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いつもの風景
JR新宿駅9番ホーム。総武線上りのこのホームに、三鷹発津田沼行きの十両編成の電車を待つ人の列があった。
時刻は午前9時25分。朝のラッシュが少し落ち着いた、いつもと変わらない新宿駅の風景。
女性は出勤のためにたまたまホームの最前列に立っていた。周囲に人はたくさんいたが、特に気にも留めないのもいつものこと。
ふと、背後でなにやら揉め事のような男女の声が聞こえた。なにを言っているのかわからなかったが、女性が足早にホームを移動していくのが見えた。
さぁ、今日も一日頑張らなくちゃ。
電車がホームに入ってくる。周囲で列を作る人たちが気持ち、足を一歩踏み出したような気がした。
次の瞬間、ホームには悲鳴が響き渡った。
ホームの惨劇
昭和63年6月21日午前9時25分、JR新宿駅のホームで最前列にいた女性がホームに転落、電車に轢かれて死亡するという事故が起きた。
しかしそれはすぐさま事件だと判明。女性がホームに転落した一部始終を、後方の人々は見ていたのだ。男性客の一人が、すでに一人の男を取り押さえていた。男は直前に別の女性に対して何事かを言いながら絡んでおり、その女性が立ち去った後、最前列にいた別の女性に歩み寄ると背後からその肩の辺りを力いっぱいホームへと突き飛ばしたのだ。電車が入ってくるまさにそのタイミングだった。
女性は進入してきた電車の先頭車両部分にその顔面、頭部を激突させられる形になり、顔面頭部打撲に基づく頭蓋骨骨折を伴う頭蓋内損傷により、即死した。
殺害されたのは北区岩渕町在住の美術店店員、沼野俊子さん(当時46歳)。俊子さんは赤羽にある実家近くのマンションで一人暮らしをしていた。高齢の母親をいつも気にしており、週に3日は自宅に招いて一緒に過ごすなど、親思いの女性だった。
一方、俊子さんを突き落とした男は何者なのか。
男は葛飾区在住の無職・吉倉健司(仮名/当時40歳)。ホームに居合わせた男性(当時37歳)に取り押さえられていたが、酒の臭いをさせていた。
駆け付けた新宿署員に引き渡され逮捕された吉倉は、取り調べに対し
「仕事を断られて、ムシャクシャしたので、電車に乗っている間に、だれかを突き落としてやろうと思った」
と淡々と話したという。暴れたり、そういったことはなく、女性を殺害したとは思えないほどおとなしかった。
しかし、こんなことも話していた。
「殺したときには気分がすっとした」
吉倉は俊子さんを殺害する直前、別の女性に対して「突き落としてやる」と言いながら追いかけまわしていたという。その女性がホームを離れたために、標的をたまたま最前列にいた俊子さんに定めたのだ。
俊子さんは何ら落ち度もなく、いつものように見慣れた風景の中に溶け込むようにそこにいただけだった。
そして、何もわからぬまま、命を奪われてしまった。
卑怯極まりない無差別殺人であるにもかかわらず、男の実名は報道では出てこなかった。男には、通院歴があったのだ。
男のそれまで
ここでは先に述べたとおり、吉倉という仮名を使う。
吉倉は幼いころから両親らにもわかる知的な遅滞が見られたため、中学は葛飾区内の特殊学級に在籍、卒業後は高校へ進学しなかった。
自転車の部品工場に就職し、そこでは4年間働いていた。当初は特に問題があったわけではなかったが、大人になった吉倉が酒を覚えて以降、人生は転がるように堕ちていく。
本来ならば福祉的なサポートを受け、行政とつながりながら社会人としてやっていくべきところ、時代的なこともあったのか、吉倉に対して十分なサポートはなされていなかったようだ。裕福でなかった吉倉の実家でも、それは同じことだったようだ。
職場や日常生活でのトラブルの鬱憤を酒で晴らすようになった吉倉は、家庭内で暴力を振るうなど粗暴な点が目立ち始める。
痴漢、スリ、ひったくりなどの犯罪行為を繰り返し、昭和55年、32歳のころにはたまりかねた家族が病院へ入院させる事態にまで発展した。
精神病院に入院した吉倉には、アルコール依存症のほかに精神の面でも遅滞が見られること、また、その性格的な面でも短絡反応を起こしやすく自己中心的で幼児的な性格があると認められた。
ちなみに、知能指数は50~55と診断されている。
ただ、精神に遅滞があるとは言っても軽度であったことが、かえって吉倉を苦しめたという。普段から職場などで吉倉はその言動を馬鹿にされることもあった。吉倉自身、自分の知能が劣っていることを自覚していたといい、バカにされるたびに強いストレスにさらされていたのだ。
酒におぼれ、犯罪行為にまで手を染め、挙句入院しても病院内で暴力行為に及ぶなど、吉倉の社会生活適応能力は非常に低いと言わざるを得なかった。
しかし、時代のせいもあったのか、吉倉に対して適切な福祉のサポートは得られないまま、吉倉は問題を起こすたびに入退院を繰り返していた。
憂さ晴らし
昭和63年の2月10日に5度目の入院をした吉倉は、その年の6月19日から一週間の予定で外泊許可を得ていた。実家へ戻った吉倉は、ふと、この一週間の間に小遣い稼ぎをしようと思いつく。
そこで、以前働いたことのある会社が偶然アルバイトの募集をしていることを知り、さっそく電話で応募。早朝6時半ころに東新橋の汐留作業所へ面接に赴いた。
「吉倉さん、あんた酒飲んでるでしょう。酒臭いよ。しかもふらついてるじゃないか。」
吉倉は否定したが、体中に染み付いた酒の臭いと長年のアルコールの影響は隠せたものではなかった。
落胆して家に戻ろうとした吉倉は、こんなに朝早くに期待して出かけてきたのに、という思いにとらわれ、次第に苛立ちが強くなっていた。このまま家に帰っても面白くないと考え、乗り換えで降り立ったJR日暮里駅の売店で350の缶ビールを購入。
山手線内回り電車に乗ると、電車内でビールを飲みながら採用してくれなかったあの社員に対してふつふつと怒りを滾らせていた。
そしてそれは、その社員に対する殺意となって吉倉の心を埋め尽くしていた。
タバコを吸うため、JR新宿駅で降りた吉倉は、本気でその社員を殺してやろうと考えていたが、自分よりも体格の良いその社員を殺すのは難しいとも思っていた。
そこで吉倉が思いついたのは、自分よりも弱いであろう女性を代わりに殺す、ということだった。
朝の新宿駅第5ホームには、多くの人々が行きかっていた。その中で、確実に、簡単に殺す方法と言えば、電車が入ってくるタイミングでホームに突き落とすこと。
吉倉は行きかう女性、ホームで立っている女性を片っ端から品定めして、とうとう一人の女性に目を付けた。
「突き落としてやる!」
吉倉はそう言いながらその眼をつけた女性に近寄ったが、いち早く不審な気配を察知した女性は吉倉から逃げた。しばらく吉倉も追いかけていたが、ホームから離れてしまったことで断念。
しかしこの件で、吉倉の苛立ちはもうどうしようもないほど膨らんでいた。
殺してやる、突き落としてやる……
ちょうど駅構内には、電車が入ってくることを知らせるアナウンスが流れ、人々も吉倉の存在など気にも留めないでホームに立っている。
最前列近くまで歩み出た吉倉は目の前の女性の背中を、力いっぱい突き飛ばした。
裁判
当初吉倉には通院歴があったためか、報道でも名前は伏せられていた。
読売新聞の取材によれば、吉倉が入院していた八潮病院は当初、吉倉の病的酩酊(酒乱)のことは否定ていたという。
しかも、酒好き程度で病院で飲酒は認められず、比較的手のかからない患者だったとも述べていた。
ところがのちの調べでは、同じ病院の精神科でアルコール依存症と診断されていたことが判明。
さらに病的酩酊の状態にあった吉倉は、継続して病院で処方されていたシアナマイド(抗酒剤)を服用しており、その影響でアルコールの影響を受けやすい状態にもあったという。
加えて、短絡的思考の持ち主で、自己中心的なその性格と、その日の出来事などが相まって怒りを拡大、歪曲し、その苛立ちや怒りを確実に解消させるためには自分よりも体力、体格的に弱い「女性」を狙うという形になってしまった。
裁判では吉倉の当時の精神状態に争点が絞られた。
東京地裁の中野久利裁判長は、その吉倉の動機からの行動について、精神状態が正常であるというには必然性が脆弱、とした。
そもそも、数百人の人がいる中で「突き落としてやる」と言いながら女性を追い回すこと自体、常人では考えられない行為であること、また、取り押さえられた後も抵抗せずに「俺は八潮病院に入院してるんだ!病院に連絡してくれ。悪いなんて思ってない」などと話していたことなどから、自分が置かれている状況や行為の重大性をきちんと認識していたとは思い難い点などを不合理な点、とした。
そして、当時吉倉は少なくとも心神耗弱の状態にあったことを認定、吉倉に対して懲役7年の判決を言い渡した。
熟成された社会とは
何の落ち度もない人が、ただその瞬間その場所にいたというだけで、女というだけで、目に留まったというだけで殺害されるという、大変恐ろしい事件であるにもかかわらず、当時は報道された量も少なく、その後の報道もない。
その少ない報道を見ても、どれもが殺害された俊子さんの無念よりも、不遇な環境で福祉からはみ出してしまった吉倉に対して配慮したような中身だった。
朝日新聞社はその紙上で、「福祉のレールから外れた」と表現。俊子さんのことには全く触れずに、福祉関係者や精神衛生の専門家らの言葉として「危険なものはどこかに閉じ込めておけ」という議論になるのを恐れるとしている。
それは成熟した社会ではなく、短絡的、差別的であるとし、ハンディキャップを持つ人々を仲間とし、援助することが成熟した社会の条件、とまとめた。
たしかに、精神に遅滞があるから、知能が低いから、発達障害だからというそれだけの理由でシャットアウトするのは間違いであるし、できる限り受け入れていくというのは当たり前の話だ。
この事件でも、吉倉に対しきめ細かな福祉の支えや地域の人々の理解があれば防げた、というのもわからなくはない。
しかし、吉倉が入院していれば、俊子さんがあの日殺害されることはなかったとも思う。
成熟した社会を目指す中で、自分が、家族が俊子さんだったら。もちろん、吉倉、その家族の立場だったらと考えることも必要だ。
が、何の落ち度もない被害者がいる時点で、まずその何の落ち度もない被害者に重きを置いて考える社会であってほしいと思う。
そこが二の次三の次になるような社会は、決して成熟した社会とは言えないのではないか。
吉倉の年老いた両親は、その貧しい家計の中から10万円を香典として俊子さんの霊前にささげることを許された。精一杯の慰謝だったのだろう、それが伝わったから、遺族に受け入れられたのだと思われる。
しかし俊子さんの兄は、「悔しくてしかたない」と俊子さんの無念に思いを馳せた。
罪を犯した本来守られるべき弱者と、殺害される落ち度など全くない被害者。
どれだけ心神喪失だろうが心神耗弱だろうが精神、知的に遅滞があろうが、「だから仕方ないよね」で被害者そっちのけの「こうあるべき社会」論など、私は正直どうでもいい。
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参考文献
読売新聞社 昭和63年6月21日夕刊
朝日新聞社 昭和63年6月22日東京朝刊
福祉のレール外れ駅ホーム殺人(ニュース三面鏡)朝日新聞社
昭和63年6月24日東京朝刊
平成1年11月30日/東京地方裁判所/刑事第13部/判決/昭和63年(合わ)230号
D1-Law