Evil and Flowers ~新居浜・両親殺害事件③~

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執着する母親

「実家に帰ってからの関係はどうだったの?」
弁護人に質問された剛志被告は、言葉を選ぶように、あるいは適当な言葉が見つからないのか、ところどころに沈黙を交えながら答えていく。

「親は…多分、最初は喜んどったと思うんスけど、実際自分でわかってなかったけん、どうなんかなと思っとったんスけど…。」

要領を得ない返答に、弁護人が聞き返す。
「親が本当に喜んどるんかどうか、わからんかった。」

剛志は元妻の実家を出る一か月ほど前に、母親にメールで連絡を取っていたという。長い間、剛志から連絡を取ることは一度もなかったわけだが、行くあてが全くなかったために不本意ながらも実家へ戻る許可を求めた。
祖母の葬儀にすら出席しなかった剛志が自分の都合で実家に戻るというのは、いささか躊躇することにも思えるが、剛志が実家を頼れるかも、と考えたのには訳があった。

その一か月ほど前、母親から「重い病気にかかった」という連絡を受けていたのだ。
その時はやり過ごしていた剛志だったが、その母親の言葉から、なんとかして我が息子を家に戻したいという思いがおそらく透けて見えたのだろう。
その剛志からの申し出に、洋子さんは「とりあえず帰ってこんかい。」と伝えた。
実家での生活は、それまでと何も変わらなかったという。
剛志は実家へ戻ると、月に食費として3万円入れ、それから父が購入してくれたという乗用車の代金を1万円ずつ支払っていた。
また、別居状態になった妻子のためにも、毎月10日に養育費を振り込んでいた。
剛志の収入は、年齢的なことを考えてもおそらく20万円あるかないかであったと思われる。税金などをひかれると、もっと少なかったかもしれない。
ただ、妻の実家で同居しているときは妻に管理されていたようなので、実家に戻ることでこれだけの支払いをしたとしても経済的には余裕が出来たと思われる。

しかし、実家での生活は居心地の良いものではなかった。洋子さんの過干渉がまた始まったのだ。
休みの日などは、必ず洋子さんの買い物に付き合わされたという。拒否すれば機嫌が悪くなるため、いつも付き添っていた。
洋子さんは剛志の私物もいちいち確認していた。剛志が購入した洋服があれば必ず洋子さんが袖を通し、アクセサリーなども勝手に身に着けていたという。
携帯チェックも常であった。母に言われたことに、抵抗はするものの最後は懐柔されてしまう。いつしか、剛志にとって母の言葉は一種の「命令」となっていた。
そして、この洋子さんの異常とも思える剛志に対する執着が、じわりじわりと剛志を追い込んでいくことになる。

ゴミ屋敷の住人の迷走

裁判では検察側が提出した証拠として、元妻(裁判時は離婚済み)の証言が取り上げられた。
出会いから事件までのことを、妻なりに証言したものだが、内容はかなり剛志に同情的かつ、両親の異様な言動が述べられていた。

結婚の許しがもらえなかった剛志が実家を出て元妻の実家に身を寄せたのは先に述べたとおりだが、それで剛志が完全に両親から逃げられたわけではなかった。
すでに成人して入籍を済ませた平成27年12月。突然、元妻の実家に剛志の両親がやってきた。玄関の敷居すらまたがず、家にいた剛志を外に呼び出した両親は、
「どうして何の連絡もしないんだ。」「ほうれんそう(報告、連絡、相談)を知らんのか」「盆や正月くらい帰れ!」
そうまくしたてると、剛志を殴りつけ、むりやり連れて帰ろうとしたという。
剛志は入籍の事実も次女の誕生も知らせておらず、どこからかそれを知った両親が激怒したのだ。

当然、全力で拒否する剛志と、両親そして元妻も入り乱れての乱闘騒ぎが家の軒先で繰り広げられたが、その際、母親の洋子さんが元妻らを小馬鹿にするような発言をしたという(詳細不明)。
そこへ、元妻の実母が出てきて、騒ぎ立てる剛志の両親に対し、
「あんたらとこみたいなゴミ屋敷に連れて帰らせるわけにはいかん!」
と言ったところ、それまでの勢いは消え、父親の勝浩さんが洋子さんを連れて踵を返したという。

そう、冒頭の間取り外観説明で私が抱いた違和感はこれだったのだ。
もしかしてゴミ屋敷?そう思っていたのだ。閑静な住宅地で丸見えのゴミ袋がいくつも放置されているのははっきり言って「異様」である。
剛志も法廷で証言していた。

「子どもの頃からぜんそくとアトピーに悩んできた。それなのに、両親はタバコをやめてくれんかった。中学の頃はアトピーが一番ひどく、顔を掻きすぎて眉毛が全部抜けていた」

実は元妻の母親が剛志の同居を許したのは、これのせいだった。
もともと、元妻の母親も剛志に対して良い印象を持っていたわけでもなく、苦々しい思いは抱いていたという。
しかし、ある時実家の惨状を聞き、さらには幼いころからの待遇を知った元妻の母親が同情し、「あんな家には帰せない」となったのだ。

この事実を突きつけられた勝浩さんは、あれだけ怒っていたにもかかわらず、なぜかぷいと帰って行ってしまった。
おそらく、痛いところを突かれたのだろう。逆ギレしない辺りは、勝浩さんの生真面目な一面とも思える。
その後、母親が一人で訪ねてくるなどもあったようだが、結局6年間、剛志と両親は絶縁状態が続く。

そんな状態を経て、平成30年6月5日、剛志は実家へ戻った。
妻とはLINEで連絡を取り、妻もまた、子どもの写真や日常のことなどを頻繁に伝えていたという。
妻には離婚の意思はなかったが、心の奥では無理かなとも感じていたようだ。その上で、友達も少なく若くして父親になったために遊ぶことも知らない剛志に対し、好きにさせてみようと思ったという。
(どうでもいいが、新居浜西条あたりの、愛媛で言うところの「東予の女」はこういうキップが良いというか、男前な女性が多い、ような気がする。)

離婚になっても仕方ないと思い始めていた矢先、あれほど怒っていた勝浩さんから、条件付きで結婚を許すという連絡が入った。
その条件とは、
①高平姓を名乗ること
②実家を出て4人(夫婦と子供二人)で生活すること
であった。そして、それが出来るようになるまでは、毎月10日に生活費が振り込まれた。
優しくなった剛志の両親に対し、妻も歩み寄り、子どもたちを預けることもあったという。

ところが1か月後の7月上旬。突然剛志にLINEをブロックされてしまう。
理由もわからないまま、しようがないので妻は連絡をしないでいた。すると、剛志の両親から離婚を迫れたのだ。
ついこないだまでは離婚はやめろ、と言っていたのに、今度は離婚を強引に持ちかけ、あげく、妻の自宅のポストに記入済みの離婚届を入れてきた。
しかもご丁寧に、妻の欄まで記入済みだったというから恐れ入る。(ただ、妻は職業欄に無職と書かれたことにエライご立腹だったw)
当然、夫抜きに離婚の話には応じられないとし、勝浩さんに対し、剛志本人に連絡させてほしいと頼んだ。洋子さんは、聞かれてものらりくらりはぐらかすだけだった。

10月の初め、ようやく剛志から連絡が来て、LINEをブロックしたことを謝罪されたという。その際、離婚についてのやり取りをしたものの、10月末にはまた連絡が取れなくなった。
11月、再び離婚の話し合いで会った際、剛志から離婚届を渡された。しかしここで妻は、公正証書を作成してほしいと要求。離婚は進んだようで進まず、クリスマスの日に子どもたちに渡すプレゼントを受け取るために会ったのが、剛志と妻の最後だった。

1月9日の事件当日。午前11時38分。
「お疲れさん。今日会えるかい?」
剛志からのLINEに、妻は「会えるけど、子供どうする?」と返信した。
ただ、すぐに返信できなかったため、返信したのはおよそ1時間後の午後12時26分だった。
以降、剛志からの連絡は途絶えた。この時、高平家は邪悪なものに侵食されつつあったのだ。

続く

「Evil and Flowers ~新居浜・両親殺害事件③~」への2件のフィードバック

  1. はじめまして
    強烈な衝撃を受けた事件でした。
    私は殺された洋子さんと同じ職場で働いていた者でした。
    何年も連絡取ってなかったんですが、またまた間違えてラインで連絡したのが事件の前日の22時30分頃。
    久しぶりだったので旦那さん、剛志は元気?と聞いてみると、元気よと
    旦那さんが定年したら長崎に帰るバイと言ってたんですが、こんな形で帰ることになるとは思いも寄りませんでした。
    ニュースを見た時は膝から崩れ落ちたのを思い出します。
    今もラインのやり取りを見ると何とも言えない切ない気持ちになります。

    1. たっちん 様

      コメントありがとうございます。なんと洋子さんのお知り合い…
      剛志くんのことも知ってらしたんですか。
      それはさぞ、苦しい思いをされたことと思います…
      この事件は私にとっても大変大きな事件でした。洋子さんと同じ母親としての立場、一方で、同じ母親として洋子さんの言動に疑問に感じてしまうのも事実で。

      けれど、剛志くんは洋子さんを好きだったと私は思うのです。もちろん、洋子さんも剛志くんを愛していたと思います。

      ただ、お互いに完全に間違ってしまった。愛し方も、なにもかも。

      剛志くんは今、岡山で元気にしています。塗装関係の仕事を任されているようです。真面目なやつじゃないと任せてもらえないんだ、と少し誇らしげでした。

      彼は事件後、初めて他人に胸の内を話し、その過程で反省もし、けれども取り返しがつかない状況も受けいれ、刑期を全うしようとしています。

      彼がしたことは許されません。どんな事情があってもです。
      が、私は彼のこれからを応援していこうと思っています。

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