを認め、後悔の念を吐露しても、それでも一部の人々は、被害者である石川さん家族の「落ち度」を叩かずにはいられなかった。

叩かずにいられない心理

事実と異なる点があったとはいえ、ひとつひとつをみていくと確かに人によっては気になったであろう石川家の生活スタイルはあった。
早朝のキャッチボールも、事件発生が午前7時ということで、自然に考えればそれより前、6時台にすでに始まっていたと考えられる。経験がある人はわかるだろうが、キャッチボールはボールを受けるときの音が結構大きいものだ。
また、父子がなぜか自宅前の道路ではなく、三谷家に続く道路でキャッチボールをしていたことに「悪意」を見出す向きもあった。
しかしこれは、自宅前の道路が勾配があるため、勾配のない道路を選んだ、ただそれだけだったように思う。

三谷自身も認めるところだが、結局は三谷本人の思い込みに過ぎなかった。
同じ騒音トラブルとして、このサイトでも取り上げた栃木の布団叩き事件があるが、あちらは明らかに両家の仲が悪く、競い合うような、あからさまな意図がお互いに見えていた。それは近隣住民をも巻き込むほどのもので、この島根の事件とはいささか毛色が違う。
さらに言えば、宇都宮の事件よりもこちらの事件のほうが、被害者に対する風当たりがきつかった。それはなぜか。

すべてとは言わないが、一部の、執拗に叩かずにいられない人の心にとって、おそらく石川さん一家の生活スタイルは羨望に値するものだったはずだ。
消防士という職を持ち、妻と息子と実家にほど近い場所の新築の家、平凡に見えて、実は家族のカタチとしては地方都市のモデルケースともいえる。
出勤前に息子とキャッチボールをし、吠えはするが犬を飼い、これで車が高級ミニバンだったら言うことはあるまい。
許せなかったのは、実はそこなのではないか。

石川さんの遺族によれば、そもそも三谷との間にトラブルなどなかったという。実家の親同士が、何の問題もなく地域の付き合いをしていた点からみても、それは明らかだ。
裁判でも、騒音がどうとかキャッチボールがどうとかではなく、三谷が「石川さんが悪意を持って自分に嫌がらせをしている」と思い込んだこと、それによって石川さんの生活のすべてが自分への威圧であると思い込んだことが要因であり、犬がうるさいから起こった事件ではなかった。

しかし、三谷の当初の供述をそのまま紙面に載せた新聞の、「飼い犬めぐってトラブル」という言葉が、その後のなにもかもを決めつけてしまった。
何度も言うが、確かに路上の早朝キャッチボールは迷惑行為と言われても仕方ない部分はあるだろうし、犬の鳴き声も人によれば耳について仕方ないといったこともある。だが本質はそこではなかったのだ。
その結果を踏まえて、それでも被害者が悪いと言ってしまえる人の心には、正義感という大義名分に隠された、事件とは関係ないどす黒い感情があるように思う。
事実はどうでもよく、平凡な幸せな人の落ち度をあげつらうことで、不満だらけの自分の人生を肯定したかった、といったような。

目の前で父を殺害された10歳の長男は、深刻なPTSDを発症し、自分が父にキャッチボールをせがんだことが原因だと自分を責めた。
間違った報道による心ない言葉を受け止め続けた妻は、血の臭いがする思いにとらわれ、自宅を手放さざるを得なかった。包丁を見れば体が震え、料理もできなくなり、三谷と同年代の男性を見るだけで体が動かなくなってしまった。
判決後に記者会見を行い、詳細がわからない時点での報道の在り方、被害者が置き去りにされる現状などを訴え、この事件が三谷の勝手な思い込みによるものだったと強く主張した。

そして、亡き夫の遺志を継いで、浜田市にAED(自動体外式除細動器)を寄贈した。

三谷は一審判決のあと、期限までに控訴せず、懲役20年が確定した。

参考文献:新潮45 2007年3月号 「島根10歳少年を車で轢いて父親を刺殺した孤独な中年男」福田ますみ 著

 


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「孤独な妄想男と叩かれまくった被害者~島根・父子殺傷事件②~」への2件のフィードバック

  1. キャッチボールと犬の鳴き声は聞こえるかもしれないけど、窓を閉めてたらそんなにうるさくは聞こえないですよね。
    一度気になると、気になって仕方ないというのは分かるけど、殺す程のことでは全く無いし、近所の人を嫌だって内心思ってる人は多いから殺人だらけになりますよね。
    被害者の方は、不運だったと思います。

    さらにその後にもバッシングに遭うのは奥さんもお子さんもかわいそう過ぎますね。
    隣にどんな人が住むかは分からないから怖いなと思いました。

    1. ちい さま

      私も詳細を知るまでは、お互いにいがみ合っていたのかな、トラブル回避が上手くいかなかったのかなぉ、などと考えていましたが、実際には被害者家族からしたらまったく思いもよらない話だったわけです。
      加害者が不満に思っていること、それすら知らなかったわけで、だからこそ加害者宅の前でキャッチボールも出来た。
      ただ、それが加害者からすれば「無言の威圧」、悪意があるからこんなことが出来るんだと、最悪の方向への思い込みになってしまった。
      もちろん、ご近所への配慮しすぎるということはないので、気をつけるに越したことはないですが…

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