家と家族を焼かなければ手に入らなかったもの~熊谷・一家3人放火殺人事件①

平成18年12月下旬

「誰がやったんだろう、怖いね……
埼玉県熊谷市のとある民家で、軒先の鉢植えに火がつけられる「事件」が起こった。
火の気がないのは明らかで、大事には至らなかったものの、誰が、なぜこのようなことをしたのか、その民家の住民のみならず、近隣では回覧板を回すなどして注意を呼び掛けた。

年の瀬でもあり、季節がら火を使う家も少なくないため、いくつかの家では煙探知機などの警報器をつけたという。

しかし、その「事件」からおよそ一か月、その民家から1.5kmほど離れた別の家が燃えた。

平成19年1月29日午前1時35分

「子どもが……子どもが!!早く、早く来て!」

熊谷市宮前町2丁目。
119番通報で消防が駆け付けた際、すでに家からは火柱が上がり、2階部分の屋根と床は焼け落ちていた。
凄まじい焔は熱風を巻き起こし、隣家の窓ガラスが割れていた。
消防隊員が生存者を探していると、2階外階段の踊り場に佇む女性を発見、急いで救助した。
女性は若く、手には携帯電話を握りしめており、おそらく通報者であろうと思われた。

消防隊員が駆け寄ると、女性は急に倒れこみ、「自分は2階で一人で寝ていたが、煙に気が付いて逃げ出した」と話した。
さらに、女性の話から、家には当時女性の両親と、女性の幼い息子が寝ていたことが判明。必死の消火活動が行われたが、鎮火後、家の中から3人と思われる遺体が発見された。

亡くなったのは、その家の主人である斉藤三郎さん(当時78歳)、その妻の栄子さん(当時61歳)、そして5歳の蓮くんと判明。司法解剖の結果、3人の死因は焼死だった。
さらに、亡くなった3人の衣服から微量ではあるものの、油の成分が検出されていた。

この家では夫婦のほかに、次女とその息子が暮らしており、唯一救助されたのが次女だった。次女も煙を吸うなどして軽いやけどを負っていたが、命に別状はなかった。
ただ、近隣では次女が同居していたことを「知らなかった」という人もおり、また、次女の供述にいささか不審な点も見受けられたことから県警捜査一課は慎重に捜査をしていたが、事件から一か月後の225日、放火と殺人の容疑で次女を逮捕した。

逮捕されたのは、斉藤綾(当時26歳)。
綾は離婚歴があるが、もともと結婚している時から実家の2階で生活していた。
2階が綾親子の住まいで、1階が三郎さんと栄子さんが主に生活するような、二世帯住居になっていたという。
離婚した後、住む家があるというのはひとり親にはありがたいだろうし、階下には頼れる両親もいる。年老いた両親にとっても、陰気になりがちな高齢者の暮らしに孫の明るい声が響くことは嬉しいことに違いないはずだったが、斉藤家の場合は少し事情が違っていた。

家族のそれまで

綾は、三郎さんが50歳を過ぎて再婚した栄子さんとの間にできた3人目の子どもだった。
最初の結婚生活でもうけた長男、長女は綾と20歳以上年が離れておりすでに独立、三郎さん夫婦にとって綾は一人っ子同然だった。
そのためか、綾は甘やかされて育った印象が強いと、斉藤家を知る人々は言う。

行田市内の高校を卒業後、JR上野駅構内の売店に勤務、自動車教習所に通っていた際、ひとつ年下の男性(当時高校3年生)と交際を始めた。
平成13年、蓮くんを妊娠したことで結婚を決意、二人は若くして所帯を持ったが、生活力もまだ乏しかったために綾の実家の2階で結婚生活を始めた。
若い夫婦なりに、生まれた蓮くんに対してはきちんと育児をしていたという。
綾も、離乳食を手作りするなど、母親としてしっかりやっているように見えた。

ある時から、蓮くんを寝かしつけた後、気晴らしに綾が飲みに出るようになったという。両親がそばにいるという安心感もあり、夫はある程度それを認めていたようだ。
しかし、その頻度は増え、帰りもどんどん遅くなっていった。夫は妻である綾に対し、母親としての自覚を持つように、と諭したというが、綾の態度は収まる気配がなかった。

業を煮やした夫は綾の両親にも相談し、なんとか綾に改心してほしかったようだが、もともと「じい」「ばあ」と親のことを呼んでいた綾に対し、両親もどこか及び腰だったという。
普段から、少しでも両親が小言を言うと、綾はきつい口調で「うるせぇ!」と怒鳴り返すことはしょっちゅうで、親に対してなにごとも命令口調だった。

夫は結婚後、自身の給料20万円をすべて綾に預けていたが、綾はその中から世話になっている両親に対し、1円も渡すことはなかった。逆に、車を購入してもらうなど、経済的な援助も受けていた。
蓮くんの世話はいつからか綾の母親に任せきりとなり、夫との間でも険悪な雰囲気が立ち込めるようになっていた。

破綻

既に夫婦として壊れていたとはいえ、綾の「夜遊び」は度を越していた。
8時ころになると、派手な車が綾の自宅に乗り付けた。そこには男性がおり、綾は隠すこともなくその車に乗り込んだ。
夫によれば、それは夜遊びというより完全に男遊び、浮気だったという。

「交際していた時も浮気していたことがあった。しかも相手は僕の親友でした」

そう週刊誌の取材に答えた夫は、そんな綾にもはや蓮くんを任せられないと判断、蓮君を連れて離婚する決意をした。
しかし、本来遊びたい、蓮くんの面倒も見なかったはずの綾が、蓮くんを手放すことは断固として拒否した。
夫は親権を取るために調停に持ち込み、綾の生活態度や蓮くんの世話をしていないことなどを1年にわたって切々と訴えたが、調停委員らはみな、母親である綾の味方だった。
夫婦喧嘩の際、夫が綾に手を挙げたことが暴力(DV)とみなされたり、幼い子どもには母親の方が必要、そんな意見ばかりが出たという。
夫はこのままでは綾が息子を虐待しかねない、そこまで訴えたが、結局親権を得ることは出来なかった。

綾は離婚後も相変わらず蓮くんの世話は栄子さんに任せきりだったという。
近所の人らも、昼間蓮くんを連れているのは祖母の栄子さんで、綾の姿を見たことがない、あるいは家族で出かけている時でも、三郎さん夫婦と蓮くんが一緒にいて、離れたところに綾がいる、そんな風にしか見えていなかったと話す。
中には、綾がそこに住んでいることを知らない人がいたというのは先述の通りである。

時折見かける綾は、膝上のミニスカートなど派手な服装ばかりで、その格好で蓮くんの幼稚園の参観日に行くなどするため、栄子さんから「派手な格好は慎んで」と小言を言われていたという。

離婚した平成16年の夏ごろからは、熊谷市内のいくつかの会社で働いた後、事件当時は証券会社の電話オペレーターの職に就いていた。
職場での評判は特に悪いものはなかったが、仕事に必要な資格試験に連続して落ちていることを気にしていたという。

また、この頃綾にとって衝撃的な事件が起こった。
離婚後に交際していた中学時代の同級生が、交通事故で死亡してしまったのだ。
綾を知る人によれば、この頃から精神的に不安定な時期が続いていたようで、睡眠薬を処方されていた。
一方で、夜遊びや男遊びは激しさを増しており、金遣いの荒さも常軌を逸していた。

そんな不安定な綾に対し、交際相手らも離れていったようだ。
事件直前の平成18年の暮れ、綾は交際していた男性の財布から1万円を盗んだ(と交際相手は主張)。
その件で愛想をつかされ、別れ話へ発展してしまう。
取り縋った綾に対して、交際相手はメールには返事をせず、電話でも冷たくあしらったという。

その直後、冒頭の熊谷市の民家の軒先が燃える事件が起こった。

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