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平成19年8月15日
「判決は短すぎる印象。お墓には、残念な結果になった、と報告します……」
老齢の男性は、新聞社の取材に対して呟くと、肩を落とした。
普通の裁判と違うことはわかっている。成人と少年では、与えられる罰が軽減されることもわかっている。
最初から、わかっていた。
それでもあまりに軽い。加害者が少年ならば、どんな苦しみ、無念の中で命を奪われようとも、その罪は軽くするのが正しいのか。
男性はいつまでも考えていた。
平成18年4月24日
「久保田さーん。フィルム売ってもらいたいんやけど……。あれ?久保田さん?」
いつものように、カメラのフィルムを購入しに訪れた男性は、店が開いているのに、店主の姿が見えないことを不審に感じていた。
今までこんなことはなかった。宵闇が迫る中、薄暗い店内はどこか異様なほど静かだった。
男性は得も言われぬ不安に駆られ、店を出ると近所の男性に声をかけ、事情を話して再びふたりで写真店に戻った。
「久保田…さん?」
店の奥の住居部分をのぞき込んだふたりは、息をのんだ。
そこには、店主である久保田耕治さん(当時71歳)が、頭部を血まみれにして倒れていた。
慌てた二人は119番通報し、救急隊の到着を待ったが、久保田さんは既に意識がなかった。
その傍らには、返り血に染まった高校の制服が無造作に脱ぎ捨てられていた。
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大阪市大東市深野の四条畷署。
同じ日の午後10時半ごろ、一人の少年が男性に付き添われてやってきた。
「和歌山の高野町でおじさんをボコボコに殴った。」
警察官が話を聞くと、少年は自身が通う和歌山県の私立高校近所の写真店に押し入り、店主である高齢男性に暴力を振るったという。
その日の午後7時ごろ、和歌山県伊都郡高野町で写真店を経営する男性が、なにものかに暴力を振るわれたという通報が管轄の橋本署に入っていた。
男性は死亡、後頭部を激しく殴られていた。
少年にそのことを訊ねると、「死んだとは知らなかった」と話した。
少年は、男性を殴った後、実家のある四条畷へと戻り、中学の頃世話になった塾の講師のもとを訪ねた。
そこで、「人を殴って怪我をさせた」などと話したため、講師が説得し出頭してきたのだという。
少年は、「被害者とは数日前に店で会っただけ。死んでもいいと思った。むしゃくしゃした気持ちを晴らすため、誰でもよかった。」と話していて、少年と被害者との間に確執などはなく、行き当たりばったりの犯行の様相を呈していた。
少年はその日、普段通りの授業を受けていた。午後3時20分に実習が終了し、その後行方が分からなくなったという。
「いつもと変わらない態度だった・・・」
そう話す学校関係者のことばとは裏腹に、少年の心には抑えきれないどす黒い感情が吹き荒れていた。
少年のそれまで
少年は平成2年に生まれ、両親が離婚した小学3年生以降、母親と生活していた。
母親がその後男性と交際するようになり、家を空けることが増えたという。しかしその男性が暴力を振るうなどしたため、母親は交際を解消、自宅へと戻り母方の祖母とともに少年は育てられた。
小学5年生になったとき、母親が結婚相談所を介して知り合った男性と交際するようになった。
男性には娘がいたが、関係は良好で母親は再婚を前提として交際を続けていたという。
少年自身も、新しい家族になるかもしれない男性とその娘との生活が気に入り、また、男性に対しても父親になってもらいたいと願うようになった。
当然、母親もそれに気づいており、再婚して新しい家庭を築くにあたっては順調に見えた。
しかし母親は、その再婚話を破談にした。
この出来事は少年のなかで、「自分の家庭は他人とは違う」と思うようになり、加えて母親がそうなったいきさつや事情を少年に説明しないだけでなく、様々なことを少年のせいにするなどしたため、やり場のない苛立ちや不満を溜め込まざるを得ない状況になっていた。
平成17年に大阪府内の高校に入学することになったが、少年が抱える苛立ちや不満が解消されることはなく、また、それを解消する術もなかった少年は、1年も経たずに退学する。
その後、和歌山県伊都郡高野町にある私立高校に転入、寮生活を始めることで母親とは距離を置いた。
これで苛立ちが解消されるかと思ったが、寮に入ったことで別の人間関係に悩まされることになる。
もともと人付き合いが苦手だった少年にとって、寮での人づきあいはことのほか堪えた。
体を動かせばストレス解消になるかと空手部に入部も決めた。
しかし、少年の不満と苛立ちは、そんな事では解消できなかった。
その日
少年と久保田さんの「出会い」は、なんてことのない普通の学生と町の写真屋さん、ただそれだけのことだった。
少年は空手部に正式に入部するにあたり、顔写真を撮影するために平成18年4月16日、久保田さん経営の写真店を初めて訪れた。
久保田さんの写真店は、何十年にも渡って少年が通う私立高校の生徒らの証明写真を撮ってきた馴染みの店だった。
18日には出来上がった写真を受け取りに再度久保田さんの店へ行き、本来ならば二人はこれ以降会うことはないはずだった。
しかし、空手部入部にはもう1枚必要ということがわかり、そこで23日にもう一度店を訪れ、久保田さんに焼き増しを依頼した。
仕上がりは翌日だった。
事件当日。
少年は普段通りだった、はずだった。
しかし「ある出来事」が少年の苛立ちを増幅させていた。
授業を終え、一旦は寮に戻った少年だったが、いてもたってもいられなくなり寮を出た。
あてなどなかったが、昔から少年は苛立ちを抑えるために、奈良や和歌山へふらっと出かけるなどしていたこともあり、この日もただ寮を出たのだ。
その道中、どうにも抑えられない苛立ちをどこかにぶつけるしかないと思い始めた少年は、数日前に出会ったあの写真店の店主のことを思い出した。
「写真、出来とるよ」
久保田さんが釣銭を取りに店の奥に向かったのを見た少年は、振り向いた久保田さんの顔面に隠し持っていたスタンガンを振り下ろした。
逆送
4月26日に送検された少年は、年齢もあってまずは家庭裁判所での審判を受けることになった。
地検は、少年院送致は不十分な事案であるとして、「刑事処分相当」の意見書を付け、検察官送致(逆送)を求めたうえで審判での検察官立ち合いを申し入れた。
少年はそれまでの取り調べで、事件を起こした直接的な動機としては、「24日に先生に叱られて憂さを晴らしたかった」と述べていたが、それ以外にも、「家庭問題で中2の頃から悩みがあった。こんな風になったのは大人のせい」などとも話していたという。
一方で、「殺してやろうとは思っていなかった」とも話した。
事件当日の学校での出来事として、授業中にイヤホンで音楽を聴いていたことを教師に咎められたという事実があった。
しかし少年は、注意された後も音楽を聴き続けていたという。
こんなことがきっかけになったりするのだろうか。ただ、そこには叱られてショックを受けた、のではなく、叱られたことに怒り、苛立ちを覚えたことがみてとれる。
一方で、入寮当時、「母親には会いたくない」と話していたこともわかっており、少年と母親の間には根深い溝があることもわかってきた。
少年が言う、「大人」とは、母親のことを指すのか。
しかしそれなら母親に対して晴らすべきものであり、なぜ数回しか会ったことのない久保田さんが標的になったのか。
少年事件ということもあり、家裁での審判は非公開だったが、7月末から行われた審判では、
「悪質、残忍、かつ執拗な犯行」
であるとして、中村昭子裁判長(当時)は逆送を決定した。
また、中村裁判長は、
「殴打の態様、部位、回数などから未必の故意を含む殺意を認定できる」
とも認定し、同時に少年が適応障害を発症していたことで、高校編入や環境の変化で蓄積させたストレスを抑制できなくなっていたことにも触れた。
その上で、「いかに未熟な人格と言えども自分が犯したことの重大性は認識できる」と述べ、「原則逆送」を止める事情はないと判断した。
付き添い弁護人は逆送という措置について、
「少年刑務所は収容者の大半が成人であり、心理学の専門家も少ない。未熟な人格を成長させ、贖罪意識を高められるとは思えない」
と家裁の決定を批判した。同時に弁護人は少年の精神鑑定も求めていた。