「うじ虫」と呼ばれた妻が遂げられなかった本懐~伊丹市・夫殺害未遂事件~

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平成13年8月15日

「うじ虫。出ていけばええやん。」

夫の暴言は今に始まったことではなかった。これまでに何度、どれほどの暴言を吐かれてきたか。
いつものように、言い返すこともできた。いつものように、とりあえず外へ逃げて気分を落ち着かせることもできた。

けれどこの日、妻は逃げなかった。
妻は台所で文化包丁を手に取ると、茶の間で寝そべってテレビを見ながら馬鹿笑いを続ける夫の背後に、静かに正座した。

事件概要

伊丹市の住宅から、「主人を刺しました」という119番通報が入ったのは、その日の午後7時40分ころだった。
通報を受けた受理者が、電話の主の名前や住所を尋ねるも、要領を得ない。ただ、苗字と「夫を刺した」ということだけを繰り返すのみだった。
「怪我をされた方は、生きてるんですか?」
受理者が尋ねると、それについては「生きている」という答えが返ってきた。
こちらから警察に連絡する旨を電話の主に伝えると、相手は「はい」と言って電話を切ってしまった。
消防はすぐさま発信地検索要求ボタンを押し、電話がかかってきた住所を特定、救急隊を派遣した。

伊丹市消防救急隊がその住所にたどり着くと、家の中では中年の女性が呆然としており、その傍らで、大量の血を流して呻く男性の姿があった。
幸い、男性はその後の救命措置で一命をとりとめたが、その傷は全部で5か所に及び、そのうち、右腋窩部に差し込まれた傷からは果物ナイフの刃が折れた状態で残ったままになっており、深さは13センチ、右肺上葉を貫通していた。

被害者はその家に住む近藤達夫さん(仮名/当時62歳)。達夫さんは背中にも深くはないが、刃物で刺された傷が4か所あった。
殺人未遂で逮捕されたのは、達夫さんの妻で通報者でもある和香子(仮名/年齢不明)だ。
和香子は夫の達夫さんを殺すつもりで背中を刺したが、達夫さんに包丁を払いのけられたために、果物ナイフを夫の胸をめがけ渾身の力で突き刺した。
達夫さんの体からは大量の血があふれ始め、そこでようやく我に返った和香子は、119番通報をしたのだった。

吹き荒れる暴力と暴言

和香子と達夫さんは、昭和55年に結婚。翌年には長男が生まれた。
長男が10歳になるころ、達夫さんにある変化が表れ始めた。あおるように酒を飲み始めたのだ。
まだ若かった二人は、酒によっては口汚く罵り合ったり、暴力を伴う夫婦喧嘩は日常茶飯事になっていた。
和香子自身も、達夫さんにつられたのかそれとももともとそうだったのかは不明だが、かなりの飲酒をしていた。それは慢性肝炎を発症し、何度も入退院を繰り返すほどだったという。

そんな家庭で育った長男は、中学卒業と同時に理由は不明だが両親と別居することとなる。
すると、達夫さんの暴力と暴言は一層ひどくなった。
和香子は手首や肋骨、胸椎の骨折を繰り返し、慢性肝炎と合わせて半年にわたり入院することもあったという。

酒飲み夫婦の壮絶な日々の中、和香子は達夫さんに対して死んでくれと思うことはあったようだが、それでも「殺してやろう」というような気持ちはこの時点ではもっていなかった。

平成13年7月、いつものように泥酔していた夫から、「お前はゴキブリや」と言われた和香子は、腹に据えかねて言い返した。
すると、達夫さんは台所にあったカレーを鍋ごと持ってきたかと思うと、その鍋の中身を和香子の頭から浴びせかけた。
さらに、カレーまみれになった和香子の頭を、カレー鍋で殴りつけたのだ。
和香子の額は割れ、その日は救急車が駆けつける騒ぎとなり、病院で和香子は額を3針縫った。

さすがに自宅に帰る気にはなれず、長男の家に逃げた和香子は、翌日の夕方になってようやく自宅へ戻った。
そこで待っていたのは、さらに恐ろしい達夫さんの暴力だった。

まき散らされた灯油

恐る恐る自宅へ戻った和香子に対し、達夫さんは容赦なかった。
「うじ虫!おるんか。」
達夫さんは和香子のことをうじ虫、ゴキブリなどと呼ぶことが増えていて、おそらく和香子にはこれが一番堪えていたように思う。
「うじ虫と違うわ!」
そう怒鳴り返す和香子に、達夫さんは驚くべき行動に出た。
ポリタンクとライターを持ち出して、和香子の目の前で
「灯油まいて火、つけたろか」
そう凄んだのだ。
しかも、実際に達夫さんはポリタンクの灯油を板の間にぶちまけた。灯油のにおいが鼻を突き、焼き殺される恐怖にかられた和香子はとるものもとりあえず逃げ出して交番に駆け込んだ。

長男の家に迷惑をかけられないと思ったのか、和香子は自宅近くの公園で3日ほど野宿生活を送る羽目になったが、財布の中身が空になったことから、家に戻る決心をした。
野宿する間、和香子はぼんやりと、自分が殺されるくらいなら、いっそ達夫さんを殺そうか、と考えたというが、長男の姿がちらついてその決心を固めるには至らなかった。

疲労困憊の状態で自宅に戻った和香子だったが、予想に反して達夫さんは和香子を優しく迎え入れたという。
拍子抜けした和香子だったが、その日以降、達夫さんが暴言を吐いたり、暴力を振るうなどということはなかった。

8月3日、この日は生活保護費を受け取ったこともあり、和香子は夕食に達夫さんが好きなカニを奮発し、ビールとともに食卓に出した。
達夫さんの喜ぶ顔が目に浮かぶ、好物を食べれば話も弾むかもしれない。
そんな和香子の期待は、裏切られた。そして、和香子の心は達夫さんを殺害するしかない、とまで追い詰められてしまうことになる。

その日

「なんでこんな食べにくいもん買うてくるんや!身をとるのが邪魔くさいやないか」

和香子が夫のためにと買ってきたカニを見て、達夫さんは突然怒り始めた。そして、和香子に対してまた「うじ虫、ゴキブリ」と罵り始めた。
和香子はそれでも好物なはずのカニだからと、翌日もカニとビールを食卓に出した。
すると達夫さんは、カニをひっくり返して床にぶちまけ、罵倒し倒した挙句、和香子の髪をつかんで引きずり回すなどの暴行を加えた。
恐れをなした和香子は、家にいることができずにまた家を飛び出した。長男には迷惑をかけられないと思ったのか、旅館に泊まっていたようだが、1週間ほどして自宅へ戻った。
しかし和香子が帰宅しても、前回とは違って達夫さんの暴言がやむことはなかった。
さらに、暴言だけにとどまらず拳で頭を殴られるなど暴力も振るわれた和香子は、言い返せばこのように暴力を振るわれ続けることになるのかと、自分が耐え忍ぶ人生を死ぬまで送らなければならないのかと絶望に近い感覚に囚われていた。

8月15日、達夫さんに言われるまま酒を買いに行った和香子は、自分も炊事場で1合ほど酒を飲んだ。
「おいうじ虫、酒が足らんやんか。」
そう言われて再び酒を買って戻ると、達夫さんは酒を飲みながら和香子にこう言った。

「うじ虫。よううじ虫で生きてられるなぁ。うじ虫は死ね。」
「(家におるのが嫌なら)うじ虫、でていけばええやん」

この日の達夫さんの暴言はねちっこく長かった。暴力を振るわれることを恐れた和香子が言い返さなかったからか、達夫さんの嫌がらせはとめどなく続いた。
和香子は言い返さないことで、かわりに心の中でずっとこれまで達夫さんに言われたこと、されたことを思い返していた。
暴言を吐かれ続けたこと、カレーを頭からかけられたこと、その鍋で殴られたこと、火をつけられそうになったことなどを思い出すうちに、和香子のなかで、もう達夫さんを殺す以外に逃れる方法はないという考えがまとまってしまった。

夫の本性

裁判では当然というか、達夫さんが死なずに済んだという点で大幅に酌量された。
少し刃物の角度が違えば、肺の大きな血管を傷つけてしまった可能性も高く、殺意も確定的、さらにはとどめを刺そうとまでしていることから、和香子の犯行は執拗で悪質といえた。
しかし、そもそものその発端は達夫さんの長年にわたる暴言と暴力行為であることは明白で、和香子の私利私欲による行為ではないこと、そして、達夫さん自身が事情聴取の中で和香子に対して酷いこととをし続けたことを認め、深く反省し、和香子に対しても処罰を望んでいない点が重視され、和香子には懲役3年、執行猶予4年の判決が出された。

自分を殺害しようとした妻を、夫は自身の非を認めさらには妻を赦した。
達夫さんは改心し、今後は和香子と手に手を取って穏やかな老後を過ごしていくことを誓った。

 

……。

 

いや、断言していいけどそうはならなかったと思う。

この事件に関しては新聞報道自体それほどされておらず、だれも死んでないしそもそも刺された夫は自業自得感が否めないし、小物感wしかない話ではあるが、この夫婦にとって、いや、世のすべての夫婦にとってこの和香子がとった行動は諸刃の剣であることは間違いない。
結果として、殺人を犯さず済んだ、刑務所に入ることもなく、傷つけた夫は反省し、和香子を赦すといった。そこだけ見れば、よかったと言えるかもしれない。
ん?赦す?誰が誰を?

この夫婦がこの後離婚したかどうかはわからない。しかし、二人のそれまでの生活を考えれば、離婚してそれぞれが一人で生きていくというのは難しい側面もある。
いつからかはわからないが、生活保護受給世帯であり、ということは達夫さんも働くことが難しい状態だったはずだ。
しかもふたりは無類の酒好きで、和香子自身も入退院を繰り返すほど体を壊していた。もちろん、年齢的な問題もある。
長男にしても、そんな両親を支えていくには若かったし、母親だけでも引き取るということはおそらく難しい環境だったと推測される。
なにより、離婚する機会はこれまでも何回も何回も何回もあった。にもかかわらず、ふたりが離れることはなかったのだ。

となれば、ふたりは一緒に生きていく選択をした可能性が非常に高い。消極的選択とはいえ。

達夫さんは和香子が家出を初めてしたときは、帰宅した和香子を優しくいたわった。しかしそれも数日、いつもの達夫さんに戻ったばかりか、2度目の家での後はいたわる態度すら持ち合わせていなかった。

和香子は自分で、達夫さんにどこまでやっていいかのハードルを下げ続けていた。強い態度に出ても、自らひっくり返してしまう。ほだされてしまう。それはすなわち、「ここまではやってもいいよ」と言っているのと同じなのだ。
ずるい達夫さんは、カレーを浴びせてもカニをひっくり返しても、灯油をまいても自分から離れていかなかった和香子をひたすらサンドバッグにしていただけだ。

警察からお灸も据えられ、裁判所からも自業自得だといわれた達夫さんは、そりゃ反省もしただろう。しかしそれは、今後も一緒に暮らしていく和香子に対する貸しでしかないのでは、と思う。
こんなこと言っちゃいかんだろうが、仕留めておくべきだった。怪我を負わされ続け、虐げられてきたのは和香子のほうだ、なのに、事件後は達夫さんが被害者になってしまった。
しかも、その被害者はものを言い、いつでもこのことを持ち出して、和香子を黙らせ、罪悪感を植え付け、刺されたのに赦すという寛大な人として、未来永劫執着し続ける権利まで持たされた。

和香子が達夫さんに与えた一撃は、自分の自由を得るどころか、これまで以上に雁字搦めにされてしまう結果になってはいないだろうか。

その後の二人を知ることはできないが、教訓、やるなら最後まで。

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参考文献
判決文

「「うじ虫」と呼ばれた妻が遂げられなかった本懐~伊丹市・夫殺害未遂事件~」への8件のフィードバック

  1. いつも更新お疲れ様です。楽しみにしています。
    仕留めるべきだった、に管理人さん節が出ていて、正直なところクスッとしてしまいました。
    仕事柄、生活保護の方にはよくお会いします。大多数の方はそれなりにまともです。ただ、人に迷惑をかけるナマポは許せません。身内だったとしてもです。

    1. あっきー さま
      いつもコメントありがとうございます☺
      すみません、ちょっと言葉が笑
      でもそう思わざるを得なかった。この夫、この後改善されたとは思えなかったです。もちろん、心から謝罪し、酒を断つなどしていたなら良い方向へ行ったかもしれませんが・・・

  2. いやー、この旦那さんは自業自得ですよね。
    私だったら1回目に言われた段階で離婚するな‥。うじ虫とかあり得ない。
    暴力は言わずもがなです。

    自分一人で生きてくなら、パートと足りない分は生活保護でもなんでも暮らせますよね。
    DVされて離婚しない人って理解できない。

    常に旦那さんの悪口言ってて離婚しない人って世の中多いけど、なんで離婚しないんだろうっていつも思います。
    養ってもらってるなら文句言うなというか。

    1. ちい さま
      いつもコメントありがとうございます。
      ほんとなんで離婚しないのか、呆れる感情がある一方で、1人で生きていかれない切なさみたいなものも感じました。
      夫は妻に生活能力がないことで、自分の不甲斐なさを帳消しにしていたのかもしれませんね。
      暴言を吐き、妻に劣等感を抱かせ続けることで、自分のだらしなさを見て見ぬふりしていたというか。
      妻に刺されて、目が覚めたでしょうか。そうならいいですが、きっと、直らない、そんなふうに思いました・・・

  3. こんにちは! タイトルのネーミングがいつも秀逸で、サブタイトルも実に効果的で私を誘ってくれています。
    読み進めて、事件後の夫婦についての管理人さまの考察あたりから、なるほどそう来たか!! とちょっと嬉しくなりました。それは私が全く考え及ばなかったまとめ方だったので、意外性にちょっとビックリした感じです。このようなサイトを運営しておられる方はいろいろと読み解きが深くて鋭いな、と感心しました。
    赦されて弱みを握られてしまった和香子は、今まで以上に暴力夫にがんじがらめにされているような気が確かにしますね、どっちかが死ぬまでずっと。
    とどめを刺していたとしても、おそらくは専門用語で情状酌量(?)っていうんですかね、執行猶予の付いた判決になっていたでしょうから、この事案に限って言うならラスト1行の ~やるなら最後まで~は、不謹慎ながら納得できるものです。
    殺人事件で一番多いのが近親者同志の事件らしいですが、夫婦は他人だから離婚という選択肢もあるのに、本当にどうにかならなかったのでしょうかねぇ。

    1. チューリップ さま

      いつもコメントありがとうございます。
      タイトル、ちょっと説明臭いというか、長いのがわたし的に気に入りませんが、気に入ってくださってありがとうございます笑

      この夫婦の事件は、共依存とか言うんですかね、お互いがこんなにひどい状況でも依存しあってて、だから長く夫婦でいるしかない。
      なんてことない事件だったのですが、やはりこの事件の先、ふたりはどうしたかな、離婚できたかな、いや無理だろうな、そういう思いで最後の章を描きました。

      仰るように、夫婦はいちばん身近な他人であるため、上手くいかなくなれば事件にもなってしまいますね。
      ただ、和香子は夫のことを憎みきれなかったのかもなぁと思うところもあります。だから、トドメがさせなかったのかな、と。
      夫婦って、ほんとに外からは分からないもんですね。

  4. はじめまして。
    いつも興味深く記事を読ませていただいております。

    今回の事件は、妻に罪悪感があり、夫は増長するとのご意見ですが、
    逆に「いつでも殺せる」と考えたら気が楽になったりしない物でしょうか?

    事件後、いっそ妻が夫をボコボコにしていると胸がすくのですが。
    でも実際そうではないのでしょうね。
    因果応報とはならないのは人の世だと思うと無情も感じます。

    今後も面白い記事を楽しみにしています。
    ありがとうございました。

    1. もりぞー さま
      はじめまして、コメントありがとうございます。

      妻がもしもこれで吹っ切れて、いつでもやったらあ!となれるタイプなら、もしくは、夫が妻の本気に恐れをなせば、ある意味上手く回っていくかもしれないですよね。

      ですが、多くの場合、そうはいかないように思います。
      人をいじめ、泣いてる姿に快感を覚えるという人も結構いて、この夫がそうとは言いませんが、そうだったらば、キツイですね。
      事件をきっかけに、入院とか物理的に引き離すことが出来ていれば、と思います。

      今後ともコメントお待ちしてますね、ありがとうございます。

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