🔓一生忘れない~横浜・一家3人殺害事件/高知・母子殺害事件

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平成14年、横浜市都筑区のマンションでその部屋に暮らす老夫婦と孫が殺害される事件が起きた。
後に逮捕されたのは、被害者夫婦の娘の夫。離婚についての協議中だった。

夫は義両親と義理の息子を殺害した動機について、「妻と二人だけで話し合いたかった」とし、良かれと思って娘のために仲介していた義両親を邪魔に思い、さらには同居していただけの義理の息子まで殺害した。

夫は死刑判決を受け、平成24年3月29日、死刑執行となった。

その事件から約1年後。
同じ横浜市内のマンションで、同じくその部屋の住人夫婦そして19歳の娘が殺害されるという事件が起きた。
こちらも都筑区の事件同様、交際相手とのトラブルを心配した両親もろとも、殺害された。ただ、こちらは加害者がその場で自殺していた。

横浜市の一家惨殺

「またね!」
その日、終業時に同僚女性から笑顔で挨拶をされた。いつもと同じ、そうね、またあした。

その翌日、同僚女性は職場に姿を見せなかった。
いつもと同じ朝。その朝が、彼女には来なかった。

鶴見区の惨劇

横浜市鶴見区下野谷4丁目。4か月ほど前に入居開始となったその7階建ての新築マンションは、オートロックを完備したマンションだった。
平成15年6月10日午後9時55分頃、その3階の通路で女性が倒れているのを同じマンションの住民が見つけ、110番通報した。神奈川県警鶴見署が急行したところ、女性は血まみれですでに死亡しており、さらにその女性が暮らしていた部屋の中では、さらに3人の男女の遺体が発見された。

110番通報が入るより10分ほど前、横浜市消防局には不審な119番通報が入っていた。
声の主は女性とみられたが、うめき声が発せられただけで住所や名前などは言わず、その後電話が切れたという。

死亡していたのは、この部屋の住人で自営業の伊藤泰仁さん(当時49歳)、泰仁さんの妻・幸子さん(当時48歳)、伊藤さん夫妻の次女・三葉さん(当時19歳)、そして、家族ではない若い男性も血まみれで絶命していた。
室内は目を覆いたくなるほどの惨状だった。玄関先で発見されたのは幸子さんで、おそらく119番通報したのも幸子さんとみられた。玄関前の通路に面した窓の格子が外されていたことから、犯人はそこから押し入り、被害者らを殺害したようだった。
洋室にいた三葉さんがまず襲われ、おそらく助けに向かった父親の泰仁さんもそこで殺害された。幸子さんはダイニングで襲われ、瀕死の状態で助けを求めて外へ出て力尽きた。
とにかく、家の中は血の海だった。

司法解剖の結果、三葉さんは両腕に切り傷と、心臓を貫く刺創、両親はそれぞれ首を一ヶ所、そして、若い男性は首の左右に切り傷が残されていた。幸子さん以外の3人は、ほぼ即死状態だったという。凶器とみられるナイフは、幸子さん以外の3人が倒れていた8畳の洋間に落ちていた。

鶴見署は全員が死亡していることから犯人が逃走している可能性が高いとして緊急配備を敷いたが、それは事件発覚から2時間ほどして「解除」となった。

押し入られた窓の外の通路には、一足の男物の靴が脱いであったという。それは、一緒に死亡した若い男性のものだった。

被疑者死亡

一家3人が惨殺された事件は、そこにどんな事情があったのかを知る前に、加害者もその場で死亡という結末となった。
3人を殺害して自殺したのは、三葉さんと交際していた鶴見区潮田の配管工、上原三義(当時24歳)。事件が起きる数日前、近くのコンビニで三葉さんと上原が連れ立って買い物しているのを上原をよく知る近所の女性が見ていた。
その際、三葉さん自身が「妊娠している」と話してくれたという。
上原自身も、「いいパパになりたい」と話し、仕事にも励んでいたといい、事件を知った知人の間では衝撃が走った。

一方で、三葉さん側の友人らの話は違っていた。
三葉さんが妊娠していたのは事実だが、その妊娠を継続するかどうか、悩んでいた節があったという。
それを裏付けるかのように、3月から上原の実家マンションで同棲していた三葉さんは事件が起こる一週間前に下野谷の実家へ戻っていた。その時の三葉さんは、上原に暴力をふるわれた形跡があった。

三葉さんの実家は新築の7階建てマンションで、管理人こそ常駐していなかったが、オートロック完備のマンションだった。
家族は三葉さんを心配し、仕事で家を空けざるを得ない母親の幸子さんは、別で暮らしている三葉さんの姉にしばらく実家で妹のそばにいてやってほしい、といっていたほどだった。

そして姉が実家でしばらく生活しようとしていた矢先、事件が起きてしまった。

報道では、上原が死亡したためにその詳細、どうして事件が起きたのかについて、解明されることはなかった。ただ交際を巡るトラブルがあった、ということに終始していた。
上原はその後被疑者死亡で書類送検となり、事件は終わった。

事件から半年後、ノンフィクションライターの駒村吉重氏により、この事件が起きた経緯、そして隠されていた事実が遺族らへの取材により明かされた。それは新潮45にて発表され、のちに文庫本(殺戮者は二度わらう―放たれし業、跳梁跋扈の9事件 (新潮文庫))の中の一つに収録された。

以下、駒村氏の著書とその他の報道などから事件を振り返る。

それまで

この事件を知る人の間では有名な話だが、上原には輝かしい過去があった。
平成初期、上原の名前はオートレース、カートの世界で華々しく轟いていたのだ。駒村氏の取材によれば、上原がカートをし始めたのは小学生時代だという。年間で1000万近くかかるというその競技を続けるのは、親の経済力が物を言うわけだが、上原の両親は当時金があった。
上原の父親は当時人夫貸しのような仕事をしていたようで、当時マンション建設などで沸いていた建設業界においては、かなりの売り上げがあったとみられる。

上原は平成7年、16歳の時に全日本統一クラスに昇格、6月にSUGO国際カートコースで行われた95’全日本カート競技選手権東地区第4戦 FSA第3戦で優勝、平成8年には格上クラスへ参戦し、ベテラン相手に大健闘と称えられた。

しかし上原の名前は翌年以降、専門誌に登場することはおろか、レース結果に名前が載ることもなくなった。

駒村氏によれば、上原が活躍していた時点ですでに上原家の経済事情は厳しいものになっていたのだという。数年後には上原の両親が離婚、父親は別の女性と再婚、上原は母親と同居し、配管工などの仕事をしていた。

一方の三葉さんは、高校を卒業後はいくつかアルバイトをしながら両親のもとで生活していた。
三葉さんの父親、泰仁さんも自営業だったが、こちらは経営は順調だった。母親の幸子さんも別で働きに出ていて、下野谷のマンションが完成すると同時に家族で入居した。家賃は10万円以上で、当時は多くなかったオートロックも完備された最新のマンション。両親が堅実に生活していたから選択した物件に思えた。

上原と三葉さんが出会ったのはその年の3月。ちょうど下野谷のマンションに入居してすぐの頃だ。三葉さんに一目ぼれしたという上原は、三葉さんが働くスナックに足繁く通い、ふたりはすぐに上原の実家で同棲を始めた。
そして三葉さんは妊娠した。
三葉さんの妊娠を、三葉さんのみならず家族も喜んでいたようだ。仲が良かったという姉からみても、三葉さんが妊娠をとても喜んでいたし、両親も「いずれ結婚するのだから」と上原に会うのを楽しみにしていたという。

上原と三葉さんの生活に関しても、上原の母親を含めてとても仲睦まじかった、という話が多い。
スナックを経営していた上原の母親の店で、三葉さんの姿もよく見かけられていた。3人が買い物をしている姿も頻繁に目撃されていたという。三葉さんも、母親が一緒に暮らしている所での同棲をしていたわけで、仲が良かったというのは本当だと思われる。

しかし、この仲睦まじい関係は最終的におぞましい事態へ発展する。

【有料部分 目次】
 不穏
 おかあさんといっしょ
高知市の母子殺害
 住宅地の惨劇
 物わかりの悪い元カレ
 逡巡と誤算
 生まれた町へ
 事件直前の「絶望と憤怒」
 人の心