🔓忘れないで~生きた証⑨この世の地獄編その壱~

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親が子供を殺害する。
虐待の多くが「死ぬとは思わなかった」というような言い訳のもとに行われるのに対し、確実に子どもを殺す親がいる。

この世に地獄があるならば、私は親による子供の虐待そしてその究極である子殺しこそ、この世の地獄だと思っている。

背景は違えど、結果は違えど、親によって過失ではなく殺意を持って殺害された子どもたちの記録。

広島市の父親と3人の子ども

「子育てもやってみるとなかなか楽しいですよ!」
児童相談所の職員に対し、父親は笑いながら答えた。子どもたちははしゃぎ、時折父親の足にじゃれついている。
男親ひとりで管理しているとは思えぬほど、その住まいは整然と片付いており、子供たちの様子も健康そのものだった。

おとなしい印象だったという父親だが、彼なりに子どもたちとの生活を構築しているように見えた。

ただ、職員はどこか引っかかりも感じていた。面談するきっかけとなった引継ぎにおいて、その父親の様子は「憔悴しきっている」と記されていたからだ。

変わり果てた父と子

平成21年7月16日午後3時ころ、広島市西区のマンションを訪れた老夫婦は、室内で変わり果てた姿で倒れている40代の息子と3人の孫を発見した。
季節は夏。4人の体はすでに傷んでいた。

室内には炭を燃やした七輪と、ダイニングテーブルに置かれた遺書。通報を受けた広島県警西署は、父親が子供3人を道連れに無理心中をしたと断定した。

死亡していたのは無職の川口岳生さん(仮名当時41歳)。そして、川口さんの双子の長男の龍馬くん、次男の翔馬くん(いずれも当時4歳)、そして長女の彩香ちゃん(当時3歳)。
4人は並んで布団の上で息絶えていた。

調べによると、川口さんはその年の2月にそれまで勤務していた産業廃棄物処理の会社を退職。その後は無職の状態が続いていたが、実は働けない理由があった。
事件が起きる半年ほど前の1月、妻が家を出て行ってしまっていたのだ。
市の児童相談所に、川口さんから「急に3人の子を世話しないといけなくなった。仕事もありどうすればよいか」という相談が寄せられていたのだ。
児童相談所もとにかく一時的な保護の申請をするように勧めたというが、川口さんからその後申請はなかった。

2月末には今度は西区の保健所福祉課に川口さんから「妻がいなくなった。捜してほしい」という相談も寄せられたが、福祉課にはそのような権限はないために警察へ捜索願を出してはどうかと促し、福祉課では担当の民生委員らに見守りの要請を行った。

児童相談所も月に1度は電話で様子を聞き、川口さんもそれに応じていた。この時期、保育所などの空きはなかったのか、川口さんは2月末で退職し、生活保護を受給しながら子育てを続けていた。
5月に児童相談所の職員が家庭訪問をした際も、川口さんも子どもたちも元気で、冒頭の通り家の中も片付き、特に問題があるようには見えなかった。

しかし川口さんは、その心の内を誰にも見せぬまま、子供たちを道連れに死ぬことを選んだ。

強がる人

現在では父子家庭に対しても支援はあるものの、事件が起きた平成16年時点では父子家庭と母子家庭では同じひとり親世帯にも関わらず、支援には大きな差があった。
母子家庭には支給される児童扶養手当も、当時父子家庭は支払い対象ではなかった。母子家庭に比べて父子家庭は経済的に安定している、という認識が根底にあるものだと思われるが、あまりに時代錯誤だった。

昔は父親が離婚で子どもの親権を得る場合はたとえば後継ぎのためとか、そもそも実家がメチャクチャ太いとか、そういうケースが多かったのではないか。
今でこそ子供の親権は母親が得るケースが多いが、昔は望んでも「孫は渡しません!」的なケースが多かったと思われる。
その場合、父親は仕事をし、その両親(子どもの祖父母)が子育てを担うということになり、確かに経済的には恵まれているケースが昔の父子家庭には多かったのだろう。

母親はといえばたとえ親権を得られても当時は今より男女の賃金や出世には差があったわけで、ましてや昨日まで専業主婦だった人がありつける仕事は水商売か、賃金の低いものになってしまっただろう。

話を元に戻すと、その時代錯誤な感覚が平成になってどんどん崩れ、川口さんのように行き詰ってしまう父子家庭は少なくなかった。

広島市児童相談所の当時の所長は、出来る限りのことはしていたと思っていたが、川口さんの本心にまで踏み込むことが出来なかったと悔やんだ。
ひとり親家庭ネットワーク広島の山田行利代表も、「男親は周囲が力になると申し出ても強がってしまう傾向がある。」と話した。

川口さんもそうだったのだろうか。
人前では、いやおそらく子供たちの前でも、元気で頼もしいお父さんを演じていたのか。
児童相談所や市役所の訪問には笑顔で応じ、ドアが閉まれば、その張り付いた笑顔の仮面を外していたのか。

いつから死ぬしかないと思うようになったのかはわからないが、3月3日に支給される生活保護費を、川口さんは受け取りに来なかったという。
理由は、「定額給付金の支給があったから」とのことだったが、それはそれであって、生活保護費を受給しに行かないというのも違和感があった。

当初は仕事を「自己都合」で辞めた後、妻も出て行ったという報道もあったが、実際には妻が出て行ったために仕事を辞めざるを得なかったというのが正しい。

4歳の双子と3歳の女の子。かわいい盛りだったろう。遺書の内容は明かされていないが。せめて苦しまずに逝けたことを願うしかない。

川口さんは殺人容疑で被疑者死亡のまま書類送検された。

【有料部分 目次】
高島平から飛び降りた「あの父子」
 家族
 呪詛
 死出の旅路
 怨みの遺言
子を二人殺した母の15年後
 すべてを放棄した母親
 「うそだと思っていたけど、こうなっちゃった」
 あはははは