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平成27年11月6日午後3時
「殺すぞ!」
その日、農作業から帰宅した男は、自宅で妻に怒声を浴びせる男性を目にした。
あぁ、またか・・・
男はうんざりしながら妻と男性に割って入り、話を聞こうとした。
男性は何やら文句を言いながら目と鼻の先にある自宅へと戻ったが、男は男性宅へ赴いて男性を諫めた。
しかし、男性は理解不能な苦情を喚き散らす一方で、話し合いになどならなかった。
「いい加減にしろ!」
男が一喝すると、突然男性は男の襟首をつかみ「2~300万用意しろ!出来ないんだったら殺すぞ!」と凄んだ。。
男の心の中で何かが弾け飛んだ。
平成27年11月8日
千葉県警館山署は、この日館山市大戸の石渡征夫さん(当時73歳)方で、石渡さんが自宅敷地内の人口ため池(深さ約30センチ)に転落した状態で死亡しているのを発見した。
その日の午後、石渡さん方で事件があったようだという110番通報を受けてのことだったが、現場にはその110番通報をしてきた人物の親族に当たる男が佇んでいた。
「自分が殺した」
警察官にそう話した男は、植木亨(当時76歳)。石渡さん方のすぐ近くに暮らす男だった。
その後、植木から事情を聞き、現場の状況などから事実であるとして、殺人の容疑で植木を逮捕した。
植木は6日の午後、石渡さん方の玄関口で冒頭のような口論になっていた。
そして、石渡さんに襟首をつかまれたことで激高、石渡さんの足を払い、二人ともが転倒した後、縋りつく石渡さんの頭部を蹴り飛ばすなどの暴行を加えたという。
そして、動かなくなった石渡さんを引きずって庭の人工ため池へと運び、そのまま池に転がしたというのだ。
石渡さんは顔などを強く蹴られたことで頚椎損傷のけがを負い、さらに首や胸部の骨折、脳震盪などによって池の中から這い上がれずそのまま死亡したとみられる。
石渡家と植木家は地続きの隣り合わせで、建設業を営んでいた石渡さんとは40年以上の「ご近所さん」であった。
田舎の密接なコミュニティの中で起こった高齢者による諍いが殺人に発展した、そういった報道がなされる中、事件の詳細が分かってくるとそこには地域住民が抱える「悩み」が浮かび上がってきた。
20年におよぶ諍い
石渡家とは南北で隣接していた植木家だが、植木家の生活排水が石渡家の敷地へ流れ込んでいるという苦情を以前より受けていたという。
たしかに、塀などでしっかりと区切られていない田舎独特の境界の割方だと、立地の条件などで片方の敷地に雨水などが流れ込みやすくなるという話はよく聞く。
神経質な人だと、隣家の軒先から落ちる雨水が自分の敷地に入るだけでもイライラするというから、生活排水となると石渡さんが苦情を申し入れるのも無理からぬことにも思えた。
しかし、生活排水が流れ込むようになった理由は、石渡さんが生活排水が流れる水路を埋めたことにあったのだ。用水路を埋めたことによって、石渡さん宅の敷地には池が出来た。
当初、植木は苦情を受けて生活排水の流れを変えるための工事をしようとしたという。しかし、なぜか石渡さんはそれを反対していた。その上で、植木に対して苦情とともに金銭の要求を続けていたという。
石渡さんに土地を貸していた地権者も、「貸した当初は池なんかなかった」と話す。
石渡さんは20年ほど前にこの土地を借り受け、建設業を営んでいた。そのため、敷地はかなり広く、隣接と言っても休耕田を挟んでいるうえに結構離れている。
また、もともとのトラブルはというと、夏に植木が草刈りをしていたところ、そこには石渡家から伸びてきたスイカのつるがあったという。
それを知らずに植木が切ってしまったことに、石渡さんが怒ったというのが諍いのきっかけという話がある。
それ以来、ことあるごとに苦情が持ち込まれ、事件当時は1日に4~5回、近所に聞こえるような大声で、時には棒などを振り回して威嚇を交えて行われていた。
植木家では日中でもカーテンを閉め、電話の上に座布団を重ねて居留守を決め込むなどしてやり過ごすほかなかった。
とにかく、さまざまなことが気に入らなかったとみえる石渡さんは、迷惑だと言いながら、それを解決することを望んでいるようには全く見えなかった。
鎌を持ち歩く男
植木は長年にわたって地域に貢献して生きてきた。
先祖代々受け継いだ土地を守り、農業を営みながら地域の役員なども務めていた。
事件当時は区長をつとめ、田畑の管理や地域のまとめ役に精を出す日々であった。
一方の石渡さんはというと、植木家に対するクレーマーというだけではなく、近隣の人々、ひいては自宅から離れた場所でも迷惑行為が目撃されるなど、ちょっとした有名人であった。
学校のスピーカーがうるさい、他人の車にぶつける、気に入らない住民の家の窓ガラスを割るなど、植木以外の人々とのトラブルも多かったという。
植木と石渡さんの家は大戸郵便局の裏手に位置するが、その近隣の二軒は、石渡さんの嫌がらせに耐え兼ね引っ越していた。
代々田畑を受け継いできた植木にしてみれば、引っ越しなどは不可能だったろうし、そもそも難癖と言っていいようなクレームであったので、その場その場でいなして来ていたのだろう。
「石渡さんは、鎌を持って出歩くような人だった」
これが事実なら、道で遭遇したらホラーである。かといって、鎌を持っているだけでは、田舎では警察もおいそれと動けなかったのかもしれない。うちの実家でも草刈りに行くばあちゃんが鎌振りながら田んぼへ行くことは多々あるしなぁ…
町の商業施設でも、石渡さんとみられる男性が通行人らに難癖をつける行為が目撃されていたという。
当初は話しかけてくるだけだが、相手をしているうちに態度が変わったり、気に入らないとなると子供にも手を挙げるようなこともあったという。
実際、植木も苦情を言われても刃物を出される恐怖で反論できなかったと裁判で述べた。
石渡さんはもともと建設会社を経営しており、性格的に荒々しい部分は持ち合わせていたにせよ、根っからの「変わり者」ではなかったはずだ。社会生活も成り立っていたと思われる。
その石渡さんにどんな変化があったのか。
仕事の行き詰まりと離婚
裁判では石渡さんの弟が証人として出廷した。
弟とはいえ、兄の長年にわたる近隣へのふるまいは耳にしていたようで、兄が起こしたトラブルについては立つ瀬がないといった感じでもあった。
石渡さんの性格が攻撃的になったのにはきっかけがあったという。
ひとつは、自身の経営する建設業の不振だった。バブル崩壊を機に、建設業界はどこも厳しい時代が来た。石渡さんももれなくその波にのまれていた。
仕事の業績悪化は深刻で、その影は夫婦生活にも及んでいたという。
夫婦は離婚し、会社もその後まもなく倒産してしまった。
弟は、その頃から兄の性格が変わったと証言する。また、時期は定かではないが、石渡さんは交通事故の後遺症で杖が手放せなかった。そのあたりも石渡さんの性格を変えた要因の一つかもしれない。
植木をはじめ、近隣の人々へのふるまいについては「兄に付き合わせてしまい、かわいそうだと思うけれど、かといって殺していい理由にはならない」と、苦しい胸の内を明かした。
個人的な意見ではあるが、弟はつらかったろうと思う。一方で、兄を止めることは出来なかったのかなとも思う。
おそらく、石渡さんは弟に対しても当たりがきつかったのではないかと察する。弟とて、兄貴、そんなこと言うなよと諫めもしたかもしれない。しかし、年を取るにつれて頑固に凝り固まった他罰的な感情は、そうやすやすと変えることもできなかったのだろう。
さらに言えば、傷害事件などの加害者になることはあっても、まさか殺人の被害者になるとは思わなかったのかもしれない。
弟の言う、「だからと言って殺していい理由にはならない」とは、まさにその通りであって、判決も植木に対して最大の情状を認めながらも、14年の求刑に対し懲役9年とされた。
1000人の嘆願書
植木はいったん控訴したものの、その後取り下げ、刑は確定した。
76歳の植木は、出所する頃は80歳を超えているだろう。判決では、裁判長がそれでも社会復帰後の生活に言及する場面もあった。
長年地域のために尽くし、田畑を守って真面目に生きてきたこと、その点については誰もが認めるところだった。
その証拠に、裁判には地域住民1000人の嘆願書が寄せられた。
決して大きな町ではないところで、1000人の嘆願書は大きい。石渡さんへの不満を持つ者だけでなく、植木のそれまでの人生に対する思いで嘆願書に署名した人も多かっただろう。
植木は石渡さんを殺害後、玄関に血だまりがあるのを見つけ、律義にもそれに砂をかけて竹ぼうきで掃いている。これは、証拠隠滅ではなかったはずだ。植木の生真面目な性格がそうさせたのだろう。
その後の植木の行動は、死に場所を見つける事だった。もしも証拠隠滅だったならば死のうと思わないだろうし、そもそも石渡さんを池に放置もしないだろう。
海に、山に、植木は死に場所を求めてさまよい、最後は鉄道のレールの間に立った。
その植木を思いとどまらせたのは、大切な孫たちの顔だった。
植木は死ぬことをやめ、寺や組内に役を降りる旨を伝え、回覧板を回し、「もう回覧板は回せないから」と告げた。
連行されるところを見られたくなかった妻には、実家へ帰るための資金として30万円の現金を渡し、世話になった人々にお礼の手紙をしたためた。先祖の墓参りを済ませ、身辺整理を済ませ、親戚に打ち明けて逮捕を待ったのだった。
裁判で、検察官は植木に「どうすればこのような事態を避けられたと思うか」と訊ねた。
植木は自身を振り返り、「お互いにケンカ腰だったのが良くなかった」と話した。
「殺す以外に方法はなかったか」と聞かれたときは、「時間をかけて話をすればよかった」と呟いた。
これは本心ではなかろう、石渡さんはもはやそのような手段が通用する人ではなくなっていた。それは植木が誰よりもわかっていたことだった。
植木は20年以上にわたって堪えに堪え続けてきた。これ以上時間をかける意味があったのだろうか。
植木は倒れこんだ石渡さんの顔を2度蹴った。そこには間違いなく「ブチ切れた」というにふさわしい感情の爆発があったのは間違いない。
そして、その後池に沈めたのは、「確実に死なせるため」だったという。続けてこうも言った。
「これ以上、みんなに(石渡さんが)迷惑をかけないことが大事と思った」
判決の言い渡しの後、裁判長は裁判員らの言葉も植木に伝えた。
それらは、およそ殺人を犯した人間への言葉というよりも、まるで労いの言葉であるかのようなものだった。
今、植木と石渡さんが暮らした地域は平穏だろうか。
かつての諍いの地は、何も無かったかのように広大な更地となっている。
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参考文献
千葉日報 平成27年11月10日、平成28年5月24日、5月26日、5月31日
サンケイスポーツ 平成27年11月10日
まあ、植木さんへはご苦労様と言いたいです。
ご近所のトラブルというか「無法者」が住んでいると大変ですね。
本当ならば、地域住民みんなで対処すべきなんでしょう。でも、面倒くさかったのでしょう。植木さんの存在はありがたかったのでしょう。
別に地域の住民に問題があるとは全く思っていません。また弟にも責任があるわけでもないです。
ドラマだったら、打ち解けて大団円なんでしょうね。
家族や地域住民の方々は、植木さんの事をしっかり支えてあげて欲しいですね。
自分の近所に「無法者」がいて、対処する事になったら、今思っているのは、やり取りを録画して、YouTubeにでもアップしようかなと。
更新お疲れ様です。
災害というか、ガチャというか、こういったものは運要素次第で誰にでも降りかかるのでしょうね。自分が過去に遭遇した隣人トラブルもここまでではなかったですが、、、。
あっきーさま
いつもありがとうございます☺
そうなんですよね、ガチャなんです、隣人というのは。
この事件の場合でも、同じようなトラブルは沢山ある。でも、普通は話し合ったり、折り合いをつけて解決しようとお互いがしますよね、仲良くしたいから。
それが、片方あるいは両方が譲らないと、深刻な事態に発展してしまう。
賃貸なら引っ越せますが、田舎は特にそうはいかなくて八方塞がりになってしまいがちです。
追い出すわけにもいきませんしね・・・
加害者は1番の被害者です。こうなる前に、市とか、町で、被害者を隔離すべきでした。1番悪いのは、行政です。住民が安心して暮らせる街づくりを、考えるべきでした。
山崎 睦美 さま
コメントありがとうございます。
加害者は耐え忍んだ数十年を送っており、もう話し合うとかどこかに相談するとか、そういうことでは無理なところまできていたのでしょうね。
ただ、このようなご近所トラブルにはなかなか行政は入りにくいですし、どちらかがいなくなる以外に解決はなかったのではと思います。
どんなに住み良い街づくりを行政がしても、そこに住む人に問題があればどうしようもない。ゴミ屋敷もそうです。
隔離する理由がありませんし、そもそも行政にはその権限もない。人権問題になってしまう。
全国に沢山あるでしょうね、似たようなトラブルは。