彼女が死んだ理由~倉敷市・11歳女児餓死事件②~

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排除される女

一審では友里恵には家族がいたことが言及された。いわゆる天涯孤独の身ではなかったこと、また、友里恵自身、高校を卒業して信用金庫に就職するなど、知的な面でも社会的な面でも問題を抱えていたわけではなかったことなども挙げられた。
さらに、陽子さんの父親である人物から、養育費が振り込まれており、その通帳も当初友里恵が保管していたのだ。
残高はなんと340万円。おそらくだが、陽子さんの年齢と照らし合わせると、月々3万円程度がずっと振り込まれ続けていたのではないかと思われる。
にもかかわらず、それらに頼ることをしなかったのはなぜか。

家族との関係は、控訴審で明らかにされた。
友里恵は、家族(両親、妹)のことを「戸籍上の人」と呼んでいた。
最初の結婚に失敗し、経緯は不明だが友里恵が最初に産んだ子供は両親の養子となった。その後、内縁状態だった陽子さんの父親と別れて実家を頼った際、実家の家族は歓迎しなかったという。
赤ん坊の陽子さんさえも邪険に扱われ、家族とは別のうすら寒い部屋で住まわされた。赤ん坊の陽子さんに布団すら用意されなかったという。
友里恵は、「親のいないところを見計らっておにぎりを一つ二つ食べる」という生活をせざるを得ず、さらに我が子である最初の子供が全く自分になつかないことに疎外感を募らせる。
友里恵によれば、このような扱いはなにも「籍も入れずに子供を産んだふしだらな娘」だからではなく、幼少のころからだったそうだ。両親は妹ばかりをかわいがり、友里恵は祖父母に育てられたようなものだったという。

そんな状況に耐えられなくなった友里恵は、行く当てもなかったために茅ケ崎市内の母子寮へ陽子さんともども入所した。
しかしここでの生活もうまくいかず、荷物を残したまま身の回りのものだけをもって出奔したのだ。その際、養育費が振り込まれていた通帳も、残していったという。

ようやくありついた風俗店での仕事だったが、ここも部屋を汚損したことが原因で退去せざるを得なくなったことは先にも述べたとおりであるが、ここでもある意味、友里恵は風俗業界という特殊な、かつ、近藤氏の言葉を引用すれば「市民的ルールをゆるやかに守るハビトゥス」から逸脱したが故に疎外されてしまったと言える。

友里恵が次にすがったのが、風俗店勤務時代になんとなくわかっていた、「優しく受け入れてくれる男の存在」だった。
少なくとも7年間は女手一つで生き抜いてきた友里恵が、今度は男性に依存することで自分の居場所を確保しようと試みたのだ。
しかし、アテにならないと踏んだ男を、友里恵は切り捨てる。そして、出会って間もない老人男性に、「身の回りの世話をする」という条件で、居候を許されたのだった。

このように、友里恵は常に新しい居場所を探し続けて奔走していたように見える。
ただ、何かトラブルが起こった際に、改善するよりも先にそれらを捨てる、そんな極端な面があった。それが、後先考えずに行われる突飛な行動につながっていく。

募る不信感と惨めさ

家族を信じられずに育った友里恵にとって、社会もまた、自分を疎外するものでしかないと映っていた。
実家を出た直後、乳飲み子の陽子さんを抱えて生活保護を求め福祉の窓口へ行った際、「肉親がいるなら肉親に頼りなさい」と言われたという。
それ以外にもやり取りはあったようだが、取り乱して「死んでやる」と口走った友里恵に対し、それでも生活保護は通らなかった。
その時の経験から、倉敷では生活保護の相談にすら行かなかったわけだ。
一審ではこのやり取りが明かされず、単に友里恵が「生活保護の申請はしなかった」といったその言葉だけで、「積極的に動かなかった」と判断されていた。

しかし、裁判もすべて傍聴した近藤氏は、福祉行政だけの問題ではないとしている。
友里恵が母子寮に入所し、その後出奔したことについて、実は理由があったのだ。
母子寮の職員が、毛布を友里恵に手渡した際のことだ。
「国民の皆さんに感謝の気持ちを持ってください」
そう言われたのだという。
この時、友里恵は非常に屈辱的な思いをしたと、面談した臨床心理士に話している。
近藤氏は、母子寮の指導に非があったわけではない、としながらも、友里恵にとっては母子寮の生活指導が居心地の悪さを助長し、さらには屈辱感を抱かせる場であったと言え、この母子寮での出来事も友里恵が福祉への不信感を募らせる要因になっているとしている。

この、屈辱感で思い起こされるのは「利根川心中」である。
あの事件は、福祉が機能し、すぐに生活保護が受けられる体制であったにもかかわらず、一家は利根川へ沈んだ。
その理由として、死にそびれた娘が言ったのが、
「聞き取り調査で自分の人生を振り返った時に、惨めさが募った」
というものだった。惨めさを再認識することになった家族は、生活保護を受けることよりも一家心中の道を選んだ。
友里恵の場合は、こんなに屈辱的な思いをするくらいならば頼らない、そういう「意地」のような気持ちもあったとみえ、「周囲とケンカしないようにずっと我慢していた」と臨床心理士との面談で話している。

陽子さんにとって最後の地となった倉敷での生活はどうだったのか。
近藤氏は、そこでもある種の疎外が生まれていたと分析している。
友里恵が転がり込んだ県営団地は、地図で見てもわかるほどに相当大きなものだ。
建てられた当初はいわゆる長屋タイプの平屋で、入居者同士の関りもそれなりにあったという。
しかし事件の2年前に今のかたちに建て替えられて以降は、昔ながらの近所づきあいは減っていた。建て替えられたことで入居者の年齢層に変化があったのかもしれない。
この団地では、陽子さんの存在はともかく、友里恵の存在は知られていた。隣近所の人はもちろん、町内会の役員、団地の管理者、民生委員とも直接話す機会があった。
にもかかわらず、友里恵は陽子さんが衰弱している段階でも、具体的な助けは求めていない。

これについて、友里恵は
「3,4人の近所の人に米をもらえないか、と言ったところ、よそ者だから『あっそう』という感じだった。『役所に行けば?』という感じだった」と述べている。
実際に、隣に住む高齢女性に愚痴をこぼした際に、娘がいることを話したものの、「若いんだから働けるでしょう?」と言われたこともあった。
もちろん、この隣人らの対応が特段厳しい、世知辛い、そういったことでは決してない。
そもそも県営団地というのは、民間のレベルの家賃を支払うのが困難な人向けのものであり、みな世帯収入は高くないのだ。
ましてや、その高齢女性からすれば、自分の娘ほどの年齢の友里恵がお金がないと愚痴をこぼしたところで、働けるのだから…と思うのは無理からぬことだ。
ちなみだが、この時点で友里恵には身体的に仕事に就くのが難しいといった事情はない。

普通の人からの自己破滅

しかし、友里恵にとっては近隣住民の対応は世知辛く、頼ることも助けを求めることもできる状況ではなかったのだろう。
近藤氏も、近隣住民の本心は別にして、友里恵の視点からだけで考えてみれば、地域においても友里恵は孤立していたと述べている。

近藤氏は、この友里恵の生育歴や母子の生活になってからの疎外などを踏まえ、「普通の生活」をしていた人が失業や離婚によって社会的に排除されるようになっていく点に注目している。

“ここで着目したいことは、個人化した高度(ポスト)近代社会においては、リスクは個人的な問題として処理され、その結果、輻輳するという点である。”

近藤氏はウルリッヒ・ベック(ドイツの社会学者)の著書から、離婚によってこれまで「普通の」生活をしていた女性が貧困に陥り、それが時間の経過とともに「個人の属性」となり、最終的には「自己破壊」をもたらすという理論は、まさに友里恵の辿った転落の一途であるとしている。

貧困家庭によくあるような、実家自体がなく、学歴も職歴もない、未婚で生まれた子供を抱えて日々自堕落に生活し、犯罪行為すれすれの生活を送ったあげくの「結末」とは、友里恵の場合は若干違っていた。
そういう意味では、確かに近藤氏の言うとおり、に思える。

しかし、これは「自己破滅」なのだろうか。

友里恵は取り返しのつかない過ちを犯した点では、自己破滅ともいえるだろうが、同時に最愛の娘の命まで破滅させているのだ。
母子一体、と言われればそれまでだが、この事件でどうしても納得できないのが、なぜ陽子さんだけでも助けなかったのか、ということだ。