🔓誰と越えたい、天城越え〜静岡・コープ茶畑殺人事件〜

「判決を聞きに行くつもりは、ありません」

静岡県内で女性は毎日新聞の取材に応じた。
女性は、不倫関係にあった男が犯した罪に強い責任を感じていた。
その上で、男に対してキッパリと決別の意思を示していた。

最初の事件を聞いた時、男は大袈裟に驚いて見せていた。
その日は仕事の都合でようやく会うことができた日で、女性は男と夕方まで一緒にいた。

しかしその時、女性が乗っていた男所有の乗用車のトランクには、この女性もよく知る人物の遺体が載せられていたのだった。

茶畑の白い塊

平成16年10月24日午前8時。
静岡市水見色地区の長閑な茶畑で、女性(当時64歳)は自身の畑で草取りをしていた。
静岡市の中心から北西に10キロ、この山間の美しい集落は茶畑が広がる合間に、住宅が点在する地域である。
茶畑は収穫や作業のシーズンがほぼ終わり、あとは冬越えの支度と草取りなどをする人々が時折やってくる程度で、この時期人の姿はあまりないという。

女性も、台風23号が近づいたことから、数日前に一度畑に来ていた。
そして3日後の今日、再び畑に来たところ、ふと、不自然な砂利の部分が目についた。こんなもの、前からあったろうか?見れば盛り上がっているような場所もある。
不審に思ってよく見てみると、掘り返されたような土の隙間から、白い脂の塊のような、石鹸のようなものがのぞいていたという。

とてもそれ以上触る気になれなかった女性は、近くの人を呼びに行き、その人らとともに白い塊の周辺を少し掘ってみた。異様な臭いが鼻をつく。
そこから出たのは、人間の手と思われるものと、かかとだった。

おそらく状況が飲み込めなかったのだろう、畑の持ち主の女性と近所の人らはその日の午後になって警察へ通報。
警察が現場を掘り返すと、成人男性と見られる屍蝋化した遺体が出てきた。着衣は身に付けていたが、靴は履いていなかったという。
遺体は身長約170センチ、痩せ型で茶色の半袖に紺色のズボンを着用、灰色の靴下も履いていた。
さらに、この遺体は損傷が激しかったものの、左胸と左腹部に刃物による明らかな刺し傷が認められた。

静岡県警捜査一課と静岡中央署は25日、捜査本部を設置、殺人と死体遺棄容疑で捜査を始めた。

靴を履いていなかったことから、男性は別の場所で殺害された後、この茶畑に遺棄されたとみられたが、この茶畑のある水見色地区はそもそも土地勘のない人が簡単に来るような場所ではないといい、住民らはまさか隣人の中に何か事情を知っている人がいるかもしれないと、不安な日々を過ごす羽目になった。

26日、浜松医大で司法解剖が行われた結果、死因は左胸を刺されたことによる肺部損傷による失血死で死後1ヶ月程度、と断定された。

捜査本部は聞き込みを続ける一方、家出人や行方不明者、捜索願が出ている人らに該当者はいないかの調べも進めていたところ、藤枝市在住の37歳の男性が9月16日から行方不明となっていて捜索願いが出されていることが判明。
10月27日、茶畑の遺体はこの男性であると断定した。

難航する捜査

殺害されていたのは藤枝市在住の団体職員、蒔田晃さん(当時37歳)。蒔田さんは9月16日いつも通り出勤し、その日の夕方職場を出た後行方不明となっていた。
通勤の車は焼津市内の勤務先の駐車場に置いたままとなっており、鍵もかかっていた。その車の鍵は、遺体とともに茶畑の土中から発見されている。

捜査本部では、蒔田さんの妻が捜索願を出した当初「夫は仕事上のことで悩んでいたようだ」と話していたことから、仕事上のトラブルを視野に勤務先などを聞き込みしたが、勤務先の上司らは「勤務態度も真面目で、他の職員やパートの労務管理を任されていた。トラブルなど聞いたことがない」と困惑していたという。

家族間にも一切トラブルはなかった。
蒔田さんは妻と二人の男の子、義母と藤枝市内の一戸建てで生活していたが、近所の人らは「子煩悩を絵に描いたような人」と口を揃え、義母や妻との関係もうまくいっており、家族が関係するトラブルはあり得ないと話していた。
夫の帰りを心待ちにしていた妻と幼い子供らは、遺体で発見されたという知らせに泣き崩れた。蒔田さんがいなくなった後、近所の人らに詳細は話していなかったというが、義母の落ち込んだ姿を気にしていた人らもいた。

警察でも、蒔田さんの所持品の中で現金がそのまま見つかっていたことなどから強盗などの可能性は低く、やはり蒔田さんには家族も知らないトラブルがあったのでは、という見方をしていた。
というのも、上司らが仕事上のトラブルなどあり得ないと話す一方で、蒔田さんの子供が所属する野球チームの父兄らには、蒔田さん自身が「会社辞めたい」と話していたからだ。
もちろんこれは冗談めかして言ったこと、と思われたが、それ以外にも蒔田さんが事件直前、「自分がいなくなっても部署は回るかなぁ」と話していたり、切迫した状況になっている、という話をしていたと言うものもあった。

ただ蒔田さんが自殺した、というのであれば辻褄も合うが、蒔田さんは明らかに他殺だった。
身の危険を感じるほどのトラブルがあったのだろうか?
警察は有力な手掛かり持つかめていなかった。
捜査関係者らは、
「蒔田さんは交友関係もさほど広くなく、ましてや女性関係などのトラブルも出てこない。周囲からも真面目で温厚という印象でしかみられていない生活ぶりと、殺人・死体遺棄という現実のギャップが大き過ぎて…」
と困惑したまま時間は過ぎていった。

バラバラにされた女

蒔田さん殺害の有力な情報が掴めないまま1年が過ぎた平成17年9月16日、静岡県由比町の由比川岸沿いの道路から5mほど下で、布に包まれた人間の手足が発見された。

管轄の蒲原署の調べでは、見つかったのは人間の右腕と両足で、いずれも鋭い刃物で切断されていた。
右腕は肘先から指先まで、両足は膝下から爪先までの部分だったというが、腐敗が激しくこの時点で性別は判明していなかったが、死後少なくとも2週間以上と見られていた。

浜松医大で遺体の状況を詳しく調べてみたものの、遺体は女性で血液型はO型、身長約155センチから165センチ、年齢は骨密度などから比較的若い15歳から30歳、足の大きさが21センチと、こんなの当てはまるのは一体何人いるんだよという、まったく絞り込めない情報しか得られなかった。
残る遺体の部位も、事件発覚から1週間過ぎても見つかっておらず、捜査員500名のほか、地元猟友会の協力を得て残りの部位の発見に全力を注いでいた。

そして、9月27日。
捜索願いが出されていたうち、9月18日に捜索願いの出ていた主婦の血液型と一致、その後提供された指紋と遺体の指紋が一致したことから、遺体は焼津市在住の主婦、滝しのぶさん(当時36歳)と判明。
警察がしのぶさんの夫に事情を聞いたところ、この夫がしのぶさんの遺体を捨てたと供述したことから、死体遺棄の疑いで逮捕した。

逮捕されたのはしのぶさんの夫で団体職員の滝修(当時36歳)。
調べによれば修は9月18日にしのぶさんの捜索願いを出していたという。
しかし、実際にはしのぶさんを殺害しバラバラにして捨てていたのである。

修は取調べに対して殺害も大筋で認めており、捜査本部では遺体の残りの部位の発見に全力を挙げた。
そして、修の供述により由比町の現場から2キロ北の富士川町南松野の山中で頭部を、島田市神尾の雑木林で胴体と左腕を、焼津漁港の海中から遺体切断に使用したとみられる電動ノコギリとともに、しのぶさんの携帯電話も発見された。

しのぶさんの遺体が包まれていた新聞紙の日付から、8月16日以降に殺害されたとみられたが、9月2日にしのぶさんが自宅ベランダにいるのを見た人がいたこと、そしてその後の修の供述から、しのぶさんは9月9日に殺害されたことがわかった。
修はしのぶさん殺害後、自宅の浴室で電動ノコギリを用いてしのぶさんを解体し、それぞれの場所に捨てたのだ。

動機は、しのぶさんに自身の不倫が発覚し、離婚を迫られたことで絶望したと話していたが、実際にはこの動機は非常に不可解なものだった。

というのも、この不倫相手の女性は修にとって、悪くいう奴は殺してでも守りたいというほどの、異常なほどの愛情を示していた相手だったからだ。

【有料部分 目次】

囁かれる「茶畑の遺体」
コープしずおか
一転、自白
やつあたり
他人より、自分
絶対、嘘。
死刑判決
みっともない執着する男

🔓悲しみの果て~ある家族の事件~

事故発生

平成17年6月26日午前2時すぎ、男性は会社のワンボックスカーに乗って東関東自動車道上り線を走行していた。
片側二車線のほぼ直線、深夜で周囲に車もいない。佐原香取インターを成田方面に、約1キロほど走っただろうか。
ふと前方の中央分離帯付近に不自然な車のテールランプが見えた。男性は事故車両の可能性が高いと考え、左車線へ移ろうとハンドルを切った。

その瞬間、前方になにか、いた。

避けることは不可能だった。右車線には約100m先に事故車両、それを避けるために左車線に移ろうとハンドルを切った直後、右の中央分離帯から走行車線上に移動してくるなにかが、いた。

段ボールか?自損事故を起こしていた車両から落ちた荷物が風で煽られ転がり出たのだろうか。そんな風に男性は考えていたという。
それにしては、衝撃が強かった。

ふと、後方から別の車が走ってくるのが見えた。後続車のヘッドライトに照らされた高速道路上には、毛布のような、段ボール片のようなものが散乱していた。
後続車は若干速度を落としながら大きな毛布のようなものを避けたが、いくつかの段ボール片らしきものの上を通った。

胸騒ぎがした。
安全な場所に車を止めてまず自分の車の損傷具合を確認すると、右のバンパーから車体上部にかけて血痕と豆粒上の白いものが多数こびりついていた。
先ほど通り過ぎた車も、前方で停車している。自分がはねたのは段ボールではないのか。後方の高速道路上には、毛布にしては厚みのあるものが風ではためくこともなく、そこにあった。

その毛布のようなものは、男性の、ちぎれてしゃげた上半身だった。

後部座席の妻

駆け付けた警察官らはその現場の惨状に言葉を失った。
高速道路上に散乱した遺体。それは成人と子供のふたり分の遺体だった。
路面には引きずられたのか、赤い絨毯のように血糊がついていた。

中央分離帯に衝突した状態で停車していた乗用車は、助手席側のドアが開いていたという。

車検証などから、車の持ち主は川口市在住の内装業・石川政春さん(仮名/当時32歳)と判明。遺体は、政春さんと息子の政宗ちゃん(当時3歳)とわかった。
事故車両の後方にはチャイルドシートが転がっていたことから、事故のはずみでドアが開き、政宗ちゃんが車外に放り出されたのを政春さんが助けに行った際に、通りがかった車にはねられたとみられた。
幼い息子を何とか助けようと危険を顧みずに高速道路上を70mも走って息子の許へ駆け寄った、その瞬間にはねられた…
2人をはねた運転手の車も、前方の下部が大きく損傷しており、また何かが座り込んでいるように見えたとも話していたことから、自損事故が招いた悲劇、と思われていた。

警察は業務上過失致死の疑いで、後続車両の江戸川区在住の男性(当時66歳)を逮捕した。また、そのあとに通りがかった板橋区在住の会社員の男性(当時33歳)にも二人を轢いた可能性があることから事情を聴いていた。

事態があらぬ方向へ向かったのは、自損事故を起こした政春さんの車を調べていた時だった。
後部座席に、毛布でくるまれた荷物のようなものがあった。衝突の衝撃で、座席からずり落ちるような状態になっていたそれを警察官がめくると、そこには女性の遺体があったのだ。

当初はこの自損事故で死亡した、と思われた。が、後方から激しく追突された形跡もなく、なによりその遺体は毛布に「くるまれて」いたのだ。そしてこれは誰なのか。

すぐさま政春さんの家族らに確認を取ったところ、妻の梨美さん(仮名/当時28歳)と連絡がつかないことが分かった。
そしてその後、後部座席の遺体は梨美さんであると断定された。

事情を知っているであろう政春さんが死亡しているため、梨美さんの死の真相は分からなかったが、死亡解剖の結果梨美さんは事故が起こる2~4日前に死亡しており、かつ、その死因は首を絞められたことによる窒息死と判明した。

【有料部分 目次】
読めぬ動機
支払われなかった保険金と賠償金
チャイルドシートと高速券
悲しみの果てに

5歳の目撃者〜〜座間市・三歳児暴行死事件〜

救急車にて

「ごめんね、ごめんね

救急車の狭い車内で、母親と思しき女性は意識のない子供の手を握りしめ、涙を目にためながらそう呟いた。
大学病院に搬送されたのは、まだオムツも取れていない小さな男の子。意識はなく、かなり危険な状態だった。

男児はその後搬送先の病院で救命及ばず、短い一生を終えた。

横浜地方裁判所

平成17年3月1日、横浜地方裁判所は、当時3歳の内縁の夫の連れ子に暴力をふるい死なせたとして、辻岡裕美(仮名/当時28歳)に対し、懲役4年6月の判決を言い渡した。

罪状は、傷害致死。
裕美はこの裁判で一貫して無罪を主張していた。事実、裕美が逮捕されたのは事件が起きた約1年後であり、判決が出たのはさらにその2年半後で、未決拘留日数は800日に及んでいた。

しかし裁判の結果は、有罪。

男児の死は事故か、それともそこに誰かの悪意があったのか。

有罪の決め手は、小さな目撃者の存在だった。 続きを読む 5歳の目撃者〜〜座間市・三歳児暴行死事件〜

午前4時の熱湯シャワー〜八王子・6歳養女せっかん死事件〜

笑顔のお誕生日会

平成769日。
八王子市中野上町の小さな二階建てアパートの一室には、子供たちの歓声が響いていた。
大きなバースデーケーキと、甘いお菓子。飲み物もたくさんあった。
7歳の男の子と、6歳の女の子。二人は兄妹で、お誕生日が近かったことからこの日二人分のお誕生パーティーを両親が開いてくれたのだ。

笑顔の兄妹を、両親は目を細めて何枚もカメラに収めた。

ただ、その笑顔はところどころ、青や黒いアザに覆われている。

そしてこの2週間後、妹は死亡した。

顔と右半身の皮膚を真っ赤に爛れさせ、想像を絶する苦しみの中もがき続け、誰にも助けられることなく短い一生を終えた。

幼い女の子が最後に見たのは、母親の再婚相手の姿だった。 続きを読む 午前4時の熱湯シャワー〜八王子・6歳養女せっかん死事件〜

「餓死日記」とその不可解〜寝屋川・主婦餓死事件〜

寝屋川の文化住宅

昭和525月。大阪府寝屋川市の萱島にある文化住宅ではいつものように主婦たちが朝餉の準備に追われ、子供達は次々と学校へ走り、家々からは仕事に向かう男たちが駅へと急ぐ姿が見られた。

文化住宅は薄いベニヤの壁の向こうに隣の部屋があるという作りのため、隣の話し声はまる聞こえだった。

その長屋の一室で暮らす主婦は、朝の家事仕事の合間に聞こえる隣家の子供の泣き声が気になった。あの声は一番上のマー君やろか。隣は5人目が生まれたばかり、お兄ちゃんがかまってもらえず泣いてるんやろか。

最初はそう思っていたが、隣家の子供はいつまで経っても泣き止まなかった。

午前7時半。さすがに不審に思った主婦は、隣の玄関へ回ると泣いている子供に呼びかけた。
「マー君、どないしたんそんな泣いてからに・・・」
その家の9歳になる長男に玄関の鍵を開けさせ中に入った主婦は、絶句した。

その家の主婦が、布団の中で冷たくなっていたのだ。その傍らには、3ヶ月前に生まれたばかりの赤ん坊がすやすやと眠っていた。 続きを読む 「餓死日記」とその不可解〜寝屋川・主婦餓死事件〜