但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********
自分に正直に生きることは大切。しかし社会のルールや法律、倫理観を捨ててまでそれを貫く人がいたら。
物事を自分の価値観でしか見られない人がいたら。
ことの重大性を全く認識できない人がいたら。
自分の気持ちに正直に生き過ぎた人と、公共の福祉と自己の責任、倫理観を法廷に持ち込んだ人そして、娘が命を落とす要因を作った人々がヘラヘラしているのを絶対に、絶対に許さなかった両親の話。
見境をなくした女たち
千葉の女友達
「あんたの子ども、好きになっちゃった。」
突然の告白に、女性はあっけにとられていた。
女性には15歳になる高校一年生の息子がいたが、そのことを言っているのだろうか?
そういえば以前から頻繁にこの友人は息子を自宅に呼びたがって、実際に泊ってくることもあった。
でもそれは、体の調子が悪い私の負担を軽くしようという、友人としての善意だと思っていた……
女性は警察に相談。千葉県警と木更津署は、女性の息子からも話を聞いたところ、母親の友人である女にわいせつな行為をさせられたと話したため、木更津市内に暮らすパート従業員の女を児童福祉法違反(淫行)容疑で逮捕した。
逮捕されたのは少年の母親の友人(当時30歳)。
女性と女は事件が発覚する10年ほど前の平成元年頃に知りあい、その後平成11年の夏に女性が腰痛で体調不良に陥って以降、女性に代わってその息子に食事をさせたり、時には自宅に泊めたりすることがあったという。
平成11年6月から平成13年2月にかけて、女は少年に対してわいせつな行為を繰り返していた。
「80回くらい相手をさせられた。いやだった。」
取り調べに対し、少年はその重い口を開いた。
なぜ、もっと強く拒否できなかったのか。実は女は、食事や身の回りの世話だけでなく、少年を自費で学習塾などにも通わせていたという。
体が弱い母親の手前、また、金銭的な援助を結果的に受けていたことから、少年は誰にも相談できずにいた可能性が高かった。
「愛情の発露として行為に及んだ」
裁判で弁護側はそう主張したが、たとえそうであっても、いや、真剣にそう思っているならばむしろ絶対に性的な行為になど及ぶはずがないわけで、千葉家庭裁判所木更津支部の松丸伸一郎裁判官は、
「自己の性欲を満たす目的で行っており、酌量の余地はない」
として、女に懲役10月の実刑判決を言い渡した。執行猶予はつかなかった。
友人の息子という関係、その上でたとえ本当に愛情からのことであったとしても同じことを男が少女にやったとしたらどうよ、と思わなくもないが、弁護側は捜査が杜撰だったとし、また量刑も不当であるとして即日控訴。
平成13年10月の控訴審判決では一審判決破棄、執行猶予4年がついた。
理由としては、一審では反省の色がないと断罪された女が、反省を深めていることを考慮したという。(たまに、一審の時は反省してなかったけど控訴審では反省してるっぽいから減刑、というのを見るが、反省の度合いが深まったから減刑とかおかしくないか…と思わなくもない。)
以後、報道がないため確定したと思われる。
石巻のダブル逮捕
石巻署に相談が満ち込まれたのは平成23年1月の終わり。
「交際している相手から暴力をふるわれた」
相談に訪れた女性の顔には痣、話によると胸や腹を蹴られたり、拳で殴打もされたという。
警察はDV事件として捜査。
その後、女性の届け出通り、交際している女性に暴力をふるったとして石巻在住の16歳の少年を傷害容疑で逮捕した。
……16歳?
捜査員らは相談に訪れた女性を思い出していた。女性は、年齢を何歳だと言っていたろうか?
被害届や聞き取りの内容を確認したところ、被害届を出した女性が43歳であることが分かった。
交際している、女性は確かにそういった。となると、もしかして体の関係もあるのでは?
警察は女性と少年双方から慎重に聞き取りをした結果、被害届を提出する4日前にふたりが性的な関係を持っていたことの確認が取れた。
石巻署は、DVの被害届を出していたパート従業員の43歳の女を、県青少年健全育成条例違反容疑で逮捕した。
女は1年ほど前に地元のサークル活動を通して少年と知り合い、当初はハグをするような程度の間柄だったのが、次第に距離が縮まり、お互い合意の上で性的な間柄に発展したという。少年が18歳未満だということは承知の上だった。
2人の間に性交渉があったとされた日は、女が暴行を受けた日でもあった。少年は感情の起伏が激しく、些細な事や、面白くないことがあると女を殴って憂さを晴らす傾向があったという。
少年は独り暮らしの身だったが、女には家庭があった。
不倫状態でかつ、18歳未満に手を出しているにもかかわらずDVの被害届を出せてしまうあたりちょっと理解が追い付かないが、その1か月後に起きた東日本大震災の影響もあってか、以降の報道はない。
お礼参りの女
平成16年9月29日までに、大阪府警東署はストーカー規制法違反の疑いで兵庫県宝塚市在住の無職の女(当時30歳)を逮捕した。
女は大阪のFMラジオ局のDJに対し、ストーカー行為に及んでおり、4月末には相談を受けていた東署から警告がなされていたにもかかわらず、さらにエスカレートしたため被害に遭ったDJが9月7日に被害署に告訴していたのだ。
被害に遭ったのは「FM802」の人気DJの40代女性。
女は平成13年ころにラジオを聞いてそのDJのファンになった。公開録音やイベントには足繁く通い、熱心なファンとしてDJを応援する日々を送っていた。時には、直接話をする機会もあったという。
平成15年の11月ころになって、女はDJの自宅の電話番号を捜し出すことに成功。以降、自宅に何度も電話を掛けるようになる。
フアックス兼用の電話がとわかると、「声が好き」「話がしたい」「好きです、なぜわかってくれないの」など、一方的な思いをファックスで送りつけはじめ、電話の留守電にも容量がいっぱいになるほどの愛のメッセージを吹き込み続けたという。
4月以降は、DJが講師をしているダンススタジオなどにも押しかけ、どうしても話がしたい、なぜ話をしてくれないのかなどとDJに詰め寄るなどしたことで、DJはついに警察に告訴するに至った。
調べに対し女は、「彼女は理想の女性」と話し、自分の暴走行為にDJが恐怖を抱いているとわかってはいたというが、それでも自分の気持ちを伝えたいという思いがおさえられず、いても経ってもいられなくなったと話した。
10月18日には罰金30万円の略式命令が確定。二度とつきまとわないと誓約して女は釈放された。
……しかし、女はものすごく怒っていた。
釈放されてから2日後の20日午後11時前。
女はDJの自宅前にいた。
あまりの騒ぎにDJがチェーン越しにドアをあけると、そこには鬼の形相の女がいた。そして、「よくもやってくれたな、殺したる」と言って怒鳴り散らしたという。
恐れをなしたDJが通報し、駆け付けた警察官に女は取り押さえられた。
DJが告訴したことが許せなかったのだと、女は話した。
しかしなぜ女は自宅の住所を知っていたのか。
実は最初の逮捕の際、調書を盗み見たのだという。そこで、被害者のDJの自宅住所を目にし、釈放されるや否や女はお礼参りへと行動を移したのだ。
台風23号が大阪を直撃した夜だった。暴風雨の中、それよりも大暴れする女に、DJは恐怖のあまり泣くしか出来なかったという。
ダンススタジオに押しかけられたことでダンス教室は閉鎖、そして突き止められた自宅には、たとえ女が逮捕されたとしてもお礼参りに一度来られた以上、住み続ける勇気もなかった。
さらにDJを苦しめたのは、「女性同士」であることだったという。加害者が女性だということで、周囲に恐怖をあまりわかってもらえなかったのだ。
DJは判決を法廷の傍聴席で聞いていた。
「この辛さを社会にわかってもらい、被害者が守られるシステムを作ってほしい」
家も仕事も、平穏な日常さえも失った被害者の女性と、たった1年足らずで社会復帰する元々無職の女。
あまりに理不尽な結末だった。
納得できなかった人
不幸な事故
平成18年11月30日午後7時20分、すでに日は落ち、道路を走行する車は皆ヘッドライトをつけていた。
埼玉県在住の男性は、その日宮城県内の国道を走行していた。時速は約45キロほど。夕方のラッシュはおさまっていたが、車の往来はまだまだある時間帯だった。
ふと、前方40メートル先の路上に何か黒い毛布のようなものが落ちているのを発見。ただハンドル操作でよけきれるほど小さくもなかったことと、厚みがさほど感じられなかったことで男性はそのままその黒い物体の上を通過した。
その後運転を続けていたが、車の底部になにか引っ掛かりのようなものを感じたために停車した。先程の毛布を巻き込んでしまったのか。
男性が車の底を覗き込むと、そこには人間の足の一部が見えていた。
驚いた男性はすぐに119番通報。男性の通報により、最寄りの消防署から特別救助隊が、さらに別の消防署からも救助隊が通報の10分後には到着し、直ちに救助活動が開始された。
現場には救助工作車、救急車、ポンプ車など計4台が、人員は救助隊9名に加え警察官10名も駆け付けての救助活動となったが、残念なことに被害者はその状態からすでに死亡していることが確認された。
被害者は男性がその上を通過するより前に、複数台の車両によって轢かれた状態にあったとみえ、男性が人体だと認識しないままその上を通過したことは明らかだった。
不幸な事故に遭遇してしまった男性だったが、その約2年後、男性は損害賠償を求めてさいたま地裁に提訴した。
被告は、宮城県の仙南地域広域行政事務組合特別救助隊等設置規定2条1項に基づいて設置された、当時現場で救命活動にあたった二つの消防署の救助隊だった。
救助活動と車両の破損
救助活動を行った際に救助隊によって男性の車両を持ち上げられたことで車両の右フェンダー部分がひしゃげたようになり、その修理に40万円かかったという。
男性は当時、警察官から車両を持ち上げなければ被害者の遺体を出せないことを告げられ、車両を持ち上げることには同意したという。
ところが、それに伴って車両が破損する可能性までは告げられておらず、男性自身も車両が破損する可能性があることを踏まえた上で了承はしていなかった。
男性は、被害者が生きているならばまだしもすでに死亡していることが明らかな状態だったのだから、わざわざ車両を破損させてまで被害者を出す必要があったとは言えない、また、民間のレッカー車がすでに到着していたと男性は主張しており、レッカー車と救助工作車の2台で作業すればここまでの破損には至らなかったとも主張した。
要は、わざわざ自分の車を破損させてまで行わなければならないほどの緊急性はなかったし、救助隊のやり方も悪かった、そして何より、車が破損する可能性を知らされていなかったことが不当であり、国家賠償法一条一項に基づいての損害賠償請求というものだった。
実際の救助活動はどうだったのか。
被害者の遺体はその詳細は不明だが、わかる範囲で言うとおそらく轢過されたことでかなり損傷が激しかったと思われる。
車体底部のみならず、現場周辺には被害者の血液やその他の身体組織片が散乱している状態だったといい、その遺体は男性の車の底部マフラー部分に巻きついた状態にあった。
救助隊はまず、マイティバッグと呼ばれるマットタイプのジャッキを車両下に挿入する方法を試したが、わずか30センチしか持ち上がらず、その車両の隙間に救助隊が入り込み、かつ被害者を搬出することは不可能だった。
ほかに、角材や油圧式ジャッキによる車両持ち上げも検討されたが、非常に不安定な状態となるために救助隊の身の安全が確保できないと判断された。
消去法で結果として救助工作車に設置されたクレーンで車両を持ち上げることが最も適した方法であると判断されたことから、男性の車両にワイヤーをかけ、車両を持ち上げ作業空間を確保。
救助隊員は車体のマフラーに絡みついた被害者を丁寧に外し、遺体を収容することに成功した。
が、この際に救助隊から直接、車両をどのようにして持ち上げ、その際車両が破損する可能性があることの説明がなかった、というのが男性の主張だった。
死体損壊の回避と任務責任
被告となった救助隊側は、救助活動のいずれの点においても違法性はなく、全面的に争う姿勢を見せた。
そもそも事故現場においてたとえ被害者がすでに死亡していたとしても、そのご遺体を搬出するという活動は緊急避難ないし緊急状況下にあると言え、正当な業務であると主張。
そしてそこには、救助隊としての任務責任もあった。
男性が主張するように、民間のレッカー車と共同で作業を行えばたしかに車両の破損は防げた、あるいはより軽微なものにとどまったかもしれない。
しかし実はそのレッカー車が現場にいたというのは、男性側の一方的な主張だった。
レッカーを要請した事実はあったが、救助隊が活動していた時点ではレッカー車が到着していなかったようなのだ。
というのも、現場での目撃者の証言のほかに、当のレッカー車を所有する会社社長からも、救助隊が作業に着手した時点でレッカー車は現場に到着していなかったという証言が提出されていた。
男性はレッカー車が到着していたと主張しつつ、その勘違いも踏まえてか、たとえレッカー車が来ていなかったとしてもそれを待って作業したところで、すでに被害者は死亡しているのだから緊急性はなかったと主張していたが、救助隊は断固反論した。
救助隊が現場に到着していながら、目の前にご遺体があることが分かっていながら、そしてご遺体を一刻も早く「出して」あげることが出来る手段を持ち得ているのに、車両の破損を恐れてそれをしない、レッカー車を待つというのは、任務の放棄を意味し、到底許されないとした。
さらに、救助隊にはその職務上、死体損壊という罪を常に念頭に置かねばならないという事情もあった。
すべてではないにしろ、場合によっては遺体の搬出作業においてその遺体を傷つけてしまうと、死体損壊罪になってしまうことがあるのだ。
救助隊は、車両破損よりも死体損壊の罪の方がより重大な法益侵害であるとの判断で、救助活動を優先させたと主張した。
さいたま地方裁判所は、男性の訴えを棄却した。
甘受せざるを得ない損害
このケースをまとめるにあたって、事件備忘録はSNS上でアンケートを取った。
自分が誤って轢いてしまったすでに死亡していた人を引き出すために車両を破損させられた場合どうしますか、事前同意はなし、というものだ。
字数の問題で詳細は省かざるを得なかったので、詳細を知れば考えが変わる人もいるだろうが、結果としては401の回答があり、うち、救助隊に修理代を請求するとした人は約3割だった。
私も夫に確認してみたところ、夫も「請求する」派だった(ちなみに夫の父親は元消防署勤務である)。
裁判所の判断は法律の観点はもちろんのこと、それ以外の「この状況下において」の判断がなされていたように思えた。
まず、すでに死亡している被害者を搬出する作業に緊急性があったかという点について、消防法および消防組織法の定める目的および任務、すなわち公益の目的に奉仕するものということは明らかで、生存者の救助は当然として、すでに死亡してしまった被害者についても尊厳をもって任務にあたることはその職務の内容に含まれているとした。
もしもそうでないというならば、災害でどう考えても死亡している状況の人を捜索する時、人力で、手探りで行う必要はないということになる。
先に述べた死体損壊罪があることからも、死者に対してもその対応にルールはあると考えるのが正解だろう。
もちろん、だからといってたまたま関係してしまった人の財産に甚大な損害をやみくもに与えていいわけでもなく、権限の濫用でない範囲での被害者以外の者の所有権などの私的権利を侵害せざるを得ない措置に及ぶのは、正当な職務行為であるとした。
次に、車両が破損する可能性を事前に知らせていなかった点について、そもそも事故の状況や周囲の状況などを総合的に判断し、その上で処理の必要性や緊急性を考えれば、その説明が十分になされていない、あるいは欠いたとしても、その職務行為に違法性があるとは言えないと判断した。
簡単に言うと、車を持ち上げるしか方法がない以上、そりゃ少々傷はつくでしょうよ言われなくても想像できるよね?ということだ。
そして裁判所は、原告の男性にやんわりと次のような指摘もしていた。
なお,原告は当時現場に臨場した警察官に対して死体を轢過した原告車両を持ち上げることに同意をしていたという事情があるところ,上記の方法を用いた場合であっても,原告車両を持ち上げるからには,その作業に当たり必然的になにがしかの損傷が生じる可能性のあることは容易に想到し得るところであるが,自ら死体を轢過した結果生じた事態を適正に処理するために採るべきやむを得ない措置の結果生じたものであれば,一般に甘受せざるを得ないものと受け止められるところではないかと思われる。
どうして被害者が車体のマフラーに巻きつく事態になったのか。それは、罪に問われはしないものの、漫然と運転をして路上にあったものを避けるでも停車して確認するでもなくその真上を男性が通り過ぎたことで起きたの結果であって、それを差し置いて自らの権利や損害ばかりを声高に主張するのはいかがなものか、ということだろう。
私もそう思う。
男性の損害は約40万円。車はBMWだった。気持ちはわかる。40万の出費は痛かろう。
しかしだ。裁判所の言うとおり、故意ではないとはいえ、遺体を轢いたのだ。
その現場は凄惨だったという。
一般道だったこともあり、また時間も午後7時半ということで周囲には野次馬もいた。
事故現場には被害者の脳漿が飛び散り、さらには男性が巻き込んだために高温のマフラーでその体が焼かれ白煙が上がり、周囲に人肉が焼ける臭いが立ち込めたという。
周囲からも、「はやく出してやってくれよ」と被害者を悼む声も上がっていた。
そのような状況を男性も見ていたはずだ。それでも、自分の車が破損させられたことが理不尽だと感じたのだろうか。
なんとか遺体を高温のマフラーから外した救助隊員は、その遺体を毛布にくるんで抱えていたという。
被害者がなぜその事故に遭ったのかは不明だが、そのような状態の車でも廃車にしないで乗る選択をする(修理して売却しようとしたのかもしれないが)のもまあまあすげぇなと個人的には思ってしまった。
絶対納得できなかった両親
平成19年12月。読売新聞社では取材を通じて知り合った人々のその後などを、若手記者が綴る企画が始まっていた。
記者ノート・2007の連載第一回目で、記者は埼玉県内のとある民家を訪れていた。壁に貼られたスナップ写真。そこには、楽しそうにほほ笑む若い女性。
机の上には参考書や文房具がそのまま。将来は図書館司書になるのが夢だった。
両親は、その部屋を時折訪れる若い女性らを見て、うれしい半面、寂しさと悔しさを抑えることができずにいた。
「生きていたら25歳。幸絵は、どんな女性になったのだろう」
読売新聞社の宮木優美記者に、父親の俊幸さんはつぶやいた。
正林俊幸さんと信子さん夫妻の娘、幸絵さん。彼女は大学生だった平成13年の12月29日、19歳という若さでこの世を去っていた。その部屋は幸絵さんの部屋。今でも幸絵さんの友人たちが、時々やって来ては思い出話を聞かせてくれるという。
幸絵さんは、飲酒運転の車にひき逃げされ、アルバイト仲間の女性と共に命を落としていた。
運転手は逮捕され、危険運転致死傷罪で懲役7年が確定、すでに服役していた。
しかし両親はどうしても許せない人々がほかにもいた。
平成17年、両親はその思いを果たすべく、8100万円の賠償を求めて運転手の妻、勤務先の会社、そしてあの日長時間飲酒を共にしていた同僚を「常習的な飲酒運転を知りながら制止せず、助長した」として提訴した。
忘年会帰りの事故
事故は平成13年12月29日午前2時ころに起きた。
場所は埼玉県坂戸市花影町の市道。同じアルバイト先の同僚らと歩いていた男女6人の列に後方から来たライトバンが突っ込んだ。
そのうち、淑徳短大の小原智恵さん(当時19歳)と大東文化大の正林幸絵さん(当時19歳)が全身を強く打って死亡、日体大の男子学生(当時21歳)も負傷した。
ひき逃げだった。
幸絵さんは車のフロントガラスにその体がめり込んだ状態で、車は停止することもなくそのまま75メートル走り、電柱に激突した。
現場に居合わせて幸いにもはねられなかった友人らによれば、数分後に運転手らしき男が現場へ戻ってきたという。
現場に戻ってきた運転手は30代くらいの男で、ひと目でわかるほどの泥酔状態だった。
埼玉県警西入間署は、道路交通法違反(ひき逃げ)の容疑で坂戸市厚川の会社員・冨岡和孝(仮名/当時32歳)を逮捕。その後、容疑を業務上過失致死傷に切り替えて取り調べを始めた。
冨岡は、仕事納めで会社の同僚らと居酒屋で酒を飲んだ後だったという。被害に遭った幸絵さんらも、コンビニのアルバイト仲間らと忘年会を開いた後の帰り道だった。
あの、東名高速で高知通運のトラックに追突されて幼い姉妹が焼死した事故を機に、飲酒運転が厳罰化の方向へ向かっていたにもかかわらず……またも起きてしまった飲酒運転による死亡事故。
事故が起きる4日前には、危険運転致死傷罪を盛り込んだ改正刑法が施行されてもいた。
飲酒運転常習の男
逮捕された冨岡は、法令遵守の意識が極端に薄い人間だった。
この事故より前にも、平成5年には速度超過で、平成7年には酒気帯び運転でいずれも罰金刑に処せられていたほか、それ以外にも交通違反歴がいくつもあったという。
妻の話では、飲酒運転はたまたまではなく、妻から飲酒運転しないようにといわれても意に介さず、平気で飲酒運転をしていたというのだ。
あの日、冨岡が勤務する埼玉県内の建設機械リース会社では仕事納めの後の飲み会が行われていた。
冨岡は社用車で居酒屋へ行き、数時間にわたって飲酒した。その後、キャバクラでの二次会へ向かうも満席だったため、席が空くのを待つために近くの焼き鳥屋でさらに飲み、キャバクラでも飲み放題コースで2時間飲みまくった。
最初に酒を口にしてから実に7時間が経過しており、冨岡はまっすぐに立っていられないほど酔っていたという。
日が変わって、そろそろお開きとなったころ、冨岡は自宅の妻に電話をして車で帰る旨伝えた。
ほかの同僚らは冨岡がひどく酔っていることに気づいていたが、大丈夫か?などと声をかけるのとどまり、先に帰宅したという。
その数分後に、事故は起きた。
事故が起きた際、冨岡は居眠り状態だった。
危険運転致死傷罪などで起訴された冨岡に、検察は懲役8年を求刑した。さいたま地裁の川上拓一裁判長は、遺族への慰謝が不十分であることや、冨岡の交通ルールを守る意識が甚だしく欠けていること、遺族が厳罰を望んでいることなどを挙げてその責任は非常に重大であると非難した。
が、今後二度と車を運転しないと誓い、妻や叔父がその更生を支えると話していること、金銭的な慰謝は加入している保険でその大部分が適正に賠償される見込みがあること、ひき逃げではあるが200mほど進んで数分後には引き返していること、被害者らがやや車道よりを歩いていたことなどを総合的に踏まえ、懲役7年の判決を言い渡した。
求刑の8年でも短いと思っていた遺族は、さらに1年の減刑となったことに納得いかなかった。
幸絵さんは図書館司書を目指し、またもう一人の被害者小原さんは栄養士を目指して卒業後の就職先も内定していて、その輝ける未来を一瞬で奪われた本人らの無念と遺族の悲しみと憤りは想像を絶する。
幸絵さんが事故当時にはいていたジーンズは、両親のもとへ戻された後、母親の信子さんがどれだけ洗っても血が洗い流せなかったという。
マフラーにはガラスの破片が残ったまま。裁判にはさっちゃんも一緒に、そういう思いで、信子さんはそのジーンズをはいて傍聴席に座った。
判決の日、あの東名高速で幼い娘を奪われた井上郁美さんの姿もあった。事故後、井上夫妻の闘いは国を動かし、危険運転致死傷罪を新設させた。成立した瞬間、国会議事堂内で頭を下げる井上夫妻の姿に胸が熱くなった人も少なくないだろう。
冨岡はそのまま判決を受け入れ、服役した。
許せない人々
事故後、両親は無念の思いが拭えなかった。何か自分たちにできることはないか、そんな思いで命日前後の年の暮れには東武東上線坂戸駅前で飲酒運転防止のチラシ配りを行ってきた。
そんな中で、この事故の詳細を知るにつれ、冨岡だけの問題だったのか、という疑問がわいた。
あの日、実は最初の飲酒は冨岡が勤務する会社の一室で行われていたのだ。
その会社では毎年、仕事納めの日には勤務終了後にまずは会社の一室でビールで乾杯をするのが「伝統」になっていた。
あの日も、居酒屋で行われる飲み会を前に、会社で飲酒が行われていた。
そのまま冨岡は会社が所有するライトバンを運転して居酒屋へ行き、酩酊状態で再び会社のライトバンを運転して事故を起こした。
両親は判決後、冨岡の会社へ出向き、あの日一緒に飲酒した同僚らに話を聞いたという。
そこでの会話、対応は両親を完膚なきまでに打ちのめすものだった。
同僚の一人からは、今でもあの居酒屋は利用しているということを聞かされた。それのなにが悪いのか、と言いたげな口調だったという。
また、安全運転管理者の部長職の男性は、仕事納めでの社内でのビールによる乾杯は社の伝統であり、今年も行う予定だと言い切った。
自社の社員が飲酒運転で人を二人も死なせたにもかかわらず、自分たちはまるで無関係だと言わんばかりのその態度に両親は怒りに震えた。
会社の上司は社用車が行きつけの居酒屋に停まっていると、顔を出して飲食代を支払うことはあってもタクシー代や代行代金を渡したり、車のカギを取り上げるなどの措置はとらなかった。
「酔いを醒ましてから帰れ」
そう言うだけだったという。
社員らも、今でも来るまで飲みに出かけるが、事故があった後は必ず一休みしてから帰っています、と、対策をしているから問題ないと言わんばかりの口ぶりだった。
冨岡の妻にしてもそうだった。飲酒運転しないように言っていた、と裁判では認定されていたが、よくよく聞けばその日、夫である冨岡が飲酒状態で会社の車で帰宅することを妻は聞かされていたのに、「気を付けて帰ってよ」というだけで夫の飲酒運転を黙認していたのだ。
タクシーで帰ってもせいぜい1000円程度の距離だったという。だからこそ、飲酒状態でも大丈夫だと思ったのか。
両親は、飲酒運転は本人の問題のみならず、周囲の人々の意識の低さ、飲酒運転を軽く考えていることこそが問題だと気付いた。
絶対に、そんな人々を、それを許すような社会を許してはいけない。
平成16年秋、両親と幸絵さんの二人の兄は、冨岡と冨岡が勤務していた建設機械リース会社、一緒に飲んでいた同僚、そして冨岡の妻を、冨岡が常習的な飲酒運転をしていたことを知りながら、その日も飲酒運転をしようとしているのを知りながら止めなかったことは、飲酒運転を助長したとしてさいたま地裁川越支部に8100万円の損害賠償を求め提訴した。
飲酒運転という「殺人行為」
過去には、同情していた人物に対して責任を認定した例はあった。しかし、一緒に酒を飲んでいた人に対して、あるいはその場にいなかった人に対して責任を認めた事例はなく、妻と同僚の責任に注目が集まった。
複数いた同僚ら全員が訴えられたのではなく、冨岡と6時間にわたって一緒に飲んでいた同僚の責任が問われていた。
この同僚は、冨岡が一人で立っていられないほど酔っているのに車に乗り込むところを見ていた。にもかかわらず、自分が早く帰りたいという思いから冨岡を制止することもなく、先に帰宅していた。
会社については社用車を使用して事故を起こしていることなどから使用者責任もあったと思われるが、争点は妻と同僚に責任があるかどうか、だった。
川越支部から東京地裁へ舞台を移した裁判で、父親の俊幸さんは被害者遺族として意見を述べる機会を得た。
「(冨岡が)憎くてたまらない。景気の半分ぐらいを過ごし出所するのを指折り数えて待っているかと思うと悔しい。」
「飲酒運転を目の当たりにしながら見逃した。止められたのに泊めなかったことはすごく残念で、反省してもらいたい」
事故後、正林家は家族が壊れかけていたという。家族の中心だった幸絵さんがいなくなり、姉妹のように何でも話していた母親・信子さんは日常を取り戻せていなかった。薬に頼らざるを得ない日々が続き、いまだに幸絵さんの死に向き合うこともできなかった。
同じ大学に通っていた二番目の兄も、事故後大学へ通えなくなっていた。
裁判をするにあたり、家族の中でも意見が割れたこともあったという。父親の俊幸さんは、この裁判が終わればまた家族を作り直していけばいい、そう考えていた。
なによりも、無念の思いでこの世を去った幸絵さんに、こんなことでは何の報告もしてやれない。親として当然すぎる思いだった。
飲酒運転を根絶するためには、本人だけでなく周囲の考えも変えなければならない。そのためにも、どうしても認めてほしい裁判だった。
平成18年7月28日、東京地裁の佐久間邦夫裁判長は、その場にいなかった妻に対する責任は認めなかったものの、一緒に飲んでいた同僚と車の所有者である会社に対し、合計で5800万円の支払いを命じた。
佐久間裁判長は、「長時間飲酒を共にしたことは、酒を勧めたことと同視できる」とし、その後車を運転することを知っていたのだから飲酒運転を幇助したのと同じことで、それを怠った場合は民事上の責任を負うと指摘した。
道路交通法にも、「飲酒を勧めたものはその後の運転を止める義務がある」という規定があり、それに沿ったものだった。
原告代理人の佐々木惣一弁護士は、「飲酒運転をするとわかっていた周囲の人の責任を認めた画期的な判決だが、当たり前といえば当たり前のこと」と話したが、この判決によってそれまで「自分は関係ない」としてきた酒の場に同席した人らも他人事ではないと思うようになるのは必至で、これこそ、両親が望んだ飲酒運転を社会全体で許さない、根絶するための第一歩になったのは間違いなかった。
「刑事責任は別としても、飲酒運転という「殺人行為」を止めなかった周囲の人間が民事上も許されていいのか」
強く強く訴え続けてきた遺族の願いは、聞き届けられた。
見て見ぬふりを許さない社会に
飲酒運転に限らずだが、見て見ぬふりをしてしまう人々は少なくない。
尋常でない悲鳴が聞こえても通報しない人、子どもが寒空の下ベランダに出されていても知らん顔をする人、交際相手の妊娠を知りながら知らぬ存ぜぬを通す生物学上の父親、同居の家族。
ただそれらはどれもが最悪の事態に直結するとは言い難い面もあり、通報を怠ったからと言って民事上の責任を負うかといわれると難しいだろう。
飲酒運転の場合は最悪の事態が高確率で発生することのみならず、そもそも飲酒運転自体が罪である。
これまで、あの東名の事故が起きるまで、飲酒運転には寛容だった。飲酒運転というか、酒の上でのことはなぜか軽く扱われることが多かった。
酒が人を変えるのではなく、酒がその人の本性を暴くとはうまいこと言うー、とも思うが、それは本人のみならずその場に同席した人間の振る舞いも言えることである。
判決が出た後、様々な意見が出た。危険運転致死傷罪成立後のことでもあり、歓迎する意見ばかりかと思いきや、危惧する声も少なくはなかった。
楽しく酒が飲めなくなる、友達を誘えなくなる……
たしかにそれも理解はできる。飲酒運転をしようとするような状態の人間に正義を説いても正直無駄だろう。力づくでどうにかできることでもないし、警察を呼ぶしかないではないか。本人の問題として放置して何が悪いというのも分からなくはない。
しかしそれで全く無関係の罪のない人が死ぬのだ。
冨岡は、事故後いったんその場から逃走したがすぐに戻っては来ている。
ところがその時、すでに臨場していた警察官に対して「自分がやりました!」とおどけ、敬礼したという。
見て見ぬふりを許さない社会は窮屈かもしれないが、こんなアホを生み出さないためにも、そうあらねばならないと思う。
*************
参考文献
毎日新聞社 平成13年4月11日東京朝刊
読売新聞社 平成13年4月11日、8月1日、10月31日、平成14年1月18日、平成19年1月5日東京夕刊、12月18日(宮木優美)東京朝刊、平成16年9月30日、12月11日大阪朝刊、12月27日大阪夕刊
日刊スポーツ新聞社 平成16年10月22日大阪日刊、平成23年1月29日東京日刊
中日新聞社 平成13年12月30日、平成18年7月29日朝刊
朝日新聞社 平成14年6月19日東京地方版/埼玉
西日本新聞社 平成18年10月5日朝刊
産経新聞社 平成18年5月26日東京朝刊、7月29日大阪朝刊