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令和になってもなくなることがない、親による虐待事件。
民法第822条に定められていた親の懲戒権というものが正当な範囲の躾に基づくものなのか、そうでないのかの判断が難しく、令和になってようやく削除となった。
昭和生まれの私が育った家庭では、幼いころは押し入れに入れられたり、廊下で正座させられたり玄関先で立って反省しろと言われたり、よほど悪いことをした時にげんこつをかまされたりすることはあっても、日常的に殴られたりということはなかった。
しかし友達の家では、「やいと」(お灸のこと)をお仕置きがわりにされたり、殴られて歯が折れたとか、そういう話は珍しいことでもなかった。
もちろん、お仕置きされた子どものやらかしは「どんだけ悪いことをしたんだ」と皆が思うようなものだったし、やられた子どもも、親の懲戒という認識があった。親だから、愛されているからこそのものだと、子どもも分かっていた。だから反省したし、誰も命の危険にさらされるような目には遭ってない。
これまで一体どれだけの子どもが、親に殺されただろうか。
理由は様々で、死んでもいいと思ってのものもあれば、あくまで躾のつもりだったというものもある。
中には信じられないが、虐待行為そのものを面白がって、というものや、夫や妻の歓心を買いたい、見捨てられたくない、自分を守るためといったものもある。
事件備忘録でも多くの虐待事件を取り上げてきた。
かねてから過去に報道されている虐待によって亡くなった子供たち一人一人の事件を短くてもいいから、その事実を書き留めていきたいと思っていて、今回からそれを始めてみようと思う。
その内容として単独記事にするものもあるが、古いものは虐待の捉え方が今と違っていたことから情報自体が少ないため時系列と結果のみ、というものも出てくるが、出来る限り取り上げていきたい。
鳴海香織ちゃん(大分県:平成15年1月25日死亡/当時5歳)
大分県警別府署は、5歳の娘をほうきや金属バットで殴打し、食事を与えないなどの虐待を加えたとして別府市鶴見の無職・鳴海優美香(仮名/当時27歳)を傷害容疑で逮捕した。
虐待された娘は次女にあたり、当時6歳の長女は虐待された形跡はなかった。
平成15年1月14日の未明、様子がおかしいことに気づいた母親が隣に住む姉夫婦に連絡し、病院へ運んだところその様子から虐待を確信した病院から通報が入った。
意識不明で担ぎ込まれた娘は、その後1月25日に低酸素性虚血性脳症により、死亡した。
死亡したのは優美香の次女、香織ちゃん(当時5歳)。
香織ちゃんは背中が腫れあがり、明らかに痩せていてしかもその手足の先は凍傷によって壊死していた。
さらに、女児であるはずの香織ちゃんの頭髪は丸刈りにされ、まだらハゲの状態になっていたという。
検察は優美香を傷害致死で起訴。公判では優美香が香織ちゃんに対して行った理解不能な虐待行為と、それに至る理由が明かされた。
優美香は平成10年に夫と離婚後、長女と香織ちゃんを引き取り大分県佐伯市で暮らしていた。
平成14年に別府市内で暮らしていた姉夫婦を頼り、隣のアパートに越してきたが、生活保護を受けての暮らしだった。
優美香は幼いころに両親が離婚、父親からはしつけと称した体罰を受けて育ったという。
そのせいか、優美香自身、子供たちには厳しく接していた。そしてそれは、姉も同じだった。
生活保護、母子家庭という暮らしにおいて、優美香も姉も、「これで子供までちゃんとしていなかったら周りからなんと言われるか」という考えを持っていたようで、子供たちが叱っても返事をしないときなどは体罰を加えることがあった。
長女は当時幼稚園に通っていて社会性をある程度身に着けていたことから、優美香にとってはてこずる子供ではなかった。が、次女の香織ちゃんは元来口下手というか、あまり率先しておしゃべりをするような子供ではなかったようだ。
叱ると、素直にごめんなさいと言える長女と違い、黙り込んでしまう香織ちゃんに、優美香はいら立ちが募っていった。
加えて、隣に住む姉からの「ダメ出し」も優美香の心をざわつかせていた。
「子どもが良くないと、母子家庭だからとバカにされるよ」
ことあるごとにそう言われ、優美香は思い通りにならない「良くない子ども」である香織ちゃんがますます気に入らなかった。姉に言われるがまま、厳しく躾けようとげんこつをしたら、香織ちゃんは一段と無口になり、優美香に懐かなくなった。
このままではバカにされる……
優美香は、姉の家にあった金属バットを借りた。
ある時、香織ちゃんが姉の家のお菓子を勝手に食べたことがあった。その前には、姉の子どもが持っていた20円を勝手に持ち出したこともあったという。
優美香は金属バットで香織ちゃんの背中を殴打するようになる。
平成14年10月ころから始まったそれは年末頃には日常化し、金属バットの先端で小突く、体全体を殴打する、髪の毛をむしったり手拳での殴打、爪で腕や顔を抓りあげるといった凄惨なものになっていた。
さらには、食事の回数を1日1度に減らし、玄関と居間を仕切る扉にカギをつけ、香織ちゃんだけ玄関の土間部分に監禁した。
真冬の寒さに加え、食事を満足に与えられていなかった香織ちゃんはみるみる衰弱し、体中の傷も癒えることがなかった。
平成15年1月には頭髪がまだらハゲ状態になったことから丸刈りとし、背中は腫れあがってぶよぶよの状態になり、香織ちゃんはあまりの衰弱に自立困難となっていた。
トイレにすら行けなくなった香織ちゃんがお漏らしをすると「汚い」と罵ってそのまま放置した。寒さと体が濡れたことで、手の指と足先は凍傷にかかり壊死した。
あまりのことに見かねた6歳の長女が妹を助けようとしたり、食事を分けようとすると厳しく叱って止めさせた。
優美香はもはや、しつけなどではなく、ただただ思い通りにならない娘を、別れた夫に似ている娘を、感情の赴くままにストレスのはけ口にする存在としか見ていなかった。
大分地方裁判所は、裁判においても自らの言葉で語ろうとしない優美香の反省の度合いに疑問を呈したものの、姉からの執拗な指摘や幼いころの父親からの強い暴力などが、もともと香織ちゃんへの接し方に悩んでいた優美香を追い込んだ側面があることなどを考慮、優美香に対し、懲役6年(求刑懲役7年)を言い渡した。
太田 優くん(山形県:平成12年8月6日死亡/当時3歳)
その子供は、体重わずか4.5キロ。3歳児の平均体重の1/31以下だった。
骨と皮だけと言ってもいいその体はひどく汚れ、髪はボサボサ、手足の爪は伸び切っていた。発見時、布団の中には虫が沸いていたという。
山形県警捜査一課は、死亡した子供の両親を「殺人容疑」で逮捕した。それほどまでに、ひどい状況だった。
死亡したのは、米沢市窪田町の太田優くん(当時3歳)。逮捕されたのは父親の太田雅夫(仮名/当時25歳)と母親の太田瞳(仮名/当時23歳)。
二人は遊くんに適切な食事を与えず、体調が悪くなっても必要な医療を受けさせなかったばかりか、生後27日目から頭蓋骨骨折、右足大腿骨骨折などの大怪我を負わせていた。
そして、このまま放置すれば優くんが死んでしまうかもしれないと認識しながらも、虐待発覚を恐れて放置し栄養失調による諸臓器機能不全で死亡させた。
優くんが痩せていったのは、離乳食への移行の失敗にあった。
瞳は離乳食として市販のベビーフードを与えたところ、優くんが嫌がったため、粉ミルクをお湯で溶いたものを与えていたという。
その後も、段階に応じた離乳食を用意することもなく、大人が食べるものを刻んでミルクに混ぜただけのものを与えようとしていた。
当然、うまく食べることができないだけでなく、食に対する興味も薄れていった優くんは、日が経つにつれ体重の減少が顕著となっていた。
死亡する前年の夏、米沢市内の双方の実家を優くんを連れて訪れた際、両親から痩せすぎていることを指摘される。
その場では病院へ連れて行くと話したものの、その後優くんを受診させることも、離乳食を工夫することもなかった。
母親の瞳は持病があったといい、そのことで夫婦仲が悪くなり夫婦喧嘩が絶えず、その喧嘩に優くんが巻き込まれて怪我をすることもあった。
両親は日々の苛立ちの中で次第に優くんを構わなくなっていったと見られた。
夫婦仲が良い時でも、優くんを一人家に残し、県外まで釣りに出かけることもあったという。
山形地検はそのような両親の態度と、どう見ても異常な状態の優くんの遺体の状況から、「未必の故意」を二人が持っていたとして、保護責任者遺棄致死ではなく殺人罪で起訴した。
裁判では当初、未必の故意を含めて殺意を否認していた両親だったが、のちに父親の雅夫は弁護士に宛てた手紙の中で「漠然と死というものが頭にあった」と書いており、検察にその点を追及されると、「(未必の故意があったと言われたら)そうかもしれない」と述べた。
それでも弁護側は最後まで死の認識を両親は持っていなかったとし、殺人罪は成立せず保護責任者遺棄致死罪を主張。
また優くん自身に持病があった可能性にも言及した。
平成14年2月13日、山形地裁の木下徹信裁判長は、殺意を認定。その上で、両親が積極的に優くんの死を望んでいたとは言い切れないとして、懲役10年の求刑に対し懲役6年を両親それぞれに言い渡した。
増山 慎二くん(青森県十和田市:平成12年2月16日死亡/当時4歳)
青森県警十和田署は、内縁の妻の次男を殴って死なせたとして東京都の自称不動産仲介業の男(当時52歳)を傷害致死容疑で逮捕した。
逮捕されたのは中村洋(仮名)。
死亡したのは増山慎二くん(当時4歳)で、当初は中村と2人きりでいた際に頭部に怪我を負ったとして中村が119番通報して病院へ運んでいた。
慎二くんは意識不明の状態が続き、3月3日に頭蓋内損傷によって死亡した。
病院と県警は状況と結果の重大さから事件を視野に捜査をしていたが、当時は決定的な証拠に欠けていたのか、中村が逮捕されることはなかった。
慎二くんの死から2か月後、中村は慎二くんの母親と共に東京へ転居。
継続して県警から事情を聞かれていたが、それに対しては「勝手に転ぶことがあった」「便を漏らしたことで叩いたのは認めるが、軽くだった」といった、決定打に欠ける話しかしていなかった。
おそらく、現場を見ていなかった慎二くんの母親も、その後一緒に転居していることから中村の言い分を信用していた可能性が高い。
しかし県警は司法解剖の結果や当時の状況から、慎二くんの死は中村の暴行によるものだと断定。逮捕に踏み切った。
逮捕された日時は平成19年1月31日。事件から7年が経過しようとしており、時効寸前の逮捕だった。
その後、裁判で中村は証言を二転三転させるなどして無罪を主張。
青森地裁の渡辺英敬裁判長はそんな中村の態度を信用できないと一蹴、懲役5年の判決を言い渡した。
弁護人は控訴する方針を示したが、その後の報道はない。
後藤竜二くん(茨城県鹿嶋市:平成12年7月19日死亡:当時9歳)
「事件の夜、怒鳴る男の声と、「あなたが悪いのよ!」と叫ぶ女の声が聞こえていた。それとともに、「助けて」「ごめんなさい」と叫ぶ子供の声もあった。」
その家の近所の住民は、事件後にそう取材に答えた。住民によればその家から怒鳴り声が聞こえるのは日常茶飯事だったという。
しかし、その日は異常だった。
平成12年7月19日の夕方、鹿嶋市の住宅から「子どもを殴ってしまったので来てほしい」という119番通報があった。通報者は女。
消防隊員が駆け付けると、家の中で小学生くらいの男児が倒れており、救急搬送されたが外傷性ショックで死亡した。
死亡したのは後藤竜二君。鹿嶋市立三笠小学校の3年生だった。
鹿嶋署は、竜二君の全身や顔にひどい痣があることから、通報してきた母親から事情を聴くと、母親が内縁の夫と共に竜二君に暴行を加えたと認めたため、ふたりを傷害致死で緊急逮捕した。
逮捕されたのは竜二君の実母・後藤遼子(仮名/当時30歳)と、内縁の夫で無職の金森義久(仮名/当時27歳)。
ふたりは7月16日から19日の朝にかけて、断続的に竜二君に殴る蹴るの暴行を加えていた。その理由は、「算数の勉強をさせたが出来なかったから。言うことを聞かなかったから」というものだった。
暴行の内容は両手足をビニールテープで縛ったうえ、スプレー缶や手、瓶などで断続的に殴り続けるといったもので、竜二君は最終的に目や口、鼻までビニールテープでふさがれていた。
傷害致死で起訴された二人は、初公判で起訴事実を認めた。
そして、平成13年2月26日、水戸地裁の鈴木秀行裁判長は、金森に懲役5年6月(求刑懲役8年)、母親の遼子に懲役4年(求刑懲役6年)を言い渡した。
(竜二君は亡くなる直前の学校での水泳の授業でも元気に泳いでいたという。その時点ではあざなどが確認されていなかったことから、日常的な暴力行為ではないと判断された可能性もある。)
木村彩香ちゃん(大阪府守口市:平成12年8月15日死亡/当時4歳)
同居女性の4歳になる連れ子を殴り殺したとして、大阪府警守口署はトラック運転手の高木孝弘(仮名/当時30歳)を逮捕した。
死亡したのは守口市の木村彩香ちゃん。事件は平成12年8月14日の夜に起きた。
朝、起きだした彩香ちゃんの母親が彩香ちゃんの様子がおかしいことに気づき、姉夫婦に連絡。姉夫婦が110番通報し、署員が駆け付けたところ、室内で彩香ちゃんがぐったりして意識がない状態だった。
警察が高木に事情を聴くと、「彩香ちゃんが自分に懐かないのが腹が立ち、殴った」と話したため、殺人容疑で逮捕した。
殺人での逮捕となったのは、彩香ちゃんの遺体の損傷の激しさにあった。
死因は外傷性くも膜下出血。全身に殴られた痕が無数にあり、肋骨、鎖骨が骨折していた。
高木は調べに対し、8月14日の夜8時からなんと4時間にわたって彩香ちゃんに殴る蹴るの暴行を加えていたと供述。
母親は高木が彩香ちゃんに暴力をふるうのを知っていた。目の前でやられた時は止めていたというが、事件のあった日は家にいたものの、別室にいたと話している。
職場では汗水たらして仕事に励むと評価されていた高木だったが、実は覚せい剤を使用していた。そして同居して2週間目には、彩香ちゃんの頭部に出血を伴うケガをさせていた。
平成12年12月20日、大阪地方裁判所の上垣猛裁判長は、逮捕容疑の殺人での起訴こそ免れたが、実質は未必的殺意があったのではと思わせるほどの残虐で悪質な犯行と厳しく批難。
はにかみながら「おとうさん」と呼んでくれた彩香ちゃんが、まさかその相手からこれほど激しい暴力を受けるとは思わなかったであろうとして、懲役8年(求刑懲役9年)を言い渡した。
高木は控訴したが、大阪高裁は棄却した。
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酒井綾子ちゃん(札幌市:平成7年1月10日死亡/当時3歳)
酒井千月ちゃん(札幌市:平成12年11月2日死亡/当時4歳)
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