差別と自死で煙に巻かれた本筋~奈良・月ヶ瀬女子中学生殺害事件~

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平成9年5月4日。
月ヶ瀬村の嵩集落にある自宅へと続く鬱蒼とした道路を、少女はひとり歩いていた。ついさきほど別れた友人の姿は、もう見えなくなっている。
自宅まではここから坂道を登っておよそ500m。鬱蒼とした村道ではあるが、幼いころから知っている慣れた道である。
顔見知りの商店のおばさんの車とすれ違う。この道を通るのはほとんど顔見知りの村の人ばかりだ。

背後から来た車が不意に停車し、運転手が声をかけてきた。
「乗っていくかい?」
充代さんは、顔を上げた…

卓球大会を終え帰宅途中のその体操服姿の少女を、三菱ストラーダに乗った男が視界にとらえた。
男は、顔見知りのその少女にされたある対応を、どうしても許すことが出来ずにいた。
ゆっくり近づき、そのまま少女の背後からためらいなく車をぶつけた。

転倒し、気を失いかけている少女を車に押し込み、車を走らせる。あてなどないし、そもそもこんなことをしでかすつもりもなかった。
それでも、心をとらえて離さない、歪んだ鬱憤はもう止められなかった。

事件発覚と浮かんだ男

行方不明になったのは、月ヶ瀬村に住む中学生・浦久保充代さんであった。
「夕食の時間になっても充代が帰らない」
心配した母親の博子さん(当時42歳)が、午後八時ごろ学校へ連絡を入れ、学校関係者らがすぐさま通学路や充代さん宅周辺を捜索すると、帰り道の村道脇の川で、充代さんのものと思われるスニーカーが見つかった。
さらに、道路にはスリップ痕と微量の血痕が見つかったため、奈良署は充代さんが交通事故に遭い、その後連れ去られたのではないかとみて捜査を開始した。

その日の捜索で、夜には村内の公衆トイレなどから充代さんの体操着なども発見され、事件はいよいよ深刻さを増す一方であった。

住人も少なく、訪ねてくる人も限られている小さな村で起こった行方不明事件は、瞬く間に広まり、すぐに犯人ではないかと疑われる男の存在が分かった。
男の名は、丘崎誠人。浦久保さん方の近所に家族と暮らす当時25歳の若者であった。
充代さんを捜索する人々の中にも、男の姿はあった。しかし、早い段階から男は自分だけが周囲から違う目で見られていることに気づいていた。
ただ、男はそんな視線には慣れっこだった。今に始まったことじゃない、幼いころから、ずっとそんな目で見られ続けてきた。
だからなのかはわからないが、男は逃げも隠れもせず、あからさまに疑うマスコミの前で吠えた。





よれたTシャツに短パン、サンダル履きの痩せた髭面の男は、瞬く間に全ワイドショーを席巻し、独占インタビューを申し出るマスコミも後を絶たなかった。
充代さんをはねたと思われる車は、早い段階でそのスリップ痕から大型の4輪駆動車であることはわかっていた。周辺の該当車は、およそ5,000台。その5,000台の中に、誠人の所有する三菱ストラーダも含まれていた。
しかし、所有しているだけで連れ去ったと裏付けが出来るはずもなく、警察は誠人の車を調べられずにいたため、いくら周囲で誠人を疑う声があっても、手がなかった。

事態が急転したのは7月に入ったころ。
誠人は、所有していた車を売却したのだ。警察はすぐさま売却した車を任意提出してもらい、車内の捜索を行ったところ、シートから充代さんと同じDNAの血痕を発見、それ以前に公衆トイレから発見されていた黒のベスト(充代さんの血液が付着していた)にあった毛髪が、誠人と同じAB型であることも合わせ、逮捕に踏み切った。

充代さんが行方不明となってすでに2か月以上が経過していた7月23日。
深夜3時ごろ、誠人は未成年者略取の疑いで逮捕、手錠をかけられ警察車両に乗せられた。連日取材していたマスコミの怒号に誠人の家族らの叫び声、もはやめちゃくちゃであった。
しかし、これで一件落着ではなかった。充代さんの所在は依然として不明のままで、誠人は逮捕されたのちも警察の取り調べに応じないでいた。
8月に入ったその日、突然誠人は自供を始め、供述通りの三重県上野市の山中から充代さんの変わり果てた遺体が発見されたのだ。
その後の調べで、充代さんははねられて意識がもうろうとしている中、首を絞められ、それでも絶命しなかったために石で顔や頭を殴られ、頭がい骨骨折による脳挫傷で死亡したことが分かった。

報道では、取り調べの刑事から「お盆までには返してやれ」という説得に応じたという話や、たまたま隣の房にいた別の事件の犯人から、「警察は甘くない、話してないことがあるなら話して楽になれ」と諭されたという話があるが、いずれにしても7月31日には無精ひげを剃り、意を決したように翌日の取り調べで充代さんの居場所を話したのだった。




冒頭陳述における「動機」

逮捕前から誠人は、暴れ怒声を浴びせかけるなどの姿をメディアにさらし続けたため、「常軌を逸した男」というような、凶暴な男というイメージが付きまとっていた。

しかし、ある時から、事件のそもそもの要因は村ではびこる丘崎家への村八分であるといったことが言われ始めた。
充代さん殺害の動機を検察官に聞かれた際、誠人は、当初は「はねてしまったことがばれたら村にいられなくなる。だから連れ去って殺した。」と話していた。同時に、なぜはねたのかとの問いには、「(充代さんに)無視されて腹が立った」と述べている。
平成9年10月27日に奈良地裁で行われた初公判における冒頭陳述で、検察側から誠人が充代さんをはねた動機について、
「充代さんに『車に乗っていくか』と声をかけたが、何の返事もなく無視されたと腹を立てた。これまで、嵩地区の住民から差別を受けてきたとして、同住民に不快感を抱いていたため、無視されたのは、自分に対する差別の表れであると認識し、故意に車をぶつけて、充代さんをその場から、どこかへ連れ去ろうと考えた」
と述べられている。
奈良の風光明媚な静かな山村のイメージとは対極にあるような、山深い村における「差別」。
誠人の供述や、取材レポートなどの報道を読むと、具体的なことがいくつも書かれてあった。

この、「嵩地区の住民から差別を受けてきた」という部分が、その後の報道や世論を大きく惑わせる結果となる。




「差別と自死で煙に巻かれた本筋~奈良・月ヶ瀬女子中学生殺害事件~」への6件のフィードバック

  1. 事件現場の地域の方が投稿なさっているようですが……

    まさにお書きになっているように、新潮45の記事がネット記事の発端ですよね。。私も、だいぶあとになってから図書館で読みましたが。しかし、あれは誰が書いたのだったでしょうか。。
    新潮45も、数年前にとある事件がきっかけで自主廃刊となりましたが、まあその前から部数は落ちていたようでもあり、終焉を迎えたきっかけもよくわからないままですが。

    記者に、意図的に偏向記事を書く意思があったのか、
    記者が、一方的な証言に引っかかったのか、
    そのあたりもよくわからないですし、また編集元(またはその背後にいる勢力)等の意向が反映された可能性もありますし。ぶっちゃけますと、私は在日であるために、意図的に広められたふしは少なからずあるかとにらんでますけども。

    偏った?記事になったらしいことは今となってはもう確かめようもありませんが。。
    管理人様もよくご存じでしょうけど、Twitterとか見てると、だれが言ってることが真相に近いのかなんとも…ですよね。

    少なくとも、この10数年の間に、新潮45をもとにして書かれたページの大半には、犯人の一家が勝手に住み着いたとは書かれてなくて、村の有力者の手引きで…ということになっているような気がします。

    1. oko_k さま
      いつもコメントありがとうございます。

      新調45の記事は、個人的にはどれも核心に迫っていて読み応えがありますし、何より私などと違って足を使った取材に基づいた記事ですから、信頼はしています。
      この記事を書かれた方も私が尊敬するジャーナリストの方です。
      私が事件備忘録をやろうと思ったのも、新潮45の中瀬ゆかり編集長(当時)が別の人になって、コンセプトが変わったため事件を扱わなくなったので、なら自分でやろうと思ったのです。

      この事件でいちばん私が思うことは、ほとんどの記事が被害者をまるで忘れているかのように丘崎や差別ばかりに偏りすぎているのではないか、ということです。
      どんな事情があろうとも殺人、ましてや差別など意識すらなかったであろう中学生の女の子を殺して棄てたのです。逮捕されてからも遺棄した場所を言わなかった。
      この記事のタイトルは、そんな思いを込めてつけました。

  2. 丘崎と同郷です。どこの記事も丘崎が差別された被害者みたいな扱いで悔しい思いをしていたので、こちらはちょっと違うなと思いコメントさせていただきます。
    まず、一家はボロボロのあばらやに住んでいた、ではなくて、使っておらず放置してた小屋に勝手に住み着いた、と言うのが正解です。
    放置してる小屋なんだから、ライフラインがないのは当たり前で、下水の分担金が払えないじゃなくて、その小屋まで下水管も何も通っておらず、一から引く工事費が村の予算では無理でした。
    だから再三丘崎家にはここは危ないし、違う家を借りて出て行くようにお願いしました。それを無視して30年です。はっきり言うと丘崎家は不法占拠してました。
    与力に入れてもらえない事が憎かったそうですが、そもそも彼らは村人と関わろうとしなかった。道で会っても無視、協力を頼んでも無視、幇助関係の仲間に入りたいなんて絶対思ってなかった。 
    被害者の子に車に乗らないか声をかけて、無視されたから村八分の恨みが募って、と言い訳してますが、事実は全く違います。
    被害者の子は何度も風呂を覗かれ、覗き魔を捕まえてみたら丘崎でした。自分を覗いた性犯罪者に声をかけられて、明るく返事なんかしないだろうし、そもそも普通の神経してたら声掛けないでしょ。現行犯で捕まってボコボコにされたんだから。

    丘崎は、村八分の腹いせにあの子を襲ったなんてそんなの大嘘の言い訳ですよ。風呂を覗いた頃から、性的な意味で狙ってた。
    丘崎家みたいな、勝手に住み着いて言葉も交わさない、毎日家にいて何をしてるか分からないような外国人に、当時の村人はどう接したら良かったんですかね?
    母親の方は全く日本語通じなかったし…
    向こうから無視するような人たちに、どこまで歩み寄れば良かったのか、いまだに誰も分からないです。

    丘崎の親も一度も謝罪の言葉ひとつなく、勝手に住み着いた時のようにいつの間にかいなくなりました。
    私は他県に出て働いていますが、いまだに月ヶ瀬出身だと言うと村八分と言われます。
    村八分なんかありませんでした。
    ボロボロのあばらやに、勝手に住み着き出て行かず、ライフラインが通れないから引っ越してくれと頼んでも、出ていかなかったのが真実です。
    一万の家賃なんか、滞納しても請求もしてませんでしたよ。

    誰かにこの事実を知って欲しいと常々考えていたので、ご迷惑かと思いましたが、書かせていただきました。少し、気が楽になりました。

    1. 匿名太郎 さま
      初めまして、お読みいただきありがとうございます。
      私は昔からこの事件を語るとき、皆浦久保さんのことを忘れているのではないかと非常に気になっていました。
      確かに、丘崎の生い立ちは彼の責任だけではない部分があったのですが、だからといって浦久保さんが殺害されたことは100%丘崎が悪い。
      浦久保さんには一点の落ち度もないと思っています。

      あばら家の話も、合点がいきました。
      勝手に住み着いていたのを、浦久保さんのおじい様が家主にとりなされたわけですよね、ずっと暮らせるように。
      物は言いよう、だと思いました。話がぜんぜん変わりますよね。
      今でも、差別していたからわざとあんな小屋に住まわせたんだと思ってる人がいます。
      充代さんがそんな被害に遭われていたとは、知りませんでした……
      お話いただき、ありがとうございます。
      こちらのお話は、後に改めて記事にまとめさせていただけたらと思います。
      もし、お読みでしたらご連絡いただけると幸いです。
      jikencase1112@gmail.com

  3. 月ヶ瀬村で発生したこの事件、印象に残っています。
    丘崎誠人はなぜこんな酷いことをしたのか、何冊か本を読みましたが、動機が村の住民からの差別、という点がどうにも府に落ちませんでした。
    このブログでのタイトル「煙に巻かれた真相」がどういうことなのか、、、?
    私見ですが、奔放な母、彼の出生についての事実、この辺りに真相があるのでは?と思います。

    1. toshi さま

      お読み下さりありがとうございます。
      高野弁護士がおっしゃる通り、差別はあったかもしれません。村をあげて、ということではなく、個人的なレベルでというのはなかったとは言いきれないと思います。
      けれども、それはやはり「言い訳」のようにも思います。
      あの村にこだわり、出ていく機会も何度もあった。にもかかわらず何度も舞い戻った男。
      自堕落で気ままな無職生活を彼は選択したと思います。

      なにより、事件は浦久保充代さんという、中学生の女の子が殺害されて捨てられたという大変な事件であるにもかかわらず、まるでそれをそっちのけで差別だなんだというのは絶対に違うと思います。

      煙に巻かれた「本質」は、まさにそこを指しています。

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