なぜ彼女は家を出たか~伊勢崎市・主婦監禁暴行餓死事件~

平成13年11月12日

救急救命士二人とともにその家にやってきた消防署員は、家族の案内で家の中へ通された。
小さな木造平屋のその借家の六畳間に、布団に寝かされた「急病人」がいた。
通報では、「妻が死亡しているようだ」と聞かされていたため、亡くなっている可能性を頭に入れて対処にあたろうとその布団に横たわる人を見た瞬間、消防隊員らは息をのんだ。
女性と思しきその人は、ひどく痩せこけ、というより体中の水分という水分が抜け出てしまったのかと見紛う程干からび、通報してきた男の妻とは思えないほどだったからだ。
女性はすでに死亡していたが、火葬の許可が下りなかった。
この女性は、通報者の妻ではなかったからだ。さらに、女性には正式な夫のほか、家族もおり、平成10年に捜索願が出されていたのだ。

その家

女性が死亡したその家は、群馬県伊勢崎市上諏訪、殖蓮とよばれる辺りにあった。
当初、市営住宅といった報道もあったようだが、この地域にそういった市営住宅は存在せず、民間の借家であったようである。
同じつくりの木造平屋建てが4件並んでいたといい、その家には高齢の夫婦とその長男長女、さらには長男の中学生になる娘が暮らしていた。
その家は、四畳半と六畳間、3畳の納戸に台所と風呂、便所という間取りで、一家5人が暮らすには手狭であった。
広い6畳間に長男とその娘が暮らし、どうやらそこに死亡した女性もいたようだった。

一家はそれまで太田市内にある鳥之郷団地というところで暮らしていたが、突如高齢の両親と長女がそこを出て行方をくらましていた。
伊勢崎市内の現場となった借家では、当初その親子が生活していたが、平成10年1月、長男がその家へとやってきて、再び一緒に生活をするようになっていた。
彼らの一家の暮らしを詳しく知る人は実はほとんどいなかった。そんな中で、近隣ではある噂が持ち上がっていた。
「あの家にはもう一人女の人がいるのではないか」
そう噂されたのには理由があった。平成13年の春から夏にかけて、複数の男性が入れ替わり立ち替わりその家を張り込んでいたのだった。時にはその家の家族らと押し問答をする様子も目撃されていた。

その噂は現実のものとなり、最悪の形で露見することになったのだ。

出会いとそれまで

死亡していた女性は、邑楽郡に住む女性・長谷川三根子さん(当時36歳)と判明、上諏訪のその家には事件の3年ほど前から同居していたと見られた。
その家の人間は、金井賢次(当時72歳)、妻・アイ子(同65歳)、長男・幸夫(同37歳)、長女・洋子(同38歳)、幸夫の中学生の娘である。
三根子さんは幸夫の中学時代の同級生で、数年前から幸夫と連絡を取り合い、会っていた間柄だった。
中学時代の友人同士が連絡を取り合うことは別に普通のことに思えたが、この二人を繋いでいたのはいささか込み入った事情があった。

三根子さんと幸夫は、太田市内の中学校の、いわゆる特殊学級の同級生だったのだ。特殊学級と言っても、三根子さんは一見してそうとは見えず、学習面で若干の遅れが見られる程度だった。
本来なら普通学級でもよかったが、三根子さんのストレスになってはいけないとの両親の判断もあって、特殊学級での学びを選んだのだった。
一方、幸夫はどうかというと、こちらもさほどあからさまな知的、精神面での遅れはなかったようだ。ただ、当時の担任によればそういったことよりもむしろ家庭環境が劣悪で勉強ができる環境ではなかったと言い、そういったことも総合的に判断したうえでの特殊学級在籍であったようだ。
私が過ごした中学校にも特殊学級があった。今は違うのかもしれないが、昭和の時代、特殊学級にいる生徒はいろいろで、勉強が極端にできない子、知的に障害があると診断されている子がメインであったが、普通学校の特殊学級である以上、基本的には自分のことは自分でできる子ばかりだった。
だから、よくよく付き合ってみなければそのようなハンディを抱えていることに気づかないレベルの子たちが多かったように思う。
幸夫も三根子さんも、担任や親の配慮で「あえて」そのクラスにいたというような生徒だった。
中学を卒業した三根子さんは、部品製造工場などで勤務していたが、幸夫はというと定職にも就けず引きこもりのような怠惰な生活を送っていたとみられている。
そしていつのころからか、三根子のもとに幸夫から電話が入るようになっていた。

繰り返された家出

平成元年。
知人の紹介で知り合った男性と結婚した三根子さんは、夫が建ててくれた新築の一戸建てで女の子にも恵まれて幸せに生活していたかに見えた。
夫によれば、三根子さんが特殊学級に在籍していたことを知らなかったという。
家事も問題なくこなしていたし、子育ても特に問題があるわけでもなかった。だから、たとえ三根子さんが特殊学級にいたと聞かされたところで、夫にしてみればだからどうだと言うのだ、という以外になかった。

しかし、実は結婚して4年経った時、三根子さんは突然家出していた。
幸夫からの頻繁な電話に気づいていた夫は、すぐさま幸夫に連絡してどういうことかと詰め寄った。
夫の予想通り、三根子さんは幸夫が暮らしている太田市内の鳥之郷団地におり、そのときは迎えに来た家族らとともに自宅へ戻った。
三根子さんの兄と義理の弟が念押しのために幸夫の家へ出向き、今後一切三根子さんに電話やその他の接触をしないということを語らせ、録音してその証拠とした。
怒り心頭の兄たちの剣幕に恐れをなしたのか何なのか、幸夫は涙を流して詫びたという。
兄と義弟はそれでも不安を残したまま、一旦引き上げた。
兄らの不安は、それ以前から耳に入っていた幸夫の素行の悪さにあった。三根子さんの同級生であることはわかっていたが、同じ中学といっても近い場所に暮らしていたわけではなかった。
当時特殊学級のある中学校は一校しかなかったため、三根子さんは邑楽郡から両親が送って通わせていたのだ。
そのため、金井一家とは全く縁もなかったのだが、三根子さんと接点ができて以降、いやでもその評判は耳に入ってきた。
その中でも、幸夫にかかわった女性たちがこぞって酷い目に遭っているという噂は、三根子さんの家族の一番気がかりなことであった。

金井家の「惨状」

金井家は、群馬に来る以前は東京で生活していた。そこで、長女・洋子をもうけた。
父・賢次は、尋常小学校を出たのち農業手伝い、工員として働いていたが職はかなり転々としていたようだ。
幼少のころから難聴で、それは通常の音量の会話での意思疎通ができないほどのものであり、そのため賢次自身も会話が得意ではなかった。
それでもアイ子と出会い、アイ子の支えに頼りながら家庭を築いてきた。
昭和38年には長女・洋子が生まれ、その翌年には長男・幸夫が生まれた。決して裕福ではなかったものの、その後訪れる自動車産業の躍進の波に飲み込まれるように、太田市内に相次いで建設された大規模な市営住宅へと越してくる。
昭和45年、幸夫の下に生まれた妹を含めた5人家族は、建ったばかりの鳥之郷市営団地に入居した。
周囲が地元の工場などで働く一家が多い中、金井一家は浮いていた。もともと仕事が長続きしない性質の賢次とアイ子は、わずかな収入もギャンブルに使うこともあった。
幼いころの幸夫は、とにかく内気で、学校にも満足に通えない子供だったという。一旦は学校へ行くものの、数時間すると帰ってきてしまうのだという。その後も、仕事へ行く母親の袖をつかみ、結局アイ子も仕事に行けないという有様だった。
幸夫が特殊学級をすすめられたのも、こういった性格的なことも関係していたのかもしれない。
両親は、姉と妹に比べて幸夫を「えこひいき」していた面もあった。長男だからなのか、小遣いを余計に渡したり、事あるごとにそうしたひいきをする一方で、暴力で幸夫にあたることもあり、極端に振れる家庭であった。
そんな家庭の中で、真っ先に参ってしまったのは幸夫の姉・洋子だった。
幸夫の一歳上の洋子は、中学卒業後一旦は高校へ進学していたが中退、その後工場勤務などをしていた。
中学生になった幸夫は不登校になり、そのイラ立ちのはけ口を家族に向けていた。典型的な内弁慶であった幸夫は、外では自分よりも弱いものを従え、自分より強い立場の人間には立ち向かえず、甘やかしてきた母親や姉の洋子に暴力を振るった。
幸夫の暴力に耐えかねた洋子は精神に変調をきたし、入院する羽目になった。皮肉にもその後は、姉の障碍者年金が一家を支えることとなる。
(残り文字数:11,619文字)

新潮45に掲載された駒村吉重氏のルポによれば、ある時から暴力に怯える時とは明らかに違う「姉の悲痛な叫び」が家から漏れ聞こえるようになったという。
鳥之郷団地は二階建てタイプのものや団地タイプのもの、それから平屋タイプのものが現在でも存在してるが、当時の金井家が住んでいたのは平屋タイプの市営住宅だった。

通りからは家の中が容易にのぞき込めたという。
洋子の痛々しい悲鳴に何事かと覗き込んだ近隣の人によれば、窓ガラスの向こうでズボンを下げた幸夫の友人ら数人が洋子を取り囲んでいたという。

幸夫は、姉を差し出すことで「友達」を繋ぎとめていたのだ。
しかも、その姉への仕打ちは、当初幸夫と二人きりの時に始まっていた。それが、次第に幸夫が連れ帰る男たちへと広まったのだ。
このことを両親はおそらく知っていたと思われる。洋子の叫びが響き渡る中、帰宅した両親らは鍵がかけられた家に入れず、外でじっと佇んでいたという。
父親である賢次は、さすがに娘の異常事態を見過ごせず、かといって幸夫に太刀打ちできる力も知力もなかったことから、近所の人に相談していた。
しかし相談を受けた人が「家庭のもめごととして警察は相手にしないのではないか。そもそも晒しものになってしまうよ」という最悪のアドバイスをしてしまったことでそれ以降、賢次は見て見ぬふりをするしかなくなっていた。

幸夫は、友達を繋ぎとめるだけでなく、姉と遊ばせることで金銭を得ていた。順序から言えば、借りた金を返せない代わりに姉に相手をさせていたわけだが、それはある意味姉を利用して遊ぶ金を得ていたことに他ならない。
母・アイ子にも暴力は振るわれた。殴る蹴るにとどまらず、熱湯をかけられて火傷させられたこともあった。
もはや幸夫は、金井家という小さな箱の中で暴れまわる「ヒトでないなにか」に成り果てていた。

惹きつけられる女たち

幸夫は逮捕当時こそ報道で顔写真が出ていたが、残念ながら私自身彼の顔を知らない。
当時を知る人によれば、幸夫は見た感じ普通、逮捕当時は小太りな男といった印象、との話がある。
そんな幸夫は、なぜか交際する女性が常にいたという。どこからともなく連れてくる女性は引きも切らず、二十歳で最初の結婚をし、4年後に離婚した後もまた再婚し、それぞれに子供をもうけていた。
結婚した二人の妻を含め、鳥之郷団地の金井家に同居していた女性は少なくとも8人以上はいた。それは近隣の人らが把握できている数であり、それ以外にもまだ関わりのあった女性はいたとみられる。
過去に、秋田の進藤美香の事件について書いた際にも、世の中には外見的、環境的にモテる要素が一切見当たらないにもかかわらず、異性を惹きつけてやまない人間がいるということに触れた。
この金井幸夫という男にも、どうやらそういった部分があったように思う。ただ、「ある条件を備えた女性」限定で。

これは完全に個人的な推測だが、幸夫に惹かれた女性らは、おそらく幸夫と同じような環境、同じような知的水準だったと思われる。
知的障害があるとまでは言えないものの、どこか危うい、そういった、普通学級か特殊学級かで迷ってしまうような水準の女性であったのでは、と勝手に考えている。
そして、そういった女性からは、ひどく魅力的な何かが幸夫にはあったのだと。
三根子さんの家族は、三根子さんの2度にわたる家出について、「ふらふらと出て行ってしまっただけ」と話しているが、私にはそうは思えない。
三根子さんには、幸夫のもとへ行くだけの、行きたいという「理由」があったはずだ。それはなんだったのか。

おそらくそれは、ある種の「居心地の良さ」だったのではないだろうか。

しかし彼女らが抱いた居心地の良さはまやかしであった。同居を始めた女性らは、全員人としての扱いを受けていなかった。金井家の全員が、新参者の女たちを虐げた。家事を押し付け、食べるものも満足に与えなかった。女たちは生傷の絶えない体で、みるみるやせ衰えていった。
父親の賢次だけは、不憫に思ってか近所の食料品店に出向き、こっそり「嫁がもし来たら何か食わせてやってほしい」と金を置いていくことがあった。

しかし、同じ女であり、幸夫の暴力に耐えてきたはずのアイ子と洋子は、その女たちがいることで暴力から逃れられることに気づいていた。
いつの日か、アイ子と洋子は、率先して女たちを虐げるようになっていた。

女たちは、近所の人の助言や助けなどにすがり、子どもまで置いていくということでなんとか金井家から逃れることが出来たが、そのたびに、おそらく金井家の人々は「知恵」をつけて行ったと思われる。
今度こそ、逃がさない。

護られる人の憂鬱

三根子さんは確かに特殊学級にいた生徒ではあるが、その程度というのは軽かったというのも事実である。
ただ、現代においては発達障害や様々な障害が認知されており、昔ならば普通学級の中の「ちょっと変わった子」扱いであった子どもが、場合によっては普通学級で学べなかったり、特別な教育システムを受けることは少なくない。
三根子さんは私より10歳ほど上の世代であるため、私の知る時代よりもさらにそういった認知はなされていなかったと思われる。
にもかかわらず、特殊学級に在籍していたということは、やはり普通学級では難しいと判断されていたのだ。報道や、先述の駒村氏のルポなどでも「配慮」なのか、三根子さんに関しては特殊学級にいなくても問題のなかった人だという論調だ。
しかしよく考えてほしい。ならばなぜ、わざわざ越境通学までしてそこに通ったのか。親の配慮だけでそうなるとも思えず、やはり第三者の判断でもそれがふさわしいと判断されたと考えるのが普通だ。

誤解のないように、だが、特殊学級の生徒だから=普通でなかったから、と言いたいわけではない。
ただそこを認めず三根子さんを語ってしまうと、本当のところがいつまでたっても見えないのでは、と言いたいのだ。
それは三根子さんに対しても失礼というか、健常者が勝手に「そうだよね、こうだったんだよね、ねっ、ねっっ!!」と決めつけてしまうことになってしまうような気がするのだ。三根子さんの気持ちを無視して。

三根子さんは二度に渡って幸せな家庭から「逃げ出した」のだ。その事実を、「ただふらふらと誘いに乗った」で片づけて良いのだろうか。

そこには、手厚く護られる人にしかわからない、一種の「退屈」「居心地の悪さ」があったのではないだろうか。
何かできないことがあっても許され、みんなが理解し優しくしてくれる本来居心地の良いはずの世界。それが、三根子さんには窮屈だったのでは、と考える余地はないだろうか。

三根子さんの家族は皆、三根子さんが健常者とほとんど変わらないと言った。確かにそうだったのだろう。でも、「勝手に家を出たらどうなるか」「結婚している人が他の異性と肉体関係を持つことがどういうことか」といった、抽象的なことまでしっかりと判断できていたのだろうか。出来ていなかったからこその、2度の家出ではなかったか。三根子さんには、後ろめたさや悪気などこれっぽっちもなかったと私は思う。ただ、素のままの自分で居られる幸夫との時間は単純に「楽しかった」のだろう。
本来の家庭では、家事や育児もしっかりこなしていたという三根子さんだが、幸夫の家では家事をしなかったという。それを、アイ子や洋子が咎めても、さらに反抗的になったことが、虐待に拍車をかけた。三根子さんが「家に帰りたい」と思った時はもう遅かった。

久美子ちゃんの家族

私が中学生だった頃、同じ中学には特殊学級が存在していた。クラスには専門の先生がいて、1年から3年まで5人くらい在籍していた。
その中で、同じ年の久美子ちゃんという女の子がいた。彼女は年子の妹と兄がいて、彼女が2年生のときには妹も兄も中学校に在籍していて、3人とも特殊学級にいた。
久美子ちゃんはごく普通の子に見えたが、身だしなみには無頓着だった。髪の毛も洗わず、口の周りの産毛も伸び放題、制服はいつもシワだらけだった。いつもニコニコとしているのが印象に残っている。
兄も同じで、見た感じはどこにでもいる少年だったが、久美子ちゃん同様いつもニコニコしていた。
妹は驚くほどの別嬪だったが、ほとんど学校に来ず、たまに久美子ちゃんを迎えに校門の前で待っているのを見かけることがあった。
特に何の問題もなかったし、時には話すこともあった。会話は普通にできたし、とにかくいつもニコニコしていたから嫌われたりもしていなかった。
それが、ある時噂が立った。当時14歳の妹がどうやら子供を産んだというのだ。もともと学校に来ていなかったため、その真偽は不明で、久美子ちゃん宅の近所に住む生徒の親が言っていた、というレベルだった。
ところが、ある時久美子ちゃんと兄、妹が連れ立って歩いているのが目撃され、そこにベビーカーがあったことで噂が事実だったと判明する。
赤ちゃんの父親は誰なのか、結婚できる年ではないからどうするんだろうね、と話していたら、さらにとんでもない話が出てきた。
「妹の子供の父親は、お兄ちゃんなんだって…」

田舎の中学生には衝撃過ぎる話であった。しかも、その話の出どころは久美子ちゃんらの母親だった。何人もの人が、母親から直接聞いたというのだ。
噂話など信じない私の両親までもが、その話を知っていた。久美子ちゃんの一家は、母親も定職についておらず、父親も存在すら知る者がおらず、家族全員が軽度の知的障害であった。
結局、妹はその後家を離れ、兄もどこかへと姿を消し、久美子ちゃんだけが母親とその家に残っていた。
私たちは高校生になったが、久美子ちゃんは中学を出た後は特に何もしないで家にいた。
会うこともほとんどなかったが、たまにスーパーで見かけることはあった。まったく変わらず、声をかけるとニコニコするのだが、久美子ちゃんはその相手が誰だかわかっていなくても、ニコニコして応じていた。
久美子ちゃんの存在を忘れかけたころ、新聞の社会面に「〇〇町の少女、京都で保護」という見出しが躍った。
それは私の暮らしている町の名前で、そこに暮らす17歳の少女が男の誘いに乗って行方をくらましていたが発見された、というものだった。
小さな町で、この少女の名前はすぐ割れた。久美子ちゃんだった。
久美子ちゃんは何らかの手段で知り合った成人男性に誘われるまま、家族に何も言わず出て行ってしまっていた。母親が警察に相談し、誘拐の可能性も考えて公表されていなかったという。実際には誘った男性もナンパした程度であり、久美子ちゃんも自分の意志でついて行っていた。まさに、「つい、ふらふらと」ついて行ったような感じだった。
後日街で見かけた久美子ちゃんは、やっぱりニコニコしていた。友達が久美子ちゃんに「家出してたの?」とあからさまに聞くと、「家におってもつまらんし」とニコニコして言った。

三根子さんの3年10か月と姉・洋子

2度目の家出をした三根子さんは、当初金井家が暮らした鳥之郷団地で幸夫とその長女とで暮らしていた。
しかし、平成10年1月、幸夫は長女と三根子さんを連れて両親と姉が逃げた先である伊勢崎の借家を探し当て、押しかけた。
幸夫から逃げたはずの両親と姉は、再びその家で家族として生活することになった。
当然、三根子さんの家族は方々を探し回っていた。三根子さんの父親が伊勢崎の家を見つけ訪れた際、アイ子はしらじらしく「三根子さんはきていません」と応対した。これもまた、金井家が身につけた「知恵」の一つだったのだろう。さらに言えば、1度目の時にやってきたのは三根子さんの兄と義弟で恐れをなしたが、今回やってきたのは三根子さんの父親であったことから、恐れを抱かなかったのかもしれない。
分別のある常識的な三根子さんの父親は、そういう金井家の人々を信じ、勝手に家の中に押し入るような真似はしなかった。もっともその時、家に押し入らなかったことを家族は後々後悔することになってしまった。
三根子さんは自分の意志ではあったが、奥の部屋に幸夫とともに隠れていたのだ。
三根子さんは金井家で同居を始めた当初から、家事などをしなかったという。そもそも、嫁に来たつもりもお手伝いに来たつもりもないのだから、三根子さんがそれらをしなかったとしても文句を言われる筋合いではない。
しかし、時に三根子さんはアイ子らに口答えをし、大小便の粗相をすることがあり、アイ子らはそのたびに激高した。三根子さんからすればなぜ家事を強要されたり、自由にふるまうことを咎められるのかわからなかっただろう。そしてその三根子さんの抵抗は、アイ子と洋子という、それまで幸夫に虐げられてきた女たちを結託させてしまった。
タバコの火を押し付けたり、殴る蹴るの暴行だけでは飽き足らず、同居してすぐから食事は1日2回であったのが、夏ごろには1日1食となり、平成12年の夏ころからはその1度の食事の量まで減らした。
三根子さんはそれでも生きようと、目を盗んでは残飯などを口にし、何とか命を繋いではいたものの、平成13年になると立って移動することが困難となり始める。

そのため、トイレに間に合わないこともあったが、それがさらに暴行を引き起こさせた。
唯一、父・賢次だけは、三根子さんの容態を察して時折幸夫らに内緒で食事を与えていたという。しかしその量は足りるものではなく、積極的なものでもなかった。
賢次は「このままでは死んでしまうから、今からでも家に帰したらどうか」と幸夫らに提案もしたが、三根子さんが警察に訴え出ることを危惧し、結局まとまらなかった。
裁判でも幸夫が主導したと認定されているが、実は途中から主導権を持っていたのは姉・洋子であった。

幸夫は、「このままでは死んでしまう、少し食事を与えたらどうか」と話したという。しかしそれに真っ向反対したのが、洋子であった。
その時の洋子は、手が付けられないほど興奮して頑なに三根子さんに食事を与えることを拒んだ。
恐れをなした他の家族は、結局三根子さんに食事を与えることを断念する。
洋子はその時の心情を聞かれ、「家事をしないなどに対しての腹立ちの方が大きく何とも思わなかった」と話した。しかし、裁判では「ご飯をあげればよかった。今はご飯をあげる夢を見る」と話した。

洋子の心情は、おそらく自分を守るため、三根子さんが虐げられてさえいれば自分に矛先が向かないと真剣に思っていたのではないだろうか。
そしてそれは、三根子さんが回復しては困る、いつまでも弱った草食動物のようにそこに横たわり、虐めターゲットであり続けてくれなければ困る、そう思ったのではないか。
しかしその状態を保つことが出来ない、助けるか、死か、それしかないということまでは、洋子には分らなかった。

また、三根子さんの身を案じているかのように思えた父親の賢次だが、実は三根子さんが2度ほど金井家から逃げ出したとき、それを阻止したのも賢次だった。
それでも三根子さんは賢次に対し、「姉ちゃん(洋子)がご飯をくれない、叩かれて恐い、家に帰りたい」と懇願していた。家族の中ではまだ世話をしていた賢次が唯一の望みであったのかもしれない。
しかしその2度の脱出失敗で、三根子さんは手足をガムテープなどで縛られ、体の自由を奪われてしまう。

8月に入り、三根子さんは極度のるい痩状態となり、もはや一刻も早く医療機関での治療が必要な状態であった。金井家の人間も、それは理解していた。しかし、だれも積極的に策を講じることはしなかった。いっそ殺して遺体を処分するとか、どこかに放置してしまうとか、そんなことすらも考えつかず、ただひたすら、猛暑の中家の中で朽ち果てていこうとする三根子さんを眺めて過ごした。

そしてその年の11月10日、3年10か月に及ぶ地獄の日々は三根子さんの命と引き換えに終わった。発見当時の体重は、158センチの身長に対し、わずか26キロしかなかった。

誰よりも君を愛す

アメリカの医療ドラマの金字塔、「ER緊急救命室」が日本で初放送された時、ある事件が起こった。シーズン6で、研修医ルーシーが刺殺されるという非常にショッキングかつ、シリーズの中でも1,2を争う名エピソードがあった。しかし、日本での放送時、このエピソードと繋がるエピソードの2話(「誰よりも君を愛す」「悲報」)が削られたのだ。

理由は、放送局(NHK)による「配慮」だった。

このエピソードでは、統合失調症の患者によって担当医だったルーシーとその監督医・カーターが殺傷されたわけだか、それが「統合失調症患者に対する偏見を招く恐れがある」とされたのだ。

バカバカしいにも程がある話で、エピソード内で問われたのは患者に向き合う余裕のない現状、医療従事者の慢心、緊急救命の限界、そして統合失調症患者への接し方やその家族といった、非常に深い内容であり、決して統合失調症患者に偏見を与える内容ではなかった。実際、現在放送中のBSでは普通にノーカットで放送されている。

このように、日本ではハンディを抱えた人に対して過剰ともいえる配慮がなされることがしばしば起こる。健常者と同じに扱えないわけだ。先日、テレビドラマ「相棒」において迫真の演技で見る者の度肝を抜いたシャブ山シャブ子18歳についても、薬物依存更生施設などからクレームが来たという。(´・ω・`)知らんがな。
同じく偏見が云々という話だったが、実際はガチすぎて笑えなかったというのが真相だろう。
実際に、統合失調症患者や薬物依存者による殺傷事件は少なくない。そして、その事件の陰で泣き寝入りせざるを得ない人がどれだけいるか。その人たちに、「病気なんだから仕方ない」と言えるのか。それは言い換えれば、「その時にそこにいたあなた(被害者)が悪い」と言っているも同じだ。
三根子さんと幸夫の事件は、二人が特殊学級に在籍していたことが分かるや否や、地元の新聞以外は沈黙した。辛うじて、父親・賢次の裁判資料が残っているだけである。
ハンディを抱えていても健常者と平等に、同じ扱いをすべき、そういう一方で、健常者とは違う配慮や保護があるのも事実だ。
私は保護はあってもいいと考えるが、犯罪については配慮の必要はないと考える。もちろん、この事件で三根子さんへの配慮があったのは理解できる。しかし、事件の本質を見ようとしたとき、行き過ぎた配慮がかえって本質を見えなくしてしまっているとも感じる。

金井家の裁判はあっという間に判決まで行き、幸夫には懲役12年、アイ子と洋子にはそれぞれ懲役8年、父・賢次には懲役4年が下され確定した。

金井家の人々は、賢次もアイ子も洋子も幸夫も、何かが足りなかった。知的な問題も当然あったが、賢次にしろ洋子にしろ、誰かのサポートがなければ生活は困難であった。しかし行政と関わることはなく、家族がある意味支えあい、歪な形で運営共同体となっていった。
そこへ、同じく何かが足りていなかった女性たちが加わり、さらに歪さを増して転がるように金井家は周囲との隔絶の道をたどり、三根子さんの死でようやく終焉を迎えた。

三根子さんは、確かに夫が言うように、「つい、ふらふらと」ついて行ったのかもしれない。しかし、ふらふらとついて行ったのには、理由があったはずだ。
大切にされてはきた、しかし、どんなお姫様であろうとその生活にふと、退屈な、憂鬱な感情を抱くことはある。そこへ、懐かしい、自分らしく自由だったころを思い出させる声が聞こえたとしたら、それこそ「ふらふらとついて」しまったのかもしれない。

賢次は、幸夫の妹が身元引受人となり、出所後の面倒をみるということも裁判では酌量された。
しかし、妹は賢次を引き取ることはなかった。幸夫の長女についてもどうなったのか杳として知れない。
現在では全員出所しているが、どこでどう暮らしているのかもはや知るすべもない。

幸夫という男

幸夫は三根子さんの前に元妻を含め何人もの女性と生活している。
彼女らも、三根子さん同様激しい暴行を受けていたことはすでに述べたとおりであるが、その詳細についてはほとんど報道されていない。
近隣の人らによれば、一人目よりも二人目、二人目よりも三人目と、女性たちのけがの度合いは酷くなっていたという。
ある住民は、元妻が幼い娘を抱えて助けを求めてきた時のことをこう話す。
「泣きながら、『夫の暴力にはもう耐えられない』と。そういうので車で親戚の家まで送って逃がしました」
しかし、おそらくこの時は連れ戻されたのだろう。結局、元妻は娘を手放すことで金井家から逃れた。

交際していた別の女性のケースもある。
彼女はある日突然、家族に何も言わずに姿を消したという。幸夫との交際を家族が知っていたかは不明だが、三根子さん同様、突然いなくなった。
家族らは捜索願も出したが、成人の場合は事件性がないとなかなか警察も動かないことも多い。
女性の両親らは毎日毎日、娘の無事を祈りながらほうぼうを探す日々を送っていたが、数年経過したとき、その娘から連絡がきた。
慌てて娘から聞いた住所へ両親が駆けつけると、そこには以前の娘とは別人かと思うほど痩せ衰えた娘がいたという。
そこには幸夫もおり、娘を奪還しに来た両親らの前に立ちふさがってそれを拒んだという。父親が幸夫を押さえつけてなんとか娘を取り戻したというが、食事もとれないほどに衰弱していた娘は、その後長い間療養を余儀なくされた。肉体的にも精神的にも、甚大なダメージを負った娘は、幸夫と暮らした日々の詳細を話すことすらできなかったという。

怖いのはこれだけではない。
なんと幸夫は、その後2度も娘を取り戻しに来たという。その執念たるや、常軌を逸していた。私は不意に、三毛別の羆、流れ星銀の赤カブトを思い浮かべてしまった。一度知った美肉の味を忘れられず、猟銃を構えられても怯まずなんどもそれを取り戻しに来る……
家族らは幸夫の襲来を恐れるあまり、いざとなったら幸夫を殺してもいいとすら思っていた。

幸夫がやってくると、家族は金属バットを持ち出して幸夫を追い返した。

幸夫は特殊学級に在籍していたわけだが、この悪知恵というか、そういう面での学習能力はあったのだと思い知らされる。
このことを教訓にしたのか、三根子さんの時は自ら連れ戻すのではなく、三根子さんをそそのかして自ら戻ってくるよう仕向けている。
三根子さんの家族も相当警戒していたにもかかわらず、それをやってのけるという意味では一度ロックオンした相手にはとことん執着するその執念が恐ろしい。

金井一家を知るある人は、中学時代から幸夫の凶悪な一面を知っていた。
金井家には犬がいたという。しかしその犬に、幸夫は石を投げつけ、痛めつけて楽しんでいた。餌もろくに与えず、つなぎっぱなしのその犬は、幸夫に暴力の限りを尽くされ死んでいった。
そして、その犬が死んだあと、幸夫の暴力は姉の洋子に向かったのだ。
姉に対する暴力が、殴る蹴るといったもの「だけ」ではなかったことはすでに述べたが、幸夫は自身の成長とともに、暴力の幅を広げていく。そして、その姉に対する「暴力」が、金儲けにもなると気づいてからはタガが外れたように姉に残虐の限りを尽くしたのだ。

姉がそのせいで精神を病んで入院したあとは、新たな暴力のターゲットが必要だった。しかもそれは、単なる暴力だけではないから、女性である必要があったわけだ。
幸夫は女性を連れてきてはあの犬や姉と同じように暴力を振るい、逃げられれば次の女性を探した。探さざるを得なかった、というほうが正しいか。
幸夫にとっては、人が空腹を満たしたいと思うのと同じ感覚で、女性にありとあらゆる暴力、苦痛を与えなければ満たされなかったのだろう。

事実、その女性らが途切れた際には、家に残された娘にそれが向けられたこともあったという。
両親と姉の洋子、そして妹が幸夫から逃れ伊勢崎に移った直後、金井家がそれまで暮らした鳥の郷の団地には、幸夫と幼い娘が残された。
その時、近隣の住民らは、娘の「お父さんやめて」という悲痛な泣き声を何度も耳にしていた。
そこで何が行われていたのかは、こんなこと言ってはいけないのかもしれないが今となっては絶対に知りたくない。

幸夫のこの暴力性は、育った環境とかそういうレベルではないようにも思う。
むしろ、矯正不可能な、こういってしまうと怒られるかもしれないが、生まれついてのもの、という気がしてならない。
幸夫が今生きているとしたら、今も獲物を探しているのかな、そんな思いが頭から離れない。

(以上、令和2年9月6日追記)

 

*********
参考文献
伊勢崎市一家虐待主婦餓死事件の「タブー」
 駒村 吉重 著 /新潮45 / 新潮社  2002.8 p.110~122
累犯犯罪者 山本譲治 著 (新潮文庫)
「餓死殺人」一家 前妻の母が語った「監禁」「虐待」「阿鼻叫喚」の日々 宅間守と佐藤宣行を合わせた男
週刊文春 / 文芸春秋  2002.2.28 p.166~168

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です