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平成17年7月28日
夏の日差しが降り注いでいたこの日、その家に暮らす少年は父親にキャッチボールの練習をせがんだ。
消防士の父はこの日も出勤予定だったが、10歳になる息子とともに自宅前の道路に出た。
自宅前はT字路になっており、車の往来はそのT字路の奥にある2軒以外にはほとんどなかった。早朝ということもあり、父子はその道路でキャッチボールを始めた。
キャッチボールを始めてしばらくすると、奥の家から車が出てくるのが見えた。
ゆっくりと進んできたその車は、背を向けていた長男の背後3mほどまで近づいた時、突然スピードを上げ、そのまま長男を背後から撥ねた。
驚いた父親が駆け寄ると、車から運転していた中年の男が下りてきた。そして、父親に持っていた包丁を振り下ろしたのだ。
隣家の男
「警察呼んで!!」
夫と息子のただならぬ声を聞いて家から出てきた妻は、目の前の光景に息をのんだ。
逃げ惑う息子と、それを追う奥の家の男。夫はそれを阻止しようと男と格闘していた。
とっさに家を出た妻を男が見とがめ、今度はその妻にも向ってこようとした。その足に縋り付いて必死で止めようとした夫は、長男と妻の目前で何回も何回もメッタ刺しにされてしまった。
119番通報で駆け付けた救急隊員らは、同僚の無残な姿に動揺しつつも、
「がんばれ!」
と声をかけ続けた。
しかし、病院での救命も空しく、夫は命を落としてしまった。
殺害されたのは島根県浜田市在住の石川秀治さん(当時36歳)。石川さんは、浜田地区消防本部の予防課主任をしており、公共施設の防火システムの管理や、火災調査班などをまとめる職務に就いていた。
薄いレモン色の外壁の家は、6年前に建てた自慢の家だった。消防士として地域に尽くす一家の主と妻と息子、絵にかいたような幸せなその家族に刃を向けたのは、隣家の男だった。
殺人の容疑で逮捕されたのは、三谷和夫(当時53歳)。石川さんの家から目と鼻の先の家で高齢の母親と暮らす男だった。
三谷は高校を卒業した後は東京の大学へと進学し、その後も島根に戻ることなく都会で生活をしていたとみられる。
父親は電気技師として勤務したJR関連会社を退職したのち、町内会長を務めるなどいたって普通の田舎の暮らしをしており、母親も近隣の人々とトラブルもなくコミュニケーションを築いていた。
父親も息子である三谷のことを自慢げに話すこともあったといい、三谷家のことを特段悪く言うような話も聞かれない。
三谷が島根の実家へ戻ったのは、事件の7~8年前のことだった。父親が病気になったことがきっかけだったという。東京では大手IT企業に勤務し、父親のような技術職をしていて海外出張も多かったと、帰郷した三谷は近所の人らに話していた。
そんな生活を捨てるほど、両親のことを心配している孝行息子、そんな風にも思われていた。
三谷が帰郷して1~2年たったころ、石川さん一家が家を新築してこの場所に越してきた。
いつ頃からかはわからないが、三谷はこの石川さん一家が自分に対して嫌がらせをしていると思い込むようになっていく。
無言の威圧
三谷は石川さん父子を襲った動機として、「石川さんが飼っている犬の鳴き声がうるさかった。親子が早朝からキャッチボールをする音もうるさかった。」と話していた。
近所の人も、三谷がそうこぼしているのを実際に聞いていた、が、そこまで深刻であるとは思っていなかったようだ。
もちろん、三谷が直接石川さんに苦情を申し入れたとか、そんな話も地域では話題にすらなっていなかった。
しかし、三谷はそれを単なるマナーの問題にとどまらず、石川さんが悪意を持ってわざと行っていると邪推するようになっていく。
犬が吠えるのは、石川さんがわざとけしかけているに違いない、親子が道路でキャッチボールをするのは、自分が車を出しにくいよう、わざとやっているの違いない……。
挙句、三谷家にかかってきた無言電話の主も、石川さんであると思い込んでいた。
いつしか三谷は、車の中に「護身用」の包丁を忍ばせるようになった。
そして事件当日の朝。
散歩に出ようとした三谷は、またもや自宅前の道路で石川さん父子がキャッチボールをしているのを見て怒りが込み上げてきた。三谷にとってこの早朝キャッチボールは、石川さん父子による「無言の威圧」でしかなかった。
ガレージのシャッターを開け、車に乗り込んだ三谷は、時速およそ15キロで石川さん父子に近づき、先述の通り、背後から長男に車を衝突させた。
前のめりに倒れこんだ長男は幸いに軽傷だったが、助けに駆け寄った石川さんに対する三谷の攻撃は凄まじかった。
搬送される際、石川さんの左目には包丁が突き刺さったままだった。それ以外にも、胸なども複数個所刺されていた。
同僚の救急隊員らの励ましに、当初は頷くなどして意識を保っていた石川さんだったが、1時間後に失血死で命を落とした。
石川さんは意識が途絶える寸前まで、長男のことを案じていたという。
殺人罪で起訴された三谷は、その後長男への殺人未遂でも追起訴され、長男への殺意は否認したものの、松江地方裁判所の飯島健太郎裁判長は、平成18年3月30日、求刑通りの懲役20年の判決をだした。
重なるあの男
三谷は東京で何十年も暮らした後、親の介護を理由にUターンした人物である。
ただ、親の介護というのは表向きの理由で、本当は不本意な帰郷であったのかもしれない。
三谷は周囲の人らに、自分がいかに東京で立派な仕事をしていたかを話し、時には田舎の老人には理解しえない株の話などを延々と続けていたという。
加えて、退職金でこの先は悠々自適である、そんな話もしていた。
しかし実際は、まるで東京の大手企業で働いていた人間とは思えないほど、身だしなみにも気を遣わない男だったという。
退職金が山ほど出たという割には、仕事を探して職安に出向く姿も見られていた。
そしてなにより、事件後石川さんの遺族に対して慰謝料を支払いたいと言った三谷の貯金は、280万円しかなかった。退職金を使い果たしたか、それとも元から悠々自適とは程遠い額しかなかったのかもしれない。
この三谷という男の人生と事件が起こるに至った経緯を考えると、どうしても「あの男」に重なってしまう。
平成25年に山口県周南市の山村で起こった連続殺人放火事件の犯人、保見光成死刑囚だ。
この事件については、なんといっても高橋ユキ氏の「つけびの村(晶文社)」が詳しいが、そこに記された保見という男と、この三谷はどことなく重なるのだ。
保見はありとあらゆることが村人の悪意であると妄想し、事件を起こした。しかし実際にうわさはありはしたが、その「悪意」は全く別の意味を持つものだったり、保見とは関係のないことがほとんどだった。
三谷も、石川さん一家に限定することではあるが、ありとあらゆる不愉快な出来事が、すべて石川さん一家の悪意に基づくものだと思い込んでいた。
また、保見の場合はマスコミが報道した様々な「うわさ」により、村八分にあっていたという話がまことしやかに囁かれ、加えてテレビで笑顔を交えて過去の傷害事件(保見が被害者)を話した村人の存在があまりに強烈すぎたことで、ネット上では今も保見に対する同情論は根強い。
三谷の場合はどうだったか。
事件現場となった浜田市長沢町は、浜田市中心部から少し北に位置する、どちらかといえば長閑な住宅街が広がる地域だ。
保見が暮らしたつけびの村には到底及ばないが、田舎の小さな集落で三谷家は長いこと生活していた。
一方の石川さんも、家を建てて越してきたとはいえ近所には実家があった。石川さんの実母は、三谷の母親とも普通の近所づきあいをする仲だった。つけびの村のような噂のネットワークも、不穏な隣人もいなかった。
しかし、三谷は保見と同様、マスコミの報道によって世間の同情を一身に集めることとなる。