但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********
攻める検察
これまでの裁判の状況ではっきりしていることは、
①何らかの事情で野田さんは死亡した
②死亡時期は平成29年12月1日午後11時50分~12月2日午後9時53分の間
③死因は自死、事故死、病死ではない
④死亡した場所は野田さんの自宅内
⑤第一発見者は光洋
⑥遺体を焼損し、遺棄したのは光洋
である。⑥の罪については光洋も認めている。
しかし、最も重要と言える、「誰が野田さんを死に至らしめたか」という部分は、決定的な証拠に欠けていると言わざるを得なかった。
だからこそ、疑わしきは罰せずを盾に弁護人は傷害致死の成立を認めていない。もうひとつ、検察も光洋が「殺意を持って」野田さんに暴力を振るったとまでは言っておらず、あくまで傷害致死にとどまるとしていたが、死因自体が複数の傷が原因となっていることなどから、光洋が野田さんをその日縛ったうえで暴行を加えた、とする検察の主張に「合理的な疑いをはさむ余地がないかどうか」をその他の状況から判断しなくてはならなかった。
たしかに光洋は野田さんの土地を売ろうとしていたし、野田さんの母親の生命保険の半分を受け取る約束をするなど、野田さんの財産を搾取しようとしていた印象は否めない。
しかし、受け取っていない生命保険証券が出てきたのは偶然であり、また、土地を売却するのも先に述べた通り持っていたところで野田さんにとってはメリットがなく、それならいっそ金に換えた方が良いのでは、というのもおかしな話とは言えない。
一方で、公証役場で包括遺贈の証書を作成しようとするなど、光洋が自己の利益を全く考えないで野田さんの世話をしていた、とも言い切れない部分はある。
こんな証拠だけではたして検察は光洋の「悪意」をあぶりだせるんだろうか、そんな気持ちに正直なっていた。
しかし、被告人質問の終盤。検察は一気に光洋のその「悪意」の部分を暴いていった。
主任検察官:「あなた、野田さんを家の外でも縛ってませんか?」
光洋「?そういったことはありません」
主任検察官「あなたの知り合いの女性とその彼氏を、野田さんの家に住まわしていたことがありますよね、その時、男性が母屋と離れの間の庭先の柱に、野田さんが縛り付けられていたと言ってますが?」
実は3日目の証拠調べにおいて、複数の関係者の証言があげられていたのだが、その中に若い男女の証言があった。
その男女は恋人同士で、当時二人で同棲する部屋を探していたところ、女性が勤める店の客であった光洋が野田さん宅の一部屋を貸す、という話をまとめていたのだ。
男性は何度も野田さんと光洋とともに行動をしていたが、ある時納屋の柱に野田さんが縛り付けられているのを見たと話した。
それ以外にも光洋が野田さんに暴力を振るっている場面や、みんなで温泉施設に出かけた際、野田さんは風呂に入らさないばかりか、その後歩いて家まで帰らせるなどの嫌がらせもしていたという。
同じく、彼女であった女性も光洋による野田さんへの暴力行為を見たと話しており、また光洋について、「仕事もしてないのによーけ金もっとんなぁ」という印象を抱いていたとも証言した。
しかし光洋は、この男性らの証言を真っ向否定したのだ。とにかく、野田さんを縛ったりしていない、いや正確には8月に一度縛りはした(警察沙汰になった件)けれど、それ以外は縛ってないし、過去に縛られている野田さんを見た人がいてもそれは自分がすすんで縛ったのではない、と、とにかく縛ってないということを必死に訴えていた。
検察官は意に介さない風でさらに続ける。
主任検察官:「野田さんの自宅の壁や天井、とにかくあらゆるところに血しぶきがあったのですが?」
光洋:「それはビンタしたとき鼻に当たって鼻血が…」
主任検察官:「(かぶせ気味に)それではその場所を示しますねー、モニター見てください。一度の出血でこんなに飛び散りますかねー(棒)。」
モニターは傍聴席にも見せられた。その血痕の場所は、CSI科学捜査班もびっくりの、床やふすまに限らず、壁や天井など広範囲に確認されていた。ちなみに野田さん宅には複数の部屋があり、平屋ながら結構な大きさである。その家の中のありとあらゆる場所に血痕と思しきものが付着していたのだ。
さすがに弁護人からは「そのすべてが野田さんの血痕とは限らんでしょうが!」と異議が飛んだが、裁判所は認めない。さらに、脱衣所に散らばる複数の「ヒモ」についても、光洋は「知らない」と言ったが、それに続けて、「使ってない」とも言った。それは誰も聞いてない……と思ったが、光洋の頭の中には「とにかく今回は縛っていない」ことしかないようだった。
逮捕監禁の夜の「ピンドン」
検察は次に、光洋の献身の真意についても疑問を呈していく。
光洋が野田さんの世話を焼いたことの本当の目的はなんだったのか、たしかにそこもいまいちよくわからない部分ではあった。
光洋は野田さんの金銭管理を行っていたというのは先にも述べたとおりだが、光洋が受け取った分についてどうしたのかと聞かれた際、光洋は「(野田さんと)二人の生活費として使う予定だった」と述べていた。
しかし、実際には野田さんの生活は改善されておらず、また、家も荒れ果て、家の中でも土足でいなければならないほどだった。
野田さんが寝ていた布団には確認するのが怖くなるほどの黒い染みが広範囲にあり、事実野田さん自身もローソンの岡村さんが指摘したとおり、やせ衰えて著しく汚れていた。
検察は確認が取れたものだけという前置きの下、光洋が浪費した証拠を挙げていく。
野田さんが光洋と知り合った後に受け取った保険金は、平成28年12月28日のかんぽ生命5,664,898円のほかに、平成29年8月18日に全労済から5,013,534円の入金も得ていた。ちなみにここから8,279,672円がすでに引き出されており、野田さんの口座には240万円余りしか残っていなかった。そして、その一部は野田さんの口座から出金された直後に、光洋の口座に移されているものもあった。
光洋は新居浜、西条市内のラウンジやスナックに足繁く通っており、一晩で10万以上を使うこともあったという。また、グッチやヴィトン、モンクレールといった高級ブランド品も65万円分購入していた。
そして注目すべきは、この2度目の全労済を引き出した日付である。
思い出してほしい。この平成29年8月18日になにがあったか。
そう、この日は野田さんが全裸で縛られ、近くの神社に助けを求めたあの逮捕監禁事件があった日である。
あの日、光洋は警察や宮司に対し、「野田さんが酔って暴れたからやむなく縛った。自分が外出している間見張れないから」という説明をしていて、確かに午後の1時と3時の二回、光洋が外出していた。しかしその外出の目的が問題だった。
実はまさにこの外出していた時間、光洋は何度も野田さんの口座の残高照会を行い、入金後は50万円を2回に分けて引き出していたのだ。
そうなると、野田さんを縛った本当の理由が見えてくるような気がしないでもない。
さらに、警察に事情を聞かれ、野田さんに対しても申し訳ないことをしたと謝罪し、宮司にも迷惑をかけて申し訳ないと頭を下げるなどしていた光洋は、それとは裏腹な行動もしていた。
主任検察官:「あなたこの日、宮司さん宅に謝罪に行った後、どうしてましたか?」
光洋:「……家に帰りました。」
主任検察官:「えーあなたは新居浜市内の「ルシア」というお店に行ってませんかその日。そしてそこでピンクのドンペリ入れてますよねー。これって14万5千円もするんですね一本。覚えてませんか?お店の帳簿に残ってるんですけど。」
おそらく不意打ちであったのだろう、途端にパンの話を持ち出すなど明らかにしどろもどろになった光洋だが、
「もうその日はえらい怒られて母親にも怒られて気分がふさぎ込んどって……それで憂さ晴らししようと……」
と、その事実を認めざるを得なかった。
すでに傍聴席も含め、光洋の人間性に対してかなりドン引き、といった空気が法廷には立ち込めていたが、検察はさらなる驚くべき証拠を持ち出してきた。
遺書
検察は、ある証拠をモニターに映し出した。
それは、野田さんが死亡した後の現場検証時に見つかったもので、A4の用紙にこうしたためてあった。
「神野さんに一番お世話になっています。
自ら命を絶つことをお許しください、ありがとうございました。
さようなら 野田育男 平成29年8月3日」
どこをどう見ても遺書である。しかし、野田さんがこれを自分の意思で書いたかどうかは、まるっきり不明だった。
しかもこの遺書は、作成日時が8月3日で、部屋にあった卓袱台のような机に置いてあったというが、その直後の8月18日の逮捕監禁事件の際の現場検証では発見されていなかった。
そしてその後の8月26日、光洋は野田さんを伴い、公証人役場で包括遺贈についての相談をしているのだ。
光洋はそんなものは知らないと、頭を振った。ならば、野田さんがこっそり作ったこの遺書を、机の上に数か月間も置きっぱなしにしていて誰も気づかなかったというのだろうか。
はっきり言って、野田さんは自殺を考えるようなタイプではない。もっと言うと、こんな遺書が果たして書けたかどうかも怪しい。
なによりも、野田さんはその後も自殺するようなそぶりは見せていないし、光洋に縛られたあの日も自ら助けを求めて外に出ているのだ。自殺願望があったならば、助けを求めたりするだろうか。
ふと、これはもしかして光洋が自らここに置いたのでは?という想像をしてしまった。野田さんが死亡した後、光洋は野田さんの遺体を隠していた。さらに、知人や近隣住民に対し、野田さんは仕事が見つかってよそへ働きに行っていると話していたのだ。
このまま遺体が見つからなければ、いずれこの遺書が威力を発揮してくる。出稼ぎに行った先で行方不明になったとでも言えば……。
もちろん、遺体が出なければ失踪人としか扱われず、最低でも7年の月日がたたなければ死亡宣告は出来ないわけだが、そこまで光洋の頭が回ったとも思えず、死亡した後のどさくさに思いついた浅知恵なのではないか、と想像してしまった。
それほど、この遺書は意味不明なものだった。
それ以降も、検察の「攻め」は続いた。
光洋の供述が、当初と変遷していること、検察官による弁解録取で言っていたことと、法廷での証言が違っていることを聞かれると、光洋は大げさに「えぇー!記憶って怖いですね」などと馬鹿にしとんかと言いたくなるような言動を見せた。
さらには調書にある検察官の名前を見て、「そんな人おったかなぁ」と呟くなどし、主任検察官が「検察官が嘘をついてるとでも?!」と呆れて問い質す場面もあった。
また、公判前整理手続きにおいての弁護人の主張とも食い違う説明をしている点について、「じゃあ弁護人が嘘をついたということですか?」と聞かれて、「まぁ、そうだと……」と、弁護人に擦り付けるようなことも言う始末で、あまりのしどろもどろを見かねた裁判所が「ちょっと混乱してるようなのでね、休廷。」としてしまうほどだった。
検察官は、「あなたは時がたてばたつほど、話を付け加えていく。つじつま合わせをしているからではないのか。」と光洋を糾弾した。
実際、検察官の取り調べに対しては「死亡する前夜から当日にかけて二人きりだった」と話していたのに、裁判が始まると「第三者がいた可能性」を示唆し始めたり、当初野田さんは病気で死んだと思ったと言っていた(寒風山での作業員とのやり取り)のに、古宮医師が病死ではないと断言すると、第三者による加害説を唱え始めるなど、弁護人の入れ知恵だけとは思えないような状態ではあった。
また、複数の目撃情報がある事柄、たとえば警察官が野田さんに外傷がなかったと言っているにもかかわらず、「右足から出血していた」という話をしたり、縛られているのを見たという話を真っ向否定してみたり、否定さえしておけばなんとかなると思い込んでいるような節があった。
ちなみにこの右足の怪我の説明についても、供述は変遷している。当初は靴下が血でびしゃびしゃになるほど、という説明を検察官にしていたが、裁判では「血が足の甲に滲んでいた」と全く違うニュアンスで話していた。
それ以前に、警察官は野田さんが裸足だったと説明していたのだが、光洋の中では靴下を履いていたということになっていた。
その矛盾を突き付けられても、「イヤイヤ……笑」と笑ってごまかしたり、大きな声で「ええー!!」と驚いてみたり、必死で自分の正当性を主張していたが、到底納得のできる説明にはなっていなかった。
実際に見てはいないが、恵庭OL殺害事件の裁判での被告の様子もおそらくこんな調子だったのかなぁと思ったりもした。彼女も、都合の悪いことは忘れ、矛盾を指摘されると「私がばかだから」とかあらぬ方向から弁解し始めたというが、光洋もまた、傷害致死に関しては最後まで否認を貫いた。
そして公判5日目。
その日は情状証人の出廷が予定されていた。
2年ほど前から拝見させて頂いてます。
殺人事件等にかねてから興味があり、そういったサイトをよく見てたのですが、
こちらのブログ程、被害者、加害者のバックグラウンドや殺人に至る過程などの詳細が載っているサイトはなく、管理者様の入念なリサーチと鋭い考察にはいつも脱帽してます。
今回の事件ですが、
手口の巧妙さや残虐性の差はあれどかの北九州の監禁殺人事件に少し似ている印象を受けました。
周りからするといくらでも逃げ道あるじゃんと見えるかもですが、金銭面と暴力による支配と、おそらく、”おまえができへんからこうしとるんじゃ”とか”おまえのせいでこうなっとんや”とか、事あるごとに罪の意識的なものをもたせある種のマインドコントロールをしてたんだろうなと。なので野田さんも神田のことを悪く言わなかったのでしょう。野田さんの生活力のなさも災いしたとこもあるのでしょうが。。
もう少し賢い加害者であれば完全犯罪にもなってただろうと思え怖いですね。
こういった長期に渡る監禁じみた事件は被害者側の心理がとても気になるのですが、被害者から直接は知る術がないのが残念です。
野田さんの知人からの証言があれば紹介頂ければと思います。
次回記事楽しみにしております。
判決はまだみないようにしてます笑
山口 さま
コメントありがとうございます。
この「事件備忘録」は、事件の概要はもちろんですが、「なぜこんなことになってしまったのか」ということに重点を置きたいと思い作っているものなので、そのようにおっしゃっていただけて嬉しく思います。ありがとうございます。
さてこの事件ですが、たしかに規模は違えど北九州の事件に共通しているような面もありますね。
一方で、裁判を傍聴していると二人の関係性というよりも、被告人が野田さんに一方的に執着している面が見えてきました。
次回以降、そのあたりも触れていきますのでまた読んでくださるとうれしいです。
この「おもいあがり」というタイトルの意味、そういう事か……と思って貰えると思います!
光洋の人間性に私もドン引きです。
なんでお金たかられた上に暴力や嫌がらせされなきゃならないのか。
せめてペコペコしてたかれよと思ってしまいます。
恵庭のOLの被告もムカつくけど、この男もすごいムカつきますね。
裁判なんだから真摯に受け答えしろよとおもいます。
ちい さま
いつもコメントありがとうございます。
野田さんにたかった人は光洋だけではありませんが、光洋以外の人は下手に出たり、煽てるなどしてたかっていたように思います。
けれど、光洋はそうではなかった。
光洋の本当の狙いってなんだったと思いますか?
私は「金」ではなかったんじゃないかと思っています。
もっと、精神的なものだったのかな、金はついてきたものに過ぎなかったのでは、と。
その辺も今後書いていきますので、楽しみにしてもらえると嬉しいです。
親御さんがお金と家を残してくれていたのに赤の他人に搾取され続けられて被害者が可哀想でたまりません。
法廷が進むにつれ加害者の正体が人では無く寄生虫だと暴かれていく過程が恐ろしいです。
ふ さま
いつも読んでくださりありがとうございます。
野田さんのご両親は、おそらく農家だったと思われます。離れには農機具や農作物を入れるキャリーなどがありました。
室内の様子も、設備などは相応に古かったですが、お仏壇なども設えてあり決して貧しい家庭ではありませんでした。
野田さんが受け取った保険金などをみても、ご両親は野田さんの生活を考えておられたと思います。
ただ、これは記事にも書きますが、お金を遺すことが安心に繋がる訳では無いということを思い知らされた気もします。
野田さんに必要だったのはなんだったのか、その辺もしっかり書きますのでまた読んでいただけると嬉しいです。