ある少年の死~明石市・日本刀重過失致死事件~

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ある夜の夫婦喧嘩

明石市内の団地のとある一室。そこで暮らす夫婦が囲んでいた夕餉は、冷え切っていた。
妻は前々日に夫が出かけたゴルフに、女性が参加していたことを知って不機嫌だった。夫も、酒を飲んでいい気分で帰宅したのに、妻はふくれっ面のうえ、食べている途中でしょうが状態のおかずを下げられたことでイラついていた。

「言いたいことでもあるんなら言えや」

二人は口論となり、酔いも手伝ってか夫は「ぶっ殺してやる!」と椅子を蹴った。妻も怯まず、台所から文化包丁を持ち出し、その刃先を夫に向けた。

事件

平成10年5月19日午後8時前。明石市の病院から刃物で刺された少年が運び込まれたと通報があった。
少年は右側胸部を刃物で一突きにされており、胸部大動脈及び下大静脈刺創による出血多量でその後死亡した。

亡くなったのは明石市魚住町在住の中学3年生・松田聖くん(仮名/当時14歳)。その日は野球部のクラブ活動があった後で、ユニフォーム姿だった。
付き添っていたのは聖くんの母親だったが、駆け付けた警察官に対し
「夫と口論になった際にもみ合いになり、息子が止めようと間に入ったところ自分が手に持っていた文化包丁が胸に刺さってしまった」
と話したため、殺人容疑で緊急逮捕された。

逮捕された母親は、松田美津子(仮名/当時56歳)。聖くんの死亡に呆然としながらも、自らの愚かな行為で最愛の息子を失った罪の重さを噛みしめているようだった。

聖くんは中学でも明るい性格で、野球部では控えのピッチャーだったが17日に行われた試合では先発するなど、熱心に打ち込んでいる様子だった。
家庭でも、父親がキャッチボールに付き合う姿はよく見かけられており、一家で出かけることも多く仲の良い家庭に見られていた。

ほんの一時の感情的な行いが、その幸せだった家庭をぶち壊してしまった……

しかし、母親の愚かな行為は、別にあった。そして、もう一人の大馬鹿者の存在もあった。

夫婦のウソ

事件の二日後、明石署は聖くんを刺したのは母親の美津子ではないとして釈放した。
聖くんを刺したのは、なんと父親のほうだった。それを、妻である美津子がかばい、自分が刺したと虚偽の証言をしていたのだ。

殺人容疑で逮捕されたのは聖くんの実父で会社経営の松田好一(仮名/当時46歳)。美津子は犯人蔵匿容疑で改めて逮捕された。

しかも、聖くんを刺したのは文化包丁ではなく、違法に所持していた日本刀だった……

調べに対し美津子は、「けんかを吹っ掛けたのは自分で、夫には守るべき会社と社員がいる。自分が罪をかぶるのがいいと思った。」と供述。
いったんはそうすることが夫婦間で合意となったが、その後夫の好一が親戚に相談したところ、親戚に諭されて出頭したのだった。

自宅からは、血がついた日本刀(刃渡り約40センチ)も発見された。

積み重なる愚行

罪を認め出頭した好一だったが、その後の裁判では不誠実な対応が見られた。
殺人罪で逮捕となったものの、起訴された際の罪状は重過失致死(銃刀法違反もある)。検察は「未必の故意に近い」とした。
検察は、口論となった際に妻が咄嗟に文化包丁の刃先を自分に向けたことで激高、隠し持っていた日本刀を持ち出したところ、先ほどまで開いていた隣室のふすまが閉じられていたためさらに頭に血が上り、日本刀をふすまめがけて突き刺したところ、その向こう側に立っていた聖くんの胸を突き刺した、とした。
もちろん、聖くんを狙ったものではないし、妻を脅かすためにしたことなのはわかる。聖くんに対して殺意など微塵も持っていなかったろう。

しかし弁護側は、ふすまを突き刺そうとしたわけではなく、閉まっていたふすまを腹立ちまぎれに蹴ったところ、そのふすまが外れ、勢いで前のめりになって偶然に日本刀がふすまを突き刺してしまった、と主張。ふすまを突き刺す意図すらなく、過失の程度も低い、とした。

神戸地方裁判所は好一と弁護側の主張を一蹴した。

聖くんの傷は深さが20センチ以上、やや上方から下方に向けまっすぐに刺しこまれていた。もしも好一が言うように、前のめりになったはずみで刺さったというならば、手の位置や日本刀の持ち方がどうやっても不自然な形になる。
それについて、その時の体勢や持ち方などを聞かれても、好一は「覚えていない」を繰り返すばかりで合理的な説明は一切なされたなかった。

さらに、出頭する前に親族(実兄)に相談した際、はっきりと
「おばはん(妻)と喧嘩になっておばはんがふすま閉めたんや。そんで、ふすま刺したら、聖がおったんや。聖が見えとったら、そんなことするわけないやろ。」
と話しており、意図的にふすまを刺したことを認めていた。

閉まっていたふすまは、好一が開けようとしても開かなかったという。おそらく、聖くんが夫婦喧嘩を止めるためにふすまを押さえ、開かないようにしていたのではないか。家の中には聖くんもいたことは、好一も知っていたし、部屋数の多い豪邸ではなく団地の一室である。そのふすまの向こうに、手で押さえる聖くん、あるいは美津子がいるかもしれないと、思わなかったのか。
裁判所は、その「わずかな注意」を好一が払わなかったことを断罪した。

また、事件後に美津子が身代わりを申し出た際にそれを承諾し、つじつま合わせのために美津子が持ち出した文化包丁に聖くんの血糊をつけるなど、ちょっと信じられない行動に出ていた。我が子やぞ。

それでも、下された判決は懲役2年。たったの、2年だった。

親子より夫婦

神戸地裁は、量刑の理由としてこのような事情を記している。

聖くんの肉体的、精神的苦痛は想像を絶するとしながらも、好一にとっても最愛の息子であり、自身の愚行によって死なせたことを後悔していること、前科がないこと、養っていかなければならない従業員がいること、そして、妻をはじめ、周囲の処罰感情がそれほど大きくないことを挙げた。

……処罰感情が大きくない、のか。

もう意味が分からない、わざとじゃないんだからとかそういうこと??
不幸な事故だとでもいうのか。両親のけんかに胸を痛め、なんとか母を守ろうと必死にふすまを押さえていた息子が理不尽に死んだというのに、この母は、父は、その重大さよりも自分たちの保身を選んだ。
身代わりになった母、美津子は、自分が吹っ掛けたケンカだから、という自責の念があったというが、いやいやいやいや。
計算したはずだ、ここで夫がいなくなったら、従業員だけではない自分だって食べて行かれないのだ。結局、夫を失いたくなかったのだろう。美津子は好一より10歳年上である。

そもそもケンカの発端も、女とゴルフに行っていたことへの嫉妬心からだった。もっと言えば、ここで最大の恩を売っておけば、この夫は私から離れられないと、そこまで考えたと私は思う。でなければなんで我が子を殺した男を庇おうなどと思うのか。

14歳の少年の死は、この両親にとってなんだったのか。

愛を、絆を得られて良かったとでもいうのか。それを言っていいのは、聖くんだけである。

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参考文献

読売新聞社 平成10年5月20日、12月9日大阪朝刊、5月21日中部朝刊、大阪朝刊
朝日新聞社 平成10年5月21日大阪朝刊
産経新聞社 平成11年2月2日大阪朝刊

神戸地方裁判所 平成10年(わ)473号 判決