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小沼愛実(まなみ)ちゃん(神奈川県相模原市:当時3歳/平成13年3月7日死亡)
「(大丈夫か)」
男は布団の中の女児に声をかけた。薄暗い部屋の中、ぼんやりと女児の顔が浮かぶ。
その表情は、心配する我が父親を安心させるかのように、やさしく微笑んでいたという。
女児は翌朝、死亡した。死因は、内臓破裂による出血死だった。
平成13年7日深夜、相模原市淵野辺のアパートから119番通報が入った。通報者は、近所の知り合いから子供の意識がなくなったために救急車を呼んでほしいと頼まれていた。
救急隊が駆け付け、市内の病院へと搬送されたが子供は3月8日午前11時、死亡した。
死亡したのは小沼愛美ちゃん(当時3歳)。愛美ちゃんの死因は内臓破裂。腸の一部が10センチにわたって裂け、他の箇所にも穴が開いていたという。病院は警察に通報、相模原署は両親から事情を聞いたが、父親が暴行を加えたことを認めたため、殺人の疑いで父親の小沼信太朗(仮名/当時32歳)を逮捕した。
小沼家には、実はかなり前から虐待を疑う声が複数あったという。愛美ちゃんが1歳の頃、当時通っていた民間の保育園から「愛美ちゃんが園を休みがちで、体にもあざがある」という通報が福祉事務所に寄せられた。ケースワーカーが両親に面会したところ、「(愛実ちゃんが勝手に)風呂場で転んだ」と話したという。
この件は民生委員、信太朗の姉や母親にも連絡が行き、それぞれが信太朗夫婦に様々な助言やサポートを申し出たというが信太朗夫婦はそれを拒否、その後も愛美ちゃんの生傷が絶えることはなかった。
事件があった日、愛実ちゃんは小沼家で飼われていた犬のドッグフードを散らかしていたという。信太朗は愛実ちゃんがドッグフードを食べてしまったと思ったという。別にドッグフードを食べたところでどうということはないと思われるが、愛実ちゃんの母親がそんなもの食べてはいけないと愛美ちゃんに強く言い聞かせたという。
しかしその時の愛美ちゃんの態度が、信太朗には反抗的に映った。顔を背け、不服そうな表情を浮かべた愛美ちゃんに、信太朗は激怒。
顔面を殴打し、さらには倒れ込んだ愛美ちゃんの腹部を複数回蹴り飛ばした。
これが致命傷となった。
傷害致死容疑で起訴された信太朗に対し、横浜地裁は懲役4年(求刑懲役6年)を言い渡した。
実は信太朗には聴覚障害があった。幼いころに高熱を出したことで難聴となり、そのことで少年時代はいじめに遭ったという。手話グループで妻と知り合い結婚。そんな二人にとって、愛実ちゃんは望んでもうけた子どもだった。
信太朗は普段、愛実ちゃんをかわいがっていたという。愛美ちゃんも、信太朗に懐いていた。が、しつけについて十分な知識を両親ともに持っておらず、その情報を得るのも、健常者よりは難しいという事情があった。
愛実ちゃん自身に聴覚障害はなかったが、意志疎通がうまくいかないことで子育て、しつけがうまくいかないという焦りが信太朗にはあった。それが体罰に頼るという極端な方向に走ってしまった。
加えて、信太朗には激しやすい傾向もあった。幼いころに両親が離婚したことで、モデルとなる父親像も分からなかった。
裁判所はそれらを情状として認める一方で、母親や姉、保育園などがサポートを申し出ていたにもかかわらず拒否し、自身の育児やしつけを見直そうとすらしなかったことや、なによりも父親を慕っていた愛美ちゃんがその父親に蹴られ、具合が悪くなる中嘔吐しながらこん睡状態へ陥ったこと、腸管が避け、小腸は断裂し相当な痛み苦しみの中にいながらも父親を心配させまいとしてふるまったその胸中を思えば、信太朗の責任は重大だとした。
このケースではハンディを持つ夫婦の子育てが時に困難であることに加え、児童相談所が通報を放置していたことが問題視された。
相模原児童相談所は、事件の1年前にも近隣住民から匿名の通報があったにもかかわらず市の福祉事務所に引き継いだ直後という理由で児童相談所としての対応をしていなかった。そして、市の福祉事務所や民生委員から特に連絡がないからということでそのままにしていたという。
信太朗夫妻が外部の支援を拒否していた事実はあるが、守れたはずの命だった。
石見 真歩ちゃん(千葉県銚子市:平成17年3月29日死亡/当時3歳)
児童相談所に寄せられたその通報は、女児の義祖母からのものだった。内容は、「娘夫婦が子どもを置き去りにして外出している。虐待の兆候ではないのか」というもの。
しかし児童相談所は、緊急性はないとして放置。その両親らに連絡することすらなかった。
それからひと月も経たない春の日、女の子は死亡した。
県警銚子署は、平成17年3月30日、傷害容疑で銚子市在住の夫婦を逮捕した。逮捕されたのは石見正治(仮名当時36歳)と、妻(当時23歳)。
ふたりは3月中旬から27日頃のかけて、正治の娘で3歳の真歩ちゃんの頭や背中を殴り重傷を負わせたとされた。食事をこぼすことへのしつけのつもりだったという。真歩ちゃんはその後、硬膜下血腫で死亡した。
真歩ちゃんは正治と前妻との間の子供だった。ただ、当初逮捕された現在の妻(真歩ちゃんの義母)は関与が薄いとして釈放されていた。
石見家をめぐっては、虐待を疑った人からの通報が過去に2回あったという。しかもそのうちの2回目は、正治の妻の母親、すなわち真歩ちゃんの義祖母からのものだった。
しかし先に述べたように児童相談所は緊急性がないと判断。なぜそうなったのか。
1度の目の通報があったのは9月。尋常ではない泣き方が気になる、その際は職員が石見家を訪れている。その時、義母の膝の上で髪の毛を結ってもらっている真歩ちゃんがいたという。
ふたりの関係は悪くは見えず、職員らは通報の内容もいわゆる通常のしつけの範囲と判断。これがあったために、義祖母からの通報に対しても何の対応もしなかったのだ。
千葉地裁は真歩ちゃんの具合が悪くなった際、実際には抱え上げて頭から畳に落としていたにもかかわらず「ラックから落ちた」などと虚偽の内容を伝えていたことに、「親としてあるまじき自己中心的」と非難。動機に酌量の余地はないとして懲役7年(求刑懲役8年)を言い渡した。
事件について、当時の件人権問題懇話会委員を務めた渥美雅子弁護士は、短期間でも保護出来ていれば体のあざなどに気づけた可能性があると児童相談所の対応を批判。児童相談所も対応に甘さがあったと認めた。
匿名であっても通報するというのはよほどのことであるという自覚を相談所が持っていないというのは、軽率だというそしりを免れない。
実際、真歩ちゃんの体にはあざ、口元にはやけどのような痕もあった。さらに、この石見家と児童相談所は直線で100mほどしか離れていなかったという。
平成15年にも判断を誤ったために虐待死した子供が千葉県内にはいた。
その教訓はやはり生かされなかった。
清水 成智(なち)くん(さいたま市岩槻区:平成19年6月11日死亡/当時4歳)
平成19年6月11日、埼玉県警岩槻署は交際相手の長男に暴行したとして埼玉県入間市の会社員・城田尊宏(仮名/当時26歳)を傷害容疑で逮捕した。
城田は10日の午後、交際相手の清水郁美さん(仮名/当時23歳)方で、郁美さんの長男・成智くん(当時4歳)に対しおねしょしたことに立腹、殴る蹴るの暴行を加えたとされた。
成智くんの様子がおかしいことに気づいた郁美さんが119番通報したが、救急隊が到着した際にはすでに心肺停止、体は冷たくなっていたという。
調べに対し城田は、4月ころから成智くんが気に食わないからと言って殴る蹴るの暴行を加えていたと供述。10日の午前中に暴行を加えた後外出。午後7時半に帰宅したあとも無断でお菓子を食べたとして成智くんに殴る蹴るの暴行を加えた。
その後、成智くんの様子がおかしいことに気づいた郁美さんが午前3時ころに通報しようとしたところ、なんと城田は「虐待がばれるのが怖い」と言い出し、そのまま当時の勤務先だった所沢の会社へ出勤していた。
傷害容疑で逮捕された城田だったが、その後は暴行罪で起訴となった。実は成智くんの死亡と城田の暴行の因果関係がはっきりしなかったのだ。
成智くんの傷は全身に及んでいたが、特に目の周りのケガがひどかったという。両目は黒くなるほどのあざがあり、左目への暴行が死亡に関係している可能性が高かったというが、城田は左目を殴っていないと主張。
結局、司法解剖で死亡と暴行の因果関係は不明、とされた。
しかし捜査段階から城田は「記憶がないくらい殴った」と供述しており、暴行を加えたのは間違いなかった。
さいたま地裁は死亡との因果関係は不明としながらも、日常的に虐待したあげくに敢行された犯行」として懲役3年6月(求刑懲役4年)を言い渡した。
虐待していたのは認定されたものの、傷害致死でもなく暴行罪。法律上は城田は成智くんを殺していないし、死なせてもいない。
もうひとつ、解せないことがある。成智くんの母親、郁美さんである。郁美さんは成智くんの容態がおかしいと気付いて通報してはいるが、あの日、郁美さんも在宅していたのだ。そして、城田が暴行を加えているのも知っていた。しかし止めることも通報もせず、のんきにふたりして映画を見るため外出。帰宅後に城田が再び暴行を加えた際もその部屋にいた。
我が子が理不尽に殴られているのを知りながら、止めようとしなかった母親。当時、誰の子供かはわからないが妊娠中だったという。
近所の人らは、城田が郁美さんと交際し始め、マンションに来るようになった直後、成智くんとキャッチボールをしているのを見ていた。
それがどうして、こんな風になってしまったのか。
成智くんのことを、ふたりは今どう思っているだろうか。もう、忘れたろうか。
米沢 麗愛(れな)ちゃん(奈良県田原本町:平成24年8月死亡/当時1歳3か月)
平成26年2月。奈良地方裁判所。
閉廷後に記者会見に応じた裁判員は、「3人の子を育てる負担は非常に大きかったと思う」と、被告人の心を思いやった。
被告人はこの時点で24歳。当初一緒に逮捕されていた内縁の夫は、嫌疑不十分で不起訴となっていた。
しかも事件当時、2歳と1歳、そして生後4か月の3人の子供をほぼ一人で世話をしていたという。
被告人は母親でありながら、当時1歳3か月の娘の世話を放棄し、さらにはその頭を殴るなどして重体にさせていた。
子育てに疲れ果てた末に、思わず叩いてしまったのだろうか。
しかしほかの2人の子供らに、特に虐待の形跡はうかがえなかった。
平成24年7月23日、奈良県警田原本町署は、同町の無職・米沢聖美(仮名/逮捕当時22歳)を1歳の長女に対する傷害容疑で逮捕した。
聖美は「イライラして殴ってしまった」と供述、長女意識不明の重体だったがその一か月後に右硬膜下血腫で死亡した。死亡したのは米沢麗愛ちゃん。
7月21日の夜、麗愛ちゃんの様子がおかしいとして聖美が自ら生駒市内の病院へ連れて行き、その後県立医大病院へ搬送となった。麗愛ちゃんは通常の1歳児よりも低体重であることや怪我の状況から病院が虐待を疑い、警察へ通報した。
その後、警察は内縁の夫も保護責任者遺棄の疑いで逮捕。しかし夫は共謀していないとして容疑を否認、その後不起訴となった。
聖美と内縁の夫の間には、麗愛ちゃんのほかに2歳の長男と、生後4か月の次男がいた。3人の子をもうけながら、なぜかふたりは未入籍だった。
当時も夫が田原本町のアパートで生活し、聖美は実家のある三宅町とを行ったり来たりする生活だったという。
麗愛ちゃんは出生時1684gという低体重で、NICUを出た後もなかなか体重が増えなかったことから出産後に身を寄せていた母方の実家のある三宅町の保健師らが支援にあたっていた。
が、当初から麗愛ちゃんの育児に関して、聖美は「(自分の)母親に任せている」などと言っており、保健師は家庭訪問や病院を紹介するなどの支援を続けていた。
麗愛ちゃんが1歳になろうとする頃、保健師は家庭訪問で麗愛ちゃんの顔に傷があるのを発見。聖美によれば「おもちゃが当たった」とのことだったが、保健師はその後も新たな傷が出来ていないかなど気にかけていたという。
同時に、母親任せだという聖美の言葉も気にかかり、三宅町は県中央子ども家庭相談センターに事情を伝えた。奈良県では桜井市のネグレクト事件で杜撰な対応を反省し、細心の注意を払っていたといい、聖美のケースも慎重に見守ることにしていた。
しかし周辺住民らはすでに異変を感じ取っていた。
県への伝達が行われたころ、田原本町のアパート周辺では夜中に赤ちゃんが泣き叫ぶ声が聞こえていた。あきらかに夜泣きやぐずっているというのとは違う、住民らは不安を覚えた。
聖美を知っている住民も、事件後に被害者が長女だと知り、「そういえば男の子を連れているのは何度も見たが、女の子は見たことがなかった」と話した。
ただ顔の傷以外、体に目立った傷は見当たらなかった。一方で体重の増えがよくなかった。元々低体重児で生まれた麗愛ちゃん。3歳になっても6.5キロしかなかった。
職員がそのことについて確認すると、聖美はきちんと食べさせていると話したが、親族らの話では3歳になっても麗愛ちゃんはおかゆやミルクしか与えられていないという話もあった。
奈良地検は最終的に聖美を傷害致死と保護責任者遺棄で起訴した。
逮捕直後には麗愛ちゃんに暴力をふるったことを認めていたが、起訴されて以降、「骨折させるほどの暴行は加えていないし、食事もきちんと与えていた」として否認に転じた。
しかし事実として医師から低栄養状態を指摘されていたにもかかわらず健診を受けさせなかったり、体重が事件前には1か月に1キロ減っていた。
司法解剖の結果、麗愛ちゃんは骨折が7か所以上あり、それは誤ってぶつけたというレベルではなかった。
暴行について、聖美は裁判で自分が外出した際、内縁の夫が長女と一緒に自宅にいたと話していた。そのうえで、「夫から私も長女も暴力をふるわれていた」と。
一方で聖美は自分の友人らに繰り返し、「産んだのも間違い」「育てたくなって思ってしまう」といった内容のメールを送っていたが、それについては「イライラした勢いで送った、本心ではない」とした。
ネグレクトについても、事件直前に激減した体重について「自分はきちんと与え、麗愛も食べていたので(体重減少には)気づかなかった」と否定。
あの日、ぐったりした麗愛ちゃんの異変に気付き119番を指示したのは内縁の夫だった。ところが麗愛ちゃんの具合が悪いことを聖美は昼頃に知っていたという。なのに、夜に内縁の夫が帰宅するまでなにもしなかった。
さらに、事件当日の夕方には友人と食事に出かけていた。その際、長男と次男は連れて行ったのに、麗愛ちゃんは自宅に置き去りだったという。具合が悪いとわかっていたのに、心配ではなかったのか、と裁判員に問われると、「家に食べるものがなかった」とはぐらかした。
検察は長女を妊娠している間に内縁の夫との関係について悩み、そのために生まれた長女を疎ましく思っていたとし、懲役12年を求刑。弁護側は麗愛ちゃんの身長が伸びていること根拠にネグレクトではなく、暴行は内縁の夫が加えた可能性があるとして無罪を主張した。
奈良地裁は聖美に対し傷害致死と保護責任者遺棄を認め懲役7年を言い渡した。
愛情を与えられるはずの母親から疎まれ、哀れというほかないと麗愛ちゃんに思いを寄せる一方で、ストレスを鬱積させていった心情には一定の理解を示し、責任を聖美にだけ負わせるのは酷、とその判決の理由を述べた。
聖美は三宅町の実母らの家と田原本町の内縁の夫が暮らすアパートを行き来していた。しかしその中で、内縁の夫はもとより、実母の支援も十分ではなかったという。
そもそも聖美は長男(当時2歳)を出産した後、すぐに妊娠し結果としてスーパー年子レベルで3人の子を産んだ。これは聖美の望んだことなのか。長男はそうだったとしても、聖美自身が述べたように麗愛ちゃんを身ごもっていた時期、内縁の夫との関係は良くなかった。浮気を疑っていたという。
それでも麗愛ちゃんを出産後、またもや間隔を開けずに妊娠し、事件当時は4か月の乳飲み子を抱えて上二人を育てるという、これはかなりしんどい状況だったことは容易に想像できる。
結果として不起訴となったとはいえ、この内縁の夫もなかなかのものだ。しかも、なんで未入籍……。長男も麗愛ちゃんも次男もこの内縁の夫との子供であるが、認知をしていたかどうかも分からない。事情はあるのだろう。例えば、だが、母子家庭として生活する方がいろいろと福祉の手当てが厚いことも関係しているのかもしれない。田原本町のアパートのことを、三宅町は知らなかったという。もし内縁の夫の存在が公になれば、その形態としていろいろ不都合があったのかもしれない。ていうか、多分そう。
同情の余地はあるものの、いまだ反省がみられないと言われた聖美は控訴、しかし大阪高裁は控訴棄却。刑は確定した。
聖美に同情する余地は確かにあるが、それでも3人の子供の中で麗愛ちゃんにだけ、虐待をくわえたということに深い闇を感じる。
聖美は、家族写真を携帯電話に保存していた。長男、次男、内縁の夫、しかし麗愛ちゃんの写真はほとんどなかったという。家族写真の麗愛ちゃんの顔を聖美は黒く塗りつぶしていた。
麗愛ちゃんが憎かった、というよりも、自分以外の「女」を受け入れられなかったのか。
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参考文献
毎日新聞社 平成17年3月31日東京朝刊
読売新聞社 平成13年3月10日東京朝刊、平成16年3月5日、平成17年3月31日、4月20日、平成18年3月29日、平成19年6月12日、30日、平成20年8月6日東京朝刊、平成24年7月24日、9月1日大阪朝刊、平成26年1月9日、30日、2月7日、8日、11日、21日大阪朝刊
朝日新聞社 平成13年3月9日朝刊、平成19年6月12日東京地方版/埼玉、平成24年7月23日、
中日新聞社 平成13年3月9日朝刊
共同通信社 平成24年8月12日
産経新聞社 平成24年9月1日、平成26年2月21日大阪朝刊
中国新聞社 平成26年8月12日夕刊
その他、各判決文