🔓ひとりで死ね、は、暴言か~道連れにしたがる人々~

まえがき

人は人生に行き詰まり、また絶望したとき、ふと、自死に思いを巡らせる瞬間がある。それは、単に想像するだけのものから、実際に計画を立てたり、あるいは衝動的に自傷行為に及ぶもの、そして、計画的か衝動的かにかかわらず、結果として死亡してしまうものまで幅広い。

年間の自殺者は3万人を超え、10歳以下の子どもから80歳を超える年寄りまで自殺者のいない世代はない。
これらは社会問題とされ、その要因を社会に求める人々、家族間や学校に求める人など様々だが、いずれにせよ自死を選択しやり遂げた人からすれば、どれも「なんか違う、けどまぁいいか」程度のものだと思っている。

そういった自死を選択する人々の多くはひとりで旅立っていくわけだが、時に他人とともに旅立とうとする人々がいる。
同じ自殺の意思を持ち行う集団自殺、あるいは夫婦や恋人間に見られる完全合意の心中、さらには、無関係の他人を無差別に巻き込む通り魔的犯行まで、そのかたちも様々だ。

そういった、「誰かと死ぬ」「一人では死なない」という選択をした人々の事件をいくつかとりあげてみたい。

他人とともに死ぬということ

こう聞いて、まず思い浮かべるのはやはり心中事件だろう。個人的に、心中という言葉は使いたくなく、特に親が幼い子を道連れにするようなケースにおいては全部殺人だと思っている。
しかし一方で、完全なる合意のもとで行われる、それこそ「心中」と呼ぶ以外にないケースもあるだろう。病気を苦にした人が家族に殺害を依頼し、それに家族が応じたうえで自らも命を絶つというケースや、そこに全員の「死ぬ意思」がはっきりと見て取れるケースなどは心中に該当するのだろう。

病気を苦に、将来を悲観して、経済的な問題、男女関係の問題、理由は様々あろうが、家族以外の人間と、となるとその判断は特に慎重にしなければならない。

特に、男女関係におけるそれは、片方の身勝手な思い込みが介在していることが少なくない。大昔であれば、身分の違いから結婚を許されない二人が…などという話もあっただろうが、現代においてそんな身分はない。眞子さまだってこの状況でも結婚のお許しはもらえたわけで、一般庶民が許されざる関係に嘆いて心中、などというのはほとんどない。あるとすれば不倫関係か。であっても、数としてはそんなに多くないだろう。

家族間の場合は、よくある「あとに残される人間が不憫」という理由で全員連れていく、というものだが、それとて全員の承諾があったかどうかは本当のところはわからない。全員死んでしまえばそれで終わりだし、こういうケースで生き残るのはたいてい首謀者であり、その首謀者の言葉を鵜呑みにするのは当然危険である。
このサイトでも取り上げた、中津川の一家五人殺しも、首謀した一家の主が家族を殺害後、自らの首を切っていたこと(未遂)などから無理心中を図ったとされ、幼い孫まで殺しておきながら死刑を免れた。
一方、宮崎の一家三人殺害の場合は死刑判決が確定している。心中する「つもり」だったのかそうじゃなかったのかは、殺害した人の数よりも重要なのだ。

しかし道連れにされた(殺害された)家族の心はどうなるだろうか。
しかも、首謀者が道連れを画策したのが初めてではないとしたら。
平成13年と14年に青森で起きた二つの無理心中事件を紹介しよう。

【有料部分 目次】
七戸一家4人無理心中事件
岩崎村の兄殺し
・吐き気がするほどの身勝手
大宮のテレクラ殺人
・虚無の人生
・噴出した感情
永遠に自分のもの
・大胡町の事件
・優柔不断男の豹変
・愛憎の焔
・衝撃の判決
ひとりで死ね論争
道連れにしたがる人々

僕は何も知らなかった~仙台市・女子大生死亡事件~

平成191114

仙台市青葉区、午前410分ころのこと。
とある単身者向けアパートから110番通報が入った。
「彼女とケンカしたら、彼女が飛び出したまま帰ってこない」
寒さが厳しくなりつつあった11月の夜更けに、部屋着のままで飛び出していった彼女のことが心配になったという。

すぐに彼女の所在は判明した。
若林区の救急救命センターで、彼女はすでに死亡していた。

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🔓仇~宮城・乳児二人殺害死体遺棄事件~

平成16年9月8日

宮城県古川市、JR古川駅前交番。
女は明らかに思い詰めた様子で、応対した警察官はただならぬ雰囲気に気圧されていた。
「子供を殺した。」
呆然とした様子でそう警察官に伝えた女は、さらに驚愕の告白をする。

「二人とも殺した。」

警察官は古川署へ任意同行を求め、事情を聞いたところ、女の供述通り古川市内の女の自宅からまず一体、そして、女の実家の敷地内からも、小さな小さな遺体が出た。
自宅から見つかった遺体は腐敗が激しく、また女の実家から出た遺体は白骨化していたが、女は埋める前に庭にあった焼却炉で遺体を焼いたと言った。

事件概要

宮城県警捜査一課と古川署は、1歳になる長男の遺体を自宅に隠したとして出頭してきた古川市江合本町一丁目の無職、丹野洋子(当時22歳)を死体遺棄容疑で逮捕した。
さらに、自宅を捜索した際に洋子の夫で亡くなった子供たちの父親である丹野耕司(当時22歳)も同容疑で逮捕。
洋子の話では、7月下旬ごろに長男・洸希(こうき)ちゃん(当時1歳)を耕司が殴って殺害し、その遺棄を命じられたという。
当初は押し入れに隠していた。しかし腐敗が進んだことから処分するよう耕司に強く求められたものの、遺棄することもできずに、良心の呵責に耐えかね出頭したのだという。
また、陽子の実家から出た遺体は、次男の有己(ゆうき)ちゃん(生後一か月)であると自供。有己ちゃんも、耕司が殴りつけて殺害していた。
驚くべきことに、有己ちゃんが殺害されたのが6月中旬、洸希ちゃんが殺害されたのはそのわずか1か月後だった。

しかも、耕司は取り調べに対し、
「子供が好きではなかった。かわいくなかったので殴った。」
と供述しており、捜査本部では殺意があった可能性も視野に入れて捜査を始めた。

感情が高ぶり、思わず強く殴ってしまったら死んでしまった、死ぬとは思わなかったというありがちな言い訳を、耕司はしようともしなかった。
それどころか、洸希ちゃんが死亡した際、
「こんなに簡単に死ぬんだったら、最初からもっと本気で殴っとけばよかった」
と、母親の洋子に言い放っていたのだ。

その後、殺意があったとして10月に入って耕司を殺人容疑で、洋子を殺人ほう助の容疑で再逮捕し、仙台地検はすでに起訴されていた死体遺棄容疑に追加して起訴した。

幼いわが子を短期間にふたりも殺害し、遺棄するという極悪非道の事件だったが、平成17年9月6日、仙台地方裁判所は耕司に対して懲役17年(求刑20年)、洋子に対しては懲役4年(求刑7年)の判決を出した。
異様に軽いように思われるこの判決。
その背景には、耕司の残酷すぎるある体験が深く関係していた。

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銃殺の家の女~可児市・廃墟で有名な家の事件とその後~

平成22年1月27日

名古屋市中村区。
宿跡町のアパートの一室から、「刺された」と119番通報があった。
中村署員が急行したところ、部屋には家主でカラオケスナック経営の五味猛さん(当時61歳)が腹部を血に染めて悶絶していた。
救急搬送された五味さんだったが、搬送先の病院で死亡が確認された。

当時部屋には、五味さんの知人である女がおり、警察は事情を知っているとみて話を聞いていたが、女は
「殺す気もないし、覚えてもいない」
という不可解な話をしていた。
その後警察は、五味さんを殺害したとして名古屋市中川区のパート従業員、佳山久仁子(仮名/当時59歳)を逮捕した。

久仁子は事件を起こす15年ほど前まで、岐阜で家族とともに生活をしていた過去があった。夫と子供らの5人家族。しかしその生活は長く続かなかった。
数年の時を経て、この名古屋の事件とはまったく関係のない話から、久仁子が暮らしたその岐阜の家がネット上で晒されることになる。

「銃殺の家」として。

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🔓悪意~相模原・小3女児暴行死事件~

平成11年2月26日午後4時30分

相模原市にある小学校の校庭で、少女が運動場のトラックを走っていた。
放課後の、人影もまばらな校庭を、もう、何週になるだろうか。時折、母親らしき女性や、同じ年頃の少女がその横を伴奏することはあったが、少女はひたすら走らされていた。

そのころ、帰宅した父親は家に家族が誰もいないことから、娘たちが通う小学校へと向かった。
時刻は午後6時、あたりはすっかり暗くなっていたが、少女はまだ、校庭を走っていた。
「またか。今度は何をやらかした?」
苦虫を噛み潰したような顔で父親は少女に近づいた。

事件概要

平成11年2月26日午後7時30分。相模原の消防署に119番通報が入った。相模原市横山台2丁目のその住宅では、畳の部屋に小学生くらいの女の子が仰向けに寝かされていたが、すでに呼吸をしていなかった。
救急搬送された先で懸命の治療が施されたが、翌27日の午後2時55分、女の子は息を引き取った。
死因は頭蓋内損傷。外からは大きな外傷が見当たらなかったが、急性硬膜下血腫、脳挫傷、くも膜下出血、びまん性脳腫脹、びまん性軸索損傷が発症していた。

警察は、対応した救急隊員らの話や、自宅にいた家族らの話から、女の子の父親で会社員の水野俊彦(仮名/当時36歳)を傷害致死の疑いで逮捕した。
亡くなったのは、俊彦の次女、永梨(えり)ちゃん(当時9歳)。
調べによると、日ごろから言うことを聞かないことがあった永梨ちゃんに対し、つねる、叩くなどの「しつけ」と称した体罰を与えていたといい、この日も反抗的な態度を示したことで俊彦が激高、永梨ちゃんを胸の高さまで抱き上げたところ、永梨ちゃんが暴れたために畳の上に落してしまったのだという。

永梨ちゃんはその時に頭を強く打ったとみられ、容体が急変、死亡した。

事件当時、家には母親と永梨ちゃんの一つ上の姉がいた。救急隊の質問に俊彦は答えることができず、母親が状況を説明していたという。
永梨ちゃんには、頭部の外傷のほかにも体にあざがあったことから、しつけと称する暴行は日常的に行われていた可能性もあった。
その一部始終を目撃していた母親と永梨ちゃんの一つ上の姉も、
「父親が永梨ちゃんを抱き上げ、そのまま手を離した」
という話をした。
さらに、一つ上の姉は、これまでにもしつけと称して抱き上げられては落とされるといったことを何十回もやられた、と話した。

家族らの証言や対応した救急隊員らの話から、父親である俊彦が永梨ちゃんと姉に行き過ぎた体罰を行った末の悲劇、そのような判断がなされたが、2か月後の4月20日、横浜地検は俊彦を処分保留で釈放する。

しかし、その1年後、横浜地検は俊彦を傷害致死容疑で起訴した。

【有料記事 目次】
・家族
・破られた連絡帳
・裁判
・懲役3年
・小さな悪意