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「被告らの言葉は、全部薄っぺらな言い訳。碧ちゃんは施設で多くの人に囲まれ愛されて育った。一緒に育った子供たちの気持ちも酌んでほしい。」
涙声だった。前橋地裁の証言台に立った女性は、愛らしい、元気だったころのあの子を思って泣いた。
その子は、全身に皮下出血が広がり、さらには頭蓋骨内にも損傷があった。真冬の風呂場で水風呂につけられ、そのまま裸で2時間正座させられ、息絶えた。
笑顔で両親と手を繋いで施設を出たその子は1か月後、わずか3年と5カ月という短すぎる一生を終えた。
モップで殴打、水風呂に正座 3歳児虐待死で夫婦逮捕/群馬・渋川署
群馬県警渋川署は8日、3歳の長男をモップで殴るなど虐待を繰り返したとして、同県渋川市石原、無職島内喜朗(仮名/25)と妻、さやか(仮名/28)両容疑者を傷害容疑で逮捕した。長男は7日夜に死亡し、司法解剖の結果、死因は全身を殴られたことによる外傷性ショックと判明。同署は殺人容疑に切り替えて送検する方針だ。
調べによると、両容疑者は7日午後8時ごろから同11時ごろにかけて、アパート2階の自宅で、長男の碧(へき)君(3)の頭や顔をモップの鉄製の柄で殴ったり、水を張った浴槽内に裸で正座させたりした疑い。碧君がぐったりしたため、2人は119番通報し、碧君は病院に運ばれたが、同11時半ごろ、死亡が確認された。碧君は全身あざだらけだったという。両容疑者は「言うことを聞かないので、しつけのためにやった」と供述している。
読売新聞 平成18年2月9日東京朝刊
その家族
その一家が越してきたのは平成17年の秋。よくある2階建てのコーポタイプのその部屋で、事件は起きていた。
JR渋川駅の南西、渋川市役所の南に位置する住宅街の中にその家はあった。
周囲は住宅と田畑が混ざり合い、個人商店などはあるが比較的静かな環境。ただ大通りまでもすぐで、便の良い場所だった。
夫婦と思われる若い男女は、近所づきあいはほとんどなかったという。ましてや、その夫婦に幼い子供がいたことなどは、知らない人がほとんどだった。
平成17年の末、夫婦と子供を見かけた人がいた。夫婦は幼い子供と手をつなぎ、3人とも仲よさそうに歩いていたという。どこから見ても、親子に見えた。
しかしその約1か月後には、その子は苛烈な虐待の末に命を落とすことになる。
平成18年2月7日夜、その家から119番通報が入った。救急隊員が駆け付けると、2~3歳の男の子が意識不明の状態だった。その後、懸命の救命処置が施されたが、間もなく死亡が確認された。
病院はその男の子の全身の状態から警察に虐待疑いで通報。群馬県警渋川署が両親とみられる男女に話を聞いたところ、しつけのつもりで暴行を加えたことを認めたため傷害容疑で逮捕した。
が、その様態があまりにもひどいこと、明らかにしつけの範疇を超えており、そもそも真冬に水風呂に幼児をつけるなど「死んでも構わない」という未必の故意があったとして翌日には殺人容疑で送検した。
事件の夜の気温は約7℃、水風呂に入れられる前には1時間にわたって殴る蹴る、さらには金属製のモップの柄でも殴られており、死因は全身打撃による外傷性ショック死だった。
死亡したのは、島内 碧(へき)ちゃん。
逮捕されたのは無職島内喜朗(仮名/当時25)と妻さやか(仮名/当時28)だった。
それまで
碧ちゃんが生まれたのは平成14年、場所は神奈川県厚木市だった。喜朗とさやかはまだ若く、経済的な不安が大きかったこともあって出産した病院を通じて厚木児童相談所に相談していた。
病院を通じての相談だったこともあってか、碧ちゃんは相談から1週間後には藤沢の乳児院へに預けられた。両親と施設との間でどのような話があったのかは不明だが、喜朗・さやか夫婦はその後大阪府摂津市へ転居した。が、なぜか10日後には大阪府内の別の市へ転居している。
平成15年のクリスマスイブの日、喜朗とさやかは碧ちゃんに会うため乳児院にやってきたが、その際に乳児院に対してクレームを入れたという。
平成16年9月、碧ちゃんは乳児院から大磯町の養護施設に移り、翌年の平成17年8月に喜朗とさやかが面会に来た際には、生活が安定してきたので碧ちゃんを引き取りたいという意向を示していた。
厚木児童相談所は引き取りの準備として12月21日から1週間の予定で碧ちゃんの一時帰宅を許可。碧ちゃん自身も、喜朗とさやかの面会を喜んでおり、児童相談所の職員の目から見ても、3人の関係は良好に見えていた。
しかし、碧ちゃんが施設に戻る前日の12月27日、児童相談所の職員が喜朗に連絡を取ったところ、喜朗が一時外泊の延長を申し出たという。本来ならば児童相談所全体に共有し、検討してから可否を決めるところ、担当者と組織との間の認識にずれがあり、結果として児童相談所として許可を出したとまでは言えない状況下で外泊の延長は認められてしまった。
年が明けた1月4日、児相の職員が再度連絡すると「1月25日まで延長してほしい」と言われたという。理由としては、仕事が忙しく神奈川へ行けない、そういったことも話していた。
児童相談所は、施設へ戻る火が決まったら連絡するように、と告げたが、その日以降、喜朗とさやかに連絡が取れなくなった。
その頃、アパートの周辺では切り裂くような子供の悲鳴、泣き声を聞いた住民がいた。駄々をこねているとか、そういった泣き方ではなく、怯えるような泣き方が気になったという。
児童相談所は連絡が取れなくなったことで組織として動かねばという話し合いがあったというが、行動に移すより前に事件が起きてしまった。
いい親に
喜朗とさやかの行動を見れば、第一段階としては間違っていない。碧ちゃんが生まれるまでは婚姻しておらず、碧ちゃんが誕生したことで婚姻した。
それでも経済的な不安があった(という理由が本当かどうかは別として)ということを病院に相談し、子供にとって良い選択をしている。
人に相談せず、頼らず、無責任に生活して子供を悲惨な目に遭わせるよりもよほどまともな判断である。
その後、まずは自分たちの生活を立て直そうとしたかどうかも別として、それでもふたりは碧ちゃんを引き取ろうと考えた。そこには子供手当などをあてにして、という輩も少なくないが、実は引き取ろうと思った背景にはさやかの親が死亡し、800万円の遺産をさやかがうけとったということがあった。
800万。それをもとにすれば、碧ちゃんを引き取るために必要な環境づくりも出来るし、さやかがしばらく仕事をセーブし碧ちゃんにつきっきりになったとしても、喜朗が仕事をしてごく普通の給与をもらえればやっていける。
碧ちゃんのそばにいたいからという理由ではなかったかもしれないが、さやかは在宅でも出来るイラストレーターの仕事をしていたようだ。
そのために施設に面会に訪れた際も、ふたりは大きな袋にいろんな知育玩具や絵本、新品の靴や洋服などを持参していたという。碧ちゃんも喜んでいた。
施設の職員に対しても、碧ちゃんへの接し方などを熱心に聞き取るさやかの姿があった。施設の庭で一緒に遊ぶ喜朗と碧ちゃんも、なんの問題もなかった。
碧ちゃんは「お家に帰る」ということを子供ながらに想像し、喜んでいたという。それは施設で健全に育てられていたからこそ持ちえた感情だろう。
施設としてもそもそも碧ちゃんは虐待やネグレクトで施設に来たわけでもない。喜朗とさやかに託された子だった。
きっと大丈夫。
笑顔で施設を出た3人を見送った職員たちは、このまま碧ちゃんと会えなくなるなど、思いもしなかったろう。
なつかない子
自宅に戻った碧ちゃんは、当初は上手くいっていた。喜朗とさやかのなかにも、碧ちゃんを気遣い、なんとかうまくやっていこうという気持ちが強かったろうし、だからこそ少々の碧ちゃんのわがままは受け入れることも出来ていた。
しかし彼らは碧ちゃんとこれまで年1の割合でたった4回しか会っていなかったのだ、血のつながりがあるとはいえ幼い碧ちゃんにとってふたりをすんなり信用できるわけがなかった。
家での生活の中で、碧ちゃんは3歳児であれば当然のおもらしや食べこぼしなどがあった。3歳児。うちの息子は4歳直前までおむつが取れなかったし、食事だってぽろぽろこぼしたり好き嫌いを言ったり、そんなことは当たり前だった。
しかしふたりはそんなことを知らなかった。いや、知っていても、親としてきちんとしつけなければならないと思っていた。そしてなにより、その子供へのしつけというのは犬より難しいし思うようにいかないのが当たり前なのだ、どこの親も子もそうなのだということをわかっていなかった。
碧ちゃんが粗相をするたび、ふたりは叱った。碧ちゃんは「ごめんなさい」そう言うと思っていた。しかし碧ちゃんは謝れなかったという。そこを教えてやればよかったのだが、ふたりには謝れない碧ちゃんが反抗的に見えてしまった。碧ちゃんからすれば、いわゆる「お試し行動」だった可能性もある。
言い聞かせがうまくいかないと、どちらからともなく碧ちゃんを叩くようになった。泣き叫ぶ碧ちゃんに、苛立ちが募る。
ふたりには、とにかくまだ何もかもが早かった。2月になるころには、思い通りに育ってくれない碧ちゃんを邪魔だと思い始めていた。
裁判
前橋地裁で行われた裁判では、2月7日の暴行のきっかけについても明かされた。
検察によれば、2月7日にさやかが外出するため碧ちゃんに行ってくるね、と言ったというが、その際、碧ちゃんがきちんとさやかの方に顔を向けずに手だけ振ったことに「目つきが気に入らない」と憤慨。
喜朗に対してお仕置きしてほしいと告げた。喜朗はまた碧ちゃんが困らせていると思い、殴る蹴るの暴行を加えたという。
後にさやかも暴行に加わり、碧ちゃんが泣きながらごめんなさいを何度言っても、それが止むことはなかった。
そして、その勢いで碧ちゃんを裸にし水風呂の中に正座させ、2時間にわたり放置したのだった。
ふたりは起訴内容を認め、「子育ての仕方を相談する人がいなかった。暴行については、途中からしつけなんだと自分に言い聞かせていた。やりすぎとは思わなかった」と述べた。
検察は殺人罪から傷害致死に切り替えての起訴だったが、それでも喜朗に対して懲役13年、さやかに対しては懲役12年を求刑していた。傷害致死の上限が20年なので結構重い。一向に減らない児童虐待、一昔前なら3~4年といった求刑もざらだったが殺人に等しい行為とみれば強気の求刑も理解できた。
前橋地裁は、「愛情を注がれたはずの両親から暴行を受け続けた長男が、
生前味わわされた精神的苦痛は極めて大きい」と非難したが、その上で両被告の生育歴や親との関係性、現在では反省しているという情状を考慮し、喜朗に懲役7年、さやかには懲役6年6月を言い渡した。
軽過ぎか、重過ぎか
検察は量刑不当で控訴した。
証言台に立った藤沢の乳児院の職員も、ここまで軽いとは驚いた、悔しく悲しいと判決に対して憤りを隠さなかった。碧ちゃんは全身打撲の症状のほかに、凍死の際に生じるような症状も出ていたという。あまりにもひどい。
検察は控訴審において、「子育てに努力し苦悩した事案とは異なる。預かった他人の子供を虐待して殺人行為に及んだに等しい」と強めの主張を行った。真摯に反省の態度を見せていたふたりではあったが、碧ちゃんを水風呂に放置した2時間の間、ネットゲームやネットサーフィンに興じていたこともわかっていた。しつけというより、碧ちゃんのことを煩わしい存在だと思っていたのではないか。
しかし東京高裁は一審を支持し控訴棄却。理由として、ふたりが最初は碧ちゃんを引き取ることを喜んでいたことや、それが憎しみに変化した背景には誰にも相談できないというような閉鎖的な環境がいくつか重なった面があること、加えて行政側の不備が事態悪化を招いたことも否めず、両親の罪が重いことは言うまでもないがだからと言って両親だけを非難して終わっていいとも言えない、としている。
たしかに、厚木児童相談所の対応は結果から見れば最悪だった。生まれて10日で別れた親子。年に一度の割合で3年の間合計4回しか面会していない、にもかかわらず、収入面の改善という理由での引き取りに応じ、通常ならば時間をかけて慣らして段階を経て外泊へ至るのに、3月までに自宅へ戻すというあまりに早急な目標を前提にことをすすめていた。
さらに、あの勢田恭一君の事件でもあったように、施設に戻る期日を守らないというのはどんな背景があろうとも危険である。まともな親ならその約束は守るし、守る前提で予定を組む。戻せないなどという事情は発生し得ないのだ。戻さなければならないのだ。
なのに安易にその申し出を受けたのは絶対に間違っている。せめて群馬へすっ飛んで行って碧ちゃんを確認すべきだし、それが出来るなら施設に連れ戻すべきだ。
しかもその後連絡が取れなくなったにもかかわらず、即座に職員を家庭訪問させるとかそういうこともしていない。2月7日より1日でも早く碧ちゃんに会えていれば、連れ戻していれば、碧ちゃんは死ななかったし、喜朗とさやかが碧ちゃんを殺すこともなかった。
もちろん、現場の意見で言えば圧倒的に職員数が不足しているだろうし、手続きを経なければ動けない、そういうこともあるだろう。親との関係性を悪くしたくない、そういう思いもあるだろう。しかしそもそもそんなことでこじれるような親のもとに子供を帰していいわけがないのだ。
そういった行政側の不手際がなかったら、碧ちゃんが死亡するという事態は避けられた可能性がある以上、両親だけの罪を糾弾して終わりでいいのか、そう裁判所が判断するのも無理はないとも言える。
誤解のないようにだが、この判決(量刑)はほかの虐待事件に比べて軽すぎるわけではない。一方で求刑はこの当時でいえば重かった。
いい親になる前に
喜朗とさやかは詳細は不明だが自身の実家との関係がよくなかったという。そこには、ふたりとも親から虐待を受けていたと思われるエピソードがあると裁判で弁護士が証言していた。
「実家からは逃げ続けていた」
摂津市に引っ越した後わずか10日で別の市へ越しているのも、実家とのなにかが関係していたのかもしれない。同じように、前橋に越した後すぐに渋川市へ転居していて、厚木児童相談所は渋川市への転居は知らなかったという。
碧ちゃんが自宅に戻って3日目、さやかは児童相談所へ電話を入れた。食事の様子や便の状態などの確認だったという。
そういうことも、なにが普通なのか、さやかも喜朗も知るはずがないのだ、経験がないのだから。普通に考えて、子育て未経験者に突然子供を、自分のことを自分でできない年齢の子どもを預けたりしない。喜朗とさやかは碧ちゃんの生みの親だが、碧ちゃんに限らず子供を育てた経験がないのだ。
もちろん誰しも初めての子育てはある。が、そこにはアドバイスをくれる家族や友人、経験者、病院や行政、保育所などいろんな人とのかかわりがあって少しずつ親になっていく。最初から一人前の親になど、ましてやいい親になどなれるはずがないのだ。
その前に、自分がどう育てられたかという自分の経験もある。ふたりにはその自分がどう育てられたか、において、健全と言えるものではなかった。
いい親であろうとするより前に、まず親とは、健全な親子がどういうものなのかがわかっていないのに無理過ぎる。
求刑に対しあまりに軽いと映る判決だったが、専門家によればむしろ求刑が強気すぎたという意見があった。
東京高裁は、「刑罰を終えたとしても碧ちゃんの命を奪ったという事実はずっと残る。そのことを心の中にとどめてください」とふたりに語り掛けた。
大切なのは、この罪の重さと、笑顔で手をつないでくれた碧ちゃんの絶望、悲しみ、苦しみを背負っていくこと。
それは刑務所に入ろうと入らまいと、本人が自覚するかしないかの話。
碧ちゃんはお父さんとお母さんが自分にもいるんだとわかって、嬉しかったと思う。迎えに来てくれたことも分かっていたと思う。
その小さな命を無残に叩き潰した事実を忘れないでほしい。
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参考文献
朝日新聞社 平成18年2月9日東京地方版/群馬、平成18年2月20日東京朝刊
平成18年7月28日、12月1日、2日東京地方版/群馬
産経新聞社 平成18年2月10日東京朝刊
読売新聞社 平成18年2月10日、3月2日東京朝刊
平成22年度研究報告書 児童虐待に関する文献研究
児童虐待重大事例の分析(第1報)
研究代表者 増沢 高(子どもの虹情報研修センター)
共同研究者 川﨑 二三彦(子どもの虹情報研修センター) 小出 太美夫(子どもの虹情報研修センター) 楢原 真也(子どもの虹情報研修センター) 南山 今日子(子どもの虹情報研修センター) 相澤 林太郎(子どもの虹情報研修センター) 長尾 真理子(子どもの虹情報研修センター) 山邊 沙欧里(子どもの虹情報研修センター)