もうひとつの「虐待の家」~住吉区・小5男児衰弱死事件~

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平成161月、大阪府岸和田で当時中学3年生の少年が、実父と継母に餓死寸前ににいたる虐待を受けていたことが発覚。
少年の体重は24キロまで減っており、この父と継母は殺人未遂に問われた。
幸いにも一命をとりとめた少年だったが、その後遺症は重く完全な回復は見込めない状態となった。

殴る蹴るの感情的な虐待に加え、監禁した上に食事を与えないという人を人とも思わないこの事件に社会は言葉を失った。

しかしその事件が発覚したのと同じ頃、同じ大阪の、ある少年の死が、実は事件であったことが判明していた。
12歳だったその少年も岸和田の少年と同じように、監禁されて自由を奪われ、満足に食事も与えられず、死亡当時の体重はたったの19キロしかなかった。

我孫子の少年

その死は、当初事件として扱われていなかった。
平成14813日未明、大阪市住吉区のマンションに暮らす女性から、「子供が死んでいる」と警察に届け出があった。
自宅マンションに駆け付けた住吉署の署員は、その子供の姿を見て絶句した。
その子供はまさに骨と皮だけの状態で、子供だということは分かるもののいったい何歳なのかすらわからない、そんな状態だった。

「前日までは普通に立って歩いてたんです、仕事から帰ったら死んでいて

母親らしき女性が困惑した様子で署員に事情を説明したが、子供は確かに既に死亡していた。
遺体の状態から、あきらかに普通ではないと思われたが、母親は食事を与えても本人が食べなかったといい、学校や専門のカウンセラーらに相談しながら面倒を見ていた、などと話したことから、警察では学校や周辺の人々に話を聞くなど慎重に捜査を進めていた。

話を聞く中で、どうやらこの子供は精神的な病気があったことが判明、それに対して学校にも説明があったことや、担任らが様子を確認した事実があったこと、いわゆる肉体的な虐待とみられるものがなかったことなどから、いったんは事件性は薄いと判断されていた。

ところが平成163月、新聞各社は大阪地検がこの母親を起訴していた事実を報道。
逮捕は同年115日。あの少年が死亡してから実に1年半が経過していたことについて、警察は「殺意の有無などを含め慎重に捜査した結果。そのうえで、逮捕したほうが良いと判断した」と話した。
実はこの住吉の事件が発覚したころ、同じ大阪府の岸和田市で信じられない虐待事件が発覚し、報道されていた。警察はそれにも言及し、「住吉の事件のほうは岸和田の事件のような暴力がなかった」とも説明していた。

そしてもうひとつ、重要な事情として、
「(亡くなった少年の)母親の友人の長男に配慮した」
とも説明があった。

監禁に至る事情

平成14年に死亡したのは、住吉区我孫子西の小学5年生、大迫雄起くん(当時12歳)。死因は栄養失調からの衰弱と、急性肺水腫によるものだった。
雄起くんはなぜ、骨と皮だけになるほど痩せ衰えていたのか。
雄起くんは我孫子のマンションで介護ヘルパーの母親と生活していたという。近くには祖父母の家もあった。

警察は、雄起くんの母親の大迫朋美(仮名/当時36歳)を保護責任者遺棄致死と監禁致死容疑で逮捕した。
調べでは、平成131月ころから当時10歳だった雄起くんをマンションの四畳半の部屋に外から南京錠をかけ監禁、平成144月からは1日一食しか食事を与えないなどし、その年の812日夕方に死亡させたとした。

監禁は17か月に及んでいたという。

監禁されて以降、当然学校に行くこともできなくなった雄起くんは次第に衰弱し、明らかに医師の治療が必要だったにもかかわらず、母親の朋美はそれら必要な措置を何ら講じていなかった。

朋美はなぜこのような常軌を逸した行動に出たのか。

警察に対して、「息子には精神的な障害があった。食事を与えても吐き出してタンスに隠すようになり、食事を減らした。すべては息子のために治療の一環として行っていたことで虐待ではない」と主張。
朋美の言い分によれば、雄起くんは小学4年生の2学期頃から不登校になったという。その後、勝手に家を飛び出したり自傷行為などが出始めたことで、やむなく仕事に出る間は鍵を付けた部屋に閉じ込めるようになったという。
朋美には、あくまで息子のためを思ってやったことであり、虐待などとは全く思っていないようだった。

ところで警察は朋美の逮捕と同時に、別の人物も同容疑で逮捕していた。
それは、朋美のママ友だった。

その母子と、ママ友

朋美と共に逮捕されたのは、朋美の自宅の近所に住んでいた主婦・川口美代里(仮名/当時38歳)。
警察は美代里と朋美が共謀して監禁や食事を与えないといった虐待を加え、結果雄起くんを死に至らしめたとした。

朋美と美代里の出会いは平成5年。当時子供服販売の仕事をしていた朋美の職場に客として現れたのが美代里だった。
体格がよく、見るからに頼りがいのありそうな美代里に、朋美はなにかと相談していたという。
美代里には雄起くんと同い年の男児がおり、その男児が通う学校の保護者らの間でも美代里は名の知れた存在だった。
育児や夫婦の、この世代の母親ならだれもが抱く悩みや不安を聞いては、親身にアドバイスしていたといい、小学校の先生らも美代里を頼りにするような状態だった。

平成7年に離婚した朋美は、美代里との距離を縮めていく。シングルマザーとして働かなければならない朋美は、平成9年ころから留守の間の雄起くんの世話を美代里に頼むようになった。
そのうち、夜も働くようになった朋美は、美代里の自宅近くへ越して雄起くんの世話をお願いしていたという。
すでに2度の離婚歴があった美代里は、朋美にとってシングルマザーとしても先輩だった。

美代里には、雄起くんと同い年で同じ学校に通っていた長男がいたことから、当初は雄起くん、長男、共通の友達らと遊ぶことも多かった。
「気弱なところはあったけど、仲良くなると心を許してくれる」
その共通の友人は後に雄起くんについてこう話している。
小学校3年生までは、それぞれがそれぞれの家を行き来するなど非常に健全な関係だったという。時には朋美が子供たちを夕食に招くこともあった。

それが、突然終わりを告げた。

友達と疎遠になったのが小学4年生のころ。その後一度だけ、美代里の長男と遊ぶ約束をしていた同級生が、長男が雄起くんの自宅にいると聞いて訪れたところ、雄起くんが姿を見せたという。
声をかけたが、雄起くんは何も言わず、黙ったまま。見違えるほど痩せていた。表情のないその顔は、仲良く遊んだ頃の雄起くんの面影すらなく、同級生はそれ以上声をかけることができなかった。

そして、それが雄起くんを見た最後だった。

ママ友のアドバイス

ある時、朋美は美代里から雄起くんについて驚くべきことを聞かされる。
「この子は精神的な病気があるのではないか」
唐突に思えた言葉であるが、実は以前、美代里の長男を突き飛ばしたことがあった。幸い、けがなどはなかったが、朋美もその時のことを気にしていた。
そういえば、以前知人から雄起くんの言葉が遅い、と指摘されたこともあったし、勝手に家を飛び出すなどの問題行動があった。
忙しい朋美に代わって雄起くんの世話をしてくれている美代里に言われたことで、朋美はさらに不安になっていく。

ほかにも美代里は気になる話をしていた。
「石鹸を食べとったで」「なんや、急に意味不明の話し始めて……
朋美は愕然とした。これでは完全に異常ではないか。しかも美代里の子供を突き飛ばすなんて。

そんな朋美の不安を見透かしたように、美代里はこう告げる。
「このまま学校に行かせたら、多分ほかの子にも同じことするやろな」
そんなことになったら大変、どうすれば!?動転する朋美に対し、美代里はある提案をした。

「私が面倒見てあげるから、家にずっとおらしといたらええ」

朋美に自分の頭で考える余裕はなかった。縋るような思いで、朋美は以降、学校には休ませると連絡をする。
理由を聞いてくる学校に対しては、「精神的に不安定で人に会うと悪化する恐れがある」と説明したが、納得しない学校は何度も朋美に連絡を取ろうとしたという。
「雄起は自宅療養が必要なんです。病気の専門のカウンセラーにもかかってるので、担任の先生であっても顔を合わせるのはお断りします。」
朋美に代わって学校に対応したのは、「代理人」と名乗る美代里だった。

学校

事件発覚後、雄起くんが在籍していた長居小学校では驚きと共に、「あのお母さんなら……」という雰囲気もあった。
あのお母さん、というのは、朋美のことではなく、美代里のほうである。
美代里はそれまでにも、障害のある子どもの世話を甲斐甲斐しく行ったり、普段から学校によく出向いては教師らとも交流を持っていた。
当時の校長も、「非常に面倒見のいいお母さんで、教師や保護者らからの信頼も厚かった」と話す。
そのため、長居小に出入りしていた児童相談所の職員にも、雄起くんの状態をあえて相談することはなかったという。

雄起くんが学校に来なくなって以降、朋美が学校へ出向く際には必ず美代里の姿があった。そして、代理人と称して雄起くんの状態を説明、それを学校は鵜呑みにしていたというのだ。

雄起くんが死亡した後、警察が学校の関係者らに事情聴取をした際も、学校としては美代里に全幅の信頼をよせていたことから、まさか犯罪行為が行われていたなどとは夢にも思わなかったらしい。

一度、担任が自宅を訪問した際、雄起くんと話す機会は得られなかったものの、ベランダ越しに雄起くんの姿を確認できたという。
学校はその事実だけで、雄起くんの健康状態に問題はないと判断してしまった。以降、学校側は美代里のいうことを完全に信用してしまう。

美代里は、少なくはなかった母子家庭仲間のリーダー的存在でもあった。100キロほどはあろうかという巨体は、時に「安心感」となった。実際に非常に面倒見がよく、学校と保護者の調整役のような役割も担っていたのも事実だった。

校長ら管理職が美代里に対して信頼できるという評価をする一方で、現場の教員からは違う声も聞こえていた。

次は誰を飛ばしてやろうか

美代里について、あるエピソードがある。
自身の長男が5年生の時、「教師から体罰を受けた」と美代里が学校に抗議してきたという。それまでも、「子供がいじめられた」と訴える母親に付き添って学校に抗議したこともあった。
当の教師は否定し、校長らも事実関係を確認したうえで誤解の可能性が高かったために取りなそうとしたが、その後教師自ら希望を出して移動となった。

その際、美代里がボスとして君臨していたママ友仲間らに、
「次はどの先生を転任させてやろうか」
と話していた。

校長らが教師を守っても、その教師自ら移動を願い出ざるを得ない状況を、美代里は作り出していた。
おそらく、自分の取り巻きたちも総動員したのだろう。美代里のいうことはいつしか絶大な力を持ち、美代里を疑うこと自体が許されないような環境が出来上がっていた。

現場の教師らは表面上は美代里に対して一目置いているように装いながらも、本心ではそれが「恐怖心」であることに気づいていた。

美代里のことを、実は誰もが恐れていたのだ。

悪化

美代里はその後も学校からの問い合わせに対し、
「見知らぬ人と会うと悪化する」「今診てもらっているカウンセラーでうまくいっている。近いうちに会える」
などと話し、来年からはまた学校にも通えそうだなどと話していたが、実際に医療機関やカウンセラーが雄起くんを診たという事実はなかった。

そして、学校側が不信感を持ちそうになると、「もうすぐ学校に行かせられる」などと言ってははぐらかした。

朋美はどう思っていたのか。
雄起くんの状態は良くならず、家出を繰り返すようになったという。それだけではなく、はさみを持ち出して自傷行為にまで及ぶようになった。
そこで、美代里に相談すると「鍵をかけておくといい」と言われたことから、南京錠を購入、内鍵をつけるようになった。
家に閉じ込めるようになって以降、雄起くんは次第に食欲を失い、朋美が留守の間に美代里がカロリーなどを計算して作った食事も、食べなくなった。
そこで、無理やりでも食べさせなければならないとして、食事を食べやすいおかゆにし、それでも食べないときは流動食を準備したという。

平成14年の4月ころからはその食事を11回にした。量は少ないと感じたが、美代里が栄養やカロリーを考えて用意してくれているので大丈夫だと思っていた。というか、もはや美代里のいうことを信じることしか、朋美にはできなくなっていた。

そして8月、雄起くんは栄養失調の末、死亡した。

暴走するボスママ

そもそも雄起くんは精神的に異常があったのだろうか。
朋美が主張した雄起くんの様子は、①複数の家出 ②自傷行為 異食 ④他害行為 ⑤食事拒否 というものだったが、裁判ではこれらのことについて学校の教師と雄起くんの祖母が証言台に立った。

事実として、美代里の長男に対する暴力行為というものはあった。複数の家出も、不登校も、食事拒否も事実だった。
しかし、それらは細かく見ていくと話しの後先がおかしいことに気づく。
雄起くんは平成12年ころ、複数回の家出をしている。しかしこの家出の行先は、自宅から1キロほどの祖父母宅だった。
当時すでに不登校となっていて、生活全般を美代里が面倒をみていたわけだが、祖父母宅で雄起くんはSOSを発していたのだ。

一緒にふろに入った祖父は、雄起くんの体の痣を確認、本人にどうしたのかと聞くと美代里にやられたと話したという。
加えて、食事を満足にさせてもらえないという訴えもしていた。ある時ははっきりと「家に帰りたくない」と懇願していたという。
心配した祖父母は、美代里に面会し、事の次第を確認したようだったが、その際、美代里に「絶対に私が責任をもって治す」と、泣きながら訴えられたことで雄起くんを家に戻してしまった。

雄起くんが監禁状態にさせられたのは、この直後のことだった。
そしてそれを、「不登校」と呼んでいた。実際には、雄起くんは学校に行きたくても行けない状態になっていたのだ。

祖父母は何度も自宅を訪問したり電話を掛けたというが、そこから2年間、雄起くんに会うことも声を聴くことすら、できなかった。
朋美は雄起くんのためにならないと美代里に言われ、祖父母に預けていた合い鍵を奪い返し、自宅の固定電話も取り外していた。この時点で、外部から雄起くんに接触することが事実上不可能になっていたのだ。

ただその祖父母の疑念をはぐらかすために、朋美はことあるごとに安心させるようなことを伝えていたのではないかと思われる。そうでないならなぜ2年間も様子のおかしい孫を放っておけるものか。

食事拒否については、これは私の推測でしかないのだが、事実として与えられていたのがおかゆに刻んだ野菜を混ぜたものだったことから、単に「とても食べられたものではなかった」のではないか。
美代里は世話を任されていたとどの報道でも書かれてはいるが、実際に裁判を傍聴した人によればそもそも家事と言われるようなものをしていなかったようなのだ。
弁当が必要なのに作らなかったり、食事もおそらくその程度は元から知れていたように思える。雄起くんが祖父母に訴えたことからも、もともと満足に食事をさせてもらえていなかったのだ。

学校に行けていた時は給食で何とかなっていたものが、監禁状態になって以降は雄起くんのすべてが美代里の手の中にあったと言って良い。
考えてみてほしい、味もそっけもない物を出されて、喉を通るだろうか。
加えて、雄起くんの美代里への反発のようなものがそこにあったとも考えられる。おなかが減れば食べるだろう、そうかもしれないが、そもそもの量が少なく、食べたいという気持ちよりも食べる気力が失われるほうが早かったのかもしれない。

自傷行為については、それが起きた時期に注目したい。雄起くんははさみを自分に向け、「僕はもう死ぬんだ」と口走ったという。
しかしそれは、家から自分の意思で出られなくなってからの話だ。「そういうことがあったから」家に閉じ込めたのではない。
警察でも、この行為は精神的に追い詰められてのこととみていた。

たった10歳程度の子供が、このままでは自分は死ぬ、そう思わざるを得ない状況を、朋美と美代里は「作り上げていた」。

石鹸を食べる、意味不明のことを言う、これらについては、もう美代里のでっちあげとしか思えない。ある出来事が起こるまで、教師も友達らも皆、雄起くんにおかしなところなど全く見出していなかったのだ。

その出来事は、美代里の長男を突き飛ばしたあの一件である。

はずれた目論見

しかしなぜ朋美は、この美代里のいうことを鵜呑みにしたのか。

裁判では朋美の依存体質も指摘された。加えて、朋美自身が非常に真面目だった点も、この事件が最悪のものとなった一因に思える。

元々、朋美はバブル時に財をなした夫と高級マンションで生活していたのだという。それが、バブル崩壊とともに立ち行かなくなった。
それまでとは全く違う生活になっても、朋美は腐ることなく働いていた。借金もかなりあったといい、昼夜を問わず働いていた様子を考えると、朋美は責任感もあるし非常に正しい人、という印象がある。

それがなぜ、自分で考えることを放棄してしまったのか。

こういった事件ではよく言われることだが、真面目ゆえに思い込んでしまう性格の人間は、ターゲット、獲物としての素質も備えている。
人には言えない苦しい思いを朋美はしてきたのだろう、日々がむしゃらに働いていた時、ふと、手を差し伸べてくれる人がいた。
美代里である。
同じ年頃の男の子のいる母親、豪快に笑い、会話のテンポもいい。悩みを相談しても、ぽんぽん答えが返ってくる。

やがて朋美もシングルマザーとなった。わからないことだらけの中で、2度の離婚歴のある美代里は頼もしかった。
夜の仕事をしなければならなくなった時、その美代里が息子の面倒をみてくれると言ってくれて、朋美はどれほど心強く、そして感謝しただろうか。

それが、いつの頃からか朋美にとって、「自分で考えるよりも楽」になった。

美代里にしても、以前から自分の子供よりも周りで困っている母子の面倒を見ていたという話がある。
やりすぎな感は確かにあったが、頼りになる一面があったのもまた事実だ。
しかし、雄起くんについてはそれまでの純粋な人助けとは違っていた。

美代里は、雄起くんと朋美が「困っている弱い母子」ではないことに焦ったのではないか。

朋美は借金を抱えて昼も夜も働いた。母一人、子一人、一見、弱者である。
しかし、先にも述べたように、時には子供らを招いて夕食を共にしたり、雄起くんにしても友達もいて近所には祖父母もいて、実際のところこの母子は特別困窮していたわけではなかったのではないか。

むしろ、本当の弱者は美代里のほうで、それがいつからか人を助けることで頼りにされ、そこに美代里は自分の存在意義を見出した。
以降、美代里は困っている親子を見つけ出しては助っ人を買って出た。あまりに他人の親子にばかり構うものだから、美代里の息子は拗ねてしまうほどだったという。
そこまでしても、いや、そこまでしなければ、他人に自分の存在を認識してもらえない。美代里はそういう女だったように思える。

朋美親子と出会ったとき、獲物だと思ったはずが蓋を開ければ、雄起くんは想像していた弱い子供とは違っていた。
息子に対する突き飛ばし事件があった時、美代里のなかで雄起くんに対する怒り、思い通りにならない焦りが沸いたのではないのか。

将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。
朋美を丸め込むのは容易いことだった。これでもかと不安をあおり、ありとあらゆることをこじつけて朋美から雄起くんを遠ざけた。邪魔な祖父母も迫真の演技で遠ざけた。責任を取りたくない学校は元から障害物ではなかった。

裁判では朋美に対しても、「美代里に丸投げしておくほうが楽だと気付いた」のではないかと言及しており、どこか家庭や子供のことはすべて母親に任せて知らん顔を決め込む父親のような存在に朋美はなっていた。

わけもわからず様々な制限を課され、自分のSOSも届かない。母は、もう母親ではなくなっていた。

洗脳と、される側のずるさ

令和3年春、福岡で5歳の男の子が衰弱死させられた事件を記憶している人は多いだろう。
また、このサイトでも取り上げた愛知県のママ友事件、ひたちなか市のママ友事件など、あることないことを吹き込まれ信じ込んでしまった母親が、ママ友に操られて我が子を死なせるという事件はいくつかある。

この、洗脳状態というのは夫婦間、恋人間ではよく聞くが、実は母親同士の関係でも少なくない。
そこには、母親のネットワークから外されたくないという独特の思いや、孤独や貧困などで誰かに依存したいという性質につけこまれることもある。
そしてなぜか、人を操って欲望を満たす人間は、そのような依存体質の人間を嗅ぎ分ける能力に長けているのだ。

福岡の事件もそうだが、たいていこのようなママ友事件の場合、金を奪うというのが根底にあることが多い。
ただ、この美代里と朋美の関係の場合、たしかにある時期から朋美が美代里に月に2万円を支払うようになってはいたが、それ以外に金をだまし取ったという話は出ていない。そもそも、朋美にそんな金はなかった。

美代里にとっては、金よりも自分自身の居場所、自分を周囲の人間が一目置いて頼りになると称賛してくれることが何にも代えがたいものだったのではないか。困ったことがあれば、美代里に頼ればなんでもうまくいく……とすれば、ただの一度の失敗も許されない。あの先生にしたように、どんな手を使ってでも美代里が正しいという結末を迎えなければならない。
それを邪魔する雄起くんを、美代里は多分許せなかった。

大阪地方裁判所は平成171026日、犯行は美代里主導だったと認定、懲役10年を求刑されていた美代里と朋美は、美代里に懲役9年、朋美には懲役8年を言い渡した。
その後控訴したという情報はあるが、おそらく控訴棄却だったと思われる。

美代里の悪意があったとはいえ、息子のSOSから目を背けひたすら「美代里が言っているから」ですべてに耳をふさぎ、目を閉じた朋美のそのずるさが、美代里を暴走させたとも言えるだろう。

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参考文献
読売新聞社 平成1635日東京夕刊、36日大阪夕刊、38日配信
四国新聞社 平成1636日朝刊
沖縄タイムス社 平成1636日朝刊
佐賀新聞 平成1636
産経新聞社 平成1636日東京朝刊、大阪朝刊、38日大阪夕刊、平成171027日大阪朝刊
朝日新聞社 平成1636日朝刊、大阪夕刊、37日東京朝刊
毎日新聞社 平成17910日、1027日大阪朝刊
NHKニュース 平成16416

本日の気ままな事件日記

2005年度家族法ゼミ