忘れないで~生きた証⑧ネグレクト・生き地獄編~

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ネグレクト。
自分で生きていくための身の回りの世話ができない乳幼児や高齢者、要介護者に対し、その保護の責任がある立場の人間が世話を放棄すること。
保護されなくなった対象者は当然に生活環境が崩れ、身体的、精神的な衛生が保たれなくなり、食事を与えられないことによって命の危険にさらされていく。

虐待の一つであるこのネグレクトだが、積極的な身体的暴力たとえば殴る蹴るといった行為がないケースも多く、また1日2日で死に至るよりも数カ月から年単位で進行することもあるため、ネグレクトで子供が死亡したと報じられてもその状態がピンとこないこずになんとなく忘れ去られるということもある。

ネグレクトがいかに残酷か。

少しでも想像できれば。体が不潔になり虫が湧きカビが生え、糞尿にまみれ放置され寒さ暑さに苦しみながらそれでもある程度意識は保たれる。

その同じ空間で、本来誰よりも愛してくれるはずの親の姿がある。お前がどうなろうと、もう知らない。そう宣告されている中で、体と共に精神も朽ちていく。生きながら。

この残酷さを、少しでも知ってほしい。

山下歩夢ちゃん(香川県高松市:当時3歳/平成18年2月5日頃死亡)

高松市浜ノ町のとある3階建て住宅。通報を受けた警察官がその3階にある部屋に入ると、タオルケットにくるまれた小さな男児の遺体を発見した。
ちいさなその遺体は裸。しかも、かなり痩せていた。

香川県警高松北署は、幼い息子に適切な食事や日常の世話をせず放置し死なせたとして、母親の25歳の女を保護責任者遺棄の疑いで逮捕した。

1メートル四方の世界

逮捕されたのはこの家に住む飲食店店員・山下華(仮名/当時25歳)。
死亡していたのは華の次男で当時3歳の保育園児・歩夢ちゃんだった。警察の調べに対し、華は歩夢ちゃんに手がかかることが煩わしかったと供述。そのため、次第に世話がおろそかになっていき、結果として死なせるに至ったということだった。

警察官は現場を見て言葉をなくした。
歩夢ちゃんは昨年末から死亡するまで、この3階の部屋の納戸に閉じ込められていた。約1m四方の狭い納戸。
歩夢ちゃんは着替えや入浴といったこともさせてもらえず、発見された時は非常に不衛生な状態だったという。

華によれば、食事は1日に2回与えていたとのことだった。しかしその内容はというと、菓子やジュースなどの栄養バランスもカロリーも考えられていないものだった。
まるで、「餌」。

歩夢ちゃんは健気にも納戸の前に置かれたそれらをおとなしく受け取り、一人寂しく納戸の中で口にしていた。

歩夢ちゃんの死因は栄養失調。納戸には寝かされた状態で押し込まれていたといい、自由に身動きも取れなかったのかもしれず、その体は痛々しいまでにガリガリだった。

可愛くない次男

華には、歩夢ちゃんのほかに4歳になる長男の存在もあった。もちろん、事件当時も一緒に生活していた。

華は21歳の頃に結婚、長男(当時4歳)と歩夢ちゃんが生まれた。しかし夫とはその後関係がうまくいかなくなり別居。平成17年には離婚となって実家であるこの家に子供たちと戻ってきた。
実家には母親(当時48歳)も一緒に暮らしていた。
華は仕事をいくつか変えながら、事件当時は高松市内の飲食店で仕事をしていた。が、近所の人たちは華と子どもたちのことをよく知らないと話した。

華が実家に戻ってからしばらくして、歩夢ちゃんは保育園に通うようになったが、一か月もしない平成17年12月からは登園していなかった。
保育園は事件発覚までに自宅を訪問すること5回、電話でも接触を試みていたが、いずれも留守で、電話で話すことが出来た際には歩夢ちゃんの体調不良が続いているという答えだった。

夜の仕事をし始めてから、華は少しずつ育児がおろそかになっていった。疲れ果てて帰宅したあと、華がかまうのはいつも長男。歩夢ちゃんの世話は後回しにした。
4歳になっていた長男はある程度自分でいろいろ身の回りのことも出来つつあったが、歩夢ちゃんはまだまだ手がかかった。それを華は煩わしい、鬱陶しいと思うようになっていた。

長男は華にとって最初の子供。可愛くて可愛くて仕方なかった。
しかし歩夢ちゃんは、長男と同じようにかわいいとは思えなかった。

誰も見もしない

華は平成17年の暮れ頃から、歩夢ちゃんを3階の居住スペースにある納戸に押し込んだ。鍵を掛けたりはしていなかったが、歩夢ちゃんは階下へ降りたりすることはなかったという。
食事も、先に述べた通りお菓子やジュースなどをひとつふたつ置くだけ。それをおなかが空いたら歩夢ちゃんが勝手にとって食べていた。
そのうち、華は納戸の扉すら開けなくなった。帰宅した時、扉の前に置いていたお菓子や飲み物がなくなっていれば、歩夢ちゃんが手に取ったのだと思った。
しかしそのうち、食事を置き忘れたり、歩夢ちゃんが食事をしている姿を何日も見ない、そんな状況になっていたが、華は閉ざされた納戸の扉を開けようとはしなかった。

その扉の前で、華は長男と一緒に寝起きをしていた。扉一枚隔てて、母のぬくもりも愛情も一切受け取れなかった歩夢ちゃんは、2月5日頃にその短い生涯を終えた。
しかし華はそれにすら気づかず、2月5日以降もお菓子や飲み物を置いた。

裁判では検察側が少なくとも12月下旬には痩せた歩夢ちゃんの足を見ており、状態がよくないことについてわかっていたと主張。保護責任者遺棄致死で懲役6年を求刑した。
弁護側は、華は食事が十分だったと思い込んでいて、危険な状態になっているという認識はなかったとして重過失を主張した。

華は一貫して、「育児を放棄した覚えはない」と起訴事実を否認した。

着替えもさせず、おむつの取れていない歩夢ちゃんをお風呂にも入らせず、そのオムツを変えるのが煩わしいと、取り調べの段階で華は供述していた。にもかかわらず、育児を放棄したつもりはないというのはどういうことなのか理解に苦しむが、裁判所も当然その華と弁護人の主張は退けた。
高松地裁の増田耕児裁判長は、
「子への愛情を書けらほども感じさせない極めて悪質な犯行」
として懲役5年を言い渡した。

華が主張していた育児放棄ではないという点についても、
「不潔な納戸に放置され、食事も不十分な生活環境が、三歳児にとっていかに過酷かはだれが見ても明らか」
と一蹴。歩夢ちゃんが衰弱し痩せていることを認識しながらその育児手法を変えなかったことは保護責任者遺棄致死に該当するとした。

歩夢ちゃんは発見当時体重が約10キロ。これは1歳児の体重だった。

華はどの時点から歩夢ちゃんを煩わしいと思い始めたのだろう。ほかにも、実母が同居していながらこのような事態に発展したのも不可解だ。歩夢ちゃんが階下に降りて行く、降りられなかったとしても泣いたり叫んだりしなかったのだろうか。
そもそも夜間、華が仕事に行っている間、誰が幼い兄弟の面倒を見ていたのか。実母の役割は何だったのか。

一緒に暮らした長男は、弟のことを覚えているだろうか。

三沢智希ちゃん(東京都墨田区東向島:当時4歳/平成18年9月13日死亡)

発見されたその子どもは、外傷は見当たらなかったものの「骨と皮」といっていい姿で布団の上で死亡していた。
4歳になるその子の体重は8キロ。1年前より5キロ痩せていた。

ひとり親の孤独な子育てではなかった。にもかかわらず、子どもは十分な世話も愛情もかけてもらえなかった。

無関心

1年間に渡り十分な食事をもらえず餓死したのは、墨田区東向島の三沢智希ちゃん(当時4歳)。
警察は適切な養育をしなかった保護責任者遺棄致死容疑で母親の新聞配達アルバイト・三沢愛佳(仮名/当時29歳)を逮捕した。

通報してきたのは愛佳だった。
平成18年9月13日午前10時半、「子供の様子がおかしい、ぐったりしている」として119番していた。

しかし時すでに遅く、智希ちゃんは病院で死亡した。

愛佳には長男がいたが、長男の発育には問題はなかったという。

もともと、足立区で生活していた愛佳は、夫との離婚で一時期シングルマザーだった時期があった。仕事をしながら幼い二人の、しかも智希ちゃんは早産だったために成長を慎重に見守る必要があった。
加えて、母親である愛佳がどうもあまり育児が得意ではないという印象もあったのだという。まだ幼い長男の弟へのかかわり方も、未熟児として誕生した智希ちゃんには少々乱暴な面もあったため、病院からの助言を受けて児童相談所が一時保護という形をとっていた。

いったんは離婚していた愛佳だったが、墨田区に転居し、なぜか元夫の父親宅に同居することになる。そこには元夫も暮らしていた。
事件当時、6人で暮らしていたというから、愛佳と息子二人、元夫とその父親の他にもう一人いたことになるが、それが誰かはわかっていない。
なぜ愛佳は元夫の家族らと同居したのか。詳細は当時の報道から読み解くしかないが、智希ちゃんを引き取る条件として、足立児童相談所から「複数の大人に関わってもらうこと」というものが出されていたという。
そのあたりが関係していたと思われるが、もう一つ気になることとして、この元夫というのは智希ちゃんの実父ではどうやらなさそうだということがある。
通常、被害者から見て実の父親ならばそのように表記されるはずが、この事件ではあくまで愛佳の元夫、というふうにしか報じられていない。
それを踏まえて考えると、愛佳は智希ちゃんを引き取りたいがために元夫のところに同居したと思える。

そもそも愛佳は子育てが苦手だった。智希ちゃんは歩けるようになるのも言葉を発するのも遅かったといい、その点からも多くの人の関わりは不可欠だった。
足立児童相談所は、複数の大人と同居できることで愛佳自身の育児が苦手という部分はカバーできると踏んだのか。
足立相談所は墨田区への転出を知りながら、愛佳と智希ちゃんのケースを墨田区へ引き継いでいなかった。

しかし現実として、同居していた元夫は育児にほぼ関わっておらず、たまに愛佳に対して「ちゃんと食べさせろよ」などというにとどまっていた。しかも、その声かけをしたのは、智希ちゃんの死の直前だった。
元夫の父親に至っては、事件後に報道陣が取材に訪れた際も「答えたくない」と完全拒否。いや、この元夫の父親も、智希ちゃんのみならず、愛佳と長男のことも我関せずだった可能性が高い。
結果として愛佳は同居する成人がいたにもかかわらず、子育てを一人でしなければならず、日々の苛立ちや不満を持て余し始める。

その苛立ちは、八つ当たりとなって幼い手のかかる智希ちゃんへ向けられた。

いやがらせ

愛佳はストレスを溜め込んでいた。手のかかる子供に、無関心の元夫とその家族。頼れるはずなど最初からなかったのだ。
苛立ちが募ると、愛佳はわざと智希ちゃんの食事を減らしたり、抜いたりした。
それは次第にエスカレートし、夏頃には食事は夜に一度だけ、しかも子供茶碗によそったご飯一膳と、麦茶か牛乳を一杯だけ。おかずを作る、子供が喜ぶ味付け、彩り、栄養など全く気にすることはなかった。
たまにポテトチップスなどのスナック菓子を気まぐれに与えた。

育ち盛りのこの時期、適切な栄養を与えられなかった智希ちゃんは、1年間で背が全く伸びておらず、13キロあった体重は急激に減った。
そして、智希ちゃんは1年にわたるネグレクト地獄を味わって、死んだ。生まれた時から保育器で、その後は施設で過ごしていた智希ちゃん。本来ならば母親のもとでそれまで得られなかった愛を一身に受けてこれからという時に、その母親の八つ当たり、嫌がらせで生きるために必要な食事をさせてもらえなかった。どれほどお腹が空いただろうか。苦しかったろうか。悲しかったろうか。まさに地獄である。
死んでようやく、その地獄から解放された。

(愛佳はおそらく起訴されたと思われるが、同居の家族を含め、公判やその後は追えなかった。)

【有料部分 目次】

幸田海斗ちゃん
 生かされなかったあの事件
 ズルい夫
矢野里菜ちゃん
 娘の誕生日を知らない父親
 いつかこんなことに
 本能のままに
 両親
 妻
 厚木の事件と、その後