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「犯行の罪質,動機,態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性,結果の重大性ことに殺害された被害者の数,遺族の被害感情,社会的影響,犯人の年齢,前科,犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき,(その罪責が誠に重大であって,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には,死刑の選択も許される」(法務省より)
死刑には上記のようないわゆる永山基準というものが存在する。
具体的にいうと、死者が二人以上で落ち度がなく、動機が私利私欲によるもので、殺害方法も生きたまま焼き殺すとか被害者の苦痛が凄まじいものであって被害者遺族が極刑を望み、社会的にも大きな不安や議論を呼び起こし、かつ被告人に同様の前科があったり反省の色が一切見られない、年齢的にも未熟な若年とはいえないなどの事件の場合は死刑が「求刑」されることが多い。
しかし判決はどうかというと、必ずしもその永山基準に照らして画一的に死刑か否かが決まるわけではない。
被害者の数も同様の前科がない場合は二人以上でその可能性が高くなるとされてきたが、実際には同様の前科もなく被害者がひとりでも死刑判決が出ることもあるし、被害者との関係性などから二人以上を殺害しても死刑を免れることも少なくない。
シリーズ「死刑と無期のはざまで」
今回は被害者が二人以上、明確な殺意とその犯行の残虐さ、遺族の処罰感情の強さなどから死刑判決を受けたにもかかわらず、控訴審において無期懲役となって確定した事件を紹介する。
新潟の一家殺傷
昭和62年1月5日未明。新潟市山木戸のマンションに住む女性から「部屋に知らない男が居座っている」と警察に通報があった。
女性は1月4日の夜7時ころに突然訪ねてきた男に刃物を突き付けられ、そのまま部屋に居座られてしまったのだという。
女性は22歳と若かったが、冷静に行動するうちに男も落ち着いてきたようだった。そして、「どうしても大切なお客さんに会う用事がある」というと男がそれを許可したことからマンションを出、そのまま警察に通報したのだった。
男とは全く面識がなかったが、女性は途中で男の素性に気が付いていた。
男は女性宅に押し入る前、新潟市内で人を殺して逃げていると話していたのだ。
一月四日の客
昭和62年1月4日午前1時頃、新潟市上木戸の会社員宅から男が押し入って家族を刺したと通報があった。
新潟東署員が駆け付けると、1階の居間と寝室で高齢の女性が血まみれで倒れており、玄関につづく廊下にも女性が倒れていた。すでに二人に息はなかった。
さらに、30代くらいの男性と小学生~中学生くらいの男女の合計4人も意識はあるもののその体には刺し傷とみられる深い傷を負っていた。
この家には家主である鈴木正蔵さん(仮名/当時34歳)とその妻(当時27歳)、そして正蔵さんの母・ヨリさん(当時71歳)が暮らしていたが、冬休みということもあってか、近くで暮らしていた姉の高田茂子さん(当時39歳)とその子供たち3人が泊まりに来ていた。
茂子さんと子どもたちは偶然居合わせたことで巻き込まれたかに思われたが、実は犯人の狙いは茂子さんだった。
犯人の男はすでに逃走していたが、家族らの話で男は茂子さんの元交際相手であることが判明。警察はすぐさま全国に指名手配した。
男は新潟市内のスナック経営・桑野藤一郎(当時41歳)。
桑野は茂子さんとかつて交際していた時期があり、別れて以降もなにかと茂子さんに連絡をとり、復縁を迫っていたという。
茂子さんは普段子供たちと実家近くで暮らしていたというが、この年末年始も桑野が押しかけてくることを懸念して子供たちともども実家へ身を寄せていたのだ。
昭和のこの時代、いわゆるストーカーという概念は一般的ではなかったが、対象の相手のみならずその家族までも被害が及んでしまったこの事件の顛末。
溺れた男
桑野は昭和20年の生まれ。数回の結婚離婚を繰り返し事件当時は独身だった。
詳しい生い立ちは不明だが、成人した昭和40年以降、窃盗、文書偽造、傷害など複数の犯歴からも推察できるようにかなり規範意識が薄い人物だったことがうかがわれる。女性遍歴も相当なもので、繰り返された結婚離婚もそれが原因だった。
昭和61年10月に新潟市内にスナックを開店、そこへホステスとして雇い入れたのが茂子さんだった。
茂子さんは離婚歴があり、前夫との子供を3人育てていたシングルマザーだった。子供たちは長女(当時14歳)、長男(当時13歳)、二女(当時6歳)。
もともと、女性に惚れっぽい性格だった桑野は、茂子さんにたちまち惚れ込んでしまう。
茂子さんは離婚してはいたが、さほど時間が経っていなかったという。それもあって、桑野との親密な交際については茂子さん自身、あまり乗り気ではなかった。
しかし雇い主でもある桑野の手前、時に迎合するような対応をせざるを得なかったこともあり、それを鵜呑みにした桑野はますます茂子さんに対して愛情という名の強制をし始める。
ホステスとして接客している茂子さんが少しでも客と楽しそうに会話していると激高して時には刃物を持ち出したり、茂子さんが難色を示しているにもかかわらず、茂子さんの部屋に入り浸り寝泊まりをするようになった。
当然茂子さんも子供たちも困惑、嫌悪を感じるようになったが、桑野は意に介さない有様だった。
そんな桑野に茂子さんの親族らも反感を持つようになった。その中でも母親のヨリさんはかなり怒っていたという。
茂子さん宅に入り浸る桑野と時に激しい口論に発展したこともあった。ヨリさんが反対すればするほど、それに歯向かうように桑野は茂子さんや子供たちのことを無視して勝手に荷物を運びいれ、同棲に持ち込もうとし自分がそれまで住んでいた部屋も解約の手続きをしていた。一方で茂子さんが自分の意に沿わない言動をすれば暴力でそれを封じた。
茂子さんは頸部捻挫、両下肢及び手背挫傷などの怪我を負わされたため、被害届を出すに至った。そして同年12月11日頃に逮捕された。
担当の警察官らから茂子さんと別れるよう諭され一旦はそれに応じる素振りを見せた桑野だったが、それでも茂子さんを諦めきれなかった。
クリスマスの日に釈放された桑野は、元の部屋を引き払う予定であることを口実に正月の間だけ茂子さん方にいさせて欲しいと懇願。茂子さんも渋々了承した。
桑野はこのまま部屋に居座ればなし崩しに元の関係に戻れると踏んでいたようだが、26日、桑野が未だに部屋にいることがヨリさんの耳に入ってしまった。
ヨリさんは桑野の茂子さんに対する暴力を恐れて警察に相談。先の傷害事件を把握していた警察も桑野に茂子さん方を出るよう促した。
桑野もそれに応じたが、心の中では自分が逮捕されたのも茂子さんと上手くいかないのも全てはヨリさんが反対しているせいだと憎しみをたぎらせていた。
一方ではやはり茂子さんへの思いを断ち切ることが出来ず、茂子さん方を出る際も「必ず連絡しろ」などと茂子さんに言い聞かせたという。
しかし茂子さんの心はとうに、というか最初から桑野にはなく、その後連絡することはなかった。
みじめな正月
桑野はある意味おめでたい男だった。いくら茂子さんが時に受け入れるような対応をしたことがあったとしても、全体として考えれば愛想をつかされても仕方ないと思うだろうし、自分の熱量と茂子さんの熱量とがそもそも一致していないことも分かりそうなものだが、桑野はこの期に及んでもなお、茂子さんとよりを戻せると希望を持っていた。
茂子さん宅を追い出された後、とりあえず知人の家に一晩泊まらせてもらい、翌日には自分の部屋へと戻った。しかし引き払う予定だった部屋は寒々しく、茂子さん宅へ入り浸るようになって以降光熱費などの支払いにも無頓着となっていたためすでに部屋のガスは止められ、電気もあと数日で止められてしまうという状況だった。
北陸の冬。世間はクリスマスから正月へと賑やかにざわめいている。しかし桑野の周りだけは、まるで違う世界かのように暗く、澱み、そして寒々しかった。あれだけ言い聞かせたにもかかわらず、茂子さんからの連絡もなかった。
なぜ自分がこんな目に?
ひとりで部屋にいると、次第にこんなに愛しているのにそれをわかってくれない茂子さんに対しての怒りがふつふつとわきあがってきた。
いっそ、殺してやろうか?
すでに桑野の心の中には茂子さんと、一番反対していた母親のヨリさんに対する殺意のようなものが生まれていたようだが、それでもこの時点ではまだ、茂子さんとの未来を思い描いていた。
大晦日の午後、桑野はおせちを買い込んだ。これを持って茂子さん宅を訪ねようと思ったのだ。そうすれば子供たちにも嫌な顔をされないかもしれないだろう、口実にもなる。
しかし一方では、もしもここまでしても茂子さんの態度が冷たければ、いっそ茂子さんを殺して自分も死のう、そう考え、登山ナイフを懐に忍ばせた。
ただこの時は思いとどまった。とりあえず自宅へ戻り、そのまま年が明けた。誰もいない、侘しい新年の幕開け。当時は元旦に商売をしている店はほとんどなく、またガスも止められ自炊することもままならず、桑野は惨めな思いを募らせた。当然、茂子さんからは何の連絡もないまま。
桑野は寒々しいその部屋で茂子さんへの恨み、怒りを増幅させていた。もう、あの女を殺し自分も自殺しよう。
決行は三が日があけてからと決め、桑野は茂子さんへの思いをしたため、世話になった関係者らに遺書を書き、刃物店で柳刃包丁を買うと1月4日の午前零時半、茂子さん宅へ向かった。
ただこの時点では絶対に殺してやる、というものとは違い、茂子さんがもしも自分を受けいれよりを戻してくれればそれで良しとし、受け入れなかった場合は殺して自殺しようと決意した。
期待と不安を持って茂子さん宅へ出向いた桑野を待っていたのは、誰もいない部屋だった。
憤怒
隠し持った金槌で茂子さん宅のガラスを割って室内へ押し入った桑野だったが、そこには人の気配はなかった。しかも、数日留守にしているようなそんな状態だった。
桑野はおそらく、茂子さんがいないという事態を想定していなかったのではないか。実家に帰るということは自分との交際を強く反対している母親・ヨリさんのもとへ行くということ。そこに自分は行かれないわけで、連絡ひとつもよこさず実家へ帰ったということは、正月を桑野がひとり寂しく過ごすことになってもかまわないと茂子さんが思っていることにほかならない。
桑野は侘しい正月を送らざるを得なかったみじめさ、屈辱感のようなものにその身を焼かれるような思いだった。
桑野はそのまま茂子さんの実家へと向かった。茂子さんが家にいないのは全て ヨリさんの差金であり、それに茂子さんが従ったこということはもはや茂子さんとヨリを戻すことは不可能と思い知った桑野は、茂子さんを殺害する決意に至った。
邪魔だてするものは殺害やむなし。そう決めて1月4日の午前1時、ヨリさん宅へ侵入。まず一階で寝ていた茂子さんが物音に気づいて起き上がったところをその胸部、腹部を数回包丁で突き刺し、隣で寝ていた長男が起き上がったためその腹部を ひとつきし、さらに騒ぎに気づいて起き出してきたヨリさんが警察を呼ぶよう叫んだためにヨリさんを追って廊下に出ると、まさに電話へ向かって這いずっている茂子さんを発見。阻止するためにその脇腹などを刺した。
そこへ茂子さんの長女が母を庇うように取り縋ったため長女も刺した。その後もう一度茂子さんを刺すと、今度はヨリさんを廊下の奥へと追い詰めた。
誰よりも憎い。
「警察に訴えやがって」
桑野はそういうとヨリさんの腹部を思い切り刺した。ヨリさんは一撃で腹部大動脈を損傷、失血死した。
茂子さんも心臓に傷が達しており失血死となった。
子供達も刺されたのは一度だったが、いずれも全治2ヶ月の重傷で、他にも同居していたヨリさんの長男も全治1ヶ月の重傷を負わされていた。
桑野は逃走。そして冒頭の通り、見ず知らずの女性宅へ押し入ったが、逮捕となった。
死刑判決そして破棄自判
2人を殺害した時点で死刑求刑は十分に有り得た。
しかもその動機は身勝手この上なく、茂子さんにもヨリさんにも、ましてやその他の家族に落ち度などはなかった。
また裁判では桑野が茂子さんが当時新築物件に住んでいたこと、将来的に不動産を相続する可能性があったことから財産目当てで茂子さんに近づいていたと指摘。
検察は遺族らの処罰感情が強いことも踏まえ、死刑を求刑。
そして昭和63年3月30日、新潟地裁は「被告は財産目当てに被害者らに近付き、愛想を尽かされて犯行に及ぶなど被告の自己中心的で凶暴な性格が原因」として求刑通りの死刑を言い渡した。
桑野は控訴した。
平成3年10月22日、東京高裁は破棄自判。桑野に無期懲役を言い渡した。
東京高裁の近藤和義裁判長は理由として、一審で認定された「財産目当て」という動機については被告人である桑野に対し「いささか酷である」としている。
弁護側は控訴の理由として茂子さんはともかく、ヨリさん他3名に対する殺意はなかったこと、犯行時は飲酒の影響もあり心神耗弱であったこと、そして量刑が重すぎるとして量刑不当をあげていた。
そのなかで高裁は量刑不当については理由がある、とした。
茂子さんに執着するあまり家族らへの礼儀を欠き、時にはヨリさんと激しい口論に及んだ挙句、茂子さんに暴力をふるって警察沙汰となったことがそもそも茂子さんと距離ができた原因であるにもかかわらず、自身の言動などは棚に上げてひたすらヨリさんと茂子さんに裏切られたなどと思い込んだことは間違いなかった。
さらに、桑野にとって酌量すべき事情、たとえば茂子さんが曖昧な対応をしたことがあるとか、ヨリさんにも言い過ぎた部分があったとか、桑野自身知能が低いこと、生い立ちに同情すべき点があったとか、そのようなことを踏まえたとしても死刑を選択せざるを得ないという地裁の量刑判断もあながち言い過ぎと言いきれない部分はあるとした。
しかし、死刑を選択するかどうかにあたって今一度、桑野にとって有利な面はないかを考えた時に「財産目的だった」とした判決理由には待ったをかけた。
ようは、地裁では桑野にとって茂子さんは愛情の対象ではなく単なる金ヅルであったと認定した上での死刑判決だったのだが、高裁は桑野にとって茂子さんは確かに愛情の対象だったとした。
たしかに、金ヅルとしか見ていなかったのなら殺してしまうのは一銭の得にもならない。本当に金目当てならばヨリさんらにも取り入るのではないか。不動産が手に入るのは先の話でありしかも確定事項でもなかった。現時点で茂子さんが金を持っていてそれを奪うつもりだったとすれば殺そうと思ったのもわかるが、茂子さんは昼間は保険外交の仕事をし、それでは厳しいから夜も働いていたのだ。決して裕福なシングルマザーなどではなかった。
桑野は自身が招いたこととはいえ、この寂しい思いをどうにかしたくておせちを買って茂子さんの機嫌を取るつもりだった。しかしすでに怖い思いをしていた茂子さんはひとりでは子供たちを守れないと思ったかもしれない。だから、正月ということもあってとりあえず実家に身を寄せていた。もっと言うと、別に桑野から逃げた訳ではなかったように思う。
だが桑野にしてみれば、侘しい思いをこらえた末の出来事であり、元々短気な性格や知能の低さ等からその思い込みを改めることはできなかった。
高裁はさらに、凶器を準備するなど計画性があるとした地裁の判決理由についても確かに刃物をわざわざ購入するなどしてはいるが、犯行に至ったのは予想に反して茂子さんがいなかったからであり、最初から何がなんでも殺してやる、という「殺害」が目的ではなかったとした。
それらを考え合わせれば、今現在においては被害者の冥福を祈り反省の気持ちがうまれていること、たとえ今後出所できる日が来たとしても相当な高齢となりその性格にもそれなりの改善がなされる可能性もあるして、死刑判決を破棄、無期懲役を言い渡した。
その後検察は上告したが、最高裁は上告を棄却。無期懲役が確定した。
もし同じ事件が今起きたとして、判決はどうだろうか。
被告人の利となる事情は当然配慮すべきだ。言いたくはないがそうなるまでに被害者が加害者に対して非道な行いをしてきたというケースもある。そしてそれでも死刑となった人もいる。
ヨリさんは母親としてまた茂子さんの子供たちの健全な成長を思えばこそ、桑野に対して強い態度に出たのだろう。
茂子さんは離婚後間がなかった。茂子さん自身もそれを気にしていたが、雇い主である桑野の強引さに強く出られなかったとしても不思議はない。
先日私が傍聴した今治のピアノ教師殺人も、娘との交際を強く反対していた母親が殺害された。
母親に強い恨みがあった訳ではないとその裁判で被告人は述べたが、その事件では実は被害者の娘である交際相手の女性が母親の忠告を受けながらも被告人に思わせぶりな態度を続け、ある意味振り回した面もあったが、この桑野の事件の場合、茂子さんにはそのような態度は見られなかった。
そうではない、のだろうが、どうも茂子さんが桑野の言いつけを守り自宅にいればよかったのか、というような、なんとも言えない思いになった。あたかもそれが「落ち度」であるかのような。
そうではないのだろうけれど。
しかも桑野は茂子さん、ヨリさんのみならず、母親をかばおうとした子供たちまで躊躇なく一突きにした。
刺し所が悪ければ即死していてもおかしくない。ヨリさんも1度しか刺されていないのに死亡している。
勝手に思いを寄せられ、強引に既成事実を作り上げられ、暴力を振るわれ、警察が介入せざるを得ない事態となり、あげく命を落とした茂子さん。
母親のヨリさんも、最後まで怯むことなく「警察を呼んで!」と叫び包丁を向ける桑野に立ち向かった。
その動機も東京高裁は酌量の余地があるとしたが、よくわからない。
金目当てでなく愛していたのが事実だから?だからどうだと言うのだろう。
それから幾つもの凶悪な事件が起き、何人かが死刑囚となった。何人かが死刑執行となり、今も死刑と無期のはざまで揺らぐ加害者と被害者がいる。
そして桑野と同じかそれ以上に知的に問題があり、かつ被害者が2人、ただそこに計画性はなく見え隠れするのは被害者側の事情……
男は確定死刑囚となった。
続く
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参考文献
読売新聞社 昭和61年1月5日東京朝刊、
NHKニュース 昭和61年1月5日、平成3年10月22日
中日新聞社 昭和62年3月31日朝刊
判決文