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緊急の知らせに駆けつけた祖母は、目の前に横たわる3歳の孫娘を抱きしめた。
孫娘は見開いた瞳を閉じることもせず、その干からびた躯には拘縮の症状が出ていた。
凄まじい悪臭が鼻をつく。腹部から大腿部にかけて糞便がこびりつき、パンパンに膨れ上がったままのオムツからは、抱きしめた拍子に尿が溢れ出て祖母の服を汚した。
祖母は構うことなく、孫娘を抱きしめる。
「あんたら、これでも親か!」
警察官が問うたが、その返事はない。まるで他人事のような態度で黙ったままの、若い男女。その傍では、1歳くらいの男の子がキョロキョロと辺りを見回していた。
「お前が死んでしまえ!」
孫娘を抱いたまま祖母は、呆然と立ち尽くす我が息子を罵倒した。
餓死した幼女
平成12年12月10日午後11時55分頃、愛知県武豊町の社宅の一室から、3歳の娘が死亡していると110番通報があった。
通報してきたのはこの社宅に暮らす21歳の父親。死亡したのはこの父親の長女だという。警察官と救急隊が駆けつけると、部屋の中には両親らしき若い男女と1歳くらいの男児、中年の夫婦と見られる男女、そして若い男女いずれかの妹だろうか、未成年らしき少女の姿もあった。
部屋はゴミと物が散乱し、それらを踏み分けていかねばならないほど荒れていたが、それ以上に息もできぬほどの凄まじい悪臭に満ちていた。
それを踏み越えて警察官がたどり着いた6畳間に、その子はいた。
まるで難民キャンプの子どものようだった、と、のちに救急隊の1人が話したというが、6畳間に寝かされていたその子どもは、「干からびていた」。
皮膚は完全に乾き、人の肌とは思えぬほど。その頭部と背中には褥瘡が見られた。足は左右ともに股関節のところで90度曲がり、肋骨部と下肋骨部とが皮膚の上から容易に判別できるほどに痩せ衰えていた。
痩せ細った体のせいで大きく見える頭部にも肉はなく、そのせいで瞳を閉じさせることすらできない状態だった。その瞳も、白眼の部分が黒く変色していたという。
死因は、餓死だった。
何がこの子の身に起きたのか。
警察はその場にいた親らしき男女から話を聞いた。両親は死亡に至る経緯を話し始め、その内容から幼女の死は病気や事故ではなく、この両親によって引き起こされた犯罪行為が要因であると警察は判断。そのまま両親を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。
逮捕されたのは武豊町の会社員、谷川千紘(仮名/当時21歳)と、その妻で主婦の真緒(仮名/当時21歳)。死亡していたのは2人の長女・依織(いおり)ちゃん(当時3歳)だった。依織ちゃんは約20日間にわたって満足に食事も与えられず、家族とは隔離され、窮屈な段ボールの中にいることを強要されていた。
2人は依織ちゃんが死亡した経緯として「懐かないので疎ましかった。下の子が生まれ 手がかかるため放置していた」という話をしており、また2年前に依織ちゃんが脳内出血を起こした後、成長に遅れが見られるようになり、それも両親が依織ちゃんを疎ましく感じる要因になったと見られた。
この時代、親による虐待の問題はクローズアップされていたが、その挙句に餓死させるというケースは知られておらず、地元新聞社をはじめ報道関係もその詳細を次々に報じた。
また、その過程でこの依織ちゃんに関しては病院や保健師、児童相談所など多くの公的機関や専門分野の人々が関わっていながら、最悪の結末になってしまったことも判明していた。
愛知県内では平成12年までの過去5年間で虐待死事件が42件起きており、県別で見ると突出して多かった(全国総数464件)。一方で依織ちゃんを担当していた半田児童相談所は虐待に関しては積極的な対応をしており、児童福祉法28条に基づいて親子分離に踏み切ったこともあった。そこに所属する児童福祉士もベテランだったという。
なのに、なぜ依織ちゃんはこれほどまでに無惨な最期を迎えてしまったのか。
【有料部分 目次】
ふたりのそれまで
出産と同居生活
社宅
危険なあそび
焦りと拒絶
母親たち
予兆
30万円の「明るい家族計画」
崩壊まで
三畳間の生き地獄
皮肉なまでに親子
いまもどこかで