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夫の告白
「今までずっと騙してたの?仕事行くふりして、弁当持って出かけてたの?」
男は、はらはらと涙を流す妻の質問に答えられずにいた。
男は妻から競輪や、それにつぎ込むための借金をやめるよう再三懇願されていたにもかかわらず、妻に嘘をつき続けて借金を重ねていた。
その額、三〇〇万円。
二人して実家の母に借金を申し込んだ。
母は悲しそうな顔をして、それでも八〇万円を用立ててくれたという。
しかし、母はこう付け加えた。
「これ以上くるなら、もう親でも子でもないよ」
年老いた母からの、厳しくも間違いのない愛の鞭だったが、男はその言葉を真剣に受け止めることができなかった。
平成一三年五月八日。
男はかねてより目をつけていた消費者金融の扉を開けた。
事件概要
平成一三年五月八日午前、青森県弘前市の消費者金融「武富士弘前支店」に男が押し入り、ガソリンのようなものを店内にまき散らしたうえで「金を出せ、出さねば火をつける」と脅した。
応対した支店長の鳥居善尚さん(当時三〇歳)が、「金は出せない」と告げたうえで緊急通報装置を作動させ、他の従業員らにも消火器を持ってこさせる、一一〇番通報させると言った指示を出した。
すると男は持参していたとみられるねじり紙にライターで火をつけると、それをガソリンのようなものが撒かれたカウンター内に投げ入れた。この間、わずか二~三分。
一瞬にして火が一m以上の高さまで燃え上がり、事務所内は黒煙が立ち込め、悲鳴と怒号が飛び交い騒然となる。男はそのまま入り口から逃走した。
事務所内は火の海となり、窓から身を乗り出すなどしていた従業員らはたまたま近くで清掃作業をしていた人々らの機転ではしごが掛けられ、四人が助け出された。
事務所内にも消防法に基づいた避難器具が設置されていたが、それを使う余裕すら、残されておらず、店内に取り残された五人の従業員は焼死した。
助け出された従業員も大やけどで相当な重傷だった。
亡くなったのは、弘前市東城北の田沢伸治さん(当時三六歳)、弘前市小比内の葛西志保理さん(当時二二歳)、板柳町の太田はるかさん(当時二〇歳)、弘前市松原東の笹森容子さん(当時四六歳)、藤崎町の福井貴子さん(当時三〇歳)と判明。鳥居支店長と他の三人の従業員も大やけどの重傷だった。
見えぬ犯人
事件後、弘前署はすぐさま主要な道路県内五〇か所近くに緊急配備を敷く。
現場から逃げ去ったのは緑色の軽バンということはわかっていたが、台数も多い上にその緊急配備に不審な車両はかからなかった。
一一〇番通報の内容を精査する中で、背後に聞こえる犯人らしき男の声は、津軽弁と断定。しかも犯人はマスクやサングラスなどで顔を隠しもせず来店していたが、防犯カメラは火災で焼失していた。
他の証拠も焼失、または遺留品かどうかの区別もつかないものが多く、物証は少なかった。
武富士でも過去に弘前支店でトラブルがなかったなどを調査するも、そういったトラブルはなかったし、支店長ら従業員らの個人的トラブルも全くなかった。
ただ、犯人の男と一番近くで対峙した鳥居支店長は一命をとりとめていた。怪我の回復には数か月がかかるほどの重傷だったが、似顔絵作成に協力、その夜には犯人の似顔絵が公開された。
のちには、支店長の証言に肉付けする形で、回復した女性従業員の聴取も加えた似顔絵も公開された。
武富士も記者会見し、会社としてのトラブルが原因ではないとの見方を示した。そのうえで、強盗に入られた際のマニュアル(美味しいお茶をお菓子を出してください、と他の従業員に伝えることで事態を周知する)があり、時間稼ぎしながら小額紙幣から小出しにしていく、という手順になっていること、当然、鳥居支店長らもそれは把握していたものの、おそらく時間稼ぎをする目的で会話を引き延ばしたのではないかと話した。
幹線道路わきの車の往来も激しく、人通りも決して少なくない場所で起きた放火事件。結果として5人の命が一瞬にして奪われた許されざる事件だが、犯人逮捕に結びつく証拠はこの時点では乏しかった。
一部では、金もとらずに火をつけ逃げていること、この日が武富士の二〇〇一年三月期決算発表日でもあったこと、他の消費者金融がある程度の横のつながりがあったのに対し、武富士はそういったつながりを持たずに突出して成長している点などから、「武富士への怨恨説」も根強く残った。
現場のビルは警察からの保存要請もあり、その焼け焦げた姿のままで半年経過してもそのままの姿で佇んでいた。
そして年が明けた平成一四年三月四日、警察は武富士放火の容疑者として一人の男を逮捕した。
犯人逮捕
逮捕されたのは浪岡町在住のタクシー運転手、小林光弘(当時四三歳)。
警察は事件後、目撃されていたスバルの軽バン「サンバー」の所有者を片っ端からあたっていた。小林には、五月二三日に接触していたが、小林は「家にいた」とだけ話していたという。
この時点で確固たるアリバイがなかったため、一応継続の調査対象者となったものの、とにかくこのサンバーの所有者が膨大だったことから、一通り当たったうえで再度捜査、という形になっていたことでその時はそれ以上の調査はされなかった。
そんな中、現場に残された新聞紙が捜査を進展させた。
細かく新聞を精査したところ、その新聞が配達された区域を絞り込むことができたのだ。
その区域は、浪岡町だった。
浪岡町在住の小林に対する捜査が水面下で進み、小林がクレジットカードで事件前日ガソリン混合油を購入していたこと、住宅ローンを含め二〇〇〇万円の借金があることなどが判明する。その中の一件に、武富士もあった。
また、一一〇番通報の内容を精査していたところ、津軽弁を話す男だということはわかっていたが、それ以外にも、訛りやアクセントから津軽弁で弘前や黒石、南津軽郡の比較的年齢層が高い人間の喋り方、ということもわかっていた。
小林は南津軽郡の生まれで、事件当時も南津軽郡在住だった。
任意で事情が聞かれる前、小林の顔を武富士弘前支店の従業員が確認し、似ているとの証言も得た。その後、家宅捜索も行われ、犯行当日に目撃されていた「水色のつなぎ」も押収され、ようやく逮捕状請求された。
事件から三〇〇日、平成一四年三月三日の深夜、金木署の取調室で、小林は事件への関与を認めた。
逮捕され、小林の顔が全国に知れ渡ると同時に、あの似顔絵によく似ている、という声が上がったが、小林を直接知る人らの間では「全然似てない」と言われていたという。たしかに、口元は似ているものの、全体の印象としては似ていると思う人はおらず、小林が勤務していたタクシー会社でも、小林ではない別の社員が「似ている」と冷やかされるなどしていたほどだったという。
事実、似顔絵の男に似ているとして名前が挙がった人物の中に、小林はいなかったとされる。
また、当時四三歳だった小林が、とてもその歳に見えないことも話題になった。今でもその写真を見て思うが、たしかにこれは定年間際のおじさんくらいに思える。
小林はこの数年で実は一気に老け込んだのだという。
その理由は、のちに事件が起きた理由の一つとして取りざたされる、ある別の事件が関係していた。