執着する親たち~施設収容申立および親権喪失申立事件~

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虐待大国ニッポン。

大変不名誉な表現であるが、世界のいわゆる先進国と呼ばれる中で、日本ほど子供への虐待に生ぬるい国は珍しいのではないか。
どんなに車内放置はダメだといっても毎年のように子供が蒸し焼きにされる。もはや風物詩なのかと、わざとなのかと言いたくなるほどだ。これほど「車内放置は死ぬ」と言われていてもやるのは、もはや故意である。

欧米、特にアメリカでは州によって違いはあるものの、虐待通報として受理された場合は24時間から72時間以内にケースワーカーがその子供に直接会いに行くという。
受理されたものは虐待があったかなかったを調べ、結論も出す。玄関で怒鳴り散らされておめおめと引き下がることはない。

毎年のように信じられないような痛ましい虐待事件が起き、その何割かは子供が命を落としている。
にもかかわらず、何回も何回も、同じことが繰り返されるのはなぜか。前兆はなかったのか。

ここでは虐待事件として監護者が逮捕されたか否かにかかわらず、児童相談所が子供の身を守るために監護者から引き離すために行う「施設収容申立」と、親権を持つ親からその権利を奪う「親権喪失申立」について実際のケースを紹介したい。

施設収容申立

ケース①~薬物中毒の母とゴミ屋敷〜
実母のネグレクトによる福祉施設収容の承認申立(申立人/岡山中央児童相談所長)

事件本人/長男(当時2歳) 親権者/実母(覚せい剤取締法違反で検挙歴あり)

岡山県内で暮らしていた母親について、その養育状態が甚だ芳しくなく、家庭訪問を行ったところ玄関先から部屋の奥までゴミが散乱し異臭が漂う状態であったことが認められた。
別の日に児童相談所職員が家庭訪問したところ、実母は家の外でぶつぶつと何かを呟きながら歩き回っており、その傍らでは長男が冬だというのに上半身に服一枚、下半身は裸の状態で泣いていた。

その後の家庭訪問時も、実母は不在で長男が一人取り残されていて、衣服もじゅうぶんでなかったこと、加えて当時2歳4か月の長男は発語も悪く、トイレの躾すら出来ておらず、とても正常な発育とは言えない状態にあった。

児童相談所は、生育環境が劣悪で、かつ親権者の実母がどうやって生活しているのかも不明であること、なにより実母の精神状態が非常に不安定であることから、このままでは長男の生命に危険が及ぶと判断。
実母に対して児童相談所に長男を預けるよう提案したが実母は拒否した。

一か月後、家庭訪問をするとやはり長男はひとりぼっちで下半身裸の状態で放置されており、児童相談所は立ち入り調査を行ったうえで長男を一時保護した。
その後実母は長男を連れ去られたとしてパニックになり、自動車の当て逃げ事故を起こし措置入院となったが、それでも長男を児童相談所に預けることを拒否したため福祉施設収容の申立を行うに至った。

それまで

実母は同じ男性と二度結婚、離婚しており、その間に覚せい剤取締法違反で執行猶予付き判決を受けている。
夫と復縁したのちの平成14年2月ころから、実母は家を空けがちになり、3月以降は家出状態だった。
実父は長女と長男を養育していたものの、長男のことまで手が回らなかったことで自ら児童相談所に赴き、長男を乳児院に預けた。
その後実母は帰宅したが、再び家出。いったんは家庭に戻っていた長男は再度乳児院に入った。実母には幻覚などの症状があり、夫が警察への出頭させたというが、薬物反応は出なかったことから覚せい剤の後遺症と判断、入院させた。

ところが4月に入って実母が突然乳児院に現れ、長男を強引に連れ帰ってしまう。乳児院院長が両親に対して長男を戻すよう説得したが実母は拒否、結局父親が長男を乳児院へ戻した。

このような経過があり、実母が自身の母親と兄、そして夫に対し誓約書まで書いて長男の引き取りを懇願したことから、平成14年5月1日付で長男の乳児院入院措置を解除した。

姉の問題行動と一時保護

その後7月に実母は離婚。親戚名義の空き家に子供たちと共に入居し、生活保護を受給しながら母子での暮らしが始まった。
ところが8月に入って、福祉事務所より岡山中央児童相談所に対し、長女について要保護児童との通告がなされた。
長女は小学校を転校するなど環境の変化はあったが、勝手に他人の家に上がり込む、近所を徘徊する、学校で落ち着きがなく授業を抜け出すなどの問題行動が頻発していたという。
給食だけを食べに来てその後勝手に学校を抜け出して警察に保護されたり、盗みを働くこともあった。

家庭訪問をした福祉事務所の相談員は、家の中の惨憺たる状況や、長男の発育状況などから実母には長女を監督する能力がないと判断、長女を被虐待児登録したうえで実父に連絡をし、その後長女は実父が引き取った。長女の問題行動は起きなくなったという。

12月、実母は生活保護を辞退する。しかし経済状況は相変わらず不安定で、かつ家の状況も全く変わっていなかった。
そして平成15年1月、実母は覚せい剤の後遺症から救急搬送される事態となり、帰宅はしたものの児童相談所は早急な対応が必須と判断し、家庭訪問を実施した。
しかし実母は複数回の家庭訪問をすべて拒否し、時には長男を不衛生な状態で放置したまま数時間にわたって外出したほか、手が細かく震えたり、独り言をつぶやくなど精神状態が明らかに普通ではなかった。

そこで児童相談所は警察の支援の下立ち入り調査を実施、しかし実母が内側から鍵をかけて対抗したことから失敗に終わった。
その後も実母の対応は変わらず、生活態度も改善の兆しがないことなどから、3月25日、家庭訪問をした際に長男を置き去りにしていたことでようやく長男は一時保護となる。

長男の状態と、母

一時保護となった長男だったが、直後の検査入院において、「被虐待児症候群」と診断されている。
加えて、全身にアトピー性皮膚炎があり、社会的な発達には遅れも見られた。発語状態は特に悪く、見捨てられ不安も強度と診断された。
身体的な成長についても、当時2歳5か月であったのに、1歳8~9か月程度の段階だったという。

実母は措置入院の後、幻覚や妄想などにとらわれ話ができない状況だったが、平成15年4月時点では投薬治療の効果も表れ、妄想などは減少していた。
しかし、それまでの生活のことに話が及ぶと、およそ事実とはかけ離れた話をし始め、子供を放置したことはないとか、措置入院の要因ともなった当て逃げ事故も自分ではないと言い張ったり、挙句、家の中の惨状を問い質された際には「誰が勝手に写真を撮ったのか!」と逆ギレする有様だった。

児相相談所はこれらを踏まえ、このまま実母に養育させてしまうことは長男にとっての今後の人生に大きな悪影響があること、実母がいまだ現実を軽く考えていること、身近で世話のできる家族がほかにいないことなどから児童福祉法28条1項に該当するとし、専門的な処遇と適切な愛着関係を育成することが適当として申立に及んだ。

岡山家庭裁判所は、実母がいわゆる暴力行為などに及んではいないことや、長男に対して決して愛情がないわけではないことは十分に理解したとしても、長男の福祉のためには母としての自制を求めるとし、この申立を承認した。

実母はこれに従い、決定は確定している。

ケース②~信念を持つ養父~
実母と養父による身体的、心理的虐待での服施設収容承認申立事件(申立人/福岡児童相談所所長)

児童相談所所長が一時保護した児童において、養父および実母の児童に対する厳しい態度が躾の目的であったものの、𠮟責に体罰を伴うことが常態化し、皮下出血等がみられるにいたっていること、養父および実母は児童の現状を認識したり、自らの養育態度を改善したりすることができないことなどから、児童を養父および実母の監護下に置くことは著しく児童の福祉を害するものと認められるとして、児童の児童養護施設への収容を申し立てたケース

それまで

本件児童・A(平成6年生まれ、当時6歳)は、平成7年に両親が離婚後、実母と生活していたが、トラック運転手をしていた実母は平成8年に養父と知り合い、平成10年からはAを連れて養父の勤務先であった鹿児島で同棲生活を始めた。
平成11年、養父との間にAの異父弟となるBが生まれ、平成12年には異父弟Cが生まれたことで実母と養父は入籍。同日、Aは養父と養子縁組をした。

養父は離婚歴があり、前妻との間に長男をもうけたが、長男は前妻が引き取っている。

この実母と養父は、それぞれが子育てに関して「こだわり」というか「信念」のようなものを持っていたという。
実母はAが2~3歳のころから熱心に文字を教えており、「1日に1冊、本を読む」ということを強いていた。それも、2~3歳の月齢の子が好むような絵本というより、文字の多い本だったようだ。
また養父も、「危険なことはしない」「約束を守る」ことは絶対に守らなければならないとし、言って聞かせても守れない場合は体罰もやむなしという考えを持っていた。

Aが4歳のころ、養父が鹿児島から福岡県内に転勤となったことで、実母とAらは小郡の実母の実家で暮らすことになった。
ところがこの実家での生活の際、実母と養父のしつけが子供らの月齢にあってないのではないかと危惧した実母の両親が二人を咎めたことがあった。
その時、実母の両親が養父に対し「本当の親でもないくせに」と発言したことで実母が反発。実家を出て鹿児島へと戻り、以降実母の実家とは絶縁状態である。

程度が分からない親

体罰もやむなし、と考えていたのは養父だけではなかった。実母も、Aに対し体罰を加えることを躊躇しない節があった。

もちろん、親の懲戒権というものの範囲で、たとえば他人を傷つけたり、それこそ養父の言うように命の危険があるような行動をした際などは、強い言葉で諭す、ということは必要だろう。げんこつくらいは致し方ないケースもあるだろう。

しかしこのふたりは、程度が常識とはずれまくっていた。

実母はAに対し、叩く、蹴るにとどまらず、突き飛ばして家具に激突させ流血する事態を引き起こしたり、食事を抜くなどの体罰を与えていた。

また、「出ていかんね」「荷物はまとめたんね?」などと、言葉による精神的な虐待も行っており、養父が仕事から帰るまで玄関先に立たせていることもあった。

養父はAへの体罰について、「月に1度くらいのこともあれば、Aが言うことを聞かないときには週になんどか体罰を加えることはある」と話していた。
ある時、Aがコンビニで菓子を万引きしたことがあった。過去にも同様のことがあったため、実母と養父はより激しい体罰を加えたという。

11月14日、長男出産を控えた実母の様子を見るため、保健師が自宅を訪問したところ、Aは食事を与えてもらっておらず、元気がない状態だった。
実母に確認すると、罰として食事を与えていないことを悪びれもせずに話し、それは行き過ぎであると説明されても受け付けず、今後も言うことを聞かなければ食事を抜くとのたまった。

元々、Aについて育てにくいと訴えており、保健師の訪問の際にも「出産時には施設で一時的に預かってほしい」などと話していたことから、翌日の15日、保健師は児童相談所の職員と共に再訪し、Aを一時保護した。

やっぱり返して

一時保護となったAは、特定の職員にまとわりつく、その職員が他の児童の世話をしようとするとそれを阻止し、自分だけをかまって欲しがるという典型的な脱抑制性愛着障害がみられた。
それも日が経つにつれ落ち着いてきたことから、12月20日、出産した実母の病院へ職員とともに見舞いに訪れた。

しかし実母はAに対し、寂しい思いをしていないかなどと尋ねることなくAに対し今の現状はAがしっかりしていないからだと厳しく説教をし始めた挙句、なんとAに対し、
「あなたを捨てます」
と宣言したのだ。
出産の疲れなどもあっただろうと、日を改めて年が明けた2月20日に再度実母と面会した際も、実母は「捨てる」という言葉をAに投げつけた。

かわいそうに、Aは実母が言葉を発しただけで泣き出してしまうようになっていた。

児童相談所の職員は、子供に対してたとえ本心ではないにしても「捨てる」という言葉は強すぎるとアドバイスをしたという。
しかし、実母も養父も一切耳を傾けようとはしなかった。

さらに、そんな状態であるにもかかわらず、実母はAを児童相談所が取り上げたといって反発していた。
実母は、「あくまで出産の一時期だけ預かってほしかったのに、いつまでたっても家庭に戻さない」として児童相談所を責め立てた。

実母はその「信念」の中に、「食べ物を食べるときは親に許可をもらってから食べる」という事柄も入れていた。
食べ盛りのはずのAは、家の中で「自由に食べられる状態」にあるパン一つも、いちいち実母の許可を得なければならなかったという。
おなかが空いてつい、食べてしまったということも子供であればあるだろうに、実母と養父は殊更それを責め、そのあとの食事を抜いた。

ちなみに、だが、この幼少期において食べ物を食べるときに親の許可を得る、というのは、確かに家庭内のルールというか、食べ物に対するありがたいという気持ちを持たせる面では良い面もあるが、以前テレフォン人生相談において、登山家で医師の今井通子先生曰く、やり過ぎは宜しいことではないとのことだった。
空腹というのは命に関わることで、食べ物がないのならまだしも目の前にある状態にもかかわらず、それが満たされないというのは子供の心に良い影響は与えない、お腹一位杯食べさせてやれば良いのだ。

叩くといった体罰も毎日ではないなどと話していたが、一時保護されたAの体には、顔面、四肢、躯幹に大小不整形の打撲とみられる皮下出血や、浮腫を伴う溢血などが二十数か所も認められた。

児童相談所は、実母と養父が忠告や指導に一切従う気がない以上、Aの現状を正しく認識したり、養育態度を改めることは困難と判断、児童福祉法27条1項3号の措置をとり、その後家庭裁判所も児童福祉法28条により、Aの福祉施設収容を承認する審判を下した。

実母と養父は不本意ながらも、これを受け入れた。

ケース③〜狂気の母〜
実母の代理ミュンヒハウゼン症候群疑いのための服施設収容承認申立(申立人/北海道北見児童相談所所長)

両親の幼児に対する養育方法が客観的に適切さに欠け、かつ、断定はできないものの母親に「代理ミュンヒハウゼン症候群」の疑いがあることから、福祉施設への入所を児童相談所が申し立てたケース

難病の姉妹

平成10年10月、突発性発疹と下痢の症状を訴えた生後8か月の女児が病院へやってきた。
入院しての治療となったが、絶食や下痢止めを投与されても女児の下痢は治まらなかった。
女児には両親のほかに、実は平成6年生まれの姉がいた。しかしその姉は2歳6か月のころに死亡している。
姉の死亡原因は難治性の下痢と、真菌の細菌感染を繰り返したことによるもので、妹であるこの女児の主訴と似ていることから遺伝性疾患や免疫不全も疑われ、病院ではその検査目的で別の病院に転院させたが、転院後も症状は全く改善しなかった。

平成11年4月、両親の希望もあって最初の病院に再入院し検査、治療を行ってきたが、なぜか女児の血液中から真菌の一種である「薬剤抵抗性のカンジダ菌」を含む複数の菌が検出され続けた。
下痢と発熱も全く治まらなかったという。
検査の結果で、女児の症状は遺伝性疾患でも免疫不全でもないと判断されており、医師らは女児の中心静脈カテーテルの汚染が原因ではないかと疑い始める。

秋ごろになり、依然として真菌感染による敗血症の症状は持続していたものの、その最近の検出頻度が減少したことなどから一時外泊も認められるようになった。
ところが、外泊から病院へ戻ると症状が悪化するようになる。
外泊時には高カロリー輸液や抗真菌剤の点滴を両親に義務付けていたにもかかわらず、複数の菌の検出が続くのは医学的に異常と判断。

平成13年9月、女児が入院していた病院は、母親による「代理ミュンヒハウゼン症候群」の疑いから児童虐待に当たる可能性があるとし、北見児童相談所に要保護児童の通告を行った。

病院

女児の父親は公務員で、入院中の女児には母親が付き添っていた。
ただ、詳細は不明であるがこの母親にはある既往歴があったという。
女児の原因不明の病気、姉の死、さらには外泊すると症状が悪化するということから、医師らは女児の外泊を中止。
やむを得ず外泊する場合でも自宅での点滴操作を禁じ、点滴は必ず病院に帰ってから行うことを両親に告げた。

ところが、このことが原因で両親と担当医師との関係が悪化。さらには両親がいまだ病状が回復していない女児を退院させようとし始めた。

病院では児童虐待プロジェクトチームを結成、女児の今後について検討を重ねた結果、現時点で母親が代理ミュンヒハウゼン症候群であると断定はできないが、その可能性が排除できない以上、至急に母子を分離しなければ女児の命に危険が及ぶとし、児童相談所に通告を行った。
姉の死がある以上、もはや看過できなかった。

両親

病院と児童相談所が両親に対し、一時保護の理由や経過を説明したが、両親は説明に納得しなかった。
母親の代理ミュンヒハウゼン症候群はもちろん、女児への虐待も認めず、話し合いは一か月以上経過しても平行線だったという。
12月に入り、父親から児童相談所の一時保護が不当であるという不服申し立てまで行われた。

両親は、女児が外泊した時はいつも元気だったと主張、平成13年の秋以降は改善の兆しもあったにもかかわらずの一時保護には到底納得できないと訴えた。
一時保護となった後も、両親は女児への愛情の深さを示し続けたというが、一方で一時保護されて以降、あれほど原因不明の菌が検出され続けた血液は正常となり、下痢や発疹もほぼ治まっていた。
ただこれについても両親は、症状が改善したのは中心静脈カテーテルをやめたことで感染がおさまっただけで、母子分離の効果ではない、と主張。

家庭裁判所は、母親を代理ミュンヒハウゼン症候群と断定することは困難(点滴に異物混入しているなどの目撃情報や客観的な証拠がなかったため)としながらも、母子分離以降の目覚ましい回復が現実としてある以上、少なくともそれまでの両親(父親含む)の養育方法は不適切であったことは認めざるを得ない、とした。

最後まで自身の問題ではないと主張した両親だったが、家庭裁判所の決定以降、母親は精神科での継続的なカウンセリングを始めた。そのうえで、女児を戻すよう札幌高裁に控訴していたが、平成15年1月の控訴審において、札幌高裁は母親の努力や親族らの支援が見込めるということを踏まえてもなお、改善が完了したと認められるまでは引き続き、施設への入所が相当として控訴を棄却した。

両親はようやく受け入れた。おそらく、母親の問題等が親戚を含め周囲に認知されたことで、母親自身への助けもあったと思われる。

ただ、長女の死因はこうなってみると症状が同じである以上、何が起きていたかはみなまで言うな的なことになったのだろうか。そこを追及する強き人は、いなかったようだ。

ケース④~何がしたいのかわからない父親~
父親による身体的虐待からの福祉施設収容申立(申立人/北九州市児童相談所所長)

実父が度重なる身体的虐待が疑われ、仮にそうでなかったとしても実父の養育は保護の怠慢、極めて不適切と認められ、さらには親権を盾に子を脅すなどの言動があり、直ちに父子分離が必要とされたケース

オレ流の子育て

平成11年8月16日、北九州市にある児童養護施設にある父親から電話が入った。
内容は、「一時外泊で帰宅していた長男がケガをした」というものだったが、そのケガは右鎖骨骨折、右頬打撲、さらには性器先端部の腫れ、出血という尋常でないものだった。

診察した医師は、身体的虐待の可能性が非常に高いと診断、北九州児童相談所は養護施設からの連絡で男児を緊急保護した。

男児の家庭は姉と父親との三人暮らしで、実母は男児を生んだ直後に家出、その後両親は離婚している。

親権者は父親となったが、この父親は大いに問題ありの人物だった。
男児は生後半年で乳児保育所に預けられたが、そのころから男児の背中や足に大きくはないものの火傷のような傷や、頬や下顎に殴打痕が認められた。
この時点で診察した医師から虐待でできた傷であると診断され、生活環境から虐待者は実父であると推測された。

父親はほかにも適当にもほどがあるという育児方針で、ミルクの濃度は適当、砂糖を混ぜるなどしていたという。
さらには、作ったミルクを男児が飲み干せないときは、残りのミルクを無理やり飲ませたり、季節に応じた衣服や寝具の調整をしない、風呂の温度を確かめない(大人が入る温度に平気で浸ける)など、常識からかけ離れた育児だった。

そのため、冬場にタオルケット一枚で寝かされた男児は気管支炎に罹るなど、命の危険性もあったという。

感情のコントロールも聞かない人間だったようで、不適切な育児のために男児が泣くと叩く、時には床に放り出すといったこともあった。

このため、北九州児童相談所は乳児院に措置入所とし、この時は父親も同意、男児の姉も同じ施設に措置入所となった。

手放さない父親

男児はその後3年にわたって施設にいたが、その間父親が面会に来たのは十数回。父親が面会に来た際、男児は固まっていた。
ある時、気まぐれで持参した衣服を男児が着ようとしなかったことがあった。すると父親は
「親権は自分にあるからお前なんかどうにでもなる!パパを侮辱するならお前を捨てるぞ!」
と幼い我が子を恫喝した。

事件が起きたのは平成11年の8月の5日間にわたる一時外泊の時だった。
この、長期の一時外泊は危険で、あの尼崎の運河にごみ袋に入れられて捨てられた勢田恭一君の事件でも、まさに8月の一時外泊が要因だった。

施設に戻る日の朝、父親が冒頭のように男児がケガをしたと連絡してきた。
父親は勝手に病院に連れて行って診察し、挙句自分を虐待者呼ばわりしたことに抗議し、男児のけがは自宅アパートの二階の踊り場でビニールプールで行水させていた際、男児がバランスを崩し階段を転げ落ちたことが要因であり虐待ではないと主張したという。

しかし、診察した医師によれば階段から転げ落ちたならばあるはずの左右大腿部の打撲や擦過傷が一切ないことでそれを否定。
むしろ、性器の先端部の腫れや出血は、強い力で性器を引っ張る、圧力をかけるなどの行為がなければ起こりえないとし、その他の殴打痕は数日前にできたものであり、身体的虐待で生じた可能性が強いとした。

緊急一時保護となった男児を、父親は連れ戻すと強硬に主張。時には自分の母親(男児の祖母)や親せきの女性を連れて相談所に来ては、このように協力してくれる女性がいるから大丈夫だと訴えた。
一方で、児童相談所による助言や指導を受けることは断固拒否。
いったんは男児の施設入所に同意したものの、週末は必ず自宅に外泊させることを条件に出してくるなどもはや自分の置かれている立場が認識できておらず、協議にすらならなくなっていた。

父子分離

業を煮やした児童相談所は9月8日、所轄の警察署に男児の傷害について父親によるものだとする被害届を提出。
そのうえで、福祉施設収容承認の申し立てを行った。

平成11年12月1日、福岡家庭裁判所小倉支部は、男児の福祉のためには児童養護施設入所が相当との判断を示した。

男児は幸いなことに、その後の精神状態は少しずつ安定して、姉らと共に落ち着いた生活を送れるようになったという。
一方でこの父親は何がしたかったのか。お前なんか捨ててやるという一方で、どうぞどうぞと言われると途端に執着し始める。
事件当時42歳だった父親だが、男児の母親とも15才ほど年の差がありなんというか、精神年齢が異様に低い人物なのではないかという印象がある。
裁判所も、現状のままではどんなに父親が男児らとの生活を望んでも子供の福祉のためには害悪であるとし、父親には継続的な親子関係形成のプログラムへの参加、自己成長が必要としている。

被害届を出されたものの、この父親に何らかの処罰が下ったという話は出てこないため、おそらく不起訴か何かだと思うが、それも信じられない話ではある。

親権喪失宣告

ケース⑤~ゴミのような親(養親)~
養父による性的虐待をうけ、養父の親権停止の申立事件の審判の効力が生ずるまでの間、親権者である養父の職務の執行を停止するための申立(保全処分)
(申立人/熊本県中央児童相談所長)

養父による養女二名に対する性的、身体的虐待を理由とした親権停止宣告申立事件の審判前に、養父の親権者としての職務執行を停止させ、代行者に申立人である児童相談所長の選任を求めたケース。

発覚

とある運送会社。そこには社長と、一人の従業員の姿があった。
社長は苦虫を噛み潰したような顔で従業員に事情を聴いていた。歯切れの悪い従業員の男だったが、社長に問い詰められた挙句、一つの事実を認めた。

これに先立ち、養女の母親である男の妻からもあることを問い詰められていた。
浮気、会社の金の横領、そんなもんではない。男が認めたのは、当時10歳の養女に対して行った、性的虐待についてだった。

暴力

被害者の姉妹は、両親が離婚したのち実母に引き取られたが、のちに実母は再婚、新しい父親と養子縁組を交わした。

養父はトラック運転手だったが、生活が安定するまではと姉妹の祖母(母方)の家に同居していたという。
しかし養父と祖母の関係が悪くなったことで別居、一家四人は生活力が乏しかったことで一時ではあるが車中生活を送っていたが、平成5年11月からは姉妹の曾祖母方へ引っ越し、一家5人での生活を始めていた。

ところがこの養父は幼い姉妹をかわいがるどころか、何かにつけ暴力をふるった。箸の上げ下げなど日常の些細なことで厳しいことを言い、言うことが聞けないときは食事も風呂も禁じた。
特に、妹に対してのあたりはキツく、少しでも反抗的な態度をとれば裸で家の外に出すなどの虐待を加えた。
しつけ以外でも、およそ妹の年齢では解けるはずもないような課題を出して解くことを強要し、できないときは木刀やハンガー、ゴルフのパターなどを持ち出しては殴りつけたという。

この時点で逮捕ものだが、妹がケガをして病院に行かざるを得ないときには必ず付き添い、医師がケガの原因を妹に訊ねても目を光らせ、自らの過失によるものと答えさせていた。
虐待だと医師は分かっていたというが、妹が頑として認めないために、通報するには至らなかったようだ。

一家で出かける際も、妹には車内で待つよう命じ、しかも正座させていた。見かねた通行人らが飲み物を差し入れたことがあったというが、それを見た養父は殴る蹴るの暴行を加えた。

一方、姉に対しては小学4年生を境に暴力を振るわなくなっていた。

その代わりに、姉はレイプされていた。

ゴミ以下の男

姉の悪夢は小学4年の三学期に始まった。
曾祖母の家は広くはなく、寝るときは家族全員が同じ部屋で雑魚寝していたという。
ある時、姉の布団に養父が入ってきて、体を触り始めた。驚いた姉だったが、養父の雰囲気にただならぬものを感じ、声をあげることはできなかった。
すぐそばには母親が寝息を立てていたが、助けを求めることもできず、姉は気持ちの悪いこの養父に触られるままだった。

姉が声をあげられなかったことで味を占めたのか、養父はしばらくすると姉に対し、性行為を強要した。
意味も分からずただひたすら嫌悪感だけが残った。姉はもちろん拒否もしていた。しかし、姉が拒否すると必ず、養父はその苛立ちを妹に暴力でぶつけるのだという。
妹を思う姉は、それから2年間、養父の性的虐待に耐え続けた。

このゴミ以下の養父の行動は、そのうち家の外でもお構いなしに行われるようになり、姉に対する養父の性的な態度が目に余るとして噂になってしまう。
ようやく気付いた実母は、なんども夫に確認したというがおいそれと認めるはずもなかった。
結局、実母から夫の勤務先の社長へと話が伝わり、看過できないと思った社長がきつく問い詰めたところ、ようやく姉へのレイプを認めたのだった。

平成10年6月、養父が姉妹への性的、身体的虐待を認めたことから要保護の通告がなされ、児童相談所は母親と姉妹に事情聴取する。そこで姉妹の証言もあったとみられ9月10日に一時保護した。
一時保護された際も、妹は両膝を負傷していたという。

裁判所は養父を審問するために呼び出したものの、「裁判所に行ったって結果は変わらない」として養父は出頭しなかった。

熊本児童相談所は、この養父に対し親権喪失宣告の申し立てを行うと同時に、その審判前に親権者としての職務を停止させる保全処分の申し立てを行った。
これは親権喪失の審判までには相当な期間を要することから、その間に養父が親権を盾に監護権の乱用をすることを防ぐ目的である。
熊本家庭裁判所は申立から2か月後には認容の審判を下し、養父の親権は停止された。

おそらくではあるが、親権喪失の申立も認められたと思われる。

気づけない母親

この事件は調べた範囲では父親が逮捕されたという話はない。
それだけでも腹の立つ話だが、のちに逮捕された可能性もあるし、あるいは姉妹への不利益を考えて報道されていない可能性もあるだろう。

ところでこの姉への性的虐待は、一家全員が同じ部屋で寝ているという状況下で起きている。
大阪の実娘に対する強姦で逮捕された父親も、悪魔の所業を狭いマンションの中で行っていたが、少なくとも妻は別の部屋にいた。
また、多くの家庭内での性的虐待は入浴中や家族の不在時、父親(養父、または母の再婚相手、内縁夫、恋人)と二人きりになってしまった車中など、密室あるいは二人きりといったように、状況は限定されるものだ。

それがこの場合、妻が隣で寝ている状況だった。しかもおばあちゃんも寝てた。人数的には6人で寝ていたというから、もしかしたらおじいちゃんもいたかもしれない。
しかも。その6人が寝ていたのは四畳半だ。一人畳一枚分もない狭い部屋で、である。
これが2年間続いたというのだからちょっと理解に苦しむ。

実母にはさらに理解しがたい部分がある。

妹に対する暴行が行われていたのは、この母親も分かっていた。冬、裸で外に出された娘を家の中に呼び入れたのはこの母だ。いや、させるなよそんなこと…

さらに、養父が児童相談所に対して姉妹を家に戻すよう申し入れていたのだが、それもこの母を介してだった。
母親は、自分の娘たちが殴られ蹴られ、辱めを受け、姉に至ってはレイプまでされていたというのに、それでも
「夫が戻せと言ってるから…」
と言うのである。全く一ミリも理解できない。というかなぜ離婚してないのか。

ケース⑥~ここまでしなければならない親権の強さ~
長男への傷害事件で逮捕された父親が、その姉(養女)と妹にも日常的な虐待行為を行っており、かつ、一時保護されている子供の引き取りを強く求めていることから、出所後に再び子供らの身に危険が及ぶことが予想されるため、親権の喪失宣告を求めた
(申立人/長崎中央児童相談所長)

最後に、親権喪失宣告がなされたケースを紹介する。

この家族は、父親と未成年の長男長女、そして未成年の養女で構成されていた。妻の存在が見えないことで、この養女というのは妻の連れ子だったのかもしれない。
妻とは離婚あるいは死別なのか、ともあれこの父親には未成年の3人の子供がおり、それぞれの親権者であった。

そもそも親権喪失の申し立てが行われたのは、この父親が逮捕されたことにあった。
その逮捕理由も、長男に対し顔面を殴打するにとどまらず、洋物包丁を長男の下腹部(左鼠蹊部)に突き刺すというものだったが、この父親はそれまでにも日常的に長男に殴る蹴るの暴行を働いていた。

逮捕自体も実はこれが初めてではなかった。逮捕理由は子供らへの虐待以外にもあったようだが、いずれも短期間の服役、勾留で済んでいた。

もうこの時点で親権喪失待ったなしに思えるわけだが、これまで逮捕されるたびに子供たちは一時保護され施設で生活していた。
しかし父親は出所するたびに施設へやってきて子供たちの引き渡しを求めていた。

育てられもしないくせに子供を引き取りたがる親は非常に多く、親権に絶大な力を持たせている日本の法律ではなかなかそれに対抗する術がない。

この父親の場合もそうで、引き取っては逮捕され、の繰り返しだった。
養育態度も長男のみならず、長女や養女に対しても虐待を加えていた。お察しの通り、性的虐待である。
実の子供ではない養女のみならず、父親の汚い欲望は実の娘にも向けられていたというのだ。

父親の性的虐待はまず養女に対して行われ、以降養女は児童養護施設で暮らしていた。しかし父親は前述の通り、出所すると養女を引き取りに施設へ押しかけたという。
すでに虐待が明らかとなっていたことから施設はそれに応じることはなく、父親も養女に対しては親権喪失を認める発言をしていたという。

しかし家に残された長女のことは、おそらく「まさか実の娘を…」という判断があったのか、保護が遅れてしまう。
長女は長男に対する傷害で父親が逮捕されるまでの1年間、性的虐待を受け続けていた。当時長女は11歳だった。

裁判所はこのままでは父親が出所した際、施設に対して子供の引き取りを強要することは目に見えており、性的、身体的虐待を加えていたことが明白である以上、この父親に親権を持たせるのは子の福祉を著しく損なうとし、平成12年2月23日、父親の親権喪失を宣告した。

……申し立てが行われてから少なくとも1年以上が経過していた。
子を刃物で刺し、かつ、未成年の、一人は11歳という時に性的虐待を1年以上にわたって行ったこんなのにそれでも一旦与えられた親権の効力は絶大であった。

逮捕よ、逮捕。しかも養女に対する性的、身体的虐待が認められていても、それでも親権を即奪ったりはできないというのはどういうことなのだろう。
別の事件でも思ったことだが、複数の子供がいたとして、そのうちの一人に虐待を加えたことが判明しても、何故か他の子供までまとめて保護、まとめて親権喪失というふうに必ずしもなるわけではないというのは、何故なのだろう。

子を殺した親にも、「あなたにはまだ子供がいるんだから」とか、「生まれてくる子を大切に」とかもう正気とは思えないような説諭をする人もいるけれど、子を殺した親にもう一度チャンスをって信じられない。

子育てに向いているかどうかもわからないまま親になったのに、失敗したら許されないのは厳しすぎる、そういった意見を以前SNSで見たことがあるが、許される失敗とそうでない物がある判断すら、出来ないのだろうか。と言うか失敗というな。
おそらくこういうことを言う人が、親権喪失に何年も要する根源なのだろうと思う。親なんだし、どこまで行っても親子だし、縁は切れない、そういって子供を親の呪縛から逃れられないようにしていることが何故わからないのかと本当に不思議である。

どのケースも、一時保護に至るまでも非常にハードルが高い。子供は親に殴られようが蹴られようが、世話を放棄されていようが、毎晩レイプされていようが、親は逮捕もされなければふんぞり返ってオラついている。

他人の子供にやったら即アウトである。それが何故、親権者の行為にはこんなに及び腰なのか。
ただ、最近の北海道では枕をぶつけられたとか引っ掻いたとかそれだけでも毎日のようにガンガン逮捕している。北海道ではあの苫小牧のネグレクト、南幌町の母親と祖母殺害の姉妹、最近でも刺青男とキャバ嬢の事件など虐待史上に残る事件は少なくない。
ばっさばっさ逮捕しても、最悪のケースは起きてしまう。

親による虐待は通報先が学校だったり、児相だったりが多いのだが、逮捕案件はおそらく110番通報ではないのか。
学校や児相はどうも親子関係を重視しがちな面があるのでまずは親との信頼関係をとか、ヤカラみたいな親に萎縮してしまうこともあるのだろうが、少なくとも警察は明らかに殴られている子供を放置したりしないのではないか。

今回取り上げたケースはいずれも、児童相談所や関係機関がとにかく時間はかけたけれども子供のことを本気で救おうとし、成功した事例である。
成功した例はそもそも事件にならずに済んでいるわけで、報道もされないことが多い。けれど実際には何故これが逮捕されないんだと言いたくなるような酷い現実があり、児童相談所の職員はそんな中で葛藤を抱え、時に打ちひしがれ、それでも努力を続けているのだと思う。

使えない児童相談所もある。最近で言えば摂津市の桜利斗ちゃんの事件はもう言葉もない。確実に救えていたからだ。あれには他の児童相談所もいくらなんでもと思ったのではないだろうか。

冒頭、あれだけ毎年毎年車中に子供を放置したら死ぬで、と言われ続けているにもかかわらず、同じことが毎年起きるのはなぜなのかと書いたが、児童相談所も同じである。
あれほどどうしてもっと踏み込まなかったのかと散々言われているのに、同じ事件が起きるのは何故なのか。怠慢なのか。いざとなったら責任を取るからやれ!と言える上司は居ないのか。

いや、居るだろうしやっているのだろう。

事件にすらなっていなくてもここにあげたようなケースが数え切れないほどあるのだろう。
何もやってないわけはないのだ。やってるのだ、児童相談所も。ただ、優先順位を見誤ると当然事件になってしまう。子供は殺される。そしてそこだけがクローズアップされる、仕方ないけれど。

摂津市の事件では、通報者が「子供が殺されてしまう」とはっきり伝えていたにもかかわらず、なぜ緊急性が低いという判断になったのか。何故母親の話を鵜呑みにしたのか。そこに希望的観測はなかったのだろうか。

児童相談所には親権などくそくらえの強力な権限を与えてほしい。もちろん、相当なスキルを備えた職員に限られなければならないし、報酬や手当もしっかりつけなければならない。
玄関を開けない家は扉をぶち壊してでも入って構わないくらいのことは、もう日本もやっていいのではないのか。扉の向こうでまさに子供が死にかけているかもしれないのだ。
そもそも通報されて面会を拒むような、玄関の鍵を開けないような親はその時点で問題ありである。

親子の絆などどうでもいい、よちよち歩きの、言葉もまだ話せない子供が、タバコの火を押し付けられ、クソ男に熱湯シャワーを浴びせられ、母親に殴られ蹴られ、実の父にレイプされ、精神も肉体もズタボロにされ挙句、ゴミ袋に入れて山に捨てられる、そんなことよりひどいことなどない。そんな親は親ではないのだ。

逃げられないのだ。ドアの向こうの子供は。そのドアをぶち破ろう。

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参考文献
平成15年5月8日/岡山家庭裁判所/審判/平成15年(家)487号
(家庭裁判月報56巻1号128頁)
平成10年12月18日/熊本家庭裁判所/審判/平成10年(家ロ)502号(家庭裁判月報51巻6号67頁)
平成11年12月1日/福岡家庭裁判所小倉支部/審判/平成11年(家)988号(家庭裁判月報52巻6号72頁)
平成13年4月23日/福岡家庭裁判所/審判/平成13年(家)350号
(家庭裁判月報53巻10号119頁)
平成12年2月23日/長崎家庭裁判所佐世保支部/審判/平成10年(家)331号(家庭裁判月報52巻8号55頁)
平成14年5月31日/釧路家庭裁判所北見支部/審判/平成14年(家)100号(家庭裁判月報55巻7号70頁)