およそそうとは見えない女郎蜘蛛~秋田・大曲4歳児殺害事件①~

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2006年10月23日

その日の午後7時ころ、秋田県大仙市大曲の農業用水路に、幼い男児がうつぶせに倒れているのが発見された。全身ずぶぬれで、すでに心肺停止状態であった。
その後、病院に搬送されるも間もなく死亡が確認された。
夕方、近くに住む31歳の女性の4歳になる息子が家を出たまま行方が分からないという情報がもたらされ、近所の人らも総出で捜索を行っていたが、最悪の事態となった。

男児は、進藤諒介ちゃん(当時4歳)。母親と、その交際相手の家で3人で生活していた。
一報を聞いた母親は、「諒介!!」と叫んで道路にへたり込んでしまった。
当初、「筋無力症」を患っていた諒介ちゃんが、誤って水路に転落し、気絶するなどの偶然が重なった事故、あるいは病死ではないか、とも思われていた。
わが子を突然失った母親は、茫然自失の様相でなんとか葬儀をこなした後、入院した。
ただ、この入院は警察との協議のうえでの入院であった。

11月13日。秋田県警捜査1課は、殺人の容疑で母親である進藤美香(当時31歳)と、その交際相手である畠山博(当時43歳)を逮捕した。
この男は、美香が同居する交際相手とは別の男性であった。





驚くべき犯行動機

事件のあった10月23日の前日、秋田市で開催された全国高校駅伝を見に出かけた畠山は、その後美香と諒介ちゃんと合流し、大館市の温泉で一泊した。
そして23日、美香は諒介ちゃんが通う高畑保育所に「秋田市へ行く」と連絡して保育園を休ませた。畠山は、勤務していた大館市内の高校に「親戚の法事のため」と言って休みを取っていた。
3人は大仙市内の道の駅かみおかへ移動し、そこでぐずった諒介ちゃんを暴行、口を塞ぐなどして瀕死の状態に陥らせたと見られた。
その後、それぞれの車で帰途につき、午後5時過ぎ、美香の自宅近くの用水路に放置したとされた。
車の中でいったい何があったのか。
美香と畠山は、道の駅かみおかに駐車した車の中で、性行為に及ぼうとしていたという。その際に、諒介ちゃんが邪魔をすることに怒り、暴行を働いたというのだ。
しかも、現在同居中の50代の男性と交際しながら、それより以前から、美香は畠山とも交際していたという。
さらに、捜査関係者によれば、この事件当時美香には複数の交際相手がいた。すべて出会い系サイトを通じて知り合ったようだが、その中でも畠山とはどうやら一番古くからの付き合いのようだった。

ざわつく世間


当時、秋田県では藤里町で起きた連続児童殺害事件で大騒ぎとなっており、母親が犯人というショッキングな出来事があったばかりだった。
しかも、今回も同じ秋田県内で、犯人が母親、そして共犯の男の名字が藤里町の畠山鈴香と同じという偶然もあって、注目の的となった。
だが、それ以上に世間を引き付けたのは、この進藤美香という女の「見た目」と「中身」のギャップだった。
TBSの朝の情報番組を担当していたみのもんたは、生放送中、共犯の男と進藤美香を取り違えた。挙句、それを指摘されて「え?これ男じゃないの??」と言い放った。その気持ちはわかる。それほどまでに、進藤美香はお世辞にも二股をかけるような見た目の女ではなかったのだ。一部ではみのもんたのように、真剣におじさんだと思っていた人も多かった。
首都圏連続殺人で死刑判決を受けた木島佳苗、鳥取連続不審死でこちらも死刑判決が下った上田美由紀など、見た目はアレだが男が引きも切らないという話はある。あの福田和子も、とても美人とは言えなかったが、大変な人たらしであったことは有名だ。
しかし彼女らはどこかしら「可愛げ」があった。木島佳苗は料理や甘え上手を装うことで、上田美由紀はホステスであった上にとにかくマメで、男心をくすぐる言葉や奇麗な字の手紙を欠かさなかったし、福田和子も料理上手でSEXを拒むこともなく、気配りは完ぺきでホステスとしても決して不人気ではなかった。女を売りにしてきていることに間違いない。
一方、進藤美香はといえば、ネット上には今でも写真があるので見ればわかるが、劇団ひとりが老けたみたいな見た目である。太い眉毛は整えもせず、化粧もせず、髪の毛も短く適当に切ったとしか思えない状態。連行される際の写真は、どう見ても男性である。
その、どうやってもおよそ女性らしさのかけらも見いだせないこの女が、とっかえひっかえ男を作り、さらには過去に二度の結婚までしているということに世間はのけぞった。しかも、過去をひも解くと、およそ普通ではない人生を送ってきていることも分かった。
それは、女の魔力は決して見た目の問題ではないということの裏付けでもあった。




2度の結婚と離婚

美香は事件当時、交際相手の男性と同居してはいたが、結婚はしておらず戸籍上は独身であった。
しかし、過去には諒介ちゃんの父親のほかにもう一人、結婚し女の子を授かっていた。2000年の出来事である。
最初の夫となったBさんは8歳年上で、秋田県南部の山奥に暮らしていた。
Bさんの母親によれば、美香が住んでいるところとは車で3時間かかる距離であったため、どういういきさつで知り合ったのか不思議だった。交際のきっかけなどをBさんに聞いても、もともと無口なBさんがそれを話すことはなかったという。おそらくだが、出会い系サイトを通じてであったのではないかと思われる。

何度かBさんの実家を訪れた美香は、99年の10月、突然ふらっと実家にやってきて、Bさんの母親にこう告げた。
「Bの子供ができた」
特にうれしそうでも、困った様子もなく、ぶっきらぼうな印象であったという。
挙式などはしない代わりに、Bさんの実家で宴会が催された。しかし、その間美香は所在なげに黙って座っているだけであった。

そのBさんの実家でBさんの両親と同居の新婚生活は、わずか3か月で終わっている。Bさんの母親によると、美香はその地域の言葉でいうところの「神経たかり(神経質ゆえに短気な人のこと)」であったという。
糖尿を患っていたこともあって、そのせいである可能性もあったが、常にイライラしていて、義母も寄せ付けないほどだった。Bさんの実家では、父親は出稼ぎに行っており不在で、Bさん自身も仕事で日中は家を空ける。





美香が嫁いできたのは冬で、鬱々とする中で義母と二人きり、日中を過ごしていたのだが、美香の突飛な行動にBさんら家族は振り回されたという。
美香のストレス発散方法は、放浪であった。イライラがたまるとふらっと出て行ってしまう。缶ジュースを買うためだけに歩いて何キロも先の集落へ出かけたり、帰ってこないなと思ったらなぜか産婦人科に入院していたことも複数回あったという。
あまりに異常なその放浪癖を案じた義母が車のカギを隠すと、春先のある日、戦慄の事態を目の当たりにすることになった。
美香は自室で箪笥に向かい、「オレなんか死んでしまえばいいんだぁ…」と延々独り言をつぶやいていたという、しかもそれは4時間に及んだ。
慄いた義母は声をかけることもできず、部屋の外で様子をうかがうしかできなかった。

たまりかねたBさんが美香を問いただすと、美香はまた病院へ逃げた。そしてそのまま美香の実家が美香を連れ帰ったという。
その当時美香は長女を妊娠中だったが、そのまま離婚となったようだ。
しかしその年の夏、Bさんの実家に美香の実家から連絡がきた。女の子を産んだ、ついては養育費として500万円を請求するという文言付きで。
養育費を支払う義務はあるものの、一括で500万円というのは養育費と言う名目上、受け入れがたいとしてBさんらは第三者をたてて話し合いを行い、なんとか100万円にまで額を下げてもらったという。
その時以来、Bさんら家族と美香との接点はなくなった。生まれた子供は、見たことがない。

さらにその2年後、美香は2度目の結婚をした。
出会い系サイトを通じて知り合ったCさんとは、この時も出来ちゃった結婚であり、そのおなかにいたのが諒介ちゃんである。2002年1月、前夫のBさんの家がある県南部にほど近い湯沢在住の、これまた10歳以上年上の男性Cさんの実家に嫁いだ。その際、長女は実家に預けたままだった。
Cさん方には父親もおり、諒介ちゃんが生まれるとCさんの父親はことのほか喜んで可愛がっていたという。低血糖で生まれた諒介ちゃんは保育器に入っていた期間があり、美香もそんな諒介ちゃんの様子を見て、「私のせいだ」と泣いている姿もあった。育児もしっかりやっており、おしめは美香が生地から買ってきて手縫いしたほどであった。美香の実家も、男の子がうれしかったと見え、大きな鯉のぼりをCさん方に贈っている。
当初はわりとうまく運んでいた結婚生活だったが、そのCさんの父親がガンで亡くなった2002年6月以降、また美香の「神経たかり」が姿を現し始める。




夫の焼身自殺未遂

Cさん方は当初、両親、そしてCさんの妹が同居していた。しかし、Cさんの父親がなくなり、妹も結婚して家を出たことで再び日中大人は美香と義母だけ、という生活が始まった。
その頃から、美香は些細なことでイラ立つようになり、そのイラ立ちを隠すことなく義母に向けるようになった。
突然義母の胸ぐらをつかんだり、気に入らないと義母を平手打ち(!)することもあったという。美香を怖がった義母は、美香に土下座して許しを請うこともあった。
Cさんらは当初その事実を知らなかったようだが、義母が「もう少しお付き合いしてから嫁にもらえばよがったな」と愚痴ることを気にしていた。
美香の義母への暴言、暴力はCさんの知るところとなり、それでも諒介ちゃんの手前Cさんも義母も我慢を重ねていたという。

しかし、11月のある朝、事件が起こる。
その日は朝から美香の機嫌がすこぶる悪く、家事をしなければいけないことにイラ立っていた。出勤前であったCさんは、美香のイラ立ちを気にしつつも受け流し、出勤しようと車のエンジンをかけた。
すると、美香は突然「行くな」と言って車の前に立ちはだかったのだ。
Cさんがじりじりと車を動かしても、美香はその場をどこうとしなかった。後退しながらも、Cさんの車の前に立ち続け、Cさんの出勤を拒んだ。
自宅前の路上まで出たとき、埒が明かないと思ったCさんが車を降りると、美香はすかさず車のカギを抜いてそのまま家の中へ入ってしまった。
仕事に行かなければならないCさんが追いかけて鍵を出すよう言っても、すでにどこかに隠していて、美香は興奮冷めやらぬ状態になっていて手が付けられなかった。
落ち着かせるためにCさんが会社を休む旨伝えても、美香の興奮は収まらず、次々と暴言を吐いた。
「離婚してやる!慰謝料を払え!養育費をよこせ!」
驚いて出てきた義母に対しても、美香は喚き散らした。




ブチ切れたCさんも、「そこまで言うなら離婚してやる」といい、母親に通帳と印鑑を持ってこさせてそれを美香に投げつけた。しかし、その通帳を見た美香は、
「こんなんじゃ足りねぇ!500万寄こせ!」と凄んでくる有様であった。実際に通帳にはそこまでの金額は入っていなかったため、Cさんはその場を収めるためにサラ金に電話をするふりをし、500万円の借り入れに成功したよう装った。
すると美香は、「いや、1千万よこせ!」と言い始めたのだ。
Cさんの我慢の限界はとうに過ぎ去っていた。我を失ったCさんは、
「そこまでいうなら保険金で支払ってやる」
そういうと、なんと灯油をかぶって、さらには自らの体に火を放ってしまった。一瞬で炎がCさんの上半身を包んだ。
そこでようやく我に返った美香は、半狂乱で警察と消防に電話したという。幸い、火はすぐに消し止められ、Cさんも大けがをするには至らずに済んだ。
そばにいた諒介ちゃんはかわいそうに、大泣きしていた。

その後、警察の事情聴取を受けてCさんが帰宅すると、美香と諒介ちゃんの姿はなかった。美香から連絡を受けた実家の両親が、二人を連れ帰っていたのだ。
諒介ちゃんを手放したくなかったCさんは、すぐさま美香の実家へ赴き、頭を下げて詫びた。
しかし、まるで今回の事はCさんだけの責任であるかのように美香も、美香の両親もCさんを許さなかった。親権を争えないかと弁護士にも相談したものの、「子どもが幼いほど、母親が親権を取るのが普通。争ったとしても母親が虐待でもしていない限り、父親が親権を取るのは難しい」と、杓子定規な答えしか得られず、Cさんは諒介ちゃんを手放さざるを得なかった。

しかし、この時弁護士がもう少し本気だったら、Cさんは親権をとれた可能性があった。
弁護士が言ったとおり、美香は諒介ちゃんを虐待していたのだ。