殺害と死体遺棄を手伝った女友達の絆~千葉・前夫殺害死体遺棄事件~

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平成9年8月1日午前5時

千葉市中央区東千葉一丁目。
「もう後戻りできないよ、本当にいいの」
マンションの前で言葉を交わし、意思を確認しあった二人の女がいた。
夏のこの時期、5時を過ぎれば辺りは明るくなる。もう時間はなかった。

部屋に入ると、男性がまだ寝入っていた。ふたりは、男性に近寄りそのまま首にネクタイをかけると目いっぱい引っ張った。

早く終われ…

平成10年10月12日

その日、茨城県警鹿嶋署に一本の匿名電話が入った。電話の声は男性。
「知り合いの女が、千葉市内で男性の遺体を埋めたと言っている」
場所や日時などは不明だったが、匿名電話の主はその知り合いの女を名指ししていた。

茨城県警鹿嶋署は21日になってその名指しされた人物に任意同行を求めると、女は「千葉市内の民家の裏庭に穴を掘って遺体を埋めた」と自供。さらに、その際女友達ふたりも居合わせ、男性を殺害したのはその二人であることも自供した。
茨城県警、千葉県警が合同で捜査を行ったところ、千葉市中央区祐光1丁目の民家から自供通り男性の遺体が発見された。

翌22日、最初に逮捕された女の供述から、静岡県大仁町(現・伊豆の国市)立花の無職・前田明美(仮名/当時33歳)と、友人の住所不定無職・宮前ひろ子(仮名/当時40歳)を殺人と死体遺棄の容疑で逮捕した。
最初に死体遺棄容疑で逮捕されたのは、茨城県神栖の無職・遠藤貴子(仮名/当時36歳)である。

殺害されたのは千葉市中央区東千葉在住の無職・田中進さん(当時49歳)で、田中さんは明美の前夫であった。
供述によれば、「前夫に酷い暴力を振るわれていたため、友人に相談して一緒に殺して埋めた」とのことだったが、すでに離婚していたはずの明美が、暴力を振るわれたから殺したというのは合点がいかなかった。
明美の両親も、娘が離婚後時折実家に顔を見せにきてはいたものの、どこでどうやって暮らしているのかは知らなかったという。

明美は、実は離婚後も実家から500メートルほどしか離れていないマンションで田中さんと同棲していたのだった。
そして、明美らが田中さんを埋めたその民家は、明美の実家だった。

明美と怪しい夫


明美の両親は、明美が結婚する直前に夫となる田中さんと連れ立って実家へ来たことを覚えていた。
白い左ハンドルの車からさっそうと降りてきた田中さんは、真っ白のスーツに身を包んでいた。その立ち居振る舞いは、近所の噂となったという。
その後結婚した二人だったが、田中さんは暴力を振るう人間だった。しかも、結婚しても、いやその前から、田中さんはどうやらまともに働いたことがなかったのではないかと捜査関係者は言う。

田中さんはいわゆるヒモであり、交際する女性らの稼ぎで遊び暮らしていたようなのだ。
実際、明美も飲食店や水商売、サウナなどで働いて田中さんを養っていたとみられる。
田中さんを知る近隣の住民も、昼間からスウェット姿で自宅にいる田中さんを普通の勤め人とは認識しておらず、中には視線を合わせる事を憚る住民もいた。
「決して威圧的な言動をとるとか、だれかれ構わずいきり散らすとかそういったことではないんです。どちらかというと人当たりはよい。
ただ、言葉を一つ間違うと、接し方を間違えると豹変するというか、得体のしれない恐ろしさを兼ね備えているという印象がありました(当時の近隣住民)」
人によっては、この田中さんの「怪しさ」に気が付いていたようなのだ。
それには、明美への人目を気にせず振るわれる暴力も関係していた。拳で殴る、蹴る、気に入らないことがあれば明美は場所も構わず痛めつけられてきた。

それを明美は両親や兄弟らには決して相談しなかった。いつも明るく振舞い、近隣の人にもにこやかな明美で通っていた。

そんな明美が、唯一心を許したのが、かつて水商売をしていた時のホステス仲間であるひろ子だった。

ひろ子

ひろ子は明美より7つも年上だったが、二人は姉妹のように仲が良かった。ホステス時代に同じ店で働いていたふたりは、お互いの家に泊まったり、プライベートでも交流があった。
明美が田中さんと暮らしていたマンションにも頻繁に訪れ、田中さんとも面識はあった、と同時に、明美が田中さんに暴行される現場にも居合わせていた。

「あんたこのままでいいの」

心配するひろ子に、明美はただ途方に暮れるばかりだった。
田中さんとは結婚四年で離婚した。しかし、明美はその後もずるずると田中さんとの同棲を続けた。
田中さんの暴力や恫喝が明美を縛ったのかもしれないし、明美自身、田中さんを捨てきれない気持ちがあったのかもしれない。
ただ、両親に一切の事情や自身の所在すらも明かしていなかったことを考えると、田中さんから逃げたくても逃げられない、というよりは、この状況を両親に知られるとまずい、という心理が勝っているように思う。
しかしその後結局殺害に至ることを考えると、どこかの時点で愛情よりも田中さんがこの世に存在する限り、自分は逃げられないと思い込むようになったのは確かだろう。

殴られても蹴られても、自身の稼ぎを吸い取られても、田中さんのそばを離れない明美をひろ子はどういう思いで見つめていたのだろう。

裁判資料等が一切ないため、ひろ子と明美がいつの時点で、何をきっかけに田中さんを殺すしかないと思ったのかは定かではないが、明美が主犯とされていることから田中さん殺害を言い出したのは明美だろう。
思わず殺害してしまったことを告白され、その後始末を手伝ったのならばまだ分かるが、ひろ子は明美とともに田中さんを殺害する。

ふたりは田中さんの後始末について、明美の実家の庭に埋めることを決めた。

貴子

8月1日、貴子はひろ子からの連絡を受けた。
当時貴子は茨城県内で個室サウナの従業員として勤務していたが、知り合いのところを転々としていたひろ子とは親しい間柄だった。

「いますぐ千葉に来て。手伝ってほしいことがある」

ひろ子の電話は、どことなく有無を言わさぬ雰囲気があるのが気になったが、貴子は急いで指定された場所へと向かった。
そのマンションでは、見知らぬ女とひろ子が待っていたが、その足元には信じられない光景が広がっていた。

「なにこれ、なにがあったの!」

事態を飲み込めない貴子に、ひろ子は淡々と事の次第を聞かせた。
足元にあるのはこの明美の元夫で、暴力を振るう酷い男だ、この男から逃げるにはこうするしかなかったのだ、見つかるわけにはいかない、今から埋めに行くからそれを手伝ってほしい、と。

貴子は殺害には関わっていないし、見ず知らずの女の元夫とか知らんわ!となってもおかしくないわけだが、なぜか貴子は死体遺棄を手伝うことを了承する。
ひろ子になにか弱みを握られているとか、そういった話もなく、貴子がなぜ死体遺棄を手伝ったのかは謎である。

気が付かなかった両親


3人はその日の深夜、明美の実家がある中央区祐光へ田中さんの遺体を運ぶと、両親らが寝静まったことを確認し、街灯の灯りが届かない裏庭に直径1メートル、深さ60センチの穴を掘った。
そして、180センチを超える長身の田中さんを膝を抱えるように丸めると、その穴に入れて土をかぶせたのだ。

その庭には、明美の両親が愛でる葡萄棚がしつらえてあった。毎年、夏には多くの実をつけるその一家の幸せの象徴のような葡萄棚の下に、明美は元夫の墓を掘った。

両親らはこの事実を全く知らなかったという。
事件が発覚するのはそれから1年以上も先なのだが、自身が管理する庭の土が1メートルにわたって掘り返されていることを気づかないものなのだろうか。
しかも、深さはたったの60センチで、田中さんの遺体は地表に近いところにあった。その時期は葡萄もたわわに実をつけ、それこそ両親らはその葡萄棚の手入れに余念のない時期のはずだが、足元の数センチ下で腐敗し、土に還っていく田中さんに気が付かなかった。

明美は実家の裏庭に田中さんを埋めた後も、何度も実家を訪れていた。
それまでと何も変わらず明るく振舞う明美に、そんな恐ろしい秘密があることなど家族の誰にも分からなかったという。

その頃明美は静岡の大仁温泉のホテルで従業員として働いていた。
ひろ子とも定期的に連絡を取り合う仲は変わらなかった。あのことは3人の永遠の秘密のはずだったが、三人目の女、貴子の口は思いのほか軽かった。

どんな思いでしゃべったのかは不明だが、貴子は知人男性に3人の秘密を漏らしていた。単に罪悪感からかなのか、それとも気をひくための道具にしたのかは分からないが、男性はその話を聞き流さなかった。

平成10年10月、3人の秘密は暴かれた。

葡萄棚の下の墓

裁判では田中さんの度重なる暴力や素行なども酌量され、主犯の明美は懲役6年(求刑10年)、ひろ子は懲役4年6月(求刑8年)、貴子には懲役2年執行猶予3年(求刑2年)が言い渡された。
かなりの温情判決と言えるが、それほどまでに田中さんの明美に対する暴力は酷かったことが分かる。

明美はJRを定年まで勤めあげた父と、夫を支え明美を含む3人の子供を育てあげた母とのごくごく普通の家庭で育った。
千葉市内に購入した家は、明美が生まれてすぐに購入、事件の3年前にはリフォームも行った。
その際、定年後の老夫婦の楽しみの一つにとしつらえたのが、あの葡萄棚である。
毎年多くの実をつけたというその葡萄は、なぜか事件の翌年、ほとんど実をつけなかったという。
明美の母親はしきりにそれを気にしていた。

明美が逮捕された後、自宅から白骨遺体となった田中さんが掘り起こされ、どこに住んでいるかわからなかった娘は、自宅と目と鼻の先に住んでいたこともわかった。

両親は庭先の惨状よりも、娘がそんな近くに住んでいたという事実のほうが辛かった。

事件から約20年。
今でも明美とひろ子は親友のままだろうか。二人の間にこの事件はどう存在しているのだろう。
殺人という重罪であるから、本当はこんなこと言っちゃいけないんだけど、なぜかこのふたりが今も親友であってほしいと思ってしまう自分がいる。
どこでどうしているのか、生きているのかいないのかもわからないが、願わくばふたりが穏やかにお茶でも飲んでてほしいなと思う、あの葡萄棚を見ながら。

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参考文献
毎日新聞社 平成10年10月23日朝刊
読売新聞社 平成10年10月23日、11月12日東京朝刊
朝日新聞社 平成10年10月23日東京地方版/千葉、平成11年9月23日東京地方版/茨城

「殺害と死体遺棄を手伝った女友達の絆~千葉・前夫殺害死体遺棄事件~」への2件のフィードバック

  1. 「クズ男」が殺されると、なんかホッとする自分がいます。人死んでるのにねぇ。

    暴力によるマインドコントロールってやつでしょうか?なんとなく分かる気がしないでもないです。

    ただ、殺すという判断に至るまでには、もう少しやり方があったような気がします。DVの相談とか。

    貴子はお調子者というか、物事を深く考えないのでしょうね。だから、しゃべってしまったのでしょうね。

    このたれ込みがなかったら、この2 人はどうなっていたのでしょうね。あ、貴子は特にいいです。

    ずっとモヤモヤしていたのでしょうか?案外普通に暮らしていたかも知れません。

    他人事で言いますが、ま、良かったのかなと。貴子を誘っておいて良かったと。

    今の二人、きっと仲良くやってますよ。

    1. ひめじの さま

      貴子を誘っておいて結果としてはよかったのかな、ハッとしましたーーー!
      そうです、結果として事件が発覚し、罪を償う機会を得たと考えれば、貴子もまた「いい仕事した」のかも。
      ひろ子がどういう経緯で明美に力を貸したのかは分かりませんが、DVの現場を見てますし、夫の人となりも知ってますから、私達には分からないものがあったのでしょうね。

      どこかで元気に生きててほしいです。

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