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寺の朝
薄曇りの、どことなくスッキリしない6月のその日の朝、山間の禅寺に二人の僧侶がやってきた。
この日、奥州市の寺で営まれる落慶法要(寺院などの修繕が終わった後に営まれる法要)に出るために、この寺の住職を迎えにきていたのだ。
寺の庫裡につながる玄関の灯りがついている。朝なのに、消し忘れたか。
僧侶らは声をかけたが、中から家人の返事はなかった。
「ごめんください」
玄関の戸は鍵がかかっていなかった。二人はそっと中を覗いて声をかける。しんと静まりかえった庫裡の中は、朝の光が入ってはいるものの電気はついておらず、寺の朝、しかも出かける用事がある朝の雰囲気としては違和感があった。
二人の僧侶は胸騒ぎを覚えた。そういえばここの住職は、2日前の奥州市の寺通夜にも来る予定だったのに来なかった。電話しても、本人はおろか、同居している母親も出なかった……
寺の本堂とつながる廊下を進むと、引き戸で区切られた居間。そっとその引き戸を開けた僧侶らの目に飛び込んできたのは、血の海の中で倒れている住職と、その母親の姿だった。
母親は割烹着姿でうつ伏せ、後頭部には明らかにひどい損傷が見て取れた。住職は仰向けでTシャツ姿、その胸は血に染まり、血溜まりは頭部の方まで広がっていたという。
僧侶のうちの一人が110番通報しようと携帯電話を取り出したが、この山間の寺は電波が不安定でつながらなかったという。そこで、寺の電話を使おうとしたが、なぜか電話がどこにも見当たらなかった。
一刻を争うと判断した僧侶の一人が寺を飛び出し、近くの檀家に駆け込んでそこから通報した。
警察が駆けつけたが、どう見ても二人ともすでに死亡していた。
事件
警察では現場の状況から二人は何者かに殺害されたと断定。
二人が倒れていた居間にとどまらず、間続きの座敷などにも荒らされた痕跡があったことから、強盗殺人と見て捜査を開始した。
また、住職が倒れていた側には、柄がとれ刃先だけになった包丁も落ちていたという。
大量の血液が残されていたが、いずれも乾いていたことから二人は数日前に殺害されたとみられた。
寺の新聞受けには、6月12から14日までの新聞が入ったままだった。
殺害されたのは、この寺の住職、鈴木秀良さん(当時59歳)と、母親のウメ子さん(当時81歳)。
ウメ子さんの夫である先代の住職が亡くなった後、息子の秀良さんが跡を継いだ。秀良さんには妻がいた時期もあったというが、事件のかなり前から母と息子の二人暮らしだったという。
現場となった寺は、曹洞宗の「遠應寺(えんのうじ)」で、国道343号線から坂道を上った丘のような場所にあった。
ただ、寺への道は1箇所しかなく、上り始めるとすぐに杉林に囲まれているため周辺からは見えない。寺への上り口には民家もあり、見慣れない車や人の出入りがあれば気付きそうなものだったが、不審な人や車が寺へ行った、出てきたという話は全く聞かれなかった。
警察はまず、秀良さんとウメ子さんの目撃情報などを調べ、事件がいつ起きたのかということを確定させなければならなかった。先にも述べた通り、二人の流した血の具合から少なくとも2〜3日は経過していると見られていたが、調べの結果、6月10日に地元の草刈りに秀良さんが参加していたこと、11日の夕方、秀良さんが所有する田んぼ付近に本人がいて、その後檀家の男性が寺を訪ねてウメ子さんを含めた3人でお茶を飲んでいたこともわかった。
しかしその翌日の12日、予定されていた地元のJA主催の座談会にいつもなら出席する秀良さんの姿がなかった。
そしてその日の夕方、広報誌を届けにきた男性が声をかけても誰の反応もなかった、と証言していた。夕方、いつもならウメ子さんが庭先で野菜を洗ったりしているはずなのに、と不審に思ったが、秀良さんの姿もなかったことから用事で出かけたのかな、くらいに思っていたという。
この時男性は玄関の中まで入っている。鍵はかけられていなかったのだ。
13日の朝、新聞配達員も前日の新聞が残っていることに気づいていた。が、新聞受けは寺から坂道を下った道路沿いにあるといい、いつもは秀良さんがとりに降りてきていた。
梅雨時で天候も悪かったこともあり、1日くらい新聞が残っていても特に気に留めなかったという。
20戸もない小さな集落で起きた凄惨な事件。しかも被害者は長年この地域で先祖を守ってきた寺の住職とその母親という、なんとも罰当たりというかよりにもよってというか、とにかく信心深い地域の人々は強い憤りと深い悲しみの中にいた。
それだけではなく、犯人の目星が全くつかないということで、地域の人々は不安な日々を過ごさざるを得なかった。状況から強盗殺人であることは間違いなく、ということは別の家が狙われていた可能性もあるのだ。
そしてそれは、地域の人々の間で疑心暗鬼となり、さまざまな噂となって垂れ込めていた。
獅子舞を踊る男
秀良さんの遺体のそばには、柄がとれた包丁の刃先が落ちていた。が、その包丁が「精進料理」を作る際に使われるものと似ているとされ、そこに意味を見出す人もいた。
また、二人が死亡したのは6月11日の夕方以降と見られていたが、当然、最後に会った男性は何度も事情を聞かれた。第三者が同席していなかったことで、男性も当初は居心地の悪い思いをしたことは想像に難くない。
そして6月18日になって、近隣の住民らからある話が警察にもたらされた。
それは、獅子舞を踊る不審な男二人組だった。
事件の起きる前の5月下旬頃から、この集落では見慣れない男の姿があったという。男は二人組で、作業着姿。白い車に乗ってこの集落に現れ、各家庭を回ったという。
そして軒先で「獅子舞」を踊った。男たち曰く、「魔除け」だという獅子舞だったが、踊り終わると金を要求された。
多くの人らは断ったというが、中にはつい幾らかを渡したという人もいた。
また男たちは「小遣いをください」とはっきりいうこともあり、地域では噂になっていたという。
このような、怪しい訪問者は田舎には多くて、そのバリエーションも豊富だ。よくあるのが、善行を促すというやつで、例えば障害者が書いた絵葉書や焼いたクッキーを買ってくれというもの。さほど高価でなく、一応、絵葉書やクッキーなどの見返りがあるのでつい買ってしまう人は割といる。
中にはその地域の住民の名前を出して、「○○さんは買ってくれました」などと謎のプレッシャーをかけてくる人もいる。
しかし残念ながらそういった訪問者の中にはそういった障害者の団体と何の関係もない人がいて、というかほとんどそうだろうといってよい。
警察では当然、この不審な二人組も捜査対象としていたが、これ以外にも実は不審な点がいくつかあった。
それは、二人の死亡推定時刻に関するものだった。
引き戸と風呂の電気
11日の夕方以降に秀良さんとウメ子さんを見た者はいない。また、翌12日の予定をすべて連絡なしで欠席していることからも、12日の午後までには少なくとも秀良さんは事件に巻き込まれていたとみていいわけだが、実はその12日の夜、風呂場の電気がついていたという証言があった。
証言したのは寺の近くに暮らす女性(75歳)で、自宅からは寺が見える位置にあった。何気なく12日の夜に寺を見たところ、風呂場に電気がついていた。ところが、13日の夜には電気は消えていたというのだ。
もうひとつあった。
あの広報誌を届けに来た男性は、12日の夕方に訪ねた際、居間の引き戸が開いていたと証言していた。ところが、14日の朝、僧侶が寺を尋ねた際、その引き戸は閉まっていたのだ。
ということは、12日の無断欠席はたまたま、あるいは何らかのトラブルが発生していたものの、秀良さん、ウメ子さんのいずれかは生きていたということなのか。
しかし、現場の状況からふたりは不意を突かれたかのような形で殺害されていた。縛られたり、そういった状況ではなかった。
もう一つ考えられることとして、12日の夜まで犯人が寺に隠れていた可能性があった。広報誌を持って男性が訪ねた際に開いていた引き戸が14日の朝には閉まっていた。風呂の明かりは見間違いでも、引き戸については間違いがなかった。
部屋の中からは、電話も消えていた。電話線も切られており、犯人が外部への通報を遮断するためにあらかじめなのかは別にして、そこには計画的な面も見え隠れしていた。
一方で、茶箪笥などが荒らされていたことから強盗目的とみられていたが、荒らされていたのは庫裡の一階部分のみで、二階や本堂などは侵入した痕跡がなかった。
また、ウメ子さん、秀良さんのそれぞれの預金通帳から事件前後に不審な引き出しは確認されなかった。
自宅から金銭が持ち出されたかどうかも、判断がつかなかった。
はたしてこれは強盗なのか。
寺という性質上、見知らぬ客でも応対することはあったろう。しかし、なぜ庫裡なのか。普通、客ならばとりあえず寺の方へ案内するのではないか。
庫裡へ通したということは、ざっくばらんに向き合える相手だったのか。事実、秀良さんはTシャツ姿だった。
縛られることもなく、二人がほぼ同時に殺害されている状況と、秀良さんが刃物で刺された傷が2か所だけだったのに対し、ウメ子さんには頭部への鈍器によるものとみられる傷があり、刃物による傷は秀良さんよりも多かったことなどから、恨みによる犯行もしくは複数犯の可能性も見えていた。
あの獅子舞の二人組は確かに怪しかったが、それ以上の情報はなく、捜査線上からはすでに消えていた。
捜査本部はホームページ上で事件の情報を集めていたが、秋風が吹き始めた10月、一つの情報を公開した。
鑑識の結果、現場の血痕の中に被害者の二人以外の血痕が見つかったのだ。
それは事件が起きた際、現場にウメ子さんではない「女」がいたというものだった。
檀家の娘
事態が動いたのは、12月に入ってすぐのことだった。
県警捜査本部は、同じ町内在住の45歳の女を強盗殺人の容疑で逮捕したと発表。女は取り調べに対して大筋で容疑を認めているといい、半年にわたって小さな集落を恐怖に陥れた事件はようやく解決へとむけて進み始めた。
逮捕されたのは遠應寺の隣町に暮らす飲食店店員・千葉正子(しょうこ)(当時45歳)。
正子の実家は、遠應寺の檀家だった。
近所の人らは安堵するとともに、檀家の娘が犯人だったことに衝撃を受けた。ただ実家の近くの人らによれば、正子は嫁いですでに20年近く経っており、深い付き合いはなかったという。それでも正子は父親の墓参りのためにこの遠應寺を訪れていたといい、ウメ子さん、秀良さんとも面識があったとみられた。
警察では正子単独の犯行なのか、それとも共犯者がいたのかなどを慎重に捜査を進めたが、正子に共犯者はいなかった。
正子は調べに対し、動機については曖昧な供述をしていたというが、6月11日の夜、遠應寺に電話をかけて訪問する旨伝え、車で一人寺に向かったと話していた。
が、のちに接見した弁護士に対し、「借金がありそれの相談で寺に行ったところ、和尚さんに侮辱され、殺してしまった」という話をしたことが分かった。
なお、現場に残されていた血痕の一つと、正子のDNAが一致したことも明かされた。
正子は二人を殺害後、部屋を物色して現金15万円を盗み出していたことも自供。
正子が知人らからも金を借りていたことも分かっており、警察では正子に対してウメ子さん、秀良さんのいずれかが金を貸していた可能性もあるとして捜査を続けていた。
また、正子と秀良さんには共通の趣味があったことも分かっていた。
それは、パチンコだった。
正子は夫とともにパチンコが趣味で、一関市中心部のパチンコ屋では正子の姿はよく見られていた。
それは事件後も変わらずで、正子を知る誰もが、「平気な顔でパチンコをしていた」ことに驚いていた。
一方で、正子に対する評判は決して悪くはなかった。
市内のラーメン店で働いていたという正子は、店の責任者からも信頼を得ており、釣銭の両替など金の管理も任されていた。
町内の役員なども嫌がらずに担い、その際にもトラブルなどは一切なかったという。
自宅前で笑顔で雪かきをしたり、朗らかで明るい人、という声しか聞こえてこなかった。
結婚後、夫とその両親らと同居し、娘二人にも恵まれ決して裕福とは言えなかったけれど、娘に書道を習わせるなど出来ており、それなりに生活していたように見えたと誰もが口をそろえた。
そんな正子がなぜ、突然寺に強盗に入るという暴挙に出たのか。しかも、事前にラーメン店から刃物を盗み出して、持参していたのだ。
不安の連鎖
正子は事件の20年ほど前に結婚、事件当時は一関市東山町長坂という場所で暮らしていた。
知人によれば、10年ほど前に夫の親族が経営していた衣料品加工会社が倒産、また夫自身も職が安定しなかった時期があったといい、そのころから市内のラーメン店で正子も働くようになったという。
日曜以外はほぼ毎日出勤し、昼ピークを挟む5時間ほど勤務していた。
狭い町の中で、親族の会社の倒産という事実は結構な人が知っていたようで、千葉家に多額の借金があるということも多くの人が知っていたという。
正子は苦しい時期に生活費をクレジットカードや消費者金融で回したこともあったといい、平成17年の夏時点では200万円ほどの借金があった。
しかし正子は親戚の協力を得て、その200万円の借金は完済している。
苦しいながらも、一族が協力して借金を返済し、またその後は夫の仕事も安定したことなどから、千葉家には平成17年の9月以降事件当時まで35万円の安定した月収のほかに、同居の夫の両親の年金もあった。
にもかかわらず、正子には借金が事件発生時点で225万円に増えていた。
理由は、パチンコだった。しかもどこからどういう借り方をしていたのか、月の返済は11万円にのぼったという。当然、夫や両親らには内緒だった。
何とかやりくりを続けていた正子だったが、平成18年の春、夫の父親が癌で余命いくばくもないと診断され、狼狽える。
父が死亡すれば年金が入らなくなる。日々の生活費は何とかなっても、固定資産税や冠婚葬祭費などのイレギュラーな出費は、都度、両親の年金に頼っていたからだ。
さらに事件の一か月前、夫から会社が倒産するかもしれないと聞かされる。
このままでは家計が破綻してしまう……
この頃から正子は漠然と、罪を犯してでも金を用立てなければと思い詰めるようになっていく。
そんな時、実家の父親の墓参りで遠應寺を訪れる機会があった。墓参りをしていたところ、ウメ子さんと行き会った。墓参りの正子にウメ子さんが、
「なにかあったら相談にいらっしゃい」
とにこやかに声をかけてくれたという。
正子は6月11日、そのことを思い出していた。
しかし正子が思いついたのは、借金の相談をしようということではなく、ふたりを殺して金を奪うというものだった。
「おめも、その血引いてるんだから」
正子は先に述べたように寺に電話をかけ、訪問する旨を伝え手土産を持参して寺へと向かった。
その際、バッグにはラーメン店から盗み出した包丁を忍ばせ、さらには髪の毛などが落ちないようにバンダナでまとめ、手袋なども用意していた。
庫裡に通された正子は、促されるままコタツに座った。
そこで借金のことなどを話し、金を貸してくれないかと秀良さんに頼んだという。
お茶を淹れるためか、ウメ子さんが席を外した際、秀良さんは正子に対して思いもよらぬことを言ったという。
「金はあるけど貸されないな。〇〇(正子の母親)は体売って男から金もらってた。おめも、その血引いてるんだから、体で稼げ。」(判決文より)
何の話?!と正子自身思うだろうと思いきや、正子はハッとしたという。
実は正子は幼少のころ、実母が親戚の男性(正子の伯父)と抱き合っている場面を見たことがあったのだ。
さらには、母親が伯父と一緒にいる際に手に金を握っている場面を見たこともあった。
正子の中で、何かがキレた。
正子は秀良さんの腕をつかむと強引に引き寄せ、隠し持っていた包丁で胸を一突きにした。それは肝臓を貫く深さまで刺しこまれ、秀良さんは思わず倒れ込んだ。
その時、部屋にウメ子さんが戻ってきた。事態が飲み込めないものの、様子のおかしい息子に駆け寄ろうとしたその背後から、正子は灰皿をつかんで後頭部めがけて何度も殴りつけた。
訳も分からぬまま部屋中を逃げ惑うウメ子さんを追いかける正子を、瀕死の状態ながら秀良さんが阻止しようとする。正子はそれを叩き払い、ウメ子さんの首や胸、背中を何度も突き刺し、ウメ子さんを失血死させた。
ウメ子さんの右腕には、それを貫通するほどの刺創があったという。
ふと振り返ると、秀良さんが必死の形相で這いずっているのが目に入った。その手の先には、電話があった。
正子は回り込んで電話機を取り上げると、電話線を切り、そして秀良さんの左胸をとどめと言わんばかりに突き刺した。
動かなくなった秀良さんを横目に、正子は居間と続き間の8畳間、10畳間を物色し始める。押し入れや茶箪笥などを片っ端から開け、金目の物を探し回った。
10畳間の奥に金庫のようなものを見つけ開けてみると、中には布団が入っていた。それを引っ張り出すと、奥にはバッグがあり、中に15万円が入っていたためポケットにねじ込み、寺を後にしたのだった。
正子は事件後も何ら変わりない様子で日常生活を送っていた。
奪った15万円は借金完済にはほど遠く、結局、正子はパチンコ店に足を向けた。
しかし事件から半年の間、警察の捜査の手は確実に正子へ近づいていた。血痕の中にウメ子さんではない女の血液があったことで、警察から参考人の一人としてDNA(唾液)の提出を求められた(この時点では複数の人物がいたと思われる)。
焦った正子は他県に赴き、街頭調査を装って他人の唾液を手に入れる(!)と、それを何食わぬ顔で警察に提出していた。
(多分、正子に的が絞られたのはこれのせいじゃないかと思っている。というのも、おそらく顔見知りの犯行の線は強かったと思われ、近所や檀家の女性らはDNAの提出を求められただろうし、実際正子も実家の母親からその情報を得ている。となれば正子の母親も提出していた可能性があるわけだが、そのDNAと正子の提出したDNAは本来ならば親子関係を示す程度に一致していなければならないのに、他人の物を提出したためにおかしなことになってしまった。
そんなことをするのは犯人以外になかろうということ……と、CSIとかLAW & ORDERとか見すぎの私は想像してしまった。)
浅知恵は見破られ、正子は観念した。
強盗か、窃盗か
正子は事件を起こす1か月ほど前から強盗してでも金を作らなければと思っていた、ということは認めていた。実際に包丁をパート先から盗んでもいたし、なによりあの日寺へ向かった際、あらかじめ包丁や手袋をバッグに忍ばせていたことからも、強盗目的で寺に向かったことは明白だった。
ところが、初公判で正子は罪状認否において強盗殺人を否定した。
「二人を死なせてしまいましたが、お金をとる目的ではありません。でも、お金を取ったことは認めます。」
…はぁ?な話だが、弁護側の主張によれば以下のとおりである。
正子は確かに寺につくまでは強盗をする気でいた。これは認めている。が、いざ庫裡に通され秀良さんを間近で見たとき、思ったよりも大柄だったことや、いくらもう一人が高齢の女性とはいえ一度に二人は無理だと思い、強盗は断念したのだという。
そこで、借金があることを話して金を貸してもらえないか、あるいは、お金を貸してくれる先を紹介してもらえないかを相談しようと方向転換した、というのだ。
普通は逆だよね、と思いはするが、ともあれ、正子は強盗する気が失せていたというのだった。
しかしお茶を淹れにウメ子さんが席を外した際、先にも述べた通り秀良さんから思いもよらぬ言葉を投げかけられたことで激高、「怒りや憎しみで我を忘れて」秀良さんを刺してしまった、そしてその後、戻ってきたウメ子さんに見られたと思い、やむなくウメ子さんも殺害するに至った、という主張だった。
でも結局金取ってるんでしょう?と思うが、実は強盗が成立するためには「殺害時に」金を奪う目的がなければならない。
簡単に言うと、相手を殺して物を奪う、物を奪ってから相手を殺すは、順番に関係なく強盗の意思が生じて持続しているために強盗殺人罪が成立する。
しかし、最初は物を奪う意図がなく、恨みや憎しみという感情によって殺害に及び、たまたまそこにあった財布から金を奪った、という場合は、殺人罪と窃盗となる。
(※参考・引用 東京ディフェンダー法律事務所 強盗殺人と強盗致死)
強盗殺人の法定刑は無期または死刑であるのに対し、殺人罪と窃盗の組み合わせとなれば、たとえ被害者が二人であっても死刑になる可能性はぐんと下がる。
ましてや、殺害のきっかけになったことが被害者側の落ち度と認定されたりなんかした日には、無期どころか有期刑になる可能性もある。
この正子の裁判は、2人死亡という結果があるため、強盗殺人罪が成立すれば死刑判決が出される可能性が高かった。
この裁判での検察と弁護人の闘いはそこにあった。
弁護側は殺害時に強盗の意図はなく、強盗殺人は成立しないと主張、一方で検察は、凶器を準備していたことや現場で偽装、隠蔽工作をしたこと、そしてなにより、殺害のきっかけと言われる秀良さんのあの発言自体、正子が作り出した「嘘」であるとし、真っ向対立した。
平成20年9月23日の公判において、検察側は正子の実母を証人として呼んだ。
あの事
検察は、そもそも秀良さんは地域の住民らから非常に厚い信頼を得ていたこと、地域の行事にも積極的に参加し、子供がいないにもかかわらず小学校に寄付をするなど篤志家としても知られていたことに加え、住職という立場上、そのような発言を不用意にするとは思えないと主張していた。
また、正子自身、捜査段階での供述が変遷していることや、事件までほとんど面識のなかった二人にいくら檀家の娘とは言え、唐突に多額の借金の申し込みをすること自体が不自然だとして、正子の供述の信用性は低いと訴えていた。
この日証人として出廷した正子の実母は、正子の話を一蹴。すべてにおいて事実ではないと証言した。
それは当然、相手とされる伯父も同様で、不適切な関係も、そうと間違われるような行為、言動も一切なかったと言い切った。さらに事件後正子から手紙を受け取っていたという実母は、その手紙の中にも
「10才~20才前までは、どちらかというと母さんのことを、あのことが原因でけいべつしてました」
という内容があったものの、「あの事」と言われても何のことなのか心当たりはなかったと証言。
また、正子の実家(実母)と遠應寺の関係、ひいてはウメ子さんや秀良さんとの関係も特段悪いこと言うこともなく、秀良さんがわざわざ娘にそのようなことを言う理由も見当たらないと話し、その心中は別にして結果的に娘である正子が嘘を言っているという検察の主張に沿う形となった。
それとは別に、検察は正子が逮捕された当初、秀良さんから侮辱されたという内容について、全く違う話をしていたことを明かした。
それは、秀良さんから「やらせろ」と言われたというものだった。
しかし正子は後にそれを撤回、母親と自分に対する侮辱、としていた。
供述の変遷はほかにもあった。
一番重要な、殺害時に金を奪う意図があったかについてである。
罪状認否ではそれを否定し、公判の中でも捜査官に対し金をとろうと思って殺害したわけではないと訴えていたにもかかわらず、捜査官の巧みな文章に惑わされ、「そうなのかな」という認識の下、調書に署名したと話した。
ところがその調書というのは、
「和尚さんからそのような小馬鹿にしたような態度をとられたのでなければ、和尚さんを殺そうとは思わなかったと思います。一方で、私が和尚さんからお金を奪い取ろうと思って和尚さんを包丁で刺して殺したということも、間違いありません。」(判決文より)
というもので、どこをどう読んでも金を奪おうと思って刺した、としか読めない。
さらに、
「私は、その時、和尚さんを殺してお金を奪い取りたいという気持ちがなかったら、母のことを言われて小馬鹿にしたような態度をとられたからと言って、和尚さんを包丁で刺して殺すまでのことはしなかっただろうと思います。」(判決文より)
と続くのである。
検察はこのようなことから、秀良さんが言ったとする侮蔑的な言葉は正子が作り上げた都合のいい「被害者の落ち度」だと主張した。
そして検察は、正子に対し死刑を求刑した。
判決
検察は、個人的な借金を穴埋めするために強盗を計画し、実行していること、その借金の原因がパチンコであることなどから、動機について酌量の余地はないとした。
また、秀良さんが発したとされる侮蔑的な言葉はなかったとし、秀良さんに殺害されるような落ち度もなかったと主張。
犯行に及ぶ前から証拠隠滅のことも想定するなど様態は悪質で、犯行後もパチンコに興じるなど後悔の念が感じられない、よって更生の可能性なしとして正子に対し、死刑を求刑した。
弁護側は、秀良さんからの侮辱に関連する正子の供述は具体的であり事実であること、犯行後もパチンコに興じていたのは、パチンコをしているときだけ犯行を忘れられたからで、決して後悔の念がなかったわけではないこと、借金が出来たのも家計の問題も絡んでいて同情すべき点もあること、殺害行為も突発的に始まったことから、用意していた手袋も実際には使っていないこと、44歳でこれまでに前科前歴もなく、抹殺してよい人間ではないとして死刑回避を訴えた。
平成20年10月8日、盛岡地裁は正子に対し、求刑通りの死刑を言い渡した。
裁判長は、計画的な強盗殺人の成立を認めたうえで、動機に酌量の余地はなく、その犯行様態も殺害行為自体もそれに続く金品の物色行為も極めて悪質、非道というほかなく、その非人間性に戦慄を覚えると厳しく批難した。
そして、当公判廷において、強盗目的でなかったとか、秀良さんに性的なことを言われたなどと虚偽あるいは責任回避的な姿勢を見せており、真摯に反省しようとする態度は十分ではないとし、被害者の無念、絶望、恐怖、苦痛、そして遺族のみならず寺を慕ってきた地域の人々にも恐怖や不安を与えており社会的影響も大きいとした。
ただ、正子自身が、反社会的性格および犯罪傾向が根深く更生可能性がないとまでは言えないこと、秀良さんの侮辱的な言葉が100%存在しないことだったとまでは言えないことなどは、考慮すべきであるとした。
そしてそのうえで、たとえ秀良さんに侮辱的な言葉を投げられたのが事実だとしても、それは事前に計画していた強盗を実行に移すきっかけ程度の意味しか持たないし、なにより無関係な二人が自己中心的な動機により命を奪われたこと、その殺害行為の残虐性、執拗さ、その後の人倫に悖る行動など際立った悪質性、非人間性を前にした時、それらの酌むべき事情、中でも正子のこれまでの生活歴や社会性から期待できる更生の可能性を最大限に斟酌したとしても、死刑を回避できる案件ではないと締めくくった。
主文を後回しにされ、判決文を読み上げられている間、正子は涙を流し、判決を聞くとうなだれるように、あるいは納得したかのように、大きくうなずいた。
盛岡地裁での死刑判決言い渡しは、平成19年4月に言い渡された洋野町の母娘殺害事件以来だった。
弁護側は即日控訴。
ところがこの裁判は、その年の暮れ、唐突に終わりを告げる。
控訴取り下げでもなく、正子は自ら刑を執行したのだ。
平成20年12月30日午前11時35分、収容されていた仙台拘置支所内の独居房にて、正子はシーツを窓枠にくくり、首をつっていた。
すぐさま病院へ運ばれたが、約1時間後に死亡が確認された。
懺悔滅罪
正子はあの日までどこにでもいる普通の人だった。
正子でなくても、パチンコにハマって借金作る人は山ほどいる。どうでもいいが私も過去にスロットで4日連続で合計27万円負けたが翌日有り金はたいて挑み、結果34万出して取り返して他の客にサクラ呼ばわりされたことがあるほどのバカである。番長2は見てない演出はないというほど入れ込んだ。
それはさておき、正子はそれでも家族のために日々暮らし、働き者で周囲には笑顔を絶やさない、害のない良い人だった。私だってそうだ。そう見えているはずだ。
それがなぜ、死刑を宣告されるまでになってしまったのか。
裁判では殺害の様子が明かされ、その残虐性と執拗性は確かに戦慄を覚えるものだったし、そもそも金がないとはいえなぜいきなり犯罪、しかも強盗になるのか、その兆候の全くない人だったからこそ、理解に苦しむ。
しかし事実として、正子のやったことは殺害以外の面においても悪質というか、常人離れしているという面があった。
DNA提出を求められた際の隠蔽工作もさることながら、そのもっと前、殺害の直後の行動も背筋が凍る。
正子は秀良さんを刺し、ウメ子さんを殴り刺した後、自分の手もけがを出血していることに気づいた。そこで正子がしたのは、ウメ子さんから流れ出る夥しい血に、血だまりに、その右手を浸すという行為だった。
これは、血液がまじりあうと判別不可能になるという話を聞いていたことから思いついたというが、それにしてもやけに冷静である。
そして、いまだ絶命に至らず、血まみれで目を開けたり閉じたりしている秀良さんに座布団をかぶせ、室内を物色し続けたのだ。
あの話を覚えているだろうか。12日の夕方に広報誌を配布しに遠應寺へやってきた男性が、引き戸が開いていたと話していたのに、14日の朝、遺体を発見した僧侶らはその引き戸が閉まっていたと話していたことを。
正子は二人を殺害後、いったんその場を離れたものの、証拠隠滅が不十分だったのではないかと不安に駆られた。そして、二人の遺体があるその現場に戻ると、自分の指紋がついていそうな場所を片っ端から調べ、凶器の灰皿や取り上げた電話機などを持ち帰ったというのだ。
世に多くの凶悪犯はいるが、再び自分が殺した人の遺体が転がる現場に戻るという神経は相当なものと言わざるを得ない。誰かに見られる可能性だってあったのだ。
正子はそれらを勤務先のラーメン店から出るごみに混ぜ、北上川に遺棄した。
ただ、素人なりに思うこととして、強盗ではなく窃盗だと主張した点はかなりまずかったのではないかと思わなくもない。
この裁判の少し前、ほとんど同じような内容の事件(被害者二人、金銭に困窮した末の強盗で事前に計画あり)の裁判があり、死刑求刑されたものの判決は無期懲役となっていた。
この裁判でも、検察は強盗殺人を主張したが、弁護側は殺害時点では金目当てではなく被害者である男性の言動に怒りを覚えたためとしており、その男性に対しては強盗殺人は成立しないと主張していた。
裁判所は強盗殺人の成立は認めたものの、一部弁護側の主張も認めた形となり、無期懲役という判決が下された。
正子の裁判はこの一審判決が出た後に始まっており、当然、弁護側が弁護方針として参考にしたのは言うまでもないだろう。
ところが正子の場合はあまりに犯行後の様態が悪すぎた。証拠隠滅もだが、殺害後も平然とパチンコ店に通っていたというのはいくらなんでも、有り得ない。
そもそも、奪った金は15万円で借金返済の屁のつっぱりにもなっていないわけで、では何のために強盗殺人をしたのかという思いもある。
これはあの青森の武富士放火でも書いたのだが、あの事件でも犯人はその金がなければ人生終わりくらい思いつめていたはずなのに、1円も奪えなかった。しかし犯人の人生は終わることなく普通にその後も続いていた。
正子もそうだ。強盗に入っても大した金を奪えず、結果、強盗などしなかった場合とさほど結果は変わらなかった。夫の会社が予定通り倒産していたとしても、義父が亡くなっていたとしても、事実として正子は普通にパチンコに行く日々を送れていたのだ。
話を元に戻すが、なんというか、大事なことなのは分かるけれども、強盗殺人を計画しておいて、凶器も準備して、でも直前でその意思はなくなった、が、被害者の余計な一言で殺したのだ、金は結果的に盗んだけどそれは後から思いついたのだということ自体、信じられるような話ではないと思うのだ。
法律を厳密に解釈しているというよりも、ただの言葉遊びという気さえする。
しかも、正子の事件の場合あたかも殺害のきっかけを作ったのは秀良さんであるかのような、その主張も気になった。
裁判所は、秀良さんの発言があったかなかったかについて、正子の記憶が具体的であることに触れ、たとえ実母とその伯父が関係を否定したとしても、それをもって正子が嘘をついた、要するに秀良さんの侮辱的な発言はなかったとするには足りない、としている。
正子は幼少時に父を亡くしており、母親が女手一つで育ててくれたという。ただ、幼い日の記憶の中に、自宅の肥料が積み上げてある場所で、母親と伯父が横になって抱き合っている場面が焼き付いていた。
幼い正子にはそれの意味がわからず、後日祖母にその話をしたところ、祖母が母親と伯父を呼びつけ、その二人の前で正子にその時の話をするよう強いた、という。
しかし証言台に立った実母は、それをすべて否定した。正子が何のことを言っているのかすら、わからないと言った。この母親の証言がどれだけ重要なのか、わからないはずはなかろう。それでも、母親は先にも述べたとおり、「(そんな事実がないのだから)和尚さんがそんなことを言う理由もない」と証言した。
もちろん母親の苦悩も分かる。正子のために正子の言っていることが事実だと言ってしまうと、自分のみならず伯父らの家族も崩壊する。かといって、嘘だと言えば、実の娘に不利な証言になってしまう。
実の娘が和尚さんとその老母を殺害したそのきっかけが、まさか自分の過去と関係しているなど、たとえ事実であっても絶対に認めたくはないだろう。いや、もっと単純に考えて、正子を捨てたか。
正子に情状証人が立ったという話は報道などでは出ていない。判決文の中でも、たとえば娘たちが、親が、夫が妻が帰りを待っているなどというよくあるアレも出てこなかった。
この情状証人の重要さは、広尾町の幼児殺害事件、佐賀長崎連続保険金殺人、その他、様々な事件でも言われている通り、どっちに転ぶにしてもいるといないとでは大違いである。
佐賀長崎連続保険金殺人の山口(現姓・水田)礼子が一審死刑判決だったのが控訴審で無期となったのも、子供らの嘆願が大きかったはずだ。
しかし正子には、命までは取らないでほしいと願った家族は、被害者遺族を怒らせてでも言ってくれる家族は、表向きはおそらくいなかったのかもしれない。
裁判が進むにつれ、正子は反応しなくなっていったという。弁護人は、判決日の数日前、「もし死刑だったら控訴するから」と正子に伝えた。
しかし、それを聞いた正子は、無反応だったという。
ただ、公判中、こんな言葉を遺していた。
「命をもって償えというのであれば私はそうしようと思います。」
裁判所は、この反省悔悟の情を認めたうえで、死刑判決を出したのだ。
本当の反省とは、過ちの根本にある欲や煩悩から離れることこそが、その本質、懺悔であるという。
其大旨は、願わくは我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、仏道に因りて得道せりし諸仏諸祖我を愍みて業累を解脱せしめ、学道障り無からしめ、其功徳法門普く無尽法界に充満弥綸せらん、哀みを我に分布すべし、仏祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は仏祖ならん。
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
『修証義』の第二章「懺悔滅罪」第九節、第十節(禅の視点-life-)
正子は幼き日々に親しんだはずの、父が眠るその寺を蹂躙した。
遺族が訴えていた、「二人の最後をきちんと話して」という訴えを、己の罪を、正子はどう解釈したのか。
裁判は公訴棄却、死刑確定前だったことから正子の名前は事実上消えた。
ちなみに、そのほとんど同じ内容の事件、裁判で一審無期懲役だった被告人は、控訴審で死刑判決となり、上告棄却で確定している。
彼は令和3年の12月、拘置所内で病死した。
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取調室にて
「刑事さん、俺霊感あるんだけど。一関で坊さん殺した人ここに来てるでしょ。」
とある容疑で取り調べ中だった被疑者の男は、突然こんなことを言い出した。
何を馬鹿なことを……というのも、一関の被疑者は捜査本部のある千厩(せんまや)署で取り調べを受けている。ここではない別の署だ。
「変なこと言うなよ、来てないよ」
しかし男は続けた。
「さっきから血だらけのおばあさんがぶつぶつ言いながら廊下歩いてるよ、取調室の戸を開けたり閉めたりしてる。」
「死刑にしろって言ってる」
こういうことを言うやつはいる、そう思って特に気にも留めなかったという警察官だったが、後日何気に同僚にその話をしたところ、なんとその時、正子は千厩署からこの警察署に移送されていたという。
男は、
「おばあさん、あの女を捜してるみたいだよ」
と言っていた。
ただの男の与太話に乗る気はないが、殺害の状況、被害者の無念を思えば「そんなの嘘だ」と言い切るのもまた、躊躇してしまう。
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参考文献、サイト
NHKニュース 平成19年6月14日、16日
朝日新聞社 平成19年6月15日、21日、10月6日、12月6日、7日、8日、12日、平成20年4月24日、6月3日、9月17日、23日、10月6日、9日、12月30日東京地方版/岩手
読売新聞社 平成19年6月15日、16日、18日、12月6日、7日、8日、平成20年10月9日東京朝刊
産経新聞社 平成19年12月6日東京朝刊
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