願いを叶えて~日田市・妻義母殺害事件~

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法廷にて

「一番苦しんだのは父だと思います。私は父を恨むどころか、『お父さんごめんね』という気持ちでいっぱいです」

大分地方裁判所の法廷には、女性のすすり泣く声が響いていた。その言葉に、被告人席の初老の男は、ただただ涙を流すだけだった。

男の罪は、妻と義母(妻の母)を殺害するという、非常に重大なものだったが、彼のために減刑を求める嘆願書が1300人分も集められていた。

男が犯した罪と、その背景とは。そこには、やりきれない事実が隠されていた。

事件概要

平成181214日、日田市内の小さな住宅地でその事件は起きた。
すでに日が落ちた夕方6時過ぎ、とある男性方に顔見知りの男が訪ねてきた。男はこの住宅地が出来た頃からの住人で、もう10年以上の付き合いのある良き隣人だった。
「小野さん、どうしたの?」
男は酒に酔っている風で、応対した知人は訝った。

「女房と、ばあちゃんを殺してしまったんよ」

驚いて確認する知人男性に対し、男はそればかりを繰り返し呟いていた。

119番通報を受けた救急隊員が駆け付け、男の家を捜索したところ、室内で二人の女性が倒れており、すでに死亡していた。
遺体には首を絞められた跡もあり、また、男の話から男が二人を殺害したとみられ、男は緊急逮捕となった。

逮捕されたのは日田市在住の無職、小野武志(仮名/当時68歳)。死亡していたのは、武志の妻・キミ子さん(当時68歳)と、同居していたキミ子さんの母・ハナ子さん(当時86)で、発見当時すでに死後硬直が始まっていたという。
小野の話によれば、病気が悪化していた妻と、認知症が進んだ義母の介護に加え、自分自身も収入が乏しく、世をはかなんだということだった。
勝手口の軒先には、輪に結ばれたロープも垂れ下がっていた。

小野自身も、警察の調べに対し、ふたりを殺害した後自分も死ぬつもりだったと話しており、警察では小野がふたりを殺害し、自分も自殺するつもりが未遂に終わったものと判断した。

平成191月、検察は小野を殺人の罪「など」で起訴。
4月から始まった裁判でも小野はその罪状をすべて認めた。弁護側も、罪状は争わない方針を見せた。

小野の罪状は、殺人と嘱託殺人だった。

その日まで

小野は事件の10年ほど前に、この日田市内の新しくできた住宅地に1500万円のローンを組んで家を建て越してきた。
タクシー会社で運転手として26年勤務し、妻とその母親との3人暮らしだったという。
一男一女に恵まれていたが、この場所に家を建てた頃には二人ともすでに独立していたとみられる。
遠方だったのだろうか、なじみが薄いとはいえ実家であるこの家に、子供たちが顔を出すことは多くなかったという。

63歳でタクシー会社を退職した小野は、その退職金をローンの繰り上げ返済に充てたというが、すべてを返済はしきれなかった。

家庭ではキミ子さんが自身も仕事をしながら、家計を支え、母親を引き取って家事などを行っていたが、平成18年ころには母ハナ子さんの認知症が進んでいたようだ。
家族の名前もわからない状態だったといい、また、手の届くところにあるものは何でも食べてしまうという症状もあった。

それでも身体的な問題が少なかったのか、自宅での介護が可能だったとのことで、この時点までハナ子さんが施設に入所する予定もなかった。

しかし平成18年の夏、元気だったキミ子さんが体調不良を訴え始めた。
さらに、「家の中に虫がいる」ということも言い出し、受診させたところうつ病であると診断された。

キミ子さんのうつの原因ははっきりしないが、自身の加齢に加え、仕事や家事、介護の重責が積み重なったのだろう。老後の心配もあったとみえ、秋ごろにはしきりに老後の生活資金の不安を口にしたという。
「もう、お金がないんよ
キミ子さんはそう小野に訴えた。

家計のことはキミ子さんに任せきりだった小野は、自身の年金75千円のほかに、豆田町の土産物店の駐車場誘導係をして家計を支えてはいたが、1日当たり3000円にも満たない給与だったといい、小野の中でも将来の不安が重くのしかかるようになっていた。

11月になるとキミ子さんは自殺願望を口にし始める。「死にたい」そう訴えるキミ子さんをなだめ、寝込むことが多くなったキミ子さんの代わりに、小野が家事や介護を担うようになった。
キミ子さんの容体は好転することはなく、小野が用意した食事ものどを通らなくなり、加えて糖尿病の持病も悪化していた。
12月、キミ子さんの足の指が紫色に変色していたことで医師に診せたところ、壊疽しかかっていると判明。通院しながら点滴治療を受けるなどした。
足の指は良くなったというが、キミ子さんは足の痛みを訴え、「死にたい」ではなく、「殺して」と訴えるようになっていた。

家には金もなく、妻の病気も良くはならない、そう思った小野は、妻の「殺して」という声に引きずられるようになってしまう。
妻はこうも言った。
「私を殺して、その時はばあちゃんも一緒に」

嘆願

事件が起きる前日、小野の異変に気付いていた人がいた。
小野が勤務していた土産物店で一緒に働いていた倉田さん(仮名/当時44)だった。

倉田さんは親子ほどの年の差があったものの、小野とは個人的な相談事をしあうような、良き同僚だった。
それまでも、休憩時間などに小野から家事や介護の相談、愚痴などを聞いていて、小野が大変な状況にあるということは知っていた。
1213日、いつものように土産物店で勤務していた時、小野が駐車場と店内を行ったり来たりしていることに気が付いた。
いつもと違って落ち着かない様子の小野に、どこか不穏な印象を受けた倉田さんが声をかけると、
「最近は酒の量が増えてしまった。寝られんのや」
と充血した目でそう話したという。その土産物屋の仕事も、家事と介護を担うために辞めざるを得ない、とも話していた。

事実、小野は酒に頼るようになっていた。事件発覚時も小野は酔っていたし、家の中には焼酎の瓶が転がっていた。
倉田さんは小野の体調などを気遣い、気にはなりながらも職場を後にし、そして事件を知った。

事情を知っていた倉田さんにしてみれば、信じられない思いと同時に、小野の心が壊れてしまっていたことに気付いてやれなかったという思いもあっただろう。
すぐに同僚や知人ら、小野を知る人々に声をかけ、嘆願書を作成し始めた。

倉田さんだけではなく、小野の元勤務先であるタクシー会社や、小野の子供の同級生らの間でも、さらにはタクシーのなじみ客らにも嘆願書を集める動きがあった。
そしてそれは、1300人の署名となって弁護士に届けられたという。

小野はそれまで旧天瀬村で暮らしていて、ある程度年を取ってからこの場所に家を建てた。
そういった場合、なにかと近隣と軋轢がある、というのは珍しくない話だが、小野の場合は評判が良かった。会えば自分からあいさつをしてくれるような人だと、誰もが小野の人柄の良さに触れた。
事件の日も、まず近所の知人男性の元を訪ねているところをみても、小野にとってこの地域での暮らしは、心地よいものだったのだろう。事件後小野が訪ねた男性が、警察ではなくまず消防に通報したのも、ふたりを助けたい思いと、小野が良き隣人だという思いからだろう。
子どもたちがあまり顔を見せないという寂しさはあっても、近隣の人々とのゆるやかで温かな暮らしがあった。勤務先の倉田さんらの存在も、頼もしかったろう。

それでも、事件は起きてしまった。

懲役7

検察は小野に対し、その境遇に一定の理解を示しつつも、そして妻への殺人に対しては、妻からの頼みであったことを認めて嘱託殺人として起訴した。
ただ、義母のハナ子さんに対しては、少なくとも同意は得ておらず、娘であるキミ子さんの頼みであったとしてもそれは許されない行為であるとして殺人罪での起訴となった。

求刑は懲役10年。二人の命を奪ったことの結果の重大さを考えれば、やはりこの程度は求刑せざるを得なかっただろう。

冒頭のように、法廷では長女が涙ながらに父親への謝罪、そして裁判所に対しては減刑を訴えた。1300人分の嘆願書も届いていた。
小野は拘置所にいる間、タクシー会社へお礼の手紙を送っている。
「自分のおかした罪の重大さを重んじ、償っていきたい。毎日きりつ正しい生活をしており、タクシー会社で過ごした思い出などを思い出しながら毎日を送っている」
とても丁寧な文字がそこには並んでいたという。

裁判所は、平成19524日、小野に対して懲役7年を言い渡した。

知らなかったこと

几帳面でしっかりした、立派な社会人であり、父親であり夫であったはずの小野が、なぜ人生の最終章でこんなことになってしまったのか。

裁判では驚愕の事実、おそらく小野が一番驚愕したであろう事実も明かされた。
小野は、殺害の動機として妻に任せていた家計のことを挙げていた。
75千円の年金と、自身のパート収入が頼みの綱だったと、小野は思っていた。退職金はすでにローンの繰り上げ返済に回り、さらにローンの残額もある、と。

しかし実際は違っていた。

検察は、事件当時小野家には月額30万円の年金収入があったと指摘した。さらに、なんと小野家には約1000万円の貯蓄があったというのだ。

毎月30万円の年金収入があれば、たとえ病気の妻と認知症の母親がいても、暮らしていくことは出来そうなものだ。
そこに貯蓄1000万円があるとすれば、むしろ経済的には恵まれているともいえる。
都会のど真ん中ならいざ知らず、九州の片田舎での静かな暮らしであれば、どうにでもなっただろう。

小野は、これを知らなかったのだ。

キミ子さんに任せきりだったという家計、自身の年金のことは把握できていても、キミ子さんやハナ子さんの年金までは知らなかった。うつ病を患ったキミ子さんの「金がない」という言葉を信じ込んでしまっていたのだ。
通帳を確認すらしなかったというから、そのキミ子さんへの信頼は相当なものだったのだろう。

金があるうえでの悩みだったならば、結果は絶対に違っていたはずだったわけだから、やりきれない。

思い込み、短絡的、自暴自棄だと検察は小野を批判したが、当時の小野家の状況を考えた時、一番追い詰められていたのは小野だったのではないかと思う。
うつ病の妻よりも、認知症の母よりも、すべてを抱え込んでしまった小野の心こそ、一番に手を差し伸べるべきものだった。

一方で、お金があろうがなかろうが、キミ子さんにしてみればもう殺してほしいの一点張りだったわけで、そのキミ子さんの願いを叶えたい一心での犯行だったのならば、お金があっても関係なかったのかな、とも思う。

キミ子さんは壊死しかけた足のことも悩んでいた。見舞いに来た友人に、「足を切るかもしれん。」といって抱きついてきたという
キミ子さんには、お金よりも、健康のほうがよほど大切だった。

小野家には事件当時、年老いた犬がいた。
誰もいなくなったその家で、老犬は近隣の人々が世話を続けたという。

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参考文献
毎日新聞 平成181215日西部朝刊
朝日新聞社 平成181215日、16日 平成19420日 西部地方版
朝日新聞社 「第二報 楽にしてあげたかった」 中野浩至、石崎晃一郎 平成181222日西部地方版/大分
読売新聞社 平成19424日 西部朝刊

平成19(わ)1 嘱託殺人、殺人 大分地方裁判所

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