17歳~カノジョを殺した僕たち~

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交際相手を殺害するという事件は珍しくない。交際しているとは言っても、その実情は周囲からは分からないし、愛しているがゆえに、悲惨な結末を招いてしまうケースもある。

事件備忘録でも愛憎入り乱れる事件を多数取り上げているが、いい年こいた大人たちであっても我を見失ってしまうわけで、それが大人の階段をのぼり始めたばかりの少年少女であれば、些細なことがこの世の終わりに思えることもあるだろう。

最近でも、少年少女による交際相手への殺人(未遂含む)は平成29年の台東区の18歳の少年による交際相手殺人放火事件、平成26年の岡山で起きた年上の交際女性を殺害遺棄した17歳の少年の事件など、あまりに短絡的で幼い動機による事件が起きている。

ただ少年事件ということでその詳細はなかなか判明しづらい。
少年だからこそ、自分の思いを言語化できなかったり、少年だからこそのある種の一途な思いから真相がわかりにくくなっている可能性もあるだろう。

ただ事実としてあるのは、彼らは、カノジョを殺して捨てたということ。

茨城の17歳

絶対に親で内緒で出かけるような子じゃない。
母親は、数日前から帰宅していない高校2年の娘の行方を捜していた。
「今日、仕事?」
1月26日の朝に娘から届いたメール。前日の25日には、彼氏の家にいると電話で話していた。
当然、母親はその彼氏にも娘の行方について尋ねた。行方が分からなくなっていることに驚いた風の彼氏は娘と同い年の17歳。高校は別だが、去年の5月ころから共通の知人の知り合いで交際が始まったと聞いていた。
バイクやスケボーが好きな今時な感じの子だけれど、娘はとにかく彼氏に夢中。このまま良い関係が続けばいいと思っていた。

「ねぇ、なにか知らない?たとえば悩んでいたとか、誰かに会うとか言ってなかった?」

母親は娘の彼氏に尋ねたが、
「あの日は午前中までうちにいたけど。喧嘩になって俺が先に家を出たんです」
やはり娘は悩みを抱えて家出をしたのだろうか……
何度もメールを送った娘の携帯電話。それも27日の夜中以降、アドレスが変更されたのか、送信できなくなった。しかしそれは、娘が生きている証拠。
母親は1月28日、警察に家出人捜索願を出した。手製のビラを3000枚用意し、娘が立ち寄りそうな場所に配りまくった。
「手伝います」
娘の彼氏もそれを手伝ってくれた。あぁ、どこにいるの……

「きっと戻ってきますよ。」

疲れ果てた母親の携帯電話に、娘の彼氏からの励ましのメールが届いた。

しかし、娘を殺したのはこの彼氏だった。

事件の経緯

その少女の行方が分からなくなったのは平成14年1月26日。
前日、交際相手の少年宅に泊ったことまでは、少女本人と電話で話した母親の証言からも間違いなかったが、そのあと家に帰って来なかった。
翌27日には、それまで送信できていた携帯電話へのメールも送信不能となり、母親は28日に家出人捜索願を出す。
少女が行方不明になってすでに2カ月が過ぎようとしていた3月23日、茨城県警捜査一課と鉾田署は、少女の遺体を山林に遺棄した容疑でこの交際相手の少年を逮捕したと発表した。

被害者は茨城県立大洗高校2年の浅野智美さん(当時17歳)。智美さんは母親と妹との3人暮らしだった。
一方、死体遺棄容疑で逮捕されたのは、智美さんと別の県立高校に通う同じ17歳の少年で、二人は平成13年の5月ころから交際中だったという。
実際、両方の親が公認の中だったといい、それまでにも智美さんが親の了解を得て少年の自宅に泊るなど、かなり深い関係にあった。少年は大洗町在住の高校2年生、富田弘樹(仮名/当時17歳)。
弘樹は両親と父方の祖母、弟妹との6人家族だったが、事件当時、母親は弟妹を連れて家を出ていて別居中だった。

警察は弘樹が智美さんとの最後の接触者であることから当然、話を聞いていた。
しかし17歳であることや、それまでに大きな非行歴もないこと、智美さんとのトラブルなども特に聞かれないことなどから慎重に捜査を進めていたが、23日になって智美さんの遺体を山林に運んで埋めたと話したことで、大洗町内の山林を捜索。
すると、弘樹が示した場所から、変わり果てた友美さんの遺体が出た。智美さんは赤いジャージ姿だったという。

弘樹は友美さんの死亡についても「自宅で殺害した」という趣旨の話をしていて、その後25日には「口論となって首を絞めた」と話した。

若い二人

弘樹にとって智美さんは初めての彼女だった。
智美さんにとっても、弘樹は一目惚れに近い相手だったという。二人の仲は一気に深まっていった。

弘樹の自宅周辺では智美さんの姿が頻繁に目撃されていて、二人で手をつないで海に行ったり、バイクで二人乗りしているところもよく見かけられていた。
夏休みには同じ旅館でアルバイトに励み、その間はずっと弘樹の自宅に智美さんが泊まりこんでいたという。

高校2年、17歳。今から20年ほど前ではあるが、いくらお互いの両親の公認であったとはいえ、いささか自由過ぎる気もするが、ともあれふたりは将来についても結婚を口にするなど、どこからどう見ても仲の良い彼氏、彼女の関係だった、ように見えた。

夏休み中、智美さんと行動を共にしていた弘樹は、少しずつ智美さんに対して煩わしいという思いを抱くようになっていた。
どんなに好きな彼女でも、弘樹にも弘樹の交友関係はあった。夏休み、男友達と遊ぶこともままならず、いつもベタベタとくっついて離れない智美さんに束縛されているような息苦しさを覚えるようになっていく。
そのうえ、智美さんからは日に日に女房気取りというか、もっとしっかりしてほしいと言ったような弘樹への要求が増えていた。
弘樹は智美さんがへそを曲げてもじっと黙って言い分を聞いたといい、そんな弘樹の態度は周囲からも好印象を持って語られていたようだが、弘樹の内心は理不尽な思いで埋め尽くされていた。

智美さんはとにかく弘樹のことが好きで好きでたまらなかった。独占したい、何もかもを知りたい……
高校が違うことから、智美さんは余計に会えない時間の弘樹のことが気になって仕方なかったのだろう。些細なことでも不安になって弘樹に強く問いただすこともあった。

「ほかの女の子と話さないで。」

ある時、浮気を疑われた弘樹は智美さんに浮気をしていないのならば携帯電話を交換しようと持ち掛けられたという。

もう、限界だった。

バイト先での公開土下座

11月、ケンカの延長線上で弘樹は智美さんに別れを告げた。
弘樹からしてみれば、この頃の智美さんはケンカのたびに「先輩」の存在を持ち出していたといい、そんなにその先輩がいいなら先輩と付き合えばいい、そういう気持ちもあって告げた別れだったが、実際に別れを告げられた智美さんは狼狽したという。

友人らもよりを戻したいと悩む智美さんの相談に乗っていた。
一方で智美さんも、弘樹に対して何度も何度も復縁を願うメールを送っていた。

弘樹は智美さんと別れたことで自由になり、男友達らと遊びまくっていた。ただ、家に帰ろうとすると自宅の前で佇む智美さんを見つけることもあり、そのたびにげんなりとした気持ちになっていた。
智美さんに捕まりたくない一心で、智美さんが自宅付近で待ち伏せしていることに気づくと家には帰らず友人宅を泊まり歩いた。
電話もメールも完全に無視していたが、ある時、弘樹のアルバイト先に智美さんが現れた。
そこで智美さんは、土下座したという。
周囲の目もあったろう、うろたえる弘樹に対し、智美さんは自分が弘樹に八つ当たりしていたのだと釈明した。そして、その八つ当たりの理由も、説明した。

それを聞いた弘樹は、「別れられない」ことを悟った。

別れられない、逃げられない

弘樹には、智美さんに対する負い目があった。

それは、交際し始めてすぐの5月に遡る。この時期、ふたりにとって大変な出来事が起きていた。詳細は、あえて書かない。が、若いカップルにありがちな、そして誰にも相談できないような出来事である。
弘樹はそのことをずっと心に抱えていたといい、智美さんを傷つけた責任を感じていた。
何度も別れたいと思ったが、そのたびにそのことが思い出されて自分から智美さんを捨てるようなことは出来ず、別れを言い出すことは出来なかった。

バイト先に現れた智美さんは、弘樹に八つ当たりした理由として、その時の話を持ち出した。
智美さんが当時そのことを相談した女友達が、他人にそれを話してしまったのだという。それで弘樹に対して八つ当たりをしたのだと、智美さんは謝罪し、今後は弘樹に怒ったりしないからと頭を下げて復縁をせがんだ。

それとこれとは話が別だと、無表情で突っぱねることができるほど、弘樹は大人ではなかった。

もう、別れられない。

弘樹は復縁に応じた。

ところが復縁した直後から、智美さんは前にもまして弘樹を束縛するようになる。さらには高校生の弘樹に対して「お金がない」などと言い始めた。
にもかかわらず、智美さんは相変わらず弘樹にくっついており、一緒に居ても智美さんの一方的な要求やダメ出しに弘樹はひたすら黙るしかなかったという。
弘樹が言い返さないのをいいことに、智美さんは件の「先輩」をまた持ち出すようになる。
「先輩の方がお金もあるし、先輩のほうがいい。」
ことあるごとにそう言われながら、それでも弘樹は自分から別れを言い出すことは出来ずにいた。どうしても、あのことに関する負い目から逃れることができなかったのだ。
弘樹はケンカになるたび、智美さんに謝り、金がないと言われればバイトを頑張ると返すなど、もはや言いなりになっていた。

一方で、弘樹の心に、逃げ出したい気持ちだけではなく、智美さんへの憎悪の感情も芽生えるようになっていた。

死んだ方がマシ

1月25日、その日も智美さんは当たり前のように弘樹の自宅へついてきた。テレビを見てくつろいでいると、またもや些細なことから口論となってしまう。
いつものように弘樹が謝り、智美さんを宥めていると智美さんは「もういい。」と話を打ち切り、そのうち不貞腐れて寝てしまった。
怒りとも、情けなさともつかない感情を弘樹は持て余していたが、翌朝の新聞配達に備え、早い時間に就寝した。
午前3時50分、そっと起き出した弘樹は新聞配達のバイトへ行き、帰宅したのは午前7時。智美さんはまだ寝ていた。8時になって起き出してきた智美さんは、弘樹に対して「今日は何をするの?」と1日の行動予定を聞いてきた。弘樹としては特に決めていなかっただけだったのか、曖昧な返事をしたところ、智美さんは機嫌を損ねたようだった。
また始まった。
弘樹はそれでもいつものようにやり過ごそうと考え、智美さんの怒りが大きくならないよう振る舞ったつもりだった。
ところがこの日、智美さんは収まらなかったという。

何も言い返さない弘樹に、
「そうやってあんたはいつも逃げる。」
と言い始めた。加えて、例の先輩を持ち出し、金もない頼りない、そう言って弘樹を悪様に罵った。
にもかかわらず、「別れられないんだからね。」と釘を刺すようなことを言ったり、しまいには「あんたと別れるくらいなら死んだほうがマシ」などと言い始めた。

そして、「どうせ死ぬなら、あんたと一緒に死ぬ」と言ったかと思うと、弘樹の肩を掴んで布団に押し倒してきた。
さらに弘樹に馬乗りになると、首を絞めてきたのだという。
いつもと違う、そう感じた弘樹は、智美さんを押しのけようと抵抗しているうちに、なんでこんな目に遭わなければならないのかという怒りが沸々と激ってきた。

気がつくと、死んでいたのは智美さんの方だった。

不可解

「うちの娘は、いやいや付き合ってもらってたってことですか?」

裁判では弘樹の口から犯行に至った経緯とともに、智美さんとの本当の関係についても明らかにされた。
これについて納得できなかったのは智美さんの母親だった。

智美さんの母親は、それこそ弘樹を我が息子のように接してきたという。信頼していたからこそ、智美さんとの交際を認めてきた。事件が起き、弘樹が犯人だったと分かった後も、弘樹のことを「弘樹くん」と名前で呼ぶほど、智美さんの母親は弘樹を信じていた。
にもかかわらず、法廷で弘樹は智美さんとはずっと別れたかったと話したのだ。

一方で、弘樹が17歳だったことで弘樹の情報は完全に伏せられていた。水戸市内の県立高校の2年生、後に家族構成などは明らかになっているが、それだけだった。
智美さんは中学時代以降の顔写真から自宅、そして自称友人とする高校生らから様々な評判も明かされていた。
そればかりか、詳細が明るみになるにつれ、裁判が進むにつれ、新聞報道などでも二人の親密すぎる交際と、それを許していた親にも問題があると言った論調が目立ち始めた。流石に二人の間の「あの話」を持ち出す媒体はなかったが、若い世代のSEXについてや、流行りの携帯メールがもたらす弊害などについても議論が交わされた。

いわゆる逆送となった弘樹は、平成14年12月19日、水戸地方裁判所において、懲役4年以上8年以下という判決を言い渡された。

裁判では弘樹の語った智美さん殺害に至るまでの経緯や、犯行のきっかけなどの多くの部分で、「その原因が被告人のみに存するとはいえない」とされた。
そして何より当時17歳というその若さが、将来における矯正教育による更生を期待できるとされた。
確かに弘樹には同情すべき点もあった。智美さんが今はもう何も話せない状況をさっ引いたとしても、弘樹が智美さんと別れたいと思っていたことは友人らの証言もあったろうし、智美さん側の友人の証言でも、智美さんの感情の方が大きかった、とする声は報道でもあったし、その点は智美さんの母親も認めるところだった。

しかし疑問もある。

智美さんがあの日の朝、弘樹を殺そうとしたという話はどこまで本当なのか。弘樹が証言したその時の智美さんの言動は、とても17歳の少女のものとは思えない気もする。演歌的というか。
嘘というつもりはないが、そこには弘樹の見方しかないような気もするのだ。
そもそも、智美さんが本気で弘樹を殺そうとか、ましてや無理心中を本気でやってのけようとしていたなど、どう考えても、思えない。
ことあるごとに「あの話」をチラつかせ、弘樹を意のままにしてきた智美さんだったが、たとえば自傷行為をして気を引くとか、そんなことは一切していない。別れるくらいなら死んだ方がマシといったというが、実際に別れを告げられた11月頃の智美さんは、なんとしてでもよりを戻そうと精力的に動き回っていた。
智美さんは本当にあの朝、弘樹を殺そうとしたのだろうか。

不可解な点は他にもある。事件当初から言われていたことだが、弘樹は智美さんを殺害した後、その遺体を自宅から10キロほど離れた成田町の山林に遺棄している。

…どうやって運んだ?

弘樹は調べに対し、27日の深夜に智美さんの遺体を背負い、父親所有のバイク(90cc)に乗って山林まで運んだと話していた。
新聞報道などでも、小柄とはいえ17歳の少女の遺体をバイクで運べるものなのか、というものもあったが、裁判でもこれらは事実認定されている。
弘樹は国道を避け、車や人目につきにくい道路を選んで遺棄現場まで運んだという。

また、絞殺に使用したのは「ロープ」で、これらは犯行後に弘樹は処分している。
しかし、部屋の中にロープって普通にあるものだろうか。たとえば制服のベルトとか、体育で使う縄跳びとかではなく、「ロープ」。自室の、すぐ手の届くところにロープなんて置いてあるものなのだろうか。…まぁ、あったんだろう。

裁判所は、智美さんの行方がわからなくなって以降、何度も警察や智美さんの母親らに事情を聞かれていたにもかかわらず、無関係を装い、何食わぬ顔で日常生活を送っていたことや、殺害に使用したロープや智美さんの私物を遺棄していたことなどは悪質であるとしながらも、先に述べた通り、17歳の将来に期待するとして判決を言い渡した。

そして、弘樹は今、手に職をつけて立派に社会人として更正している。

逃げられないこと

裁判所は先にも述べた通り、事件の背景や犯行動機には弘樹だけを責められない点があるとしている。
確かに、智美さんの性格や弘樹に対する言動が事実ならば、異性と交際するのも初めてだった少年の弘樹にとって、どうしていいかわからないままに起きてしまったこと、とも言えるかもしれない。

そしてそこには、双方の親の、物分かりが良いという建前の無責任も関係しているのは間違い無いだろう。
どう考えても、高校生の付き合い方ではなかった。そこは、双方の親としても痛恨の過ちだったろう。

一方で、さまざまな情報から見えてくる弘樹という少年の人格というか、それについても事件備忘録としては気になる点がいくつもあった。
弘樹は、智美さんを殺害した後、かなり冷静な行動を取っていた。
パニックになっても良さそうなものだが、まず人目がなくなる深夜、山林にスコップだけを持ち込んでいる。
そして、智美さんを背負って遺棄現場までたどり着くと、持ち込んでいたスコップで穴を掘り、智美さんを埋めて落ち葉を被せた。
この間、弘樹は智美さんの体が硬直するのを防ぐために、智美さんの関節などを動かしていたというのだ。
殺害した相手の遺体に触れるというのはかなり勇気がいることに思うが、この時点ですでに遺棄することを前提で考えていると言える。自首する気などなかったということだ。

その後、智美さんの私物を水戸市内の空き地に捨てているのだが、これにも信じがたい事実が隠されていた。
弘樹は私物のほとんどを捨てているが、智美さんの財布から現金を抜いていた。さらに、ブランド物だった智美さんの財布を、なんと換金しようしていたのだ。
換金を試みた、とあるため、実際には換金できなかったようだが、それにしてもそういうことを考えつくこと自体、ちょっと怖い。

殺害後に智美さんの母親や警察だけでなく、友人らからも探りを入れられていたという弘樹だが、その全てに対し、無関係を装った。智美さんの母親から心配するメールが入るや否や、智美さんのメルアドを勝手に変更し、生存を偽装した。
「お前ら付き合ってたんだから何か知ってるだろう」
友人らに何度も聞かれたが、関係ないと突っぱねた。
その後も動揺する素振りもなく、智美さん殺害後に参加したスキー合宿では満面の笑みで集合写真に収まる弘樹の姿があった。

久方ぶりの自由だったのだろうか。

ようやく、弘樹は智美さんから逃れられた。そんな気持ちだったのだろうか。

事件から20年、弘樹は刑を全うし、その後は先にも述べた通り、ある国家資格をとっている。
そして現在に至るまで、その資格を生かし、少なくとも人並みの社会生活を送っている。

弘樹の現在をどうして私が知っているのか。理由は簡単、弘樹のフルネームをネットで検索したのだ。
ここでは仮名にしてあるが、この事件の判決文(裁判所のホームページでは未公開)を私が入手した際、全ての関係者が実名で記載されていたため、私は弘樹の本名を知ることができた。
事件当時から某掲示板を中心に弘樹の実名は出回っていたが、掲示板の落書きだけではそれが本当かどうかはわからない。実際、当初加害者と言われていたのは、弘樹と同じ苗字の、しかも別の高校に実在する別人だった。
水戸市内では結構聞かれる苗字だというが、全国的に見るとさほど多いわけではない。
加えて、下の名前も読みはありふれているが、漢字にするとグッと少なくなるものが使用されていた。
そのフルネームが被る確率はそう高く無いと言える。
そのフルネーム、漢字も同じ、かつ、年齢も同じ。出身地や住んだことのある場所までもが一致していたこと、その他いろんな情報を繋ぎ合わせて私は弘樹の現在を知ることができた。

数年前には、子供も生まれていた。幸せそうな、音楽好きの普通の人として、弘樹は今生きている。
それこそが、裁判所が期待した結末であり、弘樹はその期待に十分すぎるほどに応えているように見えた。

そしてその立派な更正は、私のような見ず知らずの他人にも見られる状態で全世界に公開されていた。

智美さんも生きるはずだった年月を、これからも弘樹は生きていく。

郡山の17歳

「おばあちゃん、元気でな。いつまでも体を大切に暮らしてな」

福島県二本松市。ここは少年の生まれ育った町で、今も祖母をはじめ、親戚が大勢暮らしている街。
平成8年8月27日、少年は祖母の家をふらりと訪ね、帰り際にこう伝えた。
少年の傍らには、母親の姿。どことなく二人とも、元気がないように見えた。

少年は母親に促されて車に乗り込んだが、車が発進してからも窓から身を乗り出して、見送る祖母に手を振り続けていた。

その後、少年は交際相手の私立高校2年の16歳の少女を殺害し、遺棄したとして逮捕された。

無断欠席

平成8年8月27日、郡山女子大付属高校に勤務する教師は、無断欠席をした女子生徒の自宅を訪ねた。
成績優秀で普段から明るい性格で知られる女子生徒が無断で休むのはこれまでになく、担任は心配していた。
女子生徒の自宅は高校の西、静御前通りから住宅街へ少し入った場所にある。車で5分ほどの距離だった。
自宅には家族がおらず、当人の姿も確認できなかったため、担任は諦めて学校に戻ったが、その日の夜、女性生徒が殺害されたという報せが飛び込んできた。

しかも、犯人はすでに逮捕されているというが、犯人の詳細を聞いた学校関係者らは絶句した。

犯人は同じ郡山市内の県立高校に通う17歳の少年だった。しかも、殺害された女子生徒の恋人だったのだ。

事件発覚まで

殺害されたのは渡辺朗子(あきこ)さん(当時16歳)。朗子さんは英語が得意で、将来は海外での仕事を夢見る生徒だった。
一方で、女子高生らしく恋愛もしていて、郡山市内の別の県立高校に通う男子生徒と半年ほど前から交際していたという。
今回、朗子さん殺害で逮捕されたのがその男子生徒、ここでは男子生徒を隼人(仮名)と呼ぶ。
8月27日の朝、朗子さんの友人は登校前に朗子さんから電話を受けた。
「今から別れ話をしに行くんだけど、ついてきてくれない?」
唐突な電話だったことと、その内容が内容だけに友人の女子生徒は朗子さんのお願いをやんわり断ったという。
朗子さんはその後、いつもより早めに自宅を出ると、おそらくそのまま隼人の自宅マンションへ向かったとみられた。

その後、行方が分からなくなっていたのだ。

事件発覚は思いもよらぬところからもたらされた。
「友人が彼女を殺したと言っている」
通報してきたのは郡山市内に住む17歳の女子高生。この女子高生は、隼人の友人だった。
女子高生は27日の午前中、隼人から電話を受けていた。そして、朗子さんを殺してしまったというような話を聞かされていたのだ。
半信半疑だった女子高生は、それでも万が一のことを考え警察に通報。その後、朗子さんが学校に来ていないことなどから郡山署が隼人の自宅マンションへ行き、外出先から戻ってきた隼人を逮捕したのだった。

隼人はこの直前、朗子さんの遺体を自宅から10キロほど離れた山林に埋めていた。そして帰宅したところを、待ち構えていた署員に捕まったということだった。
事情を聞かれた隼人は素直に犯行を自供。その日のうちに、朗子さんの遺体も発見された。

朗子さんは頭部に損傷を負っていたが、その後の司法解剖と隼人の供述から首を絞められたことによる窒息が死因と断定された。

8月の終わり、隼人と朗子さんの間に何が起こったのか。

少年のそれまで

隼人は事件当時、母親とその交際相手との3人で郡山市内のマンションで生活していた。
母親は高校2年生の時に隼人を妊娠、周囲は中絶をすすめるも、高校を中退して相手の男性と結婚、隼人を出産している。当時、17歳~18歳だったと思われる。
しかし母親は夫の暴力もあって1年で離婚。当初夫が手放さなかったという隼人を奪い返し、その後一時的に実家で生活していたが、実家にほど近い二本松市の市営住宅に転居して隼人と二人での生活を始めた。

隼人はとにかく可愛い顔立ちをしていたという。勉強もスポーツも良くでき、中学に入るとその生まれ持った「素質」はさらに際立ち、地域では隼人の存在を知らぬものがいないほどの人気者となった。
隼人は福島県内でも有数の進学校へ入学。二本松市から郡山市内へ通学するようになったが、やはり通学時間がネックとなり、1年生の夏には郡山市内へ母親と共に転居していた。

築25年の古いマンションの4階。ただそのマンションを借りてくれたのは、母親ではなく母親の交際相手だった。

故郷を離れ高校生活を始めた隼人だったが、中学までの輝きはすでに失われていた。
進学校ということもあって、その高校でのカースト上位はやはり成績優秀者であり、単に外見がいいだけでは渡っていける世界ではなかった。
得意だったスポーツも、文武両道は履いて捨てるほどいたため、あれだけの輝きを放っていた隼人はただの人となってしまっていた。

しかしそれでもルックスの良さは同年代の女子生徒を魅了するには十分で、やがて共通の友人を通じて別の高校に通っていた朗子さんと知り合った。
その名の通り朗らかで、勉強もできた朗子さんは、隼人にとっても魅力的に映った。

7月、朗子さんと隼人は栃木県に旅行に出かけ、その関係をさらに深めていた。

しかし、その隼人と朗子さんの思い、そしてそれを取り巻く環境が変化していることに隼人は気づいていなかった。

似て異なるもの

高校2年になっても、隼人と朗子さんの交際は続いていたが、その関係性は前のようなものではなかった。
将来に備え、朗子さんは高校が主催したハワイへの英語研修に参加。そこでの刺激が朗子さんの将来の夢である海外留学からの海外で働くというものを実現可能なものへと変えた。
朗子さんはそれまでにも増して、勉強に打ち込むようになっていく。

一方の隼人は、閉塞感に喘いでいた。

中学から続けていたバスケットボールだったが、高校では部活内の雰囲気が合わず退部。その後入部した山岳部も、遅刻などが重なり顧問と衝突して退部していた。
中学までは自分は常に目立つ存在であり、誰もが一目置いていたはずが、この高校では隼人に目を留める者さえ、いなかった。

家に帰れば帰ったで、母親との温かい時間を持つことはあまりなかったようだ。
一部報道によれば、二本松で暮らしていた頃から母親は夜遅くまで家に帰っていなかったという。周辺の人は、母子家庭というイメージもあったろうが、母親は水商売をしていると噂していた。
そして、その母親の傍らには若い男性の姿もあったと。

郡山に越してきたのも、男性の力添えがあった。事件後、マンションの管理会社は雑誌の取材に対して、契約者は26歳の男性で、婚約者と同居するという話だったという。
そこに隼人の存在は、なかった。

郡山に越してから、母親は持病が悪化したといい、昼過ぎころまで寝ていることも多かったようだ。
生活費はおそらく、交際していた男性が援助していたのではないかと事件後に知人が週刊誌などに話していた。

加えて、朗子さんとの関係も微妙な空気が流れていた。

そもそも朗子さんは、高校生らしいグループでの交際を望んでいたのだという。一対一の深い付き合いよりも、将来を一緒に悩み、勉強に励み、お互いを高めあえるような関係。
隼人は自頭は悪くなかったわけで、そのうえ見た目も良いとなれば知りあって仲良くなりたいと朗子さんが思うのも無理はない。
しかし、隼人はその心の隙間みたいなものを朗子さんで埋め合わせようとしていたのか、朗子さんとの深い交際を望んでいたように見受けられた。
7月、栃木への一泊旅行も、実は事情があった。

隼人の母親がどう思っていたかはわからないが、少なくとも朗子さんの家族は隼人との交際に反対していたという。
実は、朗子さんの家庭も両親が離婚しており、母親が朗子さんを育てていた。が、朗子さんの家庭にいたのは、ありがちな無職の母親と内縁関係の男性の存在ではなく、会社勤めの母親と、資産を持った祖父母の存在だった。
お互い父親のいない者同士、という共通点はあった。しかし、その環境は似て異なるものだったのだ。

朗子さんの家族は父親がいない分、朗子さんを厳しく、そして愛情深く育てていた。教育にも礼儀作法にもそれは現れ、朗子さんは近所でもとにかく評判が良かった。
学校で撮られた写真だろうか、朗子さんはショートカットではにかんだような笑顔がかわいらしい、見た目にも彼女の性格が表れているように見える。
しかし高校生にもなれば、だれしも親への反発感は抱くもの。特に、友人や交際相手への注文は鬱陶しい以外のなにものでもなかろう。
たとえそれが正しい忠告であっても、反発したくなるのは当たり前の話で、朗子さんも隼人との交際を注意されたことで、親に無断で隼人と栃木へ一泊旅行に出ていたのだ。

その件以降、朗子さんの家族は隼人との交際をさらに反対するようになる。
親の中には子どもに遠慮するあまり、子どもが突飛な行動をとった途端、まるで物わかりの良い親に豹変するケースもあるが、朗子さんの家族はそのようなことはなく、親としての姿勢は一貫していた。

そしてその親の真の愛情は、次第に朗子さんに伝わるようになる。加えて、朗子さん自身が将来を真面目に考え、隼人との交際とは分けて考えることができる人間だったことで、朗子さんは隼人との関係を見直そうとしていた。

そして夏が終わるころ、朗子さんは隼人に別れを告げる決意をした。

激高

その日、登校前に朗子さんが自宅にきたことを、隼人はどう思っていたのか。
ダイニングキッチンのテーブルに座り、朗子さんはおそらく時間もないこともあって率直に別れを切り出したと思われる。
話はそれだけのはず、だった。たとえ隼人がごねても、そのまま自宅マンションを出て学校へ行く。朗子さんは自分の意志をはっきり伝えれば、とりあえずはそれで良しと思っていたはずだ。

そこで二人の間にどんな会話があったのかは、明かされていない。
しかし、裁判において検察側は、朗子さんに冷たい態度を取られたこと、そして、手紙の内容を罵られたことで、隼人が激高し犯行に及んだとしている。

手紙の内容は明かされていないものの、これだけを聞けば、隼人が発作的に犯行に及んだようにも取れるが、実は隼人は、事件の一か月前にあるメモを作成していた。

それは、朗子さんを殺害する計画だった。

しかも、その内容は「待ち伏せして頭を金づちで殴り、首をひもで絞める」といったもので、実際の朗子さん殺害の状況と似ていた。
隼人は朗子さんをまずダイニングにあった金づちで後頭部を殴りつけると、首をビニールひもで絞めて殺害している。
まさに、計画メモに書かれていた通りのことを隼人はやってのけた。

そもそも金づちもひもも、たまたま手の届く場所にあったとは言い難く、用意していたと検察は見ていた。

弁護側もメモの存在を認めたうえで、そのようなメモを作成する時点で当時の精神状態に問題があるとして、福島章上智大学教授(当時)に精神鑑定を依頼していた。
しかしその後、精神障害は認められず、かつ、心神耗弱にも当たらないという鑑定結果が出た。
隼人自身、自分の性格を「頭に血が上りやすく、一つのことしか考えられなくなり、無分別になる」とも話していて、それについては同級生らも「些細なことで激高する」という印象を持っていたこともあり、ほぼ間違いないと思われる。

あの朝、我を忘れるほどの怒りが隼人をとらえたのか。
福島地裁郡山支部の高橋隆一裁判長は、「犯行は一時の激情にかられた短絡的かつ自己中心的なもの。殺害方法も冷淡で執拗かつ残酷」とした一方で、朗子さんにも、隼人の未熟な部分に配慮がなかった一面もある、として隼人に対し懲役5年以上9年以下の判決を言い渡した。

母親ではない、なにか

ところで、隼人は先にも述べた通り殺害した朗子さんの遺体を山に捨てに行っている。その場所は隼人の自宅から10キロほど離れた山林であり、一体どうやってそこまで運んだのか、なのだが、これについては実は協力者がいた。
この事件の章の最初で触れたとおり、朗子さんを殺害した後、隼人は祖母の自宅を訪れているが、実はこの時、母親が運転してきたその車のトランクに、朗子さんの遺体が載せられていたのだ。
当然、母親はそれを知っていた。

隼人が逮捕された際、母親もその場で死体遺棄を手伝ったことを認めて逮捕となっている。
母親は、その後懲役2年執行猶予3年の判決を受けていた。

この事件を知ると、嫌でもあの千葉のきらぼし銀行員の事件を思い出さずにはいられない。妻を殺害を実母に相談して実家の敷地内に遺体を埋めたというアレである。
あの事件は殺害前から母親と息子の間で相談がなされていたことでマザコンぶりハンパないとして後世語り継がれる事件となったが、そう、あれは「母親と息子」が起こした事件だ。LINEのやりとりや関係性を見ても、乳離れできていないような気持ち悪さはあるものの、やはりそこには母親と息子という関係性しかない。

この郡山のケースはどうか。引き合いに出すのは、実は千葉の事件を報じたデイリー新潮が、そのweb上で思い起こされる事件としてこの郡山の事件を並べているからだ。(「これと類似した殺人事件を挙げろと問われて、答えられる方は、どれくらいいらっしゃるだろうか?」、とあるが、知ってればまず思うだろうよ……)

郡山の事件直後、コメントを求められた筑波大学の小田晋教授は、この事件について非常に興味深いコメントをしている。
母親に対して世間体や社会的規範を教える機会が減ったことや、父親不在の家庭が増えたことで社会の掟を伝えられていない子供が増えたこと、そして、それらが母親と息子という関係性に「近親相姦的な感情」を漂わせている、というものである。

デイリー新潮でも小田晋先生のコメントが掲載されていて、デイリー新潮の見解として千葉の事件についても同じことがいえるのではないか、と書かれているが、事件備忘録的にはまさにこれが千葉の事件との「違い」ではないかと思えるのだ。
郡山の事件は小田先生いわく、父親不在の家庭における息子がサディスト化し母親を言いなりにしている点を指摘しているからだ。千葉の事件は母親の判決が求刑超えだった点から見ても、息子の言いなりだった風には到底思えない。

千葉の事件の母親と息子がどこまで言っても気持ち悪い母親と息子であるのと対照的に、郡山の母親と隼人は、どこか「彼氏と彼女」的な印象が強いのだ。

隼人と母親の年齢差は18歳。加えて、隼人の母親は非常に若く見えたという。マンション契約時には、当時34歳だったにもかかわらず24歳とサバを読んでそれがまかりとったことを見ても、母親は20代にしか見えなかったというのは嘘ではないだろう。

二本松にいたころから母親には若い男性がいたとする証言、それについては、隼人の祖母がこう証言している。
「それは多分、隼人を見間違えたのだと思う」
と。
隼人は中学のころすでに身長が175センチほどあったといい、大人びた雰囲気もあったのだろう。

そんな母親は、事件があったその時刻、在宅していたのだ。
体調不良で寝ていたというが、ふすま一枚隔てたような作りの部屋で、事件に全く気付かなかったと話している。
そして、昼頃に起きだした際に、隼人から事実を打ち明けられたわけだが、母親はいったんは自首を隼人にすすめたと話した。しかし隼人が拒んだために、隼人を庇いたいがために、車で山に遺棄することを手伝った。

……本当だろうか。捜査関係者は、隼人が朗子さんの遺体について「母親には一切触らせていない」と話していることなどを挙げ、むしろ隼人が母親を庇っている印象を持ったと話している。
もちろんその後の捜査などで隼人の犯行であることに疑いはなかったのだろうし、母親の話も本当なのだろう。
であるならなおさら、この母親と隼人の関係は千葉のそれとは似て異なるものに思える。

ただ、隼人は死体遺棄に及ぶ前、時間的に言えば殺害直後に友人女性に電話で殺害をほのめかしている。
それをしているにもかかわらず、母親からも自首を勧められたにもかかわらずそれを拒んだとはどういうことなのだろうか。
そのあたりは明らかになっていないが、いずれにしても郡山の事件は形として隼人の意志で動いていることは間違いない。

そしてそこに見える母親というのは、男を失いたくないがために追従するしかない哀しい女の姿に思える。

カノジョを殺した僕たち

二つの事件はいずれも17歳という「未熟な」少年が起こした事件である。そしてどちらも、殺人と死体遺棄という、重罪である。
茨城の弘樹のその後は知ることができたが、郡山の隼人のその後は全く分からない。

早ければ22~3歳で出所となっているだろうが、今どこでどうしているのか知る術はない。

朗子さんの家族は、事件からしばらくは非常に辛い立場での生活を余儀なくされた。妹さんは事件の被害者遺族であるにもかかわらず、周囲から心ない言葉を投げつけられて傷ついた。
それでも天国の朗子さんが家族の幸せを願っているはず、という知人の言葉に支えられ、朗子さんの母親は今、福島県内で被害者支援の活動を行っているという。
平成30年、奇しくも弘樹が事件を起こした水戸市で、朗子さんの母親佳子さんは講演を行った。
そして、共感こそが被害者を支え、救いになるのだということを経験から語りかけた。

少年事件は起きた時こそ注目もされるが、詳細が分からないこともあって記憶に残ることは多くない。
加害者が徹底的に守られるのに対し、守られない被害者は時に、忘れられることが救いになる面もあるだろう。しかし、何もなかったかのようには、出来ない。
ましてや、加害者にとって「なかったこと」には絶対にしてはいけない。どんなに過去を悔やみ、更生したとしても。

僕たちは、カノジョから奪った人生を生涯共に歩まなければならないのだ。

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参考文献

朝日新聞社 平成8年11月15日、平成9年10月3日東京地方版/福島、平成14年3月24日東京朝刊、25日、28日、12月20日東京地方版/茨城
茨城新聞社 平成14年3月24日、25日、26日、27日、30日、4月14日、27日、28日、29日、30日、5月1日、12月20日朝刊
産経新聞社 平成8年8月28日東京夕刊、平成14年3月24日、29日東京朝刊
中日新聞社 平成14年3月24日朝刊
読売新聞社 平成14年3月24日、7月9日東京朝刊
毎日新聞社 平成8年8月28日、12月11日東京夕刊
河北新報社 平成8年8月28日、8月30日、31日、12月6日、平成9年3月6日、9月26日、10月31日
北海道新聞社 平成9年12月18日夕刊全道
日刊スポーツ新聞社 平成8年8月29日
NHKニュース 平成8年8月28日
AERA 平成8年9月9日 母親の心 福島の高校生死体遺棄事件(in short)白石昌幸

公判で語られた「マザコン殺人」の全貌と共依存親子の勝手な言い分
FRIDAY 平成31年6月13日配信 高橋ユキ

妻殺害で「エリート銀行員」が母親と死体遺棄の衝撃――22年前にも酷似事件
デイリー新潮取材班 平成30年7月25日配信

郡山女子高生殺人事件・祖母の証言でわかった新事実 元祖ヤンママと優等生の錯綜した母子関係 (現代 平成8年11月号 著者/祝 康成)

※判決文について、当時未成年者の実名が記載されている関係からあえて記載しない