嗤う男の化けの皮~藤沢市・OL放火殺人事件⑥~

月日の流れ

事件が起こった当初は、この事件はそれほど大きく報道はされなかった。当時の新聞などを見ても、比較的小さな扱いにとどまっている。
先にも述べたように、あくまで若い男女の無理心中といった論調で、佐々木の証言に沿ったものだった。
しかし、民事で有罪認定がされたことで報道される機会も増えていく。美穂さんの両親からすれば事件の風化を防ぐ意味合いでは喜ばしいことだったが、同時に世間の批判にもさらされた。

事件当時はまだネットもさほど普及していなかったが、刑事裁判が始まる頃には急速に広がっており、ネット上の掲示板などでもこの事件について語られることも増えていた。
事件自体は過去のものでも、裁判が進行している、しかもいったん不起訴になった人間が民事裁判で有罪となるという異例の展開からの逮捕だったためだ。
それを好意的に見る人もいれば、弁護団が主張するように冤罪が作られる可能性があるといった声のほかに、遺族らの先入観を危惧する声もあった。
裁判でも触れられていることだが、たしかに美穂さんの家族や友人らは美穂さんが自殺などするはずがない、と思っていた。だが、その思いだけで証拠もない人間を犯人にしていいのか、といった声も多かった。
また、美穂さんが佐々木から暴力を受け続けていたにもかかわらず何度もよりを戻していたこと、そしてなによりもそれを知っていたのに娘を佐々木の下へ帰した両親の行動にも批判があった。

ビンタされたとか、お互いに取っ組み合ったというならまだ分かるが、美穂さんが受けた暴力は一方的かつ、タバコを押し付けるなどという暴力の中でも特に見過ごせないレベルのものと言えた。
それを両親は知っていたのなら、普通は力ずくでも引き離すだろうし、その時点で傷害事件だろうが、という声ももっともと言えばもっともである。

ただ、美穂さんの父はこう話す。
「なぜもっと早く別れさせなかったのか、と言われますが、今まで我が家は暴力とは無縁の家族でした。」
実はこの感覚というのは非常に重要で、他人から暴力を振るわれる、暴力にさらされて生きてきた人間とそういったことが一切ない人とでは、暴力に対する感度にいろんな意味で違いが出るものである。
それは、時に鈍感さも生む。暴力と無縁に生きてきた人だからこそ、判断が甘くなることもあるのだ。
ましてや佐々木は、父の前ではいつもおとなしかった。まともな態度で、まともな会話をし続けていたのだ。さらには美穂さん自身が、脅されていたことではっきりとした態度に出られなかったということもあった。

事件前日も、佐々木の態度に変化はあったものの、最終的には和やかな雰囲気で終わっている。
美穂さんの母がわざわざ夕食を詰めて渡したことを考えても、美穂さんの両親は佐々木に対して人としての礼を尽くし、佐々木の人間性を信じていたことがよくわかる。
それが、最悪の形になってしまった。それを後から批判するのは少々酷では無いかとも思う。

もしももっと強い態度で佐々木に対峙し、むりやりにでも引き離していたら、それこそ実家に火を放たれた可能性も否定はできない。傷害で訴えたとしても、かえって逆上させたかもしれない。
美穂さん自身への中傷もあった。新聞などで美穂さんの母親が「美穂ちゃん」と娘を呼ぶことをあげつらい、成人した娘をいつまでもちゃん付で呼ぶなんて、と批判する人もいたが、私からすればいい年こいてフラれたからって母親と一緒に寝る男の方がキモイわと思ってしまう。
同棲していたこと自体を批判する人もいたが、そんな人は世の中に山のようにいるわけで的外れである。

このように良くも悪くも注目を浴びながら年月は過ぎ、事件から10年以上が経過してしまった。

逆転有罪

一審の途中で確定していた民事裁判で、佐々木には9700万円の損害賠償が命じられていたが、刑事の判決が確定した時点で考えたいとして一銭の支払いもなされていなかった。
もちろん、金額の問題ではないため美穂さんの両親とてそれに関しては二の次だったろう。
それでも「道義的責任を感じる」という言葉とは相容れない態度の佐々木と弁護団は、無罪を確信していたと思われる。

平成16927日、東京高裁で開かれた判決公判で、白木勇裁判長は原判決を破棄し、自ら懲役15年の判決を下した。
佐々木はその瞬間、傍から見ても体がこわばったという。そして、ゆっくりと顔をあげて天井を見つめていた。
傍聴席の最前列で固唾をのんで見守っていた美穂さんの母親は、判決を聞いて思わず「あなた」と、隣の夫に声をかけた。
父は裁判長の顔をじっと見つめ、母は裁判長が読み上げる判決文の一言一句に頷きながらこの長い歳月に思いを巡らせた。

高裁の判断としては、佐々木の度重なる暴力、暴言(DV)を重視したと思われた。その上で、美穂さんの事件前日の様子から、その翌日に心中を、ましてや首を刺し、周辺に大きな迷惑がかかる放火にまで及ぶなどとは到底考えられないとした。
美穂さんは生前、父の度重なる説得や、父が二人きりで佐々木と話し合うことを渋っていた。それは、美穂さんに対して佐々木が
「もし別れを口にしたら実家とアパートに火をつけてやる」
と脅していたからだ。美穂さんは家族や他人に迷惑がかかることを極端に恐れていたのだ。
だから、どうにかして自分がケリをつけたいと思っていた。
白木勇裁判長は、一審で合理的疑いの余地とされたことについても、「その余地はない」と断じた。
佐々木はその場にいた唯一の人間であり、美穂さんが自殺、ましてや別れたがっていた佐々木と心中しようとすることは有り得ないうえに、日ごろから火をつけるなどと脅していたのは佐々木本人である以上、佐々木がやったと考える以外にない、と認定した。

弁護団は茫然としていた。疑わしきは被告人の利益に、という鉄則に反するとして断固抗議の会見を開き、927日最高裁へと上告した。
しかし翌年の530日、最高裁は上告を棄却し、ついに佐々木の有罪が確定した。

美穂さんの父は、この日もそれまでと同じように美穂さんの墓前で3時間ほど本を読みながら過ごし、「早くいい結果を聞きたいね」と話して帰宅して上告棄却の知らせを聞いた。
父は事件後も佐々木に対して節度を持って接していた。決して声を荒らげたり、感情的な言動に走らず、佐々木を一人の人間として向き合ってきた。
美穂さんと家族の12年に及ぶ闘いはこの日、ようやく決着がついた。

佐々木という男

この事件の問題点のひとつとして、初動捜査の問題がある。決して手を抜いたわけではないが、「先入観」があったのは間違いない。
それは、美穂さんの死の真実を12年もの間わからなくさせてしまっただけではなく、佐々木の人生も大きく狂わせたと私は思う。

裁判でも、佐々木が計画的な殺意を持って、復讐心などから美穂さんを殺害したとは認定していない。あくまで、佐々木も「死ぬつもり」がなかったわけではない、としている。
現に佐々木は事件後の翌年の夏に、大量の薬を飲むなどして自殺未遂を起こしている。
思うに、佐々木自身、最初の供述は死にきれなかった自分の体裁をとっさに取り繕ったものではなかったのか。
佐々木とて、そんな証言が通用すると思っていたわけではないのではないか。
傷が癒えても、いつ本当の事を言おうか、と怯えながら逡巡していた可能性はゼロではないと思う。
しかし、そんな佐々木の迷いとは裏腹に、事件はいつまで経っても解明されない。その間にも、自身は不起訴となり、日常が戻ってきた。民事裁判を起こされても、すでに3年も経過している。
そんな状態で、佐々木の心はいつしか、自分が思っている、自分の都合が良いことだけが真実になりかわっていたのではないか。もっと言うと、優秀な弁護団もついて、自分は無罪になるという根拠のない自信が芽生えたのではないだろうか。
佐々木を庇うつもりは毛頭ないが、その可能性を全否定は出来ないと思っている。

美穂さんの父であっても、墓地で遭遇した佐々木のことを、「本当は謝りに来ていたのではないか」と思ったこともあった。とんでもない男だと書きはしたが、もしも初動捜査が入念に行われ、早い段階で佐々木に罰が下っていたら、何かが違っていたのではないかな、そんな気がする。法廷で、いや直接的に両親と美穂さんへの謝罪が聞けていたかもしれない。

佐々木はすでに出所している可能性が高いが、まっさらな気持ちで美穂さんの墓前に行けただろうか。
25歳という美しく若い命のまま、微笑み続ける美穂さんに、50歳目前の佐々木は何を思うのだろうか。

「嗤う男の化けの皮~藤沢市・OL放火殺人事件⑥~」への13件のフィードバック

  1. あけましておめでとうございます。
    本年もよろしくお願いいたします。

    新年1発目はこの事件ですか…
    一審無罪判決時の報道を見ていました。
    なんだか釈然としない印象を持ったのを覚えています。
    この記事を読んで、あの時の勘は正しかったんだと思いました。

    もっと早い段階で手を打てていたらと思うと悔やみきれませんね。
    DVという言葉が浸透した今だったら、傷害罪で訴えていたんじゃないかと思います。
    それでも報復がありそうで怖いですが…

    私にも恋人を束縛した過去があるので他人事とは思えません。
    けれど相手を殺そうと思ったことはありません。
    だって、必要としている人に死なれてしまっては、自分の救いが無くなってしまうだけですから。

    佐々木が被害者の墓参りに訪れていた本当の理由を知りたいです。
    許しを乞いたかったのか、未練のようなものがあったのか…
    出所した彼が今どんな気持ちでいるのかも気になりますね。

    1. 折原さん!今年もよろしくお願いします。

      この記事も、折原さんのご協力なくしては仕上げられませんでした、ありがとうございます。
      彼は弱い人なんだろうなと思います。そして、被害者家族も暴力と無縁すぎて、「まさかこれ以上はないだろう」と思い込んでしまった。
      そして、人を信用しすぎてしまった。
      さぞお辛かろうと思います。

      今どんな思いでいるのか、知る術はないのですが、心の中でいいから美穂さんとご遺族に向き合って欲しいなと思います。

  2. いつも興味深く読ませていただいています。

    実は私もリアルタイムで夫からの暴力や過度な制限を受けている身です。(夫は自己愛性人格障害との指摘を専門機関から受けています。)
    佐々木という人間の言動が夫のそれと重なる部分が多すぎて言葉が出ませんでした。

    私も暴力とは無縁に生きてきました。
    根気よく伝えていけばいつかはわかってくれるとか、根は悪い人ではないと思いながらやってきましたが、夫と生活して3年でそうではないことが良くわかりました。

    逃げるしかない…でも逃げられなんです。
    逃がしてくれないのです。
    そして周囲の目は美穂さんが受けたバッシング的なことにも表れている通り冷たいものだということを私自身も感じています。
    このようなことを受けている側に問題があるかのように言われたりすることも良くあることなのです。
    美穂さんや私のような人が世の中にはたくさんいます…なにか手立てはないものなのかと思います。

    1. 綾鷹 さま
      コメントありがとうございます。
      綾鷹さん、どうやっても逃げられませんか、どうにか頼れる人、近くでなくても、どうにかならないでしょうか。
      とても心配です、こうして見ず知らずの私に話してくれた、いや、見ず知らずだからこそ話せたのだと思うのですが、本当に気になって仕方ありません。
      美穂さんも、ご両親も、「まさかそこまで」と思っていたけれど、その上を行く可能性は十分にあります。
      結果、取り返しのつかない事態になってしまった。
      そう簡単に全てを捨てられないし、逃げられない、それはもちろんです。
      でも、綾鷹さんには溺れてほしくない。気がついている人には、なんとか脱出してほしいし、何か出来ることがあればしたい。
      うー、もどかしいです。こういったことに強い団体や機関もきっとあるのでしょうが、あまりに知られなさすぎに思います。
      どうか、諦めないで。

      1. ご返信いただきありがとうございます。

        逃げる方法…きっとあるのでしょう。
        そしてこのままではいけないという感覚も消えてしまったわけではないのです。
        ただ不思議なことに、憎しみなどの感情と共に自分がなんとかしなければとかもしかしたら自分に非があるのかもしれないなんていう気持ちが必ず付いて回るのです。
        この心理がどうしてなのか私にも説明が付きません。

        この事件を起こした佐々木という人物にも見られることかもしれませんが、この手の人間はとても演じることが上手い部分があると思います。
        まるで自分が被害者であるかのように振舞い同情を集めることもあります。
        そして対象者からのはっきりとした拒絶の言葉や態度に直面した時の豹変の仕方は話し方や表情さえ変えてしまうほどです。
        すべての行動が「普通は」という範疇で予想できる範囲を超えるものなのです。

        結局、私自身がなにを言いたいのかわからなくなってしまいましたが…こういった人間と深い接点がなく生きていく人の方が多い事と思います。
        そうすると「やられる側にも問題があるんじゃないか」とか「逃げない方も悪い」とかそんな周囲からの反応にも繋がりより孤立した世界での話になってしまうのだと思います。(美穂さんのケースとは異なると思いますが…)

        1. 綾鷹さま
          お返事ありがとうございます。
          逃げない方にも非がある、確かに中にはその逃げない理由が「まだ愛している」とか「経済的な理由で」とか、打算めいたものを含むケースもありますよね。
          仕方ない部分もあると思いますが、それが理由なのであれば「大人だから勝手にどうぞ」と言われるかもしれません。

          けれども、「罪悪感」や「良心の呵責」といったものを感じることで逃げられないとおっしゃるのならば全力でそれは、それこそが暴力をふるう人間の思う壷だと言いたいのです。
          DVを行う人間は、とにかく相手に罪悪感を抱かせる天才だと言われます。これは、早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生が仰っていることで、なにもかも仕向けているのです。
          意のままにならないと分かると豹変する、周囲にはいい顔を見せる、同情をひくなど、まさに典型というか、そもそも診断済でしょう?
          なのにどうしてあなたが罪悪感を抱かなければならないのか。

          逃げないのが悪いとは思いません。けれど、それではあなたの将来が私には見えません。あなたもそうではないのですか?

          1. おっしゃるとおりです。
            どうしてDVの被害者である自分が罪悪感に苛まれなければいけないのか…私はそれに気が付くまでに3年がかかりました。
            と言うよりも気が付いてはいたけれど説明できない自分のその感情に振り回され行動することができずに同じことを繰り返しながら3年も経ってしまいました。

            友人のアドバイスもあり私は少しずつ自分の考え方や行動を変えることを始めました。
            未だに本当にこれでいいのかとか、夫を擁護するような気持ちとか、罪悪感のようなものとか…そういう思いが巡り葛藤することもありまだ本当の意味で抜け出すには時間がかかると思います。

            ただ私のような状態の人は多くいることを知ってもらいたいと思いコメントをさせていただきました。

          2. 綾鷹 さま

            綾鷹さんのような心理状態の人は少なくないと思っています。気づいてしまったから余計に苦しいという側面もあるのかな、とも思います。
            相手を思いやり、自己中心的な考えができない方はどうしても自分を守る行動に出にくいでしょうし、過去にあった幸せな瞬間などに囚われてしまう人もいるでしょう。

            どうかご自分を大切になさってください。

  3. あけましておめでとうございます。

    遺族の諦めない気持ちと出会う裁判官の運が大切なんだなあと思ってしまいました・・・。

    個人的には犯人ではありますが、佐々木の生い立ちや人となりを知りたい気持ちも沸きましたが。

    上の方のコメントを読み。
    自分の人生を守るのか、相手のために自分を殺すのか。
    被害者側の「人の良さ」はもはや危険な時代になってしまったようにも思います。
    バッシングやら他者からの批判やらに負けてしまうことが怖いなら、もう自分の人生は諦めるしかないのかもしれない。

    ・・・と、話が逸れました。

    今年もいろんな事件のお話を楽しみにしております。

    1. 芋虫 さま
      あけましておめでとうございます、今年もどうぞ、よろしくお願いします。

      この藤沢の事件は古いので、全くご存知ない方も多いみたいですが、本質としては時代とか関係ない今でも私たちの隣にある事件だと思います。

      暴力と無縁だと、理解できないんですよね、「人をいじめることに快感を覚える」とか、「なんの心の痛みも感じず人を殴ったり蹴ったりできる」そんな人がいるのだということを。
      まずそこを知らなければ、そういう人がいるのだと理解しなければ、いつまでも人として加害者を見てしまう。
      人ではないのだ、と気づいて欲しいです。

      佐々木は今何やってるんでしょうね。
      経済的には裕福なお家柄だと思うけれど、15年で人の心を取り戻せたでしょうか。
      それとも、無理だったかな?

  4. 初めまして 桜丸と申します。
    既女版よりこちらに参りました。これから順を追って読み込んで行きたいと思います。
    宜しくお願い致します。

    さて当事件を読んだ感想として、被害者と被害者家族がもっと早く手を打っていれば事件は避けられたと歯がゆく思います。
    しかし本文でも何度か書かれている様に暴力と無縁の人達って、暴力に鈍感なんですよね。
    自分達が暴力と無縁で善き人達に囲まれている場合だと、暴力とか悪意を持った人間の行動や考えが理解出来ない、「ああいう態度しているけど、そのうち解ってくれるはずだ」と思いこんでしまうらしいですね。

    自分は父親から母親はDV私と姉は虐待と、暴力が日常にある家庭で過ごしてきました。
    父親は今ならその行いは確実に逮捕されてるでしょう。
    それなのに夫であり子の父親と母親は離れようとしなかった。母親は公務員で自活出来る十分な収入があった(父親より多かった)にも関わらずです。
    それには子供に解らない心情があるのかもしれませんが、元々は母親の育った家庭は暴力とは全く無縁の家庭育ったのが結婚後、激しい暴力を日常的に受け次第に無力無関心になり、また洗脳されて行ったからだと思っています。
    母親が暴力に無関心になって行った事が解るのは、ある時から父親が私達子供に対し、過激な暴力を行っていても全く止めに入らなくなりました。
    何故なら止めると自分があおりで殴られるから。
    いくら泣き叫んでいても、平気な顔をしていました。
    しかし暴力と無縁な健全な家庭で育ち元来おっとりとした性格の母親が、目の前で子供が怪我をするほど殴られているのを、平気でいられるとは本来の姿からは考えられないのです。
    それ程性格に難がある人物に関わると、周りの人間にも多大な悪影響を及ぼす。
    その恐ろしさは身を持って感じております。

    もう父親も80歳をとうに越えましたが、一度として当時を謝ったことは一度もありません。
    口にするのはこの年になっても「自分の親に~された」「垂れ誰に~と言われた」との自分以外の非難ばかり。
    己の事は全く省みず何でも悪いのは他人のせい。
    最近「自己愛型人格障害」の特徴の記述を見て、父親はまさにこれだと思いました。

    その対処の仕方=当該人物に近付かない事、近付いてしまったら直ちに逃げる事
    これに尽きると思います。と言うかこれ以外にありません。

    初めての上に取りとめの無い長文申し訳ありません。
    また時々コメントにお邪魔致します。
    宜しくお願い致します。

    1. 桜丸 さま
      はじめまして、コメントありがとうございます。
      大変なご経験をされたのですね。被害者でもあり、お母様への暴力も目の当たりにされ、なおかつ、お母様が本来命をかけても守りたかったその気持ちまでも喪失されるに至るとは、こんなことを申し上げると失礼かもしれませんが、よくぞ生き抜かれたと思います。

      私は幼い子供に対する虐待、傍観はどんな理由があっても許されないと思っていますが、こうして実際のお話をお聞きすると、大変複雑な思いにかられます。
      経験のないものには想像もつかない恐ろしさを感じますし、対処法はおっしゃる通り、関わらない、逃げる、これ以外にないのでは、と思います。

      大変なご経験をコメントしてくださり、感謝します。
      またコメントお待ちしてますね。

      1. 早速のご返信、ありがとうございます。
        度々すみません。
        大事な事を書き忘れておりました。

        こういう暴力を振るう、または自己中心的でしか物事を考えられない様な人間は絶対に治りません。
        何故なら全く「自分が悪い」とか「悪い事をした」と思っていないからです。反省の言葉を口先では言っていたとしても。
        それどころか逆に「自分にこう言う事(暴力やモラハラ)をさせるお前達が悪い」「こうでもしないとお前達は解らない」と思いこんで正当化するだけ。
        そしてそれは何年経っても変わりません。

        暴力に無縁で生きて来た方々には、こういう人間が居る事が信じられず力を尽くせば、「いつか変わってくれるはず」とか「自分が悪いと自覚したら止めるはず」と思うかと思います。
        でも、それは間違いです。

        周りにこの様な悪意と暴力を持った人間が居ない方々は、特に注意して頂きたいです。
        そしてこの先、こういう人間と関わったら何もかも捨てる気になって、早く逃げて下さい。

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