子供を産んだらダメですか~ふたつの妊婦殺害事件~

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妊娠は多くの人々にとっては本来喜ばしいことである。
昔は結婚前の妊娠などは眉を顰められることも少なくなかったが、最近では年配者でもあまり気にしなくなっているように思えるし、そもそも妊娠しても結婚という形を取らない人々もいる。

それは女性が十分な経済力を持っていて、むしろ女性が結婚を望まないというケースもあるし、事情で子供の父親と法的に結婚できないというケースもある。

そして後者の場合、その結論が双方納得の上でない場合が少なくない。

自分の子を宿した女性に対する、ある男たちの「終いのつけ方」。

富山の男

平成10年8月、富山県立山町に暮らす女性が突如姿を消した。
女性は派遣会社勤務の戸田真由子さん(仮名/当時35歳)。真由子さんは両親と妹の4人で暮らしていたが、8月29日に自分の車で出かけて以降、家に戻っていなかった。
家族は9月1日に捜索願を上市署に提出、人間関係のトラブルや会社でのトラブルなどのほか、交通事故などの線も含め捜査していたものの、これといったものがなかった。

事故の線は早々になくなり、警察も事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を続け、家族や知人らも自宅周辺の山や林など、思いつく場所を丹念に捜索していたが、真由子さんもその家族もあまり近隣との付き合いがなかったこともあって真由子さんの捜索は難航していた。

噂の男

真由子さんは県内の高校を卒業した後、当時は富山市内の人材派遣会社に登録して数か月前からブティックで店員として勤務していたという。
もともと口数は多くなかったというが、それでもすらりとした目をひく美人だという人が多かった。仕事先での評判もまじめで問題はなかった。

季節が秋に変わりゆくころになっても、真由子さんの行方は一向にわからないままだったが、実は上市署はある男の存在に目をつけていた。

男は同じ立山町で商売をしており、真由子さんのみならず家族ともかなり前からの知り合いだったという。
警察は男からも事情を聞いていたが、その男は「真由子さんとは8月23日に会ったのが最後で以降は会っていない」と話していた。
男は事情聴取された後も、知人の一人として捜索に加わり、家族らに対しても真剣に真由子さんの行方を案じる態度で接していたが、警察は真由子さんの家族に対し、「あの男とはあまり接触しない方がいい」と忠告していた。

実は真由子さんはごく親しい人と妹に、ある事実を告げていた。

それは、「妊娠」だった。

氷漬けの遺体

警察は早い段階でその事実を掴んでいたという。
1度目の事情聴取でその男は何食わぬ顔で無関係を装っていたが、警察が真由子さんの妹から真由子さんとその男が長く不倫関係にあるという情報をつかんだことで、男が真由子さん失踪に関わっている可能性が高いとみた。

2度目、そして3度目の事情聴取の後、男は取調室の机に手をつき、「私がやりました」と白状した。

9月20日、男の自供をもとに捜査員が向かったのは、男が経営する商店。シャッターを開けると、そこには大型の冷凍庫があった。
捜査員がその冷凍庫を開けると、そこには段ボールに入れられた女性の遺体があった。男はその遺体が真由子さんであると告げた。

真由子さんの遺体を冷凍庫に遺棄したとして逮捕されたのは、立山町の自営業・村田義則(仮名/当時44歳)。
村田は自身の仕事の関係で知り合った真由子さんと不倫関係にあり、妊娠を告げられたことでパニックになり、真由子さんの首を手で絞めて殺害したことも認めた。

十年の歳月

遺体は凍っていたこともあり、正確な死亡推定時刻を割り出すのは難しかったが、村田の自供によれば8月29日午後9時半ころ、真由子さんと会ったあと、真由子さんの車でドライブがてら滑川市内や立山町内の山間部を当てもなく走っていたところ、その内に真由子さんと口論となったことでとっさに真由子さんの首を絞めて殺害したとのことだった。

村田は当然、真由子さんの妊娠を知っており、口論の原因も当然そのことが関係していた。
村田によれば真由子さんが妊娠したことで不倫が自分の家族に発覚してしまうと恐れ、この夜なんとか中絶をしてほしいと説得するつもりだったという。
村田と真由子さんは10年の付き合いであり、推測にはなるが村田の中でも真由子さんが「不倫」の関係にある程度納得していると考えていたのかもしれない。だからこそ、真由子さんとて子供を産むとなればそれ相応の責任を負う羽目になるわけで、そのあたりをチラつかせて中絶する方向へ話をすすめようとしたのではないか。

ところが真由子さんはそのドライブの間、村田の心中を知ってか知らずか、出産するつもりであると村田に告げた。
この十年、わがまま一つ、不平一つ言わなかったという真由子さんの、ゆるぎない決意がそこにあった。

村田は真由子さんに中絶してほしいと言えなかったという。

一方でこのまま真由子さんが出産したらどうなるか。未婚の真由子さんが子どもを産めば、父親が誰なのかという噂はこの小さな町を駆け巡るだろう。
村田はこの町で四代つづく商店主で、数年前には商工会の青年部の役員もし、酒類や氷、アイスクリームなどの卸売りをしている関係で町中の人が村田の店はもちろん、村田のことも知っていた。
さらに、村田と真由子さんの関係はある程度の人たちは知っていたという。

そうなれば、真由子さんの子の父親は村田商店の旦那じゃないのか。そういう噂が流れるのは間違いなく、そしてそれは早いうちに村田の家族、妻の耳にも入るだろう。
真実は分からないが、村田と真由子さんの不倫について妻は知らなかったようだ。いや、知っていたかもしれないが、近所の人からは家庭的で善き夫、父親に見られていたという村田だから、妻にしてみればすべてを知りながら目をつむっていたのかもしれない。

村田は、家族を取った。

懲役12年

平成10年12月から始まった裁判で、村田は起訴事実を全面的に認めた。
あの夜、村田は真由子さんと5時間もドライブをしていたという。その間、中絶を切り出すことは出来なかったものの、出産を望む真由子さんにはっきりとした返事もできていなかった。
翌30日の午前2時、真由子さん宅にほど近い陶芸施設の駐車場へ戻ったところで、真由子さんは村田にはっきりするように迫ったという。

報道によれば、その際、真由子さんは「結婚は無理でも子供は産みたい」と話したというが、村田によれば「(村田の)家族に話す」とも言われたのだという。

もはや中絶して済むレベルではなかった。真由子さんが村田の子を妊娠した以上、村田が無傷で済む道はなかったのだ。

本来ならば、腹をくくって離婚されることを覚悟で妻にすべてを話す、とにかく第三者から妻の耳に入るよりも、自分の口で説明するのが結果としては一番なのだが、村田にその度胸も覚悟もなかった。

裁判で村田は、「真由子さんとも一緒にいたかったし、同時に家族も失いたくなかった」と述べたが、結果として真由子さんとおなかの子を捨てたのだ。

冒頭陳述では、真由子さんから相談されていた妹の調書が読み上げられた。

「子どもを産みたいという姉の夢を打ち砕き、一人のうのうと生きているなんて許せない」(北國新聞社 連載企画/追跡とやま’98(6)、「女性店員殺人事件」、10年間の不倫の果てに、家庭崩壊恐れて犯行 1998.12.25 朝刊より引用)

その言葉に、村田はずっと泣いていたという。

家族を失いたくないが為のとっさの犯行とはいえ、犯行後の村田は冷静だった。
真由子さんを腐敗させずに隠蔽し続けるために、村田の経営する店の冷凍設備はうってつけだった。
その冷凍庫のカギは村田しか持っていない。
真由子さんを段ボールに入れ、冷凍庫に閉じ込めると、真由子さんの車を富山市内まで運転してJR富山駅近くに放置した。
その後は、失踪した真由子さんを心配する知人を装い、捜索活動にも熱心に協力していた。
しかもその際、一緒に捜索していた真由子さんの妹に交通費を渡すために自分の店に呼び出していた。そして村田は、何も知らない真由子さんの妹に、姉の遺体が入った冷凍庫の前で、交通費を手渡していたのだ。
必死で姉を探していた妹は、まさかあの時すぐそばに姉がいたなど夢にも思わなかったろうし、その事実を知ったその心を思うとたまらない。

加えて先に述べたとおり、警察の調べにも2度、しらを切った。

検察は自己中心的な犯行であることに加え、この殺害後の偽装工作が冷酷で悪質とし、懲役14年を求刑。弁護側は犯行は衝動的なもので、村田が罪を認め反省しているとして減刑を求めた。

富山地裁の米山正明裁判長は、短絡的で身勝手極まりない犯行として懲役12年を言い渡した。減刑の理由は、遺族に謝罪していること、一応反省の態度を示していることなどを挙げた。

真由子さんは結婚は望んでいなかった。判決でも、裁判長は真由子さんが村田に迷惑を掛けずに育てていこうとしていたと認定している。

が、妹によれば失踪直前、真由子さんの妊娠を知った妹が不倫を清算するよう忠告した際、真由子さんは村田と結婚すると言い張ったという。
普通に考えて、同じ町で暮らしていて10年も不倫状態で多くの知人らがその事実を知っている状態で、迷惑を掛けずに産み育てていくのは無理があるとも思う。
真由子さんとて、村田の妻からすれば泥棒猫である。

が、妊娠というのは、強い。すでに妻との間に子供がいたとしても、たとえ不法行為で訴えられようとも、産む決意をしている母は強い。一人ではないから。

しかしそれがかえって、優柔不断でおいしいとこ取りしたい男にとっては、殺害してでも黙らせるしかないという考えに陥る要因になるのかもしれない。

鎌倉の男

鎌倉のトシちゃん。
事件が報じられたのち、その男がそう呼ばれていたことも報道された。
トシちゃん、と言えば往年のビッグアイドル(?)田原俊彦の愛称であることは昭和生まれの人ならばピンとくるが、男もどうやらかなりの男前だったとみられる。

その鎌倉のトシちゃんは、女を殺して自宅の庭に埋めていた。

不審な手紙

平成16年12月、新潟県内の家に一通の手紙が届いた。
それは現在神奈川で生活している33歳になる娘からのものだったが、その娘は12月21日から行方が分からなくなっていた。
そんな中届いた手紙。受け取った家族らは違和感を抱いていた。

「おなかの子どもは彼ではなく別の男性の子どもで、その男性の所へ行きます。パパ、ママ、心配しないで」

要約するとそのような文面だった。
差出人である娘は確かに現在妊娠後期に入っており、これまでも毎月神奈川から新潟へ帰省しては、母親らと出産に向けた準備や買い物をしていたという。
すでに3人、孫がいる両親だったが今度は初の女の子だとわかっていた。それもうれしくて、家族は出産を心待ちにしていた。

ただ、懸念材料があった。

おなかの子の父親はその時点で妻子ある身だったのだ。が、夫婦間はすでに壊れていて、現在離婚協議中と聞いていたし、娘は近々その男性と一緒に暮らすための新居も探していた。
その上、年末にはふたりして新潟へ結婚の挨拶に来ることにもなっていたため、今回の失踪と、おなかの子がその男性の子ではない、というその手紙はあまりにも唐突で不自然だった。

娘の失踪は当然おなかの子の父親である男性も把握しており、その手紙が届いたのちには男性自ら新潟の実家へやってきた。
男性もまるで失踪には思い当たることがない様子だったが、失踪直前に女性が一人で新潟へ行くと話していたこと、そして失踪後にその男性にもメールが届いていたと話した。

「本当の父親はあなたではありません。あなたを失いたくなくて、うそをつきました」

男性に送られたメールには、両親への手紙同様、おなかの子が別の男性との子供である告白がされていた。

男性は捜索願を出すと言って、そのために手紙を警察に提出したいと申し出た。両親は手紙をその男性に託したものの、釈然としない思いでいた。

文面には、「パパ、ママ」という単語があったが、娘は両親のことをパパ、ママと呼んだことはなかったからだ。

庭先の遺体

捜索願を出す、と話していたにもかかわらず、男性が捜索願を出すことはなかった。
不信感を募らせたのは、失踪した女性の姉だった。
平成17年1月、姉は女性が暮らしていた藤沢市を管轄する藤沢署に捜索願を出す。

当然、交際相手でお腹の子どもの父親とされていたあの男性のもとにも警察が事情を聞きに訪れていた。

男性は藤沢市内のアパートで女性と同居していたという話だったが、警察が事情を聞きに行ったときには鎌倉市に転居し、さらには妻子と両親あわせて6人で生活していた。
妻とは離婚協議中ではなかったのか?
由比ガ浜に近いその家は昨年の夏に二世帯住宅として新築されたものだったというが、その時点で男性は交際相手が妊娠していることは知っていたと思われる。

新築の二世帯住宅で妻子らと普通に生活していながら、一方では妊娠した交際相手の女性と結婚の挨拶に行こうとしていたというのか……

警察は任意で男性から事情を聞いていたが、4月25日、県警捜査一課と藤沢署は女性を埋めたという証言を得たことから男性を死体遺棄容疑で逮捕した。

遺体は、その家の庭先に埋められていた。

遺体は深さ約80センチのところにビニールシートで覆われて埋められており、さらにその上をコンクリートで固め、物置が置かれていたという。
当初は埋めただけだったようだが、1月下旬に改めてコンクリートで表面を固めていた。

遺体で発見されたのは、藤沢市の無職・近藤智子さん(当時33歳)。智子さんは妊娠八ヶ月だった。

一方、男性は智子さんを殺害したことも自供。その後殺人容疑でも逮捕となった。逮捕されたのは「鎌倉のトシちゃん」こと、石井俊宏(当時34歳)。

石井によれば、智子さんから結婚を迫られ殺害したということだった。

二世帯住宅と結婚指輪

住宅関連会社に勤務していた石井は、取引先のガス器具会社で仕事をしていた智子さんと事件が起きる4年ほど前から交際していた。藤沢市内にある智子さんのアパートで週に3回は寝泊まりしていたというが、事件が起きる5か月前の7月には先に述べた通り、鎌倉市内に新築した二世帯住宅に両親と妻と子どもとの計6人で生活し始めており、そちらが石井の「本当の暮らし」だった。

智子さんと交際し始めた時点で妻子がいたかどうかははっきりしてはいないが、交際期間と妻との間に子供が二人いた点を考えれば智子さんと交際し始めたときにはすでに妻子がいた、少なくとも結婚していたとみるのが普通だろう。

智子さんが妊娠を告げたのはまさに石井が鎌倉に引っ越した7月のことだった。
石井は智子さんに対して結婚指輪を贈り、「妻とは離婚する約束になっている」と話した。
同時に今回の妊娠は諦めてほしい、とも告げていた。が、智子さんは拒否。
智子さんは33歳。友達の子供をかわいがったり、旅行などではその子どもへのお土産を忘れないなど、子供好きだった。

新潟の家族にも妊娠は報告していた。当然、石井のことも話していたし、石井が現時点で既婚者であることも話していた。
当初は反対していた両親も、智子さんが一人で育てる覚悟があると知り、そこまで思うならばと応援することに決めていた。
以降、実家に帰省して母親とベビー用品などを買うことを楽しみにしていたという。

一方の石井は、中絶を断られて以降も智子さん宅に泊っていくのは変わらなかった。家族にどう言い繕っていたのかは不明だが、智子さんの前では離婚に向けて調整中であるという態度を見せ続けていた。
が、この頃から石井は智子さんをどうにかして「黙らせる」ことを考えていた。
智子さんが寝静まったのを見計らって練炭自殺を装って殺害することも計画していたという。

夏が過ぎ、秋が過ぎ、智子さんは中絶可能な期間を超え、妊娠8カ月になっていた。

12月20日、藤沢の智子さん宅にいた石井は、その日も智子さんから結婚を迫られたという。(一部報道では、結婚できないのなら慰謝料をとるといった発言が智子さんからあったというものもあるが、事実だとしてもごく当たり前の発言でしかない。)
石井は頑なな智子さんを前にこのままでは家庭を壊されてしまうことを恐れ、智子さんを絞殺した。
その後、遺体を寝室の布団の上に放置したものの、10日後の12月29日の早朝、自身の車で遺体をシートに包んで自宅まで移動させると、自宅敷地の隅に深さ80センチの穴を掘り、智子さんの遺体を埋めた。
そして約一か月には、その部分をコンクリートで固めて物置を設置したのだった。

被害者への視点がない

裁判では智子さん殺害と遺棄以外に、別の罪も明らかになった。
石井は智子さんを殺害し10日間放置したあげくに自宅の庭に埋めただけでなく、さらにその一週間もたたない平成17年の1月5日、智子さんのパソコンを使用して智子さんの口座から自分の口座に90万円、その2日後の1月7日に50万円を不正に送金していたのだ。
信じられない男だった。4年も交際した女性を殺害し、その遺体を放置するだけでもおぞましい。多くは、その流れで遺棄までもっていくし、事情で無理だったとしても殺害現場、ましてや遺体がある場所にあらためて近づくのはなかなか困難に思うのだ。

しかし石井は遺棄するためだけでなく、その後金を奪うために2度もその部屋に行っている。
何も感じなかったのか。思い出もある場所だろうし、どんな神経をしていればここまで智子さんを侮辱する行為に及べるのか。

その石井の本性は裁判長からも苦言を呈された。

素直に起訴事実を認めた石井だったが、被告人質問の際にすでに離婚していた元妻の調書が読み上げられた。
元妻も智子さん同様、石井に裏切られ深く傷つけられた人である。信じていた夫に何年も不倫され、二重生活をされ、挙句、妊娠させた愛人を殺害して自分たちの新居に埋められていたのだ。
家族も家も自尊心もなにもかも、元妻は奪われた。

智子さんに恨み言もあったかもしれないが、元妻は「殺すなら私を殺せばよかった」と話したという。
それを弁護人が読み上げると、石井は泣きながら

「誰かが死ななければならないなら私が死ぬべきでした。息子もこんな父を一生恨んで暮らすことになる。どうして去年、人を子を思う気持ちを思い出せなかったのか、悔しくてなりません」(平成17年9月13日 朝日新聞東京地方版/神奈川)

と言った。
横浜地裁の山崎学裁判長は、

「その(涙の)中に被害者やおなかの子のことも入れるべきだと思う。君の自己中心的なところが出発点じゃないか」(引用 同上)

と石井を諭したといい、石井はそれに対して「十分にわかります」と答えた。

わかっていない。石井の心には、智子さんはおろかそのおなかにいた小さな命がまったくなかった。

そもそも誰かが死ななければならないような状況ですらなかった。自分が蒔いた種を、男として人間として、きちんと責任を果たせばよかったのだ。もちろん、どちらかは、あるいはすべてを失うかもしれない。それでも、誰も死なないという結末はあった。
おなかの子どもを含め、厳しい状況を覚悟したなら、誰も死なずに済んだのだ。

それをしたくなかったから、誰かに死んでもらうしかなかった。

石井は懲役18年を言い渡された。
満期出所でももう出所しているだろう。智子さんと我が子を殺したその後の人生で、失わずに済んだものはあったのだろうか。

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参考文献

読売新聞社 平成17年4月26日東京朝刊・夕刊、28日、5月15日、8月11日、11月29日東京朝刊、5月13日東京夕刊
中日新聞社 平成17年4月26日夕刊
北國新聞社 平成10年9月22日、23日、12月9日、25日、平成11年1月31日、2月17日、3月24日朝刊、
朝日新聞社 平成10年9月22日東京地方版/富山