求刑も判決も重くない~鹿児島・女子短大生殺害事件~

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平成14年10月3日。福岡高裁宮崎支部で、一つの殺人事件の控訴審判決公判が開かれた。

被告人席には青のデニムシャツと茶色のパンツ姿の男。終始、視線を足元に落としていた。
傍聴席には、笑顔の若い女性の遺影を抱いた遺族。

「原判決を破棄する。被告人を、懲役18年に処する」

岩垂正起裁判長は、厳しいまなざしのまま被告人に言い渡した。その瞬間、傍聴席からは涙を堪えきれない人の嗚咽も聞こえた。

男の原判決は懲役15年、量刑不当で控訴したのは検察だった。
そして迎えた控訴審判決では、原判決よりも重たい判決が言い渡されたのだった。

交番のそばで起きた事件

平成13年6月30日午後9時40分ころ、鹿児島市下伊敷のマンションで「隣室から女性の叫び声がした」と住人から110番通報があった。
鹿児島西署員が急行したところ、最上階の部屋で暮らす鹿児島県立短期大学に通う中村基世さん(当時18歳)が、口と鼻に粘着テープを貼られ死亡しているのが発見された。

司法解剖の結果、基世さんは窒息死と判明、現場の状況から殺人事件と断定され、捜査本部が設置される。

基世さんに目立った外傷はなく、警察官が駆け付けた際には部屋のドアにカギはかかっておらず、玄関ドアすぐの台所の床にあおむけで倒れていたといい、室内を荒らされた形跡もなかった。

現場のマンションは1階が駐車場、2階は警備会社が入っており、3階部分のみが1Kの賃貸となっていた。
伊敷街道(国道3号線)がすぐ近くを走り、周辺には基世さんが通う県立短期大学や中学校などもあり、決して治安の悪い地域でもなく、当時は現場のマンションのすぐ近くに交番もあったという。
しかし、悲鳴が聞こえたという人がいたにもかかわらず、不審者や逃走する人物の目撃情報が1件しかなかった。

7月4日には、基世さんの告別式がしめやかに執り行われた。
明るく、人を怒らせることなど一切しなかった基世さんは、親しみを込めて「もっさん」と呼ばれ、告別式では同級生3人の弔辞を高校時代の担任が代読したという。

一日も早く犯人逮捕を。親しい人のみならず、近隣の住民らもそう願っていたが、その日は基世さんの葬儀の二日後に訪れた。

犯人は、基世さんと同じマンションに住む男だった。

名前も知らない相手

鹿児島県警と鹿児島西署は、基世さんを殺害した容疑で同じマンションの301号室に住んでいた有村公輔(当時25歳)を逮捕した。

実は警察は、早い段階でこの有村と接触していた。そして、24時間体制で有村を見張っていたという。
初動捜査の聞き込みで、警察はまず同じマンション住民から話を聞いている。通報者の男性、そして有村にも。
その際、「自室にいたときノックされ、のぞき穴からみたところ黒い服の不審な男を見た」と証言していた。
しかしそのような証言をしたのが有村だけだったことで、かえって警察は有村に疑いの目を向けていた。
その後、基世さんの部屋の中から有村の指紋が検出されたことで逮捕に踏み切った。

「部屋に入ったら騒がれたので、首を絞めて殺した」

有村は容疑を全面的に認めた。
そのうえで、基世さんのことは見かけたことはあったが、名前も知らなかったと話した。

有村の供述によると、その日9時ころ勤務先のファストフード店から帰宅、午後9時半ころ、有村さんの部屋を訪ねたという。
理由は、「エアコンのリモコンを貸してほしい」というものだったというが、それは基世さんと親しくなるための口実だった。恐らくマンションにもとからあったエアコンだったようで、同じメーカーのエアコンだったことから基世さんも怪しむことなく親切心からリモコンを貸したとみられる。
そして再び、リモコンを返すために基世さん宅を訪れた有村は、基世さんが閉めようとしたドアの隙間に足を挟み込んだ。
驚いて悲鳴を上げた基世さんの首を絞めながら、台所奥へ引きずっていった。
粘着テープは基世さんがぐったりとした後で貼ったという。

「自分がしたこと(ドアの隙間に足を入れてしまったこと)を住民や警察に知られたくなくて首を絞めた」

有村はそう供述していた。
どうやら、有村としてはリモコンの貸し借りをきっかけに基世さんと親しくなれるという今時漫画でもそんなのねーよというような進展を期待していたとみられる。
ところが、基世さんは非常に用心深い性格だったといい、ただの隣人でしかない有村と必要以上に親しくなるつもりなど毛頭なかった。

おそらくだが、有村という男はそれなりに自分に自信があったのではないか。基世さんは都城市の出身で、鹿児島へ出てきたばかり。ぱっと見、素朴な印象があったといい、有村からしてみれば簡単に自分に靡くと思いあがっていたように思える。

それが思いのほか、「当然の(雑な)扱い」を受けたことで有村の計画は狂ってしまった。
ただの思いあがった男は、想定外の出来事に対応できない男だった。

裁判長の言葉

概ね罪を認めていた有村だったが、地裁での判決は求刑20年に対して懲役15年という判決だった。
一点の落ち度もない女性を恐怖のうちに殺害するという、残虐かつ自己中心的、さらには捜査のかく乱を狙うなど非常に悪質といえた。
にもかかわらず、求刑を5年も下回る判決に検察は怒りの控訴となった。

続く控訴審では、「刑に服したい」と有村は述べたというが、判決は懲役18年。冒頭の通り、一審判決を上回った。

裁判長は判決文を朗読したのち、静かに、そして厳しく有村に語り掛けた。

「求刑も判決も、重い刑とは言えません」
「刑を受けたとしても、被害者がよみがえるわけでもなく、遺族の怒りや悲しみが消えることはない。服役生活を通して、人の命がどれほど大切なものか分かると思う。これから出来る償いは心から遺族に謝罪すること」

その後有村は控訴期限までに控訴の手続きを取らず、懲役18年が確定した。

その後、基世さんの両親は有村に対して総額1億円の損害賠償を求め提訴。提訴日は平成15年12月12日。この日は、基世さんの誕生日だった。
お金の問題ではないとしていた基世さんの母親はその後の7000万円の支払い命令(母親3,500万円、父親3,500万円)を受け入れたが、父親は控訴、平成16年8月25日の控訴審判決では、有村に対して両親にそれぞれ4000万円、合計8000万円の支払いが命じられた。

この際、桜井裁判長は「一般の交通事故のような過失による場合と、故意の凶悪犯罪により一点の非もないものが殺害された場合とでは、慰謝料に差を設けるのは当然」としている。

両親の苦悩と、支えた人々

基世さんは、当初鹿児島県立短期大学へ進む予定ではなかった。センター試験が思いのほか芳しくなく、悩んだ末に鹿児島県立短期大学への進学を決めたという。
その際、悩む基世さんに対し父は、
「あなたの人生だから自分で決めなさい」
と語りかけた。しかしそのことが、父の心を長く苦しめることとなったという。

「あの時浪人させていたら、事件に遭わなかった。」

父は苦しみの中、娘のために法廷にも立った。
しかしその時自分が何を話したか、覚えていないのだという。

「支離滅裂だったと思う。『こんな鬼畜のような野郎にやられたことは許せない』と話したことしか思い出せない」

後に始まった被害者参加制度。この時、父は新聞社の取材に当事者としての思いを語った。

「被害者参加制度が当時あっても、わたしにはできなかっただろう。人間そんなに強いものではない。冷静でいる自信がない」

想像を超える感情を、自分でもどうしていいのかわからない状態の被害者が傍聴席ではなく法廷に立ったとして、そこで思いのたけを叫んでいいわけではない。ある程度の整然さ、規律が求められるわけで、それで遺族の思いが晴れるだろうか、という思いはぬぐえないという。

一方で、絶望と苦しみの底にいた遺族を支えた人たちもいた。

「謹んで基世さんにご報告申し上げます」

有村が逮捕されたその日、地元のローカル局では「捜査本部が記者会見の予定」というテロップを流した。
基世さんの実家には、県警の刑事部長が訪れていた。

事件発生以来、24時間有村を監視していたとこの時初めて明かしたと刑事部長話してくれたという。
取り調べを担当し、自白させた取調官はその後、父と酒を飲む間柄となった。
基世さんの司法解剖に立ち会ったという女性警察官は毎年都城の実家を訪れ、結婚しても夫を伴い、そしてその後は子供を連れてきてくれた。

基世さんの両親の悲しみと苦しみを共有し、励まし、一緒に時計を進めてくれたのは、鹿児島県警の人々だったという。

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時代が変わっても、こういった「たまたま見かけた人、隣人を思い通りにしようとする」タイプの犯罪は後を絶たない。
有名なところでいえば江東区のあの事件も、被害者はどうすれば被害に遭わずにすんだのか。
自衛策をとろうにも、隣の人間がどんな人なのか、よほどのことがなければ事前にわかりようもない。
有村は当時ファストフードの店長をしていたといい、社会的にも問題はなく、一部情報によれば交際相手もいたという話がある。

女性ならば女性専用マンションに住めばいい、そうかもしれないが、女性しかいないということがかえって弱点になるケースもあるし、そこで暮らす女性が男性を招き入れているケースも山ほどある。
オートロックも完全ではないし、そもそも隣人だったらもう意味はない。

運が悪かった、などとは絶対に言わないし、そんなことはないのだ。
悪いのは間違いなく、この男なのだから。

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読売新聞社 平成13年7月2日、4日、6日、10月6日西部朝刊、平成14年8月2日、10月4日西部朝刊、10月3日西部夕刊、平成15年12月13日西部朝刊、平成16年1月28日、3月31日、8月26日西部朝刊
毎日新聞社 平成13年7月2日東京朝刊、7月6日西部朝刊、東京朝刊、平成14年2月16日西部朝刊
産経新聞社 平成13年7月2日大阪朝刊
熊本日日新聞社 平成14年10月19日朝刊
四国新聞社 平成20年12月2日朝刊 
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