🐄2021年末年忘れ特大号🐯

2021年も残すところあとわずか。
皆様にとって、今年はどんな年でしたでしょうか。

2022年は寅年、私の干支でございます。ちなみに我が家は実家も含め寅、猪、蛇、犬と、皆が猛獣です。

今年1年振り返って、大きな事件が年末におき、3人の死刑執行もありました。
旭川のイジメは近年にないむごたらしいものだったし、大阪の放火事件は、なんとも後味の悪い、本当に最悪の結末になりそうです。
大口病院が無期懲役というのは納得できませんし、年末には新たな黒い看護師の事件も起きましたね、こちらは別の事件でも再逮捕、というニュースが年の瀬に入りました。

個人的には、家族の事件も多かったように思います。
あの、妹夫婦を苦しめるために妹夫婦の子供たちを焼き殺した男、数年前に事故死と思われた子供の死が母親の手によるものだった事件、そして篠栗のあのラスボスママ友事件。
私が暮らす愛媛県でも、新居浜で3人が殺害される事件が起きました。

今年は2件の傍聴、ふたつとも家族の事件でした。
宇和島の監禁事件は、傍聴したからこそわかった母親の苦悩、そして悲しすぎる過去。
松山の父親殺害は、死人に口なし、被害者遺族のいない事件でした。いや、加害者の次男だけは、それでも父を思って泣いていたな。

幼稚園バスに閉じ込められた男児の事件、八街の飲酒死亡事故、幼い子供が犠牲になるのは虐待だけではありません。

事件備忘録は2022年も、すでにいくつか傍聴を予定しております。
傍聴記も充実させたいと思っておりますので、来年も引き続き、よろしくお願いいたします。

年末年忘れ特大号、はじまりはじまり~。

【収録事件】
疑惑の夫~とある損害賠償請求事件~
🔓誰と越えたい、天城越え~静岡・コープ茶畑殺人事件~
いくつかの温情判決とその後
もうひとつの「虐待の家」~住吉区・小5男児衰弱死事件~
🔓悲しみの果て~とある家族の事件~

疑惑の夫〜藤沢・とある損害賠償請求事件〜

重過失事件についてまとめていた際、気になる損害賠償請求事件を見つけた。
これは原告が実子、被告は実父。原告が幼いため、実母が法定代理人となり起こした訴訟である。

要旨としては、父親の度重なる過失、重過失により後遺障害一級の後遺症を負った原告(子)が、両親の離婚後、取り決めされていた養育費を一方的に減額されるなどしたことから、父親に対して責任の所在を明確にし、改めて損害賠償を請求し認められた(一部)というものなのだが、この父親がやらかしたこと、そしてこの父親の人間性が非常に興味深かったのだ。

最初に断っておくが、夫は刑事事件として罪に問われていない。あくまでも、過失。
この損害賠償の裁判の中でも、それが過失であるとは言い難いと言及されているものの、故意であったと断定することもしていない。

のらりくらりと逃げおおせた事件とは。

事件まで

主な登場人物は、裁判の原告である当時9歳の男児、その法定代理人である実母、そして疑惑の夫である。
ここでは原告の男児を横山圭太くん(仮名)、母親を横山明日香さん(仮名)、父親を渡辺芳雄さん(仮名)とする。両親の苗字が違うのは、訴訟当時すでに離婚していたからである。

明日香さんと芳雄さんが婚姻したのは、昭和62年12月13日。平成元年には長男・圭太くんが生まれ、家族は神奈川県藤沢市内のアパートで生活していた。
本来、新婚で赤ちゃんも無事産まれ、大変ながらも充実した幸せな日々のはずだったが、明日香さんにはある悩みがあった。
それは、夫・芳雄さんの、圭太くんに対する接し方だった。

圭太くんが2ヶ月の頃、夜泣きがひどい時期があった。明日香さんはその都度両手で抱き上げ、落ち着くまで胸に抱くなどしていたが、芳雄さんはそんな時、抱き上げたりせずに泣いている圭太くんの口を手で押さえることがあったという。
理由は、「泣き声が耳に触る」というもので、声が漏れないようにかなり強く抑えることがしばしばあり、圭太くんの鼻の下は押さえられたことで赤く擦り切れることがあった。

気づいた明日香さんが驚いて、そんなことはしないでほしいと訴えても、芳雄さんは圭太くんが泣き止まないとまた口を押さえていたという。

芳雄さんは赤ちゃんの泣き声がことのほか嫌いだったようで、圭太くんを押し入れに閉じ込めることもあった。明日香さんのように、泣き止むまで抱いてやるどころか、普段から「重たい」と言って圭太くんを抱くことも嫌がった。
買い物に出ても、連れて歩くことを嫌い、圭太くんを車中に残していこうとすることも度々だったという。

夫のあまりに子供じみた性格に不安を覚えながらも、明日香さんは常識的な子育てをしていたこと、その両親らの手助けによって圭太くんは成長していった。

しかし、圭太くんが生後2か月の時、ある事件が起きた。

火傷事件

平成元年11月18日、その日は明日香さんの友人の結婚式の日だった。乳飲み子を抱えて出席は出来ず、かといって、普段から子育てが苦手な夫はまず圭太くんの面倒を見てなどくれないだろうと思って出席を躊躇していたが、芳雄さんは「圭太は俺が見ているから、結婚式に出て来いよ」と言ってくれた。

明日香さんは芳雄さんに頼み、結婚式に出席した後夕方頃帰宅した。

すると、自宅アパートには芳雄さんも圭太くんも姿が見えなかった。
実家にでも行ったのかな?そう考えて実家へ行ってみると、芳雄さんがいた。
明日香さんが口を開く前に、芳雄さんは「ごめんなさい」と謝ってきたという。なにがごめんなさいなの?そう聞いた明日香さんだったが、圭太くんの顔を見て仰天。
圭太くんの顔の左頬がガーゼで覆われていたのだ。広範囲のけがをしたのは一目瞭然で、慌ててガーゼをめくると、そこには左頬全体に火傷と思われる傷跡が、そして、鼻の下が切れていた。

明日香さんの両親が芳雄さんに「なぜこんなことに」と問うと、芳雄さんは説明を始めたのだがその説明はにわかに信じがたいものだった。

「左手で圭太を抱いたまま、右手にやかんをもってコーヒーを入れようとしたら圭太が暴れた。その拍子に圭太とやかんを落としてしまった」

状況が分かるだろうか。
明日香さんはその説明に不審なものを感じたという。というのも、つい一週間ほど前に明日香さんの両親があまりに抱き方が下手な芳雄さんに対し、「赤ちゃんを抱くときは片手ではなく、両手で抱き上げなさい」と指導していたばかりだったことや、圭太くんの鼻の下が切れていたことから、いつものようにうるさいからと口を押さえたことは間違いないとみたからだった。
ただこの時は、明日香さんも両親も今後気を付けるように、と諭し、明日香さんの父親は「絶対に片手で抱き上げてはいけない」と再度芳雄さんに注意した。

しかしその後も、明日香さんに何度注意されても芳雄さんが圭太くんの口をふさぐ行為はやまなかった。
さらに、芳雄さんと圭太くんが風呂に入っていた時、突然圭太ちゃんが静かになったので明日香さんが風呂を覗くと、芳雄さんが
「あんまり泣くからお湯に沈めてみた」
と話したという。明日香さんは信じられない思いで、そんな危険なことは絶対にしてはいけないと強く抗議した。

しかしまたもや事件は起きた。

傷害事件

圭太くんは生後三か月を過ぎ、ミルクもよく飲むようになって夜泣きもかなり減っていた。芳雄さんも、圭太くんの夜泣きが減ったことで以前ほどは乱暴なやり方で泣き止ませようとはしなくなっていた。

平成2年1月21日、その日は友人家族を自宅に招く予定になっていたため、準備を済ませた明日香さんは圭太ちゃんに十分ミルクを与えた後で、二時間ほど美容院へ出かけた。
この時も、芳雄さんが圭太くんをみているから行っておいで、と言ったという。

しかし明日香さんが美容院から帰宅すると、二人の姿はなかった。
また実家か?と思って明日香さんは自分の実家へと向かう。そこで、母親から
「芳雄さんが圭太を落としてしまって、今病院にいる」
と告げられた。母親の様子から、圭太くんの容態が安心できないと感じた明日香さんの予感は的中、その時点で圭太くんは意識不明の重体だった。

病院では激怒した明日香さんの父が、芳雄さんを問い詰めていた。
なんでまた落としたのかと聞かれた芳雄さんのいいわけは、他人の私でも殴りたくなるようなものだった。

「うつぶせにしていた圭太が泣き出したので、左手で抱き上げた。その時たまたま右手に掃除機を持っていたので、落としてしまった」

またか。またかお前。またお前は片手で反対の手にものを持った状態で赤ん坊を抱き上げたのか。

この時はさすがに明日香さんも芳雄さんを信じることができず、芳雄さんを問い詰めた。
そもそも抱くこと自体を嫌がっていた芳雄さんが、なんでわざわざ明日香さんがいないときに限って圭太くんを抱こうとするのか。抱くにしても右手にものを持っていたならそれをまずおいてから抱けばいい話である。

しかも一度大変なけがを負わせた経験があるにもかかわらず、また同じことをやったのだ。そして今回は、取り返しがつかない事態になっていた。

後遺障害一級

圭太くんのけがは相当に深刻だった。
搬送時、頭蓋内亢進は顕著で、硬膜下血腫、硝子体出血、両目網膜剥離、呼吸停止、無酸素血症または低酸素血症、外傷起因の脳挫傷、そして脳は委縮までしていた。

診察した医師によれば、これらはターソン症候群と呼ばれる状態であり、その症状は小児の外傷では稀なケースだという。

ターソン症候群は、自動車事故など相当強い衝撃を頭部に受けないと起きない症状で、ベッドから落ちた、手で殴られた程度では起こり得ず、子供の場合はまず起きないという。
しかも圭太くんは脳内出血がひどく、普通の衝撃では考えられない重傷だった。

圭太くんはこの時点で、両眼は失明状態。

医師は、両目と脳に同時に障害が起きている状態は珍しく、どうやればこんなことになるのか教えてほしいくらいだと述べ、芳雄さんがいう、「片手で抱きあげて落した」という説明は不可解だと述べた。
加えて、ほかにあざなどがあればすぐに「被虐待児症候群」を疑うとも話していた。

明日香さんや両親らの芳雄さんへの疑念は、どんどん膨らんでいく一方だった。

調停からの訴訟

二度目の事件後、明日香さんは芳雄さんに対し夫婦関係調整の調停を申し立てた。目的は、芳雄さんがこの事件(事故)について反省の度合いが浅く、かつ、息子に対して責任を果たそうとする気持ちが見られないことから、芳雄さんに法的に責任があるのだということを明らかにしたい、というものだった。

息子に後遺障害一級の後遺症を負わせておきながら、その責任を感じているように見られないというのはちょっとどういうことか想像が難しいのだが、明日香さんは調停ではなく、刑事告訴も検討していた。
しかし、芳雄さんの親戚に懇願されたことや、もしも刑事告訴して有罪になって服役することになれば、圭太くんにかかる介護費用の捻出が難しくなることなどを踏まえ、とにかく父親としての責任をしっかり自覚させたほうが良い、という判断があった。
もちろん、この調停を申し立てる以上、芳雄さんとの離婚は想定内だった。

この調停は平成4年12月に成立し、芳雄さんは明日香さんに対し2716万円の慰謝料を支払うこと(内容は離婚による財産分与も含まれる)、圭太くんの養育費を月額12万円支払うこととなった。

この調停をもって、明日香さんは芳雄さんと離婚、圭太くんとふたりで新しい人生を歩んでいく、はずだった。

しかし明日香さんは平成7年、芳雄さんを相手取り、圭太くんの法定代理人として損害賠償請求を起こした。いや、正しくはそこまでせねばならない事情が起きていた。

無責任男の面の皮

芳雄さんと明日香さんの夫婦関係調整の調停は、特にもめたりすることもなく成立していた。
ところが、決められたはずの養育費がきちんと支払われることはなかった。当初は支払われていたというが、次第にそれは滞るようになり、挙句、芳雄さんは養育費減額の調停を申し立てた。

それは、自身が再婚し、しかも新しい子供が生まれたからだった。

お前は子供が泣くことが嫌なんじゃないのか、抱くことも満足にできず二度も殺しかけたのではないのか。なのにまた子供作ってさらには自分のせいで一生に渡る後遺症に苦しむ羽目になった息子に対する養育費を減額ぅ!?
芳雄さんというのは言葉を選ばず言うとどこか欠陥があるのではないのかと言いたくなるほど、人としての社会的な常識、当たり前の感情、良心みたいなものが欠落しているとしか思えない。

これには明日香さんも堪忍袋の緒が切れた。明日香さんは調停の際、どんなに出来そこないの父親でも父親に変わりはなく、圭太くんに愛情を持っているはずと思っていた。だから、まさか将来、養育費の減額などという恥知らずなことをしでかすとは思いもよらなかったのだ。
さらには、一方的な申立で審判が下るということも、知らなかった。

常に介護が必要な圭太くんがいる以上、明日香さんは仕事に就くことも難しく、正直芳雄さんからの養育費に頼らざるを得ない部分があった。
それが減額となれば、もう生活は成り立たない。もっといえば、こんな無責任男が将来その減額された養育費すら払わなくなる可能性は非常に高かった。

考え抜いた挙句、明日香さんは圭太くんのために損害賠償請求を事故から5年たった時点で起こした。

争点

損害賠償請求では、当然ながらあの「事故」は①本当に事故だったのかということも争われた。
加えて、被告である芳雄さんが、②すでに消滅時効が完成していると主張したこと、そして、③明日香さんによる請求は権利の濫用に当たるということ、④原告の請求は調停時に生産されている、という主張もなされていた。

簡単に言うと、②については、時効の起算点がいつなのか、ということなのだが、芳雄さんは事故発生から5年目で消滅時効の援用をしているため、通常であれば消滅時効は完成していると思われた。
しかし、明日香さんの主張は離婚成立までは互いに親権者であり、その間損害賠償請求をするのは事実上不可能だったことなどをあげ、時効の起算点は明日香さんが事故を知った日ではなく、芳雄さんにその権利が発生する離婚成立時であるというものだった。

これについて裁判所は、明日香さん側の言い分を概ね認め、損害賠償に至った背景には芳雄さんの不義理が大きくかかわっていることにも言及、起算点は離婚成立時であり消滅時効は完成していないとした。

③については、芳雄さん曰く「愛情に基づく生活共同体を形成する親子間において、みだりに市民法による権利の主張としての損害賠償請求権の行使は権利の濫用である」、というのだ。
あきれてものが言えないのは裁判所も同じだったのか、そもそも芳雄さんと圭太くんの間に「愛情に基づく生活共同体を形成する」事実が認められないとして、その主張には理由がないとして退けた。

④について、芳雄さんの言い分は調停時に離婚に関する紛争はすべて解決していて、明日香さんと芳雄さんの間に債権債務は存在しない、と主張したが、これについても裁判所は、簡単に言うと、
「お前が養育費払わんからしかたなく起こした訴訟やぞ、しかも今回の訴訟はお前VS息子であって、元妻は息子の代理人でしかないんやから関係ない。息子との間に債権債務が存在してないとは、離婚調停で決まってないやろ」
として退けた。

そして①について。
あの事故はそもそも「事故」だったのかどうか、ということについても判断がなされた。

悔やまれる刑事告発見送り

芳雄さんの圭太くんに対するそれまでのかかわり方は、事故以外の面を見ても不適切どころか、愛情すら感じられないものだった。
また、自分の欲求を通すためには圭太くんが危険な目に遭っても気にしない、そんな一面があった。

ある時、夫婦げんかの延長で明日香さんが圭太くんを抱いて家を出ようとしたことがあった。
すると芳雄さんは、明日香さんに追いすがってあろうことか、腕に抱かれていた圭太くんの頭を持って室内に引き戻そうとしたという。
そのころまだ生後1~2か月であり、首も据わっていない時期だ。

常識的に考えてそのような行為に及べる人がどれほどいようか。

二回目の事故の際、明日香さんに対して芳雄さんはこうも発言している。
「泣いている圭太はかわいくない。圭太が泣くと、自分が責められているような気分になる」
これについては、わかるような気がするという人もいるだろう。しかし、芳雄さんの場合は度が過ぎていた。

思い通りにならない相手はとにかく気に入らない。これを育児に持ち出しては、事件が起きてしまう。

実際、芳雄さんの「過失」は裁判所としても不自然極まりないと結論付けた。
そもそも、普段から抱くことを嫌い、そんな芳雄さんが抱いても圭太くんが泣き止むことはそれまでになく、むしろ不自然な抱き方をされてさらに大泣きするといった具合で、なぜこの日、用事をしているにもかかわらず圭太くんを抱き上げようと思ったのか。

二度目の事故の際もその状況は不自然だった。
芳雄さんは掃除機をかけていたと話したが、実は明日香さんは外出する前に芳雄さんの部屋以外はすべて掃除を終わらせていたのだ。
友人の家族を招いていたことは事実だが、だからと言って芳雄さんがわざわざ掃除機を掛けなければならなかった理由はなかった。

明日香さんも当初から疑念を抱いており、この二度目の事故の際には、これは事故ではなく芳雄さんの故意によるものだと思ったという。

裁判所は芳雄さんの供述は不自然でにわかに信用できないとし、泣いている圭太くんに腹を立て、芳雄さんが発作的に圭太くんを落としたか、放り投げたのではないかとの疑念を払しょくしがたい、と述べた。
そのうえで、この証拠だけではそこに故意があったかどうかまでは判断できないとしたが、傷害事件の発生原因としては芳雄さんに重大な過失があると認定した。

そして、明日香さんが圭太くんの代理人として請求した賠償金額3000万円についても、逸失利益などを計算すれば約7000万円にのぼるとし、その中の3000万円の支払いを求めた請求には理由がある、として認めた。

民事裁判としては、圭太くんの事故は父親である芳雄さんの重大な過失が認定されたわけだが、正直これは事件だと思われる。
ケガの状態と、芳雄さんの説明はまったくかみ合っていないのがすべてだろう。大人の腰くらいの高さから落としたとしても、親ならば咄嗟に手も足も出るはず、少しでもショックを和らげようとするものだ。
であれば、たとえ床に頭から落ちたとしても、ここまでのけがに至るはずなど医学的に有り得ない。

にもかかわらず、時間が経過しすぎていたために事件とはならなかった。
明日香さんは当初刑事告発を考えていた。もしもあの時点で告発していれば、芳雄さんはどうなっていただろう。
明日香さんが芳雄さんの人間性に賭けた部分が大きいとは思うが、残念ながら踏みにじられた。こんなことなら、さっさと芳雄さんを虐待で刑務所にぶち込んでおけばよかったと、明日香さんもご両親も思わずにいられなかったろう。
しかも明日香さんの人を信用する気持ちが、逆に一つの虐待事件を闇に葬ってしまった感もある。

明日香さんはピアニストになる夢があった。圭太くんにも、無限に広がる素晴らしい未来があった。それらはすべて、夫で有父親である芳雄さんによってぶち壊された。

芳雄さんはその後どんな人生を送っているのだろう。
新しくもうけた子供は、もう落とさなかっただろうか。

******

参考文献

平成9年9月25日/横花地方裁判所/第6民事部/判決/平成7年(ワ)2678号

いくつかの温情判決とその後

日本は法治国家である。すべては法律で決められており、それに反する行為があれば罰せられる。
もちろん、軽微な罪は裁判にならずに済むことも多いが、それでも裁判になれば、本当に法に反していたのか、そしてどうしてそんなことになったのかなどが審理され、その罪に見合った刑が言い渡される。

その中で時に、本来の同種の罪と比べると軽い判決が言い渡されることがある。温情判決、というやつだ。

被告人の生い立ちや犯行に至った経緯、被害者の落ち度、なにより被告人の現在の状況や反省の度合いなどを考慮した上で、求刑を大きく下回る判決がそれである。

罪を犯した自分の心に寄り添い、温かい言葉をかけてもらえたら、あなたならその後どうするか。
二度と罪を犯すまいと心に誓うか、それとも、してやったりと思うか。

いくつかの温情判決と、その顛末。

心優しき夫の清算

平成10年5月21日、男性(当時38歳)は夜9時ころ、神奈川県川崎市で暮らす実父からの電話を受けた。

「母さんを殺してしまった。」

仰天した男性が事の次第を問い質すと、父は妻を殺害後、自らも命を絶とうとしていることもわかった。ベランダで首を吊ろうとした父は死にきれず、離れて暮らす長男である男性のもとに電話をかけてきていたのだ。

通報で駆け付けた救急隊が室内に入ると、線香のかおりがした。寝室の布団の上には、女性の遺体があった。

死亡していたのは、このマンションで夫と二人暮らしだった山井カツ子さん(仮名/当時63歳)。警察は、その場にいてカツ子さん殺害を認めていた夫の達彦(仮名/当時70歳)を殺人の容疑で逮捕した。
調べに対し、達彦はカツ子さんに「死にたい。殺して、殺してよ」と執拗に訴えられ、それに応じたと話した。

達彦は元小学校教諭。子供たちが独立した後は、川崎市宮前区けやき平のマンションで夫婦二人暮らしだった。
マンションでの暮らしぶりは、近所の人らから見れば円満そのものだったという。二人仲良く散歩している姿、達彦がカツ子さんに頼まれて買い物をしている姿、地域の行事などにも参加する達彦は、事件の二日前にも民生委員らが主催した健康体操に出ていた。

そんな、ごく普通の夫婦に見えた山井夫妻には、深い深い問題が横たわっていた。

「酒買って来い!」

山井夫妻には、長男のほかに昭和43年に生まれた長女の存在があった。しかしこの長女は生後わずか13日で亡くなってしまう。
妻はその悲しみから逃れるために、酒に頼った。
飲酒量はどんどん増え、子供らが独立して以降、特に10年ほど前からは酒に酔って達彦に絡むようになったという。

それは時に暴言となり、「酒もってこい!ないなら買って来い!」と達彦に命令するようになる。達彦が定年した後は、「仕事もしないでこの甲斐性なし!」と罵った。
達彦がスーパーで買い物をしている姿は良く目撃されていたが、それは妻を労わって家事を進んでやっていたのではなく、カツ子さんに命令されたり、酩酊して前後不覚になったカツ子さんの代わりに、必要に迫られての姿だった。

この長きにわたるカツ子さんのアルコール中毒との戦いを知る人は、近所にはただの一人もいなかったという。
事件についても、近隣の住民らはみな一様に驚きを隠せずにいた。それほどまでに、達彦は柔和で人当たりもよく、悩みなど微塵も感じさせていなかったのだ。
カツ子さんについても、そもそも外出するのは体調が良いとき、すなわち飲んでいないときに限られていたためか、誰もカツ子さんがアルコールの悩みを抱えているなど夢にも思っていなかった。

ただ、達彦はカツ子さんについて「体が弱い」という話はしていたようで、参加していた体操教室でも、「妻が体が弱いから、僕が元気でいなくちゃね」と笑顔で話していたという。

嘆願書と後悔

検察は達彦を殺人ではなく、承諾殺人に切り替えて起訴した。
カツ子さんから無理難題や罵詈雑言を浴びせられても、周囲に一切気づかれなかったほどに妻を支え続けた達彦に対し、横浜地裁川崎支部は懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。
求刑も懲役4年だったことで、おそらく検察としても達彦のそれまでがどれほどの苦難だったかは認めたうえでのことだったのだろう。

くわえて、山井夫妻が暮らしたマンション住民らは達彦のために嘆願書を集めていた。
自主的に始まったというそれは、達彦の小学校勤務時代の同僚や教え子にも広まり、結果として3900筆が裁判所に提出されたという。

達彦は検察官に対し、自己を正当化したり、どれだけ自分が耐えてきたかといった話はしなかった。

ただ、後悔していることがある、と話した。
「私が後悔しているのは、自分だけ死ねなくて、妻だけ死んでしまったことです」

無理だった女

平成2年3月5日横浜地裁。この日の午前、一人の女に懲役4年の実刑判決が言い渡された。
女が法廷に立つのは2度目で、2度とも同じ殺人罪。しかも、殺した相手はいずれも「我が子」だった。

一度目

最初の事件が起きたのは昭和63年8月31日。
横浜市の住宅では当時1歳3か月の赤ん坊が泣きじゃくっていた。傍らには、若い母親。もう何時間こうしているだろうか。
もう耐えられない、母親はその赤ん坊の首に手をかけた。

逮捕されたのは福田美恵子(仮名/当時21歳)。
我が子が泣き止まないからという理由で殺害した美恵子に対し、検察も厳しい態度で臨んだが、当時生まれたばかりの長女がいたことや、美恵子の両親はすでに他界していて育児を頼る人がいなかったことなどから、懲役3年執行猶予5年の温情判決を受けていた。
反省の度合いも深く、夫も妻を支えていくと話していたことからの判決だった。

しかしその1年後、美恵子はまた、子を殺した。

二度目

平成元年10月24日午後11時20分、仕事から帰宅した美恵子の夫は、1歳3か月の長女・佳代子ちゃんが押し入れの中で死んでいるのを発見する。
実は二日前から佳代子ちゃんの姿が見えないことで、夫は美恵子を問い質していた。しかし美恵子は、「託児所に預けている」と話したという。
ところがその翌日、美恵子は誰にも行き先を告げずに家を出たまま戻っていなかった。

夫からの通報で駆け付けていた警察は、25日未明に帰宅した美恵子から事情を聴いたところ、佳代子ちゃんを殺したことを認めたため緊急逮捕した。

「かわいがろうとしたけど、なついてくれなかった」

美恵子はぽつりとつぶやいた。

異常なのは誰か

誰しも初めての子育てでは思い通りにいかない、こんなはずではなかったと後悔することは理解できる。
しかし超えてはいけない一線を超えてしまった人の気持ちはわからない。

もっとわからないのは、一度子供を殺した人間にまた、親であることを強いる人々の存在だ。
美恵子は「無理」だった。子供を愛せないとか、そういうことではなく根本的に親になってはいけない人間だった。
深く反省していたから、今度は大丈夫とでも思ったのか。せっかくうるさい子供を殺したと思ったら、すぐまた美恵子には子育てが待ち構えていた。
夫は一体何を考えていたのだろうか。赤ちゃんを殺した女と、生まれたばかりの赤ちゃんを短時間であっても二人きりになどどうしてできるのだろうか。

美恵子の心に向き合い、話を聞いてやることすら、もしかしたらしていなかったのではないかとしか思えない。

さすがに2度の子殺しに、裁判所は情状酌量できようもなかった。

もっとも今度は、育てるべき子供がいないわけで酌量の理由もなかったのだが。

孤独と正義

平成6年8月から9月にかけて、愛知県西春日井郡の農家ではある問題に頭を悩ませていた。
丹精こめて栽培した「ナス」が、連日何者かに盗まれているようなのだ。

被害は分かっているものだけで500本近く、価格にして約2万円ほどの被害だった。
とはいえ、出来心の盗人とは言えない量であり、看過できない事態になってはいたが、農家では見回りなどをして自衛するよりなかった。

そんな時、ある噂が農家に届いた。

「男が主婦らにナスを配っている」

男は西春日井郡在住の70歳。家族はいるが現在は一人暮らしだという。
その男が、ナスを近所の主婦に配りまくっているのだという。別の場所では、安い値段で売ったりもしていた。
農家が警察に相談、その後男がナスを盗んだことを認めたため、窃盗容疑で逮捕となった。

調べに対し男は、
「盗みは悪いと分かっている。」
と話はしたが、動機については独自の理論をぶちまけた。

「昔の農家は作物ができたら近所にお裾分けしてくれたもんだ」
「今の農家は盗まれたって食うには困らん」

さらには、
「今時の子供は100円200円小遣いをやってもありがとうも言わんが、奥さんたちはナスを配ったら皆喜んでくれた…」
とも話した。なんとも勝手すぎる理論ではあるが、この男、世の女性、特に家庭を守る主婦に対しては格別の思い入れがあったという。

当時生活保護を受けながら生活していた男は、若い頃妻に迷惑をかけっぱなしだったという。家庭を顧みずに、気づいたら妻も子供らも家を出て行ってしまった。
そこで初めて男は後悔し、考えを改めるようになった。
女の人には頭が上がらない。何か恩返しをすることで、妻に対して詫びている様な気持ちになったのだろう。

と、ここまでなら執行猶予でいいんちゃうかと思わなくもないが、実はこの男つい1ヶ月ほど前に名古屋簡易裁判所で懲役1年、執行猶予3年の判決を受けていたのだ。しかも、その時も今回と同じ野菜泥棒だった。

男には男なりの正義があってのことだったのかもしれないが、当然、執行猶予は取り消されてしまった。

ただ、男にとって女の人に頭が上がらないとか、そういうことよりも。ただ話し相手が欲しかったのではなかったか。
誰からも相手にされず、老いていくだけの孤独に耐えられなかったのではないか。

だからこそ、捕まってもやめるわけにはいかなかったのだろう。男には懲役十月の実刑判決が言い渡された。

思いは届いたか

通常、初犯だったり道路交通法違反だったり薬物所持、使用などのいわゆる被害者がいない場合などは執行猶予がつく傾向がある。
しかしそれらがまとめて一度に発覚した場合は、なかなか厳しい判決になるのではないかと思うのだが、5つの罪で起訴されながらも執行猶予となった女がいた。

福岡県在住の中原綾子(仮名/当時34歳)は、大阪市へ遊びに来ていた際に職務質問され、覚醒剤反応が出たことから逮捕された。
ところが調べていくと、綾子はその数日前、福岡市内で自動車を運転中にミニバイクに接触、相手に約一ヶ月の重傷を負わせてそのまま逃走していたことが判明。
さらにその際、綾子は無免許運転だったことから、検察は相当悪質として覚醒剤取締法違反、業務上過失傷害罪など5つの罪で起訴した。

綾子は当時夫とは別居中で、福岡市内の実家で10歳の娘と暮らしていた。
仕事もせず、無為徒食の生活を送っていたという綾子に、大阪地裁の湯川哲嗣裁判長は語りかけた。

「最後まで実刑にするかどうするか迷ったが、人生のやり直しを誓った言葉を信じて刑の執行を猶予します。裏切らないでください」

綾子は逮捕されてから、娘に対して申し訳ないという気持ちを強く持っていた。
逮捕されて初めて、自分の愚かさ、母親としての不甲斐なさに真正面から向き合ったとみえ、その態度はひき逃げで重傷を負わされた被害者からも嘆願書が出るほどだった。

裁判ではおそらく、それまでの親子関係や綾子の生い立ちなども明かされたのだろう、そして娘との関係が決して悪くはなかったことなども酌量され、綾子の更生に裁判所は賭けた。

その後、綾子が本気で更生したのかどうかはわからないが、少なくとも綾子が犯罪を犯したという報道は出ていない。

お礼参りに直行したバカ

「すみませんでした、もうしません」

名古屋拘置所から届いた稚拙な手紙には、謝罪の言葉が並んでいた。
受け取ったのは名古屋市内で飲食店を経営する男性。実はこの男性、3ヶ月前にこの手紙の主から殴る蹴るの暴行を受け、警察に被害届を出していた。

手紙の主は名古屋市天白区在住の大工の男(当時21歳)。
男は妻との離婚問題に絡んで、この男性と妻の代理人弁護士ら3人に暴行を働き、傷害と器物損壊の罪で逮捕されていた。
起訴された男は拘置所から、被害者に対し、冒頭のような謝罪の手紙を出していたのだが、裁判ではそれも一つの「反省の気持ち」とみなされ、男は懲役1年執行猶予3年の判決を言い渡していた。

ところが。

釈放されたその日の夕方、なんと男はその足で被害男性の元へと向かい、あろうことか「今出てきた、入っていた3ヶ月をどうしてくれる!」といい、さらには「殴り殺してやる、警察も執行猶予もどうでもいい!」と捲し立てた。

その脅迫は3日連続で行われ、さすがに被害男性も堪忍袋の緒が切れ、男はまた逮捕となった。もうどうしようもないアホである。

馬鹿馬鹿しすぎて続報すらなかったが、男は脅し文句は言っていないと容疑を否認したという。
馬鹿馬鹿しいとはいえ、逆恨みの末に相手を探し出して殺害したあのJTお礼参り殺人、熊本の女性殺害など死刑になったケースもあるため、あまり笑い事ではない。

が、よくある加害者からの謝罪の手紙など、多くは意味をなさない罪を軽くするためだけのものというのは、間違いではない気がする。

踏みにじられた判決

平成8年10月、神戸地裁姫路支部の安原浩裁判長は、4か月延期された判決を言い渡した。
判決は、懲役三月、執行猶予二年。言い渡されたのは兵庫県在住の55歳の男。罪状は、道路交通法違反(無免許運転)だった。

男は平成4年の暮れに免許停止中だったにも関わらず自動車を運転したとして懲役一年二月、執行猶予四年の判決を受けていたが、平成7年10月に姫路市内で自動車を運転しているところを見つかり、執行猶予中であったことから逮捕起訴となっていた。

度重なる無免許運転で今度は実兄だろうと思われたが、神戸地裁姫路支部はもう一度、男に執行猶予を与えた。
理由は、男が続けてきたボランティア活動にあった。

震災復興の「償いボランティア」

男は5月の公判で裁判官からボランティア活動への参加を促されていた。反省の度合いを見るためのことだったといい、男は手話の講習を受け、さらには震災で仮設住宅暮らしを余儀なくされていたお年寄りらの悩みを聞いたり、引越しの手伝いなどもしていたという。
男はミーティングでも被災者に寄り添う気持ちが生まれたなどと話し、今後も活動を続け人の役に立ちたいと言っていた。

裁判所はこの男の行動を評価。
「被告人は『ボランティア活動でこれまでの自分の考え方のいい加減さや身勝手さを思い知らされた』と述べているので、社会の中で更生できると判断した」。

そのうえで、
「今後二年間、また失敗したということのないように気をつけなさい。六月からの実績ではまだ足りません。無理のないようにボランティアを続けなさい」
と諭した。

大阪国際大学で刑事法を教える井戸田侃教授(当時)も、読売新聞の取材に対し、
「刑事政策的にみると再犯防止の側面を考え、自分のやった罪の重さを認識させる点で有効。画期的な判決とも言える」
と話し、裁判所を評価した。

ボランティアに行く日は赤丸をつけていたという男。台所のカレンダーを見ながら、「じいちゃんが安心して話ができる、いうて言うてくれたんや」などと、妻に話して聞かせるほど、ボランティアを一生懸命やっていたという。
男と一緒にボランティアをやった団体の代表も、この人ならと、団体が発行する認定マークも与えた。

判決から2日後、警察に一本の通報があった。

「あの人、まだ車運転してるで。調べてみ。なにが温情判決や!」

治らない病気

通報を受けた姫路署は、すぐさま男の自宅へ向かった。早朝、自宅近くの県道で張り込んでいると、まさにあの男が運転する軽自動車が通りかかったのだ。

現行犯だった。姫路署員は男の車を停車させると、「あなた無免許ですよね。」と告げる。男は観念した様子だったという。

そのころ自宅では、妻が男からの電話を受けていた。
「俺や。警察に捕まった。今度は刑務所やろな、ごめんな」
男は涙ぐんでいたという。
妻は以前、夫が逮捕されたときに警察官から言われた言葉を思い出していた。

「奥さん、ご主人の無免許運転は治らない病気ですよ」

男の法律を軽視する態度は筋金入りだった。
免許を取り消されたのは30年以上も前のこと。その後、昭和52年に罰金刑、昭和56年に懲役四月、平成4年4月には盗難車を無免許で運転して懲役一年二月執行猶予4年、温情判決を受けたのはこの執行猶予中に無免許運転が発覚した件だった。

発覚した時たまたま乗っていたわけはあるまい。男は見つかりさえしなければいい、そう考えていたに違いない。

もうひとつ、このようなケースの場合、家族の考えの甘さも関係している。実際、逮捕されたときに乗っていたのは長男の車だったし、そもそも妻が知らなかったはずがない。
事実、妻は裁判で「ボランティアに行くときも無免許運転していた」と話しており、家族は男がまったく反省していないことを知っていたのだ。

無免許運転は二度としない、そう誓ったという男は、今回の逮捕で懲役5月の実刑となった。
しかも、男が逮捕された際に控訴を検討中だった検察は当然ながら大阪高裁へ控訴。そこでは男の無反省ぶりを批難されただけでなく、神戸地裁姫路支部の判決も批判の的となった。

大阪高裁の内匠和彦裁判長は、一審判決を破棄、あらためて懲役三月を男に言い渡したが、さらに、
「無免許運転の常習性が顕著。ボランティア活動をしても危険がなくなるとは思えない」
「公判期日を延期してまで、ボランティア活動の実績を考慮したのは迅速な裁判の原則に反する」
と、地裁の判決に苦言を呈した。

有識者らはこの結末に戸惑いつつも、神戸地裁姫路支部の判断は仕方ない、としたが、当の裁判長ははらわた煮えくりかえったのではないだろうか。
裁判を中断してまで人間の心を信じようとしたことは素晴らしいが、結果からすればただのお花畑だったという風にも見える。しかも高裁からお𠮟りまで受けてしまった。

ただ、神戸地裁姫路支部はそれでも男に望みをかけていたのか何なのか、裁判長が替わっても、
「実直に生きて下さい。この先いいことがあります。せっかくだからボランティアを続けて下さい」
と説諭したらしいので、そういうお花畑的な雰囲気、時代だったのかも……

その後男が本気で罪と向き合えたかどうかは、わからない。

人を信じる気持ち

こうしてみてみると、判決っていうのは法律の縛りはあっても人間味があるというか、結構いろんなことを考えて判断されていると思う一方で、その判断を下す人物の考え方が大きく関係するともいえる。

控訴して最高裁までもっていけばまだしも、控訴せず一審で確定するようなケースは罪の大小に関係なく「マジか」みたいなのもやはりある。
横浜の子殺しは結果論になってしまうけれど、そもそも子供が泣き止まなくて殺してしまうような人間に、釈放したその日からまた子育てを担わせるなど拷問である。
子供のために執行猶予を付けたはずが、よりにもよってその温情が子供の命を奪ってしまった。
被害者が家族の誰かだった場合、いわゆる尊属殺人が違憲判決確定となるまでは長いこと、親殺しは重罪で子殺しは情状酌量的なケースは少なくなかったように思う。

また、違う見方をすると温情判決がさらに本人を追い詰めるケースもある。
このサイトでも取り上げた京都伏見の介護殺人。加害者である息子の献身に法廷は涙涙、検察官までもが感極まったというが、執行猶予がつけられた判決は、はたして本当に彼のためになったのだろうか。
許されないという思いを一番抱いていたのはおそらく本人だ。しかし世間は、司法はそれを許すという。お母さんも恨んでない、幸せになれと言った。……どうやって?
結局、彼は母の許へ旅立つのに10年もかかってしまった。それは温情判決への裏切りではなく、彼が温情判決をありがたいと思ったからこその、10年間の遠回りだったと私は思っている。

今回取り上げた中で一番たちが悪いのは、やはり最後の無免許男ではないだろうか。
法を、判決を軽視どころか踏みにじった男。しかも何度も、である。
裁判官だけではない、彼を信じたボランティア団体の人々、仮設住宅で暮らすお年寄り、多くの人が彼を信じ、支えようとしてくれていたのに、男の言葉は嘘だった。

時に人を救い、時に新たな犯罪を誘発し、時に人間への不信、絶望を生む温情判決。

子殺しが執行猶予でナス泥棒が実刑かよというのは、やはり納得できない面はある(窃盗が軽いというわけではありません)。

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参考文献
読売新聞社 平成元年10月25日東京夕刊、平成2年3月5日東京夕刊、平成8年10月11日東京夕刊、10月16日大阪朝刊、平成9年2月21日大阪朝刊、平成11年2月3日大阪朝刊
朝日新聞社 昭和63年9月2日東京地方版/神奈川
中日新聞社 平成4年6月13日朝刊、平成10年10月20日
毎日新聞社 平成6年11月10日東京朝刊
AERA 平成8年10月28日号20頁
熊本日日新聞社 平成9年5月28日夕刊

何見てヨシって言ったんですか?〜あなたの隣の重過失〜

重過失。
些細な注意を払えば防げたはずなのに、その些細な注意を怠ったがために重大な結末、例えば第三者の死亡などを招いた場合につけられる罪状。
平成31年、日本工業大学による屋外イベントにおいて木製のジャングルジムの内部から出火、幼い子供の命が奪われるという痛ましい事故があったことは記憶に新しいが、この事故で起訴された人物の罪名は重過失致死罪である。
木製のジャングルジムに高温になる白熱球を仕込んだだけでなく、その周囲に燃えやすい鉋屑(かんなくず)を詰め込むという発火待ったなしの状態だったことは、白熱球の熱さを知っている昭和生まれの度肝を抜いた。

類似するものとして、重過失失火というものもある。寝たばこや火の不始末などで火災に発展した場合に適用される。

そこに故意、悪意がないということのみならず、加害者のちょっとした気の緩みや無知と、ほんの一手間の注意を怠ったことで人を死なせてしまう事故は実は少なくない。
バックモニターもアラウンドビューもない車をガレージに入れる際、なぜか幼い子供を先におろす親、ガス漏れ警報で点検に来たにも関わらず、暗いからとなぜかライターをつける人、回収したスプレー缶を空にするため大量に噴射したのちになぜか瞬間湯沸かし器をつけて爆発させる人などなど、他人事としてその報に接すれば「なんでそうなった」と唖然とするわけだが、そんな私たちの隣にも「最悪のミステイク」はまるで日常の裂け目のように口を開けているのだ。

あなたはミスを犯さないか。あなたの隣人は、家族はミスを犯さないか。 続きを読む 何見てヨシって言ったんですか?〜あなたの隣の重過失〜

🔒鬼の棲む家~泉崎村・虐待死事件

入学式にて

平成18年4月。福島県泉崎村の小学校では入学式が執り行われていた。
両親の手を引かれ、緊張した面持ちながらどこか晴れ晴れとした顔で校門をくぐる子供たち。
そんな中、教師や保護者は新入生の一人である児童の姿にくぎ付けとなった。

その新入生は、異様だった。

身長は他の児童が110センチから120センチであるのに対し、約80センチと、とても7歳になる子供とは思えなかったのだ。
身長だけではない、体重も10キロあるかないかで極度に痩せ細り、足はまるで「棒切れ」のようだった。さらに、ランドセルを背負うとそのままひっくり返ってしまった。

「……病気なのかな」

一部の保護者の間では心配する声もあったが、特に介助をする保護者の姿もそばになかった。

入学式から3か月後、その痩せ細った児童の両親は保護責任者遺棄「致死」の容疑で逮捕された。

しかし、死亡したのはこの痩せ細った新入生ではなかった。

捜査員が絶句した現状

平成18年7月28日、3歳になる三男に適切な養育をせず、衰弱死させた疑いで福島県泉崎村の夫婦が逮捕された。
逮捕されたのは無職の白髭功(当時40歳)と、その妻で同じく無職の和歌子(当時33歳)。

調べによると白髭夫婦は、平成18年5月28日ころ、三男・広(ひろむ)ちゃん(当時3歳)の具合が悪くなったことで病院に担ぎ込んだが、広ちゃんは死亡。状況から病院が警察へ通報したことで事件が発覚した。

しかし、広ちゃんの遺体は捜査員らが憤りを隠せないほどの凄惨な状態だった。
体重は平均の半分の約7,9キロ、これは生後半年程度の乳児の平均体重で、全身に暴行を受けた痕があった。
広ちゃんの手足に筋肉はほとんどなく、ずいぶん前から寝たきり状態にあったことも分かった。そして、死亡直前に食べさせられたとみられる「バナナ」のかけらが喉をふさいでいた。

広ちゃんは、反射運動すらできないほどに衰弱させられていたのだ。

広ちゃんが死亡した直後、連絡を受けた警察が自宅を訪問したところ、家の中には極度に痩せ細ったあの児童がいた。しかも、そのほかに姉と思われる女児の姿もあった。
女児もその発育が一目で極端に遅れていることが分かるほどの状態で、女児の腕には刃物で切り付けられた傷まであった。
警察はすぐさま二人を児童相談所へ連れて行き、そのまま姉弟は保護となった。

出迎えた村の女性職員が思わず子供たちを抱きしめると、きょとんとした顔をして、
「なんでそんなに優しいの?」
と聞いてきたという。

「どんなことがあっても親の責任を追及する。」

捜査員の一人は戦慄いてそうつぶやいた。
この家には3人の子がいて、広ちゃんは死亡、上の兄と姉は保護されたが、この夫婦の子供はあと2人いた。
長女は生後3か月で乳児突然死症候群で死亡していたが、長男は健在だった。が、ここにはその姿はなかった。

平成14年に功と和歌子は長男の親権を失っていたのだ。

【有料部分 目次】

長男への虐待
「難しい家族」
功と和歌子
地獄の日々
裁判
小さな地域社会の限界
親子という幻想