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【事件について】
逃走男 死亡女性の娘暴行 愛媛県警 容疑で逮捕、殺人も捜査
愛媛県今治市の住宅で26日、女性が殺害され、女性の次女(35)が所在不明になっていた事件で、県警は27日夜、現場から逃走していた男を同県西条市内で見つけ、次女への暴行容疑で逮捕した。次女は同市内の別の場所で無事に保護された。殺害された女性は住人のピアノ教師冨田小雪さん(64)と判明。県警は冨田さんに対する殺人容疑でも調べる。
発表では、冨田さんの次女の知人で自称会社員の榊原正道容疑者(34)(愛媛県西条市)。榊原容疑者は26日午後5時20分頃、今治市松本町の冨田さん方近くの路上で、次女の体を抱え込み、腕を引っ張るなどの暴行を加えた疑い。捜査関係者によると、防犯カメラ映像から、榊原容疑者はその後に次女を連れて車で逃げたとみられる。
事件は同日午後6時10分頃、冨田さん方を訪れた知人女性が「女性が首から血を流して倒れている」と110番して発覚。司法解剖の結果、冨田さんの死因は首を切られたことによる失血死だった。冨田さん方ではピアノ教室に通う男子中学生が両手を縛られた状態で見つかり、軽傷とみられる。冨田さんは次女とその子ども2人の4人暮らし2024.01.28付 読売新聞
令和7年10月15日 松山地方裁判所41号法廷にて初公判
被告人 榊原正道(35歳)
被告人は令和6年1月26日午後5時7分頃、今治市松本町にある民家に侵入、1階洋室においてその家の住人である冨田小雪さん(当時64歳)に対し、持ってきた刃渡り約15,9センチの包丁で頚部を切りつけ、同日午後6時55分、今治市内の病院において右内頚静脈切断等により失血死させた殺人、また同日1階廊下において訪ねてきた当時14歳の男子中学生の右胸を殴打し、刃物を突き付けて2階へ行かせ、東側洋室に手縛り上げ同日午後6時25分頃まで不法に逮捕しけがを負わせ、さらには同日午後5時19分、その家の次女(当時35歳)に対し嘘を言って腕をつかみ車へ連れ込むと、そのまま翌日まで車で連れまわし次女を不法に監禁した罪に問われている。
その他、住居侵入、銃刀法違反なども挙げられた。
罪状認否において、被告人と弁護人は小雪さん宅に侵入し、小雪さんを殺害したこと、男子中学生を不法に逮捕しケガさせたこと、銃刀法違反については認めたものの、小雪さんを殺害した「様態」と、次女を不法に監禁したことについては「違うと思う」と、争う姿勢を見せた。
小雪さんの死については、積極的な殺意を持っての犯行ではなく、ふたりが揉みあううちに転倒するなどしてけがを負わせ、結果として殺人になったものであり、殺人罪の成立は認めるものの、その様態について争うということが弁護人から付け加えられた。
また、次女は無理矢理車で連れまわされたのではなく、本人の、被告人と一緒に居たいという意思もあってのことだと主張した。
被告人は殺害された小雪さんの次女(Bさん)と令和5年の4月ごろにマッチングアプリを通じて知り合ったが、その交際が不倫で始まったことで二人の間、そして母親である小雪さんとの間でたびたび問題が持ち上がっていた。
何度も別れる、別れないを繰り返しながらBさんは友人に相談しつつ、関係を保った状態にあった。
しかし被告人としては自分の考えを持っていないように思われるBさんを怖がらせてでもわからせないといけないと思うようになり、また、母親である小雪さんにもきちんと話をすべきだと考え令和6年1月26日、怖がらせるための凶器を持参して小雪さんとBさんが暮らす家へと向かった。
そこで小雪さんともみ合いとなり、殺害する意思はなかったものの刃物で小雪さんを傷つけて失血死させてしまった。
その後、ピアノのレッスンのために訪ねてきた中学生のA君を縛ったうえでケガをさせ、さらには帰宅したBさんに嘘をついて車へ乗せ、翌日の夕方まで連れまわした。
検察は証拠としてBさんが被告人と別れたい、関係を断ちたいものの、被告人が自暴自棄になるのが怖くて踏み切れないといった内容を友人に相談しているLINEや、被告人が一方的にBさんに激高している内容のメッセージなどを公開、いかにBさんが困っていたか、また被告人がBさんに対して執着していたことを強調。
弁護側は当初より、監禁罪が成立するかどうかは争うとし、裁判員に対して「Bさんの証言をよく聞いてほしい」と訴えていた。
その弁護人が証拠として出したのは、同じくLINEやメッセージなどのやりとりのほかに、Bさんが開設していたSNSへのBさんによる書き込みだった。
友人に被告人との交際について辞めたいという相談をしていたBさんがSNSに同時期に書き込んでいたのは、被告人への切実な思いだった。
そのBさんが証人として証言台に立った。
まずは検察の質問が行われたが、時間切れとなり終了。
16日も引き続き、Bさんへの質問が予定されている。
第2回公判
引き続き、小雪さんの次女、Bさんへの質問。
検察は、実際のBさんから見た被告人の交際の様子などを質問、最初は被告人を好きな気持ちがあったものの、被告人の感情の起伏が激しい部分や怒ると豹変する一面などを見るにつけ、だんだんと好きという感情の他に「イヤだな」という感情がでてきたと話す。
また、離婚を急かされたり無理難題のようなことを言われたり、あげく亡き父親が経営していた写真店(事件当時は小雪さんが社長を務めていたものの、父の友人が店長だった)に電話をかけ、Bさんと自分が不倫関係にあることをバラされたため関係を精算しようと決意。この時、姉夫婦、そして小雪さんにも露呈してしまい、家族からかなり叱られ別れるよう言われていたが、その後も完全に連絡を断つことは出来ずにいた。
その後、令和5年9月に離婚が成立。被告人とは関係を持っていたものの、家族には内緒という状態だった。
ある時、被告人と会っていた時被告人がなかなか帰らせてくれず、帰宅時間が遅くなったことで小雪さんらに被告人とまだ交際していることがバレてしまう。
小雪さんからは縁を切る、子供を連れてでていけとまで言われたことで今度こそ被告人とは連絡をとらないと決意。
令和5年11月26日、姉と一緒に今治署へ出向き、被告人と別れたいが被告人が納得しないかもしれないという相談をした。
警察からもまずははっきり別れる意思を伝えるように、と言われ、その日のうちに被告人に電話で別れを告げた。
その日から翌年の1月17日までの間、被告人と連絡をとったり会ったりしたことはない。
被告人が東京へ引っ越すことになり、お別れのあいさつとして被告人から連絡が来て久しぶりに会うことになったが、当然これも家族には内緒だった。
会いはしたものの、やはりきちんと連絡はもう取らないことをBさんが告げたところ、その内容に対して被告人は激怒。
1月26日、事件が起きてしまった。
検察は、事件当日のBさんと被告人の行動について質問した。
(これは小雪さん殺害後に帰宅したBさんが被告人に連れ去られ車に監禁状態になっていたと検察は主張しており、一方で被告人と弁護人は「監禁ではないし、そもそもBさんは自分の意思で被告人と一緒にいた」と主張しているため結構重要である。)
Bさんは母親の小雪さんが被告人と話し合うためファミレスに行ったと聞かされ、自分たちもそこへ向かうと言われて車に乗りこんでいる。
結果として被告人はBさんを翌日の夕方まで連れ回したが、Bさんは検察の質問に対し、
「被告人が怒らないようにさえしていれば家に帰れる」
と考え、迎合しながら過ごしたと答えた。
検察の質問はあくまで被告人に監禁罪が成立するという前提でのことのため、Bさんの話も違和感がないように感じられた。
が、続く弁護人と裁判所からの質問に対するBさんの証言は少々違和感のあるものとなった。
Bさん自身が一貫して被告人とは別れたかった、連絡をとりたくなかったと話し、家族にもことあるごとにそう誓っていたはずだったが、実際の行動はというと、家族に内緒で連絡をとり、バレないようにするためにLINEではなく鍵垢のSNSのDMを利用するというものだった。
また、夫との離婚が成立する前には友人の結婚式に参列するという理由で東京へ行っているが、実際にはそこに被告人が同行していた。
また、離婚直後には娘2人とともに被告人同伴で大阪旅行もしていた。家族には内緒だったが、そのいずれものちに家族の知るところとなっている。
そういったいわば矛盾しているとしか思えないBさんの証言だったが、それは争点でもある監禁罪の成立についての質問へと移行する。
Bさんは戸惑いながらも強引に車へ乗せられ、そのまま翌1月27日の夜まで監禁されていたとされている。
監禁罪とは、人を一定の限られた場所から脱出することを不可能に、あるいは著しく困難にすることによって場所的移動の自由を困難にすることをいう(ウィキペディア参照)。
弁護側は、Bさんが置かれた状態はこれに該当しないとして監禁罪は成立しないと主張している。
この点はまだ序盤のため、あくまでもBさんがどう思っていたかとか、実際のBさん視点での状況説明的なものにとどまっているが、Bさんによれば
「鉢合わせし、被告人から母親がファミレスで待っていると言われて車に乗せられた、その際腕を掴まれたが、暴力的ではなかった。その後、ファミレスには行かず道の駅やトイレ休憩所などを経て車は山道(林道?)へと走行していき、その時点では被告人を怒らせないようにすれば家に帰れると思った」
というような状況だったという。
殺されるとは思っていなかったというが、逃げるタイミングはなかったとも証言した。
一方で、夜2人は車内で眠っており、車にチャイルドロックはかけられていなかったこと、先に起きたのはBさんであり、被告人はBさんが起こすまでさらに1〜2時間寝ていたとも証言した。
事件後、それまで一緒に暮らしていた娘2人は元夫が養育しているという。理由は、事件後のBさんの様子を見た家族らが、Bさんが精神的に不安定になっているように感じたため、とのことだった。
第3回公判
翌日はBさんの姉が証言台に立った。
衝立で完全に遮蔽された中、姉への質問が始まった。
姉は結婚しており、当時実家と廊下で繋がった別棟に夫と子供とで生活していた。
元々母親の小雪さん、妹のBさんとは非常に仲が良かったという。
Bさんと被告人のことを知った、というか、Bさんが不倫をしているというのを知ったのは、写真店に被告人から電話が入った時。電話を受けた店長から聞かされ、すぐ妹Bさんを問いただしている。その時点では電話の相手が被告人だとは思っていない。
姉はとにかく不倫などという人の道に外れたことは許されないとして、Bさんに別れるよう話したところ、Bさんも子供や家族が大事であり、また母親の小雪さんには心配をかけたくないと話したため、別れるのならば店長と姉とBさんの3人の秘密にしようという話でまとまった。
その後も色々とあったものの、Bさん自身が別れたい、早く終わらせたい、けれど相手がしつこく言ってくる、という状態と聞かされ、そう思っていたため心配していたという。その間に母親の小雪さんにも話さざるを得ない事態も起き、姉は、
「普通、好きな人と将来的にやって行くつもりなら相手の家族にこんな迷惑をかけたり高圧的な態度に出ないのでは」
と思い、被告人に対して強い不信感を持っていた。
ある日、なかなか帰宅しないBさんを心配して小雪さんが電話すると被告人がでた。その時、姉は小雪さんの態度で電話の相手がBさんではなく不倫相手だと確信、録音することとした。
その後帰宅したBさんにどうしたいのかと聞くも、別れるというBさんを信じるしかできなかった。
しかし12月にBさんが友人の結婚式で東京へ出かけた際、Bさんから実は被告人と切れていない、という相談があり衝撃を受ける。裏切られた思いを抱いた姉は妹を心配しながらも対応を夫らに任せた。
その後被告人には、Bさんの夫の名前で警告文のようなLINEをBさんに送らせたという。
Bさんからもこれで別れられた良かった、と言われ安心。ところが翌年の夏にまだ続いていたことを知る。その際にBさんから被告人にDVを受けていることも聞かされた。
小雪さんも、ここまで別れられないのならもう専門的な有識者を第三者とするしかないというなど、もはや家族の手には負えない状態になりつつあった。
それでもBさんは本当に別れたがっている、それは家族を大事に思うからこそで、そのためには家族としてきちんと対策しなければ、と姉は思っていた。
11月、またもや帰宅しないBさんに嫌な予感を抱いた姉と小雪さんは、今度こそどうするのかと強い態度でBさんに迫る。小雪さんは親子の縁を切るとまで告げた。Bさんも別れます、助けてほしいという態度だったため、姉同伴で今治署へ相談に。その直後に姉の目の前でBさんは被告人に別れを告げる電話をかけた(録音済み)。
Bさんの様子からも、これでようやく、という思いを姉は持っていた。その上で、また連絡があれば必ず相談するように念押しした。
その後、Bさんから姉に事件の日まで相談はなかった。
その間、姉はBさんと毎日顔を合わせていたが、全く何の不安もないような感じだったという。
しかし事件後、自分たちに別れたい、助けてと言いながら大阪へ旅行していたことや、被告人に娘たちを会わせていたことを知った。
姉は最後に母親小雪さんの人となりを検察官から聞かれ、感極まってしまい突如被告人に対して「どうして母なの?どうして母なんですか!!」と叫び、裁判所に止められた(あくまでも検察官からの質問の場であり、被害者遺族としての心情を述べる場ではないため。また、その心情を述べるのは心情陳述として別の機会が用意されていた)。
姉はその後も被害者参加制度を利用して傍聴を続けている。
第4回公判
第4回公判の証人は2人。車の事故を起こした2人が下山し、ヒッチハイクを試みた際に応じてくれた男性Oさんと、事件の110番を受け、現地へ臨場するよう指令を受けた今治署地域課の巡査部長Mさん。
Oさんはその日、高知県にある温泉施設に来ていた。時刻は午後7時20分頃。そして、約10分ほど車で走行していると、道路脇でライトを照らしている人影に気づいた。
当初は通り過ぎたが、通り過ぎようとした際、道端にうずくまっている人影を見たため急病人かもしれないと思い引き返したという。
すると女性が駆け寄ってきて、車が故障してしまったので西条の方まで乗せてほしいと言ってきた。
男性は2人を車に乗せ、西条方面へ走行。2人に事情を聞くなどしていた。
が、Bさんと被告人の態度に不自然さを覚えた男性は、それとなく事情を聞いてみたものの、2人ともOさんの問いかけには答えたくない風だったため、当たり障りない話を続けた。
BさんはOさんに対してJR西条駅へ送ってほしいといい、被告人は道路沿いにあるホテルへ行ってほしいと言ってきた。しかしホテルに着くと、被告人がBさんに一緒に降りるよう促したものの、Bさんが拒否したことからますます2人の関係性にきな臭さを感じたOさんは、とにかく2人を一緒に降ろしてはいけないような気がして、結局被告人を西条市内の自宅へ連れ帰った。
渋々被告人が車を降りた後、改めてBさんに何があったのかを問うと、
「元彼に昨日今治で無理やり車に乗せられ、今まで連れ回されていた」
と話すとともに、家族が心配しているから早く家に帰りたいと言っていた。
事態を重くみたOさんは、そのまま今治のBさんの自宅へ送ることを提案。その間、Bさんには家族に連絡して無事を伝えるよう促した。
Bさんは姉に連絡し、無事であることを伝え、今から自宅へ送ってもらうと話していたが、その後西条の警察署へ行けと言われたため、Oさんは警察署へ送り届けた。
その車内で、Bさんは
「母親が警察に被害届を出したことに元彼が怒っている」
と話したという。
続いて被害者宅で縛られた状態のA君を発見した今治警察署地域課の巡査部長Mさんへの質問が行われ、A君発見時の様子などが明らかにされた。
21日には被告人質問が始まる。
被告人質問は弁護人から。
まず、被告人から見たBさんとの関係、これまでを確認する。先に記しているように、Bさんは早い段階で被告人に対して「嫌だな」と思うようになっており、家族に露見したこともあって別れたい、連絡を断ちたいと言い続けていた。
それに対する被告人の証言は、そのいずれもを覆すと言っていいほど、大きく違うものだった。
被告人は自分が知らず知らずに不倫の相手方にさせられていることをまずい、と考えていたが、Bさんが夫とは離婚届に記入済みであり、離婚は時間の問題という話をしていたこと、そしてBさん自身も、夫と離婚し被告人と一緒にいたいということを話していたため、それなら離婚するまで待ってもいいか、と考えた。
不倫状態が判明して以降は、被告人はBさんを誘う頻度を少なくしたという。
ところがいつまで経っても、記入済みの離婚届が提出されることはなく、そのため2人の間では毎回のように離婚の進捗についての会話が生まれた。
なんですぐに離婚できないのか、と苛立つ被告人に対し、Bさんは子供のことや経済的なことをあげたという。
ただその理由は聞くたびに変わったというが、被告人としてはその理由が理解できるものでもあったため、そのまま待とうと考えた。
被告人の証言によると、これまでBさんが被告人からされたいわば「暴挙」「仕打ち」のような話には前段階の話があったという。
たとえば写真店に被告人がかけた暴露電話も、離婚話で揉めていた際、Bさんから「私は離婚したいのにできない」と言われたことで、被告人が「それなら家族に決めてもらえ」と迫ったという前段階があった。しかも、これより以前にBさんから被告人との不倫について、Bさんから姉に話しており姉は応援してくれている、と聞かされていたのだ。
そう言ったこともあって、ならばいっそBさんには他に好きな相手がいるのだということが露呈した方が離婚しやすくなると考え、小雪さんの電話番号を聞いたのだという。それをBさんが教えず、加えて「かけれるものならかけてみたら。あなたが困るだけよ」と、いわば煽られていた。
そこで小雪さんに連絡をつけるために写真店に電話をしたというのが被告人の言い分だった。
これ以降も、離婚したいのにできないと嘆くBさんに、「周りがどうとかではなく自分のことなのだから自分で決めろ」と被告人が言い続けるという状況になった。
Bさんはその後被告人に別れを切り出し、被告人は不倫の相手方にさせられ、あげく振り回されたことについてBさんに謝罪してほしいと言っていた。Bさんも、それの話し合い(示談交渉)で何度も呼び出されたと話したが、被告人によればそう言った名目で呼び出したのは一回だけで、後はただのデートだったという。
また、Bさんが証言したDVについては、肩を押したことはあるが、髪の毛を引っ張ったりビンタしたことなどは一度もないと言い切った。
ただ、別の揉め事の際に「このまま話し合いを続けると手が出そうになると思った」こともあったと話した(注:被告人は傷害の前科もあり、また週刊誌において過去の交際相手に対する暴行事件も発覚しているため、被告人が暴力的な一面があることは否めない)。
被告人はBさんとのいろんなやりとりを経て、また家族(小雪さん)と電話でやりとりする中で、Bさんは家族へは被告人を悪者にするストーリーを、被告人には家族を悪者にするストーリーを別々に作って話していると感じていた。
そのため、家族(小雪さん)に対する恨みや怒りなどはなかった、とも述べた。
被告人がBさんを帰らさず、それによって再び家族に被告人とのことがバレた、という話もBさんと姉は法廷でしていたが、これも被告人の証言によればBさんが自ら帰らなかったのだという。
しかも一旦帰宅したBさんは家族(特に母親の小雪さん)から縁を切る、子供を連れて出て行けとまで言われ、家族の前では絶対に別れると誓っていた、にもかかわらず、何とその日の夜、被告人に連絡し、会いに行っていたしかも子連れで。
驚いた被告人だったが、Bさんは「このまま帰りたくない、家族面倒くさい」と言い出した。しかし、子供たちが夕食を食べていないことを知り、帰らないわけにいかないでしょ、とBさんを諭したという。
被告人はBさんを嫌いになってわけではないが、あまりにウジウジしてはっきりしないBさんに対して常々、「自分のことは自分で決めるように」と言い続けていた。
その後、Bさんが今治署に相談し、別れることを決めたと言われた際は、好き勝手やった挙句がこれか、と、Bさんの自分勝手さが悲しかった、と話した。
そして、事件直前にBさんが送ったメッセージの内容に激怒した被告人が、「最低なあなたに最低な俺で応える」というメールを送ったのも、不倫させられ振り回され、周囲にいい顔しまくって被告人をあたかも「保険」のように扱ったBさんに対しての怒りだった。
被告人の中でBさんを好きだったという事実も消し去ろうと、あえて酷いことを言って今度こそBさんに復縁不可能を思い知らせたかった、という意味があったと述べた。
ちゃんと謝ってほしい。
被告人はそこに執着し始める。
1月24日から事件当日まで、被告人はBさんの行動把握のためにBさんの自宅周辺を徘徊し始める。そして、26日に小雪さんの車が駐車場にないことを確認し、勝手口より侵入した。
被告人は以前、小雪さんよりBさんの帰宅の方が早いと聞いていたこともあり、それを信じていたという。ところが、この日は小雪さんが先に帰宅した。
その時点で2階に潜んでいた被告人は焦った。すでに小雪さんは家の中に入っており、誰かと電話しながら1階と2階を行き来していたという。
タイミングを見て外に出ようと1階に降りた時、階段したの洋間の前で小雪さんと鉢合わせてしまった。
その時目出し帽をつけていた被告人を、小雪さんは被告人だとわかっていなかった。「だ、誰?!」などと恐怖に怯える小雪さんを洋間に押し込み、被告人は背後からチョークスリーパーのような体勢をとった。絞め落とそうとしたという。
ところがこれ以上やると死んでしまう、という限界まで絞めたものの、小雪さんは意識を失わなかった。それどころか、必死で被告人から逃げようともがき、騒ぎ始めたため、被告人は持っていた刃物を突きつけ、静かにするよう脅した。
それでも小雪さんは逃げようと暴れたため、再度包丁を突きつけた状態で揉み合いになった際、首に刃が触れたと感じたという。さらに揉み合ううちに転倒、気がつくと、小雪さんは動かなくなっていた。
被告人は頭がいっぱいになり、119番することは思いつかなかった。
と、そこへピアノのレッスンのためにA君がやってきた。A君を脅して2階へ上がらせたのは、小雪さんの遺体を見せたくなかったからだという。A君を縛り上げたのち、
「1時間くらいでケーサツ来るから」
そう言い残して、被告人は階下へ降りた。
するとそこには、Bさんの次女がいた。
被告人は次女が自分だとわかっておらず怯えていたため、なんと目出し帽を取ってしまう。すると次女が「あ、マサくん!」と言ったので、久しぶり、と声をかけた。次女が宿題をしなきゃ、と言ったため、「ちゃんと宿題しぃよ」と言って次女が宿題の音読をし始めるのを確認してから、家を出た。
そこで帰宅したBさんと鉢合わせ、先述の通り嘘を言ってBさんを車に乗せ、翌27日の夜まで連れ回すこととなった。
Bさんを連れ回したのは、謝罪してもらいたかったからだという。逮捕されればその機会も失われるため、どうにか時間稼ぎをしてBさんに本心からの謝罪をして欲しかったという被告人。
A君にも小雪さんにも、大変申し訳ないことをしたと、小雪さんには刃物で脅すことはなかったと後悔の言葉を口にした。
弁護人から、事件を起こした要因は?と聞かれると、謝ってもらおうとしすぎた、刃物を持ち込むべきではなかった、と話した。
被告人は父を知らずに育ち、布団叩きの柄で殴打されるなどの虐待を母親から受けたという。何歳頃かは不明だが、高知の里親のもとで生活したこともあった。12歳から15歳まで、その虐待から逃れるために家出など不良行為を繰り返し、施設で生活することとなった。
埼玉の建築会社などで働き、ホストも経験した後、7年ほど前から愛媛で働いていた。事件当時に被告人が勤務していた会社は、その身分は別として県内では有名な企業である。
傷害事件などを起こしたのち、アンガーマネジメントを学んだりもしたという被告人だったが、今回の事件は怒りというより別のものが関係しているような気がした被告人質問1日目だった。
公判6日目。
引き続いて検察側からの被告人質問が行われた。
まず、被告人が刃物を持ち込んだ理由についての確認。Bさんからどのような謝罪を引き出したかったのか、という質問に被告人は、
「既婚であることを隠して不倫を始めたのはBさんなのに、Bさんから勝手にこの関係を終わらせようとしたこと」
「それを認めて謝って欲しかったが、これまで何度もそれを求めてもBさんは応じなかった(から、刃物で脅してでも、と思った)」
と述べた。
ただBさんはこれまでにDMや電話などで被告人に対してごめん、などと複数回伝えてはいた。しかし被告人は、その背後に家族の存在がないとは言いきれず、Bさんの本心からの謝罪なのかどうか分からなかった、と述べた。
その他の準備物(軍手、布テープ、インシュロックなど)については、手袋類は侵入時に指紋がつかないようにするためとしたが、それ以外のものは使う予定ではなかったという。
勝手口から侵入したのは、過去にBさんが鍵を開けないで勝手口をあけたことを見ており、「鍵かけてないんや……」と思ったから、だとした。
このあと検察は、小雪さんと対峙してからの被告人の行動を質していく。
そもそも被告人は小雪さんではなくBさんが目当てだった。たまたま小雪さんが先に帰宅したために、もはやこの時点でBさんとこの家で話すのは無理なはず。だとすれば見つからないように逃げるしかなかったはずだ。
被告人も逃げようと思った、と証言している。
にもかかわらず、実際の行動は鉢合わせた小雪さんを突き飛ばして逃げる、ではなく、突き飛ばした小雪さんがよろけて後退し、ピアノ部屋に追いやられたのを追いかけ、背後からチョークスリーパーをかけたのだ。
これについて被告人は、「(逃げるよりまず)静かにしてほしかった」と述べた。
ただこの時点で目出し帽の男が被告人であると小雪さんは気づいていないようだった、とも述べている。
ならばなおさら、突き飛ばして一目散に出ていけばいいのではないか。
さらに被告人は騒ぐのをやめない小雪さんに刃物を見せ、順手で右手で持ったまま背後から再度首にその右手を回した。そしてもみ合ううちにその刃が首の左側に触れた気がした。
その後も揉み合いながら、今度は刃物がちょうど小雪さんの首の前あたりに来た時に、被告人は尻もちをつきそうになったという。そこでとっさに自分を支えるために両手を下げたところ、刃が小雪さんの右首を切る形になってしまった。
「痛い」
小雪さんの声を聞き、傷つけた認識はあったという。
それでも小雪さんは逃げようとし、被告人がまた同じように刃物を持ったまま首に手を回しているとそのまま逃げようと前傾姿勢になって倒れ込み、2人とも四つん這いのような体勢になった。
立ち上がるために体を離したところ、小雪さんも起き上がったが、もはや力が残されておらずそのまま座り込んでしまった。小雪さんの首からは血が流れていた。
検察は小雪さんが痛いと言っており、被告人も傷つけた自覚を持っていたのにも関わらずさらに包丁を突きつけるという行動について質問する。
被告人はとにかく小雪さんに逃げられたり騒がれるのを防ぎたかった、とし、小雪さんが出血しているのを確認したが保身を選び、119通報は出来なかった、と述べた。
死ぬかもしれないのに?という検察官の質問には言葉を濁したように聞こえた。
続いての質問は、逮捕後の警察署での取り調べでの話になった。
ここで検察官は、被告人が公判で述べている小雪さんを傷つけた時の「気持ち」について、調書とは意味合いが異なるのでは?という質問をした。
これまでかなりしっかり答えてきた被告人だったが、この後は覚えていないを連発した。
調書には、
「小雪さんを強盗のフリして襲った。チョークスリーパーで失敗したので切った」
「倒れた小雪さんに対し、逆手に持った包丁で刺した」
「Aくんに恨みはないけど、小雪さんには色々あったよね」(※聞き取れなかった部分もあるがおおよそこういった感じ)
さらに、「自供書」には、「殺すしかないと思って首を切った」となっていた。
これらについて被告人は自身の署名押印を弁護人とともに確認し、自分のものと認めた上で
「覚えていない」
と言った。
その後検察からは逃走中の車内での様子、Bさんの様子などについて、またBさんとのメッセージのやり取りについていくつか質問がなされた。
裁判員からもいくつか質問があった。
おそらく返り血などが着いていたであろう上着類はどうしたのか、という問いには、
「車内にいると血の匂いに耐えられなくなり上着を捨てた」
と述べた。
Bさんからは特に反応はなかったという。
裁判官からは、あのBさんが思いの丈を綴った公開垢は見ていたのか、という質問。
その存在は聞いたことがあったが、被告人は見ていなかった。
また被告人が望む謝罪については、検察官からの質問時と同様、期待もたせ振り回したこと、自分がやったんだと素直に認めて家族にもちゃんと説明して謝ってほしかった、とした。
被告人質問はこれで終わり、明日はおそらく弁護側の証人が登場する。
公判7日目
弁護人の証人の前に、検察の最後の証人への質問が行われた。
法医学が専門の浅野水辺教授である。先生は小雪さんを司法解剖している。
検察は、被告人が証言した小雪さんと対峙し、死亡させるに至った過程と、実際の傷との整合性などを質問した。
結果から言うと、小雪さんの首にあった傷は、どれもが被告人が言うような、偶然当たったとか、その程度では「生じ得ない」傷だと断言した。全否定だった。
実際、小雪さんの傷は予想以上に深かった。3箇所の傷のうち、首の真正面にある傷は深さが0.7センチから2センチ、首の輪状軟骨と甲状軟骨(いわゆる喉仏)を切断していた。
また、内頸静脈と外頸静脈も切断され、そのうちの一つの傷は深さ約4センチ、筋肉や骨に近い軟部組織まで傷があったという。
しかも、回数で言うと全部で5回切りつけていたことも判明した。
全ての傷は、刃物をある程度の力で押し当て、前後に引くような動作、まさに肉を包丁できるような動作をしなけれなできない傷だと証言した。
内頸静脈を切断され小雪さんは、ダラダラと血を流しながら息絶えた。傷を負うと動脈のような即死とまではいかずとも、早い段階で失血死に至るという。浅野先生によれば、たとえ119番通報してもおそらく救命できなかったであろうというほどの傷だった。
被告人は、この点に関してはかなり具体的に証言していた。その上で、切ろうと思って切ったのではないと言っていたため、医学的な根拠を元にすれば「嘘」をついていたことになる。
あの、警察での調書が真実味を帯びることとなった。
次に予想通り、弁護側の証人が登場。
証人は、2人がヒッチハイクした場所に程近いところにある温泉施設を兼ね備えた道の駅、木の香(このか)の従業員男性である。
ただ、この証人が選ばれた(?)意味がさっぱりわからない。弁護人の質問も、証人の勤務状態や訪れる利用客の人数などで、事件と何の関わりがあるのか見えなかった。
そもそも2人はこの道の駅には訪れていない。ここは、あのヒッチハイクに応じてくれたOさんが直前に利用した施設、というだけである。
ただ検察からもこの男性に対し聞き取りがあったというので、私たちにはわからない何かがあったのだろう、と思うが、それ以上のことは今もわからない。
この日は本来、証人への質問で終わる予定だったが、思いのほか弁護側証人への質問が少なかったために午後は被害者参加制度を利用して傍聴していた遺族の心情陳述が行われることとなった。
先に証人としても来ていたBさんの姉Cさんは、自身の証言後もずっと被害者遺族として膨張を続けていた。
が、実際にはBさんもいたようで、Bさん、姉のCさん、そして姉の夫(Dさん)の3人が心情を述べることとなった。
まず、姉のCさんが心情を述べた。
Cさんは声もよく通り、少し早口ではあったがしっかりと言葉を紡いでいく。しかし当然と言えば当然だが、次第にその語気は強まっていった。
母親の小雪さんがいかに母親として社会人として、妻として嫁として素晴らしかったか、それはCさんの言葉だけでなくBさん、Dさんの口からも語られた。
小雪さんははやくに夫を突然の病で亡くし、その後は当時健在だった夫の両親も最後まで世話をしたという。
娘2人に何不自由ない生活をさせ、大学にも進学させた。一方で自分自身の人生も、ようやくこれからという時だったという。
音楽を愛し、地域の人々に音楽を通じて心の豊かさなどを自然と与えてきたという小雪さん。子供から大人、高齢者まで、幅広い人々に愛された。
それは、人を惹きつけ、人を幸せにしたいという小雪さんの生き方の答えでもあった。
3人は、当然ながら被告人への怒り、憎しみも口にした。母を奪われた姉妹よりも、Dさんの怒りが最も激しく私にはうつった。
Dさんは、暴力的な前科があり、刑務所にも入りながら更生できず、さらに人の命を奪った被告人には、謝罪や賠償などを求めないといった。
意味がないからだ。そんな人間らしいことを、この被告人にできるはずがないと、Dさんは突き放した。
何も期待していません、何も求めません、というDさんは、命を奪った以上、その命を取り返せないのだから絶対に被告人を許すことはないと文字通り叫んだ。
Cさんはいまだに安心して眠ることができないでいた。自宅もマスコミや野次馬に長いこと悩まされたという。
それ以上に、家族がバラバラになったと嘆いた。小雪さんを無惨に奪われ、妹Bさんとの関係にも向き合う必要があった。ババちゃんを突然に奪われた幼い子供たちのケアも大変であろう。それでもCさんは家族を取り戻そうと、今も必死にもがいている。
Bさんはどうか。
Bさんは自身の行いがきっかけで被告人と関わりを持ってしまったこと、理由はどうあれ被告人や家族に嘘をついていた事実はある。
Bさんは、「母を失うくらいなら何でもできたのに」と悔やんだ。司法解剖後の小雪さんの姿は、忘れられるはずもなかった。
被告人の供述は全て嘘だと叫んだ。その中でも、Bさんに対して暴言や暴力行為がなかったと否定したことについてはどの口が言うのかと、絶対に許せないと言った。
そして、最後は私自身が別れを選んだのだと被告人に突きつけた。当時は恐怖心を超える恐怖があったが、今は怒りと憎しみしかないと。大嫌いだと。
被告人には一生刑務所に入ってほしい、と締め括った。
Dさんは心情として、司法と裁判員にお願いがあるといった。
裁判は遺族だけのためのものではないのは重々わかっているが、前回の傷害事件で被告人に執行猶予が付かなければ、小雪さんは今も生きていたとして、量刑の判断基準などを今一度考えてほしいと、愛されて暮らしていた小雪さんが、自制と反省のできない被告人に殺されるという社会を許してはいけない、と訴えた。
被告人は、微動だにしなかった。横髪で隠された表情も、その心も、見えない。
公判八日目
最終日となるこの日は、検察官による論告求刑、弁護人の最終弁論が予定されていた。
検察は、司法解剖の結果と鑑定医の証言をもとに、被告人が主張するような「偶発的な」傷ではないとした。
確かにどれも思ったより深く、また被告人が警察の取り調べで書いた「自分がしたこと」という自供書の内容が、偶発的ではなく「殺すしかないと思って切った」と書かれてあることなどを挙げた。
監禁についても、嘘に嘘を重ねてBさんを誘導しており、Bさん自身ももしも被告人が嘘をついていると分かれば車になど乗らなかったと一貫して証言していることから、Bさんの本意ではなかったとして監禁罪も成立するとした。
そもそもBさんは、母や姉から「今度被告人と取ったら絶縁」とまで言われていたのだから、好きこのんで被告人の車に乗るはずがなく、車内でスマのも取り上げられており外部に助けを求められなかったとした。
ヒッチハイクのOさんとは面識も利害関係もなく、Oさんに「連れ回された」と嘘をつく理由もない。したがって、Bさんの供述は信用できるとした。
その上で、被告人とBさんとの間の見解の相違は「些細なこと」だと述べた。
被告人には過去に交際していた女性に対する暴力、監禁といった前科があった。そして、刑務所に入りながら、さらには飲食店でのトラブルで激高し、相手の頭部顔面を酒瓶で殴るという事件も起こしている。その裁判を終え、5年の執行猶予をもらって半年足らずでの殺人だった。
検察は被告人の行為は凶悪で残忍、かつ執拗、5回も切りつけていること、そして殺害された小雪さんには一点の落ち度もないことなどを見れば、たとえ被告人が小雪さんに対して恨みを抱いたとしても殺害して良いはずもないとして、被告人に対して懲役25年を求刑した。
被害者Bさんと姉夫婦のそれぞれの代理人弁護士からも、被害者遺族の思いが代読された。
【Bさんの弁護人】
「Bさんは被告人の嘘を信用し、また切迫した状況を感じて言われるがままの行動を取ったのであり、車内で被告人を怒らせないように言われるがままスマホも渡した。
山に入った頃にはあたりは暗く、このような場所から1人で逃げ出してもどうにもならないと判断し、本意ではないが被告人と夜を明かした。Oさんに自宅で下された被告人はそれでもBさんを追いかけてきていた。
小雪さんに落ち度はなく、咄嗟なら短絡的すぎるし、恨んでいたならそれは逆恨みでしかない。またBさんにたとえ落ち度があったとして、だからと言って包丁で脅そうと考えるなど常軌を逸している。被害弁償も無理で、被告人の前科を考えると再犯の可能性もある。できる限り長期の刑を望む」
【姉夫婦の弁護人】
「被告人の証言は信用できない。冷静に自分の意思で反抗に及んでいる。小雪さんは被告人にとって都合の悪い存在だったかもしれないが、殺す必要などない。
処罰感情が強いのは家族だけではなく、再犯の可能性も考えれば無期懲役を望む」
とした。
対する弁護人による最終弁論。
【Bさんとの交際、Bさんの嘘について】
「Bさんは、事件当日まで被告人のことが好きだった。SNSに綴っていた被告人への思いは、Bさん自身は「いい思い出にするための物語、本心ではないもの」を書いたと言っていたが、そのどれもが現実での被告人との出来事とリンクしている。辛い心情なども書かれてあり、とても妄想とは思えない。
家族に別れるよう言われてからも旅行や子連れで被告人に会うなど、それらは姉や母に対する不満があったからで、被告人と一緒にいたかったのが本音。
被告人からのDVについても第三者による証言や本人の怪我など一つもない。Bさんがやられたと言っているだけ。
事件後に被告人と車で移動した際も、逃げる機会はいくらでもあった。
この時点で事件を知らないBさんからすれば、この「連れ去り」は、被告人と一緒にいられるチャンスだった。スマホを渡したのも、そうすることで後から家族に何か言われても被告人のせいにでき、自分は被告人と一緒にいられる。
怖かった、と言いながら、渋る被告人に下山やヒッチハイクを提案し、主導している。被告人もそれに従っている。怒らさないように行動していたのではないのか。
Bさんは被告人が怖くて行動を共にしたのではなく、離れ難い存在だった。Bさんは嘘をついてでも被告人との関係を継続させたかった。」
【殺人について】
逃げられまいとして力が入った可能性はあり、そこに小雪さんの逃げようとする動作が加われば強い力が思わずかかる可能性はあり鑑定医もそこは否定していない。
よって、司法解剖の結果のみでは意図的と立証できていない。」
【動機について】
自供書を書いた時点では前夜に服用した薬の影響が抜けておらず、また文字が乱れ、自供書には訂正した箇所もあり、そもそも被告人には弁護士もまだついていない状況だった。同じ調書の中に「切ってしまった」という文章もある。これも意図的との立証はできていない。」
【検察の証明責任について】
疑わしきは被告人の利、である以上、監禁についてBさんが同意していないと証明できていない、同意していた可能性を排除できてないので無罪とすべき」
【量刑について】
被害者に落ち度はない。が、その背景に今回同様、男女の恋愛関係がある場合、過去の同種の事案については翻弄されたという部分で被告人の情状酌量になっている。
殺人についても計画性はなく、Bさんの次女に顔を晒すなど隠蔽工作もしていない。
これらを踏まえ、弁護人は過去の同種の事案と照らして懲役17年が相当、と述べた。
最後に被告人から、伝えたいこととして
「本当に申し訳ない。それでは済まないが、そう言うしかない。身勝手で命奪い申し訳ない。
(中略)何よりも3人(Bさん、姉夫婦)から大切な方を奪ったことは……本当に申し訳ないです。すいません。謝るしかできない、すいません。(中略)一生考え続けて、戻らない命と罪の重さをずっと考え反省していきたいです」
というものがあった。被告人は声が小さく、何度も裁判官から注意されていたが、最後のこの言葉は聞き取れる音量だった。
こうして8日間の審理が終わった。