Evil and Flowers~新居浜・両親殺害事件⑩~

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不可解な言葉

剛志が裁判で話したことは、概ね話の筋としては辻褄もあっていたし、時系列に関しても些細な勘違いはあったものの、傍聴していて理解に苦しむような部分はなかった。

ただ、2点、どうにも腑に落ちない点があった。

ひとつは、母・洋子さんを殺害するのに4時間をかけたことの真意だった。
私はそれまでの供述や、検察、弁護側の話を総合し、剛志は両親のうち特に洋子さんの言動に振り回され、嫌悪感を強く感じているように受け取っていた。
また、洋子さんに残された多くの刺し傷などを考えても、洋子さんには過剰な暴力的な行動が見られた。
それは、意識的かどうかは別にしても、剛志の中に洋子さんに対する強い怒りがあったことの表れだと感じていた。
しかし、弁護人からの質問で、剛志から出た答えは意外なものだった。

(弁護人:お父さんは1回だけ刺した。お母さんは違う。時間をかけてるけどそれはどうして?)
「うーん・・・。ずっとためらっとったのはありますね。自分の母親っていうのがあったけん。最後までためらいながらやってました。」

・・・マジで?そっち?
ちなみに私はこのことを複数の様々な立場の人間に「あなたなら」ということで質問してみたが、見事に全員が「よっぽど憎かったんやろうね」という答えで一致した。
私もそう思ったのだ、ここへきてもうどうにも止まらない怒りがあふれた、と。
もっといえば、わざと時間をかけたのかもしれないとさえ思った。
しかしそれを剛志は全否定した、というより、全く考えていないようだった。

たしかに、全身に20か所近い刺し傷があったにも関わらず、最期の左胸への一刺し以外は致命傷というには浅い傷だった。勝浩さんが受けた一撃に比べれば、ためらった、というのもわからないではない。
それにしても、それまでの経緯を考えると今でもこれは本当なのだろうか、と思わないでもない。

もうひとつは、勝浩さんが刺された際に駆け寄って縋った洋子さんに対し、剛志が抱いた印象についてだ。

1日目の弁護人からの質問の際、剛志はこう証言している。

(弁護人:お母さんを蹴ったのはどうして?)
「自分で、見苦しい、と思ってしまって・・・」
(?何が見苦しいの?)
「父はもう死んでいるのに、母がいろいろ(脈をとったり)していたのが」

普通、思わぬ出来事が起こり、たとえそれが即死レベルのことであったとしても、目の前の人は思わず駆け寄り、名を呼んだり意識を確かめようとするのはごく当然の行動に思える。
ましてや、自分の夫や家族であれば、取り乱して縋ったとしても何らおかしくないし、むしろもう死んでるからと冷静になれる方がちょっとレアだと思う。

この点は後に加藤裁判官も訊ねている。しかしその際も、剛志の言葉は全く同じだった。

見苦しい。私はその答えが唐突すぎて、その後もずっと考えていたがわかるはずもなく、どうしてそんな心境になってしまうのだろう、と全く理解できなかった。

しかし、翌日の有家医師による証言の中で、そのことを理解するだけでなく、おもわず声が出そうになるほどの重要な洋子さんと剛志との関係性が明らかになる。



「命令」と「承諾」、もしくは「服従」

有家医師は、1223日と24日の高平家での騒動が、犯行を引き起こした可能性はゼロではない、とした。
剛志とAさんのことを、酔っぱらった状態の洋子さんと勝浩さんが執拗に責め立てたのは先述の通りだが、実はその際の洋子さんの言葉は、剛志にとって「命令」として伝わったのではないか、というのだ。

洋子さんは確かに、「Aと別れろ、別れないなら私らを殺してバラバラにして出て行け」と2度に渡って剛志に言っている。
しかし、普通はそんなバカげた、絶対に出来るはずのない要求を突きつけられたら、それは選択肢として別れる以外にないのだ、と自然に判断する。
別れないとしても、出来るはずのない要求を、まして酔っている人間が口にしたことを真に受ける必要性すらないわけで、おそらく洋子さんも自分たちがどれほどAさんとの交際を許すことが出来ないかを「たとえ」ただけのことだ。

ただ、長年洋子さんからの叱責や束縛に晒され続けた剛志には、それがすとーんと、心に「命令」として残ってしまったのではないか、というのが有家医師の考えだった。

「別れないなら殺せ、というのは、殺せないなら別れろ、という風に本来は伝わるけれども、被告人には『殺してから出て行け』と極端な形で伝わった」

有家医師は淡々と、しかしはっきりとそう述べた。

また、その後の検察官からの質問でも、「命令」についての話があった。
(検察官/以下同:命令にはどのように伝わるのか)
「無意識に誤解する形」
(影響は?)
「命令と服従の関係。開始時においてはそうであるが、服従は承諾だったのかもしれない。」

この裁判の中で私は一番ここが怖かった。
特定の人(ここでは親)の言葉が時としてこのように作用する、この重大さを私は認識できていなかったし、大抵の人もそうだろう。
もちろん、良好な人間関係においてはこのようなことは起こりにくいのかもしれないが、性格的なことも関係するだろうし、言葉をそのままに受け止めてしまう人もいる。
ましてや親子という、絶対的な上下関係の前で、幼いころから母の言動は剛志の中で絶対的なものになっていった。
Aさんや元妻らが、親なんだからちゃんと話したら、わかってもらえるはずだ、というような助言をしても、剛志はハナから諦めていたという。
それは、諦めではなく、「服従」だったのかもしれないのだ。

検察官は、それでも有家医師の診断を疑問視する質問を続けた。
1223日、24日の洋子さんの暴言があった後、殺意が芽生えたかもしれないがおさえることが出来ていた、とする有家医師にこう質問した。
(検察官/以下同:被告は考えないようにしていた、と話している。命令ではないのでは?)
「表面的には(命令とは受け止めていない)。」
(被告人は犯行時、洋子さんのこの発言を覚えていましたか?)
125日の面談時には、覚えていないと発言している。」

検察としては、命令として受け止めたはずの言葉を剛志が犯行時だけでなく、その事件後の長い間全く覚えていなかったというのは不自然ではないか、と言いたかったのだろうが、それは逆じゃないかと私は思った。

人は、思いもよらないキツイ言葉や悲しい出来事、辛い出来事を突き付けられたとき、それを忘れてしまおうとすることがある。
防衛機制における、いわば「否認」あるいは「抑圧」にみられるような、認めがたいことを無意識に追い払う、または、それ自体なかったことにしてしまおうとするという状態ではないのか。
そして、有家医師によってそれを指摘されたことで、ようやく思い出すことが出来たのではないのか。
そもそも、母親から「殺せ」と言われるなど、人生においても相当強烈な言葉である。それを「忘れている」ということ自体が、剛志が受けた衝撃の強さの表れである。しかも24日の際は、洋子さんから土下座した上での謝罪を要求されていたのだ。

その後の弁護人からの質問でも、この無意識の服従について述べられた。

有家医師によれば、その言葉に対して「怒り」という感情は確かにあったという。剛志本人も、「自分は抑えきれていなかった」と、その夜のことを話している。
しかし、このように踏みにじられるような言動は幼いころからあったことで、この時初めて受けた感覚ではない。したがって、怒りに任せた犯行でないことは明らか、というのだ。実際、年末から事件当日までは不気味なほどに平和な時間が高平家には流れていた。
洋子さんからの「命令」は、当初はぼんやりしたものだったという。おそらく、勝浩さんを殺害した時点でもそれは想起されていなかった。
勝浩さんに取りすがる洋子さんを見て、そこで命令が発動された可能性があり、よって、以降洋子さんに対する暴力は意識的に行われた、とのことだった。

ここで、私は剛志が発した、「見苦しい」という言葉の辻褄があってしまった。
有家医師は言及していなかったが、剛志の中で洋子さんからの「私たちを殺せ」という命令が発動しているのに、自分は命令に服従したのに、それを今になって命令した張本人が取り乱して救急車を呼べなどというのは、「見苦しい」。
そう思ったのではないか。
もしもそうであるならば、見苦しいという言葉が出るのも理解できる。

有家医師は、部屋を出た後すぐさま包丁を手にしたわけではなく、その直前に野菜ジュースを飲んだという剛志の行動も見逃していなかった。怒りに任せた犯行ならばつじつまが合わないとまで、有家医師は証言した。
本人にはわからない、潜在的な命令だったということが見てとれる。明らかな殺意ではなく、ただ、「刺そうと思った」という、漠然とした剛志の心理も、潜在的な母親からの「殺せ」という命令が心の蓋を押し上げようとしていたと言える。

これははたして殺意なのだろうか。私は全くわからなくなった。